高橋誠一郎 公式ホームページ

01月

「明治維新」の賛美と「国家神道」復活の危険性

 司馬遼太郎氏が亡くなられた後で起きたいわゆる「司馬史観」論争では、「#日本会議」系の論者が、対立する歴史家の見方を「自虐史観」と名づけ、司馬氏の歴史観とは正反対の見方を安倍元首相などの政治家が全面的に応援して広めた。

 しかし、司馬氏は坂本竜馬をテロリズムの批判者として描いた『竜馬がゆく』において、自分の言葉で「神国思想」や「維新」の理念をこう批判していたのである。

 幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となり、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」(「勝海舟」『竜馬がゆく』)。

 「天誅」という名のテロが横行した「明治維新」を無条件に賛美することは日本社会の右傾化を促して、2・26事件から太平洋戦争に至る流れを繰り返す危険があった。

 実際、安倍元首相などの意向に沿ってNHKの大河ドラマなどで「維新」が美しく描かれたことや、「#日本会議」系の論客たちの理論に立脚して物語を創作した『永遠の0』がヒットしたことは、日韓関係の緊張や現在の「憲法」問題につながっていると思える。

 劇作家の井上ひさし氏や憲法学者の樋口陽一氏は、司馬氏の歴史観に深い理解を示していたが、司馬氏の歴史観を右翼的な立場から賛美した「司馬史観」論争以降は大幅に説得力を減じて、改めて論じることには無力感も覚える。

 だが、日本が危機に瀕している現在、あきらめずに論じることにする。ここでは安倍元首相の国家観を論じたツイートの後で、その危険性を指摘していた司馬遼太郎の「明治国家観」、「昭和国家観」、「沖縄観」、「韓国観」の順番に掲載する。

 結論 日露戦争の美化から太平洋戦争へ

 (2022/01/24、改題)

〔スレッドの目次〕

参院選を前に重要な問題が山積しているので、テーマの確認とテーマの深化のために〔スレッドの目次〕を作成しました。ツイートを記載順にまとめただけのものもありますが、論文を元にしたものはこれからもそのテーマを掘り下げて考察したいと考えています。(ホームページのみが示されている場合は、引用ツイートからスレッドに入れます)

 〔核兵器禁止条約に至る道と日本の「核の傘」政策〕

〔なぜ日本は貧困化したのか〕

〔『若き日の詩人たちの肖像』より〕 (主に作品からの引用) ⇒〔日本の近代化と『若き日の詩人たちの肖像』に改題〕

〔ホームぺージ関係の記事〕

〔「コロナ禍の中で行われたオリンピックを振り返る〕

〔井上ひさしのドストエフスキー観――『貧しき人々』を中心に〕

〔「基幹統計の書き換え」とアベノミクスの詐欺性〕

〔「維新」の危険性を考える〕

〔ホームページのトップページより〕  

〔堀田善衞の黒澤映画《姿三四郎》観と《用心棒》観〕

〔小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』の考察――長編小説『審判』の成立〕

〔新聞と報道の問題を考える――藤井道人監督のドラマ『新聞記者』〕

〔ドストエフスキー生誕200年と『堀田善衞とドストエフスキー』〕

〔明治の文学者の視点で『罪と罰』を読み解く――『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』〕

〔夏目漱石と司馬遼太郎の日露戦争観と自殺戦術の批判〕

〔司馬遼太郎の「神国思想」批判と平和憲法の高い評価〕

〔「日米地位協定」の危険性』〕

〔『若き日の詩人たちの肖像』〕(重複)

〔自民と維新による「改憲」の危険性〕

〔「明治維新」の賛美と「国家神道」復活の危険性〕

明治の文学者の視点で『罪と罰』を読み解く――『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』

  「教育勅語」渙発後の北村透谷たちの『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争などをとおして「立憲主義」が崩壊する過程を再考察することにより、蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論の危険性にも迫る 。

 目次より
はじめに 危機の時代と文学──『罪と罰』の受容と解釈の変容
第一章 「古代復帰の夢想」と「維新」という幻想──『夜明け前』を読み直す
第二章 一九世紀のグローバリズムと日露の近代化──ドストエフスキーと徳富蘇峰
第三章 透谷の『罪と罰』観と明治の「史観」論争──徳富蘇峰の影
第四章 明治の『文学界』と『罪と罰』の受容の深化
第五章 『罪と罰』で『破戒』を読み解く──差別と「良心」の考察
第六章 『罪と罰』の新解釈とよみがえる「神国思想」──徳富蘇峰から小林秀雄へ
あとがきに代えて──「明治維新」一五〇年と「立憲主義」の危機

権力による情報の「操作」と「隠蔽」の危険性ーー映画『新聞記者』からドラマ『新聞記者』へ

 新聞がオリンピックという「国策」で開催される大イベントのスポンサーに成ってしまったために政府に対する批判も封じられて、国民のストレスがたまる中、新たな分野で配信されたこのドラマも大ヒットして、現状を変える力を持っていると思われる。

 かつてナチスドイツはオリンピックの映画をプロパガンダとして利用したが、同じような問題が日本でも起きている現在、このドラマが持つインパクトはきわめて大きいだろう。ここではまず 日本アカデミー賞の6部門で受賞した映画『#新聞記者』の意義を考えたスレッドを再掲する。

 

『ユーラシア研究』65号に「黒澤明監督のドストエフスキー観――『罪と罰』と『白痴』のテーマの深まり」を寄稿

はじめに 『白痴』の発表150年にあたる2018年にブルガリアで行われた国際シンポジウムの最終日に行われた円卓会議では黒澤映画『白痴』(1951)が取り上げられ、学生向けにブルガリア語の字幕付きの映画『白痴』も大きな講堂で上映された。

 「円卓会議」で私は「映画『白痴』と黒澤映画における「医師」のテーマ」という題で報告した。長編小説『白痴』ではシュネイデル教授をはじめ、有名な外科医ピロゴフ、そしてクリミア戦争の際に医師として活躍した「爺さん将軍」などに言及されており、黒澤映画でも『白痴』だけでなく、『酔いどれ天使』(1948)、『静かなる決闘』(1949)から『赤ひげ』(1965)に至る作品で医師が非常に重要な役割を演じているからである。 

 しかも、医師のテーマに肉体だけでなく精神の治癒者としての医師に注目し、社会の病理の改革をも含めるとき、ドストエフスキー作品における裁判のテーマも浮かび上がってくる。黒澤明のもとで助監督を務めた堀川弘通は「『白痴』はソ連では、日本人のクロサワはロシア人よりもドストエフスキーを理解していると評判だった」ことを紹介している。本稿では黒澤映画における医師と裁判のテーマの分析をとおして、『罪と罰』や『白痴』を生涯にわたって考察していた黒澤映画の現代性を明らかにする。

〔論考の構成〕  はじめに/  一、黒澤監督の芥川龍之介観とドストエフスキー観――映画『わが青春に悔なし』/  二、映画『野良犬』から『羅生門』へ――黒澤映画における『罪と罰』のテーマ/  三、長編小説『白痴』と黒澤映画における「医師」と「裁判」のテーマ

小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』の考察――長編小説『審判』の成立

 『悪霊』で扇動家として否定的に描かれているピョートルのモデルとなった扇動家ネチャーエフの良心を論じたエッセイ「良心」で小林秀雄は、本居宣長に依拠しながら「良心は、はっきりと命令もしないし、強制もしまい。本居宣長が、見破っていたように、恐らく、良心とは、理智ではなく情なのである」と書いた。

 一方、一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出したラッセル卿は、原爆パイロット・イーザリーの哲学者アンデルスの往復書簡をまとめ、ドイツでは『良心の立ち入り禁止』」という題名で発行された本の前書きでこう記した。

「イーザリーの事件は、単に一個人に対するおそるべき、しかもいつ終わるとも知れぬ不正をものがたっているばかりでなく、われわれの時代の、自殺にもひとしい狂気をも性格づけている。(……)彼は結局、良心を失った大量殺戮の行動に比較的責任の薄い立場で参加しながら、そのことを懺悔したために罰せられるところとなった」。

 日本では『ヒロシマわが罪と罰』という邦題で発行されているように、この往復書簡の主題は核の時代における「良心」の問題なのだが、小林秀雄はなぜかこの往復書簡については沈黙を守った。

拙著『#堀田善衞とドストエフスキー』第四章では長編小説『審判』の詳しい考察の前に『ヒロシマわが罪と罰』の問題を考察したので、ここではそれに先だってアップしていたツイートを掲載する。

ドストエーフスキイの会、260回例会(報告者:伊東一郎氏、清水孝純氏)のご案内

しばらくご案内が途切れていましたが、「ニュースレター」(No.161)より一部編集して転載します。

260回例会のご案内 (当会会員限定のZoom(オンライン)にて開催)。 

日 時2022年1月23日(日)午後2時~5時         

〇報告者:伊東一郎 氏

題 目: 〈声〉とは何か ―バフチンにおける「ポリフォニー」概念両義性について

〇報告者:清水孝純 氏

題 目:『死の家の記録』を読む

 〇 例会の参加方法 : Zoomによる参加希望者は、1月17日(月)までに、受付用アドレス<kaidost@yahoo.co.jp にメールを送信してください。非会員で、会員の紹介による場合はその旨お書き添えください。1月20日(木)<予定>に返信メールでZoomログイン用URLをお知らせします。 なお前回例会参加者には自動的に送信します。

報告者紹介

伊東一郎(いとう・いちろう) 1949年生。早稲田大学名誉教授。ロシア文学、ロシア音楽文化史、スラヴ比較民族学専攻。著書に『ガリツィアの森―ロシア東欧比較文化論集』(水声社、2019)、『マーシャは川を渡れない―文化の中のロシア民謡』(東洋書店、2001)、共編著に『ドストエフスキーとの対話』(水声社、2021)、訳書にミハイル・バフチン『小説の言葉』(平凡社ライブラリー、1996)など。

清水孝純(しみず・たかよし) 夏目漱石とドストエフスキーとのかかわりから出発し、其の後軸足をドストエフスキ―研究に移し、国際ドストエフスキー・シンポジウムにも参加、発表を行ってきた。『罪と罰』研究で第1回池田健太郎賞受賞。現在『悪霊』論を準備中。『カラマーゾフの兄弟』論3巻がある。今後『未成年』論も予定している。

*   *   *

第260回例会報告要旨

〈声〉とは何か―バフチンにおける「ポリフォニー」概念の両義性について    

バフチンの文学理論において「ポリフォニー」は「カーニヴァル」と並んで最も人口に膾炙した術語だが、バフチン自身がその著作の中で明確な概念規定をしていないために、その後の文学批評においてもきわめて恣意的に用いられ、また様々に拡大解釈されている術語である。今回の発表の目的は、バフチンがそのドストエフスキー論で提起した「ポリフォニー」という音楽学から借用した術語(このことはこの術語が「ホモフォニー」と対比的に用いられていることから明らかである)をバフチンがどのような意味と意図を込めてその論で用いたかを検証し、その理論的射程を測ることにある。

 音楽学的なポリフォニーの構成要素は客観的に同定できる〈音=音響〉であり、その限りでは、「ポリフォニー」は形式主義的概念である。しかしバフチンの「ポリフォニー」の構成要素たる「声」は、主体=人格の表現としての「声」なのであり、意識、視点などの多義的な意味論的負荷をになっていることから、バフチンの「ポリフォニー」概念の内実は複雑なものになっている。本報告では、音楽における「ポリフォニー」と「ホモフォニー」の区別を実例を示しながら具体的に明らかにした上で、この術語が形式と現象の二重性を指し示すためにバフチンによって戦略的に用いられていることを明らかにする。

周知のようにバフチンのドストエフスキー論には『ドストエフスキーの創作の諸問題』と題された1929年刊の初版と、『ドストエフスキーの詩学の諸問題』と改題されて1963年に出版された第2版がある。第2版は『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(1965)で展開されているカーニヴァル論で初版を大幅に増補したものであるが、バフチンのポリフォニー論は初版において、カーニヴァル論に先行して、それとは独立して成立しているものであるから、本発表では問題を「ポリフォニー」に限定して話を進める予定である。

『死の家の記録』を読む

今回の発表のテーマは「『死の家の記録』を読む」です。この記録はいうまでもなく、ドストエフスキーのオムスク監獄での4年間の体験を基にしたものですが、一般的にいってその自伝的性格から、ドストエフスキーのその後の作品との関係で論じられてきたように思われるのですが、どうでしょうか。それはそれでよいのですが、ただそれではこの記録のもつ美しさ、面白さが減じてしまうようなきがするのでが。たとえば、囚人たちの入浴の場面です。濛々たる蒸気立ち込める中で囚人らの負ったおぞましい傷痕が生々しい鮮やかさを帯びて浮かび上がる。これは醜悪極まりないものでしょうが、囚人らの恐るべきエネルギーにささえられて、なにかしら感動的な光彩を放つことになるのです。ユダヤ人イサイフォミッチの話はこれまた全く異なる種類の話ですが、ユダヤ民族の特性をよくあらわしたものです。第1部の終わりにくる「芝居」は囚人らによる、ヴォードヴィル劇(軽い喜劇)ですが、ナンセンスに近い劇を囚人らが演ずるというもので、何とも罪のないものです。観客にあたるドストエフスキーは、通常の劇場でも同じものを見たが、囚人たちの演ずるヴォードヴィルの方がよかったとほめているのです。演劇といういわば虚の空間に自己を投げ込み、他者を演ずるということの、教育的効果もそこに潜在しているのではないでしょうか。

 第2部になるとトーンはかなり変わるように感じます。というのも語り手が入院することによって、語りは思索的瞑想的になると言っていいでしょう。語り手は第1部の「緑の街」について、その執行者の恐るべき欺瞞をも告発するのです。さらに文中挟まれた、一つの語りの残酷さの中には、のちのドストエフスキーの描く人間の二重性の恐ろしさが引きだされているようにも思うので第2部は後期作品群への原衝動を秘めたものではないでしょうか。

*   *   *

例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

岩本憲児氏が『黒澤明の映画 喧々囂々』(論創社)で拙著を紹介

 昨年、「日本映画を長くリードし、海外映画にも多大な影響を与えた「世界のクロサワ」。公開時の映画評を時系列に紹介。黒澤映画の何が評価され、何が評価されなかったか」を緻密に論じた岩本憲児氏の『黒澤明の映画 喧々囂々 同時代批評を読む』(論創社、2021)が刊行された。

 ドストエフスキー生誕200年にふさわしくこの本の第6章では、黒澤映画とドストエフスキー作品との関連についての井桁貞義氏と清水孝純氏とともに私の考察にも詳しく言及して紹介されている。 

 以下に、ここではその個所を引用することにより感謝の意を表したい。

 「もう一人、高橋誠一郎はさらに徹底して、黒澤映画とドストエフスキー小説の強い結びつき、そして黒澤におけるドストエフスキーの影響を細部にわたって検証していった。(……)高橋誠一郎は二冊の著書『黒澤明で「白痴」を読み解く』(2011年)と『黒澤明と小林秀雄』(2014年)を上梓、後者には「『罪と罰』」をめぐる静かなる決闘」の副題を付けた。彼は黒澤のドストエフスキーへの関心がいつごろからあったのか、黒澤自身の回想やインタビューから探り出していく。」(310頁、314頁)

「黒澤作品におけるドストエフスキー的、またはロシア文学的要素、これを実証的に分析していくことは可能だろう。黒澤とドストエフスキー、両者を深く調べることができる人であれば。

 高橋誠一郎はドストエフスキーの研究者だったから、その研究者的態度を黒澤研究にも生かすことになった。彼の熱意には脱帽させられるし、一九世紀ロシア文学の思想的・社会的背景、ドストエフスキー文学の位置や特徴、とりわけ『白痴』の読解に関してなど、筆者(岩本)は教わることが大きかった。すなわち、『わが青春に悔なし』の強い信念を持った女性・八木原幸枝(原節子)、『醜聞(スキャンダル)』の蛭田弁護士(志村喬)、その純情娘(桂木洋子)、もちろん原作『白痴』と映画『白痴』の高い親密性、『生きものの記録』の核爆発に恐怖する中島喜一(三船敏郎)、『赤ひげ』の売春宿に生きる少女・おとよ(二木てるみ)等々ドストエフスキー的人物像の説明は具体的である。

 さらに、『黒澤明と小林秀雄 「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、ドストエフスキーに関する多数の評論を書いた小林秀雄の理解度と黒澤の理解度を比較しながら、小林が黒澤映画を一本も見ずに対談したことなどにふれ、ドストエフスキーを自己流に曲げて解釈した小林を批判している。はたして黒澤明は自身が言う「本物のインテリ小林秀雄」を表面では尊敬しながら、一方では、自己の作品のなかで小林のドストエフスキー解釈に異を唱えていたのだろうか。また、のちに黒澤本人が「ドストエフスキー論争においては小林秀雄に負けない」と言ったことが具体的には何を指していたのか、高橋誠一郎はスリリングな両者の「静かな決闘」を組み立てている。

 このようにロシア文学研究に軸足を置いて書かれた二冊の本は、これまでの黒澤研究に新たな視点、しかも深い解釈をもたらしてれる。」(318~319頁)

堀田善衞の黒澤映画《姿三四郎》観と《用心棒》観 

はじめに *1

「ドストエフスキー生誕200年」にあたる今年の第44号に清水孝純・九州大学名誉教授の玉稿「ブルガリア国際ドストエフスキー学会・シンポジウムでの黒澤明」を掲載することができた。

その後、会員の方々から著名な映画史研究者の岩本憲児・早稲田大学名誉教授の近著『黒澤明の映画 喧々囂々(けんけんごうごう) 同時代批評を読む』(論創社、2021)に、「日本のドストエフスキー研究者たち、井桁貞義、清水孝純、高橋誠一郎らも、原作『白痴』の評価を深めていった」との記述があるとのお知らせを相次いで頂いた。

入会時に記したように私の願いは黒澤映画『白痴』の意義を広めることにあったので、拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(2011年)と黒澤明と小林秀雄』(2014年)についてこのようにロシア文学研究に軸足を置いて書かれた二冊の本は、これまでの黒澤研究に新たな視点、しかも深い解釈をもたらしてれる」(319頁)との高い評価はありがたかった。

 ただ、私が「『姿三四郎』正続編の主人公にも『白痴』の主人公ムィシキンの姿を見てしまう」(318頁)と多少批判的に記されているが、そこでの記述は私の解釈ではなく、堀川弘通監督の証言を紹介したものであった。重要な証言なのでここでも引用することにする。

『会誌』第43号には「堀田善衞の黒澤明観――黒澤映画《白痴》と映画《用心棒》の考察を中心に」という題名で投稿したが、その後、堀田善衞が安岡章太郎、岩崎昶との座談会で、映画『姿三四郎』についても発言していたことが分かった。そこでの堀田の発言についても簡単に紹介して映画『姿三四郎』の意義を確認したあとで、堀田の映画『用心棒』観にもふれておきたい。

一、堀川弘通監督の映画《姿三四郎》観*2

 長く黒澤作品の助監督を務めた堀川弘道は「プーシキン、ゴーゴリ、トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、これらの作家の作品の影響は、戦前の日本知識人の血脈として生きていた。特にクロさん(引用者注――黒澤監督)はその影響を受け、自分の脚本にも反映している」と書いている。

 そして堀川は、《続 姿三四郎》(脚本・黒澤明)を撮る前には黒澤が原作者の富田常雄と「酒を酌み交わすうちにすっかり打ち解けて、ロシア文学の話になり、富田がロシア文学に造詣の深いのには、ちょっとびっくりしたが、特にドストエフスキーでは『白痴』のムィシキン公爵について、『その白痴のような純粋』さの解釈で大いに盛り上がった」ことを紹介している。

 実際、自分の命をも狙うような敵の憎しみや苦悩にも理解を示す「白痴のような純粋」さを持つ《姿三四郎》や《続 姿三四郎》の主人公は、ムィシキンと多くの共通点を有しているのである。さらに、映画《白痴》の脚本を協同で書いた久板栄二郎は、黒澤がドストエフスキーの『虐げられた人々』の映画化の意図を持っていたが、それは実現しなかったものの、《赤ひげ》の少女の形象として実現しているとインタビューで証言している。

 それゆえ一九四三年に公開された《姿三四郎》(脚本・黒澤明)のころから『白痴』映画化の構想を温めていたのではなかいかと想定した堀川は、《白痴》について「ドストエフスキーの小説の息吹をこれ以上伝えた映画は、今までなかったと思っている」と評価しただけでなく、「全作品中でも、一、二を争う意義ある作品」と位置づけているのである。

 しかも、このような堀川の指摘に先だって《白痴》の公開後にインタビューした清水千代太は、《酔いどれ天使》(1948)における医者とヤクザの描かれ方にも言及しながら、黒澤映画とドストエフスキー作品との関連について鋭く迫っていた。また、先駆的な研究書である『黒沢明の世界』において佐藤忠男は、終戦直後に公開された《わが青春に悔なし》(1946)や、「第五福竜丸」事件の後で撮られた《生きものの記録》(1955)などの作品の主人公にムィシキンとの共通性を見ている。

 これらの指摘に留意しながら黒澤映画を見るとき、《白痴》の前後に公開された諸作品や《天国と地獄》(1963)、《赤ひげ》(1965)ばかりでなく、原発や原爆の問題を扱った晩年の《夢》(1990)や《八月の狂詩曲》(1991)にいたるまで、実に多くの作品が長編小説『白痴』のテーマを受け継いでいることに気づく。

二、作家・堀田善衞の映画 《 姿三四郎》観

 黒澤映画 《天国と地獄》 がたいへんなヒット作となったことを受けて『朝日ジャーナル』(1963年5月5日)では、「映画『天国と地獄』が博した人気の秘密はなにか。一つは、この映画のスリリングなテーマであり、もう一つは、黒沢明監督その人の人間味であろう」という切り口から、「黒沢明の人間研究」と題して作家の安岡章太郎、映画評論家の岩崎昶と堀田善衞の座談会が行われていた*4。堀田善衞の黒澤明観を示す重要な発言なので『姿三四郎』を中心に少し詳しく紹介する(この節では堀田善衞の表記に従って題名は『』に記し、かっこ内には頁数を示す)。

その冒頭で「たいへんな人気を博して、戦後最大の観客を動員するのじゃないかと見るむきもあります」との編集部の言葉を受けて、「二度見た、三度見たという人がいましたよ、それも女の人」と堀田は応じている。

しかし、編集部が「 『天国と地獄』を中心にして、黒沢明の内面の世界、あるいはその人間観を探ってみたら、と思う」 と続けると堀田は、「黒沢明さんの人間観というが、人間観というようなものはぼくはあまり感じない」(30)と否定的に答えている。堀田が長編小説『祖国喪失』(1952)では『わが青春に悔なし』の広告から主人公が日本の将来の希望を感じたと記しており、昭和初期の時代を描いた自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』では女主人公・マドンナと映画『馬』の関りを描いていたことを考慮するならば、このような評価は意外だった。

ただ、映画『野良犬』(1949)に対しては好意的な評価をしていることを考慮するならば、長編小説『記念碑』(1955)で登場人物の言動をとおして特高警察の問題を詳しく描き、『審判』(1963)では基地問題などで暴力を振るうようになった警察の過剰警備を明らかにしていた堀田にとって、『天国と地獄』では警察制度の問題がきちんと描かれていないという不満を持ったのだと思われる。

興味深いのは、このように『天国と地獄』には「分裂的だ」と批判した堀田が戦時中に公開された 『姿三四郎』については、「処女作 『姿三四郎』はシンメトリーの建物みたいなものでしょう。方一方に柔道派があって、方一方に柔術派みたいなものがあって、そうして娘がいて……」(31)と評価しており、座談会の最初の頁の上段でも『姿三四郎』の決闘のシーンが大きく示されている。

堀田善衞は映画『生きる』に対しても批判的な言説を述べているが、座談会の終了近くでは「日本映画の一つの完成者であることはたしかです」と高い評価を述べ、「これからも黒沢さんの映画をぼくは見たいと思う」と語り、こう結んでいる。

「いちばんいいのは、無理な叙情のないことはありがたいな。助かるね。『姿三四郎』で、ハスの花を写しても無理な叙情はない、あれはほんとうに助かるな。『姿三四郎』は非常にぼくは好意を持ったな。/ あれと吉川英治さんの武蔵と比べたら、規模が違うからちょっと言えないけれども、あの姿三四郎のほうが単純に神様があるのじゃないかしら、吉川英治さんの宮本武蔵よりも」(37)

最後に「神様」が出て来るのには驚いたが劇作家の井上ひさしも 、「ユーモアの力・生きる力」と題された黒澤との対談の冒頭で「国民学校の三年生のときに《姿三四郎》を見て以来、黒澤さんを神様のようにあがめて生きてきた」と語っていた。そのことにも留意するならば、戦時中の暗い時代に黒澤映画が若者たちに与えた希望の大きさが感じられる。

三、堀田善衞の映画 『用心棒』 観

  国立映画アーカイブの開館記念企画として2018年に開催された展覧会「旅する黒澤明・槙田寿文ポスターコレクションより」に出展されたポスターの絵などを収録した『旅する黒澤明』にはフランスで作成された映画《白痴》やイギリス版の《生きものの記録》、そしてアメリカ版の映画《夢》、さらにはポーランド版の映画《八月の狂騒曲》のポスターも載っており興味深かった。

ことに目を惹いたのはここにキューバで作成された映画《赤ひげ》のポスターも掲載されていたことである。キューバにおける『七人の侍』や『用心棒』の受容については、奴隷貿易や植民地政策の悲惨さにも触れた『キューバ紀行』(1966)で記されている(ルビは省略した)。キューバにおける映画《赤ひげ》や映画《白痴》の受容について触れられていないのが残念だが、堀田善衞の黒澤明観の一端は伝わってくる。

 堀田の黒澤映画《白痴》観 については、拙著『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社)で詳しく言及し、や ゴーリキーの劇《どん底》とのかかわりについてもふれたが、映画《用心棒》については省いていたので、少し長くなるがここで引用しておきたい。

 「ここにある西と東の反撥と疎隔は、未来に深刻な問題を用意するものであるかもしれないと思われる。しかもその間にあって、日本の現代絵画や彫刻、建築、さらに日本映画が、とりわけて黒澤氏の 『七人の侍』 や『用心棒』が――『用心棒』は大評判で、あれはフィデル・カストロをモデルにしたものではなかろうか、と(通訳の:注)レナルド氏はそっと秘密でもうちあけるようにして言うのである。つまり、一つの村で二組のギャングが張りあっていて村人たちは困り果てている、そこへ〝用心棒″の三船敏郎氏が入って行って、一度は失敗して(フィデルは一度はモンカグ要塞を攻撃して失敗した)村はずれの御堂にとじこもり(フィデルはシエラマエストラの山にこもった)、そこで策をねって、村人たちと力をあわせて、ついに二組のギャングを鉢合せさせて退治し、村人を解放する……。ここで二組のギャングとは、言うまでもなくバチスタ独裁政権であり、アメリカの植民地資本なのである。レナルド君によれば、ハバナで人々はこの映画を、また『七人の侍』を歓呼し、涙を流して見たものだというのである。黒澤氏は大いなる功徳をほどこしたものと言うべきであり、かつそのことは私などにとっても、ある晴れがましい気持を与えるものであった。」。  

おわりに 

原住民の「虐殺」に近いスペインの植民地政策とそれに続く奴隷貿易の悲惨さを1964年に訪れたキューバで詳しく知ることになるが、 1961年に公開された東宝映画《モスラ》 の原作『発光妖精とモスラ』を盟友の中村真一郎、福永武彦との共作で書き上げていた( 拙著『堀田善衞とドストエフスキー』の第3章参照)。

 放射能の危険性をも訴えていた怪獣映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督による映画《モスラ》 が大ヒットしたのも、この映画が娯楽映画としての側面を持つとともに、岸政権下が結んだ「新安保条約」と「日米地位協定」の危険性をも予告し得ていたからだろう。

注    *1  題名は 『黒澤明研究会誌』(No.45) 掲載時の 「黒澤明のドストエフスキー理解と映画『姿三四郎』」より変更し、漢数字をローマ数字に改め会員の人名の削除など一部を変更し、「おわりに」を加筆した上で再掲。/ *2 この節は拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社 ) より引用。 / *3 この資料は丸川珪一氏のご教示による。

「賭博」を美化し、新自由主義的な政策を続ける「維新」の危険性を考える

 安倍政権になってから「明治維新」を讃える大河ドラマが何本もNHKで放映された。そのこともあり、「維新」という単語はその頃に成人した者や今の若者にとっては、かつて「国民」を悲惨な戦争へと導いた「八紘一宇」のように華やかに響く用語のようである。

 しかし、「#日本会議」系の論客から「司馬史観」と持ち上げられたために、胡散臭い目で見られるようになった作家の司馬遼太郎は、幕末の「#神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、#昭和維新 を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と『竜馬がゆく』に記していた。

 島崎藤村も『夜明け前』で「いかなる維新も幻想を伴うものであるのか」と書いていたが、亡くなられた半藤一利氏が指摘しているように薩長政府によって「維新」という用語が使われ出したのは、1880年かその翌年のことであった。

→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン 

 2・26事件の際にも皇道派の将校たちは「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンにしていたのである。

 ここでは「維新」という概念にまで踏み込んで考察する余裕はないが、 「詐欺」の手口の冷静な分析をとおして、「維新」の手法の問題点が明快に解明されているユーチューブ「迫り来る詐欺師とどう戦うか」 をまず紹介する。

 そのあとで 、大阪「都構想」の際に 自分の意見を強調するために 敵を作って罵っていた、#維新 の法律顧問・橋下徹氏や 消費者金融・武富士の元代理人・吉村知事の手法を考察したスレッドを再掲する。

すでに勝利を確信して大阪都構想の #住民投票 での儲け話に興じていた #維新 の法律顧問・橋下徹氏と 吉村知事との対談 〔高橋アト(阿斗)氏のツイートより〕