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『カラマーゾフの兄弟』

「不注意な読者」をめぐって(2)――岡潔と小林秀雄の『白痴』観

 

一、 小林秀雄の『白痴』論と三種類の読者

小林秀雄氏の『白痴』論を何度か読み直す中で強い違和感を抱くようになった最初のきっかけは、小林氏が読者を「注意深い読者」と「多くの読者」、「不注意な読者」の三種類に分類していることであった(〔〕内のアラビア数字は、『小林秀雄全集』(第6巻、新潮社)のページ数を示す)。

すなわち、1934年9月から翌年の10月まで連載した「『白痴』について1」で、「ムイシュキンはスイスから帰つたのではない。シベリヤから還つたのだ」と繰り返し強調した小林氏は、「『罪と罰』の終末を仔細に読んだ人は、あそこにゐるラスコオリニコフは未だ人間に触れないムイシュキンだといふことに気が付くであろう」と書き〔82~83〕、さらに死刑について語った後でムィシキンが「からからと笑ひ出し」たことを、「この時ムイシュキンははや魔的な存在となつてゐる」と説明し、「作者は読者を混乱させない為に一切の説明をはぶいてゐる」ので、「突然かういふ断層にぶつかる。一つ一つ例を挙げないが、これらの断層を、注意深い読者だけが墜落する様に配列してゐる作者の技量には驚くべきものがある」と続けていた〔下線引用者、90~91〕。

これらの解釈には重大な問題があるが、1937年に発表した「『悪霊』について」で小林氏は「スタヴロオギンは、ムイシュキンに非常によく似てゐる、と言つたら不注意な読者は訝るかも知れないが、二人は同じ作者の精神の沙漠を歩く双生児だ」と断言して〔下線引用者、158~159〕、自分の読み方とは異なる読み方をする者を「不注意な読者」と決めつけていた。

この他に小林氏は、「夢の半ばで目覚める苦労は要らない」ような一般的な「多くの読者」にも言及している〔96〕。

そのような小林氏の読み方からは、人間を「非凡人」「凡人」「悪人」の三種類に分類していた知識人ラスコーリニコフの「非凡人の理論」との類似性が感じられ、小林氏の解釈に疑いを抱くようになったのである。

二、「沈黙」あるいは「無視」という方法

ここで注目したいのは、自分の読み方とは異なる読み方をする「不注意な読者」との論争の際に、小林氏が自分の気に入らない主張や相手の質問に対しては、「沈黙」という方法により無視して、自分の考えのみを主張するという方法をとっていたことである。

そのような方法が数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社)からも感じられる。ここでは具体的に引用することで、ムィシキンを好きだと率直に語っていた岡氏が、「専門家」の小林に言い負かされていく様子を分析することにする。

この対談が行われたのは、『「白痴」について』(角川書店)が単行本として発刊された1964年5月の翌年のことであり、10月に雑誌『新潮』に掲載された(〈〉内のアラビア数字は、文庫本『人間の建設』(新潮社)のページ数を示す)。

『白痴』が好きだった岡潔氏はこの対談で、「ドストエフスキーの特徴が『白痴』に一番よくでているのではないかと思います」とすぐれた感想を直感で語っていた〈85〉。

これに対して小林秀雄氏はなぜ岡氏がそう思ったかを尋ねることをせずに、「ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で、狡猾なところがあるのです」と早速、厳しい反論をしている〈87〉。それを聞いた岡氏が、「それにしてもドストエフスキーが悪漢だったとはしらなかった」と語ると、小林氏はさらに「悪人でないとああいうものは書けないですよ」と言葉を連ねて説明している。

それに対して岡氏は、「そうですか。悪人がよい作品を残すとは困ったのですな」という率直な感想を漏らしている〈90〉。

このような経過を読むと、一方的に自分の読み方を批判されている岡氏に同情したくなるが、小林氏は矛を収めずにさらに「『白痴』もよく読むと一種の悪人です」と発言して「不注意な読者」を戒め、「ムイシキン公爵は悪人ですか」と問いただされると、「悪人と言うと言葉は悪いが、全く無力な善人です」と言い直した小林氏は、前年に発行した『白痴』論で、「お終ひに、不注意な読者の為に注意して置くのもいゝだろう」という言葉の後の文言を繰り返すかのように次のように発言している。

「小説をよく読みますと、ムイシキンという男はラゴージンの共犯者なんです。ナスターシャを二人で殺す、というふうにドストエフスキーは書いています。…中略…あれは黙認というかたちで、ラゴージンを助けているのです」。

そして小林氏は、「これは普通の解釈とはたいへん違うのですが、私は見えたとおりを見たと書いたまでなのです」と文芸評論家としての権威を背景にして語り、こう諭している。

「作者は自分の仕事をよく知っていて、隅から隅まで計算して書いております。それをかぎ出さなくてはいけないのです。作者はそういうことを隠していますから」(下線引用者)。

これに対して自分のことを専門家ではない「多くの読者」の一人と感じていた岡氏は、「なるほど言われてみますと、私はただおもしろくて読んだだけで、批評の目がなかったということがわかります」と全面的に自分の読みの浅さを認めてしまっていた。

三、長編小説『白痴』の解釈とイワンの「罪」の「黙過」

ただ、岡氏は「悪人」が書いたそのような作品を「なぜ好きになったかという自分をいぶかっているのです」と続けていた〈100〉。ガリレオが裁判で自分の間違いを認めた後で「それでも地球は回る」とつぶやいたように、岡氏のつぶやきは重たい。果たして岡氏の読みは間違っていたのだろうか。

注目したいのは、「ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で、狡猾なところがあるのです」と語っていた文芸評論家の小林氏が、小説の構造の秘密を「かぎ出さなくてはいけないのです。作者はそういうことを隠していますから」と主張していたことである。

しかし、小林氏は本当に「作者」が「隠していること」を「かぎ出した」のだろうか、「狡猾なところがある」のはドストエフスキーではなく、むしろ論者の方で、このように解釈することで、小林氏は自分自身の暗部を「隠している」のではないだろうか。

このように感じた一因は、岡氏との対談でムィシキンを「共犯者」と決めつけた小林氏が、その後で『白痴』論から話題を転じて、ドストエフスキーは「もっと積極的な善人をと考えて、最後にアリョーシャというイメージを創(つく)るのですが、あれは未完なのです。あのあとどうなるかわからない。また堕落させるつもりだったらしい」と続けていたことにある(下線引用者)。

なぜならば、「『白痴』についてⅠ」で「キリスト教の問題が明らかに取扱はれるのを見るには、『カラマアゾフの兄弟』まで待たねばならない」と書いていた小林氏は、太平洋戦争直前の1941年10月から書き始めた「カラマアゾフの兄弟」(~42年9月、未完)では、「今日、僕等が読む事が出来る『カラマアゾフの兄弟』が、凡そ続編といふ様なものが全く考へられぬ程完璧な作と見えるのは確かと思はれる」と書き、「完全な形式が、続編を拒絶してゐる」と断言していたからである〔170〕。

よく知られているように、長編小説『カラマーゾフの兄弟』では自殺したスメルジャコフに自分が殺人を「指嗾」をしていたことに気づいたイワンが「良心の呵責」に激しく苦しむことが描かれている。一方、小林氏はこのことに触れる前に「カラマアゾフの兄弟」論を中断していた。

そのことを思い起こすならば、戦争中に文学評論家として「戦争」へと「国民」を煽っていたことを認めずに、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」と戦後に発言していた小林氏は、イワンの「罪」を「黙過」するために今度は『カラマーゾフの兄弟』の解釈を大きく変えたのではないかとさえ思えるのである。

*   *    *

キューバ問題で核戦争の危機が起きた1962年の8月には、アインシュタインと共同宣言を出したラッセル卿の「まえがき」が収められている『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房)が発行されていた。

それから3年後の1965年に行われてアインシュタインとベルグソンとの関係も論じられたこの対談は、「原子力エネルギー」や「道義心」の問題も含んでおり、福島第一原子力発電所の大事故が起きた現在、きわめて重たいので、稿を改めて考察することにしたい。

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

リンク→「不注意な読者」をめぐってーー黒澤明と小林秀雄の『白痴』観

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

 

「広場」23号合評会・「傍聴記」

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「広場」23号合評会を聴いて

                     

 7月19日の例会では『ドストエーフスキイ広場』第23号の論文を中心に合評会が行われた。紙面の都合から議論となった争点を中心に順を追って紹介していきたい。

 原口美早紀氏の論文「『白痴』におけるキリスト教思想」を論じた福井勝也氏は、ドストエフスキーの手紙を引用することで「ドストエフスキイのキリスト教思想はヨハネ福音書に多く依っている」ことを指摘したこの論文を高く評価する一方で、手紙の同じ箇所を引用しつつも小林秀雄が「ポジとしてのイエス」に対して「陰画(ネガ゙)としてのイエス」という視点を提示していたことを強調した。

 この論文に関してはもっとも注目されたのは、原口氏の視点で、『白痴』のムィシキンには「ヨハネ福音書」のイエス像と同じように「喜びの福音を伝える者」としての要素が大きく、またイッポリートが「弁明」を書いた理由も彼が「饗宴」を求めたからだろうとの解釈だった。この解釈は説得力があるという意見が目立った。

 高橋論文「『シベリヤから還った』ムィシキン」を論じた木下豊房氏は、E.H.カーが小林秀雄の視点に及ぼした影響はかなり強く、ナスターシャが「商人の妾」であることや「キリスト教への発心」の時期が『悪霊』以降であるという説をカーが書いていることを明らかにするとともに、「小林にとっての最大の関心事は、観念に憑りつかれた人間が、駆り立てられるようにカタルシスに向かってたどる心理的プロセス」であったと指摘し、小林のドストエフスキー論の背景に戦争に向かう当時の時代情況を見ようとすることやエウゲーニイにムイシキンの告発者としての役割などを見ることは「深読み」であろうとの批判がなされた。

 しかし、ムィシキンを「シベリヤから還った」者と規定した小林秀雄が、『罪と罰』論では殺人を犯した主人公には「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と記していたことやエヴゲーニイがプーシキンの愛読者でもあったことにも注意を払わねばならないだろう。「黒澤と小林を対比する方法によって、小林についていろいろ見えてくるものがあるのは確か」との指摘はきわめて重要だと思われた。

 大木昭男氏の論文「ドストエーフスキイとラスプーチン」を論じた近藤靖宏氏は、まず中編小説『火事』が書かれたのが、チェルノブイリ原発事故があったことに聴衆の注意を促すことで、この作品が書かれたソ連の時代状況を示し、『カラマーゾフの兄弟』の「ガラリアのカナ」におけるアリョーシャの体験の描写と比較しながら、『火事』でも実際の風景と心象風景が組み合わされて迫力のある描写になっていることを指摘した。

 その一方で、この作品で描かれている農村や主人公の情況が日本の読者には不明な点が多いので、二人の作家の内的な関係が今ひとつ分かりにくいとの感想もあったが、その点では論文では削除されていたが、報告では触れられていた『おかしな男の夢』における「覚醒」の問題や、『火事』でも頻出する「良心」という単語の役割がより明確になると二人の作家の比較が説得力をもったのではないかとの意見も出された。

 清水孝純氏の「ドストエフスキーとグノーシス」の予定していた論評者が出席できなくなったために、急遽、代役を引き受けられた木下氏は清水論文の問題提起を受けて「グノーシス主義にとって、善悪の問題は知による認識にかかわるもの」だが、ドストエフスキーにとって善悪の問題は、「信仰、不信仰の問題と深く結びついていて、人物創造の基軸をなしている」とし、作家が子供の頃に読み『カラマーゾフの兄弟』でもゾシマ長老に語らさせていた「「『旧・新約聖書の百四つの物語』という美しい絵入りの本」にも収められていた「ヨブ記」の重要性を指摘した。

 すでに字数を大幅に越えたが、主人公たちの娼婦に対する言説を考察した西野常夫氏の「椎名麟三の『地下室の手記』論と『深尾正治の手記』」のテーマがきわめて深い内容であり、椎名麟三への関心もあるので、ぜひ例会での発表をお願いして質疑応答をゆっくりとしたいとの言葉が印象に残った。

 残念ながら、当日の参加者は少なかったが、「ドストエーフスキイの会」を活性化するためにも、遠方の会員も参加しやすいような形が模索されるべき時期に来ているのではないかと感じられた。

 

あとがきに代えて──小林秀雄と私

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あとがきに代えて──小林秀雄と私

 

 「告白」の重要性に注意を払うことによって知識人の孤独と自意識の問題に鋭く迫った小林秀雄のドストエフスキー論は、それまで高校の文芸部で小説のまねごとのような作品を書いていた私が評論という分野に移行するきっかけになった。原作の文章を引用することにより作品のテーマに迫るという小林秀雄の評論からは私の文学研究の方法も大きな影響を受けていると思える。

 『カラマーゾフの兄弟』には続編はありえないことを明らかにしていただけでなく、「原子力エネルギー」の危険性も「道義心」という視点から批判していた小林の意義はきわめて大きい。

 しかし「『罪と罰』についてⅠ」で、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と書いた小林秀雄が、「『白痴』についてⅠ」で「ムイシュキンはスイスから帰つたのではない、シベリヤから還つたのだ」と記していたことには強い違和感を覚えた。

 さらに、小林秀雄のドストエフスキー論を何度も読み返す中で、原作から多くの引用がされているがそこで記されているのは小林独自の「物語」であり、これは「創作」ではないかという深刻な疑問を持つようになった。

 ただ、これまで上梓した著作でほとんど小林秀雄に言及しなかったのは、長編小説『白痴』をきちんと読み解くことが意外と難しく、イッポリートやエヴゲーニーの発言に深く関わるグリボエードフの『知恵の悲しみ』やプーシキンの作品をも視野に入れないとムィシキンの恩人やアグラーヤの名付け親など複雑な人物構成から成り立っているこの長編小説をきちんと分析することができないことに気づいたためである。

 『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、二〇一一年)でようやく黒澤監督の映画《白痴》を通してこの長編小説を詳しく分析したが、小林秀雄のドストエフスキー論について言及するとあまりに議論が拡散してしまうために省かざるをえなかった。

 少年の頃に核戦争の危機を体験した私がベトナム戦争のころには文学書だけでなく宗教書や哲学書なども読みふけり、『罪と罰』や『白痴』を読んで深い感銘を受けたことや、『白痴』に対する私の思いが揺らいだ際に「つっかえ棒」になってくれたのが黒澤映画《白痴》であったことについては前著の「あとがき」で書いた。ここでは簡単に小林秀雄のドストエフスキー論と私の研究史との関わりを振り返っておきたい。

 *    *  *

  小林秀雄は、戦後に書いた「『罪と罰』についてⅡ」で、「ドストエフスキイは、バルザックを尊敬し、愛読したらしいが、仕事は、バルザックの終つたところから、全く新に始めたのである」と書いた。そして、「社会的存在としての人間といふ明瞭な徹底した考へは、バルザックによつてはじめて小説の世界に導入されたのである」が、「ドストエフスキイは、この社会環境の網の目のうちに隈なく織り込まれた人間の諸性格の絨毯を、惜し気もなく破り捨てた」と続けていた。〔二四八〕

 しかし、知識人の自意識と「孤独」の問題を極限まで掘り下げたドストエフスキーは、バルザックの「社会的存在としての人間」という考えも受け継ぎ深めることで、「非凡人の理論」の危険性などを示唆していた。この文章を読んだときには小林が戦争という悲劇を体験したあとでも、自分が創作した「物語」を守るために、原作を矮小化して解釈していると感じた。

  それゆえ、修士論文「方法としての文学──ドストエフスキーの方法をめぐって」(『研究論集 Ⅱ』、一九八〇年)では、感覚を軽視したデカルト哲学の問題点を批判していたスピノザの考察にも注意を払いながら、社会小説の側面も強く持つ『貧しき人々』から『地下室の手記』を経て『白痴』や『未成年』に至る流れには、シェストフが見ようとした断絶はなく、むしろテーマの連続性と問題意識の深まりが見られることを明らかにしようとした。

  上梓した時期はかなり後になったが、厳しい検閲制度のもとで戦争の足音が近付く中で、なんとか言論の自由を確立し農奴制を改革しようとしたドストエフスキーの初期作品の意味をプーシキンの諸作品などとの関わりをとおして考察した『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、二〇〇七年)には、私の大学院生の頃の問題意識がもっとも強く反映されていると思える。

 ラスコーリニコフの「罪の意識と罰の意識」については、「『罪と罰』における「良心」の構造」(『文明研究』、一九八七年)で詳しく分析し、その論文を元に国際ドストエフスキー学会(IDS)で発表を行い、そのことが機縁となってイギリスのブリストル大学に研究留学する機会を得た。イギリスの哲学や経済史の深い知識をふまえて、『地下室の手記』では西欧の歴史観や哲学の鋭い批判が行われていることを明らかにしていたピース教授の著作は、後期のドストエフスキー作品を読み解くために必要な研究書と思える(リチャード・ピース、池田和彦訳、高橋編『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』のべる出版企画、二〇〇六年)。

 この時期に考えていた構想が『「罪と罰」を読む──「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、一九九六年、新版〈追記――『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』〉、二〇〇〇年)につながり、そこでラスコーリニコフの「良心」観に注意を払いつつ、「人類滅亡の夢」にいたる彼の夢の深まりを考察していたことが、映画《夢》の構造との類似性に気づくきっかけともなった。

 日露の近代化の類似性と問題点を考察した『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、二〇〇二年)でも、雑誌『時代』に掲載された『虐げられた人々』、『死の家の記録』、『冬に記す夏の印象』などの作品を詳しく分析することで小林秀雄によって軽視されていた「大地主義」の意義を示そうとした。

 プーシキンの『ボリス・ゴドゥノフ』については授業では取りあげていたが、僭称者の問題を扱う予定の『悪霊』論で本格的に論じようとしていたためにこれまで言及してこなかった。今回、この作品における「夢」の問題にも言及したことで、『罪と罰』から『悪霊』に至る流れの一端を明らかにできたのではないかと考えている。

 「テキスト」という「事実」を自分の主観によって解釈し、大衆受けのする「物語」を「創作」するという小林の方法は、厳しい現実を直視しないで威勢のよい発言をしていた鼎談「英雄を語る」*などにおける歴史認識にも通じていると思える。このような方法の問題がきちんと認識されなければ、国民の生命を軽視した戦争や原発事故の悲劇が再び繰り返されることになるだろう。

 「『罪と罰』をめぐる静かなる決闘」という副題が浮かんだ際には、少し大げさではないかとの思いもあった。しかし、本書を書き進めるにつれて、映画《白痴》が小林の『白痴』論に対する映像をとおしての厳しい批判であり、映画《夢》における「夢」の構造も小林の『罪と罰』観を生涯にわたって批判的に考え続けていたことの結果だという思いを強くした。黒澤明は映画界に入る当初から小林秀雄のドストエフスキー観を強く意識しており、小林によって提起された重たい問題を最後まで持続して考え続けた監督だと思えるのである。

 時が経つと不満な点も出て来るとは思うが、現時点では本書がほぼ半世紀にもわたる私のドストエフスキー研究の集大成となったのではないかと感じている。

 黒澤明監督を文芸評論家・小林秀雄の批判者としてとらえることで、ドストエフスキー作品の意義を明らかにしようとした本書の方法については厳しい批判もあると思うので、忌憚のないご批判やご助言を頂ければ幸いである。

 

注 1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたのである。この小林の言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示していた。(「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁((不二出版、復刻版、2008~2011年)。

(2014年5月3日、注の加筆:7月14日)

 

堀伸雄氏の「黒澤明と『カラマーゾフの兄弟』に関する一考察」を聴いて

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堀伸雄氏の「黒澤明と『カラマーゾフの兄弟』に関する一考察」を聴いて

今回の例会は3月22日に行われたが、冒頭で堀氏は翌日の23日が黒澤監督の誕生日に当たるので、当日は監督が生きておられたら映画《夢》の第八話「水車のある村」の老人(笠智衆)と同じ103歳の最後の日にあたることを紹介した。

黒澤明監督の映画《白痴》については、1975年にこの会でも鑑賞会が開かれるなど関心が高いが、それ以外の作品におけるドストエフスキーとの関係については、《どですかでん》の発表以外はなかったと思われる。

『黒澤明 夢のあしあと』(黒澤明研究会編・共同通信社・1999年)の編纂に参加されていた堀氏は、発表の前半では、『藝苑』(厳松堂書店、1946年)に掲載された「わが愛読書」で、黒澤がトルストイとドストエフスキー、そしてバルザックを挙げていたことや、『死の家の記録』の映画化も真剣に考えていたことなどを地道な調査にも基づいて明らかにした。さらに、ポリフォニーやカーニバルの手法にも注目しながら、黒澤監督の「憐憫」と「直視」の精神とドストエフスキー作品との深いつながりを指摘した。

後半では『カラマーゾフの兄弟』の続編におけるアリョーシャのその後を描いてみたいと語った黒澤の言葉に注目しながら、日本における『カラマーゾフの兄弟』の受容と「続編構想の日本への伝搬」について詳しく分析したあとで、《乱》(1985公開)およびシナリオ『黒き死の仮面』(未映画化・1977)と『カラマーゾフの兄弟』のシナリオの一部をテキストとして検証した。

私にとって興味深かったのは、「語り手」の問題の重要性に注意を促しながら、「アリョーシャを主人公とする続編」の問題点について指摘した木下氏の質問であった。実際、アリョーシャがその後、皇帝の暗殺を目指す革命家になるという説を認めると、『カラマーゾフの兄弟』の本編で描かれていた「殺すこと」を批判したアリョーシャ像を否定せざるをえなくなると思える。さらに、尊敬する師ゾシマの死体が発した死臭によって、「精神的な死」の危機を経験しながらも、大地への接吻で「復活」していたアリョーシャが再び「復活」することは不自然でもあるだろう。

発表者の堀氏も『カラマーゾフの兄弟』の「続編」という微妙なテーマを論じつつ、想像を膨らませるのではなく冷静なテキストの分析をとおして、信仰の問題や「神の存在」についての議論もある《乱》や『黒き死の仮面』と、『カラマーゾフの兄弟』との構造や「大審問官」などのテーマとの類似性を明らかにした。

最後の場面でのアリョーシャの台詞が《まあだだよ》の先生が語るメッセージの手法につながるという指摘は、ロシアの映画人からも高く評価された映画《白痴》を撮った黒澤監督の『カラマーゾフの兄弟』理解の深さをも示唆していると思えた。

堀氏は結論の箇所で、ドストエフスキーから受け継いでいると思える黒澤明の「直視の姿勢」が「核」や「環境」への関心とも深く結びついていることを確認し、映画《生きものの記録》などの重要性にも言及した。

シナリオ『黒き死の仮面』についてはあまり知られていなかったこともあり、映画評論家リチーの映画《白痴》観についての鋭い質問が出たほかは、会場での質問は残念ながら少なかったが、緻密に構成された発表と視覚的でかつ具体的な配付資料により、分かりやすく知的刺激に富む発表だった。それはバルザックと黒澤明についてなどのさまざまな質問が飛び交って盛り上がった懇親会にも反映していたと思える。

 

大木昭男氏の「ドストエーフスキイとラスプーチン」を聴いて

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大木昭男氏の「ドストエーフスキイとラスプーチン ――中編小説『火事』のラストシーンの解釈」を聴いて

今回の発表は、イタリアの国際的文学賞を受賞した短編などを収録した作家ラスプーチンの短編集『病院にて――ソ連崩壊後の短編集』〈群像社〉の翻訳を公刊したばかりの大木氏の発表であった。

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ラスプーチンとは個人的にも旧知の間柄である大木氏は、波乱にとんだ作家の人生を略年譜で分かりやすく説明しながら、中編小説『火事』のラストシーンでの「永遠に姿を消してしまう」という描写の謎に鋭く迫った。ことに、宮沢俊一訳を踏まえて新らしく訳出した最終章の朗読は、重厚で深い陰影と示唆に富む文体をとおして、ラスプーチン自身の生の声を聞くような感さえあり、聴衆の深い共感を呼んで『火事』全体を大木訳で読んで見たいという感想も出たほどであった。

そして、正教における「復活」の重要性を強調した氏は、ラスプーチンも洗礼を受けて正教徒となっていることに注意を促して、『火事』の主人公と『カラマーゾフの兄弟』の「ガリラヤのカナ」におけるアリョーシャの体験の描写との類似性を指摘した。さらに、大木氏はドストエフスキーが1864年のメモで人類の発展を、1,族長制の時代、2,過渡期的状態の文明の時代、3,最終段階のキリスト教の時代の三段階に分類していたことを指摘し、『火事』とドストエフスキーの『おかしな男の夢』の構造を比較することで、その共通のテーマが「己自らの如く他を愛せよ」という認識と「新しい生」への出発ということにあると述べた。

特に私が関心を持ったのは、『白痴』における「サストラダーニエ(共苦)」という用語や「美は世界を救う」というテーマの重要性を強調した氏が、ムィシキンを「シベリアから還った」とする小林秀雄の解釈には無理があり、むしろ未来の「キリスト教の時代」から来たと言うほうが適切だろうと批判した点である。

たしかに、芦川進一氏が指摘するように「『白痴』Ⅱ」に記された「聖書には、生きる事に関する、強い素朴な一種異様な畏敬の念が一貫していて、これが十字架のキリストに至って極まっている様に見える」という文章は名文で心に深く残る。しかし、第3章に記されたこの文章は、第9章の「『キリスト公爵』から、宗教的なものも倫理的なものも、遂に現れはしなかった。来たものは文字通りの破局であって、これを悲劇とさへ呼ぶ事はできまい」という文章へと続いているのである。小林秀雄のムィシキン観の問題は、今後の詳しい検討の課題といえるだろう。

「農村」の重要性を訴えた作家の視点に対しては、果たしてこのような価値が現代において意味を持ちうるのかという鋭い質問も出されたが、「原発などによるすさまじい環境破壊」で「人類が危機的状況」にある一方で、夢物語のように思われていた自然エネルギーは、科学の発展によって可能性を増大させている。ドストエフスキーが唱えた「大地(土壌)主義」とその問題意識を現代に受けついでいる作家ラスプーチンとその作品の意味はきわめて大きいと思える。

「ドストエーフスキイの会 ニュースレター」117号

 (201年1月12日改訂、2015年3月26日、「ドストエーフスキイの会」〈第215回例会傍聴記〉より改題)。