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『坂の上の雲』

年表9、『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

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(↑ 画像をクリックで拡大できます ↑)

  ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)

(〔〕内に原水爆実験や原発事故など大きな出来事を、【】内には著書や映画の発表年を記す。また、1947年以降は、世界終末時計の時刻も年号の後に示す*)。

1936年:〔2・26事件が起こる〕。【堀辰雄『風立ちぬ』の執筆開始。堀越二郎、九試単座戦闘機制式採用】。

1937年:〔日中戦争始まる〕。【文部省『国体の本義』発刊】。

1939年:〔9月、ドイツ軍がポーランド侵攻。第2次世界大戦始まる〕。【解説書『我が国体と神道』発刊】。

1940年:〔9月、日独伊3国同盟が結ばれる〕。【9月、小林秀雄、書評「ヒットラアの『我が闘争』」、10月、林房雄、鼎談「英雄を語る」で一億玉砕に言及】。

1941年:〔12月、真珠湾攻撃、太平洋戦争が始まる(~1945)〕。【堀辰雄『菜穂子』発表】。

1942年:〔6月、ミッドウェー海戦。8月、ガダルカナル島の戦い(~12月)〕。

1943年:〔10月、学徒動員〕。

1944年:〔10月、「神風特別攻撃隊」による特攻が行われる。アメリカ軍の爆撃が激化〕。

1945年:〔2月、硫黄島の戦い(~3月)。

3月、沖縄戦が始まる(~6月)。4月、戦艦大和、撃沈。8月6日、広島に原子爆弾、8月9日、長崎に原爆投下される。 800px-Atomic_cloud_over_Hiroshima220px-Nagasakibomb

(広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」と長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。以下、図版はいずれも「ウィキペディア」による)

〔8月14日、日本、ポツダム宣言受諾。深夜、戦争の続行を願う陸軍省の将校と近衛師団参謀たちによる宮城事件。15日、玉音放送〕。

1946年:〔第90回帝国議会の審議を経て、11月3日に日本国憲法が公布される〕。

1947年世界終末時計が7分前。〔5月3日、日本国憲法施行〕。

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

(日本国憲法施行記念切手、図版は「ウィキペディア」より)

1948年:7分前【8月、小林秀雄、湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で核エネルギーの危険性を指摘】。

1949年:3分前〔ソ連が核実験に成功〕。【黒澤明監督の映画《野良犬》公開】。

1950年:3分前〔6月、朝鮮戦争勃発(~53年)〕。

1951年:3分前〔9月、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約締結〕。

1952年:3分前〔イギリスが原爆実験〕。

1953年:2分前〔アメリカとソ連が水爆実験に成功、アメリカ、「原子力の平和利用」政策を発表〕。

1954年:2分前〔1月、原潜ノーチラス号進水、読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の30回にわたる連載。3月1日、アメリカ・キャッスル作戦、ビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第5福竜丸」など被爆。

1280px-Castle_Bravo_Blast(←画像をクリックで拡大できます)

(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)

〔3月3日、「原子炉予算」として2億円あまり」を計上するという議案が国会に提出され、数日後に成立〕。【4月《7人の侍》公開。9月、映画《生きものの記録》の脚本『死の灰』の執筆を始める。11月、本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》公開(→アメリカで再編集された《怪獣王ゴジラ》の公開は1956年)】。

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1955年:2分前〔7月、「ラッセル・アインシュタイン宣言」、11月、「原子力平和利用大博覧会」が全国で開催。12月、「原子力基本法」成立〕。【11月、映画《生きものの記録》公開】。

430px-Ikimono_no_kiroku_poster (作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

1957年:2分前〔3月、湯川秀樹、原子力委員を辞任、5月、岸信介首相、「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と国会で答弁。7月、パグウォッシュ会議開催〕。

1960年:7分前〔1月19日、岸政権は米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)に調印し、日本は「アメリカの核の傘」で守られていると主張した。一方、1月27日にソ連は新安保条約を非難して、外国軍隊が撤退しない限り歯舞・色丹は引き渡さないと通告した。2月、フランスが核実験。イスラエルの科学者が同席〕。

1961年 7分前〔ソ連の原子力潜水艦K-19の大事故〕。【7月、映画《モスラ》公開】。

1962年 〔キューバ問題で核戦争の危機。沖縄基地からの核弾頭発射は寸前に回避〕。【司馬遼太郎『竜馬がゆく』(~1966)】。

1963年:12分前〔米ソが部分的核実験禁止条約を締結〕。

1964年:12分前〔中華人民共和国が核実験〕。【4月、映画《モスラ対ゴジラ》公開】。

1965年:12分前【小説『日本のいちばん長い日』発刊】。

1967年:7分前【8月、東宝映画《日本のいちばん長い日》公開】。

1968年:7分前 〔第3次中東戦争、ベトナム戦争、第2次印パ戦争の発生〕。【司馬遼太郎『坂の上の雲』(~72)。4月、映画《猿の惑星》公開】。

1971年:10分前【7月、映画《ゴジラ対ヘドラ》】。

1972年:12分前 〔5月、サンフランシスコ講和条約の後もアメリカの施政下にあった沖縄の返還。米ソが第1次戦略兵器制限条約(SALT)Iと弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)を締結〕。

1973年:12分前【黒澤、モスクワで映画監督タルコフスキーとともに《惑星ソラリス》を見る。小説『日本沈没』発刊。12月、映画《日本沈没》公開】。

1974年:9分前〔ひとつの弾道ミサイルに複数の核弾頭を搭載する方式のMIRVを米ソ両国が配備、インドが核実験〕。【テレビアニメ《宇宙戦艦ヤマト》放映(~1975)】。

1975年:9分前【8月、映画《デルス・ウザーラ》公開】。 1979年:9分前〔イランでイスラム革命。ソ連軍、アフガニスタン侵攻、アメリカ、スリーマイル島原発事故〕。

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(スリーマイル島の原発事故とハリスバーグでの反核運動)

1980年:7分前〔イラン・イラク戦争(~88年)〕。

1984年:3分前〔米ソ間の軍拡競争が激化〕。【3月、映画《風の谷のナウシカ》。12月、映画《ゴジラ》(1984年版)】

1986年:3分前〔4月、チェルノブイリ原発事故〕。

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(4号炉の石棺、2006年。Carl Montgomery – Flickr)

【5月、タルコフスキー監督の映画《サクリファイス》公開。映画《夢》の脚本『こんな夢を見た』第1稿脱稿】。

1987年:3分前〔12月、米ソが中距離核戦力全廃条約を締結〕。

1989年:6分前【12月、映画《ゴジラvsビオランテ》公開】。

1990年:10分前〔8月、イラクのクウェート侵攻〕。【5月、映画《夢》公開】。

1991年:17分前〔1月、湾岸戦争。7月、アメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名。12月、ソ連崩壊〕。

1992年:17分前【7月、アニメ映画《紅の豚》公開。11月、鼎談集『時代の風音』発行】。

1994年:17分前【9月、井上ひさしの劇《父と暮せば》初演。12月、映画《ゴジラvsスペースゴジラ》公開】。

1995年:14分前〔12月、高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムの漏洩による火災事故〕。

1996年:14分前【藤岡信勝「『司馬史観』の説得力」発表。坂本多加雄が『近代日本精神史論』で『大正の青年と帝国の前途』の著者・徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」と讃美。12月、アメリカ映画《インデペンデンス・デイ》】。

1997年:14分前〔3月、茨城県東海村の動燃でレベル3の原子力事故。「新しい歴史教科書をつくる会」発足。5月、「日本会議」設立。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」発足〕。【7月、アニメ映画《もののけ姫》公開。小説『少年H』発刊】。

1998年:9分前〔パキスタンが核実験〕。

2001年:9分前〔9月、ニューヨークで同時多発テロ。その後、有志連合諸国によるタリバン政権の攻撃〕。

2002年:7分前〔米国がABM条約からの脱退を宣言。安倍晋三・衆議院議員、講演会で核保有に関して岸元首相の見解を支持〕。

2003年:7分前〔3月、ブッシュ大統領が「報復」の権利を主張して、有志連合諸国によるイラク戦争を開始。大量破壊兵器がないことが判明し、イギリス・ブレア首相は後に辞職。12月、アメリカ映画『ラストサムライ』〕。

2004年:7分前【石原慎太郎・八木秀次が『正論』11月号で対談「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」】。

2006年:7分前〔9月、安倍首相、就任表明演説で「戦後レジームからの脱却」を謳う。「イスラム国〕を名乗る過激派集団が活動を活発化させる〕。【8月、百田尚樹が小説『永遠の0(ゼロ)』発行】。

2007年:5分前〔北朝鮮が核実験〕。

2009年:5分前【NHK大河ドラマ《坂の上の雲》(~2011)】

2010年:6分前〔オバマ大統領による核廃絶運動〕。

2011年:6分前〔3月、レベル7の福島第1原子力発電所事故〕。

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan(←画像をクリックで拡大できます)

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機。)

2012年:5分前〔原発事故と核兵器拡散の危険性が増大。安倍首相再任〕。

2013年:5分前〔「特定秘密保護法案」が強行採決〕。【7月、映画《風立ちぬ》公開。8月、映画《少年H》公開。12月、映画《永遠の0(ゼロ)》公開】。

2014年:5分前〔4月、武器輸出3原則に代わる防衛装備移転3原則を閣議決定〕。【7月、アメリカ映画《GODZILLA ゴジラ》公開】。

2015年:3分前〔8月、安倍首相、終戦70年の談話で「日露戦争」の勝利を強調。9月、「安全保障関連法案」を強行採決〕。【8月、松竹映画《日本のいちばん長い日》公開】。

2016年:3分前〔4月、熊本で震度7の地震。(追加)10月20日、台湾の蔡英文政権が2025年に「原発ゼロ」にすることを閣議決定。10月27日、核兵器禁止条約交渉の開始を求める国連の決議案に日本が反対。11月4日、京都議定書に代わる地球温暖化対策の新たな枠組みである「パリ協定」が発効。批准手続きが遅れた日本は正式メンバーとして参加できない〕。【7月、映画《シン・ゴジラ》公開】。 2017年:7月7日、国連本部で核兵器の開発や保有、実験、使用のみならず、核兵器による威嚇も禁止する核兵器禁止条約が加盟国の3分の2近くの122カ国が賛成して採択される。ただし、唯一の被爆国の日本の安倍政権は「不参加」。

核兵器禁止条約 ©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

*日本への原子爆弾投下から2年後の1947年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は表紙絵で、核戦争などによる人類の滅亡までの残り時間を「零時まであと何分」という形で示した。1989年からは気候変動による環境破壊なども考慮して時刻が決定されている。 【関連年表は中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』(東京新聞)と拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表を元に、「ウィキペディア」の「世界終末時計」の説明と表、および映画《風立ちぬ》「パンフレット」に収められた堀辰雄と堀越二郎の年表を参考にまとめた】。 (2017年7月16日、加筆)

年表7、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

年表6、正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)

リンク先→タイトル一覧(年表とブログ・タイトル)

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正岡子規・夏目漱石関連簡易年表(1857~1910)

1857(安政4) 陸羯南(~1907)誕生。 【インド、セポイの乱(~59)】。

1858(安政5) 日米修好通商条約調印(続いて、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも調印)。安政の大獄始まる(~59)。

1859(安政6) 秋山好古(1859~1930)、加藤恒忠(旧姓大原、号は拓川、1859~1923)誕生。

1860(万延1) 1月、勝海舟、福澤諭吉、咸臨丸で渡米する。3月、大老井伊暗殺される。8月、徳川斉昭死去。

1861(文久1)【ロシア、農奴解放令、アメリカ、南北戦争(~65)】。

1865(元治2・慶応1) 中江兆民(1847~1901)、長崎で龍馬を知る。 森有礼、五代友厚、藩命でイギリス留学。【トルストイ、『戦争と平和』(~69)】。

1866(慶応2) 1月22日、坂本龍馬、薩長連合を成立させる。6月、幕長戦争始まる。【普墺(プロイセン・オーストリア)戦争。ドストエフスキー、『罪と罰』】

*   *   *

 

1867(慶応3) 漱石、1月5日(新暦2月9日)、父夏目小兵衛直克、母千枝の5男として出生(~1916)、本名金之助。

子規、9月17日(旧暦、新暦10月14日)、父正岡常尚(35歳)、母八重の長男として出生(~1902)。本名常規、幼名処之助、のちに升(のぼる)。

6月15日、龍馬、「船中八策」を成文化する。 11月15日、龍馬、中岡慎太郎とともに暗殺される。12月9日、王政復古の大号令。

1868(明治1) 漱石、11月、四谷の名主塩原昌之助の養子となり、塩原姓を名乗る。

1月、戊辰戦争始まる(~69)。3月、江戸城総攻撃を中止。 3月、五ヶ条の御誓文。神仏分離令。秋山真之(~1918)、徳富健次郎(蘆花)(~1927)誕生。

1869(明治2) 子規、年末、失火により家が全焼

1月、横井小楠暗殺される。5月、榎本武揚軍降伏。大村益次郎(蔵六)襲撃され、傷がもとで死亡

1870(明治3) 漱石、種痘がもとで疱瘡を病み、顔にあばたが残る。

子規、10月、妹律、誕生。

普仏戦争(~71年)、ナポレオン3世退位】。

1871(明治4)  廃藩置県、岩倉使節団、欧米へ出発。中江兆民、フランス留学。 【ドイツ帝国成立】。

1872(明治5) 子規、3月7日(旧暦、新暦4月10日)、父死亡(40歳)

7月、大江卓、マリア・ルス号事件の裁判で奴隷を解放。8月、学制を発布。10月、徴兵令を制定。12月3日(旧暦、新暦1月1日)、太陽暦を採用。皇紀の制定。山城屋事件で山県有朋辞職。福沢『学問のすすめ』(初編)。

1873(明治6) 子規、三並良と祖父大原観山の私塾に通い素読を習う。末広小学校入学。

福沢、明六社結成に参加。山県有朋、初代陸軍卿として復職。 征韓論破れ、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助など政府を去る。徴兵反対一揆。内務省設置

1874(明治7)漱石、浅草寿町戸田学校下等小学第八級に入学。1月、民撰議院設立建白書の提出。2月、江藤新平の佐賀の乱。5月、台湾出兵(~6月

1875(明治8)子規、1月、勝山学校へ転校。4月、祖父観山死去。土屋久明に漢学を学ぶ。 秋山好古、大阪師範学校受験、合格。

讒謗律、新聞紙条例発布。

1876(明治9) 3月、廃刀令、7月、秋山好古、大阪師範学校卒業。大阪府北河内58番小学校、名古屋師範学校付属小学校勤務。10月、熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱。

1877(明治10) 2月14日、西南戦争始まる。5月、秋山好古、陸軍士官学校(旧制3期生)に入学。9月24日、西南戦争終結。【露土戦争~78、英領インド成立】。

1878(明治11) 漱石、2月、回覧雑誌に「正成論」を書く。10月、錦華小学校・小学尋常科二級後期卒業。子規、夏、土屋久明から漢詩の手ほどきを受ける。

5月14日、紀尾井坂で大久保利通が暗殺される。8月、竹橋事件、軍人訓誡。陸軍省参謀局が参謀本部に改称。福沢『通俗民権論』、『通俗国権論』発行、大久保利通暗殺、自由民権高まる。【露土戦争のロシア勝利後に列強による干渉、第2次、第3次アフガン戦争】。

1879(明治12) 漱石、東京府立第一中学校正則科第七級に入学。子規、12月、回覧雑誌(『桜亭雑誌』『松山雑誌』『弁論雑誌』)を始める。勝山学校卒業。

秋山好古、陸軍士官学校騎兵科を卒業。 加藤恒忠(拓川)、原敬、陸羯南、福本日南などともに司法学校退学。加藤恒忠、中江兆民の仏学塾に入塾。福沢『民情一新』。【ドイツ、オーストリア二重同盟締結】。

1880 (明治13)子規、3月、松山中学校入学。竹村鍛・三並良らと五友会で漢詩集回覧。

4月、集会条例。この年国会開設請願運動激しくなる。【イギリス、アフガニスタンを保護国化、フランス、タヒチを領有】。

1881(明治14) 漱石、1月、実母千枝死去。府立一中を中退。私立二松〔にしょう〕學舍に転校し、漢学を学ぶ。

中江兆民、西園寺公望の『東洋自由新聞』主宰。坂本直寛(龍馬の甥)など「日本憲法見込案」起草。7月、開拓使官有物払い下げ事件。10月の政変で大隈重信と慶應義塾門下生が政府から追放され、1890年を期して国会を開設するがドイツの憲法を模範とするとの詔勅。【3月、ロシア皇帝・アレクサンドル2世暗殺される。3世の即位、専制護持の詔書】。

アレクサンドル2世暗殺(図版は「ウィキペディア」より)

1882 (明治15) 子規、9月、県会を傍聴。自由党員訪問など政治への関心が強まる。12月、北予青年演説会で演説。翌年まで熱中。

1月、軍人勅諭頒布、3月、立憲改革党結成、蘇峰、自宅に大江義塾を開く。福沢、『時事新報』創刊。中江兆民『民約論』翻訳。【ドイツ、オーストリア、イタリア間で三国同盟】。

1883(明治16) 子規、1月、演説草稿「天将ニ黒塊ヲ現ハサントス」。5月、松山中学を退学。6月、叔父加藤拓川より上京に同意する旨手紙をもらい上京。陸羯南を訪問。7~9月、須田学舎に入り、従弟藤野潔(古白)と同宿。10月、共立学校入学。11月、叔父の拓川が渡仏。

漱石、9月、神田駿河台の成立学舎に入学。

坂崎紫瀾、民権派の新聞『土陽新聞』に龍馬の伝記小説『汗血千里駒』を掲載。【フランス、ベトナムを保護国化】。

1884(明治17) 子規、2月、随筆「筆まかせ」を起筆(明治25年まで)。3月、 旧藩主久松家の給費生となる。月額7円(大学入学後は10円)・教科書代の支給を受ける。子規、漱石、9月 東京大学予備門入学(同級生に芳賀矢一・夏目金之助・山田美妙・菊地謙二郎がいた)。

新渡戸稲造、欧米留学。加波山の蜂起。自由党解散。甲申政変。【清仏戦争(~85)】。

1885(明治18) 子規、春、哲学への関心を募らせる。7月、妹律が結婚。夏、帰省中に秋山真之と親しくなり、桂園派の歌人井出真棹(まさお)に和歌を学ぶ。9月、坪内逍遙の『当世書生気質』に感動。

漱石、中村是公、橋本左五郎ら約10人と猿楽町の末富屋に下宿。

福沢『脱亜論』発行 蘇峰『第十九世紀日本之青年及教育』自費出版。

1886(明治19) 子規、秋山真之と一時同居。この年から3年間、野球に夢中になる。

漱石、7月、腹膜炎のため落第するが、こののち卒業まで首席を通す。中村是公と本所江東義塾の教師となり、塾の寄宿舎に転居。

東京大学予備門が第一高等中学校と改称。3月、「参謀本部」が設立される。4月、師範学校令発布。蘇峰『将来之日本』刊行。

1887(明治20) 子規、7月 柳原極堂と大原其戎(きじゅう)を訪ね、俳諧を学び始める。8月、「虫の音を踏み分け行くや野の小道」が其戎の主催誌に載る。

漱石、3月に長兄大助、6月に次兄栄之助が共に肺病のため死去。急性トラホームを病み、自宅に帰る。

保安条例公布、坂本直寛(坂本龍馬の甥)ら逮捕される。蘇峰、民友社設立、雑誌『国民之友』創刊。中江兆民、『三酔人経綸問答』、『平民のめざまし』刊行。

1888(明治21) 子規、7月、第一高等中学校予科卒業。8月、鎌倉江の島で2度喀血。夏休みを東京向島の桜餅屋で過ごし、『七草集』を執筆。三並良、藤野古白と同宿。9月、第一高等中学校本科一部(文科)に進む。常磐会寄宿舎に入る。

漱石、塩原家より復籍し夏目姓に変える。7月、第一高等中学校予科を卒業。9月、英文学専攻を決意し本科第一部に進む。英作文「討論――軍事教練は肉体錬成の目的に最善か?」執筆。

陸羯南『東京電報』を主宰。

1889(明治22) 子規、1月、夏目金之助(漱石)と落語を介して交遊を始める。2月11日、新聞『日本』創刊号を読む。5月、『七草集』脱稿。5月9日、夜喀血、時鳥の句を作り「子規」と号す。

漱石、5月、『七草集』を漢文で批評し七言絶句九編を添え、これに初めて「漱石」の号を用いる。8月に学友と房総を旅行し、9月、紀行漢詩文『木屑録』(ぼくせつろく)を書き、松山の子規に批評を求める。

明治憲法、「ウィキペディア」

(憲法発布略図、楊洲周延画、出典は「ウィキペディア」クリックで拡大できます)

1月、徴兵令を全面的に改定。大日本帝国憲法発布。陸羯南、政論新聞『日本』発刊。文部大臣森有礼、暗殺される

890(明治23) 子規、4月 碧梧桐の句を添削、文通をはじめる。9月、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。秋、幸田露伴の『風流仏』を読んで傾倒する。

漱石、9月、帝国大学文科大学英文科入学。文部省の貸費生となる。

2月、蘇峰『国民新聞』創刊。10月、「教育勅語」渙発。11月23日、『大日本』創刊(不定期刊行、廃刊の時期は不明)。

教育勅語

(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)

1891(明治24) 子規、2月、 国文科に転科。3月、 房総地方を旅行。高浜虚子と文通始まる。4月、内藤鳴雪が寄宿舎監督に着任。6月、木曽路を経て松山へ帰省。試験放棄。寄宿舎追放事件後、12月に駒込追分町へ転居。小説「月の都」の執筆に着手。冬、「俳句分類丙号」に着手。

漱石、7月、特待生となる。12月、『方丈記』を英訳する。

1月、内村鑑三による「教育勅語」に対する「不敬事件」。5月、皇太子ニコライ大津で襲撃される。陸羯南、『近時政論考』発刊。福沢「痩我慢の説」執筆。

1892(明治25) 子規、2月 露伴を訪問。「月の都」の批評を依頼する。上根岸(羯南宅西隣)へ転居。5月、「かけはしの記」を、6月、「獺祭書屋俳話」(38回『日本』6.26~10.20)を『日本』に掲載始める。学年試験落第、退学を決意する。7月 帰省、漱石も松山を旅行。10月 退学。11月 母と妹を呼び寄せる。12月 日本新聞社入社、月給15円。福本日南、三宅雪嶺、千葉亀雄、佐藤紅緑、長谷川如是閑などがいた。

漱石、4月、分家し北海道平民となる。5月、東京専門学校(現在の早稲田大学)講師に就任。

内田魯庵、『罪と罰』翻訳(前半部分)。5月、北村透谷、評論「トルストイ伯」。

1893(明治26) 子規、2月、俳句欄を『日本』に設ける。3月、帝国大学を中退する。5月、『獺祭書屋俳話』刊。7月19日~8月20日 東北旅行。俳諧宗匠を歴訪する。11月「芭蕉雑談」、「はてしらずの記」を『日本』に連載開始。

1月、北村透谷、評論「『罪と罰』の殺人罪」。12月、蘇峰『吉田松陰』(初版)。【フランス、ラオスを保護国化】。

1894(明治27) 子規、2月、上根岸82番地(羯南宅東隣)へ転居。2月11日『「小日本』創刊、編集責任者となり、月給30円。小説「月の都」を創刊号より3月1日まで連載。

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(図版は大空社のHPより、『小日本』全2巻・別巻、大空社、1994年〉

3月 挿絵画家として浅井忠より中村不折を紹介される。5月、北村透谷の自殺についての記事を書く。7月、『小日本』廃刊により『日本』に戻る。

蘇峰『大日本膨張論』刊行。

日清戦争――7月29日、清国軍を攻撃。8月1日、清国に宣戦布告。9月黄海海戦で勝利、11月、旅順を占領

1895(明治28) 子規、3月、日清戦争への従軍許可がおりる。4月10日、宇品出港、近衛連隊つき記者として金州・旅順をまわる。金州で従弟・藤野潔(古白)のピストル自殺を知る。「陣中日記」を『日本』に連載。5月4日、金州で森鴎外を訪問。17日、帰国途上船中で喀血。23日、県立神戸病院に入院、一時重態に陥る。7月23日、須磨保養院へ移る。8月20日、退院。8月27日、松山中学教員夏目金之助の下宿「愚陀仏庵」に移る。10月、松山を離れ、広島、大阪、奈良を経て帰京。10月、「俳諧大要」(27回、『日本』10.22~12.31)。12月、道灌山で虚子に文学上の後継者となることを要請するが断られる。

漱石、横浜の「ジャパン・メール」の記者を志願したが、不採用に終わる。4月、高等師範学校を退職し、愛媛県尋常中学校(松山中学)教諭に就任。

日清戦争――2月、清国北洋艦隊降伏。4月、下関で講和条約、三国干渉。10月、閔妃が殺害される

1896(明治29)子規、1月3日、子規庵で句会。鴎外・漱石が同席。30日、鴎外主催の『めざまし草』が創刊。子規を中心とした「日本派」の俳句が掲載される。2月、左腰が腫れ以後臥床の日が多くなる。3月、カリエスの手術を受ける。4月、「松蘿玉液」(32回、『日本』4.21~12.31)。8月、新体詩「父の墓」、「文学」(7回、『日本人』8.5~11.20)。9月5日、与謝野鉄幹ら新体詩人の会に人力車で参加。

漱石、4月、熊本県の第五高等学校講師となる。6月、熊本で借りた家で中根鏡子と結婚。7月、教授に昇任。

蘇峰、欧米旅行に出発(~1897年7月、帰国後勅任参事官に就任)。

1897(明治30) 子規、1月、松山で『ほとヽぎす』創刊。「明治二十九年の俳句界」を『日本』に連載。3月27日、腰部手術。4月13日、「俳人蕪村」の連載(19回、『日本』4.13~12.29)5月 病状悪化、重態。5月28日、子規編集の『古白遺稿』刊。12月、子規庵で第一回蕪村忌を開催。

漱石、6月、実父直克死去。

蘆花『トルストイ』出版、『不如帰』(~1899年)。足尾銅山鉱毒事件高まる。

1898(明治31) 子規、1月、月給が40円となる。2月12日、「歌よみに与ふる書」(10回,『日本』2.12~3.4)を発表し、短歌の革新運動に着手する。3月 子規庵ではじめての歌会。7月、自らの墓誌銘を記し、河東可全(碧梧桐の兄)宛ての手紙に託す。10月、東京発行所を東京に移し、『ホトトギス』第一号発刊。

漱石、9月、寺田寅彦ら五高生に俳句を教える。

米西戦争、ハワイを合併、フィリピン・グアムを領有】。

1899(明治32) 子規、1月 『俳諧大要』刊。3月、 歌会再開、以後定期的に開催する。秋、不折からもらった絵の具で水彩画を描く。10月、「飯待つ間」(『ホトトギス』)。12月 『俳人蕪村』刊、病室の障子をガラス張りにする。

猫の写生(「猫の写生画」、図版は青空文庫より)

漱石、4月、エッセー「英国の文人と新聞雑誌」『ホトトギス』。

福沢諭吉、『福翁自伝』。【義和団事件(~1901)。南アフリカ戦争(~1902)。ロシアのニコライ2世の提唱による第1回ハーグ平和会議(毒ガスの使用禁止)】。

1900(明治33)子規、1月、 伊藤左千夫来訪、短歌会の常連となる。1月29日 「叙事文」を『日本』に連載、写生文を提唱。3月28日 長塚節来訪。4月15日、 第1回万葉集輪講会。8月、大量喀血。8月26日、漱石、寺田寅彦と来訪。9月、第1回「山会」(写生文の会)を開催。11月、静養のため、子規庵での句会、歌会を中止。

漱石、5月、文部省より現職のままで英語研究のため満2ヶ年の英国留学を命ぜられる。 9月、イギリスに留学。10月、途上パリで万国博覧会を訪問。

蘆花『不如帰』刊行、新渡戸稲造”Bushido, the Spirit of Japan”。

1901(明治34) 子規、1月、「墨汁一滴」を『日本』に連載開始(1.26~7.2)、9月、「仰臥漫録」を書き始める。10月13日、母と妹の不在中に自殺を考える。11月6日、漱石宛書簡に「僕ハモーダメニナツテシマツタ」と書く。

漱石、5月、「倫敦消息」が『ホトトギス』に掲載される。帰国まで『文学論』の執筆に専念。

福沢諭吉『丁丑公論・痩我慢の説』刊行、蘇峰の批判と福沢の反論、2月福沢諭吉死去、幸徳秋水『帝国主義』発行。

1902(明治35) 子規、1月、 病状悪化。3月、碧梧桐・左千夫・虚子などが交替で看護にあたる。5月5日、「病牀六尺」を『日本』に連載開始(5.5~9.17)。6月、「菓物帖」、8月「草花帖」、9月「玩具帖」の写生を行う。9月、 随筆「九月十四日の朝」を口述筆記。9月18日、絶筆糸瓜三句を詠む。19日、永眠。享年34歳。21日、田端・大龍寺に埋葬される。会葬者150余名。戒名「子規居士」。

漱石、9月、強度の神経衰弱に陥り、気分転換をはかって自転車の練習を始める。12月、ロンドンを発ち、帰国の途につく。

蘆花「黒潮」(1月26日~6月)、加藤忠三郎(正岡子規の死後養子)誕生。 日英同盟締結。

1903(明治36) 漱石、4月、第五高等学校を辞して第一高等学校講師になり、東京帝国大学文科大学講師を兼任。

藤村操、投身自殺。幸徳秋水たちが『平民新聞』創刊。『小説 寄生木』の主人公・小笠原善平がはじめて蘆花を訪問。

1904(明治37) 漱石、4月、明治大学講師を兼任。12月、虚子の勧めで初めて書いた創作『吾輩は猫である』が子規門下の文章会“山会”(やまかい)で虚子の朗読により発表され、好評を博す。

木下尚江、『火の柱』を東京毎日新聞に連載(1月~3月)、2月、日韓議定書、8月、トルストイの「悔い改めよ」と題する非戦論が『平民新聞』に掲載される。

日露戦争――2月8日 日本の連合艦隊、旅順を奇襲。2月10日、ロシアに対して宣戦布告。2月24日~5月3日、旅順口閉塞作戦。9月遼陽を占領。徴兵令改正、兵役年限の延長。10月26日~31日、第2回旅順総攻撃。11月26日~12月5日、第3回旅順総攻撃。

1905(明治38) 漱石、1月、『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を発表(翌年8月まで断続連載。10月、単行本『吾輩は猫である』上編)。1月、「倫敦塔」「カーライル博物館」。3月、講演「倫敦のアミューズメント」。4月、「幻影の盾」。5月、「琴のそら音」、談話「批評家の立場」。9月、「一夜」。11月、「薤露行」。

内田魯庵訳でトルストイの『復活』が、新聞『日本』に掲載(4月5日~12月22日)。

日露戦争――1月1日、旅順陥落。1月22日、ロシアで「血の日曜日事件」。韓国、義兵闘争。5月27~8日、日本海海戦。6月27日、ポチョムキン号の反乱。7月、ロシアの全権ヴィッテ、ポーツマスに出発。9月5日、ポーツマス条約調印。

9月、日比谷焼打ち、国民新聞社も襲撃を受ける。【10月26日、ペテルブルクに労働者代表ソビエト成立、 ニコライ2世、立法権を持つ議会招集を宣言(翌年、この10月宣言を修正】。

1906(明治39)  漱石、1月、「趣味の遺伝」。4月、『坊つちやん』(『ホトトギス』)。5月、『漾虚集』。9月、「草枕」。10月、「二百十日」。

島崎藤村、3月、『破戒』。徳富蘆花、6月30日、トルストイを訪ねる。雑誌『黒潮』を創刊。第一高等学校で講演した「勝利の悲哀」を掲載する。12月『巡礼紀行』。

1907(明治40) 漱石、1月、「野分」を『ホトトギス』に発表。4月、朝日新聞社に入社。5月、『文学論』。6月、『虞美人草』を朝日新聞に連載(~10月)。

第2回ハーグ平和会議(常設の仲裁裁判所の設立を規定。ハーグ密使事件起こる。英露協商締結。英・仏・露の三国協商成立】。

1908(明治41) 漱石、1月『坑夫』(~4月)。4月「創作家の態度」(『ホトトギス』)。6月、『文鳥』(「大阪朝日新聞」)。7月、8月、『夢十夜』。9月『三四郎』(~12月)。蘇峰、改訂版『吉田松陰』。島崎藤村、『春』。【オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合。清、溥儀が即位】。

1909(明治42) 漱石、1月、『永日小品』(~3月)。3月『文学評論』(春陽堂)。6月、『それから』(~10月)。満洲と朝鮮(当時)を旅行。10月『満韓ところどころ』(~12月)。11月、「『煤煙』の序」。11月25日「朝日文芸欄」を創設。

伊藤博文、ハルビンで暗殺される。蘆花『寄生木』出版。【アメリカで排日運動がさかんになる】。

1910(明治43) 漱石、3月、『門』(~6月)。6月~7月、胃潰瘍で入院。8月24日、修善寺温泉での「大患」。

4月、「白樺」創刊。5月、大逆事件。8月22日、日韓合併条約調印。9月、関寛斎が蘆花宅を訪問。石川啄木「時代閉塞の現状」。【11月トルストイ死去】。

 白樺創刊号(図版は「ウィキペディア」より)

(本年表は、子規に関しては坪内稔典氏の『正岡子規 言葉と生きる』(岩波新書)に掲載されている「正岡子規略年譜」の記述や「子規庵保存会」作成の略年譜、および柴田宵曲『評伝正岡子規』1986.6.16,岩波文庫。今西幹一・室岡和子『子規 百首・百句」1990.5.1,和泉書院。坪内稔典『子規山脈』1997.10.20,日本放送出版会。正岡子規『子規三大随筆』1992.3.20,講談社学術文庫を参考にして作成されたブログ「正岡子規年表」を元に加筆と訂正を行った。

夏目漱石に関しても『別冊 太陽――夏目漱石』(第32号)、水川隆夫『夏目漱石と戦争』(平凡新書)などの年表や『『小日本』と正岡子規』(大空社)を元に加筆をし、さらに、『新日本史主題史年表(改訂版)』(清水書院)、『新世界史主題史年表』(清水書院)『新日本史主題史年表』(清水書院)なども参考にして編集、作成した。

年表の開始は、正岡子規の師ともいうべき陸羯南が生まれた1857年とし、終わる年はトルストイが亡くなったばかりでなく、大逆事件が起きた1910年にした。年表では正岡子規は子規と、夏目漱石は漱石、福沢諭吉は福沢、徳富蘇峰は蘇峰、徳冨蘆花は蘆花と略記した)。

リンク『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)

(2017年8月15日、12月29日図版を追加、加筆)