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講座「アニメ映画《風立ちぬ》で堀田善衞の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』を読み解く」(7月7日)

講座「『草枕』で司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み解く」のレジュメを「主な研究(活動)」に掲載しました

 2月19日に行われた「世田谷文学館友の会」の講座には、雪混じりの天気だったにもかかわらず、多くの会員の方に参加して頂きました。

  長編小説『翔ぶが如く』を読み解くという試みだったために、内容を詰め込みすぎた感もありましたが、講座の後では多くのご質問も頂き、私にとっては司馬氏の漱石観だけでなく、「憲法」観を再考察するよい機会となりました。

(追記:掲載される位置が正常に戻りましたので、題名を変更しました。10月18日)

 

 

 

 

講座 『夜明け前』から『竜馬がゆく』へ――透谷と子規をとおして

今年も「世田谷文学館友の会」の講座でお話しすることになりました。

「おしらせ」第131号(H29年3月2日発行)より講座が行われる日時や場所、講座の要旨などを転載します。

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日  時  : 平成29年4月16日(日) 午後2時~4時

場  所  : 世田谷区立男女共同参画センター「らぷらす」

参 加 費  : 1000円

申込締切日 : 平成29年4月4日(火)必着

(応募者多数の場合は抽選)

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 講座 『夜明け前』から『竜馬がゆく』へ――透谷と子規をとおして

「木曾路(きそじ)はすべて山の中である」という文章で始まる島崎藤村の『夜明け前』は、「黒船」の来港に揺れた幕末から明治初期までの馬篭宿を舞台にしている。芭蕉の句碑が建てられた時のことが記されているその序章を読み直した時、新聞『日本』に入社する前にこの街道を旅した正岡子規が「白雲や青葉若葉の三十里」と詠んでいたことを思い出した。

『夜明け前』では王政復古に希望を見ながら「御一新」に裏切られた主人公(父の島崎正樹がモデル)の苦悩が描かれているが、そこには「私達と同時代にあつて、最も高く見、遠く見た人」と藤村が評した北村透谷の苦悩も反映されていた。

『夜明け前』を現代的な視点から読み直すことで、街道の重要性や「神国思想」の危険性だけでなく、「憲法」の重要性も描かれていた『竜馬がゆく』の意義に迫りたい。

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これまでの「講座」

→講座 『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容

講座 「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」

講座「『草枕』で司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み解く」(レジュメ)

 

 

 

論考の題名を「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』」に改題

「はじめに」で記したように最近の相次ぐ出版により「つくる会」が生まれた1996年が日本の歴史の大きな転換点になっていたことが明らかになりました。それゆえ、「ナショナリズムの克服――『ひとびとの跫音』考」という題名で発表し、現在は日本ペンクラブの「電子文藝館」に掲載中の論考を〈司馬遼太郎の徳富蘇峰批判――「新しい歴史教科書をつくる会」の教育観と歴史認識をめぐって〉と改めてHPに掲載してきました。

しかし、少し題名が抽象的であるばかりでなく、本稿で論じている徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』との関係は、安倍晋三氏が初代の事務局長を務め、現在は内閣総理大臣補佐官の衛藤晟一(えとうせいいち)氏が幹事長を務めている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の方が近いと思われます。

それゆえ、題名をより内容に近づけて「司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』と徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』――歴史認識と教育の問題をめぐって」と改題します。

目次

1、グローバリゼーションとナショナリズム

2、父親の世代と蘇峰・蘆花兄弟の考察――『ひとびとの跫音』の構成をめぐって

3,大正時代と世代間の対立――徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』を中心に

4、ナショナリズムの批判――陸羯南と加藤拓川の戦争観と『大正の青年と帝国の前途』

5、治安維持法から日中戦争へ――『大正の青年と帝国の前途』と昭和初期の「別国」への道

6、窓からの風景――「国家神話をとりのけた露わな実体」への関心

7、司馬遼太郎の予感――「帝国の前途」から「日本の前途」へ

 

見えてきた「政権担当者」の本音――幕末の言論弾圧と「特定秘密保護法案」

 

ここのところ自分の仕事をする時間がなく、焦っています。

しかし、衆議院で明治8年に成立した『新聞紙条例』(讒謗律)にも勝るような「悪法」と思われる「特定秘密保護法案」が強行採決されてから国会の会期末までの時間は、これからの国家の行く末をも左右することになります。

それゆえ、なんとか時間を捻出してブログ記事を書き続けることにします。

   *   *   *

今朝の新聞各紙は、自民党の石破茂幹事長が11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していたことを報じています。

これらの新聞記事が厳しく批判しているようにこれは本末転倒であり、彼らが自分の忙しい時間を割いてデモをしているのは、民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法案」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらには権力者の不正をも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきているからです。

今回の石場幹事長の記述は、国際的ないくつもの機関が指摘していたように、政権の担当者が「政権を厳しく批判する言動」をも「テロ行為」とみなすようになることを端的に示しているでしょう。

ブログ記事「「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)で書いたことの一部を再掲することで、司馬遼太郎の研究者の視点からこの法案の危険性を再度、訴えたいと思います。

   *   *   *

「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(第3巻「分裂」)。

 そして司馬氏は、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」と書いています(下線引用者、第5巻「明治八年・東京」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

司馬氏はここで「旧幕以上の厳格さ」と書いていますが、「国民」には秘密裏に外国との交渉を進めた幕府の大老井伊直弼は、幕末の志士からの批判を押さえるために大弾圧を行い、それが激しい討幕運動を呼び起こしたのです。

そのような井伊直弼の政策と比較することで、司馬氏は明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が西南戦争を引き起こす原因の一つになったことを示唆していたと思えます。

急に提出されて、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法案」もこのような危険性をはらんでいます。

一昨日の当ブログでは研究者の方々に廃案を訴えましたが、戦争の悲惨さを知っている自民党の良識ある代議士や、平和を党是としてきた与党公明党の代議士にも、この法案が内在している危険性を認識して頂き、廃案にすることを強く訴えたいと思います。

衆議院憲法審査会の見解と安倍政権の「無法性」

今月4日に衆議院憲法審査会で行われた参考人質疑では、民主党推薦や維新の党推薦の2人の憲法学者だけでなく、自民党、公明党、次世代の党が推薦した学者も含めて3人の参考人全員によって、安倍政権による「新たな安全保障関連法案」は「憲法違反」との見解が示されました。

これによって国民からの批判も強かった「新たな安全保障関連法案」は、廃案になるものと考えていましたが、新聞各紙の報道によれば、安倍内閣の閣僚が相次いで、学者の参考意見は考慮するに値しないとの発言を行っているようです。

*   *

「国民の声」を無視して強引に沖縄・辺野古基地の拡大を進め、古代の人々が「天の声」として怖れた自然からの警告である地震や火山活動の活発化にも関心を払わずに、原発の再稼働を進める安倍政権の危険性をこれまで私はこのブログで指摘してきました。

私は法律に関しては素人ですが、「法体系上で他の規範(法)と比較して優越性が明確な表記を持つ」とされる「憲法」をないがしろにする閣僚の相次ぐ発言は、この政権の「無法性」を物語っているように思えます。

現在の「憲法」はアメリカのGHQによって制定された「押しつけ憲法」なので、「自主憲法」を制定しないといけないと安倍政権は主張しているようです。

もしそうならば、安倍政権がまず行わなければ成らないのは、「自国民の声」には耳を貸さずに強権的に振る舞う一方で、「アメリカの議会」にまず約束をしてから「国会」での議論を始めるような、卑屈で追従的な外交を行う政権自体の解散ではないでしょうか。

リンク→安倍首相の国家観――岩倉具視と明治憲法

菅野完著『日本会議の研究』を読む

[菅野 完]の日本会議の研究 (SPA!BOOKS新書)(← 書影はアマゾンより)

菅野完著『日本会議の研究』を読む

安倍首相とともに「日本会議国会議員懇談会」の特別顧問を務める麻生太郎副総理は、2013年7月に行われたシンポジウムで「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言していました。

一方、参院選に向けて「改憲」を明言していた安倍首相は、状況が思わしくないと見て取ると「改憲」を全面に出すことを止めたので、日本国民はまたもや「美しい言葉」で飾った安倍政権の術中にはまるかと心配していましたが、こうした中、「日本会議」と連動しつつ「改憲」に向けた準備を進めてきた安倍政権の問題点に鋭く迫る著作が陸続として発行されています。

そのような著作の先鞭をつけた菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)の意義はきわめて大きいと思われますので、今回はこの書の簡単な紹介を行ったツイッターの記事を中心に、それに関連した出来事の感想を記しておきます。

*   *   *

政治学が専門ではないので全体的な評価はできないが、菅野完氏の『日本会議の研究』は以前から気になっていた「日本会議」の実態に鋭く迫っていると思える。圧巻なのは、「日本会議」の本体は70年代初頭の右翼学生運動から発した団体であり、その中核を担うのが右翼学生運動の闘士たちであったことを明らかにした第4章「草の根」とそれに続く第5章「一群の人々」であろう。緻密な資料の収集と丁寧な取材からはノンフィクションといえる好著だと感じた。

これらの章の意義についてはすでに多くの紹介が成されているのでここでは省くが、筆者の着眼点のよさを感じたのは、2006年の自由民主党の総裁選で、「戦後レジームからの脱却」などを掲げて総裁に選出された安倍氏が翌年の参議院選で大敗北を喫した後の第168回国会で所信表明演説を行ってからわずか2日後の9月12日に退陣を表明するという「前代未聞の大失態」を演じて退陣し、政治生命が「完全に絶たれたように思われた」安倍晋三氏と保守論壇誌との関係にまず注意を促していることである。

すなわち、「体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が『安倍の突然の辞任は無責任だ』と答えている。」

幕末の長州藩のことを調査するためにたまたま萩市を訪れており、そこで昼食を取っていた際に、蕎麦屋で流されていたテレビのニュース速報でそのことを知った私もやはり「三代目のお坊ちゃんだ」と感じ、復権することはまずないだろうと思った。

しかし、著者が指摘しているように保守論壇誌には「極めて早い時間から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる」のである。

さらに著者は安倍氏がカムバックした際に、首相を支える内閣総理大臣補佐官となった衛藤晟一氏が「改憲」ではなく「反憲法」を唱えた「日本青年協議会」の組織候補であることも指摘していた。

そして、自民党若手の勉強会の呼びかけ人の木原稔・衆議院議員や参加者の活動にも言及して、この会が「日本会議」などの「代弁機関」という側面があることも指摘し、「日本会議国会議員懇談会」に所属する閣僚が8割を超えることに注目して、第三次安倍内閣が実質的には「日本会議のお仲間内閣」であることを明らかにしているのである。

そのことから思い起こしたのが、そのメンバーであり「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属するとともに、元衆院平和安全法制特別委員会のメンバーでもあった武藤貴也議員が、自分のオフィシャルブログに「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」という題の記事を載せていたことである。

そこで〈憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」こそが〉、〈日本精神を破壊する〉〈思想だと考えている〉と書いた武藤議員は、〈第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった〉と続けていた。

さらに、新聞やテレビのニュースなどをとおして、「森友学園」問題の本質とその根の深さが徐々に明らかになってきているが、『日本会議の研究』では「『生命の実相』を掲げて講演する稲田朋美・自民党政調会長(当時)」と園児たちに「愛国行進曲を唱和させる塚本幼稚園」との深い関係についてもふれられていた(221~232頁)。

稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)

他にも注目したいくつも言及したい点はあるが、司馬遼太郎氏の死後に勃発したいわゆる「司馬史観」論争の際の「新しい歴史教科書をつくる会」の主張やその翌年に立ち上げられた安倍晋三氏が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の運動方法に以前から関心を持っていた私が、強い関心を持って読んだのは「新しい歴史教科書をつくる会」と「日本会議」とのつながりにふれた箇所であった(32頁、145頁など)。

菅野氏は「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と百田尚樹氏について記している。そのことには同感だが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)で「売国」などという「憎悪表現」を用いて当時の民主党を激しく貶した著者は、この書で『永遠の0(ゼロ)』が映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していた。

この小説の構造をきちんと批判的に分析することは、「日本会議」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の歴史認識の問題を考察するうえでも有効だと思われる。

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ただ本書が「日本会議」の中核を70年代初頭の右翼学生運動の闘士たちが担っていることを明らかにすることに焦点を絞って書かれているために、カスタマーレビューのように「読んだ結果判ったのは、日本会議というのはそれほど大きな力を持たない任意の団体で」あるという感想も生んでいると思える。

しかし、青木理氏が『日本会議の正体』(平凡社新書)でインタビューなどをとおして明らかにしているように、「神社本庁」などに所蔵する巨大な宗教法人が「日本会議」を支援しており、現在も多くの初詣客で賑わう神社に「改憲」を求める署名簿などが置かれるなど政治的な活動が行われている。

さらに、「日本会議」の田久保忠衛・会長が〈「もんじゅ」の活用こと日本の道です〉」という危険な意見広告を載せた公益財団法人・国家基本問題研究所の副理事長を兼ねているように、「日本会議」は「もんじゅ」などの活用を図ろうとする原発ムラや武器を輸出し戦争をすることで利益を挙げようとする軍需産業などにも支えられている強力な団体と言わねばならないだろう。

日本会議の正体(図版はアマゾンより)

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時間が無いので最後に『日本会議の研究』の構成を紹介することで今回は終えるが、いずれにせよ、日本が「専制」か「民主主義」かの岐路に立たされていると思われる現在、本書が70年代初頭の右翼学生運動と「日本会議」との関わりを明らかにした意義はきわめて大きい。

第1章 日本会議とは何か/  第2章 歴史/ 第3章 憲法/  第4章 草の根/  第5章 「一群の人々」/ 第6章 淵源

(2017年1月14日、加筆、書影を追加。3月14日、書影とリンク先を追加。2025年4月26日、改訂)

菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読む

安倍首相とともに「日本会議国会議員懇談会」の特別顧問を務める麻生太郎副総理は、2013年7月に行われたシンポジウムで「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言していました。

一方、参院選に向けて「改憲」を明言していた安倍首相は、状況が思わしくないと見て取ると「改憲」を全面に出すことを止めたので、日本国民はまたもや「美しい言葉」で飾った安倍政権の術中にはまるかと心配していましたが、こうした中、「日本会議」と連動しつつ「改憲」に向けた準備を進めてきた安倍政権の問題点に鋭く迫る著作が陸続として発行されています。

そのような著作の先鞭をつけた菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)の意義はきわめて大きいと思われますので、今回はこの書の簡単な紹介を行ったツイッターの記事を中心に、それに関連した出来事の感想を記しておきます。

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政治学が専門ではないので全体的な評価はできないが、菅野完氏の『日本会議の研究』は以前から気になっていた「日本会議」の実態に鋭く迫っていると思える。圧巻なのは、「日本会議」の本体は70年代初頭の右翼学生運動から発した団体であり、その中核を担うのが右翼学生運動の闘士たちであったことを明らかにした第4章「草の根」とそれに続く第5章「一群の人々」であろう。緻密な資料の収集と丁寧な取材からはノンフィクションといえる好著だと感じた。

これらの章の意義についてはすでに多くの紹介が成されているのでここでは省くが、筆者の着眼点のよさを感じたのは、2006年の自由民主党の総裁選で、「戦後レジームからの脱却」などを掲げて総裁に選出された安倍氏が翌年の参議院選で大敗北を喫した後の第168回国会で所信表明演説を行ってからわずか2日後の9月12日に退陣を表明するという「前代未聞の大失態」を演じて退陣し、政治生命が「完全に絶たれたように思われた」安倍晋三氏と保守論壇誌との関係にまず注意を促していることである。

すなわち、「体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が『安倍の突然の辞任は無責任だ』と答えている。」

幕末の長州藩のことを調査するためにたまたま萩市を訪れており、そこで昼食を取っていた際に、蕎麦屋で流されていたテレビのニュース速報でそのことを知った私もやはり「三代目のお坊ちゃんだ」と感じ、復権することはまずないだろうと思った。

しかし、著者が指摘しているように保守論壇誌には「極めて早い時間から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる」のである。

さらに著者は安倍氏がカムバックした際に、首相を支える内閣総理大臣補佐官となった衛藤晟一氏が「改憲」ではなく「反憲法」を唱えた「日本青年協議会」の組織候補であることも指摘していた。

そして、自民党若手の勉強会の呼びかけ人の木原稔・衆議院議員や参加者の活動にも言及して、この会が「日本会議」などの「代弁機関」という側面があることも指摘し、「日本会議国会議員懇談会」に所属する閣僚が8割を超えることに注目して、第三次安倍内閣が実質的には「日本会議のお仲間内閣」であることを明らかにしているのである。

そのことから思い起こしたのが、そのメンバーであり「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属するとともに、元衆院平和安全法制特別委員会のメンバーでもあった武藤貴也議員が、自分のオフィシャルブログに「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」という題の記事を載せていたことである。

そこで〈憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」こそが〉、〈日本精神を破壊する〉〈思想だと考えている〉と書いた武藤議員は、〈第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった〉と続けていた。

他にも注目したいくつも言及したい点はあるが、司馬遼太郎氏の死後に勃発したいわゆる「司馬史観」論争の際の「新しい歴史教科書をつくる会」の主張やその翌年に立ち上げられた安倍晋三氏が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の運動方法に以前から関心を持っていた私が、強い関心を持って読んだのは「新しい歴史教科書をつくる会」と「日本会議」とのつながりにふれた箇所であった(32頁、145頁など)。

菅野氏は「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と百田尚樹氏について記している。そのことには同感だが、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)で「売国」などという「憎悪表現」を用いて当時の民主党を激しく貶した著者は、この書で『永遠の0(ゼロ)』が映画も近く封切られるので「それまでには四百万部近くいくのではないかと言われています」と豪語していた。

この小説の構造をきちんと批判的に分析することは、「日本会議」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の歴史認識の問題を考察するうえでも有効だと思われる。

たとえば、『永遠の0(ゼロ)』の第9章には、「私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている」と決めつける武田という人物も描かれているが、このような見方は「文化芸術懇話会」で「本当に沖縄の2つの新聞社は絶対につぶさなあかん」と語った作家の百田尚樹氏の見解ともほぼ一致するだろう。

時間が無いので最後に本書の構成を紹介することで今回は終えるが、日本が「専制」か「民主主義」かの岐路に立たされていると思われる現在、本書が類書に先駆けて「日本会議」の問題を提起した意義はきわめて大きい。

第1章 日本会議とは何か/  第2章 歴史/ 第3章 憲法/  第4章 草の根/  第5章 「一群の人々」/ 第6章 淵源

 

菅官房長官の詭弁と「道義心」の低下

昨日のブログでは、「衆議院憲法審査会で行われた参考人質疑では、民主党推薦や維新の党推薦の2人の憲法学者だけでなく、自民党、公明党、次世代の党が推薦した学者も含めて3人の参考人全員」が、安倍政権による「新たな安全保障関連法案」を「憲法違反」との見解を示したことを受けて、少しきつい表現ですが、〈衆議院憲法審査会の見解と安倍政権の「無法性」〉と題した記事を書きました。

しかし、その後の国会討論ではさらに驚くべき発言が政府高官によりなされたようです。

すなわち、今日の「東京新聞」朝刊によれば、4日の記者会見の際には合憲派の憲法学者は「たくさんいる」と発言していた菅義偉(すがよしひで)官房長官が、10日に行われた衆院特別委員会では、前言を翻して「私自身が知っているのは十人程度」とし、具体的には3人の名前しか示さなかったのです。

一方、自ら実名を出してこの法案が「憲法違反」との考えを示した憲法学者の数は、昨日現在で200名を超えています。「たくさんいる」と明言したにもかかわらず3人の実名しか出せず、意見とする研究者の主張は「一方の見解だ」と切り捨てることは、子供が考えても通じるはずのない「詭弁」であり、「お仲間」の間でのみ通じるにすぎません。

一国の政治を司る政治家たちによるこのような発言が続けば、国際社会において「日本人」の発言は説得力を失う危険性さえ孕んでいると思えます。

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「東京新聞」のデジタル版は、自民党衆院議員の村上誠一郎元行政改革担当相が10日、共同通信の取材に応じて、「法案は違憲」との憲法学者の指摘を受け入れない政府と自民党を「あまりにも傲慢。自分たちが法律だとでもいうような姿勢は民主主義ではなく、立憲主義も危うくなる」と批判したことを伝えています。

「国民」の「道義心」や「教育」にかかわる政府高官の「詭弁」的な発言はきびしく問われねばなわないでしょう。

菅原文太氏の遺志を未来へ

元俳優の菅原文太氏が亡くなられたことが報じられました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、震災後に「日刊ゲンダイ」のインタビューで語った記事(デジタル版)と、震災後の活動が比較的詳しく書かれている「日刊スポーツ」デジタル版の記事をご紹介することで菅原氏の強い遺志の一端をお伝えすることにします。

*   *

「ポスト震災を生き抜く」

あれだけの大震災と原発事故を経て、日本人の意識が違う流れに変わるかな、と期待したけど、変わらないな。何も変わらないと言っていいほど。戦後の日本はすべてがモノとカネに結びついてきた。そこが変わらないとな。

俺は09年から有機栽培に取り組んできた。在来種を扱うタネ屋は数えるほどで、売られている野菜は「F1」といって一代限りで、タネを残せない一代交配種で作られている。農薬もハッキリ言って毒だよ。米軍がベトナム戦争で散布した枯れ葉剤のお仲間さ。極論すれば農薬と化学肥料とF1種で成り立っているのが、今の日本の農業じゃないのか。

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

農業も原発もアメリカの実験場だ

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

農薬いっぱいの土壌からできたコメや野菜でいいのか。化学肥料と農薬を使わない本当の土壌にタネをまけば、よく根を張って力強くおいしい作物ができる。「農」が「商」だけになってはダメだ。「工」にもあらずだ。このトシになって、今さら夢はないけどな、農業を安全な本来の姿に戻したい。それが最後の望みだね。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

国はカネがない、増税しかないと言うけど、ぜひ聞いてみたい。日本人が汗水流して稼いだカネはどこへ消えたんですか、と。何兆円と稼いだカネが雲散霧消したのなら、この国にはどんなハイエナやハゲタカが群がっているんだ。(後略)

【日刊ゲンダイ新春特別インタビュー、2012年1月1日号より抜粋】

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「菅原文太さん、安倍政権に反対の政治活動」(「日刊スポーツ」デジタル版、2014年12月2日)

菅原さんは2012年に俳優を引退後、政治活動に熱心に取り組んだ。政治支援グループを立ち上げ、安倍政権が進める特定秘密保護法や原発再稼働などの方針に反対。米軍普天間飛行場移設問題が争点になった沖縄県知事選では、移設反対派候補の集会に参加。代表作「仁義なき戦い」のセリフを引用し、「絶対に戦争をしてはならない」と訴えた。

菅原さんは先月1日、沖縄県知事選で、普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志氏の決起集会に出席した。那覇市のスタジアムで1万人を前に「政治の役割にはふたつある。1つは、国民を飢えさせてはならない。もう1つ。絶対に戦争をしないこと」と訴えた。

「私は少年時代、なぜ竹やりを持たされたのか。今振り返っても笑止千万だ」

政治を考えるとき、自らの戦争体験があった。辺野古移設を容認し3選を目指した仲井真弘多氏を「戦争を前提に沖縄を考えている」と批判。代表作「仁義なき戦い」のラストシーンで口にした、「弾はまだ残っとるがよ」というセリフを引用し「仲井真さんに(その言葉を)ぶつけたい。沖縄は国のものではない」と主張した。翁長氏当選の流れを生んだ場になった。(後略)

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日本ペンクラブ・前会長の井上ひさし氏も「憲法」や言論の自由の自由、さらに農業の重要性をも強調されていました。

菅原氏の言葉と活動は、原発事故の現在の実態だけでなく、国民の生命の問題にも深く関わるTPP交渉をも幕末の幕府と同じように国民にはその内容を示さないままに一方的に進め、さらに「特定秘密保護法」で問題点を隠そうとしている安倍政権の危険性を明らかにしていると思われます。

菅原氏は「日刊ゲンダイ」のインタビューを「なにより2012年こそ被災地に生きる人々にとって良い一年になって欲しい。本当に祈っているよ」という言葉で結んでいました。氏の強い遺志を受け継ぎ、2015年を良い年にするためにも今回の総選挙では独裁的な傾向を強める安倍政権に対して NO という意思を示しましょう。

 

追記:「東京新聞」の朝刊にも詳しい記事が載っていましたが、サイト「デモクラ資料室」の12月2日のブログには「菅原文太さんが遺したメッセージ」が掲載されています。