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Ⅰ-3,ドストエーフスキイの会、第218回例会報告要旨のお知らせ

FAQ

Ⅰ-3,ドストエーフスキイの会、第218回例会報告要旨のお知らせ

 

報告者:中本信幸氏

報告者紹介 (神奈川大学名誉教授、東京外語大ロシア語学科卒。専攻は、ロシア文学・演劇。2004年のチェーホフ没後百年記念委員会の運営委員長。演劇評論家。07年、日本の文化勲章に当たるロシア最高のプーシキンメダルを受賞。「チェ―ホフのなかの日本」「エカテリナ2世物語」などの 著書がある。)

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題目:ドストエフスキーとチェーホフ」

 

ドストエフスキー(1821‐81)とチェーホフ(1860‐1904)は、同時代人である。両者は出会ったことはなかったが、チェーホフはドストエフスキーに深く馴染んでいた。

1)チェーホフは青年時代からドストエフスキーの作品に親しんでいた。

「わたしの生活はこんなにも豊富で、こんなにも複雑で、こんなに多彩で・・・・。でもそれにしても、わたしは不幸だわ!わたしはドストエフスキー好みの苦悩者ですわ・・・。わたしの心を世界の人に見せてやって、ヴォリデマール,この憐れな心を見せてやって!あなたは心理学者なんですもの。ここでこうして話し込んでまだ一時間とたたないうちに、わたしのことはもうすっかり、何から何までおわかりなんですもの!」(チェーホフ『謎の性格』1883、松下裕訳)

以上のように、チェーホフの初期作品にドストエフスキーの影響がうかがわれる。

チェーホフの多幕物戯曲のひとつ『ワーニャ伯父さん』から。

「一生を棒に振っちまった!ぼくだって才能もあるし、頭も冴えているし、勇気もあって・・・  まともな生き方をしていりゃ、ショーペンハウエルにも、ドストエフスキーにもなれたかもしれない!ぼくは、なんでこんな下らんことを!ぼくは頭にきている・・・ お母さん、ぼく、やけっぱちだ!お母さん!」と、ヴォイニツキーがぼやく(チェーホフ『ワーニャ伯父さん』第3幕、1899)。

2)なぜか旧ソ連時代のロシアでは、「ドストエフスキーとチェーホフ」を扱った論考はあまり刊行されていなかった。しかし、1970年代から「ドストエフスキーとチェーホフ」を扱う論考が相次いで刊行されるようになる。

ベールキン著『ドストエフスキーを読む』(モスクワ、1973)、クレショフ『チェーホフとドストエフスキー』(『チェーホフ論叢ヤルタ』モスクワ、1978)、ミハイル・グロモフ『チェーホフとドストエフスキー:大いなる対立』(ミハイル・グロモフ『チェーホフに関する本』モスクワ、1989)、ゲオルギー・ベルドニコフ『チェーホフとドストエフスキー』(『ゲオルギー・ベルドニコフ選集2』モスクワ、1986)など。

3)ドストエフスキーとチェーホフの多彩で豊饒な相関関係があぶりだされた。その一端を紹介する。ドストエフスキーの『永遠の夫』(1869‐1870)の主人公の苗字はヴェリチャンニノフで、チェーホフの『中二階のある家』(1896)の女主人公たちはヴォルチャニノフ家の令嬢リージヤ・ヴォルチャニノワとその妹ジェーニャ・ヴォルチャニノワである。その他多くのドストエフスキーとチェーホフの相関関係にスポットを当てる。チェーホフの『サハリン島』(1895)、(短編『黒衣の僧』)(1893)。

創作技法の点でも:ドストエフスキーのA・コルヴィン・クルコフスカヤ宛の手紙(1864年12月14日付け)は、作家の技量は「彫琢・余分のものを削ること」と強調している。これは、チェーホフの有名な箴言「簡潔は才能の姉妹」と照応する。

 

――― 参考文献:『現代に生きるチェーホフ』(東洋書店、2004)、清水正『チェーホフを読め』(鳥影社、2004)、Кулешов В.И. «Чехов и Достоевский:великое противостоние»(-Кулешов В.И . Чехов и Достовский. В кн. Чеховские чтения в Ялте  Москва 1978)、Бердников Г.П.   Чехов и Достоевский  Вк. Бердников Г.П Избранные работы в двух томах  Т.2.—–М.1986、Михаил Громов  Книга о Чехове, М. 1989 .

 

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例会の時間と場所、および前回例会の「傍聴記」や「事務局便り」など詳しくは、ドストエーフスキイの会のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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