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文明

「『地下室の手記』の現代性――後書きに代えて」(『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』所収、池田和彦訳、高橋誠一郎編集、のべる出版企画、二〇〇六年)

本書の底本となったのはブリストル大学名誉教授リチャード・ピース(Richard Peace)氏のDostoevsky’s Notes from Underground(Bristol Classical Press, 1993)と「ロシアにおける自由の概念」(Russian Concepts of Freedom, Russian Studies,No,35,1978,pp.3-15)である。

言語学や比較文学の手法を用いながら時代的な状況をも踏まえた上で、テキストの綿密な分析を行った第一部と、文学的・思想的な背景、およびこれまでの批評史の第二部から構成されるピース氏の『地下室の手記』論は、アンドレ・ジッドが「ドストエフスキイの全作品を説く鍵」と呼んだこの小説の「謎」に肉薄しつつ、その文学的・思想的な意義をも明らかにしていると思える。

ただ日本では『地下室の手記』の文学的・思想的背景があまり知られていないために日本版の本書においては、構成を少し変えるとともに、『地下室の手記』第二部の注釈のうち、引用文およびあらすじを述べた部分の一部を省略させて頂き、その代わりに『地下室の手記』においても重要な位置を占める「自由」という単語の概念について論じた「ロシアにおける自由の概念」を序論として置いた。

それは一九七八年に書かれたにもかかわらず、西欧とロシアにおける「自由」の意味の違いに注意を払いつつロシア文学を分析することで、この論文が個人の「自由」の欲求と国権による「自由」の弾圧に揺れた一九世紀のロシアを見事に分析しているだけではなく、ソ連の崩壊やその後のロシアの政治状況をも見通すことによって、『地下室の手記』の現代性をも裏付けていると思えるからである。そして氏が示唆した問題は、ロシア帝国と同様に急速な近代化(西欧化)に踏み切った日本における「自由」の問題とも深く係わっているであろう。

さらに、最近の日本では「文明国」の言語であるアメリカの言語さえ習得すれば、どの国の人々ともきちんと分かり合えるという皮相的な考えが広がり、米語教育のみに重点が置かれて、多くの有能な非米語圏の研究者の職が奪われている。しかし、比較言語と比較文学の手法で西欧文学とロシア文学との関係に鋭く迫った本論は、他国を本当に知るためにはその国の言葉や歴史・文化を学ぶことが不可欠なことも見事に説明していると思われる。

それゆえ、『地下室の手記』の受容の問題を考えるためには、ロシアや欧米だけでなく日本の考察も必要と考え、フランス文学との関連などで多くのドストエフスキイ研究のある訳者の池田和彦氏に「日本における『地下室の手記』の受容について」の執筆をお願いした。

現在、国際ドストエフスキイ学会の副会長を務める著者のピース氏は、一九六二年にオックスフォード大学で文学修士課程修了後、ブリストル大学の講師を経て、一九七五年からはハル大学教授の職に就くと共に、英国大学スラヴィスト学会の会長や、ハル大学の文学部長などを歴任した、世界的に著名なロシア文学者である。ことに一九七一年に出版された主著『ドストエフスキイ:主要作品の検討』(Dostoyevsky: An Examination of the Major Novels, Cambridge University Press)は、『罪と罰』から『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』にいたる長編小説の分析を通してドストエフスキイ文学の意味に迫り、作品における登場人物の名前や分離派の問題の重要性を広い視点から明らかにして、江川卓教授や作田啓一教授の著書でもたびたび引用されるなど、欧米やロシアの研究者だけでなく日本人の研究者にも強い影響を及ぼした。

この後もピース氏は、ドストエフスキイに強い影響を及ぼしたゴーゴリの作品を考察した『ゴーゴリの謎』(The Enigma of Gogol–An Examination of the Writing of N.V. Gogol and their Place in the Russian Literary Tradition, Cambridge University Press, 1981)や、すぐれたチェーホフ論である『チェーホフ 主要四戯曲の研究』(Chekhov: A Study of the Four Major Plays, Yale University Press, 1983)、さらには日本に来航した作家ゴンチャローフの主著を分析した『オブローモフ』(Oblomov: A Critical Examination of Goncharov’s Novel, Department of Russian Language and Literature University of Birmingham, 1991)などの研究書を次々と刊行された。

そして一九九二年には『ドストエフスキイ:主要作品の検討』がブリストル大学出版会から復刻されたが、その翌年に出版された『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』(Dostoevsky’s Notes from Underground)は、理想に敗れた知識人の絶望にいたる意識の流れを鋭く描き出してその後の文学や思想に深刻な影響を及ぼした『地下室の手記』の本格的な分析を、それまでの多くの研究成果と斬新な手法を活かして試みたものである。

本書の特徴の一つに挙げうるのは、氏がロシアだけでなくイギリスの思想的潮流をもきちんと分析した上で、ドストエフスキイがイギリスで生まれた功利主義の哲学や、当時の西欧中心史観をも射程に捕らえつつ、イギリスの歴史家バックルが『イギリス文明史』で主唱した「楽観的な進歩史観にたいして」この小説の主人公を敢然と立ち向かわせていると指摘し得ていることであろう。

実際、ドストエフスキイは『地下室の手記』の主人公に、「文明」が進むことによって「戦争」が無くなると言われているが、むしろ現代では「血はシャンパンのように」多量に流されているではないかとして、「文明」の名のもとに正当化される戦争の実態を批判させていたのである。

そしてそれは、なにゆえドストエフスキイが『罪と罰』において、「自分」をナポレオンと同じ「非凡人」であると信じ、「他者」を「悪人」と規定して殺害した若き主人公の思想と苦悩を描き出したかをも説明しているだけでなく、「他国」を野蛮な敵国とし、「自国の正義」を主張して、「戦争と革命の世紀」となった二〇世紀の性格をも予告していたのである。

一方、二一世紀は「平和と対話の世紀」となることが期待されたが、ニューヨークで同時多発テロが起きると、「報復の権利」の行使が主張され、「ならず者国家」に対しては核兵器の使用も含む先制攻撃が出来るとするドクトリンが発表されて、「新しい戦争」が開始された。すなわち、現代は依然として一九世紀にドストエフスキイが提起した問題をきちんと克服できていないのである。

こうして、再び混迷の度を深めている現在、当時のロシアの時代状況をきちんと踏まえつつ、「自己」と「他者」の問題を局限まで考察した『地下室の手記』を本格的に論じたピース氏の著作は、広い視野から文学や歴史を再考察する上でも時宜にかなっていると思える。本書が日本の読者に広く受け入れられることを期待したい。

ピース教授と初めてお会いしたのは、一九九二年にオスロで開かれた国際ドストエフスキイ学会においてであり、混沌とした当時のロシアの政治・経済状況と比較しつつ、『地下室の手記』の直後に書かれた短編小説『鰐(クロコダイル)』の現代性を浮き彫りにした氏の発表からは新鮮な感銘を受けた。その後『罪と罰』をきちんと分析するためには、ヨーロッパ旅行の文学的な記録である『冬に記す夏の印象』や『地下室の手記』の考察が必要であると考えてイギリスでの研究を望んだところ、ブリストル大学(University of Bristol)に快く迎え入れて頂き、さらに出版されたばかりの本書の底本をご贈呈頂いた。

一八七六年創設という古い伝統を持つ総合大学のロシア学科で一年間、近代ヨーロッパ文明の問題点にも注意を払いながら一九世紀のイギリスとロシアの関係を研究できたのはたいへんありがたく、ロシアと日本における「欧化と国粋」のサイクルの類似性に気づいて、「日露両国の近代化の比較」というテーマの重要性を確認できたのもこの時期であった。

それゆえ、拙著『「罪と罰」を読む――正義の犯罪と文明の危機』(刀水書房、一九九六年)は、この本から大きな学恩を受けているといえるのだが、単に引用するだけでなく日本でもきちんと紹介する価値があると思い、訳書を出版したいと考えるにいたった。しかし、折からの大学改革などで全く時間が取れなくなったことなど諸般の事情で最初の企画は頓挫にいたった。

再度の出版を試みた今回も(中略)出版が遅くなり、ご迷惑をおかけした。なお、注釈第二部の翻訳箇所については高橋が原案を作り、これに池田が補足を加えて訳出した。全体の企画と編集の責は高橋が負っている。

大学を退官後もピース氏は、ロシアの思想や文学を知る上で欠かせないグリボエードフの『智恵の悲しみ』の注釈書(A.S.Griboedov:: Woe from Wit, Bristol Classical Press, 1996)をブリストル大学出版会から出版された。さらに二〇〇〇年には国際ドストエフスキイ学会副会長の木下豊房教授のご尽力と安藤厚・北海道大学教授や井桁貞義・早稲田大学教授など多くの方々のご協力により日本で始めて行われた「ドストエフスキイ国際集会」で口頭発表や司会を務められるなど国内外で活溌な研究活動をされている。二〇〇二年にはネット版で The Novels of Turgenev: Symbols and Emblems を、さらに編集に携わられた『罪と罰』論(Fyodor Dostoevsky’s Crime and Punishment: A Casebook)が、オックスフォード大学出版から本年アメリカで出版された。

最後になるが、はやくに日本版の序を寄せて頂いたピース氏にこの場を借りて出版の遅れをお詫びするとともに、厳しい出版事情の中で本書の刊行を快くお引き受け頂いた「のべる出版企画」の野辺慎一社長と本書の出版にもご協力頂いた文芸評論家の横尾和博氏に感謝の意を表したい。

(訳書では「参考文献」のページで本書の原題を示したために原著の英文名を省いたが、ここでは読者の便宜のために記しておく)。