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黒澤明

年表9、『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

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(↑ 画像をクリックで拡大できます ↑)

  ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)

(〔〕内に原水爆実験や原発事故など大きな出来事を、【】内には著書や映画の発表年を記す。また、1947年以降は、世界終末時計の時刻も年号の後に示す*)。

1936年:〔2・26事件が起こる〕。【堀辰雄『風立ちぬ』の執筆開始。堀越二郎、九試単座戦闘機制式採用】。

1937年:〔日中戦争始まる〕。【文部省『国体の本義』発刊】。

1939年:〔9月、ドイツ軍がポーランド侵攻。第2次世界大戦始まる〕。【解説書『我が国体と神道』発刊】。

1940年:〔9月、日独伊3国同盟が結ばれる〕。【9月、小林秀雄、書評「ヒットラアの『我が闘争』」、10月、林房雄、鼎談「英雄を語る」で一億玉砕に言及】。

1941年:〔12月、真珠湾攻撃、太平洋戦争が始まる(~1945)〕。【堀辰雄『菜穂子』発表】。

1942年:〔6月、ミッドウェー海戦。8月、ガダルカナル島の戦い(~12月)〕。

1943年:〔10月、学徒動員〕。

1944年:〔10月、「神風特別攻撃隊」による特攻が行われる。アメリカ軍の爆撃が激化〕。

1945年:〔2月、硫黄島の戦い(~3月)。

3月、沖縄戦が始まる(~6月)。4月、戦艦大和、撃沈。8月6日、広島に原子爆弾、8月9日、長崎に原爆投下される。 800px-Atomic_cloud_over_Hiroshima220px-Nagasakibomb

(広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」と長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。以下、図版はいずれも「ウィキペディア」による)

〔8月14日、日本、ポツダム宣言受諾。深夜、戦争の続行を願う陸軍省の将校と近衛師団参謀たちによる宮城事件。15日、玉音放送〕。

1946年:〔第90回帝国議会の審議を経て、11月3日に日本国憲法が公布される〕。

1947年世界終末時計が7分前。〔5月3日、日本国憲法施行〕。

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(日本国憲法施行記念切手、図版は「ウィキペディア」より)

1948年:7分前【8月、小林秀雄、湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で核エネルギーの危険性を指摘】。

1949年:3分前〔ソ連が核実験に成功〕。【黒澤明監督の映画《野良犬》公開】。

1950年:3分前〔6月、朝鮮戦争勃発(~53年)〕。

1951年:3分前〔9月、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約締結〕。

1952年:3分前〔イギリスが原爆実験〕。

1953年:2分前〔アメリカとソ連が水爆実験に成功、アメリカ、「原子力の平和利用」政策を発表〕。

1954年:2分前〔1月、原潜ノーチラス号進水、読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の30回にわたる連載。3月1日、アメリカ・キャッスル作戦、ビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第5福竜丸」など被爆。

1280px-Castle_Bravo_Blast(←画像をクリックで拡大できます)

(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)

〔3月3日、「原子炉予算」として2億円あまり」を計上するという議案が国会に提出され、数日後に成立〕。【4月《7人の侍》公開。9月、映画《生きものの記録》の脚本『死の灰』の執筆を始める。11月、本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》公開(→アメリカで再編集された《怪獣王ゴジラ》の公開は1956年)】。

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1955年:2分前〔7月、「ラッセル・アインシュタイン宣言」、11月、「原子力平和利用大博覧会」が全国で開催。12月、「原子力基本法」成立〕。【11月、映画《生きものの記録》公開】。

430px-Ikimono_no_kiroku_poster (作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

1957年:2分前〔3月、湯川秀樹、原子力委員を辞任、5月、岸信介首相、「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と国会で答弁。7月、パグウォッシュ会議開催〕。

1960年:7分前〔1月19日、岸政権は米相互協力及び安全保障条約(新安保条約)に調印し、日本は「アメリカの核の傘」で守られていると主張した。一方、1月27日にソ連は新安保条約を非難して、外国軍隊が撤退しない限り歯舞・色丹は引き渡さないと通告した。2月、フランスが核実験。イスラエルの科学者が同席〕。

1961年 7分前〔ソ連の原子力潜水艦K-19の大事故〕。【7月、映画《モスラ》公開】。

1962年 〔キューバ問題で核戦争の危機。沖縄基地からの核弾頭発射は寸前に回避〕。【司馬遼太郎『竜馬がゆく』(~1966)】。

1963年:12分前〔米ソが部分的核実験禁止条約を締結〕。

1964年:12分前〔中華人民共和国が核実験〕。【4月、映画《モスラ対ゴジラ》公開】。

1965年:12分前【小説『日本のいちばん長い日』発刊】。

1967年:7分前【8月、東宝映画《日本のいちばん長い日》公開】。

1968年:7分前 〔第3次中東戦争、ベトナム戦争、第2次印パ戦争の発生〕。【司馬遼太郎『坂の上の雲』(~72)。4月、映画《猿の惑星》公開】。

1971年:10分前【7月、映画《ゴジラ対ヘドラ》】。

1972年:12分前 〔5月、サンフランシスコ講和条約の後もアメリカの施政下にあった沖縄の返還。米ソが第1次戦略兵器制限条約(SALT)Iと弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)を締結〕。

1973年:12分前【黒澤、モスクワで映画監督タルコフスキーとともに《惑星ソラリス》を見る。小説『日本沈没』発刊。12月、映画《日本沈没》公開】。

1974年:9分前〔ひとつの弾道ミサイルに複数の核弾頭を搭載する方式のMIRVを米ソ両国が配備、インドが核実験〕。【テレビアニメ《宇宙戦艦ヤマト》放映(~1975)】。

1975年:9分前【8月、映画《デルス・ウザーラ》公開】。 1979年:9分前〔イランでイスラム革命。ソ連軍、アフガニスタン侵攻、アメリカ、スリーマイル島原発事故〕。

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(スリーマイル島の原発事故とハリスバーグでの反核運動)

1980年:7分前〔イラン・イラク戦争(~88年)〕。

1984年:3分前〔米ソ間の軍拡競争が激化〕。【3月、映画《風の谷のナウシカ》。12月、映画《ゴジラ》(1984年版)】

1986年:3分前〔4月、チェルノブイリ原発事故〕。

Chernobylreactor_1(←画像をクリックで拡大できます)

(4号炉の石棺、2006年。Carl Montgomery – Flickr)

【5月、タルコフスキー監督の映画《サクリファイス》公開。映画《夢》の脚本『こんな夢を見た』第1稿脱稿】。

1987年:3分前〔12月、米ソが中距離核戦力全廃条約を締結〕。

1989年:6分前【12月、映画《ゴジラvsビオランテ》公開】。

1990年:10分前〔8月、イラクのクウェート侵攻〕。【5月、映画《夢》公開】。

1991年:17分前〔1月、湾岸戦争。7月、アメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名。12月、ソ連崩壊〕。

1992年:17分前【7月、アニメ映画《紅の豚》公開。11月、鼎談集『時代の風音』発行】。

1994年:17分前【9月、井上ひさしの劇《父と暮せば》初演。12月、映画《ゴジラvsスペースゴジラ》公開】。

1995年:14分前〔12月、高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムの漏洩による火災事故〕。

1996年:14分前【藤岡信勝「『司馬史観』の説得力」発表。坂本多加雄が『近代日本精神史論』で『大正の青年と帝国の前途』の著者・徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」と讃美。12月、アメリカ映画《インデペンデンス・デイ》】。

1997年:14分前〔3月、茨城県東海村の動燃でレベル3の原子力事故。「新しい歴史教科書をつくる会」発足。5月、「日本会議」設立。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」発足〕。【7月、アニメ映画《もののけ姫》公開。小説『少年H』発刊】。

1998年:9分前〔パキスタンが核実験〕。

2001年:9分前〔9月、ニューヨークで同時多発テロ。その後、有志連合諸国によるタリバン政権の攻撃〕。

2002年:7分前〔米国がABM条約からの脱退を宣言。安倍晋三・衆議院議員、講演会で核保有に関して岸元首相の見解を支持〕。

2003年:7分前〔3月、ブッシュ大統領が「報復」の権利を主張して、有志連合諸国によるイラク戦争を開始。大量破壊兵器がないことが判明し、イギリス・ブレア首相は後に辞職。12月、アメリカ映画『ラストサムライ』〕。

2004年:7分前【石原慎太郎・八木秀次が『正論』11月号で対談「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」】。

2006年:7分前〔9月、安倍首相、就任表明演説で「戦後レジームからの脱却」を謳う。「イスラム国〕を名乗る過激派集団が活動を活発化させる〕。【8月、百田尚樹が小説『永遠の0(ゼロ)』発行】。

2007年:5分前〔北朝鮮が核実験〕。

2009年:5分前【NHK大河ドラマ《坂の上の雲》(~2011)】

2010年:6分前〔オバマ大統領による核廃絶運動〕。

2011年:6分前〔3月、レベル7の福島第1原子力発電所事故〕。

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan(←画像をクリックで拡大できます)

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機。)

2012年:5分前〔原発事故と核兵器拡散の危険性が増大。安倍首相再任〕。

2013年:5分前〔「特定秘密保護法案」が強行採決〕。【7月、映画《風立ちぬ》公開。8月、映画《少年H》公開。12月、映画《永遠の0(ゼロ)》公開】。

2014年:5分前〔4月、武器輸出3原則に代わる防衛装備移転3原則を閣議決定〕。【7月、アメリカ映画《GODZILLA ゴジラ》公開】。

2015年:3分前〔8月、安倍首相、終戦70年の談話で「日露戦争」の勝利を強調。9月、「安全保障関連法案」を強行採決〕。【8月、松竹映画《日本のいちばん長い日》公開】。

2016年:3分前〔4月、熊本で震度7の地震。(追加)10月20日、台湾の蔡英文政権が2025年に「原発ゼロ」にすることを閣議決定。10月27日、核兵器禁止条約交渉の開始を求める国連の決議案に日本が反対。11月4日、京都議定書に代わる地球温暖化対策の新たな枠組みである「パリ協定」が発効。批准手続きが遅れた日本は正式メンバーとして参加できない〕。【7月、映画《シン・ゴジラ》公開】。 2017年:7月7日、国連本部で核兵器の開発や保有、実験、使用のみならず、核兵器による威嚇も禁止する核兵器禁止条約が加盟国の3分の2近くの122カ国が賛成して採択される。ただし、唯一の被爆国の日本の安倍政権は「不参加」。

核兵器禁止条約 ©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

*日本への原子爆弾投下から2年後の1947年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は表紙絵で、核戦争などによる人類の滅亡までの残り時間を「零時まであと何分」という形で示した。1989年からは気候変動による環境破壊なども考慮して時刻が決定されている。 【関連年表は中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』(東京新聞)と拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表を元に、「ウィキペディア」の「世界終末時計」の説明と表、および映画《風立ちぬ》「パンフレット」に収められた堀辰雄と堀越二郎の年表を参考にまとめた】。 (2017年7月16日、加筆)

年表7、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

年表7、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

黒澤明・小林秀雄関連年表(ドストエフスキー論を中心に、年号や特に重要な事項はゴシックで、原爆、原発関係の出来事はオレンジ色で示した)。【】内は、本論に関連する国内外の主な出来事。  005l (帯の図版は、1956年に行われた黒澤明と小林秀雄の対談時の写真)    

1902年(明治35年) 小林秀雄(以下、小林と略記)、4月11日、東京に生まれる(~83年)。9月、正岡子規没

1904年(明治37年)   【日露戦争(1904年2月~1905年9月)】

1908年(明治41年)夏目漱石『夢十夜』、『三四郎』

1910年(明治43年) 黒澤明(以下、黒澤と略記)、3月23日、東京に生まれる(~98年)。    【4月、『白樺』創刊、5月、大逆事件、8月、日韓併合、11月、トルストイ歿】。

1913年(大正2年) 芥川龍之介 9月、東京帝国大学文科大学英吉利文学科に入学。

1914年(大正3年)    【第一次世界大戦(~1918)】。   

1915年(大正4年)  芥川、 11月、「羅生門」(『帝国文学』)。漱石の木曜会に参加する。

1916年(大正5年)  12月、夏目漱石没。

1922年(大正11年) 芥川、「将軍」(『改造』1月号)、「藪の中」(『新潮』」1月号)

1923年(大正12年)  黒澤、兄丙午の勧めで関東大震災を観察する。

1924年(大正13年)  黒澤丙午、新宿「武蔵野館」で映画説明者の見習い。

1925年(大正14年)     【治安維持法、普通選挙法公布】。 小林、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学。中原中也と識る。 黒澤丙午、映画説明者として須田貞明と名乗る。

1927年(昭和2年)  芥川龍之介『河童』、自殺。 小林、9月、「芥川龍之介の美神と宿命」(『大調和』)

1928年(昭和3年、以下略)   【治安維持法が強化される】。 小林、3月、東京帝国大学卒業。 黒澤、第15回「二科展」入選、油彩「静物」。

1929年  3月、堀辰雄「芥川龍之介論――藝術家としての彼を論ず」(「東京帝国大学卒業論文」)。 黒澤、4月、日本プロレタリア美術家同盟(ナップ)に参加。小林多喜二「蟹工船」。 小林、9月、『様々なる意匠』が『改造』懸賞評論二席入選。

1930年    【1月、ロンドン海軍軍縮会議、浜口首相が狙撃される】。 黒澤、徴兵検査後、兵役免除。この頃から地下活動(~1932年春)。

1931年      【満州事変】。

1932年      【上海事変、満州国成立、五・一五事件】。 小林、4月、明治大学に文芸科が創設され、講師に就任 6月、「小説の問題Ⅰ」(映画《アメリカの悲劇》論、『悪霊』論)。 6月、「現代文学の不安」(『改造』) 9月、「Xへの手紙」(『中央公論』)。 黒澤、地下活動より脱落、兄丙午の長屋に身を寄せつつ映画館に通う。

1933年     【1月、ヒトラー内閣成立、2月、小林多喜二が拷問で死亡。         3月、日本、国際連盟から脱退。5月、京都帝国大学で滝川事件】。 小林、1月、「『永遠の良人』」(『文藝春秋』)。 黒澤、7月、兄・丙午が自殺。 小林、10月、『文學界』の創刊にかかわる。 12月、「『未成年』の独創性」(『文藝』)。

1934年     【ワシントン条約の破棄を通告する】。 小林、1月「文学界の混乱」(『文藝春秋』、ドストエフスキー論への意欲)。 1月「アンドレ・ジイドのドストエフスキイ論」。 2月、「『罪と罰』についてⅠ」(第1回、『行動』)。 4月、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」(『文藝春秋』)。 5月、「『罪と罰』についてⅠ」(第2回、『文藝』)。 7月、「『罪と罰』についてⅠ」(第3回、『行動』)。 9月、「『白痴』についてⅠ」(~35年10月、『文藝』)。    「レオ・シェストフの『虚無よりの創造』」(『文學界』)。

1935年      【美濃部達吉の天皇機関説が問題となる。スタンバーグ監督の《罪と罰》】 小林、1月、『ドストエフスキイの生活』を連載し始める(~37年3月号)。 3月、「再び文藝時評に就いて」(『改造』)。 山本嘉次郎、3月、映画《坊つちゃん》公開。 小林、10月、「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(~36年2月)。

1936年      【ロンドン軍縮会議から脱退。二・二六事件】。 小林、1月、「作家の顔」(『読売新聞』)。 2月、「私信」 4月、「思想と実生活」(『文藝春秋』)。 山本嘉次郎、5月、映画《吾輩は猫である》公開。 小林、6月、「文学者の思想と実生活」(『改造』)。 8月、「『ドストエフスキイの精神分析』」(書評、『帝国大学新聞』) 9月、「J・M・マリィ『ドストエフスキイ』」(書評、『文學界』)。 11月、「『罪と罰』を見る」(『読売新聞』) 黒澤、PCL映画製作所(東宝の前身)に助監督として入社。 小林、明治大学で「日本文化史研究」を講じる。

1937年        【蘆溝橋事件から日中戦争がおこる。~1945年】。 小林、1月、「ドストエフスキイの時代感覚」(『改造』)。 6月、「『悪霊』について」(~11月、未完、『文藝』)。 11月、「戦争について」(『改造』)。

1938年     【国家総動員法が公布される】。 小林、6月、明治大学教授に昇格。  黒澤、8月、助監督として参加した山本嘉次郎監督の『綴方教室』公開。 小林、10月、「歴史について」(第一章、第二章、『文學界』)。

1939年  小林、3月、「映画批評について」(『日本映画』)    5月、「歴史について」(全五章、『文藝』)。    5月、「歴史について」を序文とし『ドストエフスキイの生活』(創元社)を出版。    8月、「疑惑Ⅱ」(『文藝春秋』)。

1940年   【チャップリンの《独裁者》。日本での公開は1960年】

Dictator_charlie5 (独裁者ヒンケルが地球儀のバルーンをもてあそぶシーン。図版は「ウィキペディア」より)  

小林、9月、「ヒットラアの『我が闘争』」(書評、『朝日新聞』)    10月、林房雄、石川達三との鼎談「英雄を語る」(『文學界』)。

1941年     【国民学校令の公布、12月、真珠湾攻撃、太平洋戦争が始まる】。 黒澤、3月、製作主任としてついた山本嘉次郎演出、高峰秀子主演の映画《馬》公開。 小林、3月、「歴史と文学」(『改造』、芥川龍之介の『将軍』を否定的に言及)。 10月、「カラマアゾフの兄弟」(~42年9月、未完、『文藝』)。

1942年 黒澤、3月、脚本『雪』が国策映画脚本募集に入選。 小林、3月、「戦争と平和」(『文學界』)、    座談会《文化総合会議 近代の超克》(『文學界』、10月)、    日本文学報国会評論随筆部会常任理事に就任。

1943年 黒澤、1月、脚本に参加した映画《愛の世界・山猫とみの話》が公開。 3月、《姿三四郎》公開。 小林、9月、「ゼークト『一軍人の思想』について」(『文學界』)。 1944年 黒澤、4月、《一番美しく》公開。

1945年   【3月、沖縄戦が始まる。8月、広島・長崎に原爆投下、日本、ポツダム宣言受諾】。        【ロックフェラー財団会長レイモンド・フォスディックが原爆投下の知らせを聞いて「私は良心の呵責に苦しんでいる」と手紙に記す】。 黒澤、5月、《続・姿三四郎》公開。 《虎の尾を踏む男達》制作。

1946年 小林、2月、座談会「コメディ・リテレール――小林秀雄を囲んで」(『近代文學』)。 明治大学教授、辞任。 黒澤、10月、《わが青春に悔なし》公開。 小林、11月、「感想――ドストエフスキイのこと」(『時事新報』)。

1947年   月、日本国憲法発布

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(日本国憲法施行記念切手。図版は「ウィキペディア」より)

黒澤、6月、《素晴らしき日曜日》公開。   坂口安吾、6月、「教祖の文学」で小林秀雄を批判(『新潮』)。

1948年 黒澤、4月、《酔いどれ天使》公開。 8月、黒澤の脚本による映画《肖像》が木下恵介監督により公開。 小林、8月、湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で原子力エネルギーを批判(『新潮』)。 11月、「『罪と罰』についてⅡ」(『創元』)。 12月、「ゴッホの手紙」(『文體』)。

1949年  【ソ連、原爆実験】。 黒澤、3月、《静かなる決闘》公開。 10月、《野良犬》公開。   11月、湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞

1950年 黒澤、4月《醜聞(スキャンダル)》公開。 8月《羅生門》公開。

1951年 小林、1月、「ゴッホの手紙」(~1952年2月、『藝術新潮』)。 黒澤、5月《白痴》公開。

Читаем роман Идиот в фильмах Куросавы Акиры»  (Сэйбунся,2011)

9月、ヴェネツィア国際映画祭で《羅生門》がグランプリを受賞。  小林、9月『ドストエフスキイの生活』(『創元文庫』)。

1952年 小林、5月「『白痴』についてⅡ」、(~1953年1月、『中央公論』)。 黒澤、10月《生きる》公開。

1953年    【アメリカ、「原子力の平和利用」政策を発表】。

1954年      【1月、原潜ノーチラス号進水、『読売新聞』で特集記事「ついに太陽をとらえた」、 3月、アメリカの水爆実験で「第五福竜丸」被爆】。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

黒澤、4月《七人の侍》公開。

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(東宝製作・配給、1954年、図版は「ウィキペディア」より)。

木下恵介、9月、《二十四の瞳》公開。 黒澤、9月、小國や橋本と映画《生きものの記録》の脚本『死の灰』の執筆を始める。 本多猪四郎監督、11月《ゴジラ》公開

ゴジラ (製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1955年       石原慎太郎、『太陽の季節』(『文學界』、7月号)          【7月、「ラッセル・アインシュタイン宣言」】。 小林、8月「ハムレットとラスコオリニコフ」(『新潮』)。 黒澤11月《生きものの記録》公開

430px-Ikimono_no_kiroku_poster (作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)  

11月、「原子力平和利用博覧会」が各地で開催される(~57年)。12月19日、「原子力基本法」成立】。 黒澤、湯川秀樹との対談(時期は11月~2月の間と思われる)。

1956年     1月、石原慎太郎、『太陽の季節』で第34回芥川賞受賞。 黒澤、木下恵介・武田泰淳の鼎談「人間像製作法」(『中央公論』2月号)。 小林、8月、「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」(~10月、『文學界』)。 11月、木下恵介監督、太陽族を批判した映画《太陽とバラ》公開 12月、黒澤明と小林秀雄の対談(未掲載)。

1957年  黒澤、1月《蜘蛛巣城》公開 4月、徳川夢声、「こんにゃく談義」で、水爆実験と太陽族を批判 黒澤、9月、《どん底》公開。

1958年 黒澤、12月《隠し砦の三悪人》公開。

1959年    【ソ連の原子力潜水艦K-19進水 小林、12月、藝術院会員となる。                             

1960年 小林、5月、「ヒットラアと悪魔」で『悪霊』に言及(『文藝春秋』)。 黒澤、9月《悪い奴ほどよく眠る》公開。

1961年  【ソ連の原子力潜水艦K-19の大事故 黒澤、4月《用心棒》公開。

1962年    【キューバ問題で核戦争の危機】。 黒澤、1月《椿三十郎》公開。  8月 『ヒロシマ わが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』、筑摩書房。(アインシュタインと共同宣言を出したラッセル卿の「まえがき」を所収)。

1963年  黒澤、3月《天国と地獄》公開。 黒澤、10月、映画《赤ひげ》の制作開始記念パーティー。 小林、11月、「ネヴァ河」(『朝日新聞』、『死の家の記録』や『悪霊』に言及)。

1964年 小林、5月、第9章を追加して『「白痴」について』(角川書店)を発行。

1965年    【米、北ベトナム爆撃開始(~73年)】。 黒澤、4月《赤ひげ》公開 小林、数学者の岡潔と対談「人間の建設」(『新潮』10月号)でアインシュタインを批判。

1966年      【中国、文化大革命起こる】。

1968年    【ソ連・東欧軍、チェコ侵入】。

1969年     【日本、大学紛争激化】。 黒澤、《トラ・トラ・トラ!》の監督を降りる。 

1970年 黒澤、10月《どですかでん》公開。

1971年     【沖縄返還】。 黒澤、12月、自殺未遂。

1973年  黒澤、モスクワで映画監督タルコフスキーとともに《惑星ソラリス》を見る。

1975年 小林、4月、東京都知事選に際して、後に原発推進だけでなく、核武装も唱えることになる石原慎太郎の推薦人となる。 黒澤、7月、座談会で小林の『白痴』観を批判(『週刊プレイボーイ』)。 黒澤、8月《デルス・ウザーラ》公開。 森敦との対談「文明社会に警告する『デルス・ウザーラ』」(『サンデー毎日』8月3日号)

1979年    【イランでイスラム革命。ソ連軍、アフガニスタン侵攻(~八八年)、アメリカ、スリーマイル島原発事故】。 小林、7月、河上徹太郎との対談「歴史について」で『白痴』を「トルソ」と呼ぶ。

1980年  【イラン・イラク戦争(~88年)】。 黒澤、4月《影武者》公開。 

1983年 3月1日、小林秀雄死去。 9月、木下恵介、映画《この子を残して》公開。

1985年 黒澤、6月《乱》公開。

1986年    【4月、チェルノブイリ原発事故5月、タルコフスキーの映画《サクリファイス》上映】。 黒澤、映画《夢》の脚本『こんな夢を見た』第一稿脱稿。

1989年    【米、パナマ侵攻】。 1990年    【イラク、クウェート占領】。 黒澤5月《夢》公開。  井上ひさしとの対談「夢は天才である」(『文藝春秋』6月号) 10月、ガルシア・マルケスとの対談「第二部 核をめぐる論争――人間が核を制御できると考えるのは傲慢だ!」(『宝石』1999年6月号)

1991年 【1月、湾岸戦争、5月、ユーゴスラヴィアで内戦、9月、ソ連邦崩壊】。  黒澤5月《八月の狂詩曲(ラプソディー)》公開

1993年  黒澤、4月《まあだだよ》公開。

1995年 【12月、 高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウムの漏洩による火災事故】。

1997年 【3月11日、茨城県東海村の動燃でレベル3の原子力事故】。

1998年 9月6日、黒澤明死去。  

黒澤明 死して15年 直筆ノートにあった“メッセージ”– 長さ: 13:26。

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 【作成に際しては、浜野保樹編「黒澤明 関連年表」『大系 黒澤明』(講談社)、黒澤明研究会のホームページ「黒澤明監督年譜」、横田公次・他「黒澤明の地図」(『黒澤明 夢のあしあと』黒澤明研究会編、共同通信社、1999年所収)、槙田寿文「黒澤明の青春――ナップとその時代」(『黒澤明研究会誌』第24号)、堀伸雄「黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ~『七人の侍』に始まる魂の共鳴」(『黒澤明研究会誌』第32号)、および『小林秀雄全集』(新潮社)の「解題」、「小林秀雄とその時代」(ブログ『やりみず』一九九九年)、菅原健史「小林秀雄年表」(ネット版、2011年)、『新日本史主題史年表』(清水書院、1991年)、などを参照した】。

 (2014年5月5日、6月11日、2015年4月19日、訂正と加筆。6月4日、「ブラボー(ビキニ環礁)」の写真追加。(12月11日。チャップリン監督『独裁者』を追加。図版は「ウィキペディア」より、2018年5月31日、『黒澤明で「白痴」を読み解く』の書影と映画《七人の侍》のオスターを追加、図版は「ウィキペディア」より)。