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「映画・演劇評」のページ構成

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

0,「映画・演劇評」のページ構成

1,タイトル一覧Ⅰ(黒澤映画、黒澤映画と関係の深い映画)

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2,タイトル一覧Ⅱ (ゴジラ関係、宮崎駿映画、演劇など)

(下線部をクリックすると映画評と劇評にリンクします)。

 

 

映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》

6月29日(土)に 日本ペンクラブと専修大学人文ジャーナリズム学科の共催によるシンポジウム、【脱原発を考えるペンクラブの集い】part3 「動物と放射能」が専修大学で行われた。

大教室での開催だったのでどのくらいの人数が集まるかと心配したが、少し空席はあったもののほぼ満席に近い状態で、体調不良のために総合司会者が直前に変わるという変更があったものの浅田次郎会長の開会挨拶で始まり、中村敦夫・環境委員会委員長の総括で終わったシンポジウムは活気のあるものとなった。

75分という上映時間は、ドキュメンタリー映画としては長すぎるかもしれないと心配したが、杞憂にすぎず映画が始まると引き込まれてあっという間に終わったという印象であった。上映後の報告や対談でも、それぞれの視点からなされた各報告者の発表は説得力を持っており熱のこもった質疑応答がなされた。(プログラムは、文末に記す)。

私自身は黒澤映画との関連に強い関心を持って映画「福島 生きものの記録」を観た。静かな映像とナレーターの静かな口調をとおして、「警戒区域内」に残された「生き物たち」の姿を語っていたこのドキュメンタリー映画からは、自作の題名を《怒れる人間の記録》ではなく、《生きものの記録》としていた黒澤監督の先見性も伝わってきた。

たとえば、「牧場」に残って牛の世話を続ける吉沢氏は「警戒区域内の牛をすべて殺処分」するようにとの国の命令が、この地域の生き物に対する放射能の影響の「証拠隠滅」はかろうとするものと語っていたが、この地域に残された生き物に現れた症状は人間にも現れる可能性が強いのである。「人の居なくなった」この地域のツバメに現れた「斑点」は、チェルノブイリのツバメの「斑点」ときわめて似ており、近づいてくる「死の影」さえ感じられる。

上映後の対話では、この映画の試写会には新聞記者など多くのマスコミの関係者も参加したが、なぜか記事新聞んはほとんど取り上げられなかったことが明かされたが、それはビキニ沖での水爆実験で被爆した「第五福竜丸事件」の後で公開された映画《生きものの記録》の場合を彷彿とさせる。作家井上ひさし氏との対話で黒澤監督は、「あのとき、ある政治家が試写会にきて、『原水爆何怖い、そんなもの屁でもねえ』といったんですよ」と語っていたのである。

原発事故では死んだ者はいないという趣旨の発言をした自民党の高市政調会長も、事故後に自殺に追いやられた人々など無視していることを批判されて後で撤回したが、殺処分され、あるいは見捨てられて死んだ多数の牛などの映像は、人間を含む「生きものの生命」を大切にしない政策の問題点が浮かび上がってくる。

作家の司馬遼太郎氏は日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』において、「命令のままに黙々と埋め草になって死んでゆく」日本兵の姿を「虫のように殺されてしまう」という激しい表現で描いていたが、3.11以降の日本は「国民の生命」が「虫のように」軽かった時代へと転落を始めているかのような恐怖さえ抱く。

岩崎監督の映画では死んでゆく生き物の姿だけではなく、人の居なくなった世界で我が物顔に振る舞うようになった猿や野生化した豚などの映像も映し出されている。ことに圧倒的な迫力を持っていたのは、「国策」によって見捨てられながらも生き残って野生化した牛の群れが疾走する映像で、ふと立ち止まってカメラを見据えた牛の鋭い視線からは怒りと殺意さえ感じられた。

そのとき、私が思い浮かべたのは、やはり「国策」によって戦場に駆り出され、復員兵として戦後の荒廃した首都に戻るが、自分の持ち物を盗まれたために犯罪に手を染めるようになった若者を描いた黒澤映画《野良犬》であった。

ドイツでは福島第一原子力発電所の事故のあとで、それまでの原発推進という「国策」が国民の意思で破棄されたが、事故の当事者である日本では多くの国民の反対にもかかわらず、「国策」は固持されている。

映画《福島 生きものの記録》の映像は、現在の日本が抱える問題だけでなく明治維新後に日本が近代化する中で抱えるようになった問題さえも映し出しているといえるだろう。

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               <プログラム>

総合司会・・・・・・・山田健太(言論表現委員会委員長)

●開会挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・  浅田次郎(日本ペンクラブ会長)

●第1部 映画  「福島 生きものの記録」(岩崎雅典監督作品 ) 上映

3.11で被曝した生きものたち、野生動物のみならず、家畜、ペット、そして人間。いったいどうなっているのか、

被災地福島で1年かけて撮り続けた現実。

●第2部  報告 ― 動物と放射能

①「家畜たちの運命は?」・・・・・・・・・・・・・・・・  吉沢正己

②「ペットはどうなる?」・・・・ ・・ ・・・・・・・・・ 太田康介

③「野鳥の異変!」 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 山本 裕

●第3部  対話・質疑応答

コーディネーター ・・・・・・高橋千劔破(平和委員会委員長)

上記出演者+岩崎雅典、森絵都

●総 括 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中村敦夫(環境委員会委員長)

 

「蟹工船」と『死の家の記録』――俳優座の「蟹工船」をみて

「グローバリゼーション」の名の下に、「新自由主義」が幅をきかすようになった日本では、「弱肉強食の思想」が復活して「格差社会」が進み、ここ一〇年以上にわたって毎年三万人以上の自殺者が出るようになった。

このような状況を受けて劇団俳優座は、「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」というセリフで始まり、酷寒のオホーツク海でソ連の領海を侵しつつ苛酷な仕事に従事する労働者たちの覚醒に至る過程を描いた小林多喜二(一九〇三~一九三三)の小説「蟹工船」(一九二九)を昨年の五月に創立六五周年記念として公演した。

全部で十の節と附記からなるこの小説を、全三九場からなる劇とした演出家の安川修一は、この脚本で小林多喜二自身を地の文の語り手[男七]として登場させ、この小説の背景を忠実に語らせるとともに、「闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうの光の有難さが分る。世の中は幸福ばかりで満ちているものでもない……」という多喜二の日記の一節を引用しながら曖昧屋の酌婦として売られていた恋人のタキとの物語をも組み込んでいる(第一三場、一四場)。そのことで安川は、殺伐とした「蟹工船」の空間とは別の遊女の一室をも描き出して、劇に奥行きを与えているだけでなく、彼女を救い出そうとする主人公の意思をとおして、劇の結末をも示唆し得ている。

しかも多喜二は、この作品の第四節で「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことではないって気がする」と学生に語らせていた。ドストエフスキー研究者の視点からもっとも興味深かったのは、この言葉に注目した安川がその脚本で、酷使されたあげくに亡くなった[学生二]が持っていたドストエフスキーの『死の家の記録』についての議論をとおして、「自由」と「連帯」の意味に迫っていることである。

実際、「床という床はすっかり腐って」いる、「老朽しきった、木造」の要塞監獄に収容され、「たえず笞刑(ちけい)の恐怖におびえながら」強制労働に従事させられていた「死の家」の状況と、「糞壺(くそつぼ)」と呼ばれる船室に閉じこめられて苛酷な労働に従事させられた「蟹工船」の状況は、きわめて似ている。

すなわち手塚英孝によれば、「蟹工船はかん詰工場の設備を供えた工船で、川崎船という付属の小型漁船を使って、底刺し網でとった蟹を加工する、移動かん詰工場のような漁船であった」。そのため「工場船」として航海法は適用されず、日露戦争当時の病院船や輸送船など廃船同様の「ボロ船」が用いられていた(「作品解説」、角川文庫)。

しかも小説の第一節(劇の第二場)で、労働者たちに「この蟹工船の事業」を「一会社の儲け仕事と見るべきでなく」、「大日本帝国の大きな使命のために、俺たちは命を的に、北海の荒波をつっ切って行くのだ」と演説した[監督]の浅川は、僚船「秩父」からのS・O・Sの無線を受けた船長が救助に向かおうとすると、「余計な寄り道を誰が許しただ。」と問い詰め、「会社が傭船(チャタァ)してるんで、金払って。ものを言えるのァ会社代表の須田さんとこの俺だ。…中略…それに、秩父には勿体ない位の保険が掛けてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」と説明する(第二節、劇の第九場)。

さらに、病気のために働けなくなった雑夫をも、怠けているとみなして殴りつけ、さらには便所に閉じこめて殺した[監督]の浅川は、競争に勝った組みに「賞品」を与える一方で、一番働きの少ないものには、「鉄棒を真っ赤に焼いて、身体にそのまま当てる」という「焼き」を入れること思いつき、それを貼紙にしたのである。

このような蟹工船の状況を原作に則って描いたあとで、安川は『死の家の記録』をめぐる主人公たちの会話をとおして、ドストエフスキーが『死の家の記録』で鋭く分析した権力者の心理と、「自由」を求める囚人たちの抵抗の意味をも明らかにしていく。

たとえば、ドストエフスキーは虐げられた者による犯罪のきっかけには、差別があることも次のように分析していた。すなわち、彼は「おれはツァーリだ、おれは神様だ」などという看守や領主の言葉ほど、「身分の低い者たちを憤慨させるものはない」とし、「この自分はえらいのだという傲慢な気持、この自分は正しいという誇張された考えが、どんな従順な人間の心の中にも憎悪を生み、最後のがまんの緒を切らせるのである」(工藤精一郎訳、第一部第八章)。ここには現代の犯罪やテロリズムにも通じるような「支配と服従」の透徹した心理分析がある(高橋、『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』、刀水書房、2002年)。

まず注目したいのは、安川が脚本で[学生一]にこの本を所有していた[学生二]の名前を消させるとともに、「俺が消したんだ。ここでは、俺も、奴も、あんたも、ここの男たちみんな名前なんか必要ないからな」と説明させていることである(第一九場)。

すると、語り手でもある[男七]は「シベリア流刑地の囚人群像。強制的な共同生活の苦悩か……こんな環境の中で、良く読んでいたな……。…中略…以前、ドスト氏は俺も好きで、食事をする時間を惜しんでよく読んだ……でもこんな所で出会うとは」とつぶやく。

一方、[学生一]は「死の家」の状況は「ここからすれば、大したことはない。」としながらも、「あの浅川は死の家の指揮官の少佐とダブル。叩き上げの無能、無教育な軍人で、好き勝手我儘放題のくせに、囚人に威張り散らし、いいがかりをつけてはぶん殴る。まさに浅川そのものだ!」と続けるのである。

その言葉を受けて[男七]は、『死の家の記録』では「この男の横暴に囚人たちが抗議の列を組むと、貴族出の政治犯のドスト氏が自ら抗議の列に加わって行く」ように描かれていると指摘する。すると、[学生一]も縛られ晒し者にされて死んだ[学生二]のことを思いつつ「俺は、奴のようにカムサッカで死にたくない。なにがなんでも生き抜いてやる。ドストエフスキーが流刑地で生き抜いたように、肉体も精神も強靱に……」と語る。

ここには後期のドストエフスキーは「虐待される人間の快楽を正当化するという戦法をとる」(亀山郁夫『父殺しの文学』)として、流行の「新自由主義」的な視点から作品を解釈しようとする姿勢とは根本的に異なる骨太のドストエフスキー理解がある。

しかも、安川は[学生一]に,「ドスト氏は『悪霊』の中で『神が存在しないなら、人間が一切の判定者である。人は死の恐怖を克服さえすれば、神と同じ人神になれるはずだ』この理論は正しいと思う。(本を叩き)殺人の共犯者にすること、いや、なることによって僕たちの結束を強めるしかないのか? 残酷卑劣な浅川!」とも語らせている。

このような『悪霊』における記述は、ドストエフスキー自身の見方ではなく、登場人物の見方であることには注意を払わねばならない。しかし、安川は語り手の[男七]にこのような考えに同意させつつも、「俺たちは、なにがあっても人間として生きるんだ。いいか自分を見失うな。思考力を無くすな。」と語らせ、さらに[男三]が怒りのあまり[監督]を殺そうとした際にはそれを止めさせている。そのことによって安川は、「俺たちが一切の判定者だ」ということが、力を得ることで「欲望」に身を任すのではなく、虐げられた者たちへのやさしさや、責任を持って行動することが必要になるという多喜二の思想を明らかにしているのである。

成功したかに見えた漁夫、火夫、雑夫たちのサボタージュ(サボ)は、国民を守ってくれると信じていた駆逐艦の士官によって、「露助の真似をする売国奴」と罵られ、「日本帝国に反逆した罪」で首謀者の九人が連行されるという結末に至る。

しかし、多喜二はその後の附記で、「二度目の『サボ』は、マンマと成功した」と書き、さらに、蟹工船では絶対的な権力者としてふるまっていた[監督]が、「漁夫達よりも惨めに」首を切られた際に、「俺ァ今迄、畜生、だまされていた!」と叫んだとも記している。

この文章はドストエフスキーが、「いいか、行動に気をつけろ! …中略…さもないと……体刑だぞ! ちょっとした罪があっても……む、む、笞だ」と宣告していた看守長の少佐が、囚人たちの抗議によって更迭された後では下男じみてきたことにふれて、「軍服を着てこそ彼は雷であり、神であった」と権力者についての鋭い分析を記していたことを思い起こさせる(第二部第八章)。

一九二六年五月の日記で『死の家の記録』について、「トルストイ、ロマンローラン(ママ)ともにこれを賞賛している」と書きながらも、「退屈だった」との感想も記していた多喜二が、「蟹工船」の執筆の際には、厳しい検閲に抗しながら人間の「尊厳」と「自由」の重要性を描き出したドストエフスキーのこの作品を改めて深く読み直していることが感じられるのである。

「蟹工船」において漁夫が歌う「ストトン節」にも触れていた多喜二は、第九節では「威張んな、この野郎」という言葉が「皆の間で流行り出した」ことを描いていた。このような描写を踏まえて、安川はそれまで[監督]の暴虐に虐げられてきた漁夫たちが、蟹を解体する際に包丁でリズムをとりながら、「威張んな!」と連呼する場面を描いている(第三〇節)。この場面からは、演劇が持つエネルギーが感じられた。多喜二役の脇田康弘の押さえた声での語りや、若い俳優たちのきびきびした動きもあいまって、引き締まった見応えのある劇であった。

(本稿の執筆に際しては、次の文献を参考にした。小林多喜二『蟹工船・党生活者』(角川文庫、二〇〇八年、新装改訂版)、『定本 小林多喜二全集』(第一三巻、第一四巻、一九六九年、新日本出版社)、雑誌『テアトロ』(二〇〇九年、五月号)、「劇団俳優座、公演№二九七『蟹工船』、パンフレット」。なお、HPへの掲載に際し、一カ所改訂した)。

(『ドストエーフスキイ広場』第19号、2010年)

 

『もののけ姫』の大ヒットと二一世紀の地球環境

中世の日本を舞台に、森の木々を切って鉄を作る集団と太古から森に住む荒ぶる神々との戦いを描いた『もののけ姫』が大ヒットをしている。八月末現在で九〇〇万人近い観客が見たという。

しかし、ここには宮崎駿監督の作品を特徴づけていた飛翔感はない。主人公の若者たちは風のように疾駆し、高く跳ぶ。だが、彼らは『天空の島ラピュタ』や『魔女の宅急便』の主人公たちのように浮遊することはない。『となりのトトロ』や『紅の豚』にあったような温かいユーモアも、『風の谷のナウシカ』の圧倒的なカタルシスもない。「たたり神」に変わった猪の呪いは、若者アシタカの腕にからみつき、戦闘の場面では侍の切られた頭や両腕が飛ぶ。

ではなぜ、このように重たいアニメが現代の若者たちの心をとらえたのであろうか。おそらくそれはこのアニメ映画が、価値観が激しく動揺する時代を生きる若者たちの苦悩を正面から描いているからだろう。言葉を換えれば「飛翔感」の欠如は、歴史的事実の「重力」によるものなのである。

かつて文明理論の授業で未来に対するイメージを質問したところ、多くの学生から悲観的な答えが帰って来て驚いたことがある。しかし、一二月に温暖化を防ぐ国際会議が京都で持たれるが、消費文明の結果として、一世紀後には海面の水位が九五センチも上がる危険性が指摘され、洪水の多発など様々な被害が発生し始めている。多くの動植物の種が滅んでいく一方では、ゴミ問題が各地で起きている。臓器移植やクローン技術の急速な発達は、自己のアイデンティティをも脅かしている。

こうして、現代の若者たちを取り巻く環境は、きわめて厳しい。大和政権に追われたエミシ族のアシタカや人間に棄てられ山犬に育てられた少女サンの怒りや悲しみを、彼らは実感できるのだ。

『もののけ姫』には答えはない。だが、難問を真正面から提示し、圧倒的な自然の美しさや他者との出会いを描くことで、観客に「生きろ」と伝え得ている。

東海大学の現代文明論の授業では、早くから人間と自然の関係の重要性を指摘してきた。私たちに求められるのもこの難問へのより真摯な取り組みだろう。

(コラム「遠雷」、『東海大学新聞』第717号、1997年9月)

黒澤映画《八月の狂詩曲(ラプソディー)》

映画《夢》の翌年に封切られた映画《八月の狂詩曲》(原作・村田喜代子『鍋の中』、脚本・黒澤明)では、夏休みに長崎を訪れた孫たちの目をとおして、アメリカで大富豪となった親戚に招かれて有頂天になっている両親たちと原爆によって夫を失った祖母の悲しみが描かれている。

しかも、ここで黒澤は孫たちの両親がハワイに移住した親戚の気分を害することを恐れて、祖父が原爆で亡くなったことも隠していたことをその子供たちの会話をとおして明らかにすることで、原爆を投下した責任のあるアメリカ政府だけでなく、そのアメリカの心証を害することを恐れて原爆の被害の大きさを隠蔽してきた日本政府や戦後の日本人の問題をも映像を通して描き出していたのである。

すなわち、「おかしいと思わない……お父さんたち何故、お祖父ちゃんの事、かくすのかしら」と尋ねられた縦男は「良く言えば、錫次郎さんやクラークさんに対する思いやり……悪く言えば、外交的かけひきと、打算……はっきり言えば、せっかく掴んだ大金持ちとの付合いに水をさす様な事はしたくないのさ」と答える(最終巻、五一)。

それに対して、たみが「お祖母ちゃんは御輿……ただかつがれてるだけ?」と反発し、みな子も「いやーね!」と相打ちをうつと、縦男は「仕方がない……それが大人のリアリズムだ」と批判するが、このような縦男の見方はムィシキンに共感して打算的な大人を批判した『白痴』のコーリャの視点とも重なるであろう。

しかも、登場人物に日系二世のアメリカ人であるクラーク(リチャード・ギア)を加えることによって黒澤は、海外からの視野も取り入れることで、祖父の死亡を隠していた両親の忠雄と良江に、「俺たち、少しみっともなかったかな……そうは思わないかい」、「そうね……なんだか、恥かしいわ」という会話をさせ、認識の深まりを示していたのである。

さらに、普通に語られれば紋切り型のメッセージとして受け取られかねない祖母の次のような台詞(セリフ)も、ハワイの親戚に手紙で本当のことを書いたために咎められた孫の縦男をかばって、思わず語られる本音であるために観客にも説得力を持っている。

「ばってん……本当の事ば書いて何んで悪か……馬鹿か! 原爆ば落しとって、そいば思い出すとがいやって? いやなら、思い出さんでもよかけど……こいも知らんとは言わせん! ピカは戦争やむるために落したって言うて、戦争の終ってもう四十五年もたつとに、ピカはまだ戦争ばやめとらん! まだ、人殺しば続けよる!」(Ⅶ・五四)。

この言葉はドストエフスキーが、「恩人」の改宗を知らされたムィシキンの口をとおして、当時の西欧列強を「キリストによってではなく、またもや暴力によって人類を救おうとしています!」と本音で批判していたことを思い起こさせる。

そして、映画《白痴》において、三船敏郎の「眼」をクローズアップすることで、ロゴージンの殺意とムィシキンの恐怖を描いていた黒澤は、ここでも原子爆弾のキノコ雲に人間を見つめる殺意のこもった「眼」を感じていた祖母が、雷とその雲に似た雨雲を見たことで、再びその日の恐怖を思い出して走り出すという最後のシーンを描いている。

こうして《八月の狂詩曲(ラプソディー)》は、映画《生きものの記録》の主人公喜一が主観的に感じていた原爆の「恐怖」を、孫たちが、祖母が感じた「恐怖」を追体験するような形で描くことで、核兵器の危険性をわかりやすく伝えることに成功していた。

 

映画《赤ひげ》と映画《白痴》――黒澤明監督のドストエフスキー観

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(図像は、facebookより引用)(拙著の書影は「成文社」より)

 

一九世紀の混迷したロシアで展開された物語を、第二次世界大戦の終戦直後の混乱した日本に大胆に置き換えた黒澤明監督の映画《白痴》(一九五一年)は、上映時間をほぼ半分に短縮されたこともあり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされた。

しかし、黒澤自身は「僕はこれをやったことで大きな勉強をさせて貰った、といった気持ですね。一般的な評価は、失敗作だということになってるけれど僕はそう思わないんだ。少なくともその後の作品で内面的な深みをもった素材をこなしていく上で、非常にプラスになったのじゃないかな」(『THE KUROSAWA 黒澤明全作品集』、東宝株式会社事業部出版事業室、一九八五年)と語っていた。

たとえば、山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を原作とした映画《赤ひげ》(一九六五年)で二木てるみが演じた少女おとよの役について黒澤は、「あの話は原作にはなかったが、書いているうちにドストエフスキーの『虐げられた人々』を思い出し、その中のネリにあたる役を、しいたげられた人々のイメージとして入れた」と語っているが、それは映画『白痴』における妙子(ナスターシャ)の役など多くのドストエフスキー作品にも通じるだろう。

すなわち、蜆売りの母親が行き倒れて葬式を出してもらったために娼家で働くことになったが、体を売ることを拒んだために激しく折檻され、高熱を出しながらも必死に床のぞうきんがけをしていた一二歳くらいの少女おとよを見た主人公の「赤ひげ」は、力ずくでおとよを養生院に引き取った際に、「なんのために、こんな子供がこんなに苦しまなくちゃならないのだ。この子は体も病んでいるが、心はもっと病んでいる。火傷のようにただれているんだ」と若い医師の保本登に語るのである。

実際、必死に看病をする保本にも一言も口をきこうとはしなかったおとよは、保本から差し出されたお粥の茶碗を邪険にはねのけて、茶碗を壊してしまうのである。この描写は妙子(ナスターシャ)の「誕生日のお祝い」の場面で高価な花瓶を壊した亀田(ムイシュキン)のことを東畑(トーツキイ)が厳しく批判すると、妙子がこんなものは私も壊そうと思っていたといって、対になっていたもう一つの花瓶をも壊すというシーンを思い起こさせる。

『白痴』の原作では花瓶を壊すシーンは、後半の大きなクライマックスの場面であるアグラーヤとの婚約発表の場で描かれているのだが、黒澤はこの場面を前半の山場に移すことによって心ならずも愛人とされていた妙子の東畑に対する反発と自暴自棄な心理状態をも見事に表現していたのである。

さらに、黒澤は映画《白痴》において主人公をムイシュキンとドストエフスキーとを重ね合わせた人物として描き出していた。すなわち、沖縄戦の後で戦犯として死刑の宣告を受けたが、銃殺寸前に嫌疑が晴れて刑は取りやめになったという体験をしていた亀田は、綾子(アグラーヤ)からその時の気持ちを尋ねられると、もし生き延びることができたら、「その一つ一つの時間を……ただ感謝の心で一杯にして生きよう……ただ親切にやさしく……そういう思いで胸が破けそうでした」と語っていたのである。

実は、捕虜を殺害していなかったのに戦犯として処刑された日本兵を主人公とした《私は貝になりたい》が現在ヒットしているが、この脚本を書いた橋本忍は、黒澤の映画《『羅生門》や《生きる》《七人の侍》などにも脚本家として参加していたのである。しかも保坂正康が「解説」で書いているように、「BC級戦犯裁判」では「上官が命令したことを認めないで部下に責任を押しつけ」るなどすることもあったために、「無実でありながら絞首刑」になった者も多くいた(朝日文庫)。

この意味で注目したいのは、妙子に「あなたと同じ眼つきを何処かで見たと思った」が、それは彼と「一緒に死刑台に立たされ」、先に銃殺された若い兵士の眼つきだったと語った亀田が、「あなたは、一人で苦しみすぎたんです。もう、苦痛がないと不安なほど……。あなたは病人です」と続けていることである。

このセリフや綾子(アグラーヤ)が、亀田を一見「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物と見なしていたことに注目するならば、黒澤はここで亀田を失敗には帰したが、必死で妙子を治癒しようとした者として描いているように思える。

なぜならば、『白痴』においてはムイシュキンを治療したスイスの医師シュネイデルばかりでなく、クリミア戦争のセヴァストーポリ激戦で負傷兵の治療に活躍した外科医のピロゴーフ、さらにはイポリートがその「弁明」で触れているその分け隔てない対応によって強い印象を残した監獄病院の医師のガーズなど、「治療者のテーマ」は大きな位置を占めていたのである。

ただ、《白痴》においてはこのテーマは示唆されるだけにとどまっていたが、《赤ひげ》では壊した茶碗の代わりを買うために、おとよが養生所から密かに抜け出して乞食をして稼ぐというシーンや、おとよを引き戻しに来た娼家の女性を養生所の賄いの女性たちがみんなで追い返すシーンなどをとおして、温かい看病に心身を癒されたおとよが、たくましく成長を始めることが描かれている。

一方、原作の『白痴』と同じように映画においても、赤間(ロゴージン)によって妙子は殺害され、その死を知った亀田が赤間とともに見守り、再び「白痴」に戻ってしまうという悲惨な結末が描かれている。しかし、黒澤はラストのシーンで亀田を見舞った薫(コーリャ)に、「僕……あの人がとてもいい人だったって事だけ覚えていくんだ」と語らせ、それを聞いた綾子も「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……私……私、なんて馬鹿だったんだろう……白痴だったの、わたしだわ!」と語らせている。

記憶をテーマとした二人の会話は、『カラマーゾフの兄弟』の結末での亡くなったイリューシャの石の前でのアリョーシャとコーリャたちの会話をも彷彿とさせ、映画《白痴》がドストエフスキーの全作品をも視野に入れていることが感じられるのである。

さらに、一九五四年に水素爆弾の実験によって日本の漁船が被爆した「第五福竜丸事件」がおきると、「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだとして、映画《生きものの記録》(一九五五年)を製作していた黒澤は、晩年のオムニバス形式の映画《夢》(一九九〇年)でも原爆の問題を取り上げていた。

そして、その翌年に封切られた《八月の狂詩曲(ラプソディー)》では、夏休みに長崎を訪れた孫たちの目をとおして、原爆によって夫を失った祖母の悲しみを伝えている。ことに、原爆のキノコ雲に人間を「見つめる目」を感じていた祖母が、その雲に似た雨雲を見たことで、再びその日の恐怖を思い出して走り出すという最後のシーンからは、ドストエフスキーがムイシュキンをとおして考察した「殺すこと」の問題が、現代に引き寄せられた形でより根源的に考察されていることが感じられるのである。

(『ドストエーフスキイ広場』第一八号、二〇〇九年)

 

(本稿はエッセー〈「虐げられた女性」への眼差し――黒澤明監督の映画『白痴』をめぐって〉を改題したものである。なお、長編小説と区別するために映画の題名は《》内に記した)。(2017年5月7日、図版を追加)

アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ――アニメ映画《雪の女王》の手法

1992年に公開された「中年男のためのマンガ映画」《紅の豚》では、生々しい戦闘場面も含んではいたが、主人公のパイロット・マルコが「空賊」との戦いでは人を殺さない人物と設定されているだけではなく、「飛べない豚は、ただの豚だ」とうそぶく「クールな豚」にデフォルメすることによって、現実の重苦しさからも飛翔することのできるアニメ映画となっていた。

戦闘機「零戦」を設計した実在の人物である堀越二郎氏が《風立ちぬ》の主人公となっていることを知ったとき、私は関東大震災から日中戦争を経て、太平洋戦争へと突入することになる重たい時代を、アニメ映画がどのように描き出すことができるのかに期待と不安を持って映画の開始を待っていた。

600名を収容する大ホールのざわめきが、映画が始まると一瞬にして止んだ。それは主人公の少年が屋根の上に置かれた鳥のような美しい飛行機に乗り込んで飛び立つという、冒頭に置かれた夢のシーンの力によるものが大きいだろう。

しかも、この最初の夢で主人公の二郎少年は、「イタリア航空界の黎明期から1930年代にかけて世界的に知られた飛行機製作者」である「ジャンニ・カプローニおじさん」と出会うが、「今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代」に生きた二郎の夢の中に、この人物はたびたび現れては挑発したり助言するだけでなく、最後の場面でも再び現れるという重要な役割を担っているのである。

《風立ちぬ》の「企画書」には、「夢の中は、もっと自由な空間であり、官能的である」と書かれていている。この言葉を読んだときに思い出したのが、宮崎氏が「ぼくにとっては、運命の映画であり、大好きな映画なんです」と述べているアニメ映画《雪の女王》(1957)の中に出てくる「夢の精」ルポイのことであった。

*      *       *

このアニメ映画の特徴については、スタジアジブリの新訳版《雪の女王》(2007)の解説に端的に書かれているので、少し長くなるががそれを引用する。

「監督のアタマーノフをはじめとするロシア版のスタッフは、映像化にあたって、『雪の女王』の原作から、賛美歌や天使、主の祈りといった宗教的なアイテムを徹底的に廃しました。

結果、話は普遍的になり生命と想いの力強さが浮き彫りにされ、ついには神話的ともいえる高みに到達したのです。

神話とは国家や一神教(ここではキリスト教)が出現する以前の、アニミズムに深く根ざした、世界の成り立ち、生命の誕生を解き明かし、人が生きて行くための知恵を説く哲学だという学説がありますが、熱き想いを貫くことで、死にも打ち勝ち、幸福を手に入れるという《雪の女王》が描いたものは、まさに神話的と呼んでも差し支えないでしょう。」

ただ、このアニメ《雪の女王》で女王は「死」の象徴だけでなく、「自然(冬)の力」の象徴としても描かれていると思える。なぜならば、カイが「雪の女王」なんかこわくない、燃えている煖炉に突っこんでやると語ったのを聞いた女王は、愚か者を捜し出して心臓に氷を突き刺せと命令したのである。

こうして、カイが自然を軽視した少年として描かれているのに対し、少女のゲルダはツバメや山羊に語りかけるだけでなく、川には自分の靴を贈って、行き先を尋ねるような自然の力を理解できる少女として描かれており、ここでは「自然」に対する「人間の傲慢さ」と「やさしさ」のテーマも響いていた。

このアニメの特徴の一つとしては「夢の精」ルポイを挙げることができるだろう。よい子には白い傘をさすと面白い夢が見られるし、悪い子に黒い傘をさすと夢は見ないなどと語りながら、ルポイは物語を進めていく。

重苦しい時代が描かれている《風立ちぬ》でも、二郎の夢の中に現れるカプローニおじさんは、「日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する」という厳しい時代を生きる二郎だけでなく、未だに原発事故が収束せず、泥沼化している現代の日本に生きる青年にも、ルポイのように白い傘をさして、未来への「夢」を与え得ているのである。

《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風

《風立ちぬ》の冒頭で描かれた夢のシーンの後に、「大地」が揺れることを実感させられる関東大震災の圧倒的な描写がある。

汽車に乗っていた主人公の二郎は、大地震の際に菜穂子との運命的な出会いをすることになるのだが、長編小説『竜馬がゆく』で1854年の「東海地震」に遭遇した竜馬の心理と行動を詳しく描いていた司馬遼太郎氏は、「大国」土佐の領主となる山内一豊の妻・千代を主人公とした『功名が辻』でも、地震について二度触れている。

すなわち、長浜城主に封ぜられてから四ヵ月目の夜に起きた「天正地震」で、最愛の娘を失った山内一豊夫妻はその衝撃から抜け出せずに「ひと月あまり廃人同然になった」と書かれている。そして、「伏見大地震」の際には怖がる千代を一豊が「いまおなじ大地で太閤殿下も揺れている。江戸内大臣殿(家康)も揺れている。みな裸か身で揺れておるわい」と慰め、「権勢富貴などは地が一震すれば無になるものだ」という哲学的な言葉を語らせている。(『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年、54~56ページ参照)。

ここには人間は大自然の激動の前にはほとんど無力であるという司馬氏の自然観がよく出ているだろう。それはニヒリズムではなく、地球という星を創造し、火山活動によって日本列島を産み出した大自然への深い畏敬の念なのである。

「太国」土佐の領主となった山内一豊は、征服された後も抵抗をやめない長曾我部家の家臣たちを「鬼」とみなして計略で殺してしまう。その後で司馬氏は「一豊様が一国のあるじになっていただくことが、わたくしの夢でした」が、その夢のために「領民がくるしんでいるとすれば、この夢はわたくしたち夫婦の我執にみちた立身欲だっただけのことになります」と千代に語らせている(第四巻・「種崎浜」)。

司馬氏はそれまでは「殺さない武将」として豊臣秀吉を高く評価していた千代の眼をとおして、「朝鮮征伐」を行うようになった豊臣秀吉を「英雄」の「愚人」化と厳しく批判している。このとき司馬氏は「権力」を得ることによって慢心した政治家は、人の生命の尊さだけでなく、大自然に対する畏敬の念さえも失ってしまうことを示唆していたようにも思える。

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《風立ちぬ》における大地震の描写からは、その激しい揺れが観客席にまで伝わってくるような衝撃を受けたが、高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになる。しかも、菜穂子を実家に連れて行こうと歩き出した二郎の歩みとともに逃げ惑う民衆の姿がアニメ映画とは思えない克明さで描かれているのである。

このときの「風」と原発事故後の「風」について宮崎監督は、インタビューででこう語っている。

「福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました。子供を持っているスタッフたちは線量計を買っていましたが、『ああ、これも風なんだ』と思いましたね。爽やかな風じゃない、轟々と吹く、放射能を含んだ風もこの世界の一部なのだと思いました。そういうことですね、風って」(アトリエ「二馬力」での完成会見より、「風立ちぬ特別号」『スポーツ報知』 )。

宮崎監督のこの言葉を読んだときに思い出したのが、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後で行われた講演会で語られた司馬遼太郎氏の言葉であった。

「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」(「人と樹木」『十六の話』、中公文庫)。

しかも司馬氏は「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と続けていたが、福島第一原子力発電所の大事故はチェルノブイリ原発事故に匹敵するものであり、しかも後者はともかくも「石棺」によって放射能の流出は止まったが、フクシマからはいまも膨大な量の汚染水が太平洋へと注ぎ出ているのである。

現在の日本に必要なのは、対外的な問題のみを強調して危機感を煽り立てる政治家ではなく、日本の大地や近海だけでなく地球環境をも破壊しつつある重大な問題を直視して、このような原発を推進した者の責任を明らかにするとともに、地球環境の保全のためにもきちんとした対策を立てることのできる政治家であるだろう。

 

《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影

作家・堀辰雄の小説『風立ちぬ』と同じ題名を持つ宮崎駿監督の久しぶりのアニメ映画《風立ちぬ》では、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の友情をとおして、当時の日本の社会情勢もきちんと描かれていた。手元に脚本がないので記憶が定かでない箇所もあるが、ここではその問題と『魔の山』との関係を考察したい。

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印象に残るシーンの一つは、すでに暗くなった街角で親の帰りを待つ少女を見た二郎が、買い求めていた「シベリア」という甘いお菓子を与えようとすると、喉から手が出そうになりながらも、「やせ我慢をして」受け取らずに走り去る場面である。

ここには西欧列強との戦争に勝つために、最新の兵器の購入や研究には惜しみなく経費を注ぎ込みながらも、「ほしがりません勝つまでは」というスローガンのもとに国民に耐乏生活を強いるようになる政策の問題点が象徴的に描き出されていた。その後の本庄との会話では、経済力などの面から攻撃こそは最大の防御であるとされて、爆撃機や戦闘機も設計された問題点も指摘されていたが、映像でも一瞬ではあったがの場面が描かれていた。

宮崎監督が次のように語っているのは、おそらくこの場面のことだったと思える。 「二郎の友人に設計士の本庄季郎という人がいるんですが、造った爆撃機が重慶まで出撃した。これは歴史的にも残る無差別爆撃で、同時にその爆撃機を援護したのは堀越二郎の造った零戦だった。」

戦闘員だけでなく一般の市民をも無差別に爆撃したアメリカ軍による「東京大空襲」などの非人道性は指摘されることは多いが、それに先だつ日中戦争で日本軍は重慶の無差別爆撃を行っていたのである。

これらの問題がきちんと描かれているのを見て、ようやく私は『零戦 その誕生と栄光の記録』(角川文庫、2012年)という華々しい題名を持つ堀越氏の著作を購読することにした。第七章が「太平洋上に敵なし」と名付けられているだけでなく、「十三機で敵二十七機を屠(ほふ)る」や、「五十機撃墜、損害は三機」などの小見出しがついていることから、これらが編集者の意向によるものが強いだろうとは思いながらも買うのをためらっていたのである。

実際、著作ではモノローグ的な手法で記されているために、対話的な手法で問題が浮き彫りにされている映画ほどの明瞭さはないが、「昭和十五年の春、中国大陸では、三年前にはじまった日華事変が、ますます根が深くなり、日本はいわゆる泥沼に足をつっこんだような状態に落ちこんでいた」(129ページ)などと《風立ちぬ》の二郎的な視点もきちんと記述されている。

ことに注目したのは、この映画の「企画書」では堀越二郎氏について「トーマス・マンとヘッセを愛読し、シューベルトを聴き、大軍需組織のなかでみなに認められ、平然と世わたりしつつ、自分の美しい飛行機を創りたいという野心をかくしている」と描かれていたが、この著作でも「私には、ナチスドイツが第一次世界大戦のドイツの二の舞いを演じるとしか思えなかった。そしてナチスドイツの前途は暗く、そのドイツとともに歩むことは、日本にとって危険な賭けだと考えざるをえなかった」(181)と明確に記されていることであった。

この二つの記述を読むまでは、避暑地のホテルで山盛りにしたクレソンをムシャムシャと食べ、ナチス政権を批判している謎のドイツ人のモデルは、スパイとして処刑されたゾルゲだろうと私は考えていた。むろん、舞台が日本であることを考えるならばその可能性は強いのだが、この人物が『魔の山』の主人公と同じカストルプという名字を与えられているにも留意するならば、著者のトーマス・マンの形象や思想も投影されていると思える。

なぜならば、アニメ映画《風立ちぬ》では飛行機の設計の技術などを学ぶためにドイツを訪れた二郎たちが見ることになる、政治警察に追われるドイツ人の場面が印象的な「影」の映像でヒトラー政権におけるゲシュタポ(政治警察)の問題をも暗示していたからである。

一方、トーマス・マンがこの長編小説を書くきっかけとなったのは、スイスのサナトリウムで療養していた妻を見舞った際に夫人から聞いた多くのエピソードであったが、この長編小説を著す前年の1923年にマンは著作『ドイツ共和国について』でナチスの危険性とワイマール共和制への支持をドイツの知識層に呼びかけていた(「ウィキペディア」)。

『魔の山』の主人公の名前との一致からここまで類推するのは、飛躍のしすぎと感じる方もおられると思う。

しかし、宮崎監督が敬愛した作家の掘田善衛氏は、大学受験のために上京した日に二・二六事件に遭遇した若者を主人公とした長編小説『若き日の詩人たちの肖像』で、烈しい拷問によって苦しんだいわゆる「左翼」の若者たちや、イデオロギー的には異なりながらも彼らに共感を示して「言論の自由」のために文筆活動を行っていた主人公の若者の姿をとおして、昭和初期の暗い時代を活き活きと描いていた。

堀田氏はこの作品で、ラジオから聞こえてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から受けた衝撃と比較しながら、ニコライ一世治下の厳しい検閲制度と迫り来る戦争の重圧の中で描かれたドストエフスキーの『白夜』の美しい文章に何度も言及していたが、司馬遼太郎氏などとの鼎談『時代の風音』ではこの厳しい時代に雑誌『驢馬(ろば)』の同人だった作家・堀辰雄についても語られていたのである。

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零戦の設計者・堀越二郎氏の著作『零戦 その誕生と栄光の記録』(角川文庫、2012年)で感心したのは、「第四章  第一の犠牲」や「第六章 第二の犠牲」で、テスト飛行での失敗の原因とその対策について、詳しく記されていることであった。

それは失敗の原因を明らかにしなければ先に進むことができない技術者という視点からは、当然の記述であるといえるかもしれないが、注目したいのはこのような記述が、政府や郡部による「事実」の「隠蔽」に対するきわめて鋭い批判となっていることである。

たとえば、太平洋戦争が始まると「以前にも増して熱にうかされたような勝利の報道がなされつづけた」と記した堀越氏は、「太平洋戦争の転回点となったミッドウェー海戦」についても、「当時の新聞には、『東太平洋の敵根拠地を急襲』といった見出しが一面のトップの最上段全体にわたって掲げられ」ていたが、「戦後明らかにされた事実は、まったく逆だった」と続けていた(203~4ページ)。

さらに、「ガダルカナルをめぐる戦い」も「日本軍の敗北で終わった」が、「新聞には、ガダルカナルからの『転進』であると書かれ、この敗北は国民には隠されていた」と記している(211)。

 

問題はこのときと同じような事態が、現在の日本で起きていることである。

素人の見解に過ぎないが、私には放射能の濃度が高すぎて原子炉の破損の状況を具体的に調べることができないだけでなく、大量の汚染水が毎日、海洋へと流れ出ている福島第一原子力発電所の事故は、「太平洋戦争の転回点となったミッドウェー海戦」と同じようなレベルでの「原子力の平和利用」政策の破綻であると思える。

新聞やテレビなどのマスコミに求められるのは、「熱にうかされたような」経済効果についての報道ではなく、現実に起きていることとその対策をきちんと「国民」に伝えることだろう。

 

 

特集「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」と映画《生きものの記録》

黒澤明研究会の会誌には、映画《夢》や《生きものの記録》の考察が掲載されているばかりでなく、広島の被曝をテーマにした黒木和雄監督の《父と暮らせば》や「第五福竜丸」の被爆後に撮られた本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》や新藤兼人監督の映画《第五福竜丸》などについての優れた考察が掲載されている。

この会誌をなかなか目にする機会がないと思われるので、いずれ筆者の了解を得た後で紹介していきたいと考えているが、ここでは「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」という日本映画専門チャンネルの2012年の映画特集の前に行われた仙台出身の岩井俊二監督と鈴木敏夫プロデューサーとの対談記事を紹介しておきたい(注1)。

福島第一原子力発電所の大事故の後で、一気に深まったように見えた黒澤明監督の映画《夢》などへの関心は、当然放映すると思われた「公共放送」のNHKが取り上げなかったこともあり、広まることなく現在に至っているように見えるが、2012年の初めにこのような好企画で特集が組まれていたのを知ったのは新鮮な驚きであった。

スタジオジブリの鈴木敏夫氏については、これまで私の中では敏腕なプロデューサーというイメージが強かったのだが、この対談記事を読んだ後ではイメージが一変し、宮崎監督が全幅の信頼を寄せるのも当然だと思うようになった。

DVDボックスのような形でこの好企画で放映された映画を購入することができれば素晴らしいと思えるので、ここでは《生きものの記録》について語られている箇所を中心にこの対談記事を紹介する(テキスト・構成・撮影:CINRA編集部、2011/12/30)。

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岩井:日本映画専門チャンネルで「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」という特集を組むことになりました。今回は黒澤明監督の映画『生きものの記録』などさまざまな作品を放映します。今回の作品ラインナップはいかがでしょうか?

鈴木:放映される作品の中で一番印象に残ったのは、『生きものの記録』ですね。震災後に改めて観ると、以前にくらべて「受け取る印象がこうも違うのか」と思いましたし、すごくリアリティがあった。黒澤っていう人は面白いなと、つくづく思いましたね。

岩井:確か『七人の侍』の翌年に製作され、脚本陣も同じチームで自信を持って作ったそうですが、お客さんは全然入らなかったそうですよ。

鈴木:たぶんそうでしょうね、三船敏郎は良かったけれど(笑)。メークアップも撮影も漫画っぽくしてあったりするけれど、今観ると言いたいこともはっきりしているからすごくリアリティがあって。多くの人に、今観てほしい作品です。

岩井:『日本沈没』もそうで、3.11以降に観ると後半部分には「日本はこれからどうなるのか」というテーマが切実に描かれていると思ったし、思想的にも哲学的にも考えさせられる内容ですよね。いわゆるパニック映画とはちょっと違うテイストで。しかも「御用学者」なんて言葉も登場しているし、真実をぼかして報道するメディアに対する批判もある。(中略)今回放送されるラインナップは、震災前に観るとピンとこなかった作品もありますよね。『生きものの記録』なんて、出てくるセリフの単語のひとつひとつが、震災後に耳にする言葉だったりしますし。

鈴木:黒澤監督は、関東大震災を目の当たりにしているそうなんですね。たくさんの瓦礫と人の死が自分の記憶の底に残った、と著書に書いていて(注2)、そういう意味でも戦争や核の問題に対して敏感だったんでしょう。昔観たときは、『生きものの記録』はむしろ「喜劇映画かよ」っていう印象でしたが、震災を経ることによって、黒澤監督が作品に込めた考えが、やっと伝わってきたような気がしています。

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引用者注                                                                   1,「日本本映画専門チャンネル」で2012年1月5日(木)から2月23(木)毎週木曜日23:00から放送                           1月放送作品:『生きものの記録』/『日本沈没』/『風が吹くとき』/『ヒバクシャ HIBAKUSHA 世界の終わりに』/
『特別番組「岩井俊二×鈴木敏夫 特別対談(仮)」』
2月放送作品:『夢』/『空飛ぶゆうれい船』/『六ヶ所村ラプソディー』/『原子力戦争 Lost Love』/
『特別番組「岩井俊二×坂本龍一 特別対談(仮)」』

2,黒澤明『蝦蟇の油――自伝のようなもの』岩波書店、1990年。