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「小林秀雄神話」の解体(1)――「他人を借りて自己を語る」という方法

「小林秀雄神話」の解体(1)――「他人を借りて自己を語る」という方法

1,「他人を借りて自己を語る」という方法――小林秀雄とサント・ブーヴ

鹿島茂氏の『ドーダの人、小林秀雄』は、下記の章から構成されています。   小林秀雄の難関ドーダ/ 小林秀雄のフランス語と翻訳/ 小林秀雄と長谷川泰子/ ドーダと人口の関係性/ 小林秀雄と父親/ アーサー・シモンズの影響/ 小林秀雄とランボー/ 小林秀雄と河上徹太郎/ ヤンキー小林秀雄/ 小林秀雄をアモック/ 小林秀雄の純ドーダ

フランスの文学と文化の研究者の視点から、小林秀雄の『地獄の季節』訳の問題などをとおして「小林神話」の解体を試みた本書からは啓発される点が多かったのですが、ここでは時代との関りに注意を払いながら小林のランボーの理解とドストエフスキー作品の解釈との関連を中心に見ていきたいと思います。

まず注目したいのは、「小林秀雄と父親」の章で1921年に小林秀雄が父親を失っていることに注意を促して、幼くして「家長」となった「小林には、俗な言葉でいうなら『家運』を『挽回』し、病気の母の療養を扶けねばならない責任」を課せられたという江藤淳の言葉を紹介していることです(117)。

一方、『三四郎』で日露戦争以降の日本に対する厳しい見方を記した夏目漱石が、『それから』では大逆事件(1910)が起きることを示唆するような描写をし、森鷗外も『沈黙の塔』で検閲への強い懸念を記したことはよく知られていますが、芥川龍之介もこの事件に対する政府の対応を強く批判した徳冨蘆花の演説から強い影響を受けて1915年に『羅生門』を書いた可能性が高く、小林も一時は日露戦争を批判的に記した芥川の『将軍』(1922)を愛読していたのです。

しかし、漱石たちの危惧したように、時代は悪化の一途をたどりますが、そのような中で小林秀雄が選んだのがフランス文学であり、1926年のボードレールから始まって、1939年のサント・ブーヴに終わる小林秀雄の翻訳履歴を概観した著者は、小林秀雄が「この時代のインテリが好みそうなフランス文学を探り当てそれを時代に先駆けて訳している」という印象を伝えています。

そして小林が最後にサント・ブーヴの『我が毒』を翻訳していることに注意を促し、「小林が日本において近代批評を確立するにあたって、他人を借りて自己を語るというサント・ブーヴの方法に拠ったこともよく知られている」と記した著者は続けて、「中原中也の死を契機に」、「昭和十四年に小林は『我が毒』を「わがこと」と思って創作的翻訳を行ったと見なすべきなのである」と主張しています(55)。

 ここだけを引用すると強引なようにも見えますが、その後で著者はその理由を「日本の小林秀雄研究者はあまり気づいていないようだが、それは十九世紀のフランス文学を少しでも齧(かじ)ったものには至極自明なものである。中原に対する小林の関係は、ユゴーに対するサント・ブーヴのそれと相似的であるということだ。つまり、親友の妻(内縁の妻)を寝取ったということである」と説明しているのです(56)。

しかも、「東大仏文科に在籍しながら、中原中也から愛人・長谷川泰子を奪い、杉並の天沼で同棲生活を始めた小林秀雄」は、「泰子の潔癖症が激化することで、一転して地獄のような生活へ」と変わり、「まるでシベリア流刑だ」とその苦痛を泰子に語るようになっていました。

「この泰子の証言は、小林におけるドストエフスキー受容史を調べる上で、かなり大きな手掛かりになるはずだ」とした鹿島氏は、この頃から小林が「ドストエフスキーの著作、とりわけ『死の家の記録』に」親しんでいたことが分かるからだと記しています。

ただ、 「小林が日本において近代批評を確立するにあたって、他人を借りて自己を語るというサント・ブーヴの方法に拠ったこともよく知られている」という著者の指摘に注目するならば、 長谷川泰子の同棲の体験は『死の家の記録』よりも『白痴』に対する小林秀雄の「創作」的な解釈とより深く結びついていると思えます。

すなわち、 1934年に『罪と罰』論に続いて連載した『白痴』論では、 この長編小説の複雑な人物体系や筋の流れを省略し、ナスターシヤの心理や行動を理解する上で欠かせない スイスの村でのマリーの悲劇を描いたエピソードには全く触れずに、 彼女をめぐる主人公ムィシキンとロゴージンとの三角関係に焦点を絞ってこの長編小説を論じているのです。

 
しかも、よく知られているように、 ナスターシヤは 孤児となって貴族のトーツキーに養育されたものの少女趣味のあった彼によって無理矢理に妾にさせられていたのですが、そのような状況を省いた小林はナスターシヤを「この作者が好んで描く言はば自意識上のサディストでありマゾヒストである」と規定していたのです。

さらに、結末の異常性を強調して「悪魔に魂を売り渡して了つたこれらの人間」によって「繰り広げられるものはただ三つの生命が滅んで行く無気味な光景だ」と記していた(全集、6・100)。

しかし、堀田善衞が自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で、『白痴』の主人公を「天使」と解釈しているように、ドストエフスキーが「ロシアのキリスト」を意識して造形したムィシキンを 「悪魔に魂を売り渡して了つた」人間と解釈することは作者を侮辱することでもあると思えます。(なお、『若き日の詩人たちの肖像』について鹿島氏は「日本の文学の主流は、いわゆる私小説です。つまり、私(わたくし)とその周辺のことだけを考えて書いている。それが日本的な個人主義ですが、堀田さんの考える個人主義は、他の人とのつながりも書いている」と『堀田善衞を読む』(集英社新書)で高く評価しています。

原作とは全く異なると思える『白痴』解釈の問題については、次節の後半で再度考察することにします。

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