高橋誠一郎 公式ホームページ

「映画《風立ちぬ》と映画《少年H》」を再掲

「映画《風立ちぬ》と映画《少年H》」を再掲

%e5%b0%91%e5%b9%b4h

(映画《少年H》。図版は「Facebook」より)

ツイッターに大前治氏の下記のような文章が掲載されていました。

朝日新聞12月23日付「社説余滴」で拙著『逃げるな、火を消せーー戦時下トンデモ防空法』を紹介していただきました。空襲は怖くないという宣伝、空襲被害を隠す言論統制など、現代と重ねて考える題材として本書をお読みいただければ幸いです。」

この文章を読んで、拙著で次のように書いていたことを思い出しました。

「映画《少年H》の圧巻は、神戸の大空襲のシーンであろう。この場面は第三部で考察する映画《風立ちぬ》で描かれた関東大震災のシーンに劣らないような迫力で描かれている。

また、町内会で行われていたバケツ・リレーによる防火訓練も、実際には焼夷弾による火災を水では消火することはできず、そのために生命を落とした人も少なくなかった。映画でも主人公の少年と母親が最後まで消火しようと苦闘した後で道に出てみると、ほとんどの町民はすでに逃げ出していたという場面も描かれていた。このシーンは、戦争中のスローガンが実際とはかけ離れておいたことをよく示しているだろう」(『ゴジラの哀しみ』97頁)。

%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%8a%e9%a2%a8%e7%ab%8b%e3%81%a1%e3%81%ac%e3%80%8b

映画《風立ちぬ》。図版は「Facebook」より)

一方、映画《風立ちぬ》も上のシーンではそよ風ですが、「高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになるが、原発事故後の『風』について宮崎監督はインタビューでこう語っている。

『福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました』」(拙著『ゴジラの哀しみ』、155頁)。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

宮崎駿監督は映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していましたが、この映画が大ヒットしたことや、安倍首相が戦前の価値観への回帰を目指す日本会議系の議員を重用しているために、悲惨な戦争の美化が進んでいるように見えます。

それゆえ、ここでは2014年9月22日の記事とリンク先を再掲します。

*   *   *

先日、妹尾河童氏の原作『少年H』を元にした映画《少年H》を見てきました。

夏休みも終わった平日の午前中ということもあり、観客の人数が少なかったのが残念でしたが、この映画からも宮崎駿監督の《風立ちぬ》と同じような感動を得ました。

映画《風立ちぬ》については、戦時中の問題点を示唆するシーンにとどまっており、反戦への深い考察が伝わってこないという批判があり、おそらくそれが、戦時中の苦しい時代をきちんと描いている映画《少年H》とのヒットの差に表れていると思います。

黒澤映画《生きものの記録》と司馬遼太郎氏の長編小説『坂の上の雲』などを比較しながら感じることは、問題点の本質を描き出す作品は一部の深い理解者を産み出す一方で、多くの観客や読者を得ることが難しいことです。

私としては問題点を描き出す《少年H》のような映画と同時に、大ヒットすることで多くの観客に問題点を示唆することができる《風立ちぬ》のような二つのタイプの映画が必要だろうと考えます。

ただ、司馬作品の場合に痛感したことですが、日本の評論家には作者が伝えようとする本当の狙いを広く伝えようとすることよりも、その作品を矮小化することになっても、分かりやすく説明することで作品の売り上げに貢献しようとする傾向が強いように感じています。

《風立ちぬ》のような作品も観客の印象だけにゆだねてしまうと、安易な解説に流されてしまう危険性もあるので、《風立ちぬ》に秘められている深いメッセージを取り出して多くの観客に伝えるとともに、《少年H》のような映画のよさを多くの読者に分かりやすく説明してその意義を伝えたいと考えています。

奇しくも、宮崎駿監督と妹尾河童氏は司馬遼太郎氏を深く敬愛していました。それぞれの映画のよさを再確認する上でも、《風立ちぬ》を見た人にはぜひ《少年H》をも見て、二つの映画を比較して頂きたいと思います。

リンク映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です