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2019年度 世界文学会 第二回連続研究会 :『歴史と世界文学』

2019年度 世界文学会 第二回連続研究会 :『歴史と世界文学』

4月20日に世界文学会 第二回連続研究会 :『歴史と世界文学』が行われました。

発表者と発表要旨を「世界文学会」のホームページより転載します。

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 1) 酒井明子 「ドイツの文学的カバレットの受難と再生」

抑えられれば抵抗する、これは人間の本性である。社会の指導者がムチをもってその権力を一般民衆に向けたとしたら、市井の人々は自らの精神をどんな手段で解き放とうとするか。不満を爆発させることができなければ、歌や踊りや演歌や語りや芝居など、また逸脱をその時だけ許される地域の祭りなどが心の表現手段として重要な役割りを持つ。それは日常の勤労で成り立つ厳しい生活を支えるもう一つの人間生活の側面である。この要素は時代や地域の別なく存在し続けたが、近代の激しい社会的変動の時代にあっては、人々を裏で支えるこうしたエンターテインメントの存在は、経済的な、また政治的な国家高揚の掛け声による苦しさを、できる限りの風刺的表現を駆使することで、本質的な精神開放の役割りを担った。ドイツのカバレットは、20世紀の2度の大戦の苦しみの中で鍛えられ、質的にも高いレベルで、現在の政治的、社会的、そして文学的カバレットとして引き継がれている。広範な人々の知る問題を軽妙な語り口で取り上げ、自由な縦横無尽なからかい、風刺などで、観客の心地よい笑いを引き起こしている。確実な民芸の一分野を築いているその姿を、エリカ・マンとそのカバレット劇場「胡椒挽き」と旧東ドイツでのカバレットの状況を通して、少しでも理解することに挑戦してみた。

2) 平山 令ニ 「明治維新の文学 ― 山の大河小説の視点から」

 明治維新についての文学作品は多いが、そのなかに山の大河小説と呼べる一群の作品がある。島崎藤村『夜明け前』(1929-35)、中里介山『大菩薩峠』(1913-41)、江馬修『山の民』(1938-40)である。これらの作品は、主として明治維新の時代の山岳地帯を舞台にしている。ただ正確に言うと、『夜明け前』は維新前後を扱っていて、『大菩薩峠』は維新までの時期、『山の民』は維新後の時期を対象としている、という相違がある。また、3作品は、歴史小説、大衆小説、プロレタリア文学という基本構造の違いもある。しかし、期せずして響き合っている共通点もある。明治維新の意味を民衆の立場から問い直そうとする姿勢である。また、日本が戦争へと向かう時代に書かれ、そのような流れに対する批判意識も共通している。昨年、明治維新150周年を政府主導で祝賀しようとする運動があったが、3作品の問いかけをこの機会に考えてみたい。

3) 大原 知子 「ピーコ・デッラ・ミランドラからフランソワ・ラブレーへ」

14世紀ダンテが道を開き、イタリアの各都市に波及したルネッサンスは、15世紀後半のピーコ・デッラ・ミランドラに『人間の尊厳』を執筆させた。この作品は具体的に人間を宗教の軛から解き放ったように思える。

ラブレーの生きた16世紀前半のヨーロッパは宗教裁判を通して史上最悪の凄惨さを見た時代であった。このような歴史の推移の中で1)現在まで若者を中心に読まれているピーコの上記作品のいわゆる「アダムのディスクール」を紹介し、2)ユマニストの旗手として危険な16世紀前半を、自らもしばしば逃亡を余儀なくされながら、『パンタグリュエル』や『ガルガンチュア』物語の執筆出版を敢行したラブレーの、言葉のありとあらゆる機能を駆使して人間の絶対的な自由を主張した作品を展望し、3)その達成の基盤となった「時の作用」を『第三の書』を通して辿る。4)結論としてデカルトが合理主義の名のもとに育てた科学、そして捨て去った詩情、その分岐点に立ち止まった医師としてのラブレーの詩情を見ていく。

開催日時:2019年4月20日(土)14:00~17:45
開催場所:中央大学駿河台記念館 (千代田区神田駿河台3-11-5 TEL 03-3292-3111)

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世界文学会では、統一テーマのもと、12月から翌年の7月にかけて連続研究会を4回行っています。

第三回研究会は、2019 年 6 月 22 日(土) 14:00 ~17:45で、

報告者と題目は下記を予定しています。

1)  及川淳子:「天安門事件と劉暁波」

2)   南田みどり:「ビルマ文学と日本占領期」

3)   大野一道 :「ジュール・ミシュレの『日記』を中心に歴史と文学を考える」

http://sekaibungaku.org/

 

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