高橋誠一郎 公式ホームページ

『菜の花の沖』

『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)

4877039090

 

「目次」より

はじめに――「新しい戦争」と「グローバリゼーション」

第一章 激動の時代とアイデンティティの模索――『竜馬がゆく』

ペリー艦隊の来航と幕末の日本

福沢諭吉の文明観と方法としての比較

英雄化と神話化――『竜馬がゆく』と『白痴』

「国民」の成立――勝海舟と坂本竜馬

「正義」とテロリズムの考察

「美学」から「事実」へ――「叙述の方法」と作風の変化

二つの方向性――「開化」と「復古」

第二章  「文明の衝突」と「他者」の認識――『坂の上の雲』

「国民国家」の成立と教育制度

教育における「欧化と国粋」の対立

前期「司馬史観」と後期「福沢史観」

ロシア認識の深まり――方法としての「写実」

日本の鏡としてのロシア――「他者」と「自己」の認識

「坂の上の雲」の彼方に――「雨の坂」

第三章  「国民国家」史観の批判――『沖縄・先島への道』

「琉球王朝」の考察――周辺文明論の視点から

アイデンティティの危機と歴史認識

日本文化論の変容と「司馬史観」の変化

近代的な教育と戦争

「正義」の戦争と「野蛮」の征伐

「報復の権利」と「復讐」の連鎖

「多様性」の考察――方言とヤポネシア論

第四章 「文明の共生」と「他者」との対話――『菜の花の沖』

黒潮の流れが結ぶ世界――『菜の花の沖』の構造

江戸期の日本とロシアの比較――高田屋嘉兵衛の時代

「文明」と「野蛮」の考察――周辺文明論的な視点から

高田屋嘉兵衛の国家観と「江戸文明」の独自性

比較文明学的な視野と言語の問題

多様な価値の認識――方法としての対話

第五章 「公」としての地球――司馬遼太郎の文明観

「文明開化」とグローバリゼーション

「ひとびと」の認識――坂本竜馬から中江兆民へ

二つの憲法――明治憲法と平和憲法

他者の認識――「公」としての「自然」

注/  引用・参考文献

書評と紹介

(ご執筆頂いた方々に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。)

書評 『比較文明』第19号(米山俊直氏)

書評 『比較思想』第30号(寺田ひろ子氏)

書評 『異文化交流』第7号(金井英一氏)

紹介 『異境』第18号(来日ロシア人研究会)

紹介 『軍事問題資料』(2003年)

 

*   *   *

「あとがき」より

『竜馬がゆく』を学生時代に読んだ私は、それまでの時代小説にはなかったような雄大な構想に魅了された司馬氏の作品を愛読するようになった。ただ、すべての作品を丹念に読むという熱心な読者ではなく、その時々に暇を見つけては本屋の棚に並んでいる氏の作品を買って読むというタイプの気まぐれな読者だったし、司馬氏の豊かな想像力に感心していただけでもあった。

しかし、日露戦争を描いた長編小説『坂の上の雲』を読み終えた後では、歴史上の人物を描き出す氏の視線が、日本やロシアという国家そのものへの問いと直結していたことを知り、さらに、日露戦争の危機もはらんでいた二つの異なる文明国の接触を未然に防いだ江戸時代の商人、高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』を読んだ時には、想像力を羽ばたかせて書いていた以前の時代小説的な作風から、時代考証に支えられた重厚な作風に変わってきていることに驚かされ、その周辺文明論的な視野の広がりと深まりに感嘆した。こうして、『ロシアについてーー北方の原形』を読んだ時には、氏の文明観を一度きちんとした形で考察せねばならないと感じた。残念ながら、それを果たせないうちに司馬遼太郎氏が突然亡くなられ、私は「文明史家司馬遼太郎の死を悼む」という短文を同人誌に発表した。

(中略)

価値が混沌とした時代には、自国の「正義」を強調することにより、「戦争」へ駆り立てようとする「威勢の良い」著作や論調が、戦時下の法制によって国内の腐敗を隠しつつ、強圧的な形で世論の統一を図ろうとする権力者によって重宝される。

しかし、戦時中に戦争の終結を謀ったことで、東条英機の怒りを買い二等兵として召集され、南方戦線へと飛ばされた松前重義・前東海大学総長は、生還した後には教育をとおして平和と共存の理念を高く掲げた。

高田屋嘉兵衛や坂本竜馬のように、自分の生命をも危険にさらしながら平和の可能性を真剣に模索した勇気ある人々こそが、新しい時代を切り開いてきたことを深く心に刻んでおきたい。

(後略)

*   *   *

リンク先

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(人名・書名索引)

リンク→『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(事項索引)

 訂正

 下記の箇所をお詫びして訂正いたします。

8頁後から2行目  外国語大学→ 外国語学校

64頁1行目 秋古→ 好古

後ろから6行目 好古に→ 好古は

102頁4行目 (石垣・竹富島)→トルツメ

118頁後ろから4行目 いること→ いるの

130頁6行目 水面しかない湖→ 潮

後から5行目 龍馬→ 竜馬

137頁後から7行目 龍馬→ 竜馬

149頁後から6行目  国に→「国に

184頁2行目 文章日本→ 文章日本語

186頁後から2行目 ことを事を計らず→ を計らず

200頁11行目 追加、一九八五年、四六~八頁

204頁8行目 拝外と拝外→ 拝外と排外

『司馬遼太郎とロシア』(東洋書店、2010年)

4885959497

 

「目次」

はじめに―― 歴史認識の問題と『坂の上の雲』

第一章 若き司馬遼太郎と方法の生成

冒険小説『敵中横断三百里』/モンゴルからの視点と『史記』/『ロシアについて――北 方の原形』/徳冨蘆花への関心とトルストイ理解/トルストイのドストエフスキー観と司 馬遼太郎/学徒出陣と「敵」としてのロシア

第二章 幕末の日本とロシア

ロシア船による密航の試みとクリミア戦争/井伊直弼とアレクサンドル二世「暗殺」の比 較/「竜馬」像の変遷と「明治国家の呪縛」/ロシア宮廷と山県有朋/「隠蔽」という方 法と歴史的事実

第三章 ロシアと日本の近代化の比較

ロシアの「西洋化」と「国粋」/「文明国」の情報の問題/言語教育と「コトバの窓」/ 「西洋化」の再考察/コザックと武士の比較

第四章 日露戦争と「国民国家」日本の変貌

旅順要塞とセヴァストーポリの攻防/広瀬武夫と石川啄木のマカロフ観/専制国家と官僚 /ポーランドの併合と韓国併合/「国家を越えた人間の課題」/「勝利の悲哀」

終章  司馬遼太郎の文明観

『坂の上の雲』映像化の問題点/「亡国への坂をころがる」/「皮相上滑りの開化」/「特殊性」から「普遍性」へ

注/関連年表

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「はじめに」より

『坂の上の雲』を書き終えたあとで司馬は、「私などの知らなかった異種の文明世界を経めぐって長い旅をしてきたような、名状しがたい疲労と昂奮が心身に残った」と書くが、この言葉は日露戦争という近代の大戦争の考察をとおして、司馬がいかに帝政ロシアという「異種の文明世界」の奥深くにまで入り込んで観察していたかを物語っていると思える。
それゆえ本書では、『坂の上の雲』を書き終えた後で、江戸時代に勃発寸前までに至った日露の衝突の危機を防いだ商人高田屋嘉兵衛を主人公とした大作『菜の花の沖』を一九七九年から八二年にかけて書いた司馬が、一九八六年には『ロシアについて――北方の原形』で、ロシアという国家の原形にも迫ろうとしたにも注意を払いながら、日本とロシアの近代化の問題に焦点を当てることで、司馬のロシア観の深まりを考察することにしたい。
この作業をとおして、司馬遼太郎が単なる流行作家ではなく、現代の世界状況をも予見するような、すぐれた文明史家であったことを示すだけでなく、なぜ司馬が『坂の上の雲』の映像化を禁じたのかをも明らかにできるだろう。