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はじめに 世界の終わりに向き合う文学

(近著『黙示録の世界観と対峙する――ドストエフスキーと日本の文学』群像社より )

*ウクライナとガザ――ふたつの戦争と黙示録

 2021年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美したプーチン大統領は、その翌年の2月にウクライナ侵攻に踏み切った。

 この戦争がドストエフスキー研究者にとって深刻なのは、ナチス・ドイツの占領下にあったパリで研究を続けて『悪霊』における黙示録の重要性を明らかにしたモチューリスキーが「(ドストエフスキーは)世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と『評伝ドストエフスキー』で記していたからである。

 2020年には大統領経験者とその家族に対する不逮捕特権を認める法律を成立させて独裁を強めていたプーチン大統領による武力侵攻は厳しく批判されるべきである。ただ、比較文明論的な視点から見るとき、旧約聖書の預言に依拠して「パレスチナの土地は全てイスラエルのものだ」とするシオニズム的政策を進めるイスラエル政権が、大規模なテロに対する報復としてジェノサイドと批判される大規模な空爆と地上での攻撃を行ったことからはより複雑な深層が見えて来る。

 なぜならば、思想史の研究者・加藤喜之は黙示録だけでなく旧約聖書の預言も重視している米国の福音派教会牧師のジョン・ハギーがロシアなどとの世界最終戦争によって福音派の信徒は救済されると考えていると論考「福音派のキリスト教シオニズムと迫り来る世界の終わり」で指摘しているからである。

 しかも、2024年の長崎での平和式典にロシアだけでなく、イスラエルの代表も呼ばないことを市長が表明するとG7各国の大使が不参加を表明したことで、西欧諸国のイスラエル政権に対する庇護政策と核兵器の抑止論に依存する軍事組織NATOの問題をも浮かび上がらせた。

 過去にさかのぼると、1095年に行われた第一回十字軍の派兵に際してローマ教皇は黙示録の解釈によって、遠征に参加する者には「これまでに彼が犯した罪について罰を一時的に赦免」していた。こうして、他宗教や異端派への十字軍の派遣をも正当化した十字軍の派兵は、イスラム教徒だけでなくユダヤ人大虐殺とエルサレムの富の略奪を招いた。

 同じような殺戮はそれ以降も繰り返され、ことに第四回十字軍はギリシャ正教を国教とする東ローマ帝国の滅亡につながっており、それが西欧諸国の政策に対する根強い不信感の原因ともなっている。こうして、ウクライナ危機とガザ危機は黙示録の終末論を媒介として根深いところでつながっている。

*侵略する「神の国」――キリスト教シオニズムと八紘一宇

 第3章で見るように、日本における『悪霊』の最初の翻訳は第一次世界大戦が勃発した翌年に出版されたが、大戦末期にイギリス外相バルフォアが大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めたことで、「イスラエルはこの世に作られた神の王国」であるという預言説を「自分たちの信仰の核」に据えたキリスト教シオニズムがイギリスやアメリカで盛り上がった。

 日本でも1918年から翌年にかけて内村鑑三とともにキリストの再臨運動を行い、1930年代になると「原理主義的な聖書解釈と日本のナショナリズムと」を結び付けていた中田重治も、ユダヤ人のパレスチナへの入植から強い刺激を受けて満州事変が起こると「関東軍に同調する立場をあきらかにして」こう述べた。

 「日本は黙示録7章2節にある日出国の天使である。世界の平和を乱す事のみをして居る四人の天使(欧州四大民族)から離れて宜しく神よりの平和の使命を全うする為に突進すべきである。」

  一方、関東軍参謀の石原莞爾は国柱会を興した日蓮宗の田中智學が世界統一の原理として1903年に用いた「八紘一宇」という理念に惹かれて1931年に満州事変を起こした。この理念は『日本書紀』に記された全世界を一つの家のようにするという「八紘為宇」というという用語を元にしており、1940年に近衛内閣が基本国策要綱で「八紘一宇」を用いたことで政治スローガンになった。

 思想史研究者の林尚之は石原において「戦時下は道義的世界統一=『八紘一宇』成就にむけて切迫した予言の時空として」把握されたと指摘している。この説明は黙示録と「八紘一宇」の世界観との類似性をも物語っていると思えるので、第3章で詳しく検討することにする。

 作家の埴谷雄高は「吾国の社会状勢に見あってのこと」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と記したが、『悪霊』の登場人物で元農奴のシャートフは黙示録の「再臨のキリスト」論の独自な解釈をとおしてロシア・メシヤ思想を主張している。

 その頃に強い影響力を持ったのは小林秀雄の『悪霊』論や『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」への言及であるが、ドストエフスキー作品を愛読していた堀田善衞は自伝的な長編『若き日の詩人たちの肖像』(1968)で、昭和初期の『悪霊』の受容だけでなく「再臨のキリスト」の問題にも鋭く迫った。

 「大審問官」とは歴史学用語の異端審問長官のことで(杉里直人、第4章参照)、スペインでは王権の主導のもとで異端審問が行われ、1481年から1498年だけでも火刑による犠牲者は九千人近くににのぼり、イワンはこのような場に再臨したキリストと異端審問長官との対決を描いたのである。

 埴谷の影響を色濃く受けるとともに、弾圧されたロシアの分離派をテーマとしたドストエフスキー作品を評価した高橋和巳は『邪宗門』(1966)で大本(おおもと)などをモデルに激しい宗教弾圧を受けた「ひのもと救霊会」の受難とその分派「皇国救世軍」との対立を描いた。『堕落』(1965)では満州国の建国に関わっていた主人公をとおして「八紘一宇」の理念が戦後の日本にも受け継がれていることを明らかにした。

 さらに、『死の家の記録』の描写力と『罪と罰』の手法で描いた『日本の悪霊』で高橋は、ネチャーエフ的な組織と日本のテロリズムの関係を分析しただけでなく、警察や検察庁に残る戦前的な価値観の問題をも暴き出している。

*「大審問官」としての原爆と核戦争の危機

 学生の時に原爆投下のニュースを知ったときの衝撃を三島由紀夫は「世界の終りだ、と思つた。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある」と書いた。長編『美しい星』(1962)で三島は、地球を救おうとする家族と核戦争による「人類全体の安楽死」を目指したグループとの対決をSF的な手法で描いた。

 危機の時代を直視したドストエフスキー文学を高く評価して「原子爆弾は現代の大審問官であるかもしれない」と記した堀田善衞は、『審判』(1963)では広島の原爆投下にかかわったパイロットと長崎で被爆した日本画家の深い苦悩をとおして、核兵器がもたらす悲惨さを描き出した。

 ベトナム戦争が激化するとアメリカでは反戦運動が拡がり、映画『地獄の黙示録』(1979)も公開されたが、それに対抗する形で「世界が終末を迎えるとき、エルサレムの地にキリストが再来する」としてイスラエルの意義を強調するキリスト教シオニズムも広まった。

 黙示録の解釈により文鮮明を「再臨のメシア」とした韓国の統一教会も、ベトナム戦争への批判が強まった頃にはエバ国家と規定した日本だけでなくアメリカでの布教活動も活発に行い、1966年に出版した教理解説書『原理講論』では「(サタン側と天の側に)分立された二つの世界を統一するための(……)第三次世界大戦は必ずなければならない」と説いている。

 黙示録に見られる「神と悪魔の最後の闘い」という二項対立的な見方を重視するとき、今も続くウクライナとガザの二つの戦争は核兵器の使用も含む第三次世界大戦へと至る危険性もはらんでいる。

 本年に入って日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞という嬉しいニュースが入って来たが、それは岸政権以降、「核の傘」に依存してきた被爆国日本でも声高に唱えられ始めた「核共有」という思想が「人類の滅亡」に導くという強い危機感をノーベル賞の選考委員会も持ったことを意味していると思える。

*グローバリズムの圧力とナショナリズムの高揚――英雄賛美と軍拡の復活

 ソ連崩壊後にはグローバリズムの強い圧力に対抗して世界の各国でナショナリズムが野火のように広がり、ドストエフスキーが『罪と罰』で「非凡人の理論」の危険性をとおして批判したような軍事力を重視する強権的な指導者を英雄化する傾向が強まった。

 「戦争と革命」の世紀が終わりを告げた2001年には、もう核戦争の危険はないとも思えたが、9月11日には同時多発テロが起きた。テロに対する「報復の権利」を主張してアフガニスタンのタリバン政権を壊滅させたブッシュ政権が、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と見なして2003年にイギリスなどの有志国とともに大規模なイラク侵攻を行ったが、目的の「大量破壊兵器」は見つからなかった。

 アメリカでも「米国第一主義」を掲げて福音派からも強い支援を受けた富豪のトランプ氏は大統領に当選すると米国大使館のエルサレムへの移転を強行し、2019年には「旧ソ連との間で結んだ INF(中距離核戦力)全廃条約からの一方的離脱を通告」して宇宙軍を発足させた。

 日本でも「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げてナショナリズム的な価値観を主張して歴史や文学など人文科学を抑圧した安倍元首相は、統一教会などにも支えられた第二次政権では集団的自衛権の行使を可能とした安全保障法制などを強行成立させて、日本を平和国家から軍事力を重視する軍事大国へと変貌を遂げさせた。

 その一方で、グローバリズムは富の一極化と格差の増大を招き、さらに匿名での発信が可能となったSNSの登場によって、実像とは異なる虚像やデマが事実として伝えられることや、ドストエフスキーが『白痴』で描いたような女性にたいする罵詈や中傷、さらにはセクハラやマイノリティーに対する差別なども強まったように見える。

  こうして世界中で緊張感が高まっており、2022年7月に安倍元首相が散弾銃で殺害された事件のあとでは統一教会と自民党や維新などとの強いつながりが批判された。しかし、男尊女卑的な価値観を説くとともに世界大戦の必然性と軍備拡大のための増税を説く旧統一教会との結びつきは続き、戦前的な価値観を主張する極右的な政党も力を伸ばした。隣国の韓国では市民の協力と国会議員の素早い対応で6時間後に撤回されたものの12月3日に戒厳令が宣布された。

*本書の構成

 ドストエフスキーは西欧文学に強い関心を持ちそれらからも手法を学ぶとともに、比較文明学の創始者の一人とも言われるダニレフスキーの比較文明論にも通じる広い視野を持ち、時事的な情報も積極的に取り込んで政治と宗教との関りを描いた。本書でもそのようなドストエフスキーの方法を重視して彼の作品と日本の文学における黙示録の問題を考察する。

 第1章ではロシアにおける分離派の誕生からクリミア戦争後に書かれた『罪と罰』や『白痴』における黙示録への言及の意味を分析する。それとともにドストエフスキーが若い頃に傾倒したフーリエ思想と作品との関りや彼が強く批判したマルサスの『人口論』についても「自然の法則」という用語や社会ダーウィニズムとの関連で分析する。

 第2章では黙示録に引き付けた『悪霊』解釈の問題を考察する。それによりドストエフスキーが黙示録を重視しつつも、その解釈が虐げられた人々の怨念を増幅して武力による権力の獲得も正当化するような危険性を秘めていることも示唆していたことを確認する。

 第3章では黙示録と「八紘一宇」の理念とのかかわりなどに注目しながら昭和初期の『悪霊』受容と「再臨のキリスト」の問題を少年の頃から聖書に親しむとともにドストエフスキー文学を愛読していた堀田善衞の長編『夜の森』や『若き日の……』などをとおして考察し、高橋和巳の『邪宗門』をドストエフスキー的な視点から読み解く。

 第4章では堀田善衛の『審判』だけでなく高橋和巳の三島由紀夫作品の考察も視野に入れて考察する。その作業をとおして、日本に投下された二発の原爆以降の世界大戦はそれまでの戦争とは全く様相が異なり、地球は放射能に汚染されて生き残った人々も被爆の後遺症に苦しむ地獄のような世界となることを明らかにする。

 第5章では『橋上幻想』でカルト的国家の危険性を描いた堀田が『路上の人』で旧約聖書の預言の問題をも踏まえて、黙示録的なキリスト像の危険性に迫っていることを『薔薇の名前』との比較などをとおして考察する。

 1985年に共産党書記長になったゴルバチョフ・共産党書記長は、新思考外交を打ち出して泥沼化していたアフガニスタンからの撤退を決めたが、その翌年に「苦よもぎ」という意味を持つ「チェルノブイリ」で原発事故が起きたことで、黙示録の記述との類似が指摘されて原発事故は「神の罰」であるという解釈が広がりソ連の崩壊にもつながった。

 疫病が蔓延する中での宗教戦争を描いた『ミシェル――城館の人』が「文明の衝突」が声高に唱えられるようになるソ連崩壊の現代の様相を先取りしていることを確認する。

 さらに、他者の冷酷な殺戮者としての「大審問官」に注目したドストエフスキー文学を深く分析し、「大審問官」としての核兵器の問題を直視した日本の文学を読み解く。そのことにより世界の終末に向かって歩んでいるようにも見える世界の危機を克服する方法を、埴谷雄高を尊敬していた高橋和巳の文学や埴谷も入っていた「あさっての会」の会員でもあった堀田善衞の文学などが示唆していることを明らかにしたい。

  (本稿では敬称を略すとともに、「はじめに」では注も省いた。2024年12月。初出、「堀田善衞の会」通信『海龍』第21号、2025年1月発行)

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(2024/11/25、12/01、 加筆)

世界の終末を防ぐために

目次 *ウクライナ危機とガザ危機――黙示録とのかかわりで *キリスト教シオニズムと満州国の建国――『悪霊』の受容の背景 *「大審問官」としての原爆と核戦争の危機の克服

*ウクライナ危機とガザ危機――黙示録とのかかわりで  

 2021年のドストエフスキーの生誕二百年に際して作家を「天才的な思想家だ」と賛美したプーチン大統領は、その翌年の2月にウクライナ侵攻に踏み切った。核戦争に至る危険性もはらみながら武力による攻撃を行い続けていることは世界を恐怖に陥れている。

 この戦争がドストエフスキー研究者にとって深刻なのは、ナチス・ドイツの占領下にあったパリで研究を続けて『悪霊』における『ヨハネの黙示録』(以下、黙示録と略す)の重要性を明らかにしたモチューリスキーが「(ドストエフスキーは)世界史を、ヨハネの黙示録に照らしあわせ、神と悪魔の最後の闘いのイメージで見、ロシアの宗教的使命を熱狂的に信じていた」と『評伝ドストエフスキー』で記していたからである。

 2020年には大統領経験者とその家族に対する不逮捕特権を認める法律を成立させて独裁を強めていたプーチン大統領による武力侵攻は厳しく批判されるべきである。  ただ、比較文明論的な視点から見るとき、2023年の10月にハマスによる大規模なテロに対してイスラエル政権が報復としてジェノサイドと批判されるような大規模な空爆と地上での攻撃を行い、ハマスの最高幹部をイランで暗殺したことからはより複雑な深層が見えて来る。

 思想史の研究者・加藤喜之は論考「福音派のキリスト教シオニズムと迫り来る世界の終わり」で、黙示録だけでなく旧約聖書の預言も重視している米国の福音派教会牧師のジョン・ハギーが、創世記12章に記されている言葉を根拠に「パレスチナの土地は全てイスラエルのものだ」と主張しているだけでなく、ロシアなどとのハルマゲドンによって福音派の信徒は救済されると考えていることに注意を促している。

 仮にホロコーストの被害の歴史からネタニヤフが自国を包囲しているイスラム教の国々に過剰な恐怖を抱いたとしても不思議ではないというのならば、百万近い餓死者を出したレニングラード包囲戦で自分の兄を亡くしていたプーチンが、NATOに包囲されることに過剰な恐怖を抱いても不思議ではない。ウクライナ危機とガザ危機は黙示録の終末論を媒介として根深いところでつながっているように見える。

*キリスト教シオニズムと満州国の建国――『悪霊』の受容の背景

 第1次大戦末期にイギリス外相バルフォアが大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めたことでキリスト教シオニズムが盛り上がった。  たとえば、1918年から翌年にかけて内村鑑三とともに再臨運動を行っていた中田重治は、1930年代になると「原理主義的な聖書解釈と日本のナショナリズムとを結び付け」、満州事変が起こると「関東軍に同調する立場をあきらかにして」、「日本は黙示録7章2節にある日出国の天使である。世界の平和を乱す事のみをして居る4人の天使(欧州4大民族)から離れて宜しく神よりの平和の使命を全うする為に突進すべきである」と述べた。

 『悪霊』のシャートフは黙示録の「再臨のキリスト」論の独自な解釈をとおしてロシア・メシヤ思想を主張しているが、日本におけるドストエフスキー作品の受容を概観した埴谷雄高は、「吾国の社会状勢に見あってのことと思いますが」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と「『偉大なる憤怒の書』の訳本」に記した。

 埴谷の影響を色濃く受けた高橋和巳は『邪宗門』で大本(おおもと)などをモデルに激しい宗教弾圧を受けた「ひのもと救霊会」の受難とその分派「皇国救世軍」との対立を描いた。『堕落』では満州国の建国に関わっていた主人公をとおして満州国の理念が戦後の日本にも受け継がれていることを明らかにした。

*「大審問官」としての原爆と核戦争の危機の克服

 2022年7月に安倍元首相が散弾銃で殺害された事件のあとでは、黙示録の解釈により文鮮明を「再臨のメシア」とし、「(サタン側と天の側に)分立された2つの世界を統一するための(……)第3次世界大戦は必ずなければならない」と『原理講論』で説いている統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党や維新などとの強いつながりや公共空間の危機が明らかになった。

 イスラエルが引き起こした「天井のない監獄」と呼ばれるようなガザの状態やヨルダン西域での入植地の拡大などは国際的な批判を浴びているが、長崎での平和式典にイスラエルの代表を呼ばないことを市長が表明するとアメリカなどG7各国の大使が不参加を表明したことは、今も核兵器の抑止論に依存するNATO諸国の二重基準をも浮かび上がらせた。

 こうして、黙示録に見られる「神と悪魔の最後の闘い」という2項対立的な見方を重視するとき、ウクライナ戦争とガザ危機は核兵器の使用も含む第三次世界大戦へと至る危険性もはらんでいる。

 一方、危機の時代を直視したドストエフスキー文学を高く評価して「原子爆弾は現代の大審問官であるかもしれない」と記した堀田善衞は、『若き日の詩人たちの肖像』では昭和初期の『悪霊』の受容の問題に鋭く迫り、『審判』では原爆投下にかかわったパイロットの深い苦悩を描いた。

 私自身は宗教学者ではないので黙示録は難しいテーマであるが、いつかはきちんと考察をまとめなければならないと考えていた。ドストエフスキーは時事的な情報も積極的に取り込んで宗教や政治の問題を描いた。  本書でも政治的な問題をも取り込みながら比較文学と比較文明論の手法でドストエフスキーの作品とその受容を考察する。

 すなわち、第一章では『罪と罰』や『白痴』における黙示録への言及を検証し、第二章では黙示録に引き付けた『悪霊』解釈の問題を考察する。第三章では黙示録と「八紘一宇」の理念とのかかわりなどに注目しながら昭和初期の『悪霊』の受容の問題を考える。第四章では高橋和巳の三島由紀夫作品の考察も視野に入れて、『日本の悪霊』に至る日本文学の流れを分析する。

 第五章では『橋上幻想』でカルト的国家の危険性を描いた堀田が、『路上の人』では黙示録だけでなく旧約聖書の預言の問題を踏まえて、物語詩「大審問官」における福音書的なキリスト像の意義に迫っていることを確認する。これらの作業を通して黙示録的な終末観の危険性を見据えた日本文学の意義を明らかにしたい。 (本稿では敬称を略すとともに、注も省いた。2024年9月24日)

ウクライナ危機とガザ危機――黙示録とのかかわりで

キリスト教シオニズムと満州国の建国――『悪霊』の受容の背景

「大審問官」としての原爆と核戦争の危機の克服

本書の構成

「黙示録の解釈と核戦争の危機」を主な「主な研究」に掲載

 執筆中の『黙示録の終末観との対峙――ドストエフスキーと日本の文学』の「はじめに」は、全部を脱稿した後にホームページなどでアップしたいと考えていました。しかし、長崎市長が八月九日の平和式典にイスラエルの代表を呼ばないことが判明すると、原爆を投下したアメリカだけでなくイギリスなどG7各国の大使が不参加を表明しました。

 このことは英米などが核兵器禁止条約に参加していない状況とガザ危機におけるキリスト教シオニズムとの深いつながりをも鮮明に浮かび上がらせたと思います。

 さらに、宮崎県沖の大きな地震に続いて、南海トラフ地震の起きる可能性も指摘された中で、日本の原発政策が変わらないのには強い不信の念を抱きますが、おそらく、これも日本政府の核エネルギーに対する危機感の弱さからくる核兵器禁止条約への不参加の問題と直結しているためだろうと思います。

 それゆえ、脱稿した後で少し改訂するようにして、取りあえず「黙示録の解釈と核戦争の危機」を「主な研究」に掲載します。

 その構成は下記の通りです。

*ウクライナ侵攻とドストエフスキーの『悪霊』/*キリスト教シオニズムと「八紘一宇」の理念/*ガザ危機と黙示録的終末観の克服

夭逝した作家・高橋和巳のドストエフスキー観―『悪霊』論を中心に

はじめに

太平洋戦争末期にウォルインスキーの『偉大なる憤怒の書――「悪霊」の研究』を翻訳した埴谷雄高(一九〇九~九七)は、戦後に日本におけるドストエフスキー作品の評価の変化を概観して、「吾国の社会状勢に見あってのことと思いますが」としながら、昭和初期の日本では「ドストエフスキイの最高作品は『悪霊』だということにまでなった」と記していた(「『偉大なる憤怒の書』の訳本」)。

しかも、大江健三郎との対談では埴谷は「(ナスターシヤ・フィリッポヴナは)物心つかないうちに妾にされた。これがある意味でナスターシヤのニヒリズムの条件であって、ナスターシヤが成長し、優れた素質を発揮するのは、そういうことを自覚してはじめて行なわれるようになる」と語っている(「革命と死と文学」)。そのことに留意するならば、先の埴谷の言葉は昭和初期の日本における『白痴』から『悪霊』への流れをよく把握していると思える。

一方、一九四五年の大阪空襲で焼け出されるという体験をしていた高橋和巳(一九三一~七一)は、日本が混沌としていた一九四九年七月に新制京都大学文学部の第一期生として入学し、同人雑誌を刊行した頃について『あのころのこと』でこう記している。「私達の会は『京大作家集団』という倨傲な名称をなのり、同人雑誌を作るのが第一目的で、三十五人ぐらい集まりました。朝鮮戦争がおこるまでガリ版で、五号まで出した。」

そして、「雑誌を出しながら、同時に研究をしようと、ドストエフスキー、次にバルザック、チェーホフと三年間ぐらい」続けたと記した高橋は、「日本のドストエフスキー関係の文献の中では、埴谷雄高氏のが一番いいと思います」と続けていた(一二・二三八~九、以下、本文中のかっこ内の漢数字は、『高橋和巳全集』〔河出書房新社、一九七七~八〇年〕の巻数と頁数を表す。なお、表記は現代表記に改めた)。

本稿では高橋の作品をとおして一九六九年に『日本の悪霊』を上梓するにいたる彼のドストエフスキー観に迫りたい。

一、高橋和巳のドストエフスキー観

大阪のスラム街・釜ヶ崎に隣接した地区で育ち、貧民街の様子とそこでの苦しい生活を『貧者の舞い』などの短編や後述する長編『憂鬱なる党派』で描いた高橋和巳は、「日本の場合は、『貧しい人々』の作者が同時に『悪霊』の作者(……)でもあることはまれだった」(一三・一八七)と書いて日本のドストエフスキー受容の問題を指摘している。

国家から弾圧された分離派に対する関心を強く持っていたドストエフスキーは、シベリア流刑後に自分の体験を踏まえて記した『死の家の記録』では分離派の敬虔な老人を描き、それ以降の大作でも分離派の問題を描いた。このようなテーマを受け継いだ高橋和巳は長編『邪宗門』(一九六六)で女性を開祖とする「ひのもと救霊会」に飢餓状態だったところを救われて育てられた孤児の千葉潔を主人公として黙示録的な終末観を持ち「世なおし」を唱えたために国家神道の価値観と対立して二度にわたり大弾圧を受けた皇国大本をモデルにして新宗教の問題を描いた。

三部からなるこの大作の第一部では弾圧後に独立して戦争に協力した「生長の家」的な分派「皇国救世軍」との対立を公開討論の形で描き出し、第二部では太平洋戦争が始まり活動が禁じられて苦境に立った教団を救うために「皇国救世軍」の指導者の次男との意に沿わぬ結婚に合意した教主の長女・行徳阿礼の苦悩が記されている。さらに、第三部では行徳阿礼の偽書により三代目の教主となった千葉潔が、占領軍に支配された戦後の日本で「剣を持つ」キリストの理念を説いて武装蜂起し、敗れて餓死するまでが記述されている。

『邪宗門』では五族協和や王道楽土の理念によって建国された満州に派遣された「ひのもと開拓団」の悲劇も描かれているが、満鉄の調査部に勤めて満州の建国にもかかわった青木を主人公とした『堕落――あるいは、内

なる曠野』(一九六五)では、「(戦後に)半ば無意識的に忘却されようとしたもののうち、もっとも重大なものの一つ」である、「幻の帝国――満州国の建国とその崩壊」(一四・四一四)の問題がさらに深く考察されている。

『地下生活者の手記』を転回軸として、ドストエフスキーが「《緻密な観察者》からやがて現実とは考察すべき素材にすぎないと知って《巨大な思索者》に成長していった」(一四・一三五)と捉えた埴谷雄高のドストエフスキー観への共感を示した高橋は、「ひたすら知識人の生き方を追求した」ロシア文学作品として「主人公ラスコリニコフの超人思想による無用者の殺害」(一三・一八六)が考察されている『罪と罰』を挙げた。

一方、一六章からなる長編『憂鬱なる党派』(一九六五)では、すでに『悪霊』のテーマが取り入れられており、第八章では党の厳しい査問の後で自殺した古志原の七回忌に集まるようにとの文面を読んだ青戸が「あの五人組組織でも真似るつもりなのか」(五・二九七)と考えたことが記され、七回忌ではネチャーエフ的組織をめぐる激しい議論が交わされている。

しかも、この長編では韓国系の教団・統一教会が黙示録的な視点から「神の罰」と捉えている被爆も重要なテーマをなしており、被爆しながらも「(僕たちの世代は)不意に恩赦を蒙って、平和になったからといって、観念して目をつむっていた首から縄をはずされても、ムイシュキン公爵のような善人には、誰もなれない」(五・二〇三)と暗い諦念を語っていた主人公の西村が、憤怒に駆られて退職し、五年の歳月をかけて原爆で被爆して亡くなった身近な人々の伝記を書きそれを出版しようとしたことも描かれている。

そして、長編の終わり近くでは元特攻隊員の藤堂が、「蛸壷に身をひそめ、頭上を敵の戦車が通過する瞬間、自爆する方法を教えられていた」同世代の若者たちを思い起こした後でこう考えたと記されている(五・四五二~四五三)。

「一たび死刑台に立たされ、不意に許された苛酷な経験のゆえに、もはや正常な生活者の道を歩めず、無限に寛大な〈白痴〉とならざるをえなかったムイシュキン公爵が、この国には何万、何十万といたはずだった。なぜ彼らは皆、黙っているのか? なぜ激怒して、いまだかつてこの世にない思想を、いかなる前人も思い及ばなかった大哲学を築こうとしなかったのか。」

ムイシュキン公爵自身は原作では死刑台に立たされてはいないので、ここでは黒澤映画『白痴』の主人公像を踏まえて考察されているといえるだろう。なぜならば、次節で見る『日本の悪霊』でも登場人物が酔っ払いだが博愛的な精神を持つ医師が描かれている黒澤映画『酔いどれ天使』のことを熱く語るシーンが描かれているからである。

一九六九年に発表された「内的葛藤の原型」の冒頭で「『カラマーゾフの兄弟』は、私にとっては座右の書というよりは、すでに心の中にはいってしまった作品である」と記した高橋はこう続けて自作との深いかかわりを明らかにしていた。
「激情的なドミートリイ、悪魔的な思索家のイヴァン、無限に善意なアリョーシャ、そしててんかん持ちの私生児スメルジャコフ。同じくロシヤの血をうけ、同じく時代の苦悩を背負い、同じくドストエーフスキイの分身として生命をあたえられ、たがいに愛憎しつつそれぞれの運命からはずれ得ぬ劇の構図は、単に革命前夜のロシヤの時代精神の象徴であるばかりか、いつしか私自身の内部の葛藤の原型ともなった。(……)この上は自らも、日本の現代のカラマーゾフ家の人々をつくりだすより他に救われる道はないかのようである。」(一四・四二八)

二、ドストエフスキー作品と長編『日本の悪霊』

全九章からなる高橋和巳の長編『日本の悪霊』は雑誌『文藝』に一九六六年一月から一九六八年の一〇月まで断続的に掲載された。この長編では八年前に軽い罪で捕らえられた主人公・村瀬と戦時中に特攻を志願して敗戦後は大学に戻らずに警官になっていた刑事・落合との追う者と追われる者の鋭い対決が『罪と罰』を思い起こさせる手法で描かれている。

また、大地主の屋敷を襲う犯罪に加担するように主人公の村瀬が友人の峯をなんとか説得しようとしたが、それを拒否した峯が自殺をするという『悪霊』のテーマと重なる場面もある。

さらに、「私のドストエフスキー」において、『死の家の記録』を「リアリスライク(ママ)な観察から、人周の可能性をそのぎりぎりの境界まで押しのばしてみせる巨大な形而上学的世界への飛翔にいたる、その転換点に位置するものといっていいだろう」(一三・四一五)と評価した高橋は、自作のインタビューでもこの長編を「『日本の悪霊』と称しながら」、「むしろ『死の家の記録』の方に近いようなところがある」(一九・二五六)と認めている。

実際、第二章「牢獄と海」で拘置所での裸にされての身体検査の後で村瀬は、強姦常習犯、暴行犯などが収容されている雑居房に入れられ、麦飯を食べていると彼らが脅すように村瀬のまわりを廻り出した。彼らの挑発に怒って暴力をふるった村瀬はその行為をとがめられ、後ろ手に手錠をかけられて懲罰用の独房に入れられた。

第七章「闇の遺産」では留置場の風呂場でのいざこざが克明に描写され、その後では「生爪をはぐ拷問よりも、四六時中の共同生活こそが地獄である」(九・二六六)という『死の家の記録』の記述を思い起こさせるような監獄制度に対する鋭い批判も記されている。

ただ、前節では『カラマーゾフの兄弟』についての考察に現れているように、ドストエフスキーは家族関係、ことに父親の問題を抉りだした。『罪と罰』では子供の養育を放棄したスヴィドリガイロフの問題を示唆し、『白痴』でも孤児のナスターシヤを性的犯罪により愛人としたトーツキーを「白い手」の紳士と描いたドストエフスキーは、『悪霊』でも理想を語る一方で、息子ピョートルの養育を放棄していたステパン氏の生き方と思想を批判的に描いている。

『悪霊』では黙示録的な雰囲気が作品全体を覆っているためにこの父親と息子の関係は、くっきりとは浮かび上がりにくいが、高橋が長編評論『暗殺の哲学』でたびたび言及しているアルベール・カミュは、長編『ペスト』で黙示録的な終末論を説く神父を厳しく批判していた。劇『悪霊』でもカミュは第一幕の冒頭で語り手とカルタをしているステパン氏の姿を示すことにより、教え子・スタヴローギンの母親の屋敷に居候をしながらカルタに大金を賭け、損金は息子が相続した亡くなった妻の領地を密かに切り売りしてその場をしのいできたステパン氏が、過激な思想を持つようになった息子との腹を割った議論からも逃げていことを浮き彫りにしている。

『悪霊』におけるステパン氏と息子・ピョートルとの父と息子とのそのような関係は、『日本の悪霊』では初めは明らかにされないが、徐々にその関係が犯罪にも結び付いていたことが明らかになる。ようやく、第五章の裁判で生年月日や本籍地について問われた村瀬は、本籍地を隠さなければならなかった『破戒』の主人公の悲劇を思い起こしながら、私生児ゆえに雇用されなかったことや、奉公に出された「妹の住み込み先が、港近くの小料理屋」で、そこが実質的には売春もさせる店であることを知って、「いつかはかならず見返ししてやる」と考えたことなどを思い起こす。

『罪と罰』のソーニャが家族のために娼婦になったように、家父長的な価値観が支配的であったロシア帝国や戦前・戦中の日本では、「国家」のために若者が戦場に駆り出されるように、「家」のために女性が犠牲になることは当然とされていたのである。

第七章で主人公の村瀬には「生れた時からして父が存在しなかった」と記した作者は、生れた子供に狷輔などという名を付けた「その姿を見せぬ父が、郡一番の金持であり大地主であり」、「堀をめぐらした邸に住んでいる」と記して、その父への激しい恨みが村瀬を大地主の殺害に踏み切らせていたことを示唆している。

一方、村瀬たちの指導者で僧侶くずれの鬼頭は、「放っておけばいつまでも無明の世界をさまよう者の悪しき因縁を絶ち、往生させてやるのはむしろ菩薩の行(ぎょう)」(九・二一九)と語っていたように、「一殺多生」を唱えて「血盟団事件」を起こした日蓮宗の信者・井上日召を連想させるような人物である。

この長編では刑事・落合の執拗な追及を受けた村瀬は八年前に犯した自分の犯罪を徐々に克明に思い出していくとともに、自分たちを率いた鬼頭の言動の問題点を認識し、暴力団による暴力事件も調べていた落合も警察と暴力団との癒着に気付いて村瀬たちの事件捜査の不可解さに気づくことになる。

ドストエフスキーは『悪霊』でピョートルがロシアの秘密警察にも通じておりそれがばれると国外に逃亡した社会革命党の暗殺団の指導者で二重スパイだったアゼーフのような人物であったことを描き出していた。高橋も開高健、小田実、真継伸彦、柴田翔と創刊した『人間として』(一九七〇年~七二年)での自作の合評会では鬼頭が「アゼーフにあたる人物」(一九・三六六)であることを認めて、この事件にはより大きな闇が秘められていることを示唆しているのである。

おわりに

三島事件の一年後に若くして病死したこともあり、高橋への関心は弱まったように見えたが、黙示録のハルマゲドンを強調したオウム真理教によるサリン事件などが起き、右派による「改憲」が叫ばれるようになると『憂鬱なる党派』や『邪宗門』などの高橋作品への関心が再び高まってきた

たとえば、「生長の家」の学生組織の元書記長で一九六九年には右派学生の全国組織の委員長になったが解任された鈴木邦男は、「挫折につぐ挫折で、『生きている意味があるのか』と何度も思った」が、「そのたびに、『生きていていいんだよと』となぐさめてくれたのが高橋(注:高橋の文学)だったと思う」と記している。

そして、「生長の家原理主義者」たちが「『日本会議』の中心メンバー」になって改憲運動をしていることを、「冗談じゃない。三島は勿論、高橋だって、この問題には強く反対するだろう」と厳しく批判している(アンソロジー『高橋和巳 世界とたたかった文学』二〇一七年)。

実際、黙示録的な終末観を持つ統一教会と右派的な政治勢力の癒着の問題などが明らかになってきた。「苦悩教」の教祖とも称される高橋和巳の多くの作品は悲劇的な終わり方をしている。しかし、高橋作品では問題の解決はできていないものの、ドストエフスキー的な手法で問題の所在は明らかにしていた。

しかも、高橋は『罪と罰』の人物体系を分析して「ラスコリニコフを見舞う親友ラズーミヒンがあり、事件や状況の全体は絶望的であっても、ソーニャと主人公の関係のありかたが、ある救いの感情をともなう情緒を読者につたえる」(一三・一二六)と記していた。

高橋が大病から癒えていたら彼が望んだ『カラマーゾフの兄弟』的な作品を書き得ていたと思えるが、残された作品にもそのような可能性の端緒は感じられる。今後、高橋和巳の研究が深まることを期待したい。

近著『黙示録の終末観との対峙――ドストエフスキーと日本の文学』(改題)

『ドストエーフスキイ広場』第33号、2024年、111~117頁)

『堀田善衞研究論集――世界を見据えた文学と思想』(桂書房)と「堀田善衞の会」通信『海龍』第19号の発行、記念講演会のお知らせ。


桂書房webサイトの本の紹介

堀田善衞研究論集表紙

目次 ⇒ (http://katsurabook.com/booklist/1637/

「500ページ近い大著で、総勢18名の執筆者によるオリジナルな論考の集成である。①堀田善衞との対話、②作品を読む・作品を論じる、③堀田文学の多彩な関わりの世界、④インタビューから成る。」 堀田善衞の会企画、定価:4000円

  「序文」より

 本書は、堀田善衞という人について、またその作品について多角的に論じた一書である。生まれ故郷の伏木町といった日本国内に限らず、中国、朝鮮、スペイン、ロシア、アルジェリアなどとの関わりから世界のなかの堀田文学を比較文学的な観点から論じた論考があり、アジア・アフリカ作家会議での活動や『小国の運命・大国の運命』における社会主義思想のほか、『路上の人』や『海鳴りの底から』『鬼無鬼島』などはキリスト教思想や神道思想にも及んでいて、まさに「世界を見据えた文学と思想」が堀田作品からはうかがえる。本書のサブタイトルは、このような多角的な諸論文によって導かれたものである。これら複数の視座によって、堀田文学の豊かな様相が了解されるであろう。そして、その豊かさの根底にあるのは、権力に対する鋭い批判精神であることも理解されるに違いない。

「堀田善衞の会」通信、『海龍』第19号(2024.5.17) の目次

堀田善衞「O博士会見記」[旧文再見3] …1

丸山珪一「堀田善衞とオッペンハイマー「解題」を兼ねて」…4

由谷裕哉「メノッキオの話(2)」…7

高橋誠一郎「高橋和巳の堀田善衞観と長篇『橋上幻像』」…18

野村剛「伏木震災報告記私記として」…29

後記…32 短信 (『堀田善衞研究論集』刊行など)

記念講演会のお知らせ「堀田善衛の会」のブログより一部省略して転載)

『堀田善衞研究論集 世界を見据えた文学と思想』の刊行を記念し、堀田善衛の会では執筆者の野村剛と竹内栄美子の講演会を行います。伏木が生んだ世界飛翔の文学者・堀田善衛の原点と思索を振り返る企画です。                                                              

日時  2024年6月30日(日) 13:30~16:00  (受付開始:13:00)
場所  高岡市伏木コミュニティセンター 大会議室(2階)            
                     プ ロ グ ラ ム
堀田善衞の会代表あいさつ         (丸山 珪一) 

講演 堀田善衞が語る「北国の小さな港町」  (野村 剛)          

講演 堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』から『方丈記私記』へ (竹内 栄美子)  

堀田の詩 “風はどこから吹いて来る”  

「北日本新聞」に『堀田善衛研究論集』刊行記念講演会・開催の記事が掲載される(6月20日)。

(書影は演劇ユニット「メメントC」のブログより)

「堀田善衞研究」の頁へ → http://www.stakaha.com/?page_id=3116

(2024/06/16、加筆 、06/20、07/16、 改訂・改題 )

都知事選――旧統一教会と裏金自民党に支持された小池都知事との対決

はじめに  「ソビエト蓮舫」というダジャレ風の誹謗

都知事選に先に名乗りを上げた蓮舫(れんほう)議員への批判や揶揄するような記事が目立ってきている。

たとえば、「東スポ」の7日付けデジタル版では「蓮舫参院議員について、「もう存在しない世界№2の国→ソビエト蓮舫」と、ソビエト連邦と引っかけてダジャレにした」デーブ氏のダジャレがSNSで大バズりと紹介している。

たしかに、デーブ氏のダジャレには面白いものもあるが、しかし、蓮舫氏の正式な読みが「れんほう」であることを考えるとこれはダジャレにもなっていないと思える。

ここでは沈黙を守ることで優位に立とうとしているように見える小池百合子氏の問題を少し整理して見たい。

1,「学歴詐称」疑惑

「2020年に刊行された『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋)では、カイロで小池氏と同居していた北原百代氏が匿名で、小池氏がカイロ大学の進級試験で落第し、卒業できずに帰国したことを具体的に証言。2023年刊行された文庫版では実名での告発に踏み切」った。

「小池氏が政治家になる前の自著『振り袖、ピラミッドを登る』(講談社、1982年)でも、『外国語をどう学んだか』(講談社現代新書、1992年)への寄稿でも、「(1年目に)落第した」と書いていますから、卒業は1977年以降でなければ辻褄が合いません」

日本外国特派員協会で記者会見した小島敏郎氏(2024年4月17日、記者撮影)

「今年4月、カイロ大学の声明文について、当時小池氏の側近だった小島敏郎弁護士が、小池氏の依頼で原案作成に携わったことを『月刊文藝春秋』5月号で告発」。

小池百合子一家のカイロ生活の面倒を見ていた朝堂院大楽氏が、小池氏の学歴詐欺問題について、都庁記者クラブで記者会見。
朝堂院大楽氏 「 政治家が嘘をつきまくると国が亡びる」

2,「銃剣道」と日本会議との強い繋がり

「日本会議国会議員懇談会」副会長

3,排除の論理と独裁的な議会運営

4,「七つのゼロ」と永遠の0

5,偽物の「ゴジラ」

画像

6,神宮外苑再開発の問題

2024/06/10、2024/06/13、 改題と追加

シオニスト的論者の飯山あかり氏を擁立した日本保守党の危険性


小説『永遠の0(ゼロ)』は、一見、旧日本軍を批判しているように見えながら、 巧妙に読者を誘導して最後は「美化」した戦前や戦時中の価値観へと導く構造を持っている。

日本保守党代表の百田尚樹氏と櫻井よしこ氏の「改憲」論

憎悪表現が多い百田尚樹氏との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年) がある安倍晋三元首相の「国葬」

日本保守党に擁立された飯山あかり氏は、ガザで集団虐殺を行っているシオニスト政権を擁護し、「”弱者は正義”病におかされたメディアと『専門家』にだまされてはいけない」と主張。

「(非宗教的な)シオニストのユダヤ人たちは」、「帝国の武力を背景にして」、「国を創るということをなんら怪しみませんでした」(岡真理『ガザとはなにか』、52頁)

日本のキリスト教シオニスト組織の 「キリストの幕屋」の信者 も イスラエルの前線部隊を「慰問」して砲弾に祈りの文言を記した。


キリスト教シオニズムと日本

武力を背景としたシオニズムの問題

2024/05/06、 05/12、 加筆

「『若き日の詩人たちの肖像』の考察から『堀田善衞とドストエフスキー』へ」の紹介

 2021年に書いた標記の記事にだいぶ手を入れて、スレッドの形で内容を紹介するようにした。それゆえ、ここでは冒頭の主なツイートとそのページにリンクできる二つのツイートを再掲する。

昭和初期と『白夜』の時代

(中略)

(中略)

当該ページへのリンク先のツイート

(2024/07/14、改訂)