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ドストエーフスキイの会「第224回例会」のご案内

ドストエーフスキイの会「第224回例会」のご案内

ドストエーフスキイの会「第224回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.125)より転載します。

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第224回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

                                    

 日 時20141129日(土)午後2時~5

 場 所千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅下車7分)

       ℡:03-3402-7854

 報告者:木下豊房 氏

題目:小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

*会員無料・一般参加者=会場費500円

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報告者紹介:木下豊房(きのした とよふさ

1969年、ドストエーフスキイの会の発足にあたり「発足の言葉」を起草。新谷敬三郎、米川哲夫氏らと会を起ちあげる。その後現在まで会の運営に関わる。2002年まで千葉大学教養部・文学部で30年間、ロシア語・ロシア文学を教える。2012年3月まで日本大学芸術学部で非常勤講師。ドストエフスキーの人間学、創作方法、日本におけるドストエフスキー受容の歴史を研究テーマとし、著書に『近代日本文学とドストエフスキー』、『ドストエフスキー・その対話的世界』(成文社)その他。ネット「管理人T.Kinoshita」のサイトで「ネット論集」(日本語論文・ロシア語論文)を公開中。

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小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観

木下豊房

去年、高橋誠一郎氏「テキストからの逃走―小林秀雄の「『白痴』についてⅠ」(214回例会)、今年、福井勝也氏「小林秀雄のドストエフスキー、ムイシキンから「物のあはれ」へ」(221回例会)と、小林秀雄をめぐる、論争性を内に秘めた報告がなされ、去る7月には高橋氏の『黒澤明と小林秀雄―「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が上梓された。

私はこの両者の説にふれることで、自分が抱えている問題意識に火がつくのを感じた。とりわけ、高橋氏の小林批判は鮮烈で、私はそのレトリックとカリスマ性ゆえに敬遠してきた小林のドストエフスキー論の実体を解明したくなった。

「ムイシキンはスイスから還つたのではない。シベリヤから還つたのである」という表現に集約される小林の解釈に、高橋氏は多方面からの批判を加えていて、傾聴すべき点が多い。と同時に、昨年ですでに没後30年になる文学者を歴史的存在(歴史的制約を受けた存在)としてではなく、現在の時局論に引きつけ過ぎて論じているきらいがあり、また深読みと思われるところもあって、そのあたりには疑問を感じた。そこで私は、小林秀雄を歴史的存在として見て、彼の論の形成に影響した状況を踏まえて検証を試みようと思った。

俗に、小林の「ドストエフスキイの生活」はE.H.カーの剽窃であるとの噂はいまだに燻っているようであるが、その実情はどうなのか? ほとんど同年を生きた唐木順三、そしてやや後輩の森有正のドストエフスキー論、そして彼らをはじめ同時代の文学者に広く読まれたアンドレ・ジードの論、そして小林や唐木や森の論が日本で形成される時期には、おそらく未知の存在であったミハイル・バフチンの論、これらを対比して見た時に、共通する論点が多くあることに気づかされた。

それはドストエフスキーのリアリズムの性格と人間についての見方である。バルザックに代表され、ロシアではトゥルゲーネフやトルストイに見られる客観的写実主義ともいうべきリアリズムとは一線を画すドストエフスキーの内観的リアリズムともいうべきものである。そして、人間の心理の客観的分析を旨とするフロイド的精神分析に対する異口同音の批判であつた。

19世紀ロシア文学史上、ドストエフスキーにおいて人間の見方に新しい転換が起きた。徹底的に客体化されて描かれたゴーゴリの人物が、『貧しき人々』において、主観性を持った主体的人物として蘇った。いわば死者の復活である。

デカルト的理性を基盤とする19世紀の客観主義的リアリズムによって描かれる人物像はドストエフスキーの内観的リアリズムから見れば、十分に生を享受しているとは言えないだろう。ドストエフスキーの芸術思想によれば、「人間にはA=Aの同一性の等式を適用できない」 人間の本当の生は「人間の自分自身とのこの不一致の地点で営まれる」(バフチン)ドストエフスキーにとって、「人間は先ず何をおいても精神的な存在であり、精神は先ず何を置いても、現に在るものを受け納れまいとする或る邪悪な傾向性だ」(小林)

このように客体化を拒む精神、自意識というものは、他者を客体としてではなく、もう一つの主体として認知する「われ-汝」の二人称的関係を希求する(バフチン、唐木順三)

しかしこの関係はきわめて不安定で、時空間の因果の網に拘束されない現時制の瞬間においてしか成立しない。それは過去化され、時空間で相対化された時、客体化を免れえない運命にある。この問題は作者の主人公に対する態度とともに、作中の人物間の関係にかかわる作品の主題としても現象するのが特徴である。

これをムイシキン像についていうならば、小説の前半では、登場人物達を読者に開示する二人称的、語り手的な機能を担わされ、読者はムイシキンとの出会いを通じて、人物関係図を知らされる。後半に至って、ナスターシャへのプロポーズの事件以降、彼は他の人物達との距離を失い、事件の渦中に巻き込まれて、客体化され、いわばトラブルメーカーに頽落していく。最終段階の創作ノートには「キリスト教的な愛―公爵」という記述があるのをおそらく知りながら、観念の意匠に敏感な小林は、人々に不安を与える無能なムイシキン、しかし作者が愛さないではおれない存在としてのムイシキンの現実を強調した。 ここに小林は作者の憐憫の眼差しを見ている。

最後にこの「憐憫」=「あわれ」の眼差が、小林の隣接する著作「本居宣長」の「あはれ」の概念とどう関係していくのか、福井氏の問題提起を受けて考えてみたい。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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