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ウクライナ危機にロシア危機を振り返る――「民族的憤激」の危険性

ウクライナ危機にロシア危機を振り返る――「民族的憤激」の危険性

『「罪と罰」を読む―「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、1996年) の「あとがき」より。

 本書に推理小説的な手法を持ち込むきっかけとなったことが他にもありました。それは現代ロシアの犯罪状況が、『罪と罰』当時のロシアの状況ときわめて似ていることを実感したことです。ラズミーヒンはラスコーリニコフの母と妹にサンクト・ペテルブルクの危険性を指摘していますが、この言葉は現在のロシアの大都市にもそのままあてはまります。

つまり、新たに市場経済を採用したロシアでは、まだ経済のルールが確立されておらず、「儲ける」ためには「あらゆることが許されている」と考える者も少なくなく、そのような中、最も手っ取り早い儲けの手段として強盗や泥棒などの犯罪が多発しているのです。実はこの年(九三年)の夏に学生を引率してモスクワを訪れた際、私自身が強盗にあって殺されかけるという経験をしました。ピストルをこめかみに当てられながら、私を殺しても彼らはラスコーリニコフのように後悔することはないだろうとふと思い、『罪と罰』の世界がとても身近なものに感じられたのです。

 また、この時期に、モスクワ大学の本屋などに英語で書かれたビジネス書や様々な英語の雑誌が急に増えていたことに驚かされましたが、本論で見たように、農奴解放がなされる一八六一年の前後にもロシアには西欧の様々な思想がどっと入り、それらをめぐって鋭い論戦が行われていたのです。さらに、既存の思想やモラルが根底から揺れ動き、激しいインフレと失業率の増大、犯罪の多発に苦しむ現在のロシアや旧ユーゴスラヴィアの状況は、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊して第一次世界大戦へと至った頃や、その戦いに破れたドイツ帝国の社会的状況とも似ているように思えます。

一九九二年の夏に、私はロシアのいくつもの本屋でヒトラーの『わが闘争』のロシア語訳を見かけ、なぜドイツとの戦いであれほどの犠牲者を出した国で、この本が売れているのか不思議に思いました。しかし、その後に行われたロシアの総選挙で過激な民族主義者のジリノーフスキイが率いる党が勝利をおさめたのを見るとき、その理由の一端が分かったように思いました。チェチェン紛争に際しては、彼の主張にきわめて近い政策が取られて四万人以上とも言われる死者を出していますが、政治的・経済的混乱の中では、自国民の優秀さを訴えるとともに、闘争の必然性とその勝利を説く者が、民衆の傷ついた自尊心を強く刺激するようです。この意味において、わかりやすい言葉でドイツ民族の優秀さと権力への意志を訴えた『わが闘争』は、論理の一貫した説得力のある書物と言わねばならないのです。

一方、戦後めざましい経済復興を遂げ、繁栄を謳歌しているかに見える日本も、環境破壊やバブル経済の破綻、さらには「地下鉄サリン」事件や頻発するいじめ問題など、社会の抱える問題の根は深いように思われます。

 こうして、本書では殺人を引き起こすことになったラスコーリニコフの考えが現代の問題ともつながっていることも視野に入れながら、彼の思索や行動、さらに他者との議論の考察などを通して、彼の理論と当時のヨーロッパ思想との深い係わりを文明論的な視点から検証しました。文学作品『罪と罰』には様々な読み方が可能だと思われますが、本書がより広い視野と百年単位の長い視点から自分や社会について考察するきっかけとなれば幸いです。またこれを機会に『罪と罰』やその研究書だけでなく、ここで言及した多くの文学作品や思想書にも挑戦してもらえればと思っています。

 (2022/04/15、改訂)

 

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