高橋誠一郎 公式ホームページ

04月

トルストイ『ホルストメール』とトフストノーゴフの劇《ある馬の物語》

「グローバリゼーション」の強大な圧力下にますます状況が悪化している派遣社員などの問題を扱った〈「ブラック企業」と「農奴制」――ロシアの近代化と日本の現在〉という記事を2013年7月17日に掲載しました。→ http://www.stakaha.com/?p=1190

それからほぼ3年が経ちましたが、現在の日本は「国民」の生命や安全、財産にも深く関わるTPPの資料が、選挙で選ばれた国会議員の集まる「国会」に、ほとんど黒塗りにされて提出されたという「国民」が馬鹿にされるような事態に至っています。

それにもかかわらず、新聞やテレビなどのマスコミがほとんど報じないという安倍政権下の日本の現状は、情報公開が行われていなかったソ連だけでなく、厳しい検閲下におかれて「農奴制」をも是認していた帝政ロシアの言論状況とさえも似ているように思われます。

それゆえ、今回は「見ることと演じること」の第五回で論じた、すぐれた才能を持ちながらもまだらの馬だったために馬鹿にされ、こき使われた馬の一生を描いたトルストイの『ホルストメール』を劇化した《ある馬の物語》の劇評の箇所を掲載することにします。

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劇場という限られた空間内での出来事ではあるにせよ、劇は想像の力を借りて舞台に一つの世界を作り挙げる。たとえてみればそれは、世界の箱庭のようなものかもしれない。しかし、読書とは異なり、舞台には耳で聞き目で確かめられる世界が厳然として存在し、観客は客席の多くの人々と共に舞台で起きる様々な出来事を目撃し体験できるのである。それは幻想のように数刻の後には消え去る。しかしすぐれた劇は描き出した一つの世界を確実に観客の心の中に残す。

去年はモスクワ芸術座とレニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場というソヴィエトを代表するような二つの劇団がそれぞれ三つの劇をたずさえて相次いで客演したが、私には殊に伝説的な劇『白痴』の演出家であるトフストノーゴフに率いられ、すでに世評の高い『ある馬の物語』と『ワーニャ伯父さん』の二本の他に話題作『アマデウス』を携えて来日したボリショイ・ドラマ劇場がどのような世界を作り出すのかに興味が持たれた。三つの劇はそれぞれ私に強い印象を残したが、わけても心に残ったのが『ある馬の物語』であった

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舞台は馬をつなぐ杭となる棒が数本立っているだけの簡素なものだったが(美術・コチェルギーン)、そこに綱が張られるだけで牝馬と牡馬を区別する馬小屋となり、あるいは競馬場ともなった。さらに馬を演じた役者たちは馬の形態をまねることなくその手に持ったしっぽ状の布切れを持つだけで馬になり切っていた。

トフストノーゴフはここで象徴的な事物の提示だけで細かい写実を捨て去り、残りを観客の想像力にゆだねることによって、より大きな舞台空間を創り出し得ているのだ。彼の演出は、小石やがらくたとも心を通わし得て、共通の世界を持ち得た子供の頃の想像力の拡がりと自由さを観客に与えている。

確かに『オペラ座の怪人』などの最近の劇には感嘆させられるような舞台芸術も少なくないが、しかしそれは言わば豪華なレストランでの食事のようなものに思える。一方、トフストノーゴフの演出は大自然の中での食事のように川のせせらぎが聞こえ、風の流れが感じられるのだ。

それと共にこの劇をきわ立たせるものとして馬の叫び声を挙げておきたい。

全体に、この劇ではすべての要素がお互いに支えあいながら、主題を盛り上げていたのである。トルストイの名作はトフストノーゴフという優れた演出家とレーベジェフという名優を得て、形を与えられその姿を示したと言えるだろう

ホルストメールの無邪気な鳴き声と若い牡馬としてのいななき、絶叫と心をかきむしるような悲しみの声、若い牝馬たちの性への渇望、人間として演じられたらあまりにも生々しいそれらの声は、馬の声ということで抵抗なく観客の中に入り込み、馬たちの荒々しい生の喜びと悲しみを伝え得ていた。

だが、トフストノーゴフと言えどもまだらの馬ホルストメールを演じた俳優レーベジェフなくしてはこの劇を作り得なかっただろう。劇が始まるとレーベジェフは生まれたばかりの仔馬ホルストメールが蝶とたわむれる演技で観客の心を奪ってしまう。観客はそれ以降、彼の身に振りかかる出来事に一喜一憂する――去勢される場面では身を切られるような痛みを覚え、彼が公爵に見出されて競馬に出場し一等になると我が事のように嬉しくなる。

だからホルストメールが「(人間の世界では)なるべく多くの者に『私の』という言葉をつけて言える人が幸せだということになっている。…中略…人間は良い事をしようという目的で人生を過していない。自分の物を増やそうとしているだけだ。人間と馬の違いはそこなんだ。我々の方が数段人間よりも上だ」と言う時、苦い思いを味わいながら考え込まされてしまうのである

『ある馬の物語』は1886年に発表されたトルストイの『ホルストメール』の劇化であり、すぐれた才能を持ちながらも、まだら馬だったために他の馬から馬鹿にされ、さらには去勢されてこきつかわれたあげく廃馬として殺される馬の一生が、五人編成のジプシー楽団の音楽の流れに乗って見事に描かれていた。

〈同人誌『人間の場から』(第14号、1989年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(五)」である。再掲に際しては文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

日本の言論状況とフォーキンの劇《語れ》

「国民」の健康や安全、さらは財産にも深く関わるTPP交渉について議論すべき国会に黒塗りにされた資料が出されても不思議に思わない自民党や公明党の議員には唖然とさせられました。

さらに、それを批判すべき新聞やテレビなどのマスコミさえもが口をつぐんでいる現在の日本の状況に強い危機感を覚えています。

そこで思い出したのが権力者の汚職などが蔓延していたソ連の末期のペレストロイカの時期に、エルモーロワ劇場で上演されたフォーキンの劇《語れ》のことです。

ここでは同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載した劇評「見ることと演じること(4)――記憶について」から引用することによってこの劇を紹介します。グラースノスチ(情報公開)を求める「国民」の声によってソ連全体が変わり始める時期の劇です。

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最近ソヴィエトの演劇が変わりつつある。そんな実感を一ケ月程前にモスクワのエルモーロワ劇場で見たベケットの劇『ゴドーを待ちながら』でも感じた。この劇場はかつてはいつでも券が手に入れられるような劇場だったのだが、最近は以前とは雰囲気が違うのだ。観客はすでに「何か」を期待して集まり、その期待が観客席に一種の緊張感を生み出す。

幕はなく、舞台には両端に黒い屏風と中央に枯木そしてその木の下に黒いマットレスがあるばかりだ。次第にホールが暗くなり、一瞬闇がホールを包む。だが闇の中でも舞台に向って観客の視線が突き刺さるのが感じられた。そして舞台に一本のローソクがともり、劇が始まった。劇は「待つ」という行為を象徴にまで高め、殊に第二幕では他者の記憶の喪失を通して人間の孤独感、断絶感を浮きぼりにしていた。

雰囲気を変えたもの、それは恐らく首席演出家フォーキンの存在と彼の問題意識だろう。彼は自分が演出した劇『語れ』の中で、十年一日のように型通りの報告をしていた人間が、自分の声で語り出そうとするその一瞬を見事にとらえていた。

彼は劇の一登場人物ばかりでなく、劇場自体にも「自分の声」で語ることを要求しているかのように見える。そしてそのような「声」を期待する観客の視線は俳優をも変えたように見えた。

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福島第一原子力発電所のレベル7の大事故がまだ完全には収束していないにもかかわらず原発の再稼働が行われ、危険な「戦争法」でさえもがきちんとした議論もないままに強行採決されるような日本で、今、必要なのは一人一人が自分の「声」で語る勇気とグラースノスチ(情報公開)のように思えます。

「忍び寄る『国家神道』の足音」と井上ひさし《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

闇に咲く花、アマゾン(図版は「アマゾン」より)

忍び寄る「国家神道」の足音〉という題名は今年1月23日付けの「東京新聞」朝刊「こちら特報部」の特集記事から引用したものですが、そこで「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ」と書いた特集記事はこう続けていました。

「そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば『安倍応援団』の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。」

そして記事は「神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう」と結んでいたのです。「戦争法」だけでなく「改憲」さえも強行しようとしている安倍政権の危険性を、井上ひさし氏の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》はすでに予告していたように思えます。

30年ほど前に書いた井上ひさし氏の《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》について書いた劇評を再掲します。

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「昭和庶民伝・第二部」にあたるこまつ座の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》(井上ひさし作)もやはり記憶の喪失をテーマにしていた。

この劇では戦争が終った直後の一神社を舞台に物語は進んでいく。主人公の一人である神主の牛木公麿はかつては境内に捨てられていた赤ん坊をひろってわが子として育て、今も近所の主婦達の内職の場を提供するだけでなく、糊口を凌ぐためには神社の品を売り払ってヤミ米を買い、彼女達にも与える程、人が好く、心やさしい人物であるが、戦時中は国の政策を素朴に信じ、若者達を戦場へと送り出す役割を担っていたのだった。

この人物設定は前作の登場人物である実直で愛国的な傷痍軍人の源一郎を想起させるが、しかし大きな違いの一つは、前の劇が太平洋戦争に突入する直前だったのに対し、ここでは戦後の混乱がようやく収まり再び秩序が戻りつつある時期に設定されていることである。それゆえ、劇では源一郎と脱走兵正一の対立とは別の、しかし現在に生きる我々に直接係わってくる次元で神主の公麿と息子健太郎との対立が描かれている。

劇はヤミ米の買い出しから戻った主婦達と神主のやりとりで観客を笑わせたり、戦死した健太郎が実は捨子だったと彼の友人に語る神主の言葉でほろっとさせたりしながら進んでいくが、南方で戦死した筈の健太郎が戻って来るところから佳境に入っていく。彼は戦場で傷を負い、記憶喪失に陥って治療を受けていたのだ。名ピッチャー健太郎の帰還は父ばかりではなく、友人や知り合いの人々すべてを歓喜させる。だが彼の到着を追うようにして、無実の彼にC級戦犯の容疑がかけられていることが知らされ、それを聞いた健太郎は再び記憶を失う。

父はこのまま治療せずに審理から逃れさせようとするが、しかし彼と元バッテリーを組んだ医者の稲垣は、ともかく治してから山奥に隠すと請け合い、治療に専念して再び彼の記憶を呼び戻すことに成功する。

だが、父が「記憶を失って赤ン坊になるか、正気に返って怯えながら生きるか、そのどっちかしかないんだから、可哀想な子だ」と嘆きながら、山奥へ隠そうとしている所に捜査官が録音機を持って現れスイッチを入れると、語られたばかりの健太郎の言葉が再び発せられる。

「父さん、ついこのあいだおこったことを忘れただめだ、忘れたふりをしちゃなおいけない。……」「……過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね。神社は花だ。道ばたの名もない小さな花……」。

ここでもまた記憶のテーマが語られているのだが、井上氏は録音機という手段を用いることによってこのテーマを無理なく繰り返し、強調することに成功しているが、さらにそれは自分の声を聞く健太郎の心理と結びつけられて悲劇的だが感動的な結末へと導かれているのだ。

すなわち、最初健太郎は健忘症を装おおうとするが、しかし自分の声に励まされるようにして、自分の考えを最後まで述べるのである。

「花は黙って咲いている。人が見ていなくても平気だ。…中略…花と向かい合っていると、心がなごんで、たのしくなる、これからの神社はそういう花にならなくちゃね。花は心を落ちつかせる色をしているよ。(一瞬の、微かな怯え。しかし立ちなおって浄く明るく)ぼくは正気です」。

こうして健太郎は無実でありながら戦時中の日本人の罪を背負ってグアムで死刑になるのだが、この劇を『闇に咲く花』と名付けた井上氏は、健太郎のうちに人間の罪を背負って十字架に架けられたとされるキリストのイメージがだぶっていたのかもしれない。

見終えた後の印象は重苦しいものであったが、それはこの作品の持つテーマが現在に生きる我々とも深く結び付くものだったからだろう。殊に最近の日本の報道や風潮は、都市の外観だけをそのままに、一気に大正末へとタイムスリップしてしまったような感すら抱かせる。

劇団「夢の遊眠社」主宰の野田秀樹氏は「日本は主権在民といいながらも、この四十年間で天皇制にかわる思想の核というものをつくりきれなかったことが明らかになった、という気がします」と語っているが確かにそうだろう。一度の強い風でメッキは剥げ落ち、借り物の衣装や地表を覆っていたかに見えた根のない草木は吹き飛んだのだ。

だが、少なくとも「明らかになった」ことはよいと思える。私たちは飾り立てた自分の姿だけではなく、裸の自分の姿もしっかりと見据えておく必要があるのだ。盆栽や鉢植えの草木ではなく、戸外の自然の中で、激しい風雨や厳しい冬の寒さの中で大地に根を張るような草木をこそじっくりと育てるべきなのだろう。その時にこそ草木は美しい「花」を咲かせるだろう。

〈この劇評は同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載された「見ることと演じること(4)――記憶について」の前半の箇所である。なお、本稿では文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

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30年前に書いたこの劇評を読み直して感じたのは、自然を愛する心優しい神主とその息子の苦悩を描いたこの劇が、宗教学者の島薗進氏と政治学者の中島岳志氏が、現在の日本の危機的な状況を踏まえて、熱く深く語り合った対談『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) のテーマと深く関わっていることです。

来る選挙での野党の統一を求めている多くの方々だけでなく、自然を愛する心やさしい神主の方々や仏法を信じる公明党の党員の方々に、いまこそ観て頂きたい劇です。

(2017年2月22日、一部改訂して図版を追加)

 

 

「記憶」の痛みと「未来」への希望 ――井上ひさし《きらめく星座――昭和オデオン堂物語》

30年ほど前に書いた劇評を読み直していて、戦時中の日本を描いた井上氏の劇《きらめく星座――昭和オデオン堂物語》が、現代日本の状況をすでに示唆していたことと過酷な状況にもかかわらず未来への希望を示していたことに気づきました。古い劇評ですが、改題した上で再掲します。

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井上ひさし氏の作品については、じっくりと論じてみたい気がするが、少しずつにせよ、やはり書いておくことにする。なぜなら、身体で演じる劇は、印刷された文学作品と異なり再生はきかず、時とともに「記憶」が薄れていくからであり、そして井上ひさし氏の『昭和庶民伝・三部作』の主題そのものも生身の人間の「記憶」に深く関わっているからでもある。

『昭和庶民伝・三部作』は、戦時中の日本を舞台にした独立した三つの作品――『きらめく星座――昭和オデオン堂物語』、『闇に咲く花』、『雪やこんこん』――から成り立っている。

遅筆堂と自ら名乗る井上氏の執筆の遅さには定評があるが、こん回の公演でも第一部以外の書下ろしの二本の台本が大幅に遅れ、公演日をずらし、切符の一部を払い戻しにするなどの措置を取るに至り、氏の遅筆ぶりを咎める記事も出た。

しかし、一連の経過の中で私が感じたのは、小説の執筆だけでも忙しい氏が座付き作者として興行的なリスクを負いながらも、期限付きの芝居の台本を自らに課すその意気込みである。

氏は『闇に咲く花』の登場人物に「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね」と語らせているが、ここには、今語らねばまた語ることのできない時期がくるのではないかという氏の危機感が現れているように思える。

ただこのような危機感はいたずらに激しく直接的な表現で語られるのではなく、重苦しい時代をけなげに、しかも明るく生きる庶民の生活を再現することによって、語りかけるような調子で私達の心にしみこんでくる。

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さて、『きらめく星座――昭和オデオン堂物語』は、今まさに太平洋戦争に突入しようとしていた時代を背景に、長男正一が軍隊から脱走したことによって「非国民の家」とされた浅草のレコード店・オデオン堂の音楽好きな一家とその下宿人たちの生きざまを描いている。

兄の脱走を知った妹は汚名をそそぐために、それまで文通していた「白衣の勇士」と呼ばれる傷痍軍人たちの一人と結婚して、「非国民の家」を「軍国美談の家」に変え、レコード店がつぶされることを防いだ。

こうして劇は軍隊を脱走した長男と彼を追う憲兵との緊迫した場面や、解放的なオデオン堂の人々と実直な傷痍軍人との「敵性音楽」と「軍国歌謡」をめぐる対立を軸に進んでいく。 しかしこの深刻な主題を氏は、正一にちゃめっけの強い陽気な性格を与え、さらに彼を様々な職業に就かせながら日本中を転々とさせることによって、単調になりがちな劇に意外性と重層感、すなわち下からの視点を持たせ得ている。

たとえば九州の飯場から戻った正一は「脱走兵がこんなこと言っちゃいけないよね」と断りながら、そこには五十人程の朝鮮人がいたが「話を聞くと、そのうちの十人が畑仕事の最中に連れてこられたそうだ。町に出たところを待ち伏せられた人もいる。これは奴隷狩りよりもひどいんじゃないか」と語るのだ。このような彼の言葉が説得力を持つのは、彼もまた音楽学校を中退して兵隊になった程の軍国青年だったと性格付けられており、また彼の脱走も反戦的な思想からではなく、普通の人でもその三人に一人が神経症にかかるほど騒音の激しい砲兵に音感の発達した彼が配属されてしまったことにその動機を求めているからであるだろう。この無自覚な逃亡者である彼は、逃走の中で当時一般の庶民からは隠されていた現実と出会うのである。

このような理想と現実の落差は、実直で愛国的な傷痍軍人源次郎の幻肢痛という病を通して一層鋭い形で提起されている。すなわち彼は左手を失っているのだが、彼には時折そのなくなった手が今もあるかのように思える、するとなくなっている筈の手が激しく痛みだすのだ。しかもその痛みは、正一の話を聞き、自分でも高級軍人と工場主との会話を耳にしたことから、今もある筈の帝国の「道義」が実は既に、「自分の左手が吹つ飛んだ」ようになくなってしまっているのではないかと、疑った時にも激しく彼を襲うのである。

こうして井上氏は、内面的な苦しみを肉体的な痛みを通して視覚的に観客に訴えかけているのだが、恐らく劇の成功の一因はこの愛国的な傷痍軍人源次郎の形象がきちんと描かれていることにあると言えるのではないだろうか。「戦いの野に屍さらす栄光に恵まれず、生きながらえて祖国に帰って」きたことを心の底から恥いり、せめて銃後の柱になって一億の民を鍛えようとする彼の純粋な人柄は、その信頼が裏切られた時に悲劇的な様相をすら示すのである。

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源一郎の対極にいるのが広告文案家の竹田である。彼は冒頭では「金は貯めよ、しかし便は貯めるなかれ。便秘にミクローゼ」といった自作の広告文を披露して皆を笑わす。

だが「悠久二千六百年! よくぞ日本に生まれける! そう思わんのか、あんたは」と問い詰める傷痍軍人の源一郎にたいして彼は、「思えばこそですよ。そう思えばこそ、こじつけで国を動かされちゃかなわんと言っているわけです」と答え「星の動きはだれが見ても同じです。そういう堂々たる論理で国の経営を行ってもらえるなら、もっとずっと日本が好きになれるんですがね」と真っ向から反駁をもするのである。

この考えはほぼ作者自身の考えと見なし得るだろうが、彼の言葉が単なる上滑りなものに終わっていないのは、とつとつと語るその語り口のせいばかりでなく、彼の語る思想が東北の文化の中で育った大地に根ざしたものだからであろう。それゆえ彼が引用する宮沢賢二の詩「星めぐりの歌」も唐突な感じはなく、星が好きな彼の言動を支えてもいるのである。

ところでこの劇では「星めぐりの歌」だけでなく、「月光値千金」「きらめく星座」「青空」など多くの歌が挿入されているが、これらの歌は当時の雰囲気をもかもしだしているとともに、レコード店という場面設定の中で有機的に劇の筋や劇の主題とも深く結び付いて、聴覚的にも観客に深い印象を呼び起こし得ている。

銚子から逃げ返った正一はコーヒーを出されるとすぐに「小さい喫茶店」を歌い始めて、それを義兄の源一郎に咎められると「歌は活力です」と反論しているが、これらの歌は一般庶民の持つ明るいエネルギーを十二分に伝えていた。

そしてこれらの歌に込められた作者のメッセージは、役柄をきちんと捉えて演じた端役にいたるまですべての俳優の熱演によって、私たちの心をうったのだった。

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〈同人誌『人間の場から』(第12号、1988年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(3)――こまつ座公演 『昭和庶民伝・三部作』をめぐって」。なお、「見ることと演じること」の(1)に当たる劇評は、「モスクワの演劇――ドストエフスキー劇を中心に」という題で2013年8月25日に、「見ることと演じること」(2)の一部は、「劇《石棺》から映画《夢》へ」という題で2013年7月8日にホームページに掲載済み。本稿では文体レベルの簡単な改訂を行った。2016年4月14日。改題と加筆〉。

井上ひさしのドストエフスキー観――『罪と罰』と『吉里吉里人』、『貧しき人々』と『頭痛肩こり樋口一葉』をめぐって

雑誌「チャイカ」(第三号)のインタビューで、井上氏は自分とロシア文学との関わりについて語りながら、「まあ、全部読んでいるわけじゃないんですけど、やっぱり私の基本となっているのは、ドストエーフスキイとチェーホフですね」と語っている。この雑誌については知らない方も多いと思われるし、また両者の係わりを知ることは劇作家井上ひさしを考える上でも重要だと思えるのでその内容を簡単に紹介し、あわせて筆者の考えも二・三記しておきたい。

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「井上  それから小説……『吉里吉里人』なんていうのは、もうあれです、『罪と罰』を側におきながらですね、

本誌 お書きになったんですか?

井上 ええ、まあ、ロシア語は全然わかりませんけど何となくこうアノ、文章の息の長さとかですね、まあ、日本の文章は非常に盆栽風になりまして、こう、短く、一つの意味を一つの文で、それを貨車みたいに繋いでという方法が一番正しいとされていますね。…中略…でもドストエーフスキイ読みますと、アノ、長いですよね。…中略…今連載中の『一分ノ一』というのは『白痴』を読みながら、別にそれを採るっていうんじゃなくて、ある、こう何ていうんですかね、心構えといいますか、いつもドストエーフスキイはあるんです」。

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インタビューなので語り手の舌足らずな面もあり、氏はここでドストエフスキーの文体と姿勢について語っているにすぎないが、二作品が『罪と罰』や『白痴』を「側におきながら」書かれたという証言は重く、そこからは多くの興味ある類似点が派生する筈だ。

たとえば氏は別の箇所で「ドストエーフスキイの場合は、国家の作った法律よりも、こう、フォークロアっていいますかね、民間伝承とか諺でやってますね」と述べている。こうした民衆からの視点こそは長編小説『吉里吉里人』を支えていたものでもあった。そしてドストエフスキーには現代文明に対する鋭い危機意識とともに天下国家をも論じようとする広い視野があるが、それはまた、それ程前面には出ないにせよ井上氏の作品を特徴付けるものでもある。

それとともに、井上氏は「ドストエーフスキイの魅力」は「『謎解き・罪と罰』に全部出ていると思います」と述べながら、ドストエフスキーの「メチャクチャな」「名前のつけ方」や彼の笑いについて触れ、『罪と罰』が「叙情的でもありますし、反面、すごい叙事詩でもあるんですけど、それから哲学小説としても読めますけど」「滑稽小説」でもあるのだと主張し、「世の中つらいことばっかりあるわけじゃなくて、つらいことが九つあれば一つくらいバカバカしいオカシイことありますよね。それがやっぱり小説にも反映しなきゃいけないと思うんです」と語っているが、それは井上氏の小説作法の根幹に係わるものでもあるだろう。

さらに、第一章「あんだ旅券は持って居たが」、第二章「俺達の国語は可愛がれ」といった『吉里吉里人』の章の命名方が『カラマーゾフの兄弟』の章の題名を思い起こさせることも付記しておきたい。

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この対談で私の最も印象深かったのは、氏が一番好きな作品として『貧しき人々』を挙げ「あれは最高ですね、何ともいえないですね、あれはもう僕にとってですけど、世界の文学のトップですね、あんないい小説ないですね」と語り、「いつ読まれたんですか」という問いに「あれは随分前です」と答えながら、「あれが僕の妙な部分を作っていると思いますね」とまで述べている箇所である。

初めは少し意外な感じもしたが、しかしユーモアとペーソスを持って中年の官吏とみなし子の乙女の心理を描きながら、同時に彼らの視線を通してペテルブルグやロシアの生活の全体像にまで肉迫しえている『貧しき人々』と井上文学は、確かに奥深いところで結び付いているようだ。

たとえば氏には『頭痛肩こり樋口一葉』という女性ばかり六人が登場する戯曲がある。同じインタビューで氏は「アノ、家庭といいますか、ある小さな共同体の移り変わりが、宇宙の移り変わりと、こう照合していて、何も大ゲサなことをやらなくても、深く五・六人のことを書けば、そのうしろに宇宙があるっていうのは、まあ、チェーホフから影響を受けていますね」と語っているので、この戯曲もチェーホフとの関連で論じるべきかもしれない。

だが『貧しき人々』について語った氏の言葉を読んで、私が真っ先に思い浮かべたのはこの作品だったのだ。むろん、直接的な影響を指摘することはできない。しかし『貧しき人々』がプーシキンやゴーゴリの作品をとりあげながら、その文学的業績を積極的に吸収しようとしていた作品であり、さらにその女主人公ワルワーラも一葉と同じように文学を愛した貧しく病弱な女性であったこと、そして何よりもそこではワルワーラの生きかたを通して「女性の不幸は、男性の不幸でもある」という思想が語られていたことを思い起こすなら、これら二つの作品の結び付きはかなり強いと言えるのではないだろうか。

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最後に、ここに挙げられた作品以外で両者の関係を物語っていると思われる二編を紹介してこの小論の結びとしたい。

昭和四九年の井上氏の作品に『合牢者』という短編がある。この作品の主な登場人物の原田と矢飼は共に明治初期の貧乏巡査であるが、一方の原田は内田魯庵訳の『罪と罰』を読みラスコーリニコフの考えに共鳴して、悪辣な質屋の未亡人を殺す。もう一人の巡査矢飼は上司の命令で、罪を認めない原田のアリバイを崩すために同じ牢に入り事実を聞き出そうとする。

しかし、原田の不幸な境遇に同情を覚え、「真実などどうでもよくなった」時に彼は事実を語られ、しかも上司からはそのまま牢に留まっているか昇格を選ぶかと迫られて事実を告げてしまう。小説は「堂々と罪を犯し、くだる罰を発止と受けとめて」死刑になった原田を思いながら「小説が人間よりも小さいのか、あるいは大きいのか、おれにはいまだによくわからないが、あいつのことを考えるたびに、小説は人間より大である、というような気がしてならぬ」という原田の感慨で終わる。この短編では『罪と罰』は単に原田の犯行を動機付けしているばかりでなく、小説の主題とも重なり、また小説全体の筋にも関わっている。

『私家版 日本語文法』(昭和五三年から五五年)で井上氏は、雨乞唄を紹介しながらその「言葉の冗舌性と技巧」にふれて、先人たちには「必要があれば八百でもウソをついてひとつの願いを成就させようという意気込みが」あったと述べ、「筆者は不真面目だから、ひとつの誠を言うために八百のウソをつく方へ行くしかない」と述べている。

全体にドストエフスキーと同様井上氏にも言葉、殊に嘘に対する考察や言及が多いのだが、この箇所は「僕が人間なのは嘘をつくからなんだ」と述べさらに「嘘をついていれば――真理まで達せるのだ」と主張する『罪と罰』のラズミーヒンの言葉と殆ど重なっているように見える。ここにも井上ひさし氏の文学とドストエフスキーとの深いかかわりをみるのは、筆者の思い入れがすぎるだろうか。

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〈同人誌『人間の場から』(第13号、1988年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(四)――記憶について」。後にその一部が「ドストエーフスキイと井上ひさし」という題で「ドストエーフスキイの会会報」(第107号、1989年)および、『場 ドストエーフスキイの会の記録Ⅳ』、244~245頁に転載される。本稿では地の文の表記をドストエフスキーで統一するとともに、誤記や文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

 

樋口陽一氏の井上ひさし論と井上ひさし氏の『貧しき人々』論

現在、井上ひさし・樋口陽一著『日本国憲法を読み直す』(岩波現代文庫、2014年)についての小文を書いていますが、対談後の2000年に亡くなられた劇作家・井上氏への深い追悼の念と同じ年に生まれた友人への熱い思いが綴られた樋口氏の「ある劇作家・小説作家と共に“憲法”を考える―井上ひさし『吉里吉里人』から『ムサシ』まで」を読み直すなかで、かつて書いたいくつかの短い演劇評を掲載することにしました。

3部作全部について論じるつもりで書き始めたものの他の仕事に追われて途中で打ち切っていたのですが、井上作品の意義を少しでも多くの人に伝えるためには、未完成なものでも劇から受けた感銘などを記した小文をアップすることも必要だと思えたのです。

順不同になりますが、井上氏の『貧しき人々』観と劇『頭痛肩こり樋口一葉』について記した箇所を最初にアップします。

日本の近代文学者たちについての深い考察が「面白く」描かれた多くの井上劇から深い感銘を受けていた私が、後に『貧しき人々』や『分身』、『白夜』などドストエフスキーの初期作品を詳しく分析した『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)を書くきっかけとなったのがこのときの考察だったのです。

拙著では引用しませんでしたが、作家の北杜夫氏もドストエフスキーの作品についての感想を記した後で、『貧しき人々』から受けた感銘を次のように記していたのです。

「古い記憶の中で殊に印象に残っているのは『罪と罰』(私は後半はこれを探偵小説のように読んだ)、『死の家の記録』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』などであった。それらの体臭があまり強烈すぎたので、処女作『貧しき人々』はそれほどの作品とは思っていなかったが、十年ほど前、偶然のことからこれを読み返した。すると、もはや若からぬ私の目からひっきりなしに涙が流れ、かつとめどなく笑わざるを得なかった。これまた、しかも二十四歳の作品として驚くべき名品といえよう」。

井上氏の『貧しき人々』観などを掲載した後でソ連の演劇にも言及しながら、劇『きらめく星座』と『闇に咲く花』から受けた強い印象を記した2つの劇評などを順次掲載します。

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版)

樋口・小林対談(図版はアマゾンより)

最初に注目したいのは、本書の「はじめに」で改憲派の小林氏と護憲派の樋口氏の二人の憲法学者の会話をとおして、「法治国家の原則が失われて」、「専制政治の状態に近づいている」日本の現状が指摘されていることです。

すなわち、まず小林氏は「2015年9月19日の未明をもって、日本の社会は異常な状態に突入しました。…中略…この違憲立法によって、最高法規である憲法が否定されてしまった。今回、日本の戦後史上はじめて、権力者による憲法破壊が行われた」と語り、「私たち日本人は、今までとは違う社会、異常な法秩序の中に生きている」と指摘しています(3頁)。

この発言を受けて「立憲主義の破壊という事態がいかに深刻なものなのか。つまりは国の根幹が破壊されつつあるのです。…中略…立憲主義とともに民主主義も死んでいる」と応じた護憲派の樋口氏はこう続けています。

「今、その日本国憲法を『みっともない憲法』と公言してきた人物を首班とする政権が、〈立憲・民主・平和〉という基本価値を丸ごと相手どって、粗暴な攻撃を次々と繰り出してきています。…中略…「それに対しては、法の専門家である我々が、市民とともに、抵抗していかなくてはならない」と応じているのです。

本書は『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』に続いて発行された集英社新書ですが、驚いたのは〈「古代回帰」のユートピア主義が右翼思想の源泉になっていったのです〉という宗教学者の島薗氏の言葉と響き合うかのように、憲法学者の樋口氏も〈この草案をもって明治憲法に戻るという評価は、甘すぎる評価だと思うのです。明治の時代よりも、もっと「いにしえ」の日本に向かっている〉と自民党の憲法草案を批判していることでした。

本稿では、本書の第1章と第2章に焦点をあてて、まず「改憲」を目指す自民党議員の実態を明らかにした小林氏の発言を中心に現在の日本の状況を確認し、その後で樋口氏との対談もある司馬遼太郎氏の憲法観にも注目することで、「明治憲法」から「日本国憲法」への流れの意義を確認します。

*   *   *

「憲法を破壊した勢力の正体」と題された節では、小林氏が「最近の国会の風景をご覧になっていてお気づきのように、我が国与党の国会議員の多くは、『そもそも、憲法とはなにか』という基本的な認識が欠如しています」と指摘し、二〇〇六年の衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれたときの出来事を紹介しています(25~26頁)。

すなわち、小林氏が「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない」と語ると、これにたいして自民党の高市早苗議員が「私、その憲法観、とりません」といった趣旨の議論を展開しはじめたのです。

「おい、ちょっと待てよ、その憲法観をとる、とらないって、ネクタイ選びの話じゃねぇんだぞ」と批判した小林氏は、「国家に与えられている権力は、国民の権利や自由、基本的人権を侵害しないという『制限規範』に縛られた条件つきなのです。そういう認識が彼らにはないのです」と続けています。

総務大臣となって「電波法停止」発言をした高市議員の憲法認識はこの程度のものだったのです。その後でその高市氏を総務大臣に任命した安倍政権についても「鍵は、やはり、世襲議員たちです。自民党内の法務族、とりわけ改憲マニアとも言うべき議員のなかには世襲議員が多いのです」と語った小林氏は、「戦前のエスタッブリッシュメントの子孫と言えば、安倍首相などは、まさにその典型ということになりますね」と続けています(30~31頁)

さらに、小林氏は次のような衝撃的な証言をしています。

「岸本人とも一度だけですが、会ったことがあります。/そうしたつき合いのなかで知ったことは、彼らの本音です。/彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった、ということなのです。普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期なんですね」(32頁)。

これには本当に驚愕させられました。司馬氏は日露戦争での勝利から太平洋戦争の敗戦までを、「異胎」の時代と呼んで批判していたのですが、その中でももっとも悲惨な時代を彼らは理想視しているのです。

そして「(敗戦の)事実を直視できないから、ポツダム宣言をつまびらかに読んではいないと公言する三世議員の首相が登場してしまう」と語った樋口氏の言葉を受けて、小林氏は「ポツダム宣言を拒否し、一億玉砕するまで戦争を続けていれば、私も今の若い人も、生まれることすらなかったわけです」が、「ポツダム宣言の受諾を屈辱として記憶しているのが戦前の支配層」であり、その子孫たちが「旧体制を『取り戻そう』としているのではないでしょうか」と続けています(32~34頁)。

一方、樋口氏は「自民党の国会軽視は数限りなく続いているので、例を挙げればキリがない」としながら、ことに首相が内閣総理大臣席から野党議員に対して「早く質問しろよ」という野次を飛ばしたことは「小さなことのようで、これは権力分立という大原則を破っているのです。立法府において行政側の人間が、勝手に議事を仕切る権利はない」と批判しています(45~46頁)

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注目したいのは、司馬氏との対談「明治国家と平成の日本」で樋口氏は『明治という国家』(NHK出版)にも言及していましたが、そこで司馬氏が「明治憲法は上からの憲法だ」といわれるが、「下からの盛りあがりが、太政官政権を土俵ぎわまで押しつけてできあがったものというべき」と明治憲法の発布にいたる過程を高く評価していたことです(「『自由と憲法』をめぐる話」)。

樋口氏も「まるで明治憲法のような古色蒼然(こしょくそうぜん)とした、近代憲法から逸脱したこんな草案を出してきた」という小林氏の発言に対しては、「ただ、戦前をまるごと否定的に描きだしすぎてもいけない」と語って、「敗戦で憲法を『押しつけられた』と信じている人たちは、明治の先人たちが『立憲政治』目指し、大正の先輩たちが『憲政の常道』を求めて闘った歴史から眼をそらしているのです」と指摘しているのです(51~55頁)。

この指摘は「伝統を大切にせよ」と説く自民党の議員が、自分たちの思想とはそぐわない先人の努力を軽視していていることを物語っているでしょう。

さらに国際的な法律にも詳しい樋口氏は、「明治憲法」の第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という「一般の人が誤解しがちな文言」が記されており、「『神聖』というと、天皇の神権が憲法に書きこまれているではないかと感じるかもしれません」が、「あれはヨーロッパの近代憲法の伝統から言うと、正常な法律用語」であり、「これは王は民事・刑事の裁判に服さないというだけの意味です」という重要な指摘をしています(59頁)。

そして、「連合国側は、ファシズム以前の日本に民主主義的な流れがあったことをきちんと知っていた」とし、「それは大正デモクラシ-だけではなく、その前には自由民権運動があり、幕末維新の時代には『一君万民』という旗印で平等を求める動きもあった。それどころか、全国各地で民間の憲法草案が出ていた」ことを指摘した樋口氏は「そういう『民主主義的傾向』の歴史を、アメリカのほうは、理解していた」と続けて、「日本国憲法」が「明治憲法」を受け継いでいることも説明しているのです。

*   *

このように見てくるとき、『「憲法改正」の真実』(集英社新書)は、「立憲政治」を目指した明治の人々の成果である「明治憲法」と太平洋戦争の惨禍を踏まえて発布された「日本国憲法」の普遍性を示すと同時に、「前近代への回帰」ともいえる自民党憲法案の危険性を浮き彫りにしているといえるでしょう。

他にも現在の日本に関わる重要なテーマが多く語られていますが、「憲法」と「教育勅語」とのかかわりについては次の機会に改めて考察することとし、この本の目次を紹介してこの稿を終えることにします。

第1章 破壊された立憲主義と民主主義/ 第2章 改憲草案が目指す「旧体制」回帰とは?  / 第3章 憲法から「個人」が消える衝撃 / 第4章 自民党草案の考える権利と義務/ 第5章 緊急事態条項は「お試し」でなく「本丸」だ/  第6章 キメラのような自民党草案前文―復古主義と新自由主義の奇妙な同居/  第7章 九条改正議論に欠けているもの/  第8章 憲法制定権力と国民の自覚/ 第9章 憲法を奪還し、保守する闘い/  対論を終えて

(2017年4月14日、改訂)

「映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」を再掲

神道政治連盟国会議員懇談会の会長・安倍晋三氏が参院選に向けて「改憲」を明言しました。

それゆえ、今回は少し古い話題になりますが、司馬遼太郎氏の「憲法」観に言及した2013年9月16日の映画論を再掲します。

 

「映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観」

 文庫本で2巻からなる妹尾河童氏の自伝的小説『少年H』は、発行された時に読んで少年の視点から戦争に向かう時期から敗戦に至る時期がきちんと描かれていると感心して読んだ。

妹尾河童氏の『河童が覗いた…』シリーズを愛読していたばかりでなく、ことに日露両国の「文明の衝突」の危機に際して、冷静に対処して戦争の危機を救った一介の商人高田屋嘉兵衛を主人公とした司馬遼太郎氏の長編小説『菜の花の沖』を高く評価していたので、ジェームズ三木氏の演出で舞台化され、妹尾氏が舞台美術にかかわった「わらび座」の劇《菜の花の沖》からも深い感銘を受けていたからだ。

すなわち、妹尾河童氏は劇《菜の花の沖》を映像化したVHSの《菜の花の沖》(制作、秋田テレビ)で、「舞台の上に、嘉兵衛が挑んだ海の広さが表現できればいいなと思っています」と語っているが、実際に劇では大海原を行く船の揺れをも表現するとともに、牢屋のシーンでは光によって嘉兵衛の内面の苦悩を描くことに成功し、ことに最後の場面における菜の花のシーンは圧巻であった。

それゆえ、この作品がテレビドラマ《相棒》にも深く関わったプロデューサー松本基弘氏の企画と古沢良太氏の脚本により、降旗康男監督のもとで『少年H』がどのような映画化されるかに強い関心を持っていたのである。

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映画の冒頭では長男のために編んだセーターに当時は敵性言語とされていた英語で肇のイニシャルのHを母親が縫い込んだことで、からかわれる場面が描かれており、当時の排外的な雰囲気とともに《少年H》という映画の主題が明確に表現されていた。

そのような時代に肇少年は、クリスチャンであった両親につれられて教会に通っていたが、時代の流れのなかで、日本を離れたアメリカ人の女性からエンパイアーステートビルの絵はがきをもらったことで、次第に「非国民」視されるようになる過程が、洋楽好きの青年が思想犯としてとらえらたり、「オトコ姉ちゃん」と呼ばれていた役者が軍隊から脱走して自殺したするなどのエピソードをはさみながら描かれていく。

注目したいのは、洋服店を営んでいた父親が修繕を行った服の中には杉原千畝のビザを受け取って来日したユダヤ人たちが、日本がナチスドイツなどと三国同盟を結んだために、ようやく到着した日本からも脱出しなければならなくなるという光景も描かれることにより、国際的な関わりも示唆し得ていたことである。

少年Hよりも少し前に学徒動員で満州の戦車部隊に配属された司馬遼太郎氏は、『坂の上の雲』で帝政ロシアと比較しながら日露戦争を描いた後で、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とし、自分もそのような教育を受けた「その一人です」とし、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析している(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

この映画が描いた時代には、奉安殿に納められていた教育勅語と現人神である天皇のご真影への最敬礼が義務づけられていたが、遅刻しかけて慌てて忘れたために殴られる場面を初めとして、外国人を顧客としていた洋服屋の父親などの情報から、その戦争に違和感を抱くようになっていた肇が学校に派遣されていた教練の教官から目の敵とされて、ことあるごとに殴られるシーンも描かれていた。

実は、「戦車第十九連隊に初年兵として入隊したとき、スパナという工具も知らなかった」ために若き司馬氏も、古年兵から「スパナをもってこい」と命じられた時に、「足もとにそれがあったのにその名称がわからず、おろおろしていると、古年兵はその現物をとりあげ、私の頭を殴りつけた。頭蓋骨が陥没するのではないかと思うほど痛かった」という体験もしていたのである(「戦車・この憂鬱な乗物」『歴史の中の日本』)。

映画の圧巻は、神戸の大空襲のシーンであろう。この場面は《風立ちぬ》で描かれた関東大震災のシーンに劣らないような迫力で描かれており、当時はバケツ・リレーによる防火訓練が行われていたが、実際には焼夷弾は水では消火することはできず、そのために生命を落とした人も少なくなく、映画でも主人公の少年と母親が最後まで消火しようと苦闘した後で道に出てみると、ほとんどの町民はすでに逃げ出していたという場面も描かれていた。

このシーンは、戦争中のスローガンと行動が伴ってはいなかったことをよく示していたが、終戦後にはそれまで「国策」にしたがって肇に体罰を与えていた教官が、ころっと見解を変えたことで、かえって肇が傷つくという場面も描かれていた。

こうして初めは、やんちゃな少年だった主人公が苦しい時代にさまざまな試練にあいながらもくじけずに戦争を乗り越えて自立するまでを見事に描き出しており、《少年H》は現代の青少年にも勇気を与えることのできる映画になっていた。

脇役を固めた役者も母親役の伊藤蘭を初めとして、岸部一徳や國村隼などの渋い役者や小栗旬や早乙女太一、原田泰造や佐々木蔵之介などの旬な役者が脇を固めていたほか、妹役の花田優里音の愛らしさも印象に残った。

なかでも律儀な洋服屋の役を演じた水谷豊の演技には刮目させられた。水谷豊という俳優には、かたくななまでに正義と真実を貫こうとする天才肌の警部役という難しい役柄を見事に演じたころからことに注目していたが、髙橋克彦原作の『だましゑ歌麿』をテレビドラマ化した《だましゑ歌麿》で、狂気をも宿したような天才画家になりきって演じた際には、一回り大きくなったと感じた。時代の流れの中でおとなしくしかし信念を曲げずに家族を守って生きた今回の父親役からは、演技の重みさえも感じることができた。

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司馬遼太郎氏は「昭和十八年に兵隊に取られるまで」、「外務省にノンキャリアで勤めて、どこか遠い僻地の領事館の書記にでもなって、十年ほどして、小説を書きたい」と、「自分の一生の計画を考えて」いた。そして司馬氏は、「自国に憲法があることを気に入っていて、誇りにも思っていた」が、「太平洋戦争の最中、文化系の学生で満二十歳を過ぎている者はぜんぶ兵隊にとるということ」になって、自国の憲法には「徴兵の義務がある」ことが記されていることを確認して「観念」したと書き、敗戦の時には「なぜこんなバカなことをする国にうまれたのだろう」と思ったと激しく傷ついた自尊心の痛みを記している(「あとがき」『この国のかたち』第5巻)。

それゆえ、『坂の上の雲』を書く中で近代戦争の発生の仕組みを観察し続けていた司馬氏は、自国の防衛のための自衛隊は認めつつも、その海外への派遣には強く反対して、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」と書いていたのである(『歴史の中の日本』)。

かつて司馬作品の愛読者であることを多くの政治家は公言していたが、その人たちは司馬氏のこの言葉をどのように聞くのだろうか。

戦前の教育や憲法がどのような被害を日本やアジアの国々にもたらしたかを知るためにも、「改憲」を主張する人々にもぜひ見て頂きたい映画である。

 

北村透谷と内村鑑三の「不敬事件」――「教育勅語」とキリスト教の問題

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) で、宗教学者の島薗進氏は、「教育勅語」と「国家神道」のつながりをこう説明しています。

「教育勅語が発布された後は、学校での行事や集会を通じて、国家神道が国民自身の思想や生活に強く組み込まれていきました。いわば、『皇道』というものが、国民の心とからだの一部になっていったのです。/事実、この時期から、国家神道とそれを支持する人々によって、信教の自由、思想・良心の自由を脅かす事態がたびたび生じています。/たとえば、一八九一年に起きた内村鑑三不敬事件です」(108~109)。。

今回はその影響を明治期の『文学界』(1893~98)の精神的なリーダーであった北村透谷と徳富蘇峰の民友社との関係を通して考察することにします。

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透谷が評論「『罪と罰』の殺人罪」において、「最暗黒の社会にいかにおそろしき魔力の潜むありて、学問はあり分別ある脳髄の中(なか)に、学問なく分別なきものすら企(くわだ)つることを躊躇(ためら)ふべきほどの悪事をたくらましめたるかを現はすは、蓋(けだ)しこの書の主眼なり」と書いたのは大日本国帝国憲法が発布されてから4年後の1893年のことでした。

この記述を初めて読んだ時には、長編小説『罪と罰』に対する理解力の深さに驚かされたのですが、この時代を調べるなかでこのような透谷の言葉は単に彼の鋭い理解力を示すものではなく、権力者の横暴を制止するために「憲法」や「国会」の開設を求める厳しい流れの中での苦しい体験と考察の結果でもあったことが分かりました。

ことに注目したいのは、明治憲法の翌年に渙発された「教育勅語」の渙発とその影響です。たとえば、1891年1月には第一高等中学校教員であった内村鑑三が、教育勅語奉読式において天皇親筆の署名に対して敬礼はしたが最敬礼をしなかったために、「国賊」「不敬漢」という「レッテル」を貼られて退職を余儀なくされたといういわゆる不敬事件がおきていたのです。

しかも、ドイツ留学から帰国して東京帝国大学の文学部哲学科教授に任ぜられ『勅語衍義(えんぎ)』を出版していた井上哲次郎は、1893年4月に『教育ト宗教ノ衝突』を著して、改めて内村鑑三の行動を例に挙げながらキリスト教を、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とした「教育勅語」の「国家主義」に反する反国体的宗教として激しく非難しました。それに対しては本多庸一、横井時雄、植村正久などのキリスト者が反論をしましたが、ことに高橋五郎は徳富蘇峰の民友社から発行した『排偽哲学論』で、これらの人々の反論にもふれながら、「人を不孝不忠不義の大罪人と讒誣するは決して軽き事にあらず」として、比較宗教の視点から井上の所論を「偽哲学」と鋭く反駁していました。

しかし、比較文明学者の山本新が位置づけているように「不敬事件」として騒がれ、これを契機に「大量の棄教現象」を生みだすという結末をむかえたこの事件は「国粋主義」台頭のきっかけとなり、北村透谷もその流れに巻き込まれていくことになるのです。

すなわち、北村透谷は「井上博士と基督教徒」でこのことにも触れながら次のように記しています。少し読みづらいかもしれませんが、原文をそのまま引用しておきます(269~270)。

「『教育ト宗教ノ衝突』一篇世に出でゝ宗教界は忽ち雲雷を駆り来り、平素沈着をもて聞えたる人々までも口を極めて博士を論難するを見る。…中略…彼れ果して曲学者流の筆を弄せしか。夫れ或は然らん。然れども吾人は井上博士の衷情を察せざるを得ず。彼は大学にあり、彼は政府の雇人(こじん)なり、学者としての舞台は広からずして雇人としての舞台は甚だ窮屈なるものなることを察せざるべからず」。

ここで透谷はキリスト教徒としての自分の立場を堂々と主張しておらず、議論を避けているような観もあります。しかし、「思へば御気の毒の事なり」と書いた透谷は、「爰に至りて却て憶ふ、天下学者を礼せざるの甚しきを、而して学者も亦た自らを重んぜざること爰に至るかを思ふて、嘆息なき能はず」と結んでいました。公務員として「国家」の立場を強調する井上博士への批判はきわめて厳しい批判を秘めていると感じます。

実際、1892年には、『特命全権大使 米欧回覧実記』を編集していた帝国大学教授久米邦武が『史学雑誌』に載せた学術論文「神道ハ祭典ノ古俗」が批判されて職を辞していましたが、35年後の1927年には今度は井上が『我が国体と国民道徳』で書いた「三種の神器」に関する記述などが不敬にあたると批判されて、その本が発禁処分となったばかりでなく、自身も公職を辞職することになるのです。

この問題は「文章即ち事業なり」と冒頭で宣言し、「もし世を益せずんば空の空なるのみ。文章は事実なるがゆえに崇むべし」と続けて、頼山陽を高く評価した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」(明治二十六年一月)を厳しく批判した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(『文学界』第2号)にも通じていると思われます。

この文の冒頭で、「繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異(あや)しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ」と記した透谷は、その後で「反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は『史論』と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻(しき)りに純文学の領地を襲はんとす」と非常に激しい言辞を連ねていたのです。

キリスト教を「教育勅語」の「国家主義」に反する反国体的宗教として厳しく断じた著書に対する反論として書かれた「井上博士と基督教徒」は、激しさを抑えるような文体で書かかれていたので、この文章を読んだときには、その激しさに驚かされました。

しかし、愛山が民友社の『国民新聞』記者であったばかりでなく、キリスト教メソジスト派の雑誌『護教』の主筆として健筆をふるい、その合間には熱心に伝道活動をも行っていたことを考えるならば、「彼に因りて日本人は祖国の歴史を知れり。日本人は日本国の何物たるかを知れり。日本国の万国に勝れたる所以を知れり」と頼山陽の事業を讃えた愛山が、「天下の人心俄然(がぜん)として覚め、尊皇攘夷の声四海に遍(あまね)かりしもの、奚(いづくん)ぞ知らん彼が教訓の結果に非るを。嗚呼(あゝ)是れ頼襄の事業也」と結んでいることに怒りと強い危機感を覚えたのだと思えます。

実際、「尊皇攘夷」という儒教的な理念を唱えた愛山の史論は、日清戦争前に書いた初版の『吉田松陰』では、松陰が「無謀の攘夷論者」ではなく開国論者だったことを強調していながら、日露戦争後に著した「乃木希典の要請と校閲による」改訂版の『吉田松陰』では、「彼は実に膨張的帝国論者の先駆者なり」と位置づけることになる徳富蘇峰の変貌をも予告していたとさえいえるでしょう。

しかも、「教育勅語」の渙発によって変貌を余儀なくさせられたのは、キリスト者だけではありませんでした。宗教学者の島薗氏は先の書で「天理教も、その教義の内容が行政やマスコミ、地域住民、宗教界から批判を受け、教義の中に国家神道の装いを組み込まざるを得ませんでした」と指摘していたのです。

中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む

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『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む――「国家神道」と全体主義の問題

ここでは宗教学者の島薗進氏と政治学者の中島岳志氏が、現在の日本の危機的な状況を踏まえて、熱く深く語り合った対談『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) をとおして、安倍政権が引き起こした「立憲主義の危機」の問題と「国家神道」の伝統について考えることにします。本書では『坂の上の雲』における司馬遼太郎氏の「文明観」にも言及されているので、その作業をとおして「明治国家」の讃美者とされることの多い司馬氏が「文明史家」とも呼べるような視野をもっていたことも明らかにできるでしょう。

*   *   *

第1章では分かりやすく問題点と議論の方向性が示されていますので、まずその小見出しを紹介してから、重要な指摘について考察します。

第1章「戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか」

現代日本の「右傾化」の背後にあるもの/グローバル化による個人の砂粒化と宗教ナショナリズムの台頭/今も国家神道は生きている/明治維新からの一五〇年――繰り返されるサイクル/幕府を倒した「一君万民ナショナリズム」/明治維新はフランス革命とどこが違うのか/「上からのナショナリズム」が再創造する「伝統」/国学のもたらしたもの――天皇と人民の一体化というユートピア主義/日本の儒教が育てたもの――「国体」論と天皇への忠誠/「下からのナショナリズム」が希求した「一君万民」的なユートピア/天皇主義者たちによる自由民権運動/全体主義を用意した右翼思想のふたつの潮流

最初に「グローバル化による個人の砂粒化と宗教ナショナリズムの台頭」の問題をお互いに確認した後で、宗教学者の島薗氏は「今も国家神道は生きている」と語り、「明治維新の時に、どういった類のナショナリズムと宗教の装置が、どのようにインストールされたのかを文明史的な視野から分析しなければなりません」と問題を提起しています。この視点は、比較文明を研究する私の視点とも重なる重要なものだと思います。

一方、政治学者の中島氏は、幕府を倒したのが「一君万民ナショナリズム」ともいうべき思想で、「万民は平等であって、天皇だけが超越的な権力を持つ」という「一君万民」の考え方は、「『特権階級的な人々がこの国を牛耳るのはおかしいではないか』という議論を生み出すことになり」、「幕末期になると、古代日本のあり方に立ち戻れば日本はうまくいくはずだというユートピア主義が広まって」いたことを指摘しています。この指摘は島崎藤村の父親をモデルとした『夜明け前』における主人公・青山半蔵の活動とその悲劇を理解する上でも有効でしょう。

注目したいのは中島氏が、明治維新の「一君万民ナショナリズム」とフランス革命との類似性にも言及して、「日本ではいまだにナショナリズムと言うと、右派の思想だというレッテルをはられてしまう。しかし、実際はナショナリズムそのものは左派的な出自を持った思想だ」指摘し、フランス革命は「『フランスはフランス人民のもの』というナショナリズムによって絶対王政を倒し、民主的な国民国家を作り上げた」と説明していることです。この認識は征韓論から西南戦争に至る時代を描いた長編小説『翔ぶが如く』における司馬氏の歴史観にも通じているでしょう。

一方、「上からのナショナリズム」にも注意を促した島薗氏は、「一八六七年の『王政復古の大号令』では、ペリー来航に始まる『未曾有ノ国難』を神武天皇以来の神話的過去に立ち返って克服するのだと宣言し」、明治維新の年には「天皇による神道的な祭祀と政治とを一元化させ、国民的団結を強化し、国家統一を進める」ことを宣言した「祭政一致布告」がでるなど「神道に基づいた」祭祀が強調されたことを指摘しています。

さらに、「『皇道』や『大教』といった言葉は、儒学者が尊皇意識を高め、神道的な祭祀や天皇への崇敬の教えを説くようになる過程で普及」したと語り、「国家神道」には儒教的な要素も強いことを指摘しているのです。

注目したいのは、政治学者の中島氏がこれまで比較的多く語られてきた「日蓮宗と全体主義の影響関係」だけでなく、「他力本願」を主張した親鸞主義者の三井甲之(こうし)も、「阿弥陀仏の本願力」を「天皇の大御心(おおみこころ)」と読み替えて、「日本人は現実をあるがままに任せ、ただ『日本は滅びず』と信じ、『祖国日本』と唱えれば、永遠の幸福を得ることができる」と主張していたことに注意を促していることです(第2章 「親鸞主義者の愛国と言論弾圧)。

このような中島氏の言葉を受けて島薗氏は、第4章で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたものです。つまり、明治維新の国家デザインの延長上に生まれたものです」と語っています。

より論理的で体系的に語られてはいますがこの重たい指摘は、『竜馬がゆく』第2巻の「勝海舟」の記述にも通じるでしょう。

幕末の「尊皇攘夷思想」が「国定国史教科書の史観」となったことを指摘した司馬氏は、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです。あまり注目されてはこなかったのですが、文明史的な視野を持っていた司馬氏の全体主義的なイデオロギーに対する危惧の念はきわめて深かったのです。

この意味で興味深かったのは、誤解されることの多い司馬氏の長編小説『坂の上の雲』について中島氏がこう語っていたことです。『坂の上の雲』という長編小説を理解する上でも参考になるので、少し長くなりますが引用しておきます。

「明治時代の前半(第一期)と後半(第二期)とでは、社会の雰囲気が大きく違います。/そのことを鋭く嗅(か)ぎ分け、描いた作家に司馬遼太郎がいます。彼の小説『坂の上の雲』は、タイトルが核心を見事についている。ポイントは『坂』と『雲』です。/明治時代の前半の日本はずっと坂を登っている状態でした」。

そして、「こうした時代では、個人の人生の目標と国家全体の目標が一体化」することを指摘したあとで、「しかし、重要なのは、『坂』を登りきった明治の後半の人々が見たものは『雲』にすぎなかったということです」と指摘し、こう続けているのです。

「その象徴が一六歳で華厳の滝に身を投じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです」。

この記述はなぜ、日露戦争の勝利からしばらくして「国家神道」に基盤を置いた「全体主義」が勃興し、いままた安倍政権のもとでナショナリズムが広がっているのかをも説明しているでしょう。

「全体主義はよみがえるのか」と題された第8章で島薗氏は、「戦前に起きた『立憲主義の死』と、安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』。このふたつの危機の何が同じで、何が違うのか。そして、その原因は何なのか、ということを問わなくてはなりません」と語っています。

「核兵器の時代」に新たな戦争を勃発させないためにも、この問いに真剣に向き合わなければならないでしょう。

他にも現在の日本に関わる重要なテーマが多く語られていますが、「教育勅語」と「国家神道」のつながりについては次の機会に改めて考察することとし、この本の目次を紹介してこの稿を終えることにします。

第1章 戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか       第2章 親鸞主義者の愛国と言論弾圧 第3章 なぜ日蓮主義者が世界統一をめざしたのか 第4章 国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教 第5章 ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走 第6章 現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム 第7章 愛国と信仰の暴走を回避するために 第8章 全体主義はよみがえるのか

(2017年2月22日、図版を追加)