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『分身』

「暗黒の三〇年」と若きドストエフスキー

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26歳時のドストエフスキーの肖像画、トルトフスキイ絵、図版はロシア語版「ウィキペディア」より)

 

「暗黒の三〇年」と若きドストエフスキー

「謎」としての人間

将来の戦争をも予期されるようなフランスとの緊張関係の高まる中で、ドストエフスキーの父・ミハイルは軍医の養成が急務となっていた際の募集に応募してモスクワの医学校に転校し、「祖国戦争」では軍医として働いた。しかも、この戦争で知り合った軍医の紹介でモスクワ商人の娘のマリアと結婚することができたミハイルは、その親類の援助もあり、ロシアの皇室との関係も深かった病院の医師として転職することにも成功していたのである。

しかし、ロシア帝国が「祖国戦争」で奇跡的な勝利をおさめた後で、皇帝アレクサンドル一世は戦争で荒廃したロシアの内政にではなく、「諸国民の解放戦争」と新しい国際秩序の確立に力を注いだ。そのために皇帝が亡くなった後では、憲法の制定を求めて青年将校たちによるデカブリストの乱が起きたが、それを鎮圧したニコライ一世は、フランスなどの外国からの影響を防ぐために、秘密警察や検閲を強化し、彼の治世は「暗黒の三〇年」と呼ばれるような時代となった。

このような中で、一代で世襲貴族の地位にまで出世したミハイルは、モスクワ郊外の村を買いとって村では絶対的な権力を持つ領主となったが、農奴たちとの軋轢から殺害されることになった。父ミハイルの横死の後で、「人間は謎です。その謎は解き当てなければならないものです」と記していたドストエフスキーは、「人間の謎」を解くために職を辞して作家になるという決断をしたのである。

それゆえ、ドストエフスキーが選んだ作家という職業は、彼が背負わねばならなかった問題と深く結びついており、それは「父親」という「一個人の謎」に留まるものではなく、「自己」と「他者」との複雑な「関係性」を深く考察することで、「人間の謎」に迫ろうとするものであり、ドストエフスキーの視線はそのような人間関係を規定している「教育」や「法律」などの「制度」にも深く及んでいるのである。

「イソップの言葉」

緊迫した哲学的な対話を通して登場人物の隠された心理にも鋭く迫った後期の長編小説と比較すると、ドストエフスキーの初期の作品は軽視されることが多い。しかし、後期の作品と比較すればドストエフスキーの初期の作品では主人公たちの心理分析の甘さが目立つが、それは単にドストエフスキー自身の表現能力の未熟さを意味するのではない。

むしろこれから詳しく考察するように、それは「暗黒の三〇年」と呼ばれたニコライ一世治下の厳しい検閲制度とも深く関わっていたといえよう。すなわち、厳しい検閲の眼を逃れるために、ドストエフスキーは初期の作品からいわゆる「イソップの言葉」を用いることで、驚くほど果敢にロシアにおける権力の腐敗や人間の心理の問題などに迫っているのである。

それゆえセンチメンタルな小説にしかみえないような小説の構造や、「道化」的なタイプの登場人物、さらには主人公が親友に対して自分の婚約者と一緒に仲良く暮らそうという提案なども、検閲の問題との関わりで読み解くとき別な様相を示していることに気付く。

しかも、第一作『貧しき人々』の題名に用いられた「貧しい」(bednaya)という形容詞は、「哀れな」という意味も持っているが、ドストエフスキーの作品においては「文学」や「良心」といった重要な単語でさえも二義性を持っており、同じ単語でありながら語り手や時間が違うとその意味を変えるものさえあるのである。

たとえば、一見すると中年の官吏と若い女性のセンチメンタルな物語に見える『貧しき人々』には、プーシキンの作品やゴーゴリの作品などが複雑な形で組み込まれている。それらの作品を「イソップの言葉」を解読する「鍵」として、この小説を読み解くとき、そこにはすでに「父親に捨てられた母親と子供」のテーマが秘められているばかりでなく、ここでは、学校における外国語教育の問題や、職場における「リストラ」の問題、さらには「プライヴァシー」や「個人の権利」の問題など、きわめて現代的な問題が考察されていることに気付くのである。

さらに、第一作とは正反対のタイプの官吏を主人公とした第二作『分身』では、権力者に取り入って立身出世を図ろうとする人物の破滅を「欲望の模倣」というきわめて独自な視点から鋭く描き出すことに成功している。

そしてフランス二月革命の余波が全ヨーロッパに及んでいた一八四八年に書かれた『白夜』や『弱い心』などではプーシキンにおける「ペテルブルグのテーマ」が深く再考察されているばかりでなく、主人公の女性をめぐるライバルとの葛藤の問題をとおして「夢想家」のテーマなど、後の長編小説でも重要な役割を演じることになる重要なテーマが多く描かれている。

こうして、文学という方法で農奴制などの過酷な制度を批判し、農奴制の廃止や憲法の制定などを求めるペトラシェフスキーの会で積極的に活動していたドストエフスキーは、ロシア軍がハンガリーに派兵されたのと同じ月の一八四九年の四月に捕らえられ、八ヶ月間にわたる厳しい取り調べの後で、年末に死刑を宣告されて刑場に立つことになったのである。

以下、本書では『貧しき人々』から『白夜』にいたるドストエフスキーの作品の分析することにより、クリミア戦争の時期にまで続いたニコライ一世(在世――一八二五~五五年)の「暗黒の三〇年」の時期に、ドストエフスキーが「人間の謎」にどのように迫ったのかを明らかにしたい。(後略)

(『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』、「はじめに」より。語句や文体を一部改訂)