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10月

「著書・共著」のページの『「竜馬」という日本人ーー司馬遼太郎が描いたこと』を著書一覧にリンクしました

「著書・共著」のページの『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』を著書一覧にリンクして図版を取り込みました。

それとともに著書紹介のページでも図版を取り込むとともに、目次を詳しいものと差し替えました、

「著書・共著」のページの「著書一覧」を改訂し、リンクとカテゴリーの機能を取り入れました

標記の記事を「著書・共著」のページに掲載しました。

書評や紹介をして頂いた方と掲載誌も掲載しました。ご執筆頂いた方々にはこの場をお借りして御礼申し上げます。

  急いで作成したために、抜けているものや見落としている書評などもあると思いますので、お知らせ頂ければ幸いです。

 

「映画《白痴》から映画《生きる》へ」を「映画・演劇評」のページに掲載しました

先ほどブログ記事に書いた劇団・藝術座の結成百周年記念イベントの紹介記事で、黒澤映画《生きる》でも用いられている「ゴンドラの唄」に言及しました。

この唄が最初に歌われたのはツルゲーネフの長編小説を劇化した《その前夜》でしたが、祖国独立への理想に燃えるブルガリアからの留学生と若いロシア人たちとの友情、そして女主人公との愛を描いたこの長編小説は、私が遠いブルガリアへの留学を決意するきっかけになった小説でもありました。それゆえ、劇団・藝術座のことを知ることができるこのイベントに今から少し興奮しています。

その「ゴンドラの唄」を映画《生きる》の中で用いている黒澤監督の選曲の妙には感心させられましたが、私自身はこの映画の内容は長編小説『白痴』と深い関連を持っており、できれば映画《白痴》と連続して見るべきだと考えています。

拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』からの引用になりますが、その理由を記した箇所を「映画・演劇評」に掲載しました。

「島村抱月と松井須磨子の藝術座百年」を記念したイベントのお知らせを「新着情報」のページに掲載しました

黒澤映画《生きる》では、俳優の志村喬がブランコに乗りながら歌ったことで、今も愛唱されている「ゴンドラの唄」や、劇『復活』の劇中歌として用いられて爆発的なヒット曲となった「カチューシャの唄」などで知られる劇団・藝術座が今年で結成百周年に当たります。

日本の演劇に大きな影響をおよぼした島村抱月主宰の劇団・藝術座の結成百周年を記念したイベントの記事を「新着情報」のページに掲載しました。

 

《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志

アニメ映画《風立ちぬ》が「国内の映画ランキング」の一位の座から去ったことで、早くも話題は次の映画に移り始めているようにみえます。

しかし、アニメ映画というジャンルで、文明史家とも呼べるような雄大な視野を持った司馬遼太郎氏の志を表現していると思えるこの作品については、きちんと語り続けていかねばならないでしょう。

 宮崎駿監督が「書生」として司会を務めた鼎談集『時代の風音』(朝日文庫、1997)で司馬氏は、20世紀の大きな特徴の一つとして「大量に殺戮できる兵器を、機関銃から始まって最後に核まで至るもの」を作っただけでなく、「兵器は全部、人を殺すための道具ながら、これが進歩の証(あかし)」とされてきたことを厳しく批判していました(「二十世紀とは」)。

注目したいのは、映画の終わり近くでノモンハンの草原とそこに吹く風が描かれていることです。この場面を見たときに、司馬氏の作品を評論という方法で論じてきた私は、宮崎監督が司馬氏の深く重たい思いを見事に映像化していると感じ、熱い思いがこみ上げてきました。

 *   *   *

司馬氏は賞賛される一方で、批判されることも多い作家でしたが、司馬作品を比較的好意的に見ている人の中にも、ことに晩年には「参謀本部」や「統帥権」の問題を鋭く分析している司馬氏が、いろいろと批判しながらノモンハンの戦車部隊をテーマにした長編小説を書かなかったことには疑問をもっている方が多いようです。

しかし、司馬氏は「書かなかった」のではなく、「書けなかった」のです。この点については誤解している方も多いと思われるので、最近〔「書かなかったこと」と「書けなかったこと」〕と題するエッセーを書きました。(同人誌『全作家』第91号)。ここではその一部を引用することで、「ノモンハンの草原に吹く風」が描かれたシーンを見たときの私の熱い思いの説明に代えたいと思います。

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「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、「ノモンハンは結果として七十数パーセントの死傷率」だったが、それは「現場では全員死んでるというイメージです」と作家・井上ひさし氏との対談で語るとともに、連隊長として実際に戦闘に参加した須見新一郎元大佐の証言をとおして、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と指摘し、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよと命じた」ことを紹介している(『国家・宗教・日本人』)。

「このばかばかしさに抵抗した」須見元大佐が退職させられたことを指摘した司馬氏は、彼のうらみはすべて「他者からみれば無限にちかい機能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしない」、「参謀という魔法の杖のもちぬしにむけられていた」と書いている(『この国のかたち』・第一巻)。

こうして「ノモンハン事件」を主題とした長編小説は、『坂の上の雲』での分析を踏まえて、「昭和初期」の日本の問題にも鋭く迫る大作となることが十分に予想された。しかしこの長編小説の取材のためもあり、司馬氏が元大本営参謀でシベリアでの強制労働から戻ったあとには、商事会社の副社長となり再び政財界で大きな影響力を持つようになった瀬島龍三氏と対談をしたことが、構想を破綻させることになった。

すなわち、『文藝春秋』の昭和四十九年正月号に掲載されたこの対談を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」とする絶縁状を送りつけ、さらに「これまでの話した内容は使ってはならない」とも付け加えていた(「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

この話について記した元編集者の半藤一利氏は、「かんじんの人に絶縁状を叩きつけられたことが、実は司馬さんの書く意欲を大いにそぎとった」のではないかと推測している。また、小林竜夫氏は須見元大佐がこの長編小説の主人公だったのではないかと考え、「須見のような人物を登場させることはできなく」なったことが、小説の挫折の主な理由だろうと想定している(『モラル的緊張へ――司馬遼太郎考』)。

たしかに、惚れ込んだ人物を調べつつ歴史小説を書き進めていた司馬のような作家にとって主人公を失うことは大きく、小説は「書けなくなった」と思えるのである。

  *    *   *

アニメ映画を見ていたときは、広い草原を見て司馬氏がたびたび言及している蒙古の草原のようだと漠然と感じていたのですが、半藤一利氏との対談で宮崎監督は次のように語っていたのです。

「少年時代の堀越二郎の夢に出て来る草原は、空想の世界の草原です。でも、終わりの草原は現実で、『あれはノモンハンのホロンバイル草原だよ』ってスタッフに言っていた」(『腰抜け愛国談義』文春ジブリ文庫)。

その記述を読んだ時には、宮崎監督が映像をとおして作家・司馬遼太郎氏の志を受け継ぎ、表現していると改めて強く思いました。

(2015年11月4日。訂正と追加)。

ゴロソフケル著、木下豊房訳『ドストエフスキーとカント――「カラマーゾフの兄弟」を読む』(みすず書房、1988年)を「書評・図書紹介」に掲載しました

標記の著書の書評を「書評・図書紹介」に掲載しました。

 だいぶ前に書いたもので、書評というよりも詳しい図書紹介といった性質が強いのですが、
拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』における良心の問題の分析でも影響を受けており、
私にとっては重要な考察の一つです。
最近の日本においてはドストエフスキー作品の考察が、
売ることを重視した興味本位の「謎解き」に流される傾向が強くなっているようなので、
哲学的な考察を含む少し難しい内容ですが、
『カラマーゾフの兄弟』の深さと本当の面白さを知るためには、
若い読者にもぜひ読んでもらいたいと思っています。

長編小説『白痴』から戯曲『三人姉妹』へ――劇《三人姉妹》の感想を「映画・演劇評」に掲載しました

すでに先月の出来事になってしまいましたが、9月17日に俳優座で《三人姉妹》を見ました。

小劇場での上演という事で最初はロシアの広大な空間の感覚が損なわれるのではないかと少し心配していました。

演出家・森一氏のユニークな状況設定もあり、劇が始まると次第に違和感は消えて、最後は俳優たちの息づかいも感じられる小劇場の醍醐味を満喫しました。

しかも、「ドストエーフスキイの会」ではドストエフスキー作品とチェーホフとの関係についてもたびたび取り上げられてきましたが、私も地方貴族の娘たちの生活が描かれたチェーホフの『三人姉妹』では、エパンチン家の三姉妹の孤独と苦悩をとおして貴族社会の腐敗が痛烈に批判されていた長編小説『白痴』のテーマが受け継がれていると感じていました。

今回見た劇団俳優座のこの劇からも三人姉妹の孤独と決意のテーマが強く伝わってきましたので、記憶が薄れている箇所もありますが、劇から受けた印象を「映画・演劇評」に簡単に記しておきます。