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「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「主な研究(活動)」に掲載しました

「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「主な研究(活動)」に掲載しました

 

先に掲載したブログ記事では、「グローバリゼーション」の流れに追随した安倍政権の教育政策が、「欧化と国粋」の二極化という危険性を孕んでいることを指摘しました。

そのような指摘は「言語とアイデンティティ」の重要性を認識して、「語学力」を重視し「読解力」を軽視した明治以降の言語教育の問題を指摘した司馬遼太郎氏のつぎのような記述に基づいています。敬称を略した形で引用します。

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司馬は、「言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は」、「母親によって最初に大脳に植えこまれた」「国語なのである」として、幼児期からの母国語によるきちんとした言語教育の重要性を強調している(司馬遼太郎「なによりもまず国語」『一六の話』中公文庫)。

さらに司馬は、その頃すでに持ち上がっていた「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」という論理に対して、「そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語なんて通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない」と鋭い批判を放っているのである。

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2002年に国立民族学博物館で行われた比較文明学会での口頭発表にその後の考察を加えて大幅な改訂を行った論文「司馬遼太郎と梅棹忠夫の言語観と情報観」を「「主な研究(活動)」に掲載しました。

 

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