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世界の終わりに向き合う文学(改訂版)

*ウクライナとガザ――二つの戦争と黙示録

 二〇二〇年に大統領経験者とその家族に対する不逮捕特権を認める法律を成立させて独裁を強めていたプーチン大統領は、二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際しては作家を「天才的な思想家だ」と賛美した。

  しかし、その翌年の二月にプーチン大統領は、ウクライナへの武力侵攻に踏み切った。 この戦争がドストエフスキー研究者にとって深刻なのは、ナチス・ドイツの占領下にあったパリで研究を続けて『悪霊』における黙示録の重要性を明らかにしたモチューリスキーが「(ドストエフスキーは)世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と『評伝ドストエフスキー』で記していたからである。

実際、露土戦争の前年に著した『作家の日記』の一八七六年六月号ではトルコによるスラヴ人の虐殺に言及して、ロシアは「正教の統率者として」コンスタンチノープルを求める資格があると記したドストエフスキーは、翌年の四月号では「この戦争は、われわれ自身にとっても、必要なのである」と主張していた。

  しかし、ドストエフスキーは、『罪と罰』では現代社会にも通じる主人公の「非凡人 の理論」を厳しく批判し、『白痴』では主人公に「殺すなかれ」という理念を語らせるとともに、黙示録の解釈によって憎悪を煽る人物をも描いていた。
 日記の形で綴られた『作家の日記』を読むとドストエフスキーが黙示録的な世界観からロシアの戦争を正当化しているようにも見えるが、彼の戦争観は『カラマーゾフの兄弟』も視野に入れて考察する必要があると思える。

 さらに、比較文明論的な視点から見るとき、旧約聖書の預言に依拠して「パレスチナの土地は全てイスラエルのものだ」とするイスラエル政権が、ハマスによる大規模なテロに対する報復としてジェノサイドと批判される大規模な空爆と地上での攻撃を行ったことからはより複雑な深層が見えて来る。

  なぜならば、モーセの後継者ヨシュアについて記した旧約聖書の「ヨシュア記」では、神の言葉に従ってエリコの町の住民全員だけでなく、動物も皆殺しにしたことが記されているからである。

  旧約の黙示文書の伝統を受け継ぐ黙示録の多くの章でも「幻視者ヨハネ」が視た四騎士による大惨事や天使たちの吹くラッパや七人の天使による疫病や天変地異などの未来の凄惨な出来事とハルマゲドンの戦いが克明に描かれている。

ヴィクトル・ヴァスネツォフ作
     『 #黙示録の四騎士 』(1887年)

 黙示録で描かれているこのような二項対立的な価値観を重視したローマ教皇は、一〇九五年の第一回十字軍の派兵に際して遠征に参加する者の罪を赦免した。こうして、他宗教や異端派の迫害をも許された十字軍は、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いていた。

 本書の第一章と第二章ではまず黙示録との関係に注目しながら、ドストエフスキーの 初期作品から『悪霊』までの作品を読み直す。

*『悪霊』における「キリストの再臨」の解釈と「八紘一宇」の理念

『悪霊』では元農奴の息子シャートフはロシアで「キリストの再臨」が起きると熱烈に主張していた。第一次世界大戦末期には旧約聖書や黙示録の記述に基づいてユダヤ人がイスラエルを建国した後で「キリストが再臨」すると説く考えが拡がった。日本でも一九一七年から翌年にかけて中田重治や内村鑑三などによりキリストの再臨運動が行われたが、終末論的な教えと世直しを説く新興宗教の教主を「キリストの再臨」と見なす考えも生まれた。

  一方、国柱会を興した田中智学が『日本書紀』に記されている全世界を一つの家のようにするという「八紘為宇」という用語を元にして「八紘一宇」という世界統一の理念を唱えると、関東軍参謀の石原莞爾はこの理念に惹かれて一九三一年に満州事変を起こした。

  「原理主義的な聖書解釈と日本のナショナリズムと」を結び付けていた中田重治は、ユダヤ人のパレスチナへの入植から強い刺激を受けて、「関東軍に同調する立場をあきらかに」してこう述べた。「日本は黙示録七章二節にある日出国の天使である。世界の平和を乱す事のみをして居る四人の天使(欧州四大民族)から離れて宜しく神よりの平和の使命を全うする為に突進すべきである。」

  新興宗教・生長の家の創設者・谷口雅春も一九三六年に教団の雑誌に連載した「古事記講義」では黙示録に依拠しながら、『古事記』に記された八岐大蛇(やまたのおろち)退治と黙示録の「赤い龍」の話を比較して日本の勝利を予言した。

作家の埴谷雄高は「吾国の社会状勢に見あってのこと」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と指摘している。それゆえ、第三章では西欧文明が危機に陥った第一次世界大戦以降の日本におけるドストエフスキー作品の受容の問題を黙示録や「八紘一宇」の理念も視野に入れて考察することにより、黙示録に引き寄せた『悪霊』の解釈が『カラマーゾフの兄』の読みをも歪めている可能性を指摘する。

* 黙示録的な世界観と世界最終戦争 

  作家の武田泰淳はエッセイ「滅亡について」で「黙示録の世界滅亡のくだりを読む」と書いたが、アメリカでは原爆の投下を「神の罰」として正当化し、世界最終戦争(ハルマゲドン)の後で「キリストが再臨」すると説く黙示録的な世界観が拡がった。

思想史家のマーティン ジェイは黙示録とともに旧約聖書の預言を重視し、地球が破滅しても自分たちだけは天に召されて救済されると考えて聖書根本主義とも呼ばれていた福音派の布教者リンゼイの『今は亡き大いなる地球』が七百五十万部以上も売れ、共和党の大統領の政策にも影響を与えたと指摘している。
黙示録の独自な解釈により文鮮明を「再臨のメシア」とする統一教会は、ベトナム戦争への批判が強まった頃に日本やアメリカで布教活動を活発に行い、一九六六年に出版した教理解説書『原理講論』では「〔サタン側と天の側に〕分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と説いた。

  一方、「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーが一九六〇年に来日した際に会談にも参加していた作家の堀田善衞は、『白痴』の人物体系や原爆パイロットの手紙を踏まえて長編『審判』で原爆投下と黙示録的なキリスト観との関りを指摘した。

激しい宗教弾圧にあった教団で苛酷な体験をした主人公が黙示録的なキリストに魅せられて武装蜂起を命令して破滅するまでを『邪宗門』で描き出した高橋和巳も、ドストエフスキー文学から強い影響が見られる『日本の悪霊』で日本のテロリズムの考察をとおして戦後の日本にも色濃く残っている黙示録的な世界観を厳しく検証している(以上、第四章)。

  第五章ではそれまでの考察をふまえて、黙示録を契機とした連続殺人事件を描いた『薔薇の名前』と「キリストの再臨」のテーマや「黙示録を聖書から外すべき」との大胆な提言が記されている堀田善衞の長編『路上の人』を分析する。非ユークリッド幾何学にも言及していたイワンの物語詩「異端審問長官」を読み直すことにより、知識人イワンの深い苦悩を描いたドストエフスキーの考察が、原爆を生み出したアインシュタインの懊悩をも示唆していることを示せるだろう。

ソ連の崩壊後に書かれた国際政治学者ハンチントンの論文「文明の衝突?」は、ロシアや中国、アラブなどの強い警戒感を呼び起こして新たな軍拡を引き起こした。二〇〇一年にニューヨークで同時多発テロが起きると福音派の影響が指摘されるブッシュ大統領は、イラク、イランと北朝鮮を「悪の枢軸国」と呼んで有志国とともに大規模なイラク侵攻を行った。

福音派の牧師ティム・ラヘイが書いた『レフト・ビハインド』シリーズ(一九九五~二〇〇七)が八千万部を売り上げたことを紹介した加藤善之は、このシリーズでは「イスラエルがイランやロシアとの戦争に勝利していく姿がヴィヴィッドに描写される」と指摘している。

 こうして、恐怖と憎悪の感情に煽られて各国の軍拡が進み、トランプ大統領が国際法に反してイランの原子炉に対する攻撃を行ったことで「世界の終わり」に近づいているように見える。

 しかし、堀田善衞から『路上の人』の映画化権を与えられた宮崎駿監督は、核戦争によって荒廃した世界を舞台に「墓所の主」とナウシカとの激論をとおして黙示録的な世界観との決別をコミックス版『風の谷のナウシカ』で描いた。

 終章ではソ連崩壊後の世界情勢も視野に入れて、ニヒリズムと対峙しながら核兵器や黙示録的な世界観の危険性を明らかにしてきた日本の文学の意義に迫る。

【本稿は近著『黙示録の世界観と対峙する――ドストエフスキーと日本の文学』(群像社)の「はじめに」の箇所である。二〇二四年四月、 二〇二五年七月改訂】

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(2024/11/25、12/01、 加筆)

夭逝した作家・高橋和巳のドストエフスキー観―『悪霊』論を中心に

はじめに

太平洋戦争末期にウォルインスキーの『偉大なる憤怒の書――「悪霊」の研究』を翻訳した埴谷雄高(一九〇九~九七)は、戦後に日本におけるドストエフスキー作品の評価の変化を概観して、「吾国の社会状勢に見あってのことと思いますが」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と記していた(「『偉大なる憤怒の書』の訳本」)。

しかも、大江健三郎との対談では埴谷は「(ナスターシヤ・フィリッポヴナは)物心つかないうちに妾にされた。これがある意味でナスターシヤのニヒリズムの条件であって、ナスターシヤが成長し、優れた素質を発揮するのは、そういうことを自覚してはじめて行なわれるようになる」と語っている(「革命と死と文学」)。そのことに留意するならば、先の埴谷の言葉は昭和初期の日本における『白痴』から『悪霊』への流れをよく把握していると思える。

一方、一九四五年の大阪空襲で焼け出されるという体験をしていた高橋和巳(一九三一~七一)は、日本が混沌としていた一九四九年七月に新制京都大学文学部の第一期生として入学し、同人雑誌を刊行した頃について『あのころのこと』でこう記している。「私達の会は『京大作家集団』という倨傲な名称をなのり、同人雑誌を作るのが第一目的で、三十五人ぐらい集まりました。朝鮮戦争がおこるまでガリ版で、五号まで出した。」

そして、「雑誌を出しながら、同時に研究をしようと、ドストエフスキー、次にバルザック、チェーホフと三年間ぐらい」続けたと記した高橋は、「日本のドストエフスキー関係の文献の中では、埴谷雄高氏のが一番いいと思います」と続けていた(一二・二三八~九、以下、本文中のかっこ内の漢数字は、『高橋和巳全集』〔河出書房新社、一九七七~八〇年〕の巻数と頁数を表す。なお、表記は現代表記に改めた)。

本稿では高橋の作品をとおして一九六九年に『日本の悪霊』を上梓するにいたる彼のドストエフスキー観に迫りたい。

一、高橋和巳のドストエフスキー観

大阪のスラム街・釜ヶ崎に隣接した地区で育ち、貧民街の様子とそこでの苦しい生活を『貧者の舞い』などの短編や後述する長編『憂鬱なる党派』で描いた高橋和巳は、「日本の場合は、『貧しい人々』の作者が同時に『悪霊』の作者(……)でもあることはまれだった」(一三・一八七)と書いて日本のドストエフスキー受容の問題を指摘している。

国家から弾圧された分離派に対する関心を強く持っていたドストエフスキーは、シベリア流刑後に自分の体験を踏まえて記した『死の家の記録』では分離派の敬虔な老人を描き、それ以降の大作でも分離派の問題を描いた。このようなテーマを受け継いだ高橋和巳は長編『邪宗門』(一九六六)で女性を開祖とする「ひのもと救霊会」に飢餓状態だったところを救われて育てられた孤児の千葉潔を主人公として黙示録的な終末観を持ち「世なおし」を唱えたために国家神道の価値観と対立して二度にわたり大弾圧を受けた皇国大本をモデルにして新宗教の問題を描いた。

三部からなるこの大作の第一部では弾圧後に独立して戦争に協力した「生長の家」的な分派「皇国救世軍」との対立を公開討論の形で描き出し、第二部では太平洋戦争が始まり活動が禁じられて苦境に立った教団を救うために「皇国救世軍」の指導者の次男との意に沿わぬ結婚に合意した教主の長女・行徳阿礼の苦悩が記されている。さらに、第三部では行徳阿礼の偽書により三代目の教主となった千葉潔が、占領軍に支配された戦後の日本で「剣を持つ」キリストの理念を説いて武装蜂起し、敗れて餓死するまでが記述されている。

『邪宗門』では五族協和や王道楽土の理念によって建国された満州に派遣された「ひのもと開拓団」の悲劇も描かれているが、満鉄の調査部に勤めて満州の建国にもかかわった青木を主人公とした『堕落――あるいは、内

なる曠野』(一九六五)では、「(戦後に)半ば無意識的に忘却されようとしたもののうち、もっとも重大なものの一つ」である、「幻の帝国――満州国の建国とその崩壊」(一四・四一四)の問題がさらに深く考察されている。

『地下生活者の手記』を転回軸として、ドストエフスキーが「《緻密な観察者》からやがて現実とは考察すべき素材にすぎないと知って《巨大な思索者》に成長していった」(一四・一三五)と捉えた埴谷雄高のドストエフスキー観への共感を示した高橋は、「ひたすら知識人の生き方を追求した」ロシア文学作品として「主人公ラスコリニコフの超人思想による無用者の殺害」(一三・一八六)が考察されている『罪と罰』を挙げた。

一方、一六章からなる長編『憂鬱なる党派』(一九六五)では、すでに『悪霊』のテーマが取り入れられており、第八章では党の厳しい査問の後で自殺した古志原の七回忌に集まるようにとの文面を読んだ青戸が「あの五人組組織でも真似るつもりなのか」(五・二九七)と考えたことが記され、七回忌ではネチャーエフ的組織をめぐる激しい議論が交わされている。

しかも、この長編では韓国系の教団・統一教会が黙示録的な視点から「神の罰」と捉えている被爆も重要なテーマをなしており、被爆しながらも「(僕たちの世代は)不意に恩赦を蒙って、平和になったからといって、観念して目をつむっていた首から縄をはずされても、ムイシュキン公爵のような善人には、誰もなれない」(五・二〇三)と暗い諦念を語っていた主人公の西村が、憤怒に駆られて退職し、五年の歳月をかけて原爆で被爆して亡くなった身近な人々の伝記を書きそれを出版しようとしたことも描かれている。

そして、長編の終わり近くでは元特攻隊員の藤堂が、「蛸壷に身をひそめ、頭上を敵の戦車が通過する瞬間、自爆する方法を教えられていた」同世代の若者たちを思い起こした後でこう考えたと記されている(五・四五二~四五三)。

「一たび死刑台に立たされ、不意に許された苛酷な経験のゆえに、もはや正常な生活者の道を歩めず、無限に寛大な〈白痴〉とならざるをえなかったムイシュキン公爵が、この国には何万、何十万といたはずだった。なぜ彼らは皆、黙っているのか? なぜ激怒して、いまだかつてこの世にない思想を、いかなる前人も思い及ばなかった大哲学を築こうとしなかったのか。」

ムイシュキン公爵自身は原作では死刑台に立たされてはいないので、ここでは黒澤映画『白痴』の主人公像を踏まえて考察されているといえるだろう。なぜならば、次節で見る『日本の悪霊』でも登場人物が酔っ払いだが博愛的な精神を持つ医師が描かれている黒澤映画『酔いどれ天使』のことを熱く語るシーンが描かれているからである。

一九六九年に発表された「内的葛藤の原型」の冒頭で「『カラマーゾフの兄弟』は、私にとっては座右の書というよりは、すでに心の中にはいってしまった作品である」と記した高橋はこう続けて自作との深いかかわりを明らかにしていた。
「激情的なドミートリイ、悪魔的な思索家のイヴァン、無限に善意なアリョーシャ、そしててんかん持ちの私生児スメルジャコフ。同じくロシヤの血をうけ、同じく時代の苦悩を背負い、同じくドストエーフスキイの分身として生命をあたえられ、たがいに愛憎しつつそれぞれの運命からはずれ得ぬ劇の構図は、単に革命前夜のロシヤの時代精神の象徴であるばかりか、いつしか私自身の内部の葛藤の原型ともなった。(……)この上は自らも、日本の現代のカラマーゾフ家の人々をつくりだすより他に救われる道はないかのようである。」(一四・四二八)

二、ドストエフスキー作品と長編『日本の悪霊』

全九章からなる高橋和巳の長編『日本の悪霊』は雑誌『文藝』に一九六六年一月から一九六八年の一〇月まで断続的に掲載された。この長編では八年前に軽い罪で捕らえられた主人公・村瀬と戦時中に特攻を志願して敗戦後は大学に戻らずに警官になっていた刑事・落合との追う者と追われる者の鋭い対決が『罪と罰』を思い起こさせる手法で描かれている。

また、大地主の屋敷を襲う犯罪に加担するように主人公の村瀬が友人の峯をなんとか説得しようとしたが、それを拒否した峯が自殺をするという『悪霊』のテーマと重なる場面もある。

さらに、「私のドストエフスキー」において、『死の家の記録』を「リアリスライク(ママ)な観察から、人周の可能性をそのぎりぎりの境界まで押しのばしてみせる巨大な形而上学的世界への飛翔にいたる、その転換点に位置するものといっていいだろう」(一三・四一五)と評価した高橋は、自作のインタビューでもこの長編を「『日本の悪霊』と称しながら」、「むしろ『死の家の記録』の方に近いようなところがある」(一九・二五六)と認めている。

実際、第二章「牢獄と海」で拘置所での裸にされての身体検査の後で村瀬は、強姦常習犯、暴行犯などが収容されている雑居房に入れられ、麦飯を食べていると彼らが脅すように村瀬のまわりを廻り出した。彼らの挑発に怒って暴力をふるった村瀬はその行為をとがめられ、後ろ手に手錠をかけられて懲罰用の独房に入れられた。

第七章「闇の遺産」では留置場の風呂場でのいざこざが克明に描写され、その後では「生爪をはぐ拷問よりも、四六時中の共同生活こそが地獄である」(九・二六六)という『死の家の記録』の記述を思い起こさせるような監獄制度に対する鋭い批判も記されている。

ただ、前節では『カラマーゾフの兄弟』についての考察に現れているように、ドストエフスキーは家族関係、ことに父親の問題を抉りだした。『罪と罰』では子供の養育を放棄したスヴィドリガイロフの問題を示唆し、『白痴』でも孤児のナスターシヤを性的犯罪により愛人としたトーツキーを「白い手」の紳士と描いたドストエフスキーは、『悪霊』でも理想を語る一方で、息子ピョートルの養育を放棄していたステパン氏の生き方と思想を批判的に描いている。

『悪霊』では黙示録的な雰囲気が作品全体を覆っているためにこの父親と息子の関係は、くっきりとは浮かび上がりにくいが、高橋が長編評論『暗殺の哲学』でたびたび言及しているアルベール・カミュは、長編『ペスト』で黙示録的な終末論を説く神父を厳しく批判していた。劇『悪霊』でもカミュは第一幕の冒頭で語り手とカルタをしているステパン氏の姿を示すことにより、教え子・スタヴローギンの母親の屋敷に居候をしながらカルタに大金を賭け、損金は息子が相続した亡くなった妻の領地を密かに切り売りしてその場をしのいできたステパン氏が、過激な思想を持つようになった息子との腹を割った議論からも逃げていことを浮き彫りにしている。

『悪霊』におけるステパン氏と息子・ピョートルとの父と息子とのそのような関係は、『日本の悪霊』では初めは明らかにされないが、徐々にその関係が犯罪にも結び付いていたことが明らかになる。ようやく、第五章の裁判で生年月日や本籍地について問われた村瀬は、本籍地を隠さなければならなかった『破戒』の主人公の悲劇を思い起こしながら、私生児ゆえに雇用されなかったことや、奉公に出された「妹の住み込み先が、港近くの小料理屋」で、そこが実質的には売春もさせる店であることを知って、「いつかはかならず見返ししてやる」と考えたことなどを思い起こす。

『罪と罰』のソーニャが家族のために娼婦になったように、家父長的な価値観が支配的であったロシア帝国や戦前・戦中の日本では、「国家」のために若者が戦場に駆り出されるように、「家」のために女性が犠牲になることは当然とされていたのである。

第七章で主人公の村瀬には「生れた時からして父が存在しなかった」と記した作者は、生れた子供に狷輔などという名を付けた「その姿を見せぬ父が、郡一番の金持であり大地主であり」、「堀をめぐらした邸に住んでいる」と記して、その父への激しい恨みが村瀬を大地主の殺害に踏み切らせていたことを示唆している。

一方、村瀬たちの指導者で僧侶くずれの鬼頭は、「放っておけばいつまでも無明の世界をさまよう者の悪しき因縁を絶ち、往生させてやるのはむしろ菩薩の行(ぎょう)」(九・二一九)と語っていたように、「一殺多生」を唱えて「血盟団事件」を起こした日蓮宗の信者・井上日召を連想させるような人物である。

この長編では刑事・落合の執拗な追及を受けた村瀬は八年前に犯した自分の犯罪を徐々に克明に思い出していくとともに、自分たちを率いた鬼頭の言動の問題点を認識し、暴力団による暴力事件も調べていた落合も警察と暴力団との癒着に気付いて村瀬たちの事件捜査の不可解さに気づくことになる。

ドストエフスキーは『悪霊』でピョートルがロシアの秘密警察にも通じておりそれがばれると国外に逃亡した社会革命党の暗殺団の指導者で二重スパイだったアゼーフのような人物であったことを描き出していた。高橋も開高健、小田実、真継伸彦、柴田翔と創刊した『人間として』(一九七〇年~七二年)での自作の合評会では鬼頭が「アゼーフにあたる人物」(一九・三六六)であることを認めて、この事件にはより大きな闇が秘められていることを示唆しているのである。

おわりに

三島事件の一年後に若くして病死したこともあり、高橋への関心は弱まったように見えたが、黙示録のハルマゲドンを強調したオウム真理教によるサリン事件などが起き、右派による「改憲」が叫ばれるようになると『憂鬱なる党派』や『邪宗門』などの高橋作品への関心が再び高まってきた

たとえば、「生長の家」の学生組織の元書記長で一九六九年には右派学生の全国組織の委員長になったが解任された鈴木邦男は、「挫折につぐ挫折で、『生きている意味があるのか』と何度も思った」が、「そのたびに、『生きていていいんだよと』となぐさめてくれたのが高橋(注:高橋の文学)だったと思う」と記している。

そして、「生長の家原理主義者」たちが「『日本会議』の中心メンバー」になって改憲運動をしていることを、「冗談じゃない。三島は勿論、高橋だって、この問題には強く反対するだろう」と厳しく批判している(アンソロジー『高橋和巳 世界とたたかった文学』二〇一七年)。

実際、黙示録的な終末観を持つ統一教会と右派的な政治勢力の癒着の問題などが明らかになってきた。「苦悩教」の教祖とも称される高橋和巳の多くの作品は悲劇的な終わり方をしている。しかし、高橋作品では問題の解決はできていないものの、ドストエフスキー的な手法で問題の所在は明らかにしていた。

しかも、高橋は『罪と罰』の人物体系を分析して「ラスコリニコフを見舞う親友ラズーミヒンがあり、事件や状況の全体は絶望的であっても、ソーニャと主人公の関係のありかたが、ある救いの感情をともなう情緒を読者につたえる」(一三・一二六)と記していた。

高橋が大病から癒えていたら彼が望んだ『カラマーゾフの兄弟』的な作品を書き得ていたと思えるが、残された作品にもそのような可能性の端緒は感じられる。今後、高橋和巳の研究が深まることを期待したい。(なお、ここでは煩瑣になるにでキリスト教シオニズムへの言及は避けた)。

近著『黙示録の終末観と対峙する――ドストエフスキーと日本の文学』(群像社)

『ドストエーフスキイ広場』第33号、2024年、111~117頁)

『堀田善衞研究論集――世界を見据えた文学と思想』(桂書房)と「堀田善衞の会」通信『海龍』第19号の発行、記念講演会のお知らせ。


桂書房webサイトの本の紹介

堀田善衞研究論集表紙

目次 ⇒ (http://katsurabook.com/booklist/1637/

「500ページ近い大著で、総勢18名の執筆者によるオリジナルな論考の集成である。①堀田善衞との対話、②作品を読む・作品を論じる、③堀田文学の多彩な関わりの世界、④インタビューから成る。」 堀田善衞の会企画、定価:4000円

  「序文」より

 本書は、堀田善衞という人について、またその作品について多角的に論じた一書である。生まれ故郷の伏木町といった日本国内に限らず、中国、朝鮮、スペイン、ロシア、アルジェリアなどとの関わりから世界のなかの堀田文学を比較文学的な観点から論じた論考があり、アジア・アフリカ作家会議での活動や『小国の運命・大国の運命』における社会主義思想のほか、『路上の人』や『海鳴りの底から』『鬼無鬼島』などはキリスト教思想や神道思想にも及んでいて、まさに「世界を見据えた文学と思想」が堀田作品からはうかがえる。本書のサブタイトルは、このような多角的な諸論文によって導かれたものである。これら複数の視座によって、堀田文学の豊かな様相が了解されるであろう。そして、その豊かさの根底にあるのは、権力に対する鋭い批判精神であることも理解されるに違いない。

「堀田善衞の会」通信、『海龍』第19号(2024.5.17) の目次

堀田善衞「O博士会見記」[旧文再見3] …1

丸山珪一「堀田善衞とオッペンハイマー「解題」を兼ねて」…4

由谷裕哉「メノッキオの話(2)」…7

高橋誠一郎「高橋和巳の堀田善衞観と長篇『橋上幻像』」…18

野村剛「伏木震災報告記私記として」…29

後記…32 短信 (『堀田善衞研究論集』刊行など)

記念講演会のお知らせ「堀田善衛の会」のブログより一部省略して転載)

『堀田善衞研究論集 世界を見据えた文学と思想』の刊行を記念し、堀田善衛の会では執筆者の野村剛と竹内栄美子の講演会を行います。伏木が生んだ世界飛翔の文学者・堀田善衛の原点と思索を振り返る企画です。                                                              

日時  2024年6月30日(日) 13:30~16:00  (受付開始:13:00)
場所  高岡市伏木コミュニティセンター 大会議室(2階)            
                     プ ロ グ ラ ム
堀田善衞の会代表あいさつ         (丸山 珪一) 

講演 堀田善衞が語る「北国の小さな港町」  (野村 剛)          

講演 堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』から『方丈記私記』へ (竹内 栄美子)  

堀田の詩 “風はどこから吹いて来る”  

「北日本新聞」に『堀田善衛研究論集』刊行記念講演会・開催の記事が掲載される(6月20日)。

(書影は演劇ユニット「メメントC」のブログより)

「堀田善衞研究」の頁へ → http://www.stakaha.com/?page_id=3116

(2024/06/16、加筆 、06/20、07/16、 改訂・改題 )

都知事選――旧統一教会と裏金自民党に支持された小池都知事との対決

はじめに  「ソビエト蓮舫」というダジャレ風の誹謗

都知事選に先に名乗りを上げた蓮舫(れんほう)議員への批判や揶揄するような記事が目立ってきている。

たとえば、「東スポ」の7日付けデジタル版では「蓮舫参院議員について、「もう存在しない世界№2の国→ソビエト蓮舫」と、ソビエト連邦と引っかけてダジャレにした」デーブ氏のダジャレがSNSで大バズりと紹介している。

たしかに、デーブ氏のダジャレには面白いものもあるが、しかし、蓮舫氏の正式な読みが「れんほう」であることを考えるとこれはダジャレにもなっていないと思える。

ここでは沈黙を守ることで優位に立とうとしているように見える小池百合子氏の問題を少し整理して見たい。

1,「学歴詐称」疑惑

「2020年に刊行された『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋)では、カイロで小池氏と同居していた北原百代氏が匿名で、小池氏がカイロ大学の進級試験で落第し、卒業できずに帰国したことを具体的に証言。2023年刊行された文庫版では実名での告発に踏み切」った。

「小池氏が政治家になる前の自著『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社、1982年)でも、『外国語をどう学んだか』(講談社現代新書、1992年)への寄稿でも、「(1年目に)落第した」と書いていますから、卒業は1977年以降でなければ辻褄が合いません」

日本外国特派員協会で記者会見した小島敏郎氏(2024年4月17日、記者撮影)

「今年4月、カイロ大学の声明文について、当時小池氏の側近だった小島敏郎弁護士が、小池氏の依頼で原案作成に携わったことを『月刊文藝春秋』5月号で告発」。

小池百合子一家のカイロ生活の面倒を見ていた朝堂院大楽氏が、小池氏の学歴詐欺問題について、都庁記者クラブで記者会見。
朝堂院大楽氏 「 政治家が嘘をつきまくると国が亡びる」

2,「銃剣道」と日本会議との強い繋がり

「日本会議国会議員懇談会」副会長

3,排除の論理と独裁的な議会運営

4,「七つのゼロ」と永遠の0

5,偽物の「ゴジラ」

画像

6,神宮外苑再開発の問題

2024/06/10、2024/06/13、 改題と追加

シオニスト的論者の飯山あかり氏を擁立した日本保守党の危険性


小説『永遠の0(ゼロ)』は、一見、旧日本軍を批判しているように見えながら、 巧妙に読者を誘導して最後は「美化」した戦前や戦時中の価値観へと導く構造を持っている。

日本保守党代表の百田尚樹氏と櫻井よしこ氏の「改憲」論

憎悪表現が多い百田尚樹氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年) がある安倍晋三元首相の「国葬」

日本保守党に擁立された飯山あかり氏は、ガザで集団虐殺を行っているシオニスト政権を擁護し、「”弱者は正義”病におかされたメディアと『専門家』にだまされてはいけない」と主張。

「(非宗教的な)シオニストのユダヤ人たちは」、「帝国の武力を背景にして」、「国を創るということをなんら怪しみませんでした」(岡真理『ガザとはなにか』、52頁)

日本のキリスト教シオニスト組織の 「キリストの幕屋」の信者 も イスラエルの前線部隊を「慰問」して砲弾に祈りの文言を記した。


キリスト教シオニズムと日本

武力を背景としたシオニズムの問題

2024/05/06、 05/12、 加筆

「『若き日の詩人たちの肖像』の考察から『堀田善衞とドストエフスキー』へ」の紹介

 2021年に書いた標記の記事にだいぶ手を入れて、スレッドの形で内容を紹介するようにした。それゆえ、ここでは冒頭の主なツイートとそのページにリンクできる二つのツイートを再掲する。

昭和初期と『白夜』の時代

(中略)

(中略)

当該ページへのリンク先のツイート

(2024/07/14、改訂)

国民の安全と経済の活性化のためにも、原発を過去のエネルギーに

1917年2月3日の「東京新聞」の朝刊は「廃炉費用 いつのまにか高くつく」と題した社説で「クリーンで安全で安い」と自公政権が宣伝してきた原発の問題を鋭く指摘していた。実際、能登半島震災でも志賀原発の危険性が明らかになった。ここでは原発の問題を投稿したツイートを通して確認したい。

大地震と原発の危険性→
《志賀原発クライシス》主電源喪失、燃料プールからは水が漏れ

福島原発事故の隠された悲惨さ

地震国での原発の危険性

志賀原発での24年前の事故の隠蔽

脱原発に踏み切ったドイ ツ

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大手電力会社の広告宣伝費

朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」より

志賀1号機直下の「活断層」

輪島市の避難所で低体温症で1人死亡

大阪万博中止して被災地に回せ

ホームページへのリンク先のツイート

2024/01/08、2024/01/12、加筆

カジノのための万博中止して被災地に回せ――今ならやめられる大阪万博 

「無料招待」をめぐって火だるま

カジノのための夢洲と大阪万博

拡がる能登半島地震 の被害

万博のアンバサダー・松本人志に性加害疑惑

「業者9割が工事に無関心」、あふれるネガティブ情報

#今ならやめれる大阪カジノ

五輪や万博ってやめられないの? 歯止めが利かない裏側にあるものとは :東京新聞 TOKYO Web https://tokyo-np.co.jp/article/289081

◆建設費倍増2350億円、終わったら壊す施設だけど ◆イベント開催は目的への手段 ◆昭和の成功体験にすがっているだけ :東京新聞 TOKYO

2024/01/07、2024/05/12、加筆