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岩倉具視

安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉

【「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」(司馬遼太郎「歴史を動かすもの」1970年、『歴史の中の日本』中公文庫)。】

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

(日本国憲法施行記念切手、図版は「ウィキペディア」より

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日本国憲法施行70周年をむかえて(2017年1月)

昨年末に安倍首相とともに訪れた真珠湾で平和のメッセージを発していた稲田防衛相は帰国して靖国神社を参拝した後では「神武天皇の偉業に立ち戻り」、「未来志向に立って」参拝したと語っていました。

そして、安倍首相も伊勢神宮への参拝の後で、「国民の皆さまとともに、新しい国づくりを本格的に始動してまいります」と発言しましたが、沖縄や福島第一原子力発電所などの惨状を軽視している彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、戦前の価値観への回帰を目指している「日本会議」や「神社本庁」の意向であるのは明白であると思えます。

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昨年年1月に〈忍び寄る「国家神道」の足音〉を特集した「東京新聞」朝刊は「こちら特報部」でこう記していました。

「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ。そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば「安倍応援団」の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。…中略…神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう。」

宗教学者の島薗進氏もツィッターで、【疑わしい20条改正案 政教分離の意義再認識を】という題の「中外日報」(宗教・文化の新聞)の12/18社説を紹介して、「祭政一致」を掲げた明治維新が、「立憲政治と良心の自由を掘り崩した」ことを指摘していました。

リンク→http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2015/1218.html …

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しかし、昨年に続いて今年も憲法改正署名簿が、多くの人々が初詣に訪れる各地の神社に置かれているようですので、〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)〉と題した昨年の記事に「改憲署名簿」の写真を追加してアップしました。 また、副題も内容により近いものにしましたので、以下に、関連する記事のリンク先を再掲します。

Lelelenokeee (破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

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安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(1)――岩倉具視の賛美と日本の華族制度

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(4)――「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(5)――美しいスローガンと現実との乖離  

(2019年5月3日、改訂と改題)

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(1)――岩倉具視の賛美と日本の華族制度

Lelelenokeee

(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりました。

2016年1月11日付けの「東京新聞」朝刊によれば、安倍晋三首相は10日放送のNHK番組で、「おおさか維新もそうだが改憲に前向きな党もある」と指摘して、夏の参院選では自民、公明両党のほか、改憲に前向きな野党勢力と合わせて国会発議に必要な三分の二以上の議席確保を目指す考えを明言したとのことです。

この言葉は、安倍晋三氏の本音でしょう。

なぜならば、去年の2月13日に行った施政方針演説で、〈「日本を取り戻す」/ そのためには、「この道しかない」/ こう訴え続け、私たちは、2年間、全力で走り続けてまいりました。〉と語った安倍首相は、「憲法」の発布には懐疑的な一方で、帝政ロシアの貴族制に似た華族制度を考えていた公家出身の政治家岩倉具視に言及しながら、こう続けていたからです。

〈明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。 /  「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」

明治の日本人にできて、今の日本人にできない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、「戦後以来の大改革」に、力強く踏み出そうではありませんか。〉

岩倉具視を讃えたこの言葉を素直に読み解くならば、安倍氏が目指しているのは、「明治維新」に際して「神祇官」を復活させ、「廃仏毀釈」*を行ったきわめて神道色の強い政治であることは明らかだと思えます。

*注、「廃仏」は仏を破壊し、「毀釈」は、釈迦の教えを壊すという意味。明治政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に太政官布告(通称「神仏分離令」)が発せられたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破戒や僧侶の還俗強制などがおきた。この項は『広辞苑』を参照した。〉

それゆえ、このような安倍氏の姿勢に共感を寄せるおおさか維新の片山虎之助共同代表も同じ番組で、「憲法改正を考えている。できるだけ早く案をまとめたい」と自民党と連携して党改憲案を早期にまとめる考えを示し、日本のこころを大切にする党の中山恭子代表も参院選で改憲は「最重要課題だ」とし、「自主憲法を日本人の手で作り上げなければいけない」と述べたのも同じ理由からでしょう。

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一方、公明党・山口那津男代表は、このような安倍首相の政治姿勢を〈いきなり(改憲勢力で)3分の2を取って、憲法改正をしようというのは傲慢(ごうまん)だ〉とBSフジの番組で批判したとのことですが、NHKの番組ではいつものように大幅に後退し、「単に国会の中の数合わせだけでは済まない。おおさか維新のみならず、その他の野党も含めた幅広い合意形成の努力が重要だ」と首相をけん制したのみに留まったようです。

本当に「平和」や「憲法」を守ろうとするならば、「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」の二人にたいして「文化の日」に勲一等、「旭日大綬章」を贈った安倍政権の好戦的な姿勢や、彼らの作った案にそって「改憲案」を作っていると思われる自民党・安倍政権の「いかがわしさ」を厳しく批判すべきだったと思えます。

ここには政権与党にいれば、安倍政権の意向を左右できると考えているとおもわれる「平和ぼけ」した公明党幹部のおごりや油断があると思えます。

歴史を振り返ってロシア革命など権力の移行期のことを想起するならば、独裁を許すように「改憲」されたあとではどのような事態が訪れるかは、明らかでしょう。

(2017年1月3日改題)

安倍首相の国家観――岩倉具視と明治憲法

昨日の朝のニュースで安倍首相が施政方針で岩倉具視に言及した演説を聞いた時には思わず耳を疑い、次いでその内容に戦慄を覚えました。

ただ、どの新聞もあまりそのことには触れていなかったので、空耳かとも思ったのですが、よく読むとやはり語られていました。たとえば、「施政方針演説 安保、憲法語らぬ不実」と題した社説で「東京新聞」は、首相が「幕末の思想家吉田松陰、明治日本の礎を築いた岩倉具視、明治の美術指導者岡倉天心、戦後再建に尽くした吉田茂元首相」の四人の言葉を引用したことを伝えています。

そして、憲法についても「『改正に向けた国民的な議論を深めていこう』と呼び掛けてはいるが、具体的にどんな改正を何のために目指すのか、演説からは見えてこない。…中略…首相演説では全く触れず、成立を強行した特定秘密保護法の前例もある。語るべきを語らぬは不誠実である」と結んでいます。

少し長くなりますが、「時事ドットコム」により私が戦慄を覚えた箇所を全文引用した後で、司馬作品の研究者の視点から憲法との関連で首相演説の問題点を指摘するようにします。

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【1・戦後以来の大改革】

「日本を取り戻す」/ そのためには、「この道しかない」/ こう訴え続け、私たちは、2年間、全力で走り続けてまいりました。/ 先般の総選挙の結果、衆参両院の指名を得て、引き続き、首相の重責を担うこととなりました。/  「安定した政治の下で、この道を、さらに力強く、前進せよ」 / これが総選挙で示された国民の意思であります。/ 全身全霊を傾け、その負託に応えていくことを、この議場にいる自由民主党および公明党の連立与党の諸君と共に、国民の皆さまにお約束いたします。  経済再生、復興、社会保障改革、教育再生、地方創生、女性活躍、そして外交・安全保障の立て直し。/ いずれも困難な道のり。「戦後以来の大改革」であります。しかし、私たちは、日本の将来をしっかりと見定めながら、ひるむことなく、改革を進めなければならない。逃れることはできません。 /

明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。 /  「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない」 /  明治の日本人にできて、今の日本人にできない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、「戦後以来の大改革」に、力強く踏み出そうではありませんか。

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しかし、安倍首相は『世に棲む日日』や『竜馬がゆく』などの司馬作品の愛読者だと語っていましたが、その安倍氏が「改革」の方向性を示す人物として挙げた岩倉具視について司馬氏は、『翔ぶが如く』の第2巻でこう描いています。

「岩倉は明治四年に特命全権大使として大久保や木戸たちとともに欧州を見てまわったのだが、この人物だけは欧州文明に接してもなんの衝撃もうけなかった。(中略

かれの欧州ゆきの目的のひとつはヨーロッパの強国を実地にみてそれを日本国の建設の参考にしようというところにあったはずだが、ところがどの国をみても岩倉というこの権謀家は感想らしい感想をもたなかった。北欧の小国をみて日本の今後のゆき方についての思考材料にしてもよさそうであったが、しかしべつに何事もおもわなかった。岩倉には物を考えるための基礎がなかった。かれは日本についての明快な国家観ももっておらず、世界史の知識ももたなかった。」

その後で司馬氏はこう続けているのです

「岩倉がかろうじて持っている思想は、/ 『日本の皇室をゆるぎなきものにする』/ いうだけのもので、極端にいえば岩倉には国家というものも国民もその実感としてはとらえられがたいものになっていた。おおかたの公卿がそうであろう。」

そのような岩倉の理念を受け継いだ人物として司馬氏が注意を促したのが、長州出身の山県有朋なのです。

少し長くなりますが、安倍首相の憲法観を考える上でも重要だと思えますので、その核心部分を引用しておきます。

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「『国家を護らねばならない』

と山県は言いつづけたが、実際には薩長閥をまもるためであり、そのために天皇への絶対的忠誠心を国民に要求した。(中略)

大久保の死から数年あとに山県が内務卿(のち内務大臣)になり、大久保の絶対主義を仕上げるとともに大久保も考えなかった貴族制度をつくるのである。明治十七年のことである。華族という呼称をつくった。(中略)

『民党(自由民権党)が腕力をふるって来れば殺してもやむをえない』

とまでかれは言うようになり、明治二十年、当時内務大臣だったかれは、すべての反政府的言論や集会に対して自在にこれを禁止しうる権限をもった。(中略)

天皇の権威的装飾が一変するのは、明治二十九年(一八九六年)五月、侯爵山県有朋がロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式(たいかんしき)に日本代表として参列してからである。(中略)

山県は帰国後、天皇をロシア皇帝のごとく荘厳すべく画期的な改造を加えている。歴史からみれば愚かな男であったとしかおもえない。ニコライ二世はロシア革命で殺される帝であり、この帝の戴冠式のときにはロシア帝室はロシア的現実から浮きあがってしまっていた時期なのである。」

その後で、温厚な司馬氏には珍しく火を吐くように激しい文章を叩きつけるように記しています

「日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝(ツァーリ)のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。」

重厚で深みのある司馬氏の文章とは思えないような記述ですが、それは学徒出陣でほとんど生還することが難しいとされた満州の戦車隊に配属されたことで「昭和別国」の現実を直視することになったためでしょう。

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「日本を取り戻す」  そのためには、「この道しかない」  こう訴え続け、私たちは、2年間、全力で走り続けてまいりました。

と施政方針演説で語った安倍氏は、次のように続けていました。

「安定した政治の下で、この道を、さらに力強く、前進せよ」  これが総選挙で示された国民の意思であります。

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安倍政権がこの2年間、国民の声を無視して原発の推進や沖縄の基地建設を強行してきたことを考慮するならば、戦前のスローガンを思わせるような響きを持つ「日本を取り戻す」という安倍氏の言葉は、民主主義を打倒して「貴族政治を取り戻す」ことを意味しているのではないかという危惧の念さえ浮かんできます。