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宮崎駿

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』(1)

11月30日に書いたブログ記事〈『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」〉の冒頭では、宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論を書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められたことを記しました。

そこでは触れませんでしたが、映画《永遠の0(ゼロ)》を見る気にはなれなかった私が、この一連の記事を書くきっかけになったのは、宮崎監督がロングインタビューで百田尚樹氏の原作による映画を「神話の捏造」と酷評し、それに対して百田氏が激しい反応を示していたことでした。

*   *

宮崎監督は《風立ちぬ》と同じ年の12月に公開予定の映画《永遠の0(ゼロ)》を雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)の誌上で次のように厳しく批判していました。

「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」(太字、引用者)。

一方、『ビジネスジャーナル』のエンジョウトオル氏の記述によれば、百田氏は映画《風立ちぬ》について、「僕は宮崎駿監督の『風立ちぬ』は面白かった。静かな名作だと思う。週刊文春にも、そう書いた」とし、「ラストで零戦が現れたとき、思わず声が出てしまった。そのあとの主人公のセリフに涙が出た。素晴らしいアニメだった」と同作を大絶賛していたとのことです。

宮崎監督のインタビュー記事を読んだあとではそのような評価が一変し、15日放送の『たかじんNOマネー BLACK』(テレビ大阪)で百田氏は「宮崎さんは私の原作も読んでませんし、映画も見てませんからね」とまくしたて、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ、と思いまして」と監督を小バカにし(「○○」の部分は、オンエア上はピー音が入っていた)」、映画『風立ちぬ』についても「あれウソばっかりなんですね」と激しく批判したのです(『ビジネスジャーナル』)。

民主主義的な発言を行う者は「犯罪者」か「狂人」と見なされた帝政ロシアの「暗黒の30年」と呼ばれる時代に青春を過ごしていたドストエフスキーの研究者の視点から注意を促しておきたいのは、このような発言が一般のお笑いタレントではなく、安倍首相との共著もあるNHK経営委員の百田氏からなされたことです。

「安政の大獄」で大老・井伊直弼が絶対的な権力をふるった幕末だけでなく、「新聞紙条例」や「讒謗律」が発布された明治初期の日本や、司馬遼太郎氏が「別国」と見なした「昭和初期」でも、権力の腐敗や横暴を批判する者が「犯罪者」や「狂人」のようにみなされることが起きていました。

報道への「圧力」が強められている安倍政権の状況を見ると、「あの人」と言いながら頭を右手で指して、「○○大丈夫かなぁ」と続けた百田氏の発言は、平成の日本が抱えている独裁制への危険性を示唆しているように思われます。

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NHKのニュースでは最近安倍首相の顔のクローズアップが多くなったことについては報道の問題との関連で言及しましたが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んでいくと各章の扉の裏頁には、必ず安倍首相の顔クローズアップ写真か百田氏との二人の写真が大きく載っていることに気づきました。

この著書の題名を見た時にすぐに浮かんだのは、太平洋戦争当時の指導者を「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと、彼らの「自国中心主義」を厳しく批判していた作家・司馬遼太郎氏の言葉でした(エッセー「石鳥居の垢」、『歴史と視点』所収、新潮文庫)。

ただ、著名な作者の本からのパクリやコピペが多いことを指摘された百田氏がツイッターで「オマージュである」との弁明を載せていたことに注目すると、この著書の題名も若者の気持ちをも捉えることのできるような小説家・片山恭一氏の小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001年)と歌手・Winkの19枚目のシングルの題名「咲き誇れ愛しさよ」を組み合わせているのではないかと思うようになりました。

つまり、平成の若者向けに分かりやすく言い換えられてはいますが、この共著の内容は、「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断った太平洋戦争当時の指導者(その中には、陸軍からも関東軍からも嘱望されて「満州経営に辣腕」を振った安倍氏の祖父で高級官僚だった岸信介も含まれます)の思想ときわめて似ているのです。

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『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』の対談で百田氏は、自著『永遠の0(ゼロ)』が、「もうすぐ三百万部を突破しそうです」と語り、映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していました(64頁)。

宮崎監督からの批判を受けると「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う」と記した百田氏は、「文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」と記すようになります。

しかし、この小説をざっと読んだ後ではさまざまな視点からの読者からの厳しい批判は正鵠を射ており、「全方向から集中砲火」にさらされるようになったのは、子供のための「戦記物」のような文体で書かれたこの書が持ついかさま性と危険性に多くの読者がようやく気づき始めたからだと思われます。

そのような視点から見ると大ヒットしたこの小説は、「道徳の教科化」をひそか進めている安倍政権の危険なもくろみと、戦前の教育との同質性をも暴露していると言えるでしょう。

(続く)

(題名を改題し、内容も大幅に改訂。12月3日)

 

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

  宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論をこのブログに書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められていました。

しかし、ウェブ上には原作の『永遠の0(ゼロ)』が浅田次郎氏の『壬生義士伝』と坂井三郎氏の『大空のサムライ』のパクリとか、コピペの箇所も多いとの指摘が少なくなかったので、映画を見ないままに今日に至っていました。

ノーベル賞候補とまで騒がれたSTAP細胞の論文におけるコピペ問題はまだ記憶に新しいのですが、人文系の分野でもコピペの問題は指摘されており、引用文献と参考文献とは重みが異なるので、引用したならばその箇所をきちんと明記すべきでしょう。

そのようなこともあり、いくつかの話題となった事柄以外は百田尚樹という作家についてはほとんど知らなかったのですが、前回のブログ記事「政府与党の報道への圧力とNHK問題」に関連して調べたところ、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)があることが分かりました。

これまでこの著書に気づかなかったのは迂闊(うかつ)だったと思いますが、安倍氏が総理に再就任した翌年の12月27日に出版された本書からは、今回の総選挙の手法の問題点も浮かび上がってきます。

*   *

ようやく読み終わった段階ですが、次のような目次からは新たに総理として選ばれることになる安倍氏の政治的な抱負と放送作家・百田氏の著作の宣伝とが非常に上手に組み合わされていることが感じられます。

第1章 取り戻すべき日本とは何か

第2章 『永遠の0(ゼロ)』の時代、

『海賊とよばれた男』の時代

第3章 「安倍晋三 再登板待望論」に初めて答える

第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる

  • さらば! 売国民主党政権
  • 百田尚樹 特別書き下ろし「安倍晋三論」

第5章 安倍総理大臣、熱き想いを語る ──日本をもう一歩前に  

勇ましい文章が並んでいますが、政治の素人である私が目次を見て驚愕したのは、百田氏が書いた「第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる」には、「さらば! 売国民主党政権」という記述があることです。

それまで政権を担っていた政党に対して「売国」という、誹謗・中傷の域に達した形容詞を付けることは許されないと思われるのですが、安倍総理も当然、見て校正も行っていると思われるこの共著では、そのような過激な項目があるだけでなく、対話のなかでもしばしばそれに類した言葉が百田氏から発せられているのです。

本の内容紹介によれば、「小説を通して多くの読者に『日本の素晴らしさ』『日本人の美しさ』を伝えてきた百田尚樹。百田作品から国の命運を思い続けた安倍総理。月刊誌『WiLL』に掲載されたふたりの対談や日本再生論を書籍化」とあります。 このような二人の深い関係やその後の経過から判断すると、国際的にも大きな問題となった日本におけるヘイトスピーチ(「憎悪表現」「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」などと訳される)の発端の一因が総理と放送作家がタッグを組んで出版したこの著に記された「憎悪宣伝」にあるのではないかとさえ思われてきます。

*   *

実は、自分の思想とは対立する考えの持ち主やそのグループを「売国奴」などの用語で非難して、追い落とし自分たちが権力を握ろうとする傾向は、「尊皇攘夷思想」が強かった幕末の日本でも目立っていました。

それゆえ、 『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判して、現代にも受け継がれている「神国思想」の危険性を指摘していたのです( 『竜馬がゆく』第2巻、「勝海舟」)。リンク→『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

問題は鉄道などの運転手が事故を起こせば厳しく罰せられるにもかかわらず、「国策」として行われた「戦争」を指導した軍人や政治家、高級官僚がその罪をほとんど問われず、その被害の重みを「国民」が一方的に背負わされることになったことです。

同じことは東京電力・福島第一原子力発電所の大事故の際にも起きました。東京電力の幹部社員だけでなく、推進した議員と官僚、さらにはそれを大々的に広告した会社などの責任は問われることはなく、「絶対安全」だという言葉を信じていた多くの住民が今も「原発事故の避難民」として苦しい生活を余儀なくされているのです。

*   *

安倍首相と百田尚樹氏の共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んで気づいたことの一つは、「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないことです。

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この共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』には安倍政権の問題点が集約されているように思われますので、これからも分析していきたいと思います。

ここで確認しておきたいのは、この書で安倍氏が賞賛している『永遠の0(ゼロ)』におけるコピペの問題に関連して、「方々で言ってることやけど、『永遠の0』は、浅田次郎先生の名作『壬生義士伝』のオマージュである」との2012年6月29日付けの百田氏の弁明がウェブ上のツイッターに載っていることです。

しかし、日本ペンクラブ会長でもある浅田次郎氏は、「特定秘密保護法案」や「集団的自衛権」などの決定の方法について、「これら民主的な手順をまったく踏まない首相の政治手法は非常識であり、私たちはとうてい認めることはできない」と厳しく批判しているのです(日本ペンクラブ・ホームページ)。 『永遠の0(ゼロ)』という小説が安倍氏の政治手法を厳しく批判している浅田氏の著作の「オマージュ」という説明は、苦し紛れの言い訳のようにしか聞こえてきません。

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この問題の根は深いので、次回は〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍晋三氏の「愛国」の手法〉という題で、ノンフィクションとフィクションの問題をとおして安倍首相の政治手法の問題を考え、最後に映画《永遠のゼロ》の原作を厳しく批判した宮崎駿監督の言葉をとおして、イデオロギー(正義の大系)を厳しく批判した司馬遼太郎氏の言葉の重みを再考察したいと思います。  

(2019年1月5日、加筆)

映画《七人の侍》と映画《もののけ姫》

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(東宝製作・配給、1954年、図版は「ウィキペディア」より)、(《もののけ姫》、図版は「Facebook」より)。

 

2014年10月24日のブログ記事で、『七人の侍』誕生60周年を記念し、黒澤明監督の作品全30本を上映する「黒澤明映画祭」が、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで8週間にわたって開催されるとの情報を掲載しました。リンク→「シネ・ヌーヴォ」で「黒澤明映画祭」が開催

その後、11月に宮崎駿監督がアメリカ・アカデミー賞の第87回名誉賞を受賞したとの朗報が入ってきました。これは1989年に黒澤明監督が第62回の名誉賞を日本人として初めて受賞したのに続く快挙です。

実は、黒澤明研究会でも『七人の侍』誕生60周年を記念した特集を組むとのことでしたので、「《七人の侍》と《もののけ姫》」と題した論文を投稿するつもりで半分ほど書き上げていました。

しかし、今年は映画《ゴジラ》の60周年でもあるため、原爆や原発の問題を扱った映画《夢》との深い関連を明らかにするために、急遽「映画《ゴジラ》から映画《夢》へ」という論文の執筆に切り替えました。

そのため「《七人の侍》と《もののけ姫》」について詳しい考察はいずれ機会を見て発表することにし、ここではかつて映画《もののけ姫》について書いた短い記事と、前著 『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、2011年)の一部を抜粋して紹介することで、宮崎駿監督が黒澤明監督から受け継いだこととその意味を簡単に考えて見ることにします。

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映画《もののけ姫》の現代的な意義については、地球環境の問題との関連で次のような短い記事を1997年に書きました。

「(前略)文明理論の授業で未来に対するイメージを質問したところ、多くの学生から悲観的な答えが帰って来て驚いたことがある。しかし、一二月に温暖化を防ぐ国際会議が京都で持たれるが、消費文明の結果として、一世紀後には海面の水位が九五センチも上がる危険性が指摘され、洪水の多発など様々な被害が発生し始めている。(中略) こうして、現代の若者たちを取り巻く環境は、きわめて厳しい。大和政権に追われたエミシ族のアシタカや人間に棄てられ山犬に育てられた少女サンの怒りや悲しみを、彼らは実感できるのだ。

『もののけ姫』には答えはない。だが、難問を真正面から提示し、圧倒的な自然の美しさや他者との出会いを描くことで、観客に「生きろ」と伝え得ている。」

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映画《七人の侍》が高く評価される一方で、映画《白痴》は日本ではあまり高い評価を受けていません。そのことについて長い間考えていた私は、日本においては強い影響力を持っている文芸評論家・小林秀雄が、「『白痴』についてⅡ」の第九章で、「お終ひに、不注意な読者の為に注意して置くのもいゝだろう。ムイシュキンがラゴオジンの家に行くのは共犯者としてである」と断定していたことが大きいだろうと考えるようになりました。

しかも、「大地主義」を「穏健だが何等独創的なものもない思想であり、確固たる理論も持たぬ哲学であつた」とした小林は、「彼らの教義の明瞭な表象といふより寧ろ新雑誌の商標だつた」と続けていたのです。

しかし、拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、2002年)に記したように、クリミア戦争の敗戦後にシベリアから首都に帰還して雑誌『時代』を創刊したドストエフスキーが、「貴族と民衆との和解」の必要性を強調して、「農奴の解放」や「言論の自由」、「農民への教育」などを訴えたのが「大地主義」だったのです。

「大地主義」との関連に注意を払うならば、長編小説『白痴』は貴族の横暴さや傲慢さを認識した名門貴族の主人公ムィシキンが遺産を得たことで、自分の非力さを知りつつも「貴族と民衆との和解」をなんとか行おうとし、激しい情熱を持ちつつもそのエネルギーを使う方向性を見いだせなかったロシアの商人ロゴージンに新しい可能性を示そうとしつつも、複雑な人間関係やレーベジェフの企みなどによって果たせず、ついに再び正気を失ってしまうという悲劇を描いているといえるでしょう。

このことに注目する時、黒澤映画《白痴》が舞台を敗戦直後の日本を舞台に主人公も復員兵とし、さらには長編小説の流れとは異なるシーンを描きつつも、クリミア戦争敗戦後の混乱した時代を舞台したドストエフスキーの長編小説『白痴』の本質を見事に映像化していたと思われます。

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「大地主義」に対する深い理解は1954年に公開された映画《七人の侍》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)にも現れており、三船敏郎が演じた強いエネルギーを持つ農民出身の若者・菊千代はロゴージン的な役割を担っているといえるでしょう。

なぜならば、依頼者の百姓たちが落ち武者狩りをしていたことを知った浪人の勘兵衛たちは怒って去ろうとしたときに菊千代は、百姓たちに落ち武者狩りをさせたのは戦いや略奪を繰り返してきた侍だと叫んで、百姓たちの気持ちを代弁していたからです。

映画《七人の侍》は戦いに勝ったあとで、百姓たちが行っていた田植えの場面を大写しにしながら、勘兵衛に「いや……勝ったのは……あの百姓たちだ……俺たちではない」と語らせ、さらに「侍はな……この風のように、この大地の上を吹き捲って通り過ぎるだけだ……土は……何時までも残る……あの百姓たちも土と一緒に何時までも生きる!」と続けさせているのです。

宮崎駿監督は黒澤明監督との対談の後で、《七人の侍》が「日本の映画界に一つの基準線を作った」ことを認めて、「その時の経済情勢や政治情勢や人々の気持ちや、そういうもののなかで、まさにあの時代が生んだ作品でもある」と続けた後で、「今、自分たちが時代劇を作るとしたら、それを超えなきゃいけないんです」と結んでいました(黒澤明・宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』徳間書店、1993年)。

この言葉はきついようにも見えますが、両者が同じように映画の創作に関わっていることを考えるならば、黒澤映画を踏まえつつ新しい作品を造り出すことこそが、黒澤明監督への深い敬意を現すことになるといえるでしょう。実際、宮崎監督は1997年にアニメ映画《もののけ姫》を公開することになるのです。

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残念ながら、現代の日本はまだ宮崎監督が映画《もののけ姫》で描いたような厳しい状況から抜け出ていません。しかし、現状を直視することによってのみ解決策は生まれると思います。

宮崎監督の最後の長編アニメ映画《風ちぬ》について記したブログには、今も多くの閲覧者の方が訪れられていますが、宮崎駿監督がアメリカ・アカデミー賞の名誉賞を受賞されたこの機会に、《もののけ姫》の源流の一つとなっている《七人の侍》だけでなく、多くの黒澤映画を鑑賞して頂きたいと願っています。

追記:映画《七人の侍》(1954年)にはドストエフスキーの作品からだけではなく、『戦争と平和』からの影響も見られ、一方、黒澤監督を敬愛したタルコフスキー監督の映画(映画《アンドレイ・ルブリョフ》には、《七人の侍》からの影響が見られます。

(2016年1月10日。誤記を訂正し、追記とポスターの図版を追加)

新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)

謹賀新年

本年もよろしくお願いします。

 

昨年は原発の輸出だけでなく弾薬の譲渡、さらには「特定秘密保護法」の強行採決などたくさんの危険な出来事が続きましたが、今年はなんとかよい年にしたいものです。

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気分を変えるために大晦日に、高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》を妻と見てきました。

日本最古の物語を題材にしたこのアニメ映画では、現代の「殿上人」ともいえる大臣や高級官僚が忘れてしまった昔からの日本の自然観がきちんと描かれており、この映画にも「風が吹いている」と感じて新たな気持ちで年を越えることができました。

このブログでも《風立ちぬ》の感想とともに、この映画についても記していきたいと思っています。

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正岡子規は立身出世の道が開かれている東京帝国大学卒業を断念して、日本の言語や文化に根ざした俳句を詳しく調べ直し、俳句の「日本の古い短詩型に新風を入てその中興の祖」になりました(「春や昔」『坂の上の雲』第1巻、文春文庫)。

今年こそは司馬遼太郎氏が敬愛した正岡子規に焦点をあてて『坂の上の雲』を読み解く著書を発行したいと考えています。

高校や大学の頃には小説や詩を書いていましたので、今回は子規の心意気に感じて初心に戻り、拙いながらも一句披露します。

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新春に核廃絶の「風立ちぬ」

 

 

《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志

アニメ映画《風立ちぬ》が「国内の映画ランキング」の一位の座から去ったことで、早くも話題は次の映画に移り始めているようにみえます。

しかし、アニメ映画というジャンルで、文明史家とも呼べるような雄大な視野を持った司馬遼太郎氏の志を表現していると思えるこの作品については、きちんと語り続けていかねばならないでしょう。

 宮崎駿監督が「書生」として司会を務めた鼎談集『時代の風音』(朝日文庫、1997)で司馬氏は、20世紀の大きな特徴の一つとして「大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核まで至るもの」を作っただけでなく、「兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証(あかし)」とされてきたことを厳しく批判していました(「二十世紀とは」)。

注目したいのは、映画の終わり近くでノモンハンの草原とそこに吹く風が描かれていることです。この場面を見たときに、司馬氏の作品を評論という方法で論じてきた私は、宮崎監督が司馬氏の深く重たい思いを見事に映像化していると感じ、熱い思いがこみ上げてきました。

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司馬氏は賞賛される一方で、批判されることも多い作家でしたが、司馬作品を比較的好意的に見ている人の中にも、ことに晩年には「参謀本部」や「統帥権」の問題を鋭く分析している司馬氏が、いろいろと批判しながらノモンハンの戦車部隊をテーマにした長編小説を書かなかったことには疑問をもっている方が多いようです。

しかし、司馬氏は「書かなかった」のではなく、「書けなかった」のです。この点については誤解している方も多いと思われるので、最近〔「書かなかったこと」と「書けなかったこと」〕と題するエッセーを書きました。(同人誌『全作家』第91号)。ここではその一部を引用することで、「ノモンハンの草原に吹く風」が描かれたシーンを見たときの私の熱い思いの説明に代えたいと思います。

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「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、「ノモンハンは結果として七十数パーセントの死傷率」だったが、それは「現場では全員死んでるというイメージです」と作家・井上ひさし氏との対談で語るとともに、連隊長として実際に戦闘に参加した須見新一郎元大佐の証言をとおして、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と指摘し、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよと命じた」ことを紹介している(『国家・宗教・日本人』)。

「このばかばかしさに抵抗した」須見元大佐が退職させられたことを指摘した司馬氏は、彼のうらみはすべて「他者からみれば無限にちかい機能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしない」、「参謀という魔法の杖のもちぬしにむけられていた」と書いている(『この国のかたち』・第一巻)。

こうして「ノモンハン事件」を主題とした長編小説は、『坂の上の雲』での分析を踏まえて、「昭和初期」の日本の問題にも鋭く迫る大作となることが十分に予想された。しかしこの長編小説の取材のためもあり、司馬氏が元大本営参謀でシベリアでの強制労働から戻ったあとには、商事会社の副社長となり再び政財界で大きな影響力を持つようになった瀬島龍三氏と対談をしたことが、構想を破綻させることになった。

すなわち、『文藝春秋』の昭和四十九年正月号に掲載されたこの対談を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」とする絶縁状を送りつけ、さらに「これまでの話した内容は使ってはならない」とも付け加えていた(「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

この話について記した元編集者の半藤一利氏は、「かんじんの人に絶縁状を叩きつけられたことが、実は司馬さんの書く意欲を大いにそぎとった」のではないかと推測している。また、小林竜夫氏は須見元大佐がこの長編小説の主人公だったのではないかと考え、「須見のような人物を登場させることはできなく」なったことが、小説の挫折の主な理由だろうと想定している(『モラル的緊張へ――司馬遼太郎考』)。

たしかに、惚れ込んだ人物を調べつつ歴史小説を書き進めていた司馬のような作家にとって主人公を失うことは大きく、小説は「書けなくなった」と思えるのである。

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アニメ映画を見ていたときは、広い草原を見て司馬氏がたびたび言及している蒙古の草原のようだと漠然と感じていたのですが、半藤一利氏との対談で宮崎監督は次のように語っていたのです。

「少年時代の堀越二郎の夢に出て来る草原は、空想の世界の草原です。でも、終わりの草原は現実で、『あれはノモンハンのホロンバイル草原だよ』ってスタッフに言っていた」(『腰抜け愛国談義』文春ジブリ文庫)。

その記述を読んだ時には、宮崎監督が映像をとおして作家・司馬遼太郎氏の志を受け継ぎ、表現していると改めて強く思いました。

(2015年11月4日。訂正と追加)。

《風立ちぬ》と映画《少年H》――「《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」を「映画・演劇評」に掲載しました

先日、妹尾河童氏の原作『少年H』を元にした映画《少年H》を見てきました。

夏休みも終わった平日の午前中ということもあり、観客の人数が少なかったのが残念でしたが、この映画からも宮崎駿監督の《風立ちぬ》と同じような感動を得ました。

映画《風立ちぬ》については、戦時中の問題点を示唆するシーンにとどまっており、反戦への深い考察が伝わってこないという批判があり、おそらくそれが、戦時中の苦しい時代をきちんと描いている映画《少年H》とのヒットの差に表れていると思います。

黒澤映画《生きものの記録》と司馬遼太郎氏の長編小説『坂の上の雲』などを比較しながら感じることは、問題点の本質を描き出す作品は一部の深い理解者を産み出す一方で、多くの観客や読者を得ることが難しいことです。

私としては問題点を描き出す《少年H》のような映画と同時に、大ヒットすることで多くの観客に問題点を示唆することができる《風立ちぬ》のような二つのタイプの映画が必要だろうと考えます。

ただ、司馬作品の場合に痛感したことですが、日本の評論家には作者が伝えようとする本当の狙いを広く伝えようとすることよりも、その作品を矮小化することになっても、分かりやすく説明することで作品の売り上げに貢献しようとする傾向が強いように感じています。

《風立ちぬ》のような作品も観客の印象だけにゆだねてしまうと、安易な解説に流されてしまう危険性もあるので、《風立ちぬ》に秘められている深いメッセージを取り出して多くの観客に伝えるとともに、《少年H》のような映画のよさを多くの読者に分かりやすく説明してその意義を伝えたいと考えています。

奇しくも、宮崎駿監督と妹尾河童氏は司馬遼太郎氏を深く敬愛していました。それぞれの映画のよさを再確認する上でも、《風立ちぬ》を見た人にはぜひ《少年H》をも見て、二つの映画を比較して頂きたいと思います。

リンク映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観

 

「『罪と罰』のテーマと《風の谷のナウシカ》――ソーニャからナウシカへ」を「映画・演劇評」に掲載しました

映画《風立ちぬ》はこれまでの集大成とも言えるようなすばらしいアニメでしたが、先日の記者会見で宮崎駿監督が引退の表明をしました。

宮崎アニメをこれから見られなくなるのは残念ですが、鼎談集『時代の風音』や対談集『半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義』に示されているように、重たいテーマをも含んでいる宮崎映画は楽しいだけではなく、複雑な歴史観や深い文明観を持っています。

今後は文学や映画との関わりをとおして宮崎監督の文明観に迫ることで、宮崎映画の現代的な意義を解き明かしていきたいと考えています。

今回は「映画・演劇評」に標記の記事を掲載しました。

 

 

特集「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」と映画《生きものの記録》、を「映画・演劇評」に掲載しました

7月の下旬に「科学者(知識人)の傲慢と民衆の英知――映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』」という論文を書き上げました。

この論文の内容については雑誌が発行されてから具体的に記するようにしたいと思いますが、ほぼ書き終えた頃にインターネットの検索で仙台出身の岩井俊二監督とスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーとの対談記事を見つけました。

「大地の激動と『轟々と』吹く風」と題した《風立ちぬ》論Ⅱには、この対談から影響を受けていると思われる箇所がありますので、今回の「映画・演劇評」では「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」という日本映画専門チャンネルの特集についての対談記事より、《生きものの記録》について語られている箇所を中心に紹介します(テキスト・構成・撮影:CINRA編集部、2011/12/30)。

「 黒澤明監督の《生きものの記録》と宮崎駿監督の《風立ちぬ》」より改題(8月22日)

「《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影」を「映画・演劇評」に掲載しました

ブログの「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」にも記しましたが、作家・堀辰雄(1904~53)の小説『風立ちぬ』と同じ題名を持つ、宮崎駿監督の久しぶりのアニメ映画の主人公の一人が、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎であることを知ったときに、このアニメ映画が政治的に利用されて「戦うことの気概」が賛美されて、「憲法」改正の必要性と結びつけられて論じられることを危惧しました。

しかし、その心配は《風立ちぬ》を見た後では一掃されました。なぜならば、この映画では堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の友情をとおして、「富国強兵」政策のもとに耐乏生活を強いられた「国民」の生活もきちんと描かれていたからです。

さらに『魔の山』に言及することで《風立ちぬ》は、当時の日本帝国とドイツ帝国との類似性を浮かび上がらせることにも成功していたと思えます。

私自身は作家トーマス・マンについて詳しく研究したことはないのですが、重要なテーマなので、今回は《風立ちぬ》論を「『魔の山』とヒトラーの影」と題して、「映画・演劇評」に掲載しました。

「《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風」を、「映画・演劇評」に掲載しました

 宮崎駿監督は作家の司馬遼太郎氏を深く敬愛していましたが、二人の間には多くの点で歴史観や文明観に多くの共通点があることをブログ「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」に記しました。

 また 『竜馬がゆく』には1854年12月23日に発生した東海地震に遭遇した竜馬の心理と行動が詳しく描かれていることをブログ「『竜馬がゆく』と「震度5強」の余震」で明らかにしました。

 今回はこのような二人の自然観に注目することによって、《風立ちぬ》における大地の激動の描写や「轟々と」吹く風の描写と、東日本大震災以降の日本との関わりを考えてみたいと思います。