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人質事件に思う

人質事件に思う

『永遠の0(ゼロ)』の考察はここ数日で書き終えたいと思っていたのですが、「テロリストの集団」によって日本人が人質となり身代金を要求されるという事態が発生しました。

拙著『「罪と罰」を読む』(1996)の「あとがき」に書きましたが、1993年の夏に学生を引率してモスクワを訪れた際、私自身が強盗にあって殺されかけるという経験をしました。その際にはピストルをこめかみに当てられながら、「富んだ外国人」を殺しても彼らは『罪と罰』の若い主人公・ラスコーリニコフのように後悔することはないだろうとも感じていました。

「集団的自衛権」の行使という形で日本が戦争に荷担するようになれば、日本人が人質となるような事態を招くのではないかと恐れていましたので、人質となった方々のことを考えると頭の中が白くなってしまうような日々を過ごしており、日本政府には彼らの生命を救うべく最大の努力を払ってもらいたいと願っています。

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人質をとって脅すテロリストの非道は厳しく咎めねばなりませんが、「イスラム国」と名乗る集団が説得力を持った背景としては、「貧富の極端な格差」やテロリストへの攻撃として正当化されている爆撃による市民や子供たちの膨大な死傷者の数を挙げるべきでしょう。

たとえば、「東京新聞」は、【ロンドン共同】の報道として下記の記事を載せています。

「国際非政府組織(NGO)のオックスファムは19日、世界で貧富の差が拡大しており、この傾向が続けば、来年には最も裕福な上位1%の人々の資産合計が、その他99%の資産を上回ると予測する報告を発表した。

*  報告によると、上位1%の資産は2009年に世界全体の44%だったが、14年には48%に増え、1人当たりで270万ドル(約3億2千万円)に達した。一方、下位80%の庶民の平均資産は、その約700分の1に当たる3851ドルで、合計しても世界全体の5・5%にしかならないという。」

かつて、ロシアの「農奴制」の廃絶や言論の自由などを求めてシベリアに流刑になったドストエフスキーは、ロンドンを訪れた際にそこの労働者たちの生活の悲惨さに驚いたことを『夏に記す冬の手記』で詳しく記していました。

【ロンドン共同】の記事からは、21世紀の世界は果たして豊かになったのだろうかという深刻な思いに駆られます。

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「戦争」という手段で「テロ」が撲滅できるかという問題については、9.11の同時多発テロの後で「戦争とテロ」について考察し、日本価値観変動研究センターの季刊誌「クォータリーリサーチレポート」に連載しました。それは「戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて」という題名で2005年に日本ペンクラブの「電子文藝館」に転載されています。

今後は今回の人質事件にも絡んで「集団的自衛権」の問題が白熱してくると思われますので、今回はその内から最初の〈「新しい戦争」と教育制度〉の一部と「戦争とテロ」に関する下記の4編の論考を「主な研究」の頁に再掲します。

少し古い出来事を扱っていますが、「問題の本質」は変わっていないと思われるからです。

3、「報復の連鎖」と「国際秩序」の崩壊

4、「非凡人の理論」とブッシュ・ドクトリン

5、「核兵器の先制使用」と「非核三原則の見直し」

6、「日英同盟」と「日米同盟」

 

リンク→戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて

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