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講座  『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容

講座  『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容

「憲法」のない帝政ロシアで1866年に書かれたドストエフスキーの『罪と罰』は、発表されてから今年で150年を迎えます。日本人が初めてこの作品を目にしたのは、司馬遼太郎氏が俳人・正岡子規(1867-1902)を主人公の一人として描いた長編小説『坂の上の雲』の時代でした。

注目したいのは、自分が編集主任をしていた新聞『小日本』に日清戦争の直前に自殺した文芸評論家・北村透谷(1868-1894)の追悼記事を掲載した正岡子規が、透谷を主人公の一人とした長編小説『春』(1908)を書くことになる島崎藤村(1872-1943)とも会っていたことです。

しかも、子規は『レ・ミゼラブル』(1862)の部分訳も行っていたのですが、透谷も「罪と罰(内田不知庵訳)」(1892)という書評で、ドストエフスキーが「彼の思想は十九世紀のあらゆる芸術の基本的な思想」と高く評価していたユゴーの『レ・ミゼラブル』にも言及していたのです。

子規が畏友と呼んだ夏目漱石(1867-1916)は、『罪と罰』からの影響が強く見られる島崎藤村の長編小説『破戒』(1906)を「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也」と激賞しています。

本講座では彼等の生きた明治の状況を注視することにより、『罪と罰』が日本の近代文学に与えた深い影響と現代的な意義についてお話できればと考えています。

(講師からのメッセージ)

*   *   *

講  師  : 高橋誠一郎氏 (元東海大学教授、比較文学者)

日  時  : 平成28年3月4日(金) 午後2時~4時

場  所  : 世田谷文学館 2階 講義室

参 加 費  : 700円

申込締切日 : 平成28年2月16日(火)必着

(応募者多数の場合は抽選)

世田谷文学館友の会・おしらせ123号(H28年1月21日発行)より転載>

(2016年1月24日、初出)

 

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