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例会発表「『罪と罰』の受容と法制度と教育制度の考察――長編小説『破戒』を中心に」を終えて

例会発表「『罪と罰』の受容と法制度と教育制度の考察――長編小説『破戒』を中心に」を終えて

昨日、千駄ヶ谷区民会館で行われた第241回例会には、嵐の前触れとも言うべき雨も降り出すなか多くの方にご参加頂き、下記の順で発表しました。

 はじめに――『罪と罰』の受容と「憲法」の危機

Ⅰ.ドストエフスキーの青春と明治初期の「自由民権運動」

Ⅱ.正岡子規の小説『曼珠沙華』と島崎藤村の長編小説『破戒』

Ⅲ.長編小説『破戒』の構造と人物体系

Ⅳ.「教育勅語」発布後の教育制度と長編小説『破戒』

Ⅴ.『罪と罰』から長編小説『破戒』へ――北村透谷を介して

*   *   *

 発表後の質疑応答では、〔ドストエフスキーの青春と明治初期の「自由民権運動」〕や〔正岡子規の小説『曼珠沙華』と島崎藤村の長編小説『破戒』〕については、好意的なご感想や発表で引用した木村毅氏についての貴重な示唆が木下代表からありました。

正岡子規から島崎藤村への流れを考える際には、夏目漱石との関わりも考察することが必要ですが時間的な都合で今回は省きました。ただ、この問題についいては、「夏目漱石と世界文学」をテーマとした「世界文学会」の本年度の第4回研究会で、〔夏目漱石と正岡子規の交友と作品の深まり――「教育勅語」の渙発から長編小説『三四郎』へ〕と題して発表した動画がユーチューブにアップされていますので、下記のリンク先をご覧下さい。

http://youtu.be/nhIPCAoGNsE (1)

http://youtu.be/_1KBH3Lx0Fc (2)

また、『罪と罰』の問題と長編小説『破戒』における「戒め」の問題についての本質的な問いかけもあり議論が進むかと思われたのですが、時間的な都合で議論が深まらなかったのは残念でした。

ただ、二次会の席では馬方よりも低い身分とされていた牛方仲間が「不正な問屋を相手に」立ち上がって勝利した江戸末期の牛方事件や、新政府が掲げた「旧来ノ弊習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基ヅクベシ」という一節を信じていた主人公の青山半蔵が、維新後にかえって村人が貧しくなっていくことに深く傷つき、ついには発狂するまでが描かれている『夜明け前』にも話しが及んで議論が盛り上がりました。

古代を理想視した復古神道の問題については「世田谷文学館・友の会」の今年の講座で〔夜明け前』から『竜馬がゆく』へ――透谷と子規をとおして〕と題して発表していましたので、来年出版予定の拙著『「罪と罰」と「憲法」の危機――北村透谷と島崎藤村から小林秀雄へ』(仮題)にも載せるようにしたいと考えています。

なお、参加者の方から質問と発言があった小林秀雄のドストエフスキー論の問題点は、太平洋戦争勃発のほぼ1年前の1940年9月12日に発表されたヒトラーの『我が闘争』の書評と『全集』に再掲された際の改竄、そして日米安保条約が改定された1960年に『文藝春秋』に掲載され、後に『考えるヒント』に収められた「ヒットラーと悪魔」にあると私は考えています。

日本が日独伊三国同盟を結んで太平洋戦争に向かうようになる司馬遼太郎が「昭和初期の別国」と呼んだ時期とロシア史で「暗黒の30年」と呼ばれるニコライ一世の時代との類似性についてはすでに何度か書きましたが、ヒトラー内閣が成立した翌年の1934年に発表されたのが、『罪と罰』論と『白痴』論だったのです。

また、「治安維持法」が出た後で自殺した芥川龍之介の『河童』や2.26事件以降の日本をナチスの宣伝相ゲッベルスの演説とドストエフスキーの『白夜』を比較しながら生々しく描いた堀田善衛の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』については、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の終章で考察していました。

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その際には単に示唆しただけに留めていましたが、厳しい言論弾圧のもとに「右傾化」していくアリョーシャのモデルには、「大東亜戦争を、西欧的近代の超克への聖戦」と見なした『英雄と祭典』と題された『罪と罰』論を真珠湾攻撃の翌年に出版した堀場正夫も入っていると思えます。

そのような読者に小林秀雄の『罪と罰』論は強い影響を与えただけでなく、太平洋戦争が始まる前年の8月に行われた鼎談「英雄を語る」(『文學界』)では、「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」という作家の林房雄の問い対して、「大丈夫さ」と答えていました。しかも、そこで「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ」と無責任な説明をしていた小林秀雄は、戦争が終わった後では、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」と語り、「それについては今は何の後悔もしていない」と述べていたのです。

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戦争が近づいているように見える現在も小林秀雄論者が活気づいてくるように見えますが、それは太平洋戦争時のように無謀な戦争を煽りたてることであり、原発が稼働している日本ではいっそう悲惨な結果を招くことになると思えます。

質疑応答のなかで言及した国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄講義 学生との対話』(新潮社、2014)における「殺すこと」などの問題とドストエフスキー論との関連については近いうちに改めて分析したいと考えています。

ただ、小林秀雄の書評『我が闘争』や「ヒットラーと悪魔」などについては知らなかった方も少なくなかったので、とりあえず本稿関連論文のあとに「小林秀雄のヒトラー観」と題した記事のリンク先をアップしておきます。

本稿関連論文

「司馬遼太郎のドストエフスキー観――満州の幻影とペテルブルクの幻影」(『ドストエーフスキイ広場』第12号、2003年参照)

「『文明の衝突』とドストエフスキー --ポベドノースツェフとの関わりを中心に」(『ドストエーフスキイ広場』第17号、2008年)

 リンク先

小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」とアイヒマン裁判をめぐって

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(3)――PKO日報破棄隠蔽問題と「大きな嘘」をつく才能

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(4)――大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用

(2017年9月19日、加筆改訂。2017年11月4日、改題)

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