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『罪と罰』と「非凡人の思想」

『罪と罰』と「非凡人の思想」

 

Bundesarchiv_Bild_102-10541,_Weimar,_Aufmarsch_der_Nationalsozialisten

(1930年10月、政治集会におけるヒトラー。図版は「ウィキペディア」より)

 

『罪と罰』と「非凡人の思想」

  「ヨーロッパの、少なくともドイツの青年層が、自分たちにとってもっとも偉大な作家としてゲーテでもなければニーチェですらなく、ドストエフスキーを選んでいることは、われわれの運命にとって決定的なことのように思われる」。

 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセは第一次世界大戦の後でこう記しましたが、長編小説『罪と罰』では憲法のない帝政ロシアでは「正義」が行われないことに絶望する一方で、「英雄」ナポレオンにあこがれて「非凡人の理論」を考えだした元法学部の学生ラスコーリニコフの思想と行動、そして苦悩が他の登場人物との緊迫した会話や心理分析をとおして描き出されていました。

  注目したいのは、『罪と罰』が連載される前年にナポレオン三世が、大著『ジュリアス・シーザー伝』の序文で「天才」による支配の必要性を次のように説いていたことです(ここではナポレオン一世はナポレオンと甥のルイ・ナポレオンはナポレオン三世と記す)。

 「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明された時、この天才に対して月並な人間の情熱や目論見の標準をおしつけることほど非常識なことがあるだろうか。(……)彼らは時に歴史に姿を現わし、あたかも輝ける彗星のように時代の闇を吹き払い、未来を照らし出す」。

 1848年のフランス・2月革命後の混乱の時期に行われた選挙で大統領に当選し、クーデターで皇帝となった後はクリミア戦争などさまざまな戦争に介入したナポレオン三世が、メキシコ出兵に失敗して栄光に陰りが見え始めていた1865年に著したのがこの本だったのです。

  ナポレオンの言葉「私が人類に対してなさんとした善が実現されるためには、これからまだどれほどの戦闘、血、そして年月が必要であることか!」を引用して、「セント・ヘレナの虜囚の予言」は、「1815年以来、日ごとに実証されつつある」と結んだこの「序文」は、本自体に先だって発表され、ロシア語を含むほとんど全ヨーロッパの言語に翻訳されて、すぐに激しい論議を呼び起こしました。

  「新しい言葉を発する天分」を有するか否かで、現在の法に従って生きる「凡人」と未来の主人となる「非凡人」とに分け、「悪人」と見なした高利貸しの老婆を殺害したラスコーリニコフの考えも、ナポレオン三世の思想や当時は科学的とされていた「弱肉強食の思想」を反映していたと言えるでしょう。

  こうして、ドストエフスキーはこの長編小説でラスコーリニコフと新自由主義的な経済理論で自分の行動を正当化する弁護士ルージンや心理学的手法でラスコーリニコフの犯罪に鋭く迫る司法取調官ポルフィーリイとの激しい議論をとおして、「弱肉強食の思想」の危険性を浮き彫りにしていたのです。

  そして、ポルフィーリイに「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれないんだし」と語らせたドストエフスキーは、エピローグの「人類滅亡の悪夢」で「自己(国家・民族)の絶対化」の危険性を示していたのです。

 このことことに留意するならば、ドストエフスキーの指摘は、危機の時代に超人思想を民族にまで拡大して、「文化を破壊する」民族と見なしたユダヤ民族に対する大虐殺を命令したヒトラーの出現をも予見していたとさえ思えます。

  それゆえ、化学兵器が用いられたために1600万以上の死者が出た第一次世界大戦の後でヘッセはこう記していました。「われわれがドストエフスキーの作品に夢中になるのは…中略…ドストエフスキーの創作が、ここ数年来ヨーロッパを内からも外からも呑み込んでいる解体と混沌を、これに先んじて映し出した予言的なものであると感じるのである」。

 残念ながら、第二次世界大戦の終結時には原爆が二度にわたって使用されたことで、水爆実験が繰り返されるようになり1947年には、『原子力科学者会報』が核戦争を懸念して「終末時計」の時刻を発表して残り時間が3分になったと発表しました。

  「冷戦」が終了したソ連崩壊後も唯一の超大国アメリカが掲げるグローバリズムの圧力が世界の各国のナショナリズムを刺激してカリスマ的な指導者を求める傾向も強まり、「人類の滅亡」につながるような核戦争の危険性はむしろ高まっているように見えます。 現代にも直結している19世紀のグローバリズムの問題ときちんと向き合うためにも『罪と罰』をきちんと読み直すことが必要だと思えます。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社  

〔明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫り、さらに、「教育勅語」渙発後の北村透谷たちの『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争などをとおして「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が書いたドストエフスキー論と「日本会議」の思想とのつながりを示唆する。〕

主な引用文献

ドストエフスキー、江川卓訳『罪と罰』上中下、岩波文庫。

レイゾフ編、川崎浹・大川隆訳『ドストエフスキイと西欧文学』勁草書房。

井桁貞義『ドストエフスキイ 言葉の生命』群像社。 (2018年3月28日、改題と改訂)

(2019年2月10日、6月24日、図版を追加)

 

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