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「新国立」の責任者は誰か――「無責任体質」の復活

「新国立」の責任者は誰か――「無責任体質」の復活

「新国立」の建設計画が白紙撤回されたことを受けて、文部科学省のスポーツ・青少年局長の辞職が28日に決まり、下村博文文科相は28日の会見で「定例の人事」と発表して更迭との見方を否定したとのとの記事が各紙に一斉に載りました。

それらの記事によれば、菅義偉官房長官は文科相が「総合的に検討し、判断された」と説明したとのことですが、野党から「トカゲのしっぽ切りだ」と責任回避の姿勢を批判する声が出たばかりでなく、与党内からも文科相の責任に言及する声が出始めているようです(太字は引用者)。

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先のブログ記事では森元首相が22日の記者会見で「(責任の所在が)どこにあるのかというのは難しく、犯人を出してもプラスはない」と語ったことを受けた元法大教授五十嵐仁氏(政治学)の次のような批判を紹介していました。

政治思想史の丸山真男氏は、日本が無謀な戦争に突き進んだ理由として『無責任の体系』を挙げました。…中略…戦後70年の今も、同じく、無責任の体系が脈々と息づいているとしか思えません」。

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一方、「新国立競技場」建設計画の白紙撤回の問題は国内のみならず、海外でも大きく取り上げられているようです。

「東京新聞」朝刊は、〈「無責任体質 大きく報道〉との大きな見出しで、英紙・「テレグラフ」は、「政権支持率下落する中でガス抜き」と指摘し、米紙・「ウォールストリートジャーナル」も「下村文科相の驚くべき変わり身」を指摘したことなど、「白紙撤回」の問題を世界の新聞が大きく取り上げていることを紹介していました。

このことを想起するならば、「新国立」白紙撤回の「責任」は、下村大臣や森元首相だけに留まるものでなく、彼らを重用した安倍首相にも及ぶと思われます。

しかも、安倍首相は実質的には原発事故による放射能「汚染水」問題が収束していないにもかかわらず、「アンダーコントロール」と世界に宣言していたのです。

勇ましい言葉で「国民」を煽る一方で、自分の発言に対しては責任を取ろうとしない下村文科相や菅官房長官、さらに安倍首相の「戦前と同じような思想」と「無責任体質」こそが問われるべき時期にきていると思えます。

リンク→「戦前の無責任体系」の復活と小林秀雄氏の『罪と罰』の解釈

リンク→安倍政権の経済感覚――三代目の「ボンボン」に金庫を任せて大丈夫か

 

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