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樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論

樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論

現在、井上ひさし・樋口陽一著『日本国憲法を読み直す』(岩波現代文庫、2014年)についての小文を書いていますが、対談後の2000年に亡くなられた劇作家・井上氏への深い追悼の念と同じ年に生まれた友人への熱い思いが綴られた樋口氏の「ある劇作家・小説作家と共に“憲法”を考える―井上ひさし『吉里吉里人』から『ムサシ』まで」を読み直すなかで、かつて書いたいくつかの短い演劇評を掲載することにしました。

3部作全部について論じるつもりで書き始めたものの他の仕事に追われて途中で打ち切っていたのですが、井上作品の意義を少しでも多くの人に伝えるためには、未完成なものでも劇から受けた感銘などを記した小文をアップすることも必要だと思えたのです。

順不同になりますが、井上氏の『貧しき人々』観と劇『頭痛肩こり樋口一葉』について記した箇所を最初にアップします。

日本の近代文学者たちについての深い考察が「面白く」描かれた多くの井上劇から深い感銘を受けていた私が、後に『貧しき人々』や『分身』、『白夜』などドストエフスキーの初期作品を詳しく分析した『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)を書くきっかけとなったのがこのときの考察だったのです。

拙著では引用しませんでしたが、作家の北杜夫氏もドストエフスキーの作品についての感想を記した後で、『貧しき人々』から受けた感銘を次のように記していたのです。

「古い記憶の中で殊に印象に残っているのは『罪と罰』(私は後半はこれを探偵小説のように読んだ)、『死の家の記録』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』などであった。それらの体臭があまり強烈すぎたので、処女作『貧しき人々』はそれほどの作品とは思っていなかったが、十年ほど前、偶然のことからこれを読み返した。すると、もはや若からぬ私の目からひっきりなしに涙が流れ、かつとめどなく笑わざるを得なかった。これまた、しかも二十四歳の作品として驚くべき名品といえよう」。

井上氏の『貧しき人々』観などを掲載した後でソ連の演劇にも言及しながら、劇『きらめく星座』と『闇に咲く花』から受けた強い印象を記した2つの劇評などを順次掲載します。

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