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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)

 

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本書の概要

1956年12月、黒澤明と小林秀雄は対談を行ったが、残念ながらその記事が掲載されなかったため、詳細は分かっていない。共にドストエフスキーにこだわリ続けた両雄の思考遍歴をたどり、その時代背景を探ることで「対談」の謎に迫る。「原子力エネルギー」への2人の対応はどうであったか──

リンク→映画《静かなる決闘》から映画《赤ひげ》へ――拙著の副題の説明に代えて

目次

 はじめに──黒澤映画《夢》と消えた「対談記事」の謎 

 一、フクシマの悲劇
 二、映画《夢》と『罪と罰』における夢の構造
 三、消えた「対談記事」

序 章 「シベリヤから還つた」ムィシキン──小林秀雄のドストエフスキー論と黒澤明
 はじめに 不安な時代と小林秀雄
 一、「罪の意識も罰の意識も」持たない主人公──「『罪と罰』について I」
 二、「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」筋──「『白痴』について I」
 三、「アグラアヤの為に思ひ附いた画題」──ムィシキンの観察力と映画《肖像》
 四、小林秀雄の主人公観と「全編中の大断層」という創作
 五、『白痴』の結末をめぐる解釈と黒澤映画《白痴》
 六、本多秋五の問いと黒澤明のドストエフスキー観の深まり

第一章 映画《白痴》の魅力と現代性──戦争の「記憶」と洞察力
 はじめに 黒澤明のドストエフスキー観と映画《白痴》
 一、復員兵の深夜の「悲鳴」
 二、「分身」という方法──映画《野良犬》と映画《白痴》
 三、黒澤明の芥川龍之介観──映画《羅生門》
 四、父と息子の対立と「気違いじみた生活力」──軽部(レーベジェフ)の存在
 五、「三角形の欲望」の視覚化と観察する力
 六、一対の花瓶と若い死刑囚の眼──『白痴』と『戦争と平和』
 七、燃えあがる札束とその後の展開
 八、ナイフと小石の象徴性
 九、「氷上カーニバルの夜」と『アンナ・カレーニナ』
 一〇、映画《白痴》の結末から映画《赤ひげ》へ

第二章 映画《生きものの記録》と長編小説『死の家の記録』──知識人の傲慢と民衆の英知
 はじめに 「第五福竜丸」事件と小林秀雄の原爆観
 一、「核の時代」と臆病な「知識人」
 二、「民衆」の行動力と「法律の手」による「束縛」
 三、黒澤明と『死の家の記録』──民衆芝居と「民衆」のエネルギーの描写
 四、小林秀雄の『死人の家の記録』観──主人公とペトロフの考察
 五、映画《ゴジラ》から《生きものの記録》へ──知識人のタイプの考察
 六、特集記事「ついに太陽をとらえた」と小説『太陽の季節』
 七、消えた「対談記事」と「イソップの言葉」
 八、映画《生きものの記録》から映画《この子を残して》へ

第三章 映画《赤ひげ》から《デルス・ウザーラ》へ──『白痴』のテーマの深化
 はじめに 映画《赤ひげ》と小林秀雄の『白痴』論
 一、映画《愛の世界・山猫とみの話》と『虐げられた人々』
 二、雑誌『時代』と小林秀雄の「大地主義」観
 三、映画《愛の世界・山猫とみの話》と「鬱蒼とした森」の謎
 四、「共犯者」と「治療者」──『白痴』の結末についての再考察
 五、映画《赤ひげ》における「師弟の関係」の描写
 六、『白痴』の結末とプーシキンの理念
 七、映画《デルス・ウザーラ》とタチヤーナの「夢」
 八、「エモーショナルな歴史認識」と「事実」の隠蔽

第四章 映画《夢》と長編小説『罪と罰』──知識人の「罪」と自然の「罰」
 はじめに 映画《夢》と「大地主義」の理念
 一、小林秀雄の『罪と罰』論と映画《罪と罰》評
 二、黒澤明とクリジャーノフの映画《罪と罰》
 三、「やせ馬の殺される夢」と民話的な世界──第一話「日照り雨」と第二話「桃畑」
 四、ソーニャと「雪女」の哀しみ──第三話「雪あらし」と脚本『雪』
 五、「殺された老婆が笑う夢」と死んだ兵士たちの帰還──第四話「トンネル」
 六、小林秀雄と黒澤明のゴッホ観──第五話「鴉」
 七、原発事故と「良心の呵責」──第六話「赤富士」
 八、「弱肉強食の思想」と「人類滅亡の悪夢」──第七話「鬼哭」
 九、ラスコーリニコフの「復活」──第八話「水車のある村」

 

あとがきに代えて──小林秀雄と私

初出一覧

小林秀雄関連の参考文献

付録資料
 一、長編小説『白痴』の登場人物と配役
 二、映画《白痴》・オリジナル版の構成
 三、カットされた後の映画《白痴》の構成
 四、黒澤明・小林秀雄関連年表

ISBN978-4-86520-005-8 C0098
四六判上製 本文縦組304頁
定価(本体2500円+税)
2014.07

 「人名・作品名索引」のリンク先 『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(人名・作品名索引)

書評・紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

‘16.02.08 書評 『ユーラシア研究』第53号(木村敦夫氏)

‘15.10.15 書評 『ロシア語ロシア文学研究』第47号(小林実氏)

‘15.04.11 書評 『ドストエーフスキイ広場』NO.24(国松夏紀氏)

‘15.01.17 書評 『図書新聞』(植田隆氏)

‘14.12.10 書評 『世界文学』No.120(平野具男氏)

‘14.09.30 紹介 『全作家』95号(文芸時評)

‘14.09.15 紹介 『望星』10月号(新刊紹介)

‘14.09.01 紹介 『出版ニュース』09月上旬号   

(成文社のHPより)

 

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)

4877039090

 

「目次」より

はじめに――「新しい戦争」と「グローバリゼーション」

第一章 激動の時代とアイデンティティの模索――『竜馬がゆく』

ペリー艦隊の来航と幕末の日本

福沢諭吉の文明観と方法としての比較

英雄化と神話化――『竜馬がゆく』と『白痴』

「国民」の成立――勝海舟と坂本竜馬

「正義」とテロリズムの考察

「美学」から「事実」へ――「叙述の方法」と作風の変化

二つの方向性――「開化」と「復古」

第二章  「文明の衝突」と「他者」の認識――『坂の上の雲』

「国民国家」の成立と教育制度

教育における「欧化と国粋」の対立

前期「司馬史観」と後期「福沢史観」

ロシア認識の深まり――方法としての「写実」

日本の鏡としてのロシア――「他者」と「自己」の認識

「坂の上の雲」の彼方に――「雨の坂」

第三章  「国民国家」史観の批判――『沖縄・先島への道』

「琉球王朝」の考察――周辺文明論の視点から

アイデンティティの危機と歴史認識

日本文化論の変容と「司馬史観」の変化

近代的な教育と戦争

「正義」の戦争と「野蛮」の征伐

「報復の権利」と「復讐」の連鎖

「多様性」の考察――方言とヤポネシア論

第四章 「文明の共生」と「他者」との対話――『菜の花の沖』

黒潮の流れが結ぶ世界――『菜の花の沖』の構造

江戸期の日本とロシアの比較――高田屋嘉兵衛の時代

「文明」と「野蛮」の考察――周辺文明論的な視点から

高田屋嘉兵衛の国家観と「江戸文明」の独自性

比較文明学的な視野と言語の問題

多様な価値の認識――方法としての対話

第五章 「公」としての地球――司馬遼太郎の文明観

「文明開化」とグローバリゼーション

「ひとびと」の認識――坂本竜馬から中江兆民へ

二つの憲法――明治憲法と平和憲法

他者の認識――「公」としての「自然」

注/  引用・参考文献

書評と紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

書評 『比較文明』第19号(米山俊直氏)

書評 『比較思想』第30号(寺田ひろ子氏)

書評 『異文化交流』第7号(金井英一氏)

紹介 『異境』第18号(来日ロシア人研究会)

紹介 『軍事問題資料』(2003年)

 

*   *   *

「あとがき」より

『竜馬がゆく』を学生時代に読んだ私は、それまでの時代小説にはなかったような雄大な構想に魅了された司馬氏の作品を愛読するようになった。ただ、すべての作品を丹念に読むという熱心な読者ではなく、その時々に暇を見つけては本屋の棚に並んでいる氏の作品を買って読むというタイプの気まぐれな読者だったし、司馬氏の豊かな想像力に感心していただけでもあった。

しかし、日露戦争を描いた長編小説『坂の上の雲』を読み終えた後では、歴史上の人物を描き出す氏の視線が、日本やロシアという国家そのものへの問いと直結していたことを知り、さらに、日露戦争の危機もはらんでいた二つの異なる文明国の接触を未然に防いだ江戸時代の商人、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』を読んだ時には、想像力を羽ばたかせて書いていた以前の時代小説的な作風から、時代考証に支えられた重厚な作風に変わってきていることに驚かされ、その周辺文明論的な視野の広がりと深まりに感嘆した。こうして、『ロシアについてーー北方の原形』を読んだ時には、氏の文明観を一度きちんとした形で考察せねばならないと感じた。残念ながら、それを果たせないうちに司馬遼太郎氏が突然亡くなられ、私は「文明史家司馬遼太郎の死を悼む」という短文を同人誌に発表した。

(中略)

価値が混沌とした時代には、自国の「正義」を強調することにより、「戦争」へ駆り立てようとする「威勢の良い」著作や論調が、戦時下の法制によって国内の腐敗を隠しつつ、強圧的な形で世論の統一を図ろうとする権力者によって重宝される。

しかし、戦時中に戦争の終結を謀ったことで、東条英機の怒りを買い二等兵として召集され、南方戦線へと飛ばされた松前重義・前東海大学総長は、生還した後には教育をとおして平和と共存の理念を高く掲げた。

高田屋嘉兵衛や坂本竜馬のように、自分の生命をも危険にさらしながら平和の可能性を真剣に模索した勇気ある人々こそが、新しい時代を切り開いてきたことを深く心に刻んでおきたい。

(後略)

*   *   *

リンク先

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(人名・書名索引)

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(事項索引)

 訂正

 下記の箇所をお詫びして訂正いたします。

8頁後から2行目  外国語大学→ 外国語学校

64頁1行目 秋古→ 好古

後ろから6行目 好古に→ 好古は

102頁4行目 (石垣・竹富島)→トルツメ

118頁後ろから4行目 いること→ いるの

130頁6行目 水面しかない湖→ 潮

後から5行目 龍馬→ 竜馬

137頁後から7行目 龍馬→ 竜馬

149頁後から6行目  国に→「国に

184頁2行目 文章日本→ 文章日本語

186頁後から2行目 ことを事を計らず→ を計らず

200頁11行目 追加、一九八五年、四六~八頁

204頁8行目 拝外と拝外→ 拝外と排外