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「脱原発を考えるペンクラブの集い」part4、開催のお知らせと追記

「脱原発を考えるペンクラブの集い」part4が、「福島原発事故 ―総理大臣として考えたこと」をテーマに次のような形で開催されます。

講師:菅直人氏

日時:3月15日(土)14時より

場所:専修大学神田校舎

共催:日本ペンクラブ・環境委員会と専修大学

(入場無料、申込不要・先着順)。

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日本ペンクラブ・環境委員会は昨年の6月29日(土)に、専修大学人文ジャーナリズム学科との共催でシンポジウム【脱原発を考えるペンクラブの集い】part3「動物と放射能」を専修大学で行いました。

(その時に公開されたドキュメンタリー映画《福島 生きものの記録》については、映画評「映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》」を参照)。

さらに、昨年の12月には事故当時に内閣官房副長官として震災と原発事故の対応に当たっていた参議院議員の福山哲郎氏を講師として、「環境委員会主催・脱原発研究会2013 ――その時、官邸で何が起きていたか――」を行いました。

今回の菅直人氏による講演はその研究会を踏まえて行われるものです。

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私自身は政治的には無党派で、その時々の各党の政策によって投票していますが、福島第一原子力発電所事故が起きたときに政権を担当していた民主党の菅直人総理は、原発を強力に進めてきた長年の自民党政権の「つけ」を払わされたたばかりか、自民党政権や東京電力の問題点を新聞やテレビなどで指摘する時間も与えられずに責任を押しつけられて退任に追い込まれたと考えています。

東京電力・福島第一原子力発電所の大事故の際には、事故直後にロシア政府が避難民をシベリアで受け入れる旨の発表をしていましたが、東北だけでなく首都東京を含む関東一帯が被爆の危機にさらされて、これらの地域の人々は小松左京氏が小説『日本沈没』で描いたような大規模な避難をしなければならないような事態と直面していたのです。

地殻変動によって形成され、いまも大規模な地震が続いている日本で生活している私たちが正確な判断を行うためにも、多くの方にご参加頂きたいと願っています。

 

追記:詳しくは日本ペンクラブの下記のリンク先で確認してください。

 「脱原発を考えるペンクラブの集い」part4  3月15日開催(1月28日)

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参考文献

1,菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』幻冬舎新書、2012年

2,福山哲郎『原発危機 官邸からの証言』ちくま新書、2012年

  

「研究活動・前史」などを「主な研究(活動)」の固定ページから移動しました

 

「主な研究(活動)」の記事が増えてきましたので、固定ページに記していた以下の文章を「研究活動・前史」というタイトルで、「投稿記事」のページに移動しました 。

「研究活動・前史」/「引率時の体験とIDSでの発表」/「追記」

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「年表」の固定ページも訂正しました。

ブログの題名を説明している記事のタイトルなどをトップページに掲載しました

 

ブログの題名「風と大地と」を説明している下記の記事をトップページにも掲載しました。

新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)

「大地主義」と地球環境(8月1日)

アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』7月20日)

 

12月9日以降のブログ記事タイトル一覧Ⅳもトップページにも掲載しました。

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅳ(12月9日~12月20日)

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅳとブログの題名を説明している記事を掲載しました

 

「ブログ記事」タイトル一覧Ⅳとして、12月9日以降のブログ記事と「風と大地と」という題名の由来を説明している記事を「ブログ記事・タイトル一覧」(物件)に掲載しました。

「特定秘密保護法案」関連の記事は朱で示し、「司馬作品から学んだこと」は青い字で示してあります。

英語教育と母国語での表現力――「欧化」と「国粋」の二極化の危険性

 

少し古い記事になりますが、「東京新聞」の13日の記事に、文部科学省が「中学校の英語の授業を、原則として英語で行うことを決めた」ばかりでなく、小学校においても次のような方針が決められたことを報じていました。

「正式な教科でない『外国語活動』として実施している小学校は開始時期を小学5年から小学3年に前倒しし、5、6年は教科に格上げする」。

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この記事を読んですぐに連想したのは明治維新以降の文部官僚が行った教育政策のことでした。

正岡子規は英語の試験で苦しめられていましたが、それは当時の政府も「文明開化」のために英語のできる知識人の養成につとめていたからです。

しかし、日露戦争に勝ったことで日本が「一等国」になったとみなすようになった政府は、太平洋戦争に突入するころには英語を「敵性言語」と見なして、野球の用語からも英語を排斥するようになったのです。

ここにみられたのは「語学力」の偏重による「読解力」の軽視の結果だとも思えます。

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テレビやゲームなど視覚的な「情報」が増えてきた現在の日本では、すでに読解力の低下が見られ、文学作品などもその構造をふまえてきちんと読み解くのではなく、自分の主観による一方的な解釈を下す傾向が強くなっているようにも見えます。

母国語で書かれている「情報」を正しく読み取るだけでなく、自分の考えを正確に相手に伝えるためには、子供のころに日本語の能力を高めることが必要ですが、その時期に英語を強制的に学ばさせれることは、「英語を文明的な言語」と見なす若者を作り出す一方で、英語に対する反発をも産み出してしまうでしょう。

日本の伝統的な文化や「愛国心」を強調する一方で、経済政策だけでなく言語教育の面でもアメリカの要請に追随しているようにみえる安倍政権の政策は、「欧化と国粋」の二極化という危険性を孕んでいるように見えます。

 

近刊『黒澤明と小林秀雄』の関連記事のタイトルを掲載しました

 

先日、近刊予定の『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」で映画《夢》を解読する』を「著書・共著」に掲載しました。

以下に、関連する記事のタイトルをあげておきます。

 

「不注意な読者」をめぐって――黒澤明と小林秀雄の『白痴』観7月7日

劇《石棺》から映画《夢》へ 7月8日

映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観 8月12日

« 黒澤映画《夢》の構造と小林秀雄の『罪と罰』観  11月5日

ムィシキンの観察力とシナリオ『肖像』――小林秀雄と黒澤明のムィシキン観をめぐって(11月17日)

復員兵と狂犬――映画《野良犬》と『罪と罰』11月24日

小林秀雄の『虐げられた人々』観と黒澤明作品《愛の世界・山猫とみの話》 11月26日

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概(増補版)

16時過ぎに帰宅してパソコンを立ち上げたところ、「東京新聞」(ネット版)に下記の記事が掲載されていました。

「機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法案は5日午後の参院国家安全保障特別委員会で、自民、公明両党の賛成多数により可決された。(中略)

官僚機構による「情報隠し」や国民の「知る権利」侵害が懸念される法案をめぐる与野党攻防は緊迫度を増した。」

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本日の「日刊 ゲンダイ」は古賀誠元自民党幹事長の発言を21面に掲載しています。

「石破幹事長の発言は与党トップとしてあってはならないことです」

秘密保護法は党内で阻止する勇気が必要」

「党内議論がない総裁独裁が一番怖い」

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これまでの短い審議をとおしても、「テロ」の対策を目的とうたったこの法案が、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」して、国民の「言論や表現の自由」を大幅に制限する可能性が強い性質のものであることが明らかになってきています。

現在の国会で圧倒的な議席を占める自民党や公明党の議員からも、これらの問題を指摘してさらなる慎重な審議を要求する声が出ても当然のように思えます。

しかし、すでに自民党は「総裁」の「独裁」が確立し、与党内でも「言論の自由」が早くもなくなっているように見えます。

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司馬作品の愛読者であった安倍首相は、「国民作家 司馬遼太郎の謎」という特集で、「高杉晋作の生涯を生きいきと描いた『世に棲む日日』がもっとも好きですね」と語っていました(『ダカーポ』2005年、9月7日号)。

たしかに司馬氏はこの長編小説で、九州への留学をへて江戸で師・佐久間象山と出会って世界を己の眼で見ることの大切さを学び、当時の大罪を犯して二度の密航を試みて捕まり故郷で松下村塾を開くまでの言動の描写をとおして、若き吉田松陰の国際的な視野の広さと人間的なやさしさや高杉晋作の生涯を生き生きと描き出していました。

しかし、司馬氏がそこで強調したのは上海の状況を自分の眼で見ていた晋作は、「租借」という言葉の概念をよく理解できないながらも、「租借とはその上海になることかと直感し」、彦島という小さな島をも租借はさせないという独立の気概であり、革命戦争に勝利した後では「艱難ヲトモニスベク、富貴ヲトモニスベカラズ」と語って、勝利に驕った「奇兵隊」から身を引いた晋作の潔さでした。

そのような高杉晋作の生き方と比較すると、「特定秘密保護法」や「戦争法」さらに「共謀罪」など「立憲主義」を危うくするような法案を次々と強行採決する一方で、「森友学園」や「加計学園」では自分と「お仲間」の利益を重視して、証拠を隠している安倍首相の生き方では天と地の違いがあり、晋作から取ったという晋三という名前が泣いていると思えます。

産経新聞や「つくる会」などによって間違った解釈が広がってしまいましたが、司馬氏は「日本防長国」と称していた幕末の長州藩や土佐藩などの考察をとおして、現在の日本が直面している「憲法」の危機につながるような非常に重たい課題を示唆していたのです。

以下、高杉晋作の決断と独立の気概を見事に描いていると思われる箇所を引用しておきます。 『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年、243~247頁より、文章のつながりを示すために一部改訂しました)。

9784903174235-B-1-L

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「転換へ」という章の冒頭で司馬は、「われわれは日本人――ことにその奇妙さと聡明さとその情念――を知ろうとおもえば、幕末における長州藩をこまかく知ることが必要であろう」と書き、「日本史における長州藩の役割は、その大実験であったといっていい」と書いている(傍点引用者、二・「転換へ」)。

そして、(イギリスの留学から急遽、帰国して開国を説いたために)「変節」した「腰抜け降伏派」と見られていた井上聞多と伊藤俊輔が、「売国の奸物」を「攘夷の血祭り」にすると喚(わめ)く暗殺団に狙われていたことに注意を促した司馬は、「『売国』ということばが、日本においてその政敵に対して投げられる慣用語(フレーズ)としてできあがったのは、記録の上ではおそらくこのときが最初にちがいない」と書いていた(下線引用者、二・「暗殺剣」)。(中略)

「国際環境よりもむしろ国内環境の調整のほうが、日本人統御にとって必要であった」と分析した司馬は、「このことはその七十七年後、世界を相手の大戦争をはじめたときのそれとそっくりの情況であった」とし、さらに「これが政治的緊張期の日本人集団の自然律のようなものであるとすれば、今後もおこるであろう」という重たい予測をしているのである(二・「暗殺剣」)。

このことを想起するならば、このとき司馬が幕末の「日本防長国」と昭和初期の「別国」との類似性を強く意識していたことは確実だと思える。

(中略)

「英・仏・米・蘭という四カ国が十七隻の連合艦隊」を組んで長州に向かっているという情報が入ってきたのは、七月二二日のことであった。さらに、敵艦隊によって逆封鎖され、沿岸も「敵の陸戦隊の占領下」におかれた段階になって、ようやく「講和しかない」という決断を下した藩の上層部は、高杉晋作を「獄中からひきだして、『臨時家老』のような役目にしたててすでに焦土化しつつあるこの藩を救済させる」ことを決めたのである。

この時期の井上聞多と伊藤俊輔、さらに高杉晋作の三人を「政党とすれば、三人党とでもいうべき存在で、藩の上層部とも下層部とも政見を異にし、そのために生命まであぶなくなっており、うかうか人前にも出られない」と書いた司馬は、「『政治』という魔術的な、つまりこの人間をときに虐殺したり抹殺したり逆賊として排除したりする集団的生理機能のふしぎさとむずかしさを、この時期のかれらほど身にしみて知った者はないであろう」と続けていた(『世に棲む日日』二・「壇ノ浦」)。

そして、「数万という藩の下部層は、あくまでも、『藩の山河を灰にしても攘夷戦争をつらぬくべきである』という攘夷原理のもとに、ほとんど万人が万人、発狂同然の状態になって」おり、皮肉にも晋作がつくった奇兵隊の隊士はことにこの三人党を「姦徒」と見なしていたと描いた。

そのような状況下で晋作は、長州藩の筆頭家老である宍戸家(ししどけ)の養子刑馬という名前で、藩代表の降伏の正使として長烏帽子と陣羽織を着、二人の副使と通訳を務めることになった伊藤俊輔を従えて英国軍艦にのりこんだ。

この交渉を司馬は、晋作を「魔王のように傲然とかまえていた」と感じた英国側の通訳官アーネスト・サトーの目をとおして描いている。宍戸刑馬を名乗った晋作は、副使の手を通じて例の「日本防長国王」という名による「媾和書」というものをさしだした」が、そこには「外国艦船の下関海峡通過は以後さしつかえない」と記されていたものの、降伏するとは書かれていなかった(『世に棲む日日』三・「談判」)。

しかも、連合艦隊側からは「横浜から下関まで艦隊がやってくることに要した薪炭費(しんたんひ)、船の消耗についての費用、兵員の給料、八人の戦死者と三十人の戦傷者についての賠償、撃った砲弾」などの賠償金が要求された。これに対して、「朝廷と幕府の攘夷命令書」を前もって用意していた晋作は、「三百万ドルは、幕府が支払うべきものである」と主張しそれを認めさせてしまったのである 。

(中略)

二度目の会見で英国艦隊提督のクーパーは、賠償金の保障として「彦島を抵当として当方が租借したい」と提案したが、これにたいして上海の状況を自分の眼で見ていた晋作は、「租借」という言葉の概念をよく理解できないながらも、「租借とはその上海になることかと直感し」、彦島という小さな島をも租借はさせないという独立の気概を示していたのである。

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こうして司馬氏は、『世に棲む日日』において外国との交渉についての「情報」国民から「隠蔽」し、さらに安政の大獄に際しては「言論の自由」を奪って幕末の志士を弾圧した大老・井伊直弼の政策を激しく批判して処刑された師・松陰の志を受け継いで高杉晋作が立ち上がったと描いていました。

先にも見たように、今回の「法案」には修正された後もまだまだ多くの問題が残っています。

『世に棲む日日』に描かれた高杉晋作を尊敬すると語った安倍首相には、党内から「変節」した「腰抜け妥協派」と見られようとも、海外からも強い批判の声が出ているこの「特定秘密保護法案」を、「国家」と「国民」のために廃案とし、次回の国会で慎重に審議することを決断すべきでしょう。 

(2016年2月10日。リンク先を追加。2017年8月4日、論旨を明確にするために一部改訂し、書影を追加)。

 

関連記事一覧

司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

「リレートーク 表現の自由が危ない!」を「新着情報」に掲載しました

「日本ペンクラブ×自由人権協会×情報公開クリアリングハウス」の共催で、「シンポジウム国家秘密と情報公開第3弾」としてリレートーク 表現の自由が危ない!」が12月6日に行われます。

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「特定秘密保護法案」に対する反対の機運がここにきて急速に盛り上がってきており、今朝の「東京新聞」朝刊ではノーベル賞受賞者を含む国内の著名学者らが結成した「特定秘密保護法案に反対する学者の会」は三日、法案の廃案を求める声明に賛同する学者が、呼び掛けから一週間で二千六人に達したと発表したことが掲載されています。

高畑勲、山田洋次の両監督ら五人が連名で、「映画を愛する皆さんが反対の声を上げてくださるよう、心から呼びかけます」との文章を作成し、「日本の映画監督や俳優ら二百六十九人が三日、特定秘密保護法案に反対するよう、映画人やファンに求める呼びかけ文を発表した」との記事も載っています。

また、「特定秘密保護法案に反対する医師と歯科医師の会」や、「特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会(略称:表現人の会)」も声を上げています。

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このような国民の反対運動の高まりに対して、政府与党は聞く耳を持たないどころか、むしろこの「法案」の実態が一般のサラリーマンや若者に知られて批判が高まることを恐れるかのように、さらに急いで強行採決をする姿勢を見せています。

なぜこれほどに政府与党は採決を急がねばならないのでしょうか。

明治初期の「新聞紙条例」や「治安維持法」だけでなく、戦後の脱原発運動に対する水面下の弾圧と隠蔽工作を考慮するならば、「テロ」対策を口実にしたこの「法案」が目指しているのは、政府与党が国民の税金による莫大な予算をつぎこんで行ってきた原発問題の失態を「隠蔽」することも大きな目的の一つではないかとさえ思えます。

「権力者」に情報が集中するように作成されている今回の法案では、「国家秘密」だけでなく「与党」の腐敗も隠蔽できるような「与党秘密保護法案」の性格も持っているように感じます。

政府与党は国民の疑念と不安をきちんと解消したうえで、採決にのぞむべきでしょう。 

見えてきた「政権担当者」の本音――幕末の言論弾圧と「特定秘密保護法案」

 

ここのところ自分の仕事をする時間がなく、焦っています。

しかし、衆議院で明治8年に成立した『新聞紙条例』(讒謗律)にも勝るような「悪法」と思われる「特定秘密保護法案」が強行採決されてから国会の会期末までの時間は、これからの国家の行く末をも左右することになります。

それゆえ、なんとか時間を捻出してブログ記事を書き続けることにします。

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今朝の新聞各紙は、自民党の石破茂幹事長が11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と記していたことを報じています。

これらの新聞記事が厳しく批判しているようにこれは本末転倒であり、彼らが自分の忙しい時間を割いてデモをしているのは、民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法案」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらには権力者の不正をも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきているからです。

今回の石場幹事長の記述は、国際的ないくつもの機関が指摘していたように、政権の担当者が「政権を厳しく批判する言動」をも「テロ行為」とみなすようになることを端的に示しているでしょう。

ブログ記事「「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)で書いたことの一部を再掲することで、司馬遼太郎の研究者の視点からこの法案の危険性を再度、訴えたいと思います。

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「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(第3巻「分裂」)。

 そして司馬氏は、「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」と書いています(下線引用者、第5巻「明治八年・東京」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

司馬氏はここで「旧幕以上の厳格さ」と書いていますが、「国民」には秘密裏に外国との交渉を進めた幕府の大老井伊直弼は、幕末の志士からの批判を押さえるために大弾圧を行い、それが激しい討幕運動を呼び起こしたのです。

そのような井伊直弼の政策と比較することで、司馬氏は明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が西南戦争を引き起こす原因の一つになったことを示唆していたと思えます。

急に提出されて、きちんとした国民的な議論もないままに強行採決された「特定秘密保護法案」もこのような危険性をはらんでいます。

一昨日の当ブログでは研究者の方々に廃案を訴えましたが、戦争の悲惨さを知っている自民党の良識ある代議士や、平和を党是としてきた与党公明党の代議士にも、この法案が内在している危険性を認識して頂き、廃案にすることを強く訴えたいと思います。

「改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

 

「特定秘密保護法」の修正案についての「国会」での討議もほとんどないままに、政府・与党は明日25日にもこの法案の衆議院での通過を目論んでいるようです。

この記事を急いで書くことで「事実」を改竄したり隠したりすることをNHKに強いるような安倍政権には、この法案を提出する資格が欠けていることを示すことにします。

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『坂の上の雲』の大河ドラマ放映については、放映権を与えた遺族の方々を批判することになるとも考えて、書くことを控えてきました。

しかし、長編小説『坂の上の雲』が改竄されて放映されたことは、信頼して放映権を譲った遺族の方々へのNHK側の裏切りにもあたると思えます。

政権側に媚びているとしか思えないNHKの報道姿勢を問い質す意味でもやはり「映画・演劇評」のページに記事を掲載することにしました。