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齋藤博著『文明のモラルとエティカ――生態としての文明とその装置』(東海大学出版会、2006年)を「書評・図書紹介」に掲載しました

「書評・図書紹介」の最初のページに、学会誌『比較文明』(第23号)に掲載された『文明のモラルとエティカ――生態としての文明とその装置』の書評を再掲します。

齋藤博・東海大学名誉教授の文明学に対するご貢献については、論文集『文明と共存』の序文「混沌から共存へ」に記されているので、ここではそれを引用しておきます。

*    *     *

新しい世紀を迎えた現在も世界の各地で宗教問題や民族問題を契機とした紛争が頻発し、イラク戦争も大義が見つからないままに混沌の度合いを深め、一部ではすでに宗教戦争の様相を示しているとの見方も出始めている。

このような意味で二十一世紀への新しい視点を確立するためにも、スピノザの専門的な研究成果をふまえて、「文明への問いは人間の共存の根拠を問うこと」であるとして、東海大学文明学の理論的な方向性を示された齋藤博教授の先駆的な学的試みは高く評価されねばならないだろう。

本著はそのような齋藤名誉教授の学恩を受けた大学院生卒業生の論文を中心にして編んだものであり、いわば各人における齋藤文明学の受容と自分の専門の視点からの発展が示されている。

本著が混迷から共存への方向性を模索する文明学の発展にささやかでも寄与できれば幸いである。

「アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法」を「映画・演劇評」に掲載しました

  ようやく、11日に宮崎駿監督の《風立ちぬ》を見ることができました。

夏休み中ということもあり、600名ほども収容できる大ホールでの上映でしたが、最前列の数列が空いていた他は、ほとんど満席の状態でした。親子連れやカップルの多くが、巨大な入れ物に入ったポップコーンと飲み物を抱えて続々と入場してくるのを見たときには、騒音で映画に集中できないのではないかとも心配しましたが、映画が始まると画面に魅入られたように静かになりました。

このアニメ映画については、「アニメ映画『風立ちぬ』と鼎談集『時代の風音』」と題したブログにまだ見ぬ前から記していましたが、見終わってからもよくぞあの複雑な世界観、文明観をアニメ映画というジャンルで描き出してくれたという思いからしばらくは席を立つことができませんでした。

これから何回かに分けてアニメ映画《風立ちぬ》の感想を「映画・演劇評」に書くことにします。

「主な講演と市民講座」に、一覧を掲載しました

「主な講演と市民講座」に、2001年度からの市民講座などを掲載しました。

これらの開催の際には、司会の労を執って頂いた方々や、関係者の方々にたいへんお世話になりました。

まだ、抜けている事項などもあると思いますが、徐々に充実せせていきたいと考えています。

 

「お問い合わせ」に、コメントへの対応を掲載しました(ブログ)

このホームページを開設して以降、多くの方々から温かいご感想やご意見を頂きました。

また、本日は3通のコメントが届いていました。ご多忙の中、ありがとうございました。

 

ただ、HP設定の際にコメントも受け付けるとの設定になっていたようですが、

このホームページではコメントは反映されません。

 

ご感想やご意見は「お問い合わせ」のページにお送り頂き、

興味深い内容のご意見や鋭いご批判は、後日、ご紹介するようにしたいと考えています。

詳しくはまだ工事中ですが、「お問い合わせ」のページをご参照ください。

TPPと幕末・明治初期の不平等条約

選挙後の7月23日から始まる実質的にはたった2日間のTPP交渉のために「官僚100人が海外出張」との記事が、13付けの日刊ゲンダイのネットに載っていました。

TPPには日本の食糧を産み出す「大地」に関わる農業以外に、医療や原発など日本人の生命にも影響を与えるような多くの重大な分野が含まれていることが指摘されていますが、私はその面での専門家ではないので、TPPと幕末から明治初期の日本を揺るがした不平等条約との類似点を「文明論」的な視点から2点挙げて、その危険性を指摘しておきます。

最初に挙げられるのは、主な事項がすでに入っている諸国で決められており後から入る国にはこれを覆すことができない点で、次に挙げられるのは、そのような重要な条約の内容が全く「国民」には明かされていないことです。

これは「文明」の進度という尺度から、「先進国」が「後進国」に武力を背景にしてでも「開国」を求めることが正しいとされていた幕末時の国際情勢と、それに対する国内の激しい反応を思い起こさせます。

ナショナリズムの問題を論じた14日付けのブログ記事では、ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が「品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう」と激しい言葉を司馬氏が名作 『竜馬がゆく』において記していたことを確認しました。

このようなアメリカをはじめとする「先進」西欧諸国の要求に対しては、多くの日本人が「情報の公開と言論の自由」を求めましたが、それらを封殺した幕府がほぼ独断で諸外国の要求を受け入れたことがたことが、大老・井伊直弼の暗殺と討幕運動につながったことはよく知られています。

司馬氏の視線の鋭さは、維新後の「薩長独裁政権」が諸外国との交渉には弱腰である一方で、「情報の公開と言論の自由」を求めたが民衆の運動を封殺しようとしたことが、「自由民権運動」だけでなく、西南戦争や時の権力者・大久保利通の暗殺を引き起こしたことを指摘していることです。

少し長くなりますが、大久保の暗殺者についての考察が記されている『翔ぶが如く』の「紀尾井坂」の章から引用しておきます。

「――大久保を殺そう。というふうに島田が決意したのは、飛躍でもなんでもない。殺すという表現以外に自分の政治的信念をあらわす方法が、太政官によってすみずみまで封じられているのである。幕末の志士も、ほとんどのものが口をあわせたように、『言路洞開』を幕府に対して要求してきた。野の意見を堂々と公表させよ、あるいは公議の場に持ちこませよ、という意味であり、幕府はそれを極度に封じ、私的に横議する者があっても『浮浪』として捕殺した。幕末における暗殺の頻発は、ひとつには在野を無視したための当然の力学的現象ともいえなくなく、(中略) 明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った。福沢諭吉が西郷の死のあと『丁丑公論』を書いたのは、政府に対する抵抗の精神は当然許容さるべきだということを説くためであった。」

衆院選での「公約」を反故にして、急遽、参加を決めたTPPの内容が、「日本国民」に不利なことが明らかになったとき、国内情勢は明治初期のような混乱した様相をしめすことになる危険性があるように思えます。

目先の経済的な利益にとらわれずに、10年後の日本の将来を考えるような投票が求められるでしょう。

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

分かりやすい平易な文章で描かれてはいますが、厳しい歴史認識も記されている長編小説『坂の上の雲』が、NHKのスペシャル大河ドラマとして2006年から放映されることが決まったと知った時には、強い危機感を持ちました。

征韓論から日清戦争をへて、日露戦争にいたる明治の日本を描いたこの長編小説を冷静に読み解かなければ、国内のナショナリズムを煽(あお)るだけでなく、それに対する反発からロシアや中国、さらには韓国のナショナリズムも煽られて、日本とこれらの国々や、欧米との関係にも深い亀裂が生じることになると思われたからです。

脚本を書いていた才能ある作家・野沢尚氏の自殺のためにテレビドラマ《坂の上の雲》の放映は延期となりましたが、ふたたびその構想が浮上したときには、坂本龍馬を主人公とした大河ドラマ《龍馬伝》(2010)を間に挟んだ形で、2009年から2011年の3年間にわたるスペシャルドラマとして放映されることなりました。

名作 『竜馬がゆく』で司馬遼太郎氏は、ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が「品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう」と激しい言葉を記していました。

しかし、土佐における上士と郷士との血で血を洗うような激しい対立をもきちんと描いていた司馬氏は、「尊王攘夷の志士」だった若き竜馬がすぐれた「比較文明論者」ともいえるような勝海舟と出会ったことで急速に思想的な生長を遂げていく様子を描いています。

「時勢の孤児」になることを承知しつつも、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げるために「船中八策」を編み出した竜馬は、暗殺されることになるのですが、司馬氏はこの長編小説を「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」という詩的な言葉で結んでいました。

残念ながら、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の人々を美しく描き出した大河ドラマ《龍馬伝》の竜馬にはそのような深みは見られず、この大河ドラマを挟んでスペシャルドラマ《坂の上の雲》の放映が行われた後では、「国」の威信を守るためには戦争をも辞さないという「気概」を示すことが重要だと考える人々や、竜馬の理念を受けついだ明治初期の人々が獲得した「憲法」の意義をも理解しない政治家が大幅に増えたように見えます。

昨日、大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることを知り驚愕しました。

《坂の上の雲》の放映は大きな社会的問題となりましたが、選挙戦のこの時期に大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることも大きな政治的問題を孕んでいると思えます。

 

 

ホームページを開設しました(ブログ)

 

ようやくHPを開設しました。
まだ、「工事中」のページもありますが、
現在の日本の原発の状況を少しでも変えたいと考えて、
ともかく公開に踏み切りました。
その理由は「映画・演劇評」のページに書いた
「劇《石棺》から映画《夢》へ」の記事に記載します。
 
 ただ、このホームページではコメントは反映されません。

ご感想やご意見は「お問い合わせ」のページにお送り頂き、興味深い内容のご意見や鋭いご批判は、後日、ご紹介するようにしたいと考えています。

詳しくはまだ工事中ですが、「お問い合わせ」のページをご参照ください。

(7月25日のブログ記事を追加)