高橋誠一郎 公式ホームページ

小林秀雄

「学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴》」を「主な研究」に掲載

 

強い関心を持っていた加古陽治著の『真実の「わだつみ」――学徒兵 木村久夫の二通の遺書』(東京新聞)が刊行されましたので、「戦犯」として処刑された学徒兵・木村久夫と、映画《白痴》の亀田欽司の人物像をとおして「植民地」と「戦争」との関連を新たな資料に基づいて考察しました。

拙著『黒澤明と小林秀雄』でも小林の歴史観に関連して触れましたが、『真実の「わだつみ」』を読みながら改めて強く感じたのは、「内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたプロシア的な国家観から脱却しようとしたドイツと異なり、日本では未だに戦前の問題が残されているということです。

ヒトラーはフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調し、ドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進みました。私が危惧するのは、「日露戦争」での勝利を強調する政治家たちが日本を同じような道を歩ませようとしていることです。

復員兵の視点から戦後の日本を描いた黒澤映画《白痴》が提起している問題をきちんと考えなければならない時代にさしかかっていると思えます。

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脱稿後に黒澤映画《醜聞(スキャンダル)》(1950)で主演した女優の山口淑子氏が亡くなくなられました。

黒澤明監督がなぜ彼女を選んでいたのかが気になっていたのですが、中国名・李香蘭で多くの映画に出演していたために祖国を裏切ったという罪で銃殺になるはずだった山口氏が、日本人であることが証明されて無罪となり、戦後は「贖罪」として平和活動をされていたことを報道特集で知りました。

論文では追記として記しましたが、「贖罪」という言葉は重く、映画《白痴》の亀田(ムィシキン)像を考える上でも重要だと思いますので、いつか機会を見て改めて考察したいと考えています。

リンク→学徒兵・木村久夫の悲劇と映画《白痴

リンク→「映画《醜聞(スキャンダル)》から映画《白痴》へ」を「映画・演劇評」に掲載

小林秀雄と「一億玉砕」の思想

前回のブログ記事で書いたように。本来は国民の「生命を守り」、豊かな生活を保障するためにある「国家」が、自分たちの責任を放棄して「国民」に「一億玉砕」を命じるのはきわめて異常であると思います。

かつて、そのことを考えていた私は「戦争について」というエッセーで「銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであらう。僕にはこれ以上の覚悟が考へられないし、又必要だとも思はない」と書いていた文芸評論家の小林秀雄が、戦前の発言について問い質されると「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」と語っていた文章に出会ってたいへん驚きました。

『永遠の0(ゼロ)』という小説を私が詳しく分析しようと思ったきっかけの一つは小林秀雄の歴史認識の問題でしたので、ここでは林房雄との対談の一節を引用しておきます。

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1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていました。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていました。

この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していたのです。(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

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「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」という林房雄の無責任な発言には唖然とさせられましたが、戦後は軍人の一部がA級戦犯として処刑される一方で、戦争を煽っていたこれらの文学者の責任はあまり問われることはなく、小林秀雄の文章は深く学ぶべきものとして、大学の入試問題でもたびたび取り上げられていたのです。

しかも、評論家の河上徹太郎と1979年に行った「歴史について」と題された対談で、「歴史の魂はエモーショナルにしか掴めない」と説明した小林は、「歴史の『おそろしさ』を知り抜いた上での発言と解していいのだな」と河上から確認されると、「それは合理的な道ではない。端的に、美的な道だと言っていいのだ」と断言していました。

『罪と罰』を論じて「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と解釈していた小林秀雄が、果たして「歴史の『おそろしさ』を知り抜いた」と言えるでしょうか。「同じ過ちを犯さないため」に「歴史を学ぶ」ことを軽視して、小林秀雄のように「情念」を強調する一方で歴史的な「事実」を軽視すると、日本人は同じ過ちを繰り返して「皆んな一緒に滅びて」しまう危険性があるのではないでしょうか。

リンク→『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社、2014)

小林秀雄の著書の題名には「考えるヒント」という読者を魅了するようなすぐれた題名の本もありますが、しかし、彼の方法は「考える」ことを断念して「白蟻」のような勇敢さを持つように大正の若者たちに説いた徳富蘇峰の方法に近いのです。

地殻変動によって国土が形成され、地震や火山の活動が再び活発になっている今、19世紀の「自然支配」の思想を未だに信じている経済産業省や産業界は、大自然の力への敬虔な畏れの気持ちを持たないように見える安倍首相を担いで原発の推進に邁進しています。

原発や戦争の危険性には目をつぶって「景気回復、この道しかない。」と国民に呼びかける安倍政権のポスターからは、「欲しがりません勝つまでは」と呼びかけながら、戦況が絶望的になると自分たちの責任には触れずに「一億玉砕」と呼びかけた戦前の政治家と同じような体質と危険性が漂ってくるように思えます。

リンク→「一億総活躍」という標語と「一億一心総動員」 

(2016年2月17日。リンク先を追加)

「アベノミクス」とルージンの経済理論

ルージンとは誰のことか分からない方が多いと思いますが、ルージンとはドストエフスキーの長編小説『罪と罰』に出て来る利己的な中年の弁護士のことです。

日本の「ブラック企業」について論じた以前の記事で、ロシアの近代化が「農奴制」を生んだことを説明した頃にも、「アベノミクス」という経済政策がルージンの説く経済理論と、うり二つではないかという印象を持っていたのですが、経済学者ではないので詳しい考察は避けていました。

リンク→「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在

しかし、デモクラTVの「山田厚史のホントの経済」という番組で「新語・流行語大賞」の候補にもノミネートされた「トリクルダウン」という用語の説明を聞いて、私の印象がそう的外れではないという思いを強くしました。

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「ウィキペディア」によれば、「トリクルダウン(trickle-down)」理論とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」という経済理論で、「新自由主義の代表的な主張の一つであり」、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが「この学説を忠実に実行した」レーガノミクスを行ったとのことです。

興味深いのは、『罪と罰』の重要人物の一人である中年の弁護士ルージンが主人公・ラスコーリニコフに上着の例を出しながら、これまでの倫理を「今日まで私は、『汝の隣人を愛せよ』と言われて、そのとおり愛してきました。だが、その結果はどうだったでしょう? …中略…その結果は、自分の上着を半分に引きさいて隣人と分けあい、ふたりがふたりとも半分裸になってしまった」と批判していたことです。

そしてルージンは「経済学の真理」という観点から、このような倫理に代わるものとして、「安定した個人的事業が、つまり、いわば完全な上着ですな、それが社会に多くなれば多くなるほど、その社会は強固な基礎をもつことになり、社会の全体の事業もうまくいくとね。つまり、もっぱらおのれひとりのために利益を得ながら、私はほかでもないそのことによって、万人のためにも利益を得、隣人にだって破れた上着より多少はましなものをやれるようになるわけですよ」と自分の経済理論を説明していたのです(二・五)。

ルージンは「新自由主義」の用語を用いれば「富める者」である自分の富を増やすことで、貧乏人にもその富の一部が「したたる」ようになると、「アベノミクス」に先んじて語っていたとも思えるのです。

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「トリクルダウン理論」については、「実証性の観点からは、富裕層をさらに富ませれば貧困層の経済状況が改善することを裏付ける有力な研究は存在しないとされている」ことだけでなく、レーガノミクスでは「経済規模時は拡大したが、貿易赤字と財政赤字の増大という『双子の赤字』を抱えることになった」ことも指摘されています。

その理由をシャンパングラス・ツリーの図を用いながら、分かり易く説明していたのが山田厚史氏でした。私が理解できた範囲に限られますが、氏の説明によれば結婚式などで用いられるシャンパングラス・ツリーでは、一番上のグラスに注がれてあふれ出たシャンパンは、次々と下の段のグラスに「滴り落ち」ます。

しかし、経済においてはアメリカに巨万の富を有する者や企業が多く存在するように、頂点に置かれてシャンパンを注がれるグラス(大企業)自体は、大量のシャンパン(金)を注がれてますます巨大化するものの、それらを内部留保金として溜め込んでしまうのです。それゆえ、下に置かれたシャンパングラス(中小企業)は、ほとんどシャンパン(金)が「滴り落ち」てこないので、ますます貧困していくことになるのです。

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「トリクルダウン理論」の危険性に気付けば、日本よりも150年も前に行われたピョートル大帝の「文明開化」によって、「富国強兵」には成功していたロシア帝国でなぜ農民の「農奴化」が進んだかも明らかになるでしょう(商業と農業との違いはありますが…)。 再び『罪と罰』に話を戻すと、ドストエフスキーがペテルブルクに法律事務所を開こうとしているかなりの財産を持つ45歳の悪徳弁護士ルージンにこのような経済理論を語らせた後で、ラスコーリニコフにそのような考えを「最後まで押しつめていくと、人を切り殺してもいいということになりますよ」(二・五)と厳しく批判させていたのは、きわめて先見の明がある記述だったと思えます。

しかし、文芸評論家の小林秀雄は意外なことに重要な登場人物であるルージンについては、『罪と罰』論でほとんど言及していないのです。そのことはマルクスにも言及したことで骨のある評論家とも見なされてきた小林秀雄が『白痴』論で「自己中心的な」貴族のトーツキーに言及することを避けていたことにも通じるでしょう。 しかしそれはすでに別のテーマですので、ここでは「アベノミクス」という経済政策の危険性をもう一度示唆して終わることにします。

リンク→「主な研究活動」に「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」を掲載

映画《七人の侍》と映画《もののけ姫》

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(東宝製作・配給、1954年、図版は「ウィキペディア」より)、(《もののけ姫》、図版は「Facebook」より)。

 

2014年10月24日のブログ記事で、『七人の侍』誕生60周年を記念し、黒澤明監督の作品全30本を上映する「黒澤明映画祭」が、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで8週間にわたって開催されるとの情報を掲載しました。リンク→「シネ・ヌーヴォ」で「黒澤明映画祭」が開催

その後、11月に宮崎駿監督がアメリカ・アカデミー賞の第87回名誉賞を受賞したとの朗報が入ってきました。これは1989年に黒澤明監督が第62回の名誉賞を日本人として初めて受賞したのに続く快挙です。

実は、黒澤明研究会でも『七人の侍』誕生60周年を記念した特集を組むとのことでしたので、「《七人の侍》と《もののけ姫》」と題した論文を投稿するつもりで半分ほど書き上げていました。

しかし、今年は映画《ゴジラ》の60周年でもあるため、原爆や原発の問題を扱った映画《夢》との深い関連を明らかにするために、急遽「映画《ゴジラ》から映画《夢》へ」という論文の執筆に切り替えました。

そのため「《七人の侍》と《もののけ姫》」について詳しい考察はいずれ機会を見て発表することにし、ここではかつて映画《もののけ姫》について書いた短い記事と、前著 『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、2011年)の一部を抜粋して紹介することで、宮崎駿監督が黒澤明監督から受け継いだこととその意味を簡単に考えて見ることにします。

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映画《もののけ姫》の現代的な意義については、地球環境の問題との関連で次のような短い記事を1997年に書きました。

「(前略)文明理論の授業で未来に対するイメージを質問したところ、多くの学生から悲観的な答えが帰って来て驚いたことがある。しかし、一二月に温暖化を防ぐ国際会議が京都で持たれるが、消費文明の結果として、一世紀後には海面の水位が九五センチも上がる危険性が指摘され、洪水の多発など様々な被害が発生し始めている。(中略) こうして、現代の若者たちを取り巻く環境は、きわめて厳しい。大和政権に追われたエミシ族のアシタカや人間に棄てられ山犬に育てられた少女サンの怒りや悲しみを、彼らは実感できるのだ。

『もののけ姫』には答えはない。だが、難問を真正面から提示し、圧倒的な自然の美しさや他者との出会いを描くことで、観客に「生きろ」と伝え得ている。」

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映画《七人の侍》が高く評価される一方で、映画《白痴》は日本ではあまり高い評価を受けていません。そのことについて長い間考えていた私は、日本においては強い影響力を持っている文芸評論家・小林秀雄が、「『白痴』についてⅡ」の第九章で、「お終ひに、不注意な読者の為に注意して置くのもいゝだろう。ムイシュキンがラゴオジンの家に行くのは共犯者としてである」と断定していたことが大きいだろうと考えるようになりました。

しかも、「大地主義」を「穏健だが何等独創的なものもない思想であり、確固たる理論も持たぬ哲学であつた」とした小林は、「彼らの教義の明瞭な表象といふより寧ろ新雑誌の商標だつた」と続けていたのです。

しかし、拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、2002年)に記したように、クリミア戦争の敗戦後にシベリアから首都に帰還して雑誌『時代』を創刊したドストエフスキーが、「貴族と民衆との和解」の必要性を強調して、「農奴の解放」や「言論の自由」、「農民への教育」などを訴えたのが「大地主義」だったのです。

「大地主義」との関連に注意を払うならば、長編小説『白痴』は貴族の横暴さや傲慢さを認識した名門貴族の主人公ムィシキンが遺産を得たことで、自分の非力さを知りつつも「貴族と民衆との和解」をなんとか行おうとし、激しい情熱を持ちつつもそのエネルギーを使う方向性を見いだせなかったロシアの商人ロゴージンに新しい可能性を示そうとしつつも、複雑な人間関係やレーベジェフの企みなどによって果たせず、ついに再び正気を失ってしまうという悲劇を描いているといえるでしょう。

このことに注目する時、黒澤映画《白痴》が舞台を敗戦直後の日本を舞台に主人公も復員兵とし、さらには長編小説の流れとは異なるシーンを描きつつも、クリミア戦争敗戦後の混乱した時代を舞台したドストエフスキーの長編小説『白痴』の本質を見事に映像化していたと思われます。

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「大地主義」に対する深い理解は1954年に公開された映画《七人の侍》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)にも現れており、三船敏郎が演じた強いエネルギーを持つ農民出身の若者・菊千代はロゴージン的な役割を担っているといえるでしょう。

なぜならば、依頼者の百姓たちが落ち武者狩りをしていたことを知った浪人の勘兵衛たちは怒って去ろうとしたときに菊千代は、百姓たちに落ち武者狩りをさせたのは戦いや略奪を繰り返してきた侍だと叫んで、百姓たちの気持ちを代弁していたからです。

映画《七人の侍》は戦いに勝ったあとで、百姓たちが行っていた田植えの場面を大写しにしながら、勘兵衛に「いや……勝ったのは……あの百姓たちだ……俺たちではない」と語らせ、さらに「侍はな……この風のように、この大地の上を吹き捲って通り過ぎるだけだ……土は……何時までも残る……あの百姓たちも土と一緒に何時までも生きる!」と続けさせているのです。

宮崎駿監督は黒澤明監督との対談の後で、《七人の侍》が「日本の映画界に一つの基準線を作った」ことを認めて、「その時の経済情勢や政治情勢や人々の気持ちや、そういうもののなかで、まさにあの時代が生んだ作品でもある」と続けた後で、「今、自分たちが時代劇を作るとしたら、それを超えなきゃいけないんです」と結んでいました(黒澤明・宮崎駿『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』徳間書店、1993年)。

この言葉はきついようにも見えますが、両者が同じように映画の創作に関わっていることを考えるならば、黒澤映画を踏まえつつ新しい作品を造り出すことこそが、黒澤明監督への深い敬意を現すことになるといえるでしょう。実際、宮崎監督は1997年にアニメ映画《もののけ姫》を公開することになるのです。

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残念ながら、現代の日本はまだ宮崎監督が映画《もののけ姫》で描いたような厳しい状況から抜け出ていません。しかし、現状を直視することによってのみ解決策は生まれると思います。

宮崎監督の最後の長編アニメ映画《風ちぬ》について記したブログには、今も多くの閲覧者の方が訪れられていますが、宮崎駿監督がアメリカ・アカデミー賞の名誉賞を受賞されたこの機会に、《もののけ姫》の源流の一つとなっている《七人の侍》だけでなく、多くの黒澤映画を鑑賞して頂きたいと願っています。

追記:映画《七人の侍》(1954年)にはドストエフスキーの作品からだけではなく、『戦争と平和』からの影響も見られ、一方、黒澤監督を敬愛したタルコフスキー監督の映画(映画《アンドレイ・ルブリョフ》には、《七人の侍》からの影響が見られます。

(2016年1月10日。誤記を訂正し、追記とポスターの図版を追加)

ドストエーフスキイの会「第224回例会」のご案内

ドストエーフスキイの会「第224回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.125)より転載します。

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第224回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                    

 日 時20141129日(土)午後2時~5

 場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:木下豊房 氏

題目:小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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報告者紹介:木下豊房(きのした とよふさ

1969年、ドストエーフスキイの会の発足にあたり「発足の言葉」を起草。新谷敬三郎、米川哲夫氏らと会を起ちあげる。その後現在まで会の運営に関わる。2002年まで千葉大学教養部・文学部で30年間、ロシア語・ロシア文学を教える。2012年3月まで日本大学芸術学部で非常勤講師。ドストエフスキーの人間学、創作方法、日本におけるドストエフスキー受容の歴史を研究テーマとし、著書に『近代日本文学とドストエフスキー』、『ドストエフスキー・その対話的世界』(成文社)その他。ネット「管理人T.Kinoshita」のサイトで「ネット論集」(日本語論文・ロシア語論文)を公開中。

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小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

木下豊房

去年、高橋誠一郎氏「テキストからの逃走―小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」(214回例会)、今年、福井勝也氏「小林秀雄のドストエフスキー、ムイシキンから「物のあはれ」へ」(221回例会)と、小林秀雄をめぐる、論争性を内に秘めた報告がなされ、去る7月には高橋氏の『黒澤明と小林秀雄―「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が上梓された。

私はこの両者の説にふれることで、自分が抱えている問題意識に火がつくのを感じた。とりわけ、高橋氏の小林批判は鮮烈で、私はそのレトリックとカリスマ性ゆえに敬遠してきた小林のドストエフスキー論の実体を解明したくなった。

「ムイシキンはスイスから還つたのではない。シベリヤから還つたのである」という表現に集約される小林の解釈に、高橋氏は多方面からの批判を加えていて、傾聴すべき点が多い。と同時に、昨年ですでに没後30年になる文学者を歴史的存在(歴史的制約を受けた存在)としてではなく、現在の時局論に引きつけ過ぎて論じているきらいがあり、また深読みと思われるところもあって、そのあたりには疑問を感じた。そこで私は、小林秀雄を歴史的存在として見て、彼の論の形成に影響した状況を踏まえて検証を試みようと思った。

俗に、小林の「ドストエフスキイの生活」はE.H.カーの剽窃であるとの噂はいまだに燻っているようであるが、その実情はどうなのか? ほとんど同年を生きた唐木順三、そしてやや後輩の森有正のドストエフスキー論、そして彼らをはじめ同時代の文学者に広く読まれたアンドレ・ジードの論、そして小林や唐木や森の論が日本で形成される時期には、おそらく未知の存在であったミハイル・バフチンの論、これらを対比して見た時に、共通する論点が多くあることに気づかされた。

それはドストエフスキーのリアリズムの性格と人間についての見方である。バルザックに代表され、ロシアではトゥルゲーネフやトルストイに見られる客観的写実主義ともいうべきリアリズムとは一線を画すドストエフスキーの内観的リアリズムともいうべきものである。そして、人間の心理の客観的分析を旨とするフロイド的精神分析に対する異口同音の批判であつた。

19世紀ロシア文学史上、ドストエフスキーにおいて人間の見方に新しい転換が起きた。徹底的に客体化されて描かれたゴーゴリの人物が、『貧しき人々』において、主観性を持った主体的人物として蘇った。いわば死者の復活である。

デカルト的理性を基盤とする19世紀の客観主義的リアリズムによって描かれる人物像はドストエフスキーの内観的リアリズムから見れば、十分に生を享受しているとは言えないだろう。ドストエフスキーの芸術思想によれば、「人間にはA=Aの同一性の等式を適用できない」 人間の本当の生は「人間の自分自身とのこの不一致の地点で営まれる」(バフチン)ドストエフスキーにとって、「人間は先ず何をおいても精神的な存在であり、精神は先ず何を置いても、現に在るものを受け納れまいとする或る邪悪な傾向性だ」(小林)

このように客体化を拒む精神、自意識というものは、他者を客体としてではなく、もう一つの主体として認知する「われ-汝」の二人称的関係を希求する(バフチン、唐木順三)

しかしこの関係はきわめて不安定で、時空間の因果の網に拘束されない現時制の瞬間においてしか成立しない。それは過去化され、時空間で相対化された時、客体化を免れえない運命にある。この問題は作者の主人公に対する態度とともに、作中の人物間の関係にかかわる作品の主題としても現象するのが特徴である。

これをムイシキン像についていうならば、小説の前半では、登場人物達を読者に開示する二人称的、語り手的な機能を担わされ、読者はムイシキンとの出会いを通じて、人物関係図を知らされる。後半に至って、ナスターシャへのプロポーズの事件以降、彼は他の人物達との距離を失い、事件の渦中に巻き込まれて、客体化され、いわばトラブルメーカーに頽落していく。最終段階の創作ノートには「キリスト教的な愛―公爵」という記述があるのをおそらく知りながら、観念の意匠に敏感な小林は、人々に不安を与える無能なムイシキン、しかし作者が愛さないではおれない存在としてのムイシキンの現実を強調した。 ここに小林は作者の憐憫の眼差しを見ている。

最後にこの「憐憫」=「あわれ」の眼差が、小林の隣接する著作「本居宣長」の「あはれ」の概念とどう関係していくのか、福井氏の問題提起を受けて考えてみたい。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

「あとがきに代えて──小林秀雄と私」を「主な研究」に掲載

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の「あとがきに代えて」では、小林秀雄のバルザック観にも言及しながら、小林秀雄のドストエフスキー論と私の研究史との関わりを簡単に振り返りました。       

 「あとがきに代えて」を謝辞の部分を省略した形で、「主な研究」に掲載しました。                  

   リンク先→ あとがきに代えて──小林秀雄と私

 

 

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の写真を掲載

 

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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の表紙と帯が完成しましたので、拙著の写真をトップページの「お知らせ」と「主な研究(活動)」、および「著書・共著」のページにも掲載しました。                  

これに伴い以前に掲載していた目次も訂正し、「著書・共著」のページを更新しました。リンク先→近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

「あとがきに代えて」でも記しましたが、「テキスト」という「事実」を自分の主観によって解釈し、大衆受けのする「物語」を「創作」するという小林の方法は、厳しい現実を直視しないで威勢のよい発言をしていた鼎談「英雄を語る」などにおける歴史認識にも通じていると思えます。このような方法の問題がきちんと認識されなければ、国民の生命を軽視した戦争や原発事故の悲劇が再び繰り返されることになるでしょう。

注 1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたのである。この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していた。(「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

                                                                        

 
黒澤監督のドストエフスキー観をとおして、小林秀雄のドストエフスキー観や「原子力エネルギー」観の問題点を明らかにしようとした拙著が、現政権の危険な原発政策を変えるために、いささかでも貢献できれば幸いです。加筆・2014年6月29日)
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「主な研究」に掲載した〈黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎〉を更新して再掲

 

 拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』がようやく校了となりました。

 本書もだいぶ時間をかけて書いていたのですが、  全体を書き終えた後で読むと論理的なつながりが弱い箇所があることに気づきました。    

 ことに、小林秀雄がムィシキンの批判者として重要視していたラドームスキーについてはあまり知られていないようなので、プーシキンの主人公と同じ名前のエヴゲーニーという名前を持つラドームスキーの役割を詳しく分析しました。このことにより、 映画《白痴》から映画《赤ひげ》への流れと、黒澤明のドストエフスキー理解の深まりがいっそう明確になったのではないかと考えています。

 それゆえ、「はじめに――黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎」においても黒澤明と小林秀雄の「対談」に至るまでとその後の流れを厳格に時間軸に沿って記すとともに、 「原子力エネルギー」だけでなく「大地主義」についても記すことで、 両者の見解の違いを明瞭にしました。

リンク先 →黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎

 

「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

文芸評論家の小林秀雄は、功利主義を主張するルージンとの対決などを省いた形で考察した1934年の「『罪と罰』についてⅠ」で、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注――ラスコーリニコフ)には現れぬ」とし、エピローグは「半分は読者の為に書かれた」と解釈していました〔六・四五、五三〕。

そして、1936年に発表した「『罪と罰』を見る」と題した映画評で小林は、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》などを厳しく批判していたのです。

私は、スタンバーグ監督の映画を高く評価していた黒澤明が同じ年に、P・C・L映画撮影所(東宝の前身)に助監督として入社したことに注意を払うことで、黒澤映画《夢》が長編小説『罪と罰』と同じような「夢」の構造をしているのは偶然ではなく、スタンバーグ監督の映画《罪と罰》の理解などをふまえて、エピローグや「良心」などについての小林秀雄の解釈を映像という手段で批判的に考察していた可能性が強いことを示唆しました(リンク先→「小林秀雄の映画《罪と罰》評と黒澤明」)。

 

昨日は憲法の意味を国民に説くべき「憲法記念日」でしたが、幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。

「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツがどのような事態を招いたかをきちんと認識するためにも1935年に公開されたスタンバーグ監督の映画《罪と罰》は重要でしょう。

この映画についてはあまり知られていないようなので、小林秀雄の映画評を簡単に紹介した後で、この映画の内容と現代的な意義を「映画・演劇評」で考察しました(リンク先→「スタンバーグ監督の映画《罪と罰》と黒澤映画《夢》」

 

 

拙著『黒澤明と小林秀雄』、予約注文の受付開始のお知らせ

 

予約注文の受付開始のお知らせ

ようやく、拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)を脱稿しました。

 四六判上製、304頁、2500円(本体価格)で、7月に出版される予定です。
 
 この度は成文社のご厚意で、 6月末日までに予約注文をされた方には、2割引きで販売して頂くことになりました。

ご購入をご希望の方は、所属の学会・研究会名を、 所属されていない場合は本HPでご覧になったことをご記入の上、 直接、成文社のメールアドレス(info@seibunsha.net)へお申し込みください。
 
 なお、最新の目次は「著書・共著」のリンク先「近刊『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社) 」に掲載しました。