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『夜明け前』

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

isbn4-903174-07-7_l

(書影は相馬正一著『国家と個人 島崎藤村「明け前」と現代』、人文書館)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(3)――長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「改憲」方針の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は『坂の上の雲』の解釈に対する司馬氏の不安と長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判を確認しました。

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イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏が、「征韓論」で国論が割れたころから西南戦争にいたる明治初期の激動の時期を描いた長編小説『翔ぶが如く』で、神道原理主義とも呼べるような「廃仏毀釈」運動に言及していたのは偶然ではないと思えます。

なぜならば、この問題についてはすでに島崎藤村が、馬籠宿の本陣・問屋・庄屋の三役を務めていた自分の父親をモデルとした長編小説『夜明け前』で詳しく分析していたからです。

平田派の国学を学んだ藤村の父・正樹は「復古神道の立場から仏教を邪教として否定し、先祖の建立した馬籠の永昌寺本堂に放火しかけて取り押さえられ」、「狂人として旧本陣裏に特設した座敷牢に幽閉され」、そこで生涯を閉じていました(相馬正一『国家と個人 島崎藤村『夜明け前』と現代』、人文書館、2006年、203頁)。

ここで注目しておきたいのは、明治7年に教部省考証課の雇員となり、水無神社の宮司となった藤村の父・正樹が単なる「狂人」ではなく、尾張藩の役人と交渉してなんとか「苦境にあえぐ村びと」を救おうと骨を折っていた馬籠島崎氏の17代目の庄屋で、村人のことを考える真面目な人物であったことです。

近代日本文学研究者の相馬正一氏は、長編小説『夜明け前』を「読み解くキー・ワード」として、「街道」とともに「黒船」を挙げていますが、島崎藤村の父・正樹の生き方をかえるきっかけになったのが、「黒船」の来港でした(相馬正一、前掲書、219頁)。

藤村はこの長編小説で黒船を、「人間の組織的な意志の壮大な権化、人間の合理的な利益のためにはいかなる原始的な自然の状態にあるものをも克服し尽そうというごとき勇猛な目的を決定するもの」と規定していました(『夜明け前』第一部第三章)。

「街道」や「黒船」というキー・ワードから連想される作品には、司馬氏の歴史小説『世に棲む日日』があります。ここでは、二隻の黒船が空砲を射撃すると、「遠雷のようなとどろきが湾内にひびきわたり、沿岸の山々にこだました」と描かれ、それを聞いた松陰は「西洋の巨大な文明に」、日本という「小さな文明が、あの砲声とともに砕かれたようにおもった」と記されています(一・「浦賀へ」)。

そして司馬氏は、幕末に「尊皇攘夷」思想が広まった理由を、「ペリーとその艦隊の威喝的な態度や意図」に幕府の官僚は脅えたが、「在野世論はこれに大反発をきたし、対外敵愾心が日本列島の津々浦々に澎湃として」起こったと説明しているのです。(詳しくは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)を参照してください)。

問題は倒幕に成功したことで、正樹の夢が叶ったかに見えた「明治維新」の後で、村びとたちの暮らしがいっそう悪化したことです。『夜明け前』では疲弊した宿村を救うために、伐採を禁じられてきた「停止木(ちょうじぼく)の解禁」を訴えて、「五箇条の誓文から『旧来ノ弊習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基ヅクベシ』の一節を引用し」ていた請願書は取り上げられず、訴えようとしていた主人公・半蔵が、それまでの庄屋にかわる「戸長」をも免職になるという出来事が描かれています。

「王政復古」を唱えて「民生の福利増進が図られるはずであった維新政府の政策は、いつのまにか欧米型の資本主義を取り入れた殖産産業・富国強兵策へと転じていた」のです(相馬正一、前掲書、120頁)。

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(2017年1月3日、副題を追加)