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島崎藤村の『破戒』と『罪と罰』の現代性

島崎藤村の『破戒』と『罪と罰』の現代性

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社〔四六判上製/224頁/2000円/2019年2月〕

成文社 http://www.seibunsha.net/books/ISBN978-4-86520-031-7.htm

島崎藤村の『破戒』と『罪と罰』の現代性

島崎藤村が長編小説『破戒』を自費出版したのは、日露戦争直後のことでしたが、夏目漱石は弟子の森田草平に宛てた手紙で島崎藤村の長編小説『破戒』を、「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞しました。

この長編小説で島崎藤村は、「教育勅語」の「忠孝」の理念を説く校長や教員、議員たちの言動をとおして、現在の一部与党系議員や評論家によるヘイトスピーチに近いような用語による差別が広まっていたことを具体的に描いていたのです。

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(島崎藤村、出典は「ウィキペディア」。書影は「アマゾン」より)

ただ、批評家の木村毅は『罪と罰』と『破戒』の類似性についてこう指摘していました。「この英訳『罪と罰』を半ばも読み進まぬうちに、重大な発見をした。かつて愛読した藤村の『破戒』は、この作の換骨奪胎というよりも、むしろ結構は、『罪と罰』のしき写しと云っていいほど、酷似している」(「日本翻訳史概観」『明治翻訳文學集』、昭和47年、筑摩書房)。

実際、主人公の瀬川丑松はラスコーリニコフと対応していますし、飲酒が原因で退職となる教員・風間敬之進とその妻の描写は、マルメラードフ夫妻を連想させます。また、敬之進の前妻の娘で蓮華寺の養女に出されるお志保もソーニャを思い起こさせるだけでなく、彼女にセクハラを仕掛ける蓮華寺住職とその妻の関係は、スヴィドリガイロフと妻マルファに似ているなど多くの人物造型が『罪と罰』に依拠しているように思われます。

しかし、先の文章に続けて木村が「『破戒』が日露戦争後の文壇を近代的に、自然主義の方向へと大きく旋回させた功は否めず、それはつまり、ドストイエフスキイの『罪と罰』の価値の大きさを今更のように見直すことになった」と書いているように、この類似性は『破戒』の価値をさげるものではありません。

『罪と罰』の初めての邦訳を行った内田魯庵は、この長編小説の大きな筋の一つは「主人公ラスコーリニコフが人殺しの罪を犯して、それがだんだん良心を責められて自首するに到る経路」であると指摘して、「良心」の問題の重要性に注意を促していました。(明治四五年、「『罪と罰』を読める最初の感銘」)。

実際、「大改革の時代」に発表された『罪と罰』では裁判制度の改革に関連して創設された司法取調官のポルフィーリイの、殺人を犯した「非凡人」の「良心はどうなりますか」という問いに「あなたには関係のないことでしょう」といらだたしげに返事したラスコーリニコフは、「いや、なに、人道問題として」と問い質されると、「良心を持っている人間は、誤りを悟ったら、苦しめばいい。これがその男への罰ですよ」と答えていたのです(三・五)。

この返事に留意しながら読んでいくと本編の終わり近くには、「弱肉強食の思想」などの近代科学に影響されたラスコーリニコフの誤った「良心」理解を示唆するかのような、「良心の呵責が突然うずきだしたような具合だった」(六・一)と書かれている文章と出会うのです。

「日本国憲法」では「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定められていますが、独裁的な藩閥政府との長い戦いを経て「憲法」を獲得した時代を体験した内田魯庵は、絶対的な権力を持つ王や皇帝の無法な命令や行為に対抗するためにも、権力者からの自立や言論の自由などを保証する「良心」の、『罪と罰』における重要性を深く認識していたのです。

そして島崎藤村もドストエフスキーについて、「その憐みの心があの宗教観ともなり、忍苦の生涯ともなり、貧しく虐げられたものの描写ともなり、『民衆の良心』への最後の道ともなったのだろう」と記していました(かな遣いは現代表記に改めた。『春を待ちつつ』、大正一四年)。

「民衆の良心」という用語に注目して『破戒』を読み直すとき、使用される回数は多くないものの「良心」という単語を用いながら主人公の「良心の呵責」が描かれているこの長編小説が、表面的なレベルだけでなく、深い内面的なレベルでも『罪と罰』の内容を深く理解し受け継いでいることが感じられます。

すなわち、「非凡人の理論」を考え出して「高利貸しの老婆」の殺害を正当化していたラスコーリニコフの「良心」理解の誤りを多くの登場人物との対話だけでなく、彼の「夢」をとおして視覚的な形で示したドストエフスキーは、ソーニャの説得を受け入れたラスコーリニコフに広場で大地に接吻した後で自首をさせ、シベリアでは彼に「人類滅亡の悪夢」を見させていました。

『破戒』において帝政ロシアで起きたユダヤ人に対する虐殺に言及していた島崎藤村も、自分の出自を隠してでも「立身出世」せよという父親の「戒め」に従っていた主人公の瀬川丑松が、「差別」の問題をなくそうと活動していた先輩・猪子蓮太郎の教えに背くことに「良心の呵責」を覚えて、猪子が暗殺されたあとで新たな道を歩み始めるまでを描き出したのです。

さらに北村透谷は「『罪と罰』の殺人罪」を発表した翌月に、幕末に「尊王攘夷思想」を讃えた山路愛山の「頼山陽」論を、「『史論』と名(なづ)くる鉄槌」と呼んだ厳しく批判した評論「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」を『文学界』の第二号に発表していました。

友人の愛山を「反動」と呼んだ透谷の語気の激しさには驚かされますが、「教育勅語」では臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられていることに注意を促した中国史の研究者小島毅氏が書いているように、朝廷から水戸藩に降った「攘夷を進めるようにとの密勅」を実行しようとしたのが「天狗党の乱」であり、その頃から「国体」という概念は「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになっていたのです。

靖国史観(図版は紀伊國屋書店より)

日露戦争の最中には与謝野晶子の詩「君死にたまふこと勿(なか)れ」でさえも、「『義勇公に奉すべし』とのたまへる教育勅語、さては宣戦詔勅を非議」したと批判され、「晶子の詩を検すれば、乱臣なり、賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるべきもの也」と厳しく非難されるようになりました(井口和起『日露戦争』)。

それゆえ、『罪と罰』を深く研究した上で日露戦争が終わった直後の一九〇六年に自費出版された『破戒』は、ロシア革命や太平洋戦争での敗戦に至る日露の教育制度や近代化の問題点をも明らかにしているといえるでしょう。

この意味で注目したいのは、第一次世界大戦後に「ドイツの青年層が、自分たちにとってもっとも偉大な作家としてゲーテでもなければニーチェですらなく、ドストエフスキーを選んでいること」に注意を向けたドイツの作家ヘルマン・ヘッセがドストエフスキーの作品を「ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものである」と指摘していたことです。

実際、ポルフィーリイに「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれないんだし」と語らせたドストエフスキーは、エピローグの「人類滅亡の悪夢」で「自己(国家・民族)の絶対化」の危険性を示していました。

このように見てくる時、明治の文学者たちがドストエフスキーの作品を高く評価したのは、そこに「憲法」がなく権力者の横暴が看過されていた帝政ロシアの現実に絶望した主人公たちの苦悩だけでなく、制度や文明の問題も鋭く描き出す骨太の「文学」を見ていたからでしょう。

現在の日本ではこのような制度に絶望した主人公たちの過激な言動や心理に焦点があてられて解釈されることが多くなっていますが、それは自由や平等そして生命の重要性などの「立憲主義」的な価値観の重要性を描いていたドストエフスキーの小説の根幹から目を逸らすことを意味します。

明治時代の文学者たちの視点で、「大逆事件」の後では「危険なる洋書」とも呼ばれるようになる『罪と罰』を詳しく読み直すことは、国会での証人喚問で「良心に従って」真実を述べると誓いながら高級官僚が公然と虚偽発言を繰り返し、「事実」が記されている「公文書」の改竄や隠蔽がまかりとおるようになった現代日本における「立憲主義」の危機の遠因にも迫ることになるでしょう。

(2018年9月2日、改訂。2019年2月9日、ツイッターのリンク先を追加)

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