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芥川龍之介

「黒澤明・小林秀雄関連年表」を更新して、「年表」のページに掲載しました

 

「黒澤明・小林秀雄関連年表」(ドストエフスキー論を中心に)を更新して「年表」のページに掲載しました。

昨年の12月に掲載した年表では、『罪と罰』の「非凡人の理論」の理解とも関わる小林秀雄の1940年の『我が闘争』の書評(1940)や、「英雄を語る」と題して行われた鼎談などには触れていませんでした。

近日中にそれらも含めた年表を作成する予定ですと記していましたが、拙著の執筆に時間がかかり、ようやくそれらも追加することができました。

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この間に、年表など多くの点で依拠させて頂いていた『大系 黒澤明』の編者の浜野保樹氏の訃報が届きました。

黒澤明研究の上で大きな仕事をされた方を失ったという喪失感にも襲われます。心からの哀悼の意を表します。

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文芸評論家の小林秀雄は非常に大きな存在で、仕事は日仏の文学や思想、さらに絵画論や音楽論など多岐に及んでいますが、年表ではドストエフスキー論を中心に拙著の内容と関わる事柄に絞って記載しました。

ただ、例外的に芥川龍之介論にも言及しているのは、小林秀雄の歴史認識のもっとも厳しい批判者の一人と思われる司馬遼太郎氏の小林秀雄観に関わるからです。

この問題も大きなテーマですので、いずれ稿を改めてこのブログでも書くようにしたいと考えています。

 

『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)を「著書・共著」に掲載しました

8月19日に書いた「《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影」では、作家の掘田善衛氏が長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でラジオから聞こえてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から受けた衝撃と比較しながら、クリミア戦争の前夜に書かれたドストエフスキーの『白夜』の美しい文章に何度も言及していたことにもふれました。

この自伝小説の最後の章で、主人公に芥川龍之介の遺書に記された「唯自然はかういふ僕にはいつもより美しい」という文章を思い浮かばせた掘田善衛氏は、その後で自分に死をもたらす「臨時召集令状」についての感想を記しています。このことに留意するならば、堀田氏は『白夜』という作品が日本の文学青年たちの未来をも暗示していると読んでいたようにも思えます。

実際、叙情的に見える内容を持つ小説『白夜』は、堀辰雄氏の『風立ちぬ』と同じような美しさとともに、戦争に向かう時代に対するしぶとさをも持っているのです。

拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』では、ドストエフスキーの青春時代とその作品に焦点を当てることによって、「大国」フランスとの「祖国戦争」に勝利したロシアが、なぜ「暗黒の30年」とも呼ばれるような時代と遭遇することになったのかを考察しました。

「著書・共著」のページには、ドストエフスキーの父とナポレオンとの関わりや父ミハイルと作家となる息子ドストエフスキーとの葛藤についてもふれた「はじめに」の抜粋とともに、詳しい「目次」も掲載しました。