高橋誠一郎 公式ホームページ

未分類

ジャニーズ問題の奥深さ2――〈五分兄弟盃の儀〉の映像

 1998年には余興で〈五分兄弟盃〉の儀式が行われていたが、そこにはジャニー喜多川の他と電通、自民党、石原プロ、テレ朝などの関係者が参加していた。参加者については別の投稿者のツイートがまとめている。

「暴力団ミニ講座」によれば、 〈五分兄弟盃〉とは「擬制の血縁関係で結ばれている」暴力団の身分関係を成立させる「盃事」と呼ばれる儀式である。

 すなわち、「親分子分の血縁関係を特定するための儀式」である〈親子盃〉はよく知られている。暴力団組織においては、「子分相互の間においても厳重な上下関係があり」、その中身は「五分の兄弟」「五厘下りの兄弟」「四分六の兄弟」「七三の兄弟」「二分八の兄弟」に分かれており、「その差が開くほど服従関係が」強まる。そして「五分の兄弟」とは「上下関係なしの対等な関係にある兄弟分」のことをいう。

 つまり、ジャニー喜多川の他と電通、自民党、石原プロ、テレ朝などの関係者 はヤクザの〈五分兄弟盃〉の儀式のまねごとを行っていたことになる。

 ここで問題としたいのは、このような「擬制の家族関係」が、明治末期に成立した「天皇=国民の父、国民=天皇の赤子という家族国家観」を模倣しているおり、それは文鮮明夫妻を「真の父母」とみなす統一教会(世界平和統一家庭連合)の家族観にも反映しているように思われることである。

統一教会の「黙示録」観――カルト教団の危険性(加筆版)

ジャニーズ問題の奥深さ――統一教会や自民党との繋がり

ジャニーズ問題の奥深さ――統一教会や自民党との繋がり

  ジャニーズ問題は人権問題だと以前は考えていた。しかし、この問題がBBCで取り上げられてから、様々な情報に接することになり、この問題の解明が遅れていたのは、統一教会や、ことに自民党との繋がりのためだろうと思うようになった。

 現在は長い記事を書く時間的な余裕がないので、「統一教会と岸信介、そしてジャニー喜多川とメリー喜多川、その夫の藤島泰輔との“点と線”」を追った ビジネスジャーナルの記事を紹介した投稿などをアップしておく。

安倍元首相は2018年にTOKIOを首相官邸に招くなどジャニーズ事務所との蜜月を徹底的に政治利用したが、大阪の「吉本興業と維新が同様の関係にある」と指摘した望月衣塑子氏は、民放各局が、報道のMCにジャニーズタレントを使い始めたのもこの時期と指摘している。下記の記述は、ジャニーズ事務所と安倍元首相、そしてテレビ局との関係の深さを具体的に示している。

2004年にはジャニー喜多川の性的虐待が最高裁で確定していたが、法務省が2019年に制作総指揮 ジャニー喜多川 と記された 映画「少年たち」とのタイアップポスターを作成していたことも分かった。

 安倍元首相が「ジャニーさんお別れの会」に 「日本中に、たくさんの勇気と感動を与えてくださり、本当にありがとうございました。」との長文の弔電を送っていたことを考慮するならば、岸元首相から続いた自民党とジャニーズ問題との関わりの根は深い。

 内閣改造が行われたが、やはり「旧統一教会問題はうやむや」にされて、「接点」公表議員が次々と起用された。

最後に自民党と統一教会の関係の深さを指摘した鈴木エイト氏の意見を紹介したツイートを掲げておく。

ジャニーズ問題の奥深さ2――〈五分兄弟盃の儀〉

このような「擬制の家族関係」は、明治末期に成立した「天皇=国民の父、国民=天皇の赤子という家族国家観」を模倣しているおり、それは文鮮明夫妻を「真の父母」とみなす統一教会(世界平和統一家庭連合)の家族観にも反映しているように思われる。

2023/09/15 加筆

マイナンバー・カードの普及と大本営発表の戦果

マイナンバーカードは ドイツでは違憲判決が出て廃案となり、フランスは導入せず、 イギリスも運用後1年で廃止になるなど、世界では厳しい対応が行われてきた成されてきた。

一方、デジタル庁はこのマイナンバー・カードの危険性を周知せず、「申請するとポイント最大20,000円」という怪しい儲け話的な手法で強引に押し進めてきた。

さらに、「政府は9日、マイナンバーカードの用途拡大を柱とするデジタル施策の「重点計画」を閣議決定した。その中に、政府が国立大に対し、授業の出欠確認などマイナカードの利用実績に応じて、交付金を配分する施策が盛り込まれた。」。

これに対して「東京新聞」は「学業や研究とは関係のないマイナカードの使用状況で、教育施設に与えるカネの多寡を決めるというのだ。道理が通る手法だろうか」と疑問を記している(2023年6月16日)。

J-CASTトレンドは「保険証との一本化「見直し」論に反響」と題した記事で 「昨年6月の段階では、現行の保険証とマイナ保険証の「選択制」のはずだった。ところが河野太郎デジタル相が同10月、唐突に保険証の廃止を表明した」ことに対して読売新聞が『保険証廃止の見直し』を主張した だけでなく、新聞各社が次のような批判的社説を掲げたことを紹介している。

東京新聞も7日付で「マイナカード 性急に運用拡大するな」という社説を掲載。「全国保険医団体連合会のアンケートでは、高齢者施設の九割以上が申請の代理や暗証番号を含むカードの管理はできないと答えた」などを理由に、「少なくとも現行の健康保険証は維持すべき」だと強調している。

このほか、北海道新聞は3日、「マイナ保険証 不安放置して『強制』か」、毎日新聞は2日、「マイナ保険証の迷走 国民の視点を欠いている」、朝日新聞も5月25日、「マイナカード 拙速な活用拡大反省を」と批判するなど、各紙の社説は手厳しい内容になっている。

 一方、問題点を指摘された河野大臣は丁寧に説明するのではなく、むしろ逆ギレしたことが伝えられている. が、そのような対応は敗戦が続いていても国民には勝ち続けているとした大本営発表の発表を想起させる。

 堀田善衞は『若き日の詩人達の肖像』で、「先月からはソロモン海域で海軍は眼を瞠らされるような戦果を挙げつづけ、東条総理大臣の『皇軍は各地に転戦、連戦連勝、まことにご同慶の至りであります』というきまり文句が流行っていた」が、「『ガダルカナルでは陸軍は殲滅的な打撃をうけているらしい』」と記しているのである(集英社文庫、下巻・292-3頁)。

今回の国会ではウクライナ危機を煽る事で危険な法案がいくつも成立したが、秋に行われる総選挙に向けてこれからは冷静にそれらの法案を再検討して、廃案にすることが必要だと思える。


主なスレッドの項目・目次

重要な問題が山積しているので、テーマの確認とテーマの深化のために、主な スレッドの目次とツイート

〔スレッドの目次〕と主な項目

〔立憲野党と非カルト教団は共闘を!〕

〔統一教会と自民・維新との癒着〕 

〔核兵器禁止条約と日本の「核の傘」政策〕

〔 安倍元首相と母方の祖父・岸信介元首相との関係をとおして昭和期の政治の問題を考える〕

〔「明治維新」の賛美と「国家神道」復活の危険性〕

〔「コロナ禍の中で行われたオリンピックを振り返る〕

〔「維新」の危険性を考える〕

〔自民と維新による「改憲」と「緊急事態条項」の危険性〕

〔「日米地位協定」の危険性』〕

G7サミットと 核兵器禁止条約の精神に反する「核の傘」政策  

 広島と長崎への原爆投下は世界の各国に深刻な恐怖を与え、原水爆の実験から一気に核兵器の拡散へとつながった。
 一方、今回のG7サミットでもバイデン大統領ら首脳が広島の原爆資料館を何時間もかけて見学しておらず、核兵器の非人道性を直視していなかったことが明らかになった。 日本の「核の傘」政策は国民に偽りの安心感を与える一方で、他国には脅威を与え続けてきたといえるだろう。

一方、「中国新聞」はバイデン大統領との首脳会談で岸田首相が核の傘の重要性で一致したことを伝えている。被爆国日本の岸田首相は和平の仲介役に徹すべきだろう。

原爆を投下しつつ、そのことの非を認めていないアメリカの「核の傘」に留まることを宣言することは、他国の反発と核兵器の拡散を招く危険性が高いからである。 岸田首相がまずなずべきことは バイデン大統領に原爆投下の非を公式に認めるように説得することである。

核兵器禁止条約に至る道と日本の核政策を振り返る。

ビキニ環礁で行われたアメリカ軍による水爆実験では、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われ、「第五福竜丸」だけでなく多くの漁船の乗組員や島民が被爆していた。

#核兵器禁止条約  複数の関係者は10月中に50か国に到達する可能性があるとしている。 早ければ来年1月にも国際法が誕生する見通し。 (毎日新聞2020年10月3日)

#核兵器禁止条約 発効まであと3カ国。 日本も批准を

戦前の日本を賛美する「#日本会議」の影響下にある岸田政権は、いまだに原発を推進し、危険な「核の傘」政策に依存している。

「一方で原水爆核兵器を禁止せよ、と世界に訴えながら、他方では、自分だけは将来核兵器をもつための途はあけておきたいという、一部の人たちの考えなどは、この悪ずれの典型である。」(#堀田善衞『インドで考えたこと』、1957年)

(2023/05/21、ツイートを追加)

島薗進編著『政治と宗教: 統一教会問題と危機に直面する公共空間』 (加筆版)

政治と宗教

本書では「公共空間」という斬新な視点で #統一教会 問題を中心に政治家と教団の問題を5人の専門家たちが国際的な視野から論じている。国家神道の問題にも詳しい島薗進氏の編になる本書からは政治と宗教の癒着の危険性が浮かび上がる。

⇒わかりやすい解説 https://youtu.be/qtAqZWGG2pE

島薗進氏:「空白の30年」に先立つ60−80年代が重要。その時期にこそ、自民党と統一教会の太いパイプが築かれた。その間に米国では政界に食い込もうとする統一教会の工作を摘発し、取り締まった。統一教会は「信教の自由」キャンペーンを張るとともに日本の政治的支持基盤を強化した。
(2023年4月17日)

島薗進氏「政治家・政党と宗教団体の関係が、なぜ国民を度外視したもたれ合いの関係になったのか。統一教会の歴史をたどりつつ3段階に分けて分析する。」(2023年4月19日)

島薗進氏 「(統一地方選挙の)注目点の一つに各候補者・政党と旧統一教会との関係やそれに対する有権者の対応があります」

中野昌宏氏「(明治民法のイエ制度におけるように)頂点の権限が絶対的であるような『家庭』が、国家大・地球大に拡大された家庭として実現されることが『#八紘一宇』であった。」 (88頁)

目次
序章 公的空間における宗教の位置 島薗進。
第1章 統一教会による被害とそれを産んだ要因 島薗進。
第2章 統一教会と政府・自民党の癒着 中野昌宏。
第3章 自公連立政権と創価学会 中野毅。
第4章 フランスのライシテとセクト規制 伊達聖伸。
第5章 アメリカー政教分離国家と宗教的市民 佐藤清子。
終章 統一教会問題と公共空間の危機  島薗進。

スレッドの構成/① 紹介『政治と宗教』/②書評、 中島岳志・島薗進著『#愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』 /③劇評、 《#闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

統一教会の「黙示録」観――カルト教団の危険性

  (2023/05/22、ツイートを追加)

ウクライナ戦争と『黙示録』――世界秩序の混迷と復讐的終末論(改訂と改題版)

アルブレヒト・デューラーの木版画『黙示録の四騎士』

デューラー『黙示録の四騎士』

はじめに

二〇一三年に「信者の感情の保護に関する法律」を施行してロシア正教徒への配慮を示していたプーチン大統領は、二〇二一年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美した。そのプーチンが翌年の二月にウクライナ侵攻に踏み切った。核戦争に至る危険性もはらみながら武力による攻撃を行い続けていることは世界を恐怖に陥れている。

だが、なぜプーチン大統領はアメリカやヨーロッパのほとんどの国を敵に回してまで戦争を続けているのだろうか。その原因を探るうえで注目したいのは、ロシア史の研究者・下斗米伸夫が、二〇一三年から「ロシア保守主義を標榜しはじめた」プーチンによって宗教哲学者のベルジャーエフが称揚されたと指摘していることである]

なぜならば、ベルジャーエフは『ドストエフスキーの世界観』で「彼の宗教思想をほんとうに理解するには、黙示録的認識という光のもとでのみ可能である。/ ドストエフスキーのキリスト教は、歴史的なそれではなくて、黙示録的なキリスト教である」と記しているからである。

この時期にナチス・ドイツの占領下にあったパリでドストエフスキーの研究を行っていたモチューリスキーは「邪悪な霊の訪れはまもなくである。われわれの子孫は、おそらくそれに直面することになるだろう」という『作家の日記』の文章を引用してこう解釈している。

「およそ七十年という年月が過ぎ去り、ドストエフスキーの予言の正しさが証明された。『反キリスト教的萌芽』からは、異教的『全体主義的』国家のドグマが成長したのである。ドストエフスキーの政治的論文は、黙示録の火(太字は引用者)によって照らされている(……)ドストエフスキーの精神的子孫であるわれわれはすべて、この『訪れ』の戦慄的な体験を持っている。彼は予見者であり、われわれは目撃者にして証人である。」

さらに『悪霊』論でモチューリスキーは「彼は世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と記した]

ではこのようにドストエフスキー研究者を熱中させた『ヨハネの黙示録』(以下、黙示録と略す)とはどのような書物なのだろうか。聖書学者の小河陽はこの書物の特徴と受容の歴史についてこう説明している。

「あらゆる黙示文書がそうであるように、ヨハネの黙示録は世界に対する神の審判の幻を語る書であるが、キリスト教の歴史において、本書ほどしばしば問題となった、あるいは濫用された書物はないであろう。二世紀末になって、東方教会においては三世紀中頃にやっと正典として認められ、宗教改革者たちにはほとんど評価されず、啓蒙主義の時代には使徒ヨハネの書ではないとして見捨てられる一方で、熱狂主義者たちによっては情熱的に読まれ、評価され、引用された書であった。」

『黙示録』の解釈は後に確認するように異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっている。それゆえ、『悪霊』論などとの関りで『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるこの戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

『黙示録』の概要

本論に入る前に、『黙示録』の構成に従ってその内容を一瞥しておく。

第一章一節では、まず「この黙示は、すぐにも起こるはずの〔一連の〕事柄を、神が自分の僕(しもべ)たちに示すために、イエス・キリストに与えたものであり、そして〔そのイエスが今度は〕自分の天使を遣わして、彼の僕であるヨハネに知らせたものである」ことが記されている。そしてヨハネは自分が視たこの黙示が「我はアルパなり、オメガなり」と名乗り、「最先(いやさき)にして最後(いやはて)なる者――唯一、絶対の超越神」であると宣言する神からのものであることを明らかにしている。その後で神からの七つの教会への具体的なメッセージが記され(第二章~第三章)、天に昇ったヨハネが神の玉座の周りを「おのおの六(む)つの翼(つばさ)あり、翼の内も外も数々の眼に満ちた」四つの活物(いきもの)が、空を舞いながら、「全能者にして主たる神」を讃えているのを視たことが描かれる(第四章~第五章)。

第六章から第一一章では、小羊によって七つの巻物の封印が解かれると「白い馬」、「赤き馬」、「黒い馬」「青ざめた馬」などに乗る四騎士による大惨事が次々と起き、天使たちが七つのラッパ吹き鳴らすと地上で未曽有の大惨事が起きる。

天の戦に負けたサタンは地に投げ落とされると、地上では「獣」の権力が増大したので神の怒りも極みに達し、怒りの満ちた七つの鉢を受け取った七人の天使が鉢を傾けるごとに地上に大災害が起き、3匹の悪霊が「ハルマゲドン」に王たちを集めると、七番目の鉢で大地震が起き、島々が消え去ったのである第一二章~第一六章)。

その後で大淫婦バビロンの裁きと滅亡、天上での大群衆による神の讃美と子羊の婚宴が描かれ、白い馬に乗った統治者によって獣と偽預言者が火の池に投げ込まれる第一七章~第一九章)。

サタンは底知れぬ所に封印され、殉教者と獣の刻印を受けなかった者が復活するが、「千年王国」の終わりには一時的に解放されて神の民と戦ったサタンや獣や偽預言者、さらには「いのちの書」に名前のない者がすべて火と硫黄の池に投げ込まれ永遠に苦しむことが強調される(第二〇章)。

こうして、神が人と共に住み、死も悲しみもない新しい天と新しい地が訪れ、美しい宝石で飾られた新しいエルサレムが詳しく描写され、神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れることが記され、最後にイエス・キリストの再臨を予言する言葉で結ばれている(第二一章~第二二章)。

『黙示録』の復讐的終末論と十字軍

小河陽は、「世紀末が近い昨今、ふたたびこの黙示録への関心が寄せられることは、理由のないことではない」とした「(戦争や大災害などの)混乱をことごとく片づけ、全く新しい秩序をもたらす未来を夢見る待望がある。そのような、時代の節目に漂う雰囲気にぴったりと重なって、黙示録はわれわれを未来の可能性へと誘うのである」と説明している。

一方、「私は決して黙示録にたいするとくべつの傾愛をもっておらず」と記したベルジャーエフは、「エノク書(注:エチオピア正教会における旧約聖書からはじまる黙示文学の復讐的終末論、善と悪とへの人間の裁然たる区分、悪人と不心信者にくだる残酷な裁き」などが、『黙示録』にも見られることを『わが生涯』で厳しく批判している。

『黙示録』が「ローマの大迫害を背景として小アジアで生れたもので」、「エジプト、さらにべルシャのゾロアスター教の影やスメル、バビロニヤなどの超絶的象徴なども含む」ことを確認した作家の堀田善衞は、この神が「荒々しい怒りの神である」と指摘している。

「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ第五章四四節)と説く『福音書』 イエス と、「口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった」と描かれている『黙示録』のイエスとの違いにドストエフスキー研究者の冷牟田幸子も注意を促している。

作家のD・H・ロレンスは『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記しているが、それは彼らも『黙示録』のうちに「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を感じたためだと思われる。

実際、堀田善衞が『至福千年』(一九八四)において記しているように、『黙示録』的な復讐的終末論は他宗教や異端派への十字軍の派遣も正当化していたからである。

たとえば、西暦一〇九五年に行われた第一回十字軍の派兵に際してローマ教皇が信者に対して遠征に参加する者には「これまでに彼が犯した罪について罰を一時的に赦免さるべきこと、遠征の途上、あるいは戦いに死せる者は、あらゆる罪を赦免されたる者なること」と示したことは、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いていた。

同じような殺戮は第二回十字軍でも繰り返されたたが、ギリシャ正教を国教とする東ローマ帝国を攻略してコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を陥落した第四回十字軍(一二〇二~〇四)では第一回十字軍をも上回る規模で起きた。しかも東ローマ帝国が力を失ったことで、第二次ブルガリア帝国(一一八五~一三九六)などギリシャ正教を受け容れて繁栄していたバルカン半島のスラヴ系諸国は次々とオスマントルコ帝国の支配下に組み込まれることになった。

スラヴ民族であるチェコのキリスト教改革派のフス派を異端として派兵された「フス派に対する十字軍」(一四一九~三四)は当初はことごとく打ち破られたものの最後には併合されて国語もドイツ語とされ、第一次世界大戦に際しては作家ハシェクが『兵士シュヴェイクの冒険』で描いたような事態が生じたのである。

一方、野蛮な帝国に対する「正義の戦争」としてナポレオンが大軍を率いてロシアに侵攻した「祖国戦争」(一八一二)は、ロシアでは祖国防衛のための「聖戦」と捉えられてナショナリズムが高揚し、勝利後には「正教・専制・国民性」の三原則が強調されることになった。二期目に再選されたプーチン大統領が二〇一二年に「祖国戦争」二〇〇年を大々的に祝ったことは、西側諸国に対する潜在的な恐怖感を示唆しているように感じられる。

第二次世界大戦でのユダヤ人に対するホロコーストは強調されるが、『わが闘争』でスラヴ民族なども文化を「維持するだけ」の劣等な民族と見なしていたヒトラーとの戦争では、ソ連は三千万人もの死者を出しており、飢餓などにより百万近くの死者を出していたレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲戦ではプーチンの兄も亡くなっている。


第一次世界大戦と『黙示録』的世界観

第一次世界大戦はサラエヴォを訪れたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人の民族主義者によって暗殺されたことをきっかけに一九一四年に勃発した。その遠因は露土戦争(一八七七~七八)の勝利後に認められたボスニア・ヘルツェゴヴィナの自治権が列強の干渉によって取り消され、さらに一九〇八年にはオーストリア・ハンガリー帝国によって併合されたことにあった。

日本が大戦に参戦した翌年の一九一五年に発表された芥川龍之介の『羅生門』の下人や老婆の描写には『罪と罰』(一八六六)からの強い影響がみられるが]、ロシアの研究者L・サラースキナは、「地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災(わざわ)いがつづいて」いた当時の京都の描写と、ラスコーリニコフがシベリアの流刑地で見た黙示録的な「悪夢」の描写の類似性に注目してこう指摘している。

「ラスコーリニコフの夢は芥川のペンによって現実になったのです。二○世紀の日本文学はドストエフスキイの創作と世界観の中心に据えられた不安、つまり、黙示録と世界の終末の不安を、完全に理解し、共感し、前代未聞の敏感さで反応したのです。」

『羅生門』の描写を『罪と罰』の『黙示録』的な悪夢と比較する解釈は強引とも感じられるが、その後の芥川の作品を踏まえるとその解釈はかなり核心をついていることが分かる。すなわち、一九二二年に発表した『将軍』で日露戦争の際の突撃を礼讃する思想や殉死した乃木大将の賛美を厳しく批判した芥川は、一九二四年に発表した短編『桃太郎』では「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」と命令し、宝物を「一つも残らず献上」させた桃太郎や、「鬼の娘を絞殺(しめころ)す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)に」した「猿」の行動を描いた。

「人質」に取られていた鬼の子供が猿を殺して逃げ、桃太郎への復讐を企てるようになったと描かれている短編『桃太郎』のエピローグの描写からは、他国の武力による併合がテロと果てしない復讐の連鎖を生むことに対する深い理解が感じられる。

一方、『罪と罰』では主人公が居酒屋で読む頻発する火事などの新聞記事がきわめて重要な役割を担っているが、シベリア出兵をテーマにした堀田善衞の『夜の森』でも新聞記事は、悪徳問屋のせいで米の小売相場が高騰したために起きた米騒動とシベリア出兵との関係を明らかにしている。

ことに内閣を批判した新聞記事で「白虹日を貫けり」という用語を使ったので「朝憲紊乱の罪」に問われていたことは当時の日本における『黙示録』の受容を知る上でも重要だろう。なぜならば、この用語は荊軻(けいか)が秦王(後の始皇帝)暗殺を企てた時の自然現象を記録した内乱が起こる兆候を指す中国の故事成語であるが、その成語の前に記者が「金甌無欠の誇りを持った我大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか」(太字は引用者)と書いているからである。この文章をここで記した記者だけでなくこれをこの記事を裁いた側も『黙示録』の最後の審判を強く意識していたのは確実だと思える。

しかも、主人公の巣山は「憲兵とも親しい正田少尉から、今度の出兵は「日本の王道主義を世界にひろめる思想の戦争」であると説明されたと記すことで、この出兵が「八紘一宇」の理念を掲げた満州事変にもつながっていることを記している。

思想史研究者の林尚之は「日蓮の予言を独自に解釈」した田中智学に心酔した関東軍参謀の石原莞爾の八紘一宇」の理念についてこう説明している。それは「最終戦争というハルマゲドンの後に絶対平和が訪れるという終末論的救済観にもとづくもの」であり、その「終末論的救済観が、現状打破的な社会改造の牽引力となっていた」]

ロシア大統領の手法と『黙示録』の解釈

石原莞爾はその「世界最終戦争」論で「核破壊による驚異すべきエネルギーの発生」の利用についても記してもいたが、その放射能被害の悲惨さは予想もしていなかった。岸政権が「核の傘」理論で沖縄などにおける超大国アメリカの核兵器の存在を暗に許容したことは、日本国民には偽りの安心感を与える代わりに、ロシアなどには原爆を投下しても謝罪をしないアメリカとそれを許す日本に対する深刻な不信感を与えた。

他方で、チェルノブイリ原発事故に際しては『黙示録』の解釈がソ連崩壊の遠因となったが(第一章参照)、エリツィン・ロシア共和国大統領はウクライナ・ベラルーシのスラヴ三カ国首脳との秘密交渉で独立国家共同体の樹立を宣言してソ連を崩壊させた。こうして民族主義的な国家を成立させたエリツィンは、 権威主義的な手法で チェチェンの独立派を武力で徹底的に弾圧する一方で、急激な市場経済への移行を断行した。そのためにスーパーなどからはロシア製の製品が駆逐されて外国製品のみが棚に並び、スーパーインフレによって市民の生活水準は大幅に落ち込んで、「エリツィンは共産党政権ができなかったアメリカ型の資本主義の怖さを短期間で味わわせた」との小話も流行った。アメリカの国益の視点から書かれ、日本でも流行った『文明の衝突』(一九九六)は、ロシアや東欧圏に強い危機感を生み出した。

一方、国有企業の民営化を利用して莫大な富を築いた新興財閥からの賄賂も指摘されるようになったエリツィン政権末期に後継者に指名されたのがプーチンであった。大統領に当選するとエリツィンに不逮捕特権を与えたプーチンは、二〇〇四年には地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改めるなど中央集権化を進め、二〇二〇年には大統領経験者だけでなくその家族に対しても不逮捕特権を与える法律に署名し、その頃にはロシア皇帝のような独裁的地位を得ていた。

一方、統一教会や右派勢力の強力な後押しで二期目に再選された安倍元首相は「改憲」を掲げて報道機関への圧力をかけるとともに、プーチン大統領には「君と僕は、同じ未来を見ている」と語りかけていた。その安倍元首相が統一教会信者の母親の多額の寄付により苦しんだ山上徹也容疑者の手製の散弾銃で射殺されたのは、ウクライナ危機が深まっていた二〇二二年七月のことであった。

その後も日本では戦前のような威勢の良いスローガンを掲げてカジノや核武装をも煽るような政策を主張する政党が勢力を増している。しかも、自民党安倍派の一部議員が応援している教祖の七男が率いるサンクチュアリ教会は、『黙示録』第二章二七節などに記された神の正義を実行するための道具としての「鉄の杖」とアサルトライフル銃を同一視して銃を崇拝し、銃弾の冠をかぶりライフル銃を持って集会をおこなっている。

しかし、『黙示録』の独自な解釈で教祖の文鮮明を「再臨のメシア」と考えるこの教団の『原理講論』には、「(サタン側と天の側に)分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と記されている。そのことは統一教会との関係を断絶できない自公政権に対する近隣諸国の不安を煽り、軍拡へとっているように思える。

統一教会の『黙示録』観――カルト教団の危険性  http://www.stakaha.com/?p=9779

『黙示録』の解釈は異教徒や異端に対する十字軍の歴史とも深く関わっていたが、オウム真理教のようなカルト教団は終末が来ても信者は生き残ることを強調している。それゆえ、『黙示録』を聖書中に組み入れることには「東方の神父たちが、烈しくこれに反対した」と記した作家のD・H・ロレンスは、『黙示録』にある「人間のうちにある不滅の権力意志とその聖化、その決定的勝利の黙示」の危険性を指摘している。

『悪霊』論などをとおして『黙示録』の問題を考えることは、核戦争への拡大の危険性もはらんでいるウクライナ戦争と日本とのかかわりを深く考えるうえできわめて重要だと思える。

( 本稿では注は省いた。2023/04/10改訂、 2023/04/28、改訂と改題( 「『悪霊』論の構想を大幅に練り直したので改題し、以下の
「堀田善衞と高橋和巳の『悪霊』論」 の節は省いた)。

画像

黙示録論 (ちくま学芸文庫)
画像
画像
画像
日本の悪霊 (河出文庫)







ロシア帝国の教育制度と日本――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』から『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』へ(改訂版)

ニコライ一世治下の帝政ロシアでは、ロシアの貴族にも影響力をもち始めていた「自由・平等・友愛」という理念に対抗するために、「正教・専制・国民性」の「三位一体」を「ロシアの理念」として国民に徹底しようとした「ウヴァーロフの通達」が1833年に出されていました。

このような時代に青春を過ごした若きドストエフスキーは初期作品で、権力者の横暴を抑えるための「憲法」の意義や言論や出版の自由の必要性、さらには金持ちのみを優遇する「格差社会」の危険性などを、「イソップの言葉」で説いていました。

『貧しき人々』に始まるこれらの作品を分析することにより、日本における「憲法」や「教育」の問題を考察しようとした拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の終章では、検閲の問題と芥川龍之介の自殺との関連にも注意を払いながら、『白夜』からの引用がある堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』に注目することで、昭和初期の日本の状況とクリミア戦争直前の帝政ロシアの状況との類似性を明らかにしました。

たとえば、昭和一二年に文部省から発行された『国体の本義』では、大正デモクラシーを想定しながら、その後も「欧米文化輸入の勢いは依然として盛んで」、「今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起」したとして、これらの混乱を収めるべき原則として『教育勅語』の意義が強調されたのです。

さらに『国体の本義解説叢書』の一冊として文部省教学局が発行した『我が風土・国民性と文学』と題する小冊子では、「ロシアの理念を強調した「ウヴァーロフの通達」と同じように、「日本の国体」においては、「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっている」ことを強調していました。

 それゆえ、『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』を書き上げた後では、芥川龍之介の自殺の問題も描かれている堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』を詳しく考察することで、昭和初期に書いた「『罪と罰』についてⅠ」などの評論や『我が闘争』の書評で当時の若者や知識人に強い影響を与えていた小林秀雄のドストエフスキー論の問題点を明らかにしたいと考えました。

しかし、幕末だけでなく昭和初期に再び強い勢力を持つようになっていた平田篤胤の「復古神道」について理解が乏しかったために、その構想は先延ばししなければなりませんでした。

ようやく前著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』で、明治の文学者たちの視点で差別や法制度の問題、「弱肉強食の思想」と「超人思想」などの危険性を描いていた『罪と罰』の現代性に迫りました。さらに、『罪と罰』の人物体系や内容を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書いただけでなく、『夜明け前』では平田篤胤没後の門人となって古代復帰を夢見た主人公の破滅にいたる過程を描いた島崎藤村の作品を分析することにより、明治政府の宗教政策や昭和初期の「復古神道」の問題をも考察することができました。

こうして、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連を論じることのできる地点までようやく来ましたので、次作ではこの問題を正面から論じることにします。

*新刊 『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021年)

そのためにも、徳富蘇峰の「教育改革」論の後で生じた事態を、芥川龍之介の自殺と堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』との関連をとおして考察した箇所を、拙著『ロシアの近代化と若きドストエフスキー 「祖国戦争」からクリミア戦争へ』から、「主な研究」に転載することにより確認することにします。(引用に際してはわかりやすいように、一部改訂を行いました。)

芥川龍之介の自殺と『若き日の詩人たちの肖像』――『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』終章より

「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」(『黒澤明研究会会誌』46号)

黒澤明研究会の50周年を記念した『黒澤明研究会会誌』46号が届いた。黒澤映画の上映会や、黒澤映画を支えたスタッフや俳優へのインタビューを行って、『黒澤明 夢のあしあと』(共同通信社MOOK)や『黒澤明を語る人々』(朝日ソノラマ)なども刊行してきた研究会の50年振り返る座談会なども掲載されている。

週刊誌とほぼ同じ大きさのB5版のサイズで269頁の大部で関係者の思いがこもる『会誌』となっているが、特記すべきは黒澤映画関係者との貴重な写真が豊富に掲載されているばかりか、黒澤監督手書きのクリスマス・カードの絵も載せられていることである。

『デルス・ウザーラ』関係の写真はないが、ロシア文学とも深いかかわりを持つ黒澤監督を記念したこの号は、多くの黒澤映画のファンにとっても興味深い記念号となっている。

私自身は拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011)の発行をきっかけに入会した時のいきさつとその後の会での活動と私のドストエフスキー論とのかかわりについて振り返った「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」を投稿した。

ただ、ドストエフスキーの愛読者を自称するプーチン大統領がウクライナ侵攻を行ったことで、ロシアだけでなくドストエフスキー文学の信頼が大きく揺らいでいる。それゆえ、そこではまず私がドストエフスキー論に本格的に取り組むきっかけとなったソ連崩壊後のスーパーインフレやエリツィン大統領の独裁的な手法の問題などロシア危機を踏まえて書いた『「罪と罰」を読む―「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、1996)についてふれた。

その後で、研究会の活動を踏まえて上梓した『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社、2014)の内容を下記の拙著の帯の文章を引用して紹介した。

 【なぜ映画“夢”は、フクシマの悲劇を予告しえたのか。一九五六年一二月、黒澤明と小林秀雄は対談を行ったが、残念ながらその記事が掲載されなかった。共にドストエフスキーにこだわり続けた両雄の思考遍歴をたどり、その時代背景を探る。】

ドストエフスキーの生誕200年にあたる2021年には『会誌』での発表を踏まえて『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社)を上梓した。その序章では堀田の長編小説『祖国喪失』の終わり近くには滝川事件をモデルとして教授の娘の恋愛と苦悩、そして新たな出発を描いた黒澤映画『わが青春に悔なし』の「広告が真直に眼に沁みた」と書かれ、「もしほんとうに悔のない世代が既に動いているものなら、(……)全体的滅亡の不幸の底に、未来への歴史の胚子が既に宿っているのかもしれぬ」という主人公の感想も描かれていることを指摘した。

 最後に黒澤明監督を敬愛し、彼の脚本を元にした映画『暴走機関車』(1985)を撮ったロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキー監督の言葉を紹介して締めくくった。

なお、「黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年」の全文は、「主な研究」に拙著の書影も加えて再掲した。黒澤明研究会五〇周年とドストエフスキー生誕二〇〇年

 (2023/02/02、改訂と改題)

戦前のベルグソン論の再考と長編小説『橋上幻像』論の構想

はじめに

前回のブログに記したように、キリーロフの人神論とイワンの叙事詩「地質学的変動」の問題を考察することによって、「神の観念の破壊」が人肉嗜食と結びつくことはないことを明らかにした熊谷論文から私は強い知的刺激を受けた。

それは『罪と罰』についての言及もある大岡昇平の『野火』や武田泰淳の『ひかりごけ』を踏まえて、ニューギニア戦線における人肉食の問題も描かれている堀田善衞の三部作『橋上幻像』(1970)の考察を始めているためでもあるだろう。

一方、「地質学的変動」についての言及は参加者にベルグソンへの関心も呼び起こした。ただ、ウクライナ戦争が現在も続く「戦争の時代」に入っていることに留意するなら、1913年から1914年をピークとする日本の「ベルグソン・ブーム」と戦争との関りも視野に入れて考察する必要があると思える。

それゆえ、ここではベルグソン哲学の受容の流れを振り返った後で(拙著『堀田善衞とドストエフスキー』群像社、2021年、30-31頁、161-162頁参照)、長編小説『橋上幻像』論の構想を簡単に記すことにしたい。

戦前のベルグソン論の再考

まず、注目したいのは、1951年に書かれた『野火』の第19節「塩」でドストエフスキーの『罪と罰』の描写に言及し、第21節「同胞」では「俺達はニューギニヤじゃ人肉まで食って、苦労して来た兵隊だ」と語る脱落兵たちと主人公が出会う場面を描いた大岡昇平が、 第14節「降路」ではベルグソン哲学についてこう記していることである 。

「この発見はこの時私にとってあまり愉快ではなかった。私はかねてベルグソンの明快な哲学に反感を持っていた。例えばこの『贋の追想』の説明は、前進する生命の仮定に立っているが、私は果して常に前進しているだろうか。時として繰り返し後退しはしないだろうか。絶えず増大して進む生命という仮定は、いかにも近代人の自尊心に媚びる観念であるが、私はすべて自分に媚びるものを警戒することにしている。」

この時、大岡は追い詰められた兵士の視点から、「戦争」の遂行と結びついて利用されたベルクソンの「理知主義打破」の哲学の問題点を鋭く指摘していた。

実際、第一次世界大戦がはじまった1914年に評伝『ベルグソン』を書き、この哲学者を「直観の世界」、「溌剌たる生命の世界」の発見者と紹介した評論家の中津臨川は、評論「ベルグソンの戦争及び現代文明観」(1916年)では、「ベルグソンの戦争観を紹介しつつ、〈戦争〉を一つの生命現象として認識する視点」を提示していた。

同じように戦争を一つの「生命現象」と見て、人間の内なる「生命の波動」により「現状打破の運動」が「地殻変動のように起こっている」とした歌人の三井甲之(こうし)も、1914年9月に書いた評論では、「『欧州動乱』を『文化史的見地』から、『理知』に対する『精神の戦い』と意味づけ」、ベルクソンの「理知主義打破」哲学は、「戦争の時代にこそ意義を持つ」と主張した(太字は引用者。中山弘明『第一次大戦の“影”――世界戦争と日本文学』新曜社、2012年、26-27頁、72-76頁、222-223頁)。

三井甲之が右翼思想家の蓑田胸喜(むねき)などと「原理日本社」を結成したのは1925年のことであったが、社会ダーウィニズムの理論を援用して「この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である、と感ずる」と記したヒトラーの『わが闘争』の第一部がドイツで出版されたのも同じ年であった

「『今の一瞬に久遠(くおん)の生命を生きる』という事が日本精神」であるとして「爆弾三勇士」を礼賛し、「殺人は普通悪い」と考えられているが、「戦争に出て敵兵を殲滅するのは善である」と『生命の實相』で説いて、軍人などにも強い影響力をもった谷口雅春の「生長の家」が創始されたのは1930年のことであった。

「生長の家」の教祖・谷口雅春はベルクソンに言及しながら「生命の実相(ほんとうのすがた)は動であって静ではないという事が判って来るのであります」と記していた(谷口雅春『古事記と日本国の世界的使命――甦る『生命の實相』神道篇』光明出版社、2008年)。

一方、『野火』の 第14節「降路」でベルグソン哲学への批判を記した大岡は、 第37節「狂人日記」ではこう記したのである。「この田舎にも朝夕配られてくる新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び欺(だま)されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇(あ)ったような目に遇うほかはあるまい。」

堀田善衞の『囚われて』(1954)では元憲兵だった主人公の父親が「生長の家」のもじりと思われる“成長の家”の“聖書”にピストルを隠していたと記されているが、「盾の会」を結成した後で三島由紀夫は、「生長の家」の教祖・谷口雅春の思想に魅せられるようになり、分派の「生長の家本流運動」は谷口雅春の思想を絶対視して戦前の価値観への復帰を目指す「改憲」運動を推し進めている。

そのことに、注目するならば、堀田は短編『囚われて』において「生長の家」を示唆することで、戦前と戦後の価値観の同質性に鋭く迫っていたといえるだろう。

ドストエフスキー論との関連で問題なのは、「ヒットラーと悪魔」を発表した翌年の1961年に国粋派の論客・小田村寅二郎からの依頼に応えて国民文化研究会で「現代思想について」と題した講演を行った小林秀雄が、その後の学生との対話でベルクソンの意義を再評価したあとで、こう語っていたことである。

 「凡人が、自分は死んでもこのほうが正しいと思うと、人を殺すね。僕はそういうことを考えたこともある。正しくないやつを殺さなきゃならんでしょう。」(『学生との対話』新潮社、2014年、86頁)

『橋上幻像』論の構想について

短編『審判』(1947)で原爆の問題に関連して『黙示録』にも言及していた武田泰淳は、1954年に描いた『ひかりごけ』では、「大岡昇平氏の『野火』に於(おい)ても、主人公たる飢えた一兵士は、仲間から与えられた人肉(日本兵の肉)を口までは入れますが、ついに咽喉(のど)より下へは呑み下すことをしないのです」とし、「殺人の方は二十世紀の今日、きわめて平凡で、よく見うけられるが、人肉喰いの方はほとんど地球上から消滅しつつある」と記している。

三島由紀夫も1955年9月に「雲の会」の同人でもあった加藤道夫の追悼文「加藤道夫氏のこと」を発表し、その冒頭で「加藤氏は戦争に殺された人であったと思ふ。その死は戦後八年目であつたけれど、ニューギニアにおける栄養失調、そこからもちかへつたマラリア、戦後の貧窮、肋膜炎、肺患、かういふものが悉く因をなして、彼を死へみちびいた」と書き、「もしもう少し生きのびて、この状態を克服し、客観視する時が来たならば、この夢想家は、戦争と死のおそるべきドラマを書いたであらう」とも記していた。

さらに三島は、加藤が学生時代に書き上げていた遺書ともいえるような戯曲「なよたけ」が上演されなかったことにふれて「彼の生前にこれを上演しなかった劇団というところは、残酷なところだ」と記し、「かくてこの人肉嗜食(ししょく)の末世は、一人の心美しい詩人を、喰べてしまったのである」と結んでいた[

戦後間もない時期に発表されたこれらの作品や追悼文で人肉食のことが記されているのは、当時はまだ悲惨な体験を多くの日本兵が記憶していたためだと思える。

しかし、その記憶はすぐに消え去るようなものではなく、大岡昇平はその問題を1967年から1969年にかけて『中央公論』に連載した『レイテ戦記』でさらに深く掘り下げている。

『豊饒の海』の第2巻『奔馬』では「血盟団」事件をモデルとして美意識による暗殺を描いた三島由紀夫も、第3巻『暁の寺』(新潮社、1970)では美的な視点から「性の千年王国」を夢見るドイツ文学者・今西が語る「人肉嗜好」の物語を組みこんでいた(173-180頁)。

さらに、「今西はどんな些末な現象にも、世界崩壊の兆候を嗅ぎ当てた」とも記されているが(252頁)、その感覚は三島自身のものとも重なり、三島は原爆投下のニュースを知ったときの衝撃について、「世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある」と「民族的憤激を思ひ起せ-私の中のヒロシマ」において記しているのである(447)。 つまり、三島由紀夫の作品にも『黙示録』的な終末観が深く関わっていたのだ 。

一方、堀田善衞が1953年末に自殺した友人で劇作家の加藤道夫をモデルとした長編小説『橋上幻像』の第1部を書いたのはようやく1970年のことであった。しかし、昭和初期の暗い時代における友人たちとの交友を描いた長編小説『若き日の詩人たちの肖像』(1968)で加藤道夫についても触れていた堀田は、その翌年に出版した美術紀行『美しきもの見し人は』では、『ヨハネの黙示録』にふれつつ、戦争の悲惨さにも言及していた。

そのことを想起するならば、堀田がニューギニア戦線で「地獄」を体験した加藤道夫をモデルとした小説を長く書かなかったことは、このテーマの重さを物語っているだろう。

 (2023/02/24、加筆と改題、2023/03/08、改訂)