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ドストエーフスキイの会、264回例会(報告者:木下豊房氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、264回例会(報告者:木下豊房氏)のご案内

遅くなりましたが、「ニュースレター」(No.164)より転載します。

以下の要領で、会員限定のオンラインによる9月例会を開催します。会員の皆様のご参加をお待ちしています。

日 時2022年9月25日(日)午後2時~5時         

開催形式:当会会員限定のZoom(オンライン)にて開催 

 報告者; 木下豊房 氏

 題目;初期中編小説『女主人』における物語のヴァーチャル性と主題の宗教性

 例会の参加方法

 Zoomによる参加希望者は、9月21日(水)までに、受付用アドレス<kaidost@yahoo.co.jp >にメールを送信してください。非会員で、会員の紹介による場合はその旨お書き添えください9月23日(金)<予定>に返信メールでZoomログイン用URLをお知らせします。 なお前回例会参加者には自動的に送信します。

報告者紹介

木下豊房(きのした・とよふさ)

1969年、会発起人の一人、「発足の言葉」を起草。2002年まで千葉大学で30年間、ロシア語・ロシア文学を教える。2000年、国際ドストエフスキー研究集会(千葉大学)を主宰。著書に『近代日本文学とドストエフスキー』(1993、成文社)『ドストエフスキー・その対話的世界』(2002.成文社)、『ドストエフスキーの作家像』(2016、鳥影社)その他。

第264回例会報告要旨

初期中編小説『女主人』における物語のヴァーチャル性と主題の宗教性

 ドストエフスキーの数ある小説の中でも『女主人』は理解しにくい作品であろう。『貧しき人々』を始めとして、1840年代の初期作品のほとんどすべての主題がゴーゴリの自然派の流れを汲む小官吏の意識とドラマを描いたものであったのに対し、この小説に限って、主人公は夢想家の青年インテリであり、物語はその主人公と民衆のフォークロワ的世界、民衆の宗教感覚から抜け出てきたような神秘的、謎めいた老人と若い女の関係をめぐって展開する。しかも主題は『カラマーゾフの兄弟』で中心をなす教会と宗教性である。『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』を除けば、教会が登場するのはこの作品だけというのも、特異な点である。

 ドストエフスキーは生涯を通じて、公的なロシア正教会にはほとんど関心を示さず、尖塔の輝きなどシンボリックな風景として描く以外に、ほとんどの小説ではその内部を描いていない。作家はおそらく公式の教会とは一定の距離を置いていた。信徒として教会に通った形跡もない。彼が社会的に正教会と関係を持ったのは、幾人かの聖職者との個人的な付き合いだけだった。

 それだけに『女主人』でとりあげられた宗教的主題-しかも彼が西欧のロマン主義文学、ユートピア社会主義思想の強い影響下にあった時代のそれとはどのようなものか、ロシアの研究者の間でも、いまだ議論は終わっていない。大方の見解として、公的正教会の教義から外れた形で民衆の間に影響力を持っていた異端派、分離派教徒にドストエフスキーは関心を示していたという点では一致している。しかし具体的な想定となると、いちじるしく異なる。先ず基本的に、作品の枠組みをどう読みとるかによって解釈が大きく違ってくる。

 小説は、夢想家オルヂノフ-カチェリーナ-ムーリンの空想的、幻想的な世界の話の筋と、ヤロスラフ・イリッチ(『プロはルチン氏』で登場する警官)や門番、老婆など、自然派の日常世態的な場景の二つの枠から構成されていて、読者が読みこむことによって、非現実な物語の場と現実の話の場を識別できるようにドストエフスキーは独特の工夫・方法を凝らしている、と指摘したのが20世紀初頭の世界的なドストエフスキー研究の草分けの一人、А. ベーム(1886—1945?)であった。

 ベームはすでに、オルディノフの幻想・幻覚の非現実性が、現実と見分けがつかないほど混淆いることを指摘しているが、これをヴァーチャル・リアリティの問題として、近年、論じているのがモスクワの研究者オリガ・ボグダーノワである。彼女は現代ロシアでのヘシュカスム(静寂主義)人間学の研究者セルゲイ・ハルージイの「人間学的境域」の概念から「ヴァーチャルな(存在の活性化を指向する)境域」を援用して論じている(2012年)。

 しかし小説構成上の二つの枠を区別することなく、一枚のキャンバスとして読み、オルヂノフ(=若きドストエフスキー)の民衆の宗教への関心、異端派、分離派教徒への興味を「去勢派」と断定するО.ディラクトルスカヤの見解をめぐっての議論が盛んである。 И.Г.エヴラムピエフは、作者は分離派の民俗学的な描写に興味はなかったと、「去勢派」説に疑念を呈しながら、オルヂノフが志向した宗教性を「グノシス主義」に近いものと見ている(2009年)。С.С..ブィトコも「去勢派」説には説得力がないとしながら、オルヂノフはただ民衆の一般的な心情や魂に共感を寄せただけだとしている(2019年)。ムーリン「去勢派」説の.ディラクトルスカヤにしても、結論的には、オルヂノフの矛盾の解決の方向をヘーゲル主義に求めている。ベームはドストエフスキーの反教会の姿勢を読みとりながら、ムーリンの発言に『カラマーゾフの兄弟』大審問官の思想(人間の「自由」の問題)の予告を見ている。このように、現在までのところ、この小説の宗教的主題についての研究者の議論は一定しない。本報告ではこのテーマについて、別の角度からの新しいバージョンを提起したい。

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例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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