高橋誠一郎 公式ホームページ

黒澤明

黒澤明と宮崎駿――《七人の侍》から《もののけ姫》へ(ロシア文学と民話とのかかわりを中心に)

6月25日に黒澤明研究会で標記の研究発表をしました。

中世史の研究者・網野義彦は《もののけ姫》のパンフレットに寄せた文章で、「山や森は神様が住む聖地なのだという捉え方が崩れはじめたのが室町時代だからで、これは歴史的な事実だといってもよいと思います」と記していましたが、作家の司馬遼太郎も堀田善衛や宮崎駿と一九九二年に行った鼎談で、日本では「弥生式のころから引き継いでいる大地への神聖観というのをどうも失いつつある」と指摘していました(『時代の風音』朝日文庫)。

ニーチェは『ツァラトゥストラ』の第一部の終わりに「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは超人が栄えんことを欲する」という有名な言葉を記していたが(太字の箇所は訳書では傍点)、八百万の神々が共存するような多神教的な世界観は、日本でもすでに室町時代には崩れ始めていたのです。

そのことが、明治維新の際に西欧列強やロシア帝国の宗教を強く意識しながら、天皇を「一神教的な現人神」とし「全国の神社を官社と諸社に分け」て序列化を行った「国家神道」の成立を準備していたと思えます。

「こんな夢をみた」という字幕が最初に示されるオムニバス形式の映画《夢》の第六話「赤富士」でも原発事故の問題が鋭く提起されていますが、この映画の魅力は原発批判や戦争批判に留まらず、このような明治以降の「国家神道」の教えで失ってしまった地震や火山など自然の驚異や生命の神秘に対する畏敬の念も見事に再現していることでしょう(拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』のべる出版企画、2016年、141~142頁)

発表は2部からなり、第1部では「ロシア文学と民話とのかかわりを中心に」第2部では「《七人の侍》から《もののけ姫》へ」という題で考察しました。

 「映画・演劇評」のページに黒澤明と宮崎駿(1)――ロシア文学と民話とのかかわりを中心に」と「黒澤明と宮崎駿(2)――《七人の侍》から《もののけ姫》へを掲載します。

 

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

黒澤明、悪い奴ほど

(ポスターの図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

甘利問題と「加計学園」問題、そして「共謀罪」――黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》再考

「森友学園」問題が官僚によって重要な書類が隠されたことでなかなか解明が進まない中、”総理のご意向”とする文書が流出したことでいよいよ本命といされる「加計学園」問題が前面に浮かび上がってきた。

ニュースサイト「リテラ」は、「これは国を揺るがす大問題。総理が腹心の友のため権力を使い便宜を図る行為は金が動いてなくても、収賄やあっせん収賄と同じ。加計理事長は96億円もの利益を得た。韓国前大統領と同じ身内への利益誘導、辞任に値する」と記しているがまさにそのような大問題だろう。

さらに大きな問題は「韓国前大統領と同じ身内への利益誘導」をしながら責任を取ろうともしない独裁的な安倍首相の主導によって、「共謀罪」がまたも強行採決されようとしていることである。

昨年の5月31日に東京地検が甘利前経済再生担当相と元秘書2人を「現金授受問題」で不起訴としたとの報道が「東京新聞」朝刊に載った際には、汚職事件を主題とした黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》を論じた箇所を拙著から引用して掲載していた。

ここではそのページと映画《野良犬》などを論じたブログ記事へのリンク先を示すことにより、映画《夢》で福島第一原子力発電所事故を予告するようなシーンを描き出すことになる黒澤監督が腐敗した政治の危険性も描き出していたことを明らかにしておく。

リンク→長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

リンク→長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

 

自著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2016年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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復員兵として中国から帰還した際に広島の惨劇を目撃していた本多猪四郎監督は、原爆の千倍もの威力のある水爆実験によって「第五福竜丸」が被爆したことを知って映画《ゴジラ》を製作し、チェルノブイリ原発事故の後では黒澤明監督の映画《夢》に監督補佐として深く関わった。

本書では3つの視点からポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察し、核の時代の戦争を克服する道を探った。

最初に映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌を、《モスラ》や《宇宙戦艦ヤマト》、《インデペンデンス・デイ》なども視野に入れて分析した。

宮崎駿監督が「神話の捏造」と批判した映画《永遠の0(ゼロ)》については、原作の構造と登場人物の言動を詳しく分析することによって、この小説が神話的な歴史観で「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」のプロパガンダの役割を担っていることを明らかにした。

最後に、《七人の侍》から《生きものの記録》を経て《夢》に至る黒澤映画と、《風の谷のナウシカ》から《紅の豚》や《もののけ姫》を経て、《風立ちぬ》に至る宮崎映画の文明観の深まりを自然観に注目しながら考察した。

(リベラルアーツ学群 高橋 誠一郎)

リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

黒澤明監督の映画《夢》、BSプレミアムで9月30日深夜放映

黒澤明監督の映画《夢》をNHKが9月30日深夜に BSプレミアムで放映。

映画《夢》(1990年)は、福島第一原子力発電所の事故を予言していたとネットで話題になったが、黒澤明監督は全八話からなるオムニバス形式の映画の前半では「狐の嫁入り」の伝説を元にした「日照り雨」や「桃の節句」の美しい人形たちの舞を描いた第二話「桃畑」などをとおして自然の美しさを描き出していた。

展覧会でゴッホの絵に魅入っていた私(寺尾聰)が、いつの間にか絵画の世界へと入り込み、敬愛していたゴッホ(マーティン・スコセッシ)と出会うという第五話「鴉」も印象に残る。

さらに、黒澤監督は原発や核戦争の危険性と絶望的な状況を第六話「赤富士」と第七話「鬼哭」で描いただけでなく、第八話「水車のある村」で自然エネルギーの可能性も示すことで、絶望からの「復活」の方向性も示唆していた。

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(二)、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を掲載

二、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》

本多監督の盟友・黒澤監督は映画《ゴジラ》をすぐれた百本の映画の一つとして挙げていたが、「ゴジラ」の本場である日本でも、「ゴジラ」の哀しみや怒りは急速に忘れ去られたように思える。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろう」と指摘し、「あらゆる紛争問題の解決のための平和な手段をみいだすよう勧告する」という「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発せられたのは、「第五福竜丸」事件の翌年七月のことであった。

この事件から強い衝撃を受けて「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えた黒澤明監督も、映画《ゴジラ》から一年後に映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を公開した*11。

この映画では、映画《ゴジラ》で古生物学の山根博士の役を見事に演じていた志村喬が、度重なる水爆実験や「核戦争」などの危険性を心配して家族とともにブラジルへ移民しようとする主人公の老人の気持ちを理解する重要な知識人の役を演じている。

一方、息子たちの強い反対にあい、裁判で準禁治産の宣告を受けたことで、精神的にも追い詰められたこの老人は工場が燃えれば息子たちもあきらめるだろうと考えて放火する。しかし、従業員たちの深い苦悩を見て自分たちだけで逃げようとしたことの非を主人公が悟る場面も描かれている。ことに、精神病院に収容された主人公が夕日を見て核戦争で燃え上がった地球とみなし、「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンは圧巻である。ドストエフスキーの研究者である私には、そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると思えた*12。

映画《生きものの記録》が英語では《I Live In Fearと訳され、ロシア語でも«Я живу в страхе» (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。しかし、むしろ彼は「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。

しかし、映画《七人の侍》の翌年に公開され、三船敏郎が見事な老け役を演じていたこの映画は営業的には大失敗に終わった。映画《ゴジラ》からわずか一年の遅れで公開された黒澤映画の失敗の原因についてはいろいろと指摘されているが、その遠因には一九五三年にアメリカ大統領のアイゼンハワーが、「原子力の平和利用」を国連で表明するとともに、被爆国の日本にたいして原子力発電所の建設を促す動きを強め、それに呼応して翌年の一九五四年一月一日から読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の三〇回にわたる連載が始められていたことを挙げることができるだろう。この結果、一九五四年三月三日には、「国会に初めて原子炉予算として二億円あまり」を計上するという議案が提出され、数日後には成立していたのである。

広告研究家の本間龍氏は『原発プロパガンダ』 において、一九七〇年から福島第一原子力発電所の大事故が起きる二〇一一年までの大手電力会社の広告宣伝は二兆四千億円にも及び、政府広報予算も含めればさらに数倍にも膨れあがることや、二〇一三年からは安倍政権の意向に従って原発広告が復活し、ことに原発推進派だった読売新聞が「再び記事の中でも積極的に原発再稼働を唱え」始めていることを指摘している*13。同じようなことが「第五福竜丸」事件が起きた一九五四年から翌年までの間にもすでに起きていたのである。

「原子力基本法」を成立させた日本政府は、「原子力の平和利用」を謳いながら、経済面を重視して原子力発電の育成を「国策」として進めるようになり、原子力発電の危険性を指摘する科学者を徐々に要職から追放しはじめることになる。こうして、日本が地震大国という地勢的な条件や原爆の悲惨さから目をそらして原子力大国への道を歩み出し始めた翌一九五五年の『文學界』の七月号に掲載されたのが石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』だった。「既成道徳に対する反抗」を描いたこの小説が同じ年に第一回『文學界』新人賞を受賞するとこの作品は一躍、脚光を浴びることとなり、「太陽族」という流行語も生まれた*14。

さらに、一九五五年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を製造した会社の社長を「原子力平和利用使節団」として招聘した読売新聞社の正力松太郎社主は、映画《生きものの記録》が公開されたのと同じ一一月からは「原子力平和利用大博覧会」を全国の各地で開催し、「原子力発電」を「国策」とするための社運を賭けた大々的なキャンペーンを行った*15。

それは福島第一原子力発電所の大事故の前に広告会社の電通などによって行われた「原子力の安全神話」を広める広告の先駆けのようなものであったといえよう。このような大々的な宣伝により日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わり、この映画が封切りされた頃には原子力エネルギーが「第二の太陽」ともてはやされるようになり、映画《生きものの記録》は「季節外れの問題作」と見なされて興行的には大失敗に終わったのである。

このような事態に際して、一九四八年の対談で太陽熱も原子力で生まれており、原子力エネルギーは「そうひどいことでもない」と湯川秀樹博士が主張したのに対して、「高度に発達する技術」の危険性を指摘して「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」と反論して、「原子力エネルギー」の危険性を正しく指摘していた文芸評論家の小林秀雄が、原発の推進が「国策」となると沈黙してしまったことも大きいと思われる*16。

一方、「ゴジラ映画三十年の変遷」を分析した浅井和康氏が一九七四年に公開された映画《ゴジラ対メカゴジラ》に言及して、ついには「贋者の」ゴジラが登場したと記していた*17。ましこ・ひでのり氏も一九八九年に公開された映画《ゴジラvsビオランテ》を考察して「〈憲法前文や9条の理念が邪魔で戦争が満足にできない〉といった好戦派のホンネがSFの形で露呈しているといえるのではないか」と書き、ここでは「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破する“格好いい”自衛隊」が描かれていることを指摘している*18。

さらに、永田喜嗣氏は初期のゴジラ・シリーズでは、「文民統制」の原則が貫かれていたのに対し、《ゴジラvsビオランテ》では「ゴジラ映画初の自衛隊が人間を撃つ描写や、外国人を徹底的に悪人にし」、一九九一年に公開された《ゴジラvsキングギドラ》では、「日本企業が核ミサイル付き原潜を持つ」という設定がなされており、ゴジラ映画の右傾化であると批判した*19。

このことに言及した芹沢亀吉氏は、「ゴジラファンの間で原点回帰の傑作と評価されている」、二〇〇一年に公開された映画《ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃》を詳細に分析して、主人公の父親が終盤で「特殊潜航艇さつま」に乗って、海中にいるゴジラの口の中に突入する場面を、特攻をかっこよく見せる映画《永遠の0》の先駆けなのだと書き、「映画自体が大ヒットしたことで後続の東宝映画が特攻を肯定的に描く事を許容する前例になってしまった」と続けている*20。

これらの指摘はなぜ本多監督が、一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に「ゴジラ・シリーズ」から去ったかということだけでなく、なぜ宮崎駿監督が「神話の捏造」という言葉で映画《永遠の0(ゼロ)》を厳しく批判したかをも説明していると思える。

最後に注意を払っておきたいのは、一九六一年に公開された映画《モスラ》(製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)のモスラの形象に注目した小野俊太郎氏が、「幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似」などを指摘していることである*21。

しかも、一九八四年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》が映画《モスラ》の理念を継承していることにも言及し、両者を繋ぐ働きを黒澤映画《生きものの記録》が担っていることを指摘している。本多監督が日米合作企画映画として製作したこの映画《モスラ》は一九六一年七月三〇日に公開されたが、この映画の脚本が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という著名な作家三人の原作『発光妖精とモスラ』(『週刊朝日』)を元にして関沢新一が脚本を書いていた。日東新聞記者である主人公の福田善一郎という名前は、これらの三人の作家の名前を組み合わせて出来ているが、ここにはシナリオを重視してたびたび共同で書いていた黒澤明と同じような姿勢が強く見られるだろう。

 

*11 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄――風のように侍は――』筑摩書房、二〇〇五年、七七七頁。

*12 高橋誠一郎『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、二〇一四年、一三二頁。

*13 本間龍『原発プロパガンダ』 岩波新書、

*14 高橋誠一郎、前掲書、一三五頁。

*15 有馬哲夫『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』新潮新書、二〇〇八年参照。

*16 高橋誠一郎、前掲書『黒澤明と小林秀雄』、一〇八~一〇九頁。

*17 浅井和康「ゴジラ映画三十年の変遷」、『モスラ対ゴジラ』講談社X文庫、一九八四年、二三九頁。

*18 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート』三元社、二〇一五年、一〇八頁。

*19 永田喜嗣「ゴジラ ウルトラマン 怪獣平和学入門 ~怪獣映画にみる戦争~」、市民社会フォーラム第171回学習会、二〇一六年一月二三日、ライブ配信

*20 芹沢亀吉、ツイートまとめ「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)』は本当に原点回帰映画なのかを検証してみた」二〇一六年六月二五日。

*21 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代文庫、二〇〇七年、二四八~二五一頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)

 

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日、(一)モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観を掲載

一、モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観

水爆大怪獣と名付けられた初代の「ゴジラ」がスクリーンに現れたのは、「第五福竜丸」事件が起き無線長の方が亡くなられた一九五四年のことであったが、予告編では「伊福部昭の曲ではなくて、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の不気味な曲」にあわせて、様々なシーンとともに「人類最後の日来る!」「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字が画面いっぱいに示されていた*1。

実際、オリバー・ストーンはその著書で原爆の研究者たちが「議論を重ねるうち、原子爆弾の爆発によって海水中の水素や大気中の窒素に火がつき、地球全体が火の玉に変わるかもしれないことに突如として気づいた」ので計画が一時中断された時期があったが、その確率が極めて低いことが分かって研究が再開され、広島や長崎に原爆が投下されることになったことを記している*2。

しかし、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験がビキニ沖の環礁で行われた時には、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われたのである。

それゆえ、三度も被曝した日本ではこの問題に対する関心がきわめて高く、水爆という重たいテーマを扱いながら「なるかゴジラ征服」という文字も示されていた刺激的な予告の効果や、その結末では日本を破壊し尽くしかねないゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使用することに同意した科学者の芹沢が、自分が発明した危険な兵器が悪用されないようにと自らもゴジラとともに滅ぶことを選んで亡くなるシーンを描いていたこともあり、この映画は「観客動員数九百六十九万人」に達する大ヒットとなった*3。

ゴジラが誕生してから六〇年を経て「ゴジラ」の還暦に当たる二〇一四年も、アメリカ映画の《Godzilla ゴジラ》も公開されるなどしたために、この年にはNHKのBSやテレビ東京で「ゴジラシリーズ」が放映されるなどゴジラの話題で盛り上がった。

単行本だけでなく雑誌でもゴジラ関連の特集が多く組まれており、『初代ゴジラ研究読本』(洋泉社MOOK)では、映画《ゴジラ》の脚本だけでなく、科学者の芹沢を演じた俳優の平田昭彦と本多監督との一九八一年の対談も掲載されていた。注目したいのは、その対談で黒澤監督が語ったソ連の若者たちが抱いている「核戦争への恐怖」を本多監督が伝えていたことである。

その対談を読みながら、かつてモスクワに留学していた時に映画《ゴジラ》を見たのは、かなり大きな映画観だったにもかかわらず満席で観客が真剣に見入っていたこと思い出した。映画《生きものの記録》で度重なる水爆実験や核戦争の恐怖を描いていた黒澤監督は、ソ連での生活が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中とその前後の短い期間だったにもかかわらず、ソ連の若者たちの不安を正確に認識していたといえよう。この言葉からは黒澤が広島の被曝についても語られている映画《惑星ソラリス》を撮ったタルコフスキーとも、核戦争の危機について語り合っていたのではないかと感じた。

映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督も黒澤明研究会の例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」*4。

さらに本多監督は、核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」とも語っていた*5。

ここには本多監督の鋭い原爆観だけでなく、戦争観も見られるが、それは二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中退に所属したために、一九三六年に徴兵で満州に派兵されたのをはじめとして、三度も懲罰的な徴兵をされていたのである。インパクトのあるゴジラの姿だけでなく、民衆が逃げ惑う迫力のあるシーンは、本多監督の苦しい実体験が反映されているだろう*6。実際、このような形で徴兵されたのは反乱軍の兵士のみならず、東条英機首相の方針に反対した丸山眞男などの学者や松前重義などの高級官僚も懲罰的な徴兵の対象とされていたのである。

本多夫人は夫と黒澤監督が「ドキュメンタリータッチの作品で有名な山本嘉次郎監督の門下生」で、互いにをクロさん、イノさんと呼び合う中であったことを紹介しながら二人の復員兵を主人公とした黒澤映画《野良犬》では、本多監督が「ファースト助監督」として迎えられ、「B班の撮影やロケ撮影を担当し」、「刑事役の三船さんがピストルを捜して東京の盛り場を歩き回る九分間、七十カットを撮り、戦後の荒廃した風俗の実像を生々しく描き出し」たと語っている*7。

さらに夫人は、映画《夢》についても言及して、「このなかで四つ目の ”トンネル”と題した十五分の物語は、クロさんには失礼かもしれませんが、間違いなくイノさん演出だったと思いますよ。戦争から帰って一年に数回、イノさんはうなされて大声で叫んで飛び起きる悪夢を見るのです」と証言している*8。

一方、アメリカにおける「ゴジラ」の受容については、『怪獣王ゴジラ』(GODZILLA KING OF MONSTERS!)と題した編集版が一九五六年にリリースされてから人気を得たことが指摘されている*9。

しかし、テリー・モース監督のもとで追加撮影と再編集がされたこの映画について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「当時の時代背景に配慮した」ためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「反核や反戦のテーマをこめた初代『ゴジラ』は米国にとって都合が悪く、大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っている*10。

実際、ましこ・ひでのり氏はアメリカでは「大衆にとって、ソ連との核戦争の不安も所詮は対岸の火事であり、ゴジラは核兵器で退治される怪物とするボードゲームのキャラクターにされた」と書き、次のようにこの映画を分析している。

すなわち、「初代ゴジラを『編集した』アメリカ版『怪獣王ゴジラ』では、水爆実験とゴジラとの関連性を否定し、ゴジラから被曝した被災者の存在を隠蔽、ゴジラが復活する可能性にふれた原作の被災者の最終場面のセリフをカットし、アメリカ版用にでっちあげた主人公に『脅威は去った』と断言させるなど、およそ『編集』の域をこえた破壊だった」のである。

小野氏が「オリジナルである日本版の『ゴジラ』を普通のアメリカの観客が観ることができたのはずっとあとで、二〇〇四年に数館で上映されたのみである」と書いていることに注目するならば、アメリカの観客はようやく二〇〇四年になって「水爆実験」によって生まれた「ゴジラ」の哀しみを知ったといえるだろう。

 

*1 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*2 オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、鍛原多恵子他訳『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史1 二つの世界大戦と原爆投下』早川書房、二〇一三年、二九一~二九三頁。

*3ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』中央公論新社、二〇〇五年、四三頁。

*4 堀伸雄「世田谷文学館・友の会」講座資料「『核』を直視した四人の映画人たち――黒澤明、本多猪四郎、新藤兼人、黒木和雄」より引用。

*5 本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』ワニブックス、二〇一〇年、八七頁。

*6 切通理作『本多猪四郎 無冠の巨匠』洋泉社、二一四年、一八六~二一三頁。

*7 本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』、宝島社、二〇一二年、九九頁。

*8 同上、一七七頁。

*8 小野俊太郎『ゴジラの精神史』、彩流社、二〇一四年、一四六頁。

*9 宝田明、「反戦がテーマのゴジラを国会で上映したい」『日刊ゲンダイ』二〇一五年六月三〇日。

*10 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート 怪獣論の知識社会学』三元社、二〇一五年、六三頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)。

 

長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

黒澤明、野良犬黒澤明、天国と地獄

(ポスターの図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画――《野良犬》(1949)と《天国と地獄》(1963)

先ほど、「長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)」をアップしましたので、長編小説『罪と罰』の世界と黒澤映画《野良犬》(1949)や《天国と地獄》(1963)との関係を考察した箇所も拙著から引用しておきます。

*   *   *

よく知られているように、クリミア戦争から一〇年後の混迷の首都ペテルブルグを舞台にした『罪と罰』(一八六六)は次のような有名な文章で始まっていた。「七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮れどき、ひとりの青年が、S横丁にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした」。

一方、終戦後間もない混乱した時期の日本を舞台に、めっぽう暑い日の満員のバスでピストルをすられた刑事と、そのピストルをピストル屋から買い取って次々と凶悪犯罪をかさねる若者の息詰まるような対決を描いた映画《野良犬》(脚本・黒澤明、菊島隆三)も、「それは、七月のある恐ろしく暑い日の出来事であった」という文章から始まるガリバン刷りの同名の小説をもとにして撮られている*6。

そして、ショーウインドウに飾られている服を見て、あんな美しい服を一度着てみたいと語った自分のせいで復員軍人の青年がピストル強盗まで思い詰めたことを明かした若い踊り子は、「ショーウインドウにこんな物を見せびらかしとくのが悪いのよ」と語り、若い刑事から戒められると腐れて、「みんな、世の中が悪いんだわ」と言い訳した。

さらに踊り子は、「悪い奴は、大威張りでうまいものを食べて、きれいな着物を着ているわ」とも語っているが、この言葉は《悪い奴ほどよく眠る》との繋がりをよく物語っているだろう(下線引用者、『全集 黒澤明』第2巻、204頁)。

しかも、この二人の復員軍人の青年がともに戦争から帰った日本で自分の全財産ともいえるリュックサックを盗まれていたという共通の過去を描くことで、混迷の時代には窮地に追い込まれた人間が、犯罪者を取り締まる刑事になる可能性だけではなく、「狂犬」のような存在にもなりうることが示されていた。

こうして《野良犬》は、きわめて的確な時代考察のうえに主人公たちの行動や考え方を描き出したドストエフスキーの『罪と罰』を踏まえつつ、日本が戦前の個人の自由が全くなかった時代から、個人の「欲望」が限りなく刺激される社会へと激しく変貌し、そのような混沌とした日本の社会情勢の中で、価値観を失った若者たちのニヒリスティクな行動を鮮やかに映像化していたのである。

さらに黒澤明は一九六三年にも当時は無給でしかも将来の身分的な保証もなかったインターン制度のもとで、貧民窟に住んでいた貧しい研修医の竹内(山崎努)が、『罪と罰』のラスコーリニコフと同じように高台の豪邸に住む富豪(三船敏郎)を憎んで、彼の息子の誘拐を図るが誤ってその運転手の息子を誘拐するという事件を描いて話題を呼んだ《天国と地獄》(原作・エド・マクベイン、『キングの身代金』、脚本・小國英雄、久板栄二郎、菊島隆三、黒澤明)を公開している。

ただ、『罪と罰』のラスコーリニコフと同じような「インテリ犯罪者タイプ」の犯人の若者は、「ほとんどなんの理由もなく、ただ生まれながらの憎悪の発露としか思えないような調子で犯罪を遂行してゆく」と描かれている。そして、彼を追い詰める戸倉警部(仲代達矢)も、「法律が行う程度の正義ではまだ不足だと考えて、犯人を死刑に追いこむ工夫をする」のである。

それゆえ、この作品を論じて「サスペンス・ドラマとして最高だ」と評価した佐藤忠男は、その一方でこの映画における「黒澤の正義感はあまりに単純にすぎる」と苦言を呈している*7。

実際、『罪と罰』のラスコーリニコフも法律では罰することのできない高利貸しの老婆を殺害してしまうが、その後の主人公の苦悩を詳しく分析したドストエフスキーは、戸倉警部に相当する判事のポルフィーリイには自首を勧めさせていたのである。

こうして、《天国と地獄》と『罪と罰』における犯人や刑事の描き方などには大きな違いも認められるが、結末で描かれる自分が死刑になることを知った犯人の苦悩は、自分の死期を知ったイッポリートの苦悩をも連想させ、黒澤のドストエフスキー作品への関心の深さが感じられる。

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『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、2011年、123~126頁。2017年5月19日、図版を追加)

 

長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

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(ポスターの図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

長編小説『白痴』の世界と黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(1960)

東京地検が甘利前経済再生担当相と元秘書2人を「現金授受問題」で不起訴としたとの報道が5月31日の「東京新聞」朝刊に載っていました。

長編小説『白痴』との関連で黒澤映画《悪い奴ほどよく眠る》(脚本・久板栄二郎、黒澤明、小國英雄、菊島隆三、橋本忍)について考察した箇所を拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)より一部改訂して再掲します。

父親の恨みを晴らすために上司の娘との結婚を果たした主人公をとおして汚職の問題などが描かれている1960年に公開された映画《悪い奴ほどよく眠る》の世界が、安倍政権下の日本では今も生き続けているのを強く感じるからです。

「アベノミクス」の詐欺性(4)――TPP秘密交渉担当・甘利明経済再生相の辞任

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一九六〇年に公開されたこの映画の冒頭では、土地開発公団・副総裁の娘佳子と秘書の西との華やかな結婚披露宴の場で、司会を務めるはずだった課長補佐が逮捕されて動揺する幹部の姿や新聞記者たちの動きが描写されていた。

場面が進むにつれて新郎の西(三船敏郎)が五年前に起きた汚職事件の捜査の過程で、上司たちの保身のために飛び降り自殺をさせられていた課長補佐の私生児であり、他人と自分の戸籍を代えることまでして父親の復讐を果たそうとしていたことが次第に明らかになる。

つまり、子供の頃に負った怪我で足をひきずるようになったが、「赤ン坊」のように純粋な心を持っていた佳子(香川京子)と結婚することで、西は副総裁にまで出世していた父の上司(森雅之)に接近し秘書に取り立てられていたのである(『全集 黒澤明』第5巻・24頁、50頁)。

秘書としての地位を利用することで西は、その時の事件の隠蔽工作に関わったが今度は殺されそうになった人物を捕らえることに成功し、汚職の真相を暴露する一歩手前のところまで佳子の父親でもある副総裁を追い詰めた。しかし、なんとか罪が暴かれることを防ごうとした副総裁は、娘婿の生命を案じるフリをしてその居所を娘から聞き出して、証人たちとともに娘婿を抹殺した。

ドストエフスキーの長編小説『白痴』は、複雑な性格のガヴリーラやイッポリートの家族をとおして、当時の混迷したロシアの社会情勢とムィシキン公爵の苦悩を描き出していたが、この映画も父親の計略によって夫が殺されたことを知ったことで、純粋な精神を持っていた佳子がムィシキンと同じように発狂してしまうことを描いて終わる。

こうして、この映画は「汚職事件が多発して、真相が分からぬままに課長補佐、係長等が謎の自殺を遂げるという、痛ましい事件」が続いていた時代を背景に、企業と癒着した官僚が汚職で富を築き、発覚しそうになると容赦なく罪を部下に押しつけるような体質になっていた戦後の日本社会の腐敗をえぐり出していた*7。

そして《悪い奴ほどよく眠る》が描いていた社会状況は、クリミア戦争後に西欧のさまざまな思想がどっと入ってきて「価値の混乱」が見られ、高官による公金の使い込みや自殺なども見られるようになっていたロシアの社会状況とも重なっていたのである。

(『黒澤明で「白痴」を読み解く』成文社、59頁~60頁より一部改訂して再掲。2017年5月19日、図版を追加)

 

映画《生きものの記録》――原水爆の脅威と知識人のタイプ

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

映画《生きものの記録》では、都内で鋳物工場を経営して成功し、妻と三人の妾とのあいだに多くの子供をもうけているワンマンな経営者の中島喜一(三船敏郎)が、「核実験」や「核戦争」の被害から家族を守るために、海外に移住しようとするが、自分たちの財産が無くなってしまうことを恐れた長女や息子たちから裁判に訴えられた出来事を、裁判所の調停委員として関わることになった歯科医・原田の眼をとおして描いている。

すなわち、「(沈鬱に)死ぬのはやむを得ん……だが殺されるのはいやだ!!」と語った喜一は、受け身的な形で「核の不安」に対処しようとすることを拒否して移住計画を進めるが、そのことを知った息子たちの要請で予定より早く二回目の審判が開かれた。

興味深いのはどのような結論を出すべきかの調停員の会議で、移住という手段をとってでも愛する家族たちの生命を守ろうとする喜一の行動力に感心もしていた調停員の原田が、「原水爆に対する不安は我々だって持っている」、「日本人全部に、強弱の差こそあれ、必ず有る気持ちです」と弁護していることである。

審判室に呼び出された喜一も「儂(わし)は、原水爆だって避ければ避けられる……あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、さらに「(昂然と)ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と続けていた。

しかし、「準禁治産者」の判定を下された後で工場に放火した喜一は、ついには精神病院に収容されることになる。注目したいのは、自分が加わった調停で心ならずも喜一に厳しい判決を下した歯医者の原田が、放火事件の後で喜一が収監された精神病院を訪れる場面で、原田と長女よしの夫・山崎の反応をとおして二つのタイプの「知識人」が見事に描き出されていたことである。

すなわち、病院に見舞いに訪れていた中島家の家族が病室から出てきた場面で、「しかし、何だな……結局……お父さんにとってはあれが一番倖せなんじゃないかな」と語った長女よしの夫・山崎に、喜一の家族全員が「無言の反撥を示す」ことが描かれたあとで偶然に出会った原田も、「私……どうも……気がとがめまして……」と見舞いの理由を説明し、「……いやそもそもあの裁判が間違っていたんじゃないか……と……」と続ける。

すると山崎は、苛立ちながら「大体、父の事を裁判所へ持ち込んだのが間違いなんです……最初から、ここへ連れてくればよかったンですよ」と断言し、「国策」に従わずに移住しようとする反抗的な喜一を「法律の手」で束縛したほうがよいと説明していた裁判所の参与と同じ見解を語ったのである。

個人的な印象になるが、私には最初、妻の父親の裁判にも積極的に参加しようとしていた長女の夫・山崎という人物像がよくわからなかった。しかし、映画《生きものの記録》の公開後に文学者の武田泰淳や後に「四騎の会」を共に起ち上げることになる木下恵介監督との鼎談で、「あの作品のなかでね、武田さん、僕は山崎という男ですよ」と語った黒澤が、「フランス文学者の……?」と武田から質問されると「ウン、あのくらいですよ」と答えているのを読んだ時に少し理解できたかと感じた。

すなわち、このやり取りからは山崎が、「国策」として遂行された「戦争」には保身のために反対しなかった黒澤自身の戯画であるとともに、戦後も「原子力エネルギー」の危険性も認識しながらも、原発が「国策」となると沈黙してしまうようなタイプの「知識人」全体の戯画でもあると思えたのである、

そのような「国権」に従順なタイプの「知識人」への批判は、喜一の治療にあたっていた精神科の医師の次のような言葉をとおして強調されている。「この患者を診ていると……なんだか……その……正気でいるつもりの自分が妙に不安になるんです……狂っているのは、あの患者なのか……こんな時世に正気でいられる我々がおかしいのか」。

ここにはチェーホフの短編『六号室』を思い起こさせるような深い考察があるが、この精神科医の言葉の後に置かれている映画《生きものの記録》の最後のシーンでは、『罪と罰』の主人公がシベリアの流刑地で見る「世界滅亡の悪夢」のような圧巻とも呼べるような光景が描かれている、

澄み切った明るい顔で鉄格子の病室に座り、地球を脱出して安全な星に居ると思いこんでいた喜一は、窓の外の燃えるような落日を見て、「燃えとる!! 燃えとる!! とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶのである。

主役の老人の役を三船敏郎が見事に演じただけでなく、前作の映画《七人の侍》と同じように黒澤明、橋本忍、小國英雄の共同脚本による映画《生きものの記録》は話題作となりヒットすることは確実だとも思われた。

しかし、脚本の共同執筆者であった橋本忍が書いているように、「『七人の侍』では日本映画開闢以来の大当たり、それに続く黒澤作品であり、ポスターも黒澤さん自身が斬新でユニークな絵を描き、宣伝も行き届いていた」にもかかわらず、「頭から客の姿は劇場にはなく、まったくの閑古鳥なのだ、まるで底なし沼に滅入り込むような空恐ろしい不入り」だったのである。

その理由は黒澤明と小林秀雄との「対談記事」が消えたことにも深くかかわっていると思えるので、稿を改めて考察することにしたい。

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、2014年より、第2章の当該箇所を再構成して引用)。