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《かぐや姫の物語》考Ⅰ――「かぐや姫」と 『竜馬がゆく』

 

ブログ記事「新しい「風」を立ち上げよう(2014年1月1日)」では 前評判通りに水彩画を元にした繊細できれいなタッチで描かれていた高畑勲監督の映画《かぐや姫の物語》にも簡単に言及していましたが、この映画は日本の誰もが知っている『竹取物語』をとおして、身近な地域の環境問題を狸の視点から描いた《平成狸合戦ぽんぽこ》(1994年)のように地球環境に対する高畑勲監督の強い思いが反映されている作品でした。

今回はまず司馬遼太郎氏の 『竜馬がゆく』における「かぐや姫」のエピソードをとおして、日本の庶民が持っていた自然観をとおして当時の「殿上人」の価値観を痛烈に批判していた日本最古の物語が持つ世界観の広がりと現代性を考えてみたいと思います。

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長編小説『竜馬がゆく』は、師・勝海舟との出会いで世界的な視野を得て日本の改革をめざし、「歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」土佐の郷士の息子・坂本龍馬(以下、竜馬と記す)の生涯を壮大な構想力で描き出していました。

ことに厳しい身分制度に苦しんでいた土佐の郷士と上士との対立を描いた前半や、薩長同盟を成立させたあとで、その司馬氏が「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断固として規定したもの」と高く評価した「第二策」を含む「船中八策」を書き上げてから暗殺されるまでを描いた後半は圧巻ともいえる迫力で読者を引きつけます。

『竜馬がゆく』においては桂浜の描写だけでなく、江戸に出る途中で上士の娘・お田鶴と相宿となった際には、郷士のせがれの竜馬が堅苦しさを嫌って宿をでて浜で空と海を見ながら野宿する場面などが秀逸で、そのお田鶴様と竜馬の恋愛がこの長編小説の前半を彩っています。しかも興味深いのは、司馬氏が「お田鶴さまはかぐや姫のように美しい」という伝説が城下にあったと記していることです(拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』、人文書館、2009年参照)。

「かぐや姫」への言及は、「世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず」と描かれ、さらに「そのような時から、女に求婚することを『よばひ』と言うようになった」と書かれていたことを思い起こさせます。

司馬氏はこのことも踏まえて 書いていたようで、竜馬が家老の妹・お田鶴の部屋に忍んで行こうとしたことを「土佐では若者の夜這いというのはふつうになっていたが、家老屋敷に夜這いにでかける例は、ちょっとなかろう」と簡単に記しています」(「一・「寅の大変」)。

現代の感覚からすると「夜這い」という言葉は少し野卑な感じがしますが、『ウィキペディア』には「『夜這い』の語は本来結婚を求める「呼ぶ」に由来する言葉とされている」との注が付けられています。そして、司馬氏も淡路島に生まれた高田屋嘉兵衛を主人公とした長編小説『菜の花の沖』では、南方の風俗の影響を強く残しているこの「夜這い」という風俗について、「娘のもとに若者が通ってきて、やがて妊ると自然に夫婦になるのである。若者が単数であることのほうがむしろめずらしい」としながらも、娘が「妊ったときは、その子の父となる者に対する指名権は娘がもつ」と詳しく説明しているのです(一・「妻問い」)。

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 『竜馬がゆく』では実在の歴史的人物をモデルに描かれていることはよく知られていますが、「竹取物語」に登場する「好色の」右大臣安倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂などは672年に起きた壬申の乱で功績をあげた実在の人物であり、石作皇子は宣化天皇の四世孫で「石作」氏と同族だった多治比嶋が、もっとも否定的に描かれている車持皇子は、母の姓が「車持」である藤原不比等がモデルになっている可能性が高いとされています(『ウィキペディア』)。

一方、 『竜馬がゆく』で土佐には武家町家をとわず城下の女たちが「着かざって社寺へ物詣に出かけたり、親戚知人の家にあそびに行ったりして、一日、あそび暮らす」という「女正月」の日があることを紹介して、この日に家老の妹お田鶴が江戸の話を聞きたいと福岡家の預郷士である坂本家を不意に訪れたことを記した司馬氏は、「楽しい話だと竜馬の心のなかまで洗われるような笑顔でころころと笑って」くれたお田鶴さまが、「時候のあいさつでもするようなさりげなさで」にこにこしながら、当時は「大公儀」とされていた幕府を、「みなさんで倒しておしまいになれば?」と問いかけたとし、自分は病弱なので結婚をする気持ちはないが、「仮にお嫁にゆくとすれば、坂本さまに貰っていただきたいと思いました」と明かした彼女が、「あす、戌の下刻(夜九時)屋敷の裏木戸をあけておきますから、忍んでいらっしゃいません?」と語ったと続けているのです。

しかも、司馬氏はお田鶴さまは、会話の際に「話ながら膝の上で小さな折り紙を折っていた」お田鶴が帰り際に竜馬に渡したのは、折り紙の船であったと書いています。 身分の違いから叶うことのない恋の形見のように、お田鶴が船好きの竜馬に折り紙の小さな船を織って渡すというこの場面も印象的なシ-ンですが、後に伝奇小説の『風の武士』を読んだ時には、この船と「かぐや姫」の物語がより印象的に用いられていたことを知りました。

このように見てくるとき「お田鶴さま」の章で、「あの桂浜の月を追って果てしもなく船出してゆくと、どこへゆくンじゃろ」と「子供っぽいこと」を考えていた竜馬の視線もまた遠い異国だけでなく、日本の遠い過去にも向けられていたと言えるかもしれません。

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福島第一原子力発電所の大事故はチェルノブイリ原発事故に匹敵するものといわれてきましたが、チェルノブイリでは「石棺」によって放射能の流出は止まったのですが、フクシマからはいまも汚染水の流出は止まらず、日本の大地や海を汚し続けています。

そのようななかで現代の「殿上人」ともいうべき安倍総理大臣をはじめとする与党の政治家や高級官僚は、「国民の生命」や「日本の大地」を守るのではなく、大企業の利益を守るために原発の再稼働や原発の輸出に躍起になっているように見えます。

高畑勲監督のアニメ映画《かぐや姫の物語》は、竹から生まれた「かぐや姫」が美しい乙女となり五人の公達や「帝」から求婚されながら、それを断って月に帰って行くという原作の筋を忠実に活かしつつも、子供のころからの「かぐや姫」の成長を丁寧に描くことで、日本最古の物語を現代に甦えらせているといえるでしょう。

 

 「ラピュタ」2――宮崎アニメの解釈と「特攻」の美化(隠された「満州国」のテーマ)

 『天空の城ラピュタ』の二年前に公開された『風の谷のナウシカ』(1984)における『罪と罰』のテーマについてはすでに何度かふれてきましたが、このアニメには「満州国」のテーマも秘められていました。

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(《風の谷のナウシカ》、図版は「Facebook」より)。

 すなわち、「風の谷」を侵略した大国の皇女は自分たちに従えば「王道楽土」を約束すると語るのですが、それはかつて日本が「満州国」を建国した際に理想を謳った「五族協和」や「八紘一宇」と同じようなスローガンの一つだったのです

 雑誌『日本浪曼派』の主催者・保田與重郎も「満州国の理念」を、「フランス共和国、ソヴエート連邦以降初めての、別箇に新しい果敢な文明理論とその世界観の表現」と、「『満州国皇帝旗に捧ぐる曲』について」で讃えていました(橋川文三『日本浪曼派批判序説』講談社文芸文庫、34頁)。

日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)(書影は「アマゾン」より)

 それゆえ、このようなスローガンに惹かれて日本だけでなく、植民地だった朝鮮からも多くの人々がそこに移住しましたが、実態は理想とはかけ離れたものでした。彼らに与えられた土地は満州に住んでいた人々が安く買いたたかれて手放した土地であり、そこでは軍が深く関わっていたアヘンも横行するようになっていたのです(姜尚中、玄武岩著『興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産』 講談社学術文庫、2016年参照)。

興亡の世界史 大日本・満州帝国の遺産 (講談社学術文庫)

 評論家の橋川文三が指摘したように、「満州国建国前後の、挫折・失望・頽廃(たいはい)の状況こそ、『昭和の青春像の原型』であり、この『デスパレートな心情』こそ、『深い夢を宿した強い政治』への渇望の燃料」となっていました。

 橋川は保田與重郎とともに小林秀雄が、「戦争のイデオローグとしてもっともユニークな存在で」あり、「インテリ層の戦争への傾斜を促進する上で、もっとも影響多かった」ことに注意を促していますが、「立憲主義」が崩壊する一年前に小林秀雄が原作における人物体系などには注意を払わずに行った『罪と罰』の解釈にもナチズム的な暴力主義への傾倒が秘められています(拙著、第6章参照)。

 さらに小林秀雄は真珠湾の攻撃を「空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曵いて。さうだ、漁船の代りに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、といふ事になるのだ。」と美しく描き出しました(小林秀雄「戦争と平和」)。 しかし、作家の堀田善衞が指摘しているようにこの真珠湾攻撃には「特殊潜航艇による特別攻撃」がともなっており、この攻撃に参加した若者たちは暗い海の藻屑となって全員が亡くなり、「軍神」として奉られていたのです。

 しかし、アニメ『天空の城ラピュタ』が放映される数日前には靖国神社や自衛隊で人間魚雷「回天」のキューピーちゃん人形が販売されていたことが話題になっていました。司馬遼太郎とも対話を行っていた元第十八震洋特攻隊隊長で作家・島尾敏雄氏の作品を読んでいたこともあり、そんな「不謹慎」なことはありえないだろうと考えていたのですが、実際に2009年12月までは販売されていたようで、その写真を見て愕然としました。

 さらに、「#あなたが作りそうなジブリ作品のタイトル」というハッシュタグには、「・回天の城ラピュタ ・指揮官の動く城 ・海自の恩返し ・人形立ちぬ ・艦これ姫の物語 ・前線の豚 ・写真の墓 ・戦艦戦記」などの軍隊系の題名が挙げられ、特殊潜航艇「回天」もその題名に取り入れられていたのです。

 一方、東大から経産省などをへて衆議院議員になった丸山穂高氏が、北方領土での言動が激しい顰蹙を買ったにもかかわらず、むしろ前科を誇るかのようにツイッターのプロフィール欄に「憲政史上初の衆院糾弾決議も!」と書きこんでいることに気づきました。

 しかも、8月31日のツイートでは竹島への攻撃を扇動したことがS 氏に批判されると、広島と長崎の悲劇について「過ちは繰返しませぬから」と言うべきは原爆を投下して非戦闘員を含めた非道なる大量虐殺を行った米軍かと。理解されていないのはどちらですかね?まさに敗戦国の末路かと。」と揶揄していました。しかし、「貴方の返信を多くのみなさん知って貰いたいので返信を公開して良いですか?」とS 氏から問いただされると直ちに自分のツイートを削除したようです。

 これらの投稿からは彼が核戦争の悲惨さについて考えたこともないだろうということが分かりますが、それは「#バルス祭り」などを提案しているツイッターの書き手にも通じているでしょう。そのことはアニメ『千と千尋の神隠し』が放映された後でこの映画の主題歌に関連して、宮崎監督の深い平和観について次のようなツイートをした際にも感じました。

 「安倍首相の復古的な歴史観を批判した宮崎駿監督の映画は民話的な構想に深い哲学的な考察を含んでおり世界中で愛されています。たとえば、ウクライナの女性歌手Nataliya Gudziyも、『千と千尋』の主題歌を通して原爆と原発事故とのかかわりついて深い説得力のある言葉で語っています。」。

ウクライナ美女が 千と千尋~ 主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy … – YouTube

 このツイートに対しては多くのリツイートと「いいね」が寄せられましたが、そればかりでなくネトウヨと思われる人からの執拗な反論がありました。粘り強く反論すると不意にブロックされたばかりでなく、相手やその支持者たちの多くのいやがらせのツイートも完全に消されていたのです。

 そのような経緯から安倍首相が「核兵器禁止条約」の批准に反対し、原爆反対の書名集めも政治活動と見なすようになるなかで、宮崎駿監督の映画をも敵視するような若者や大人が増え始めていると感じました。

 少し大げさなようですが、亡びの呪文である「バルス」がツイッターのトレンドに入るような状況からは日本の言語文化が危機に瀕しており、情緒的な短い文章で感情的に煽ることには長けていても、自分の考えをきちんと論理的に相手に伝える能力が低下しているのではないかとさえ思えます。

 それはアニメの理解だけでなく、日本の学校における文学の教育にも深く関わっています。

 「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

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空からのニュース映像〔NHK〕

 

「東京新聞」の今朝の朝刊の記事によれば、14日の安全保障関連法案に関する参院特別委員会で、安倍晋三首相は法案に国民の支持が広がっていないことを認める一方で、「熟議の後に決めるべき時には決めなくてはならない。それが民主主義のルールだ」と早期の採決を促し、法案が成立した後には国民の理解が広がるとの見方も示したとことです(太字は引用者)。

これは本末転倒で「民主主義のルール」に従うならば、時間をかけた議論の後でも国民の支持が広がっていない場合には、その法案は廃案とすべきでしょう。

しかも熟議の中で、この法案の問題点や首相の資質などが問われる発言が多発しているのです。「民主主義のルール」を強調するならば、混乱を招いた自らの政治姿勢を恥じて安倍首相は潔く辞任すべきでしょう。

*   *   *

一方、昨日のデモではプラカードも「廃案」の文字などを記したものだけでなく、ペットボトルで作られた提灯のようなものを掲げた人などさまざまな意見や創意工夫がなされており、ペンライトもかざされて印象的でした。

デモは整然と行われており、狭い歩道に人があふれて将棋倒しになり、怪我人がでる危険性が強くなったときに、車道を解放せよとの声があがったのも自然だったでしょう。

先の総裁選ではっきりしたことは、江戸時代には民衆のことを考えない政治をする暴君に対しては、厳しい処罰を覚悟してでもそれを諫める家老がいましたが、現在の自民党には「独裁的な傾向」を強めている安倍首相を諫める勇気ある議員がほとんどいないということです。与党の公明党にも、安倍首相の「国会」を冒涜した発言に苦言を呈する議員がほとんどいないということも明らかになりました。

国会の会期末は近づいていますが、民主主義の危機に際して声を上げ始めた昨日のデモからは、幕末から明治初期にかけて示された「国民」の「行動力」が彷彿とさせられます。

「暴君」を代えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、昨日のデモからは今回の運動が確実に政治を変えていくだろうという思いを強くしました。

「著書・共著」のページの「著書一覧」を改訂し、リンクとカテゴリーの機能を取り入れました

標記の記事を「著書・共著」のページに掲載しました。

書評や紹介をして頂いた方と掲載誌も掲載しました。ご執筆頂いた方々にはこの場をお借りして御礼申し上げます。

  急いで作成したために、抜けているものや見落としている書評などもあると思いますので、お知らせ頂ければ幸いです。

 

(2)、2・26事件と検閲の強化

三島由紀夫が『豊饒の海』の第二巻『奔馬』のモデルとした血盟団事件(2月~3月)で井上日召に率いられた学生たちによって、井上準之助と團琢磨が暗殺されるという連続テロ事件が起きた1932年には、京都大学法学部の滝川教授の発言が問題になる滝川事件も起きていた。

さらに満州国の承認に慎重だった犬養毅・内閣総理大臣が、武装した海軍の青年将校たちと血盟団の残党らによって殺害された5・15事件が起きた。1935年には、天皇機関説事件が起きていた。

『若き日の…』ではこれらの事件については言及されていないものの、1934(昭和9)年に『ファッシズム批判』を出版して、軍国主義と「国体明徴」運動を批判したことで知られていた河合栄治郎・東京帝国大学教授が書いた二・二六事件の批判記事がかなり長く引用されている。

「帝国大学新聞」について「大学が、また大学生が新聞を刷って売っているということが、少年にはなんともいえぬほどに清新で、自身の腹の底から甲高い声が出そうなほどに、爽快でもあった」と書いた主人公は、事件直後の三月九日付の号に載った記事の「筆者は河合栄治郎という人であった」ことを紹介して、次の文章を引用している。

 「彼等の我々と異なるところは、ただ彼等が暴力を所有し、我々がこれを所有せざることのみにある。だが偶然にも暴力を所有することが、何故に自己のみの所信を敢行しうる根拠となるのか、何故に国民多数の意志を蹂躙(じゅうりん)せしめる合理性となるか」。そして、主人公は「削除は多いにしても、筆者の怒りと批判ははっきりと出ていた」と結んでいる。

一方、押し入れからさがし出した雑誌の『中央公論』は六月号で、「同じ筆者が巻頭に論文を書いていた」が、「この方は、バッテンばかりで、さっぱり見当もつかなかった」と記されているが、ここでは「第三」のみを長く引用することで具体的に示しておきたい。

「第三に彼等は政党の堕落と財閥の横暴とをみた。国体を明徴ならしむることによって、国民思想の安定を図りうると考へたことに、彼等の単純さがある。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××。しかし複雑なる社会問題に囲まれ、幾多の思想によりて攪乱されてゐる一般市民にとっては、×××××××××××××××××××××××、未だ問題を解決することにはなりえない。××××××××、現代に処して、いかなる内容を盛るべきかが、今や必要とされてゐるからである。」

実際、この事件の首謀者は非公開で弁護人なしという特設軍法会議で裁かれ処刑された。それによって軍部における統制派の権力は強まり、「祭政一致」の原則に基づいて「専制・正教・国民性」を厳守するように求めた「ロシア帝国」と同じような政策が実施され、それを批判することは全くできなくなったのである。

芥川龍之介は自作『将軍』の検閲と伏字に対して怒りを感じていたが、2・26事件以降には軍部における統制派の権力が強まり、「祭政一致」の原則に基づいて「専制・正教・国民性」を厳守するように求めた「ロシア帝国」と同じような政策が実施され、それを批判することは全くできなくなっていたのである。

 この長編小説ではラジオから流れてきたナチスの宣伝相ゲッベルスの演説が主人公の重要な転機になっていたが、1933年1月にナチスが政権を握ったドイツでは「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動が行われるようになり、5月10日のユダヤの知識人の書物を大量に焚書にした際にもゲッベルスが扇動的な演説をしており、その際に焚書の対象とされたドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックの著書『人権宣言論』を1906年に訳出していたのが「天皇機関説」事件でやり玉に挙げられることになる美濃部達吉だったのである。

主人公が仏文科への転科を決意したのは1940年秋のことだったが、その際には白柳君との会話などをとおして日本では「商工省の通達があって、洋書の輸入は禁止された」が、「一九三五年にパリで行われた国際作家会議の記録によると、ドイツの作家代表は匿名は無論のこと、顔に覆面までをかぶって出て来るというひどい政治の有様」になっていたことなども記されている。

 (2023/02/14、改訂とツイートの追加)

(2)ベルリン・オリンピックとの「際立つ類似点」

前回の記事〈「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性(1)――1940年との類似性(加筆版)〉では、安倍首相が「共謀罪 成立なしで五輪開けない」と語ったことの問題点を考察するとともに、国際連盟が派遣したリットン調査団の報告の後で日本が国際連盟から脱退していたことについてもふれた。

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今日の「こちら特報部」(「東京新聞」)は、ベルリン五輪(1936年)を徹底して「政治利用」し、「景気浮揚、治安の強化、再軍備」など「国威発揚」の場としたナチスドイツと、「改憲」や「共謀罪」法案でオリンピックを政治利用し、「復興を演出」している安倍政権の手法との「際立つ類似点」を見事に示している。

すなわち、「平和愛好家を自称していた」ヒトラーは「五輪の期間中だけ国内でユダヤ人排斥の看板」を取り外すなどの対策をとることで、「ユダヤ人迫害などはうそだ」と「世界に向けて宣伝」していた。

ヒトラー、オリンピック

ベルリンオリンピックの開会式でオリンピック旗に敬礼するアドルフ・ヒトラー。1936年8月1日、ドイツ。出典はサイト「ホロコースト百科事典」より)

そのために「五輪憲章は大会の政治利用を禁じている」が「その原則に触れかねない事態」がおきたのが、「昨年八月、リオ五輪の閉会式で安倍政権が人気キャラクター「マリオ」にふんして登場した一幕」だったのである。

この件については「日刊ゲンダイ」が昨年年8月22日の記事ですでに次のように批判していた。

「ちょうど80年前、ナチス政権下のドイツで開かれたベルリン大会で、ヒトラーは国威発揚のため自ら開会宣言を行った。オリンピックの政治利用の最悪のケースとして歴史に刻まれています。安倍首相もセレモニーに登場することで“東京五輪まで首相を続けるぞ”とアピールしたのです。再来年9月までの自民党総裁任期を延ばそうという動きと連動した姑息な延命PRです」(自民党事情通)/ ヒトラーといい安倍首相といい、独裁者がやることはソックリだ。」

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安倍首相の政治利用の「代表格が改憲だ」とし、首相が三日に「夏季のオリンピックが開催される二〇二〇年を日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけ」とすると語ったことを指摘した今日の「こちら特報部」はさらに、こう続けている。

「そもそも五輪招致段階のIOC総会で『汚染水は完全にコントロールされている』と事実に反するアピールをし、現在も続く被災者たちの苦悩も「復興五輪」の名目によって、打ち消そうとしている」安倍首相は、「自らの責任も問われている福島原発事故も、五輪を機に『過去』のものにしたいようだ」。

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開催地の新聞であるにもかかわらず「東京新聞」がこのような記事を載せるのは勇気のある決断であり、五輪に向けたこれまでの努力を無駄にしないためには、「五輪憲章」に違反して開催権を取り上げられる危険性のある安倍政権に代わる次の政権を一刻も早くに打ち立てることが必要だろう。

(2023/01/17、ツイートを追加)

(3)、磯部浅一の「行動記」と裁判をめぐって

 2・26事件の首謀者の一人・磯部浅一は、「行動記」で「余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであろう」と記し、この文章を引用した三島由紀夫は、子供の頃に遭遇したこの事件の印象を「その雪の日、少年たちは取り残され、閑却され、無視されていた」が、「事件から完全に拒まれていた」ことが「その悲劇の客人たちを、異常に美しく空想させたのかもしれない」と「二・二六事件と私」に記している。

一方、2・26事件の前日に受験のために上京して来た若者を主人公とした堀田善衞も『若き日の…』で「まったくの偶然であったのだが、若者が引っ越したこのアパートの隣室に2・26事件のときの首謀者中の首謀者であったⅠという男の未亡人が住んでいた」と記し、磯部浅一の裁判についてこう記述している。

「Ⅰはすでにその年の八月十五日に銃殺刑を執行されてしまっていたはずであったが、Ⅰは十九名の死刑になった首謀者のなかでも、裁判中も、終始はげしく抵抗し、軍の首脳部もまた一時彼らの青年将校たちの行動に同調し、支持さえした点をあげて、陸軍大臣の告示や戒厳命令に関係のあったぜんぶの軍事参議官もまた同罪である、と痛烈に弾劾をしつづけたので」、「重要証人として八月の十九日まで執行の延期をうけていたのである。」

そして、右翼係りの刑事から聞かされた未亡人の行動についてもこう詳しく記している。「まだまだ若い未亡人は、夫の収監されていた代々木練兵場に特設された法廷と収監所とをかねたバラックの近くの、このアパートを選んだのであった。そうして夫の死後、軍首脳部弾劾と裁判の違法性について縷々(るる)と綴られたⅠの遺書を入手し、夫人はこれをある右翼の新聞記者とはかって写真で複写をし世上に流布させようとした。

 もっとも、これらのことは、すべてⅠ未亡人を監視するために、隣室の住人である若者の部屋へしばしばやって来た右翼係りの刑事から、折にふれて聞かされていたことなのである。若者としても、偶然のこと、とはいうものの、まったく異様なところへころがり込んだものであった。(……)刑事は三日にあげずやって来た。刑事はこれらの青年将校たちにはすこぶる同情的で、時にはⅠ未亡人の私用を弁じてやったりもしていたが、なんにしてもそれは若者にとっては閉口、迷惑、この上もないことであった。」

 この記述からは堀田が磯部裁判に強い関心を持っていたことが推測できるが、ここでも焦点を磯部のみに当てるのではなく、この記述の前後に従兄から密かに「赤旗」の入ったカバンを預かってほしいと頼まれて激しく動揺したというエピソードも挿入している。

「しかし従兄には、そういう者が来るなどとは、敢えて言わないことにした。隣室に、そういう女性がいることはかつて雑談のあいだに告げたことがあったが、彼女がそこまでの厳重な監視をうけていることは言わなかったのである。それに、燈台下暗し、ということがある。かえって安全であるかもしれないではないか、と異様な具合に腹をきめて、若者は、「わかった。いいよ」/ と言ってその風呂敷包みを従兄からうけとり、学校へ通うときのカバンのなかに」押し込んだ。

こうして、堀田は磯部の裁判を描くだけでなく、警察での拷問により体を壊して表向きは転向していた従兄から預けられたカバンに入っていた「赤旗」の記事における2・26事件の記事にもふれることで、磯部を「英雄化」せずに相対化して考えようとしたのだと思われる。

しかも、この長編小説では同級生との交遊をとおして、2.26事件でも注目された皇道派の 真崎大将についてもこう記されている(注:相沢事件とは、 ドイツでヒトラー内閣が成立した1933年8月12日に統制派の軍務局長永田鉄山が皇道派の青年将校・相沢三郎中佐に斬殺された事件)。

「Mという同級生の広大な邸が、原宿にあった。その邸前でソフト帽を目深くかぶった私服の誰何(すいか)に遭った。Mの父は陸軍大将で、軍内の派閥の、その一方の頭目であるといわれていた。二・二六事件のときにも、世間の注視のまとになった人であった。また相沢事件といわれた、軍務局長を陸軍省内で斬った軍人の裁判のときにも、その軍人のためによい証言をするだろうと期待されていながら、将官は勅許を得なければ法廷で証言は出来ぬ、と言ってつっぱねた人であった。勅許とはねえ、と世間では言っていた。血の冷たい感じのする将官であった。(……)そうして級友のM自身は、たいへんな女たらしであった。そのMの勉強部屋で、少年は生れてはじめてエロ写真なるものを見せられた。親爺が上海からもって来たんだ、とMが言った。」

 (2023/02/14、改訂とツイートの追加)

(3)G7サミットでの安倍発言と政府の対応をめぐって

「日本政府が、その抗議において、繰り返し多用する主張は、2020年の東京オリンピックに向けて国連越境組織犯罪防止条約を批准するためにこの法案が必要だというものでした。」(国連特別報告者「官房長官の声明に対する反論」)

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昨日の報道によれば、安倍首相はG7サミットのテロに関する議論の中で、日本政府が「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案の今国会成立を目指していることに関連し「テロの資金源である組織犯罪対策の強化が必要であり、国際組織犯罪防止条約の締結のためのわが国の取り組みに対するこれまでの各国の支持に感謝したい」と語った(「東京新聞」)。

「共同通信」が〈首相、「共謀罪」支持に謝意〉との見出しでこのニュースを伝えたために、あたかも安倍政権が強行採決した「共謀罪」法案がサミットでも評価されたかのような印象が生まれた。

しかし、階猛氏がすでにツイッターで指摘しているように「見出しと記事の本文が不整合。本文を読むと『国際組織犯罪防止条約締結の取り組み』への各国の支持に首相が感謝したとあるが、『共謀罪』支持への感謝はどこにもない」のである。

問題はサミットの前に安倍首相と日本政府が「プライバシーに関する権利の国連特別報告者」ケナタッチ氏から受け取っていた「共謀罪」法案にたいする厳しい指摘については完全に無視していることであろう。

しかし、すでに多くの報道機関によって報じられているように、ケナタッチ氏は問題点を具体的に示したうえで、日本政府からの詳しい説明と情報の提供も下記のように明快に求めていた(青い字で記す)。

人権理事会から与えられた権限のもと、私は担当事件の全てについて事実を解明する職責を有しております。つきましては、以下の諸点につき回答いただけますと幸いです。

  1. 上記の各主張の正確性に関して、追加情報および/または見解をお聞かせください。
  2. 「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」の改正法案の審議状況について情報を提供して下さい。
  3. 国際人権法の規範および基準と法案との整合性に関して情報を提供してください。
  4. 法案の審議に関して公的な意見参加の機会について、市民社会の代表者が法案を検討し意見を述べる機会があるかどうかを含め、その詳細を提供してください。」

しかもケナタッチ氏は、最近の日本における状況を踏まえて次のように結んでいた。

最後に、法案に関して既に立法過程が相当進んでいることに照らして、これは即時の公衆の注意を必要とする事項だと考えます。したがって、閣下の政府に対し、この書簡が一般に公開され、プライバシーに関する権の特別報告者のマンデートのウェブサイトに掲載されること、また私の懸念を説明し、問題となっている点を明らかにするために閣下の政府と連絡を取ってきたことを明らかにするプレスリリースを準備していますことをお知らせいたします。

 閣下の政府の回答も、上記ウェブサイトに掲載され、人権理事会の検討のために提出される報告書に掲載いたします。/ 閣下に最大の敬意を表します。」

*   *   *

こうして、「共謀罪」法案をめぐる日本政府の見解が全世界に向けて公表されることを国連特別報告者・ケナタッチ氏があらかじめ断っていたにもかかわらず、安倍政権は最近の国会で野党からの質問に対するのと同じようなやり方で、特別報告者からの丁寧な要望に対して全く回答しなかったばかりか情報も提供せずに、内政干渉であるかのごとき抗議の書簡を送りつけた。

本稿の視点から注目したいのは、その抗議文に対して国連特別報告者が、冒頭に掲げたオリンピック開催問題にも言及しながら、次のように厳しい反論を安倍政権に突きつけたことである。

日本政府は、これまでの間、実質的な反論や訂正を含むものを何一つ送付して来ることが出来ませんでした。いずれかの事実について訂正を余儀なくされるまで、私は、安倍晋三内閣総理大臣に向けて書いた書簡における、すべての単語、ピリオド、コンマに至るまで維持し続けます。

日本政府がこのような手段で行動し、これだけ拙速に深刻な欠陥のある法案を押し通すことを正当化することは絶対に出来ません

戦前の価値観の復活を目指す「日本会議」に支えられている安倍政権の閣僚たちにとっては、国連特別報告者からのこのように厳しい反論も野党からの批判と同じように無視すればよく、官僚と報道機関を握っていれば国内の反対は押さえられると感じているように思える。

たしかに、国会で3分の2以上の議席を持つ自民・公明・維新の3党が参議院でも一致すれば、この法案も強行採決すれことができるだろう。しかし、国連の特別報告者デビット・ケイ氏やケナタッチ氏の指摘や報告の内容は、安倍政権の強圧的な対応によっていっそう説得力のあるものとなり、ベルリン・オリンピックの悲劇を体験している国際社会は「リットン報告書」の時と同じような対応を取らざるをえなくなるだろう。

ヒトラー、オリンピック安倍マリオ、東京経済

(ベルリン・オリンピックの開会式でオリンピック旗に敬礼するアドルフ・ヒトラー。1936年8月1日。出典はサイト「ホロコースト百科事典」)(出典は「東洋経済.net」)

それゆえ、ジャーナリストの保坂展人・世田谷区長が提案しているように、「参議院審議の前に、ケナタッチ氏の指摘を直接聞くことは必須だろう」。

「共謀罪」法案を強行採決することは東京オリンピック開催の消滅につながると私は考えている。

 

参考資料:「東京新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」及び「民進党広報局」作成の下記の文書

プライバシーに関する権利の国連特別報告者 ジョセフ・ケナタッチ書簡全訳

ジョセフケナタッチ書簡解説(海渡雄一弁護士)

官房長官の声明に対する反論(日本訳)

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(3)黒澤映画『悪い奴らはよく眠る』から『新聞記者』へ――自殺に追い込む社会の病理に鋭く迫る

もう一人の主人公は外務省から内閣情報調査室に出向していたエリート官僚の杉原(松坂桃李)である。ここでもその能力を高く評価されていた杉原は、次第に自分が政権のために批判者のスキャンダルを作り上げるという陰険な作業に加担させられていることに気づいて困惑する。

この映画に圧倒的な緊張感を生み出しているのは、内閣情報調査室の直属の上司である内閣参事官多田を演じる田中哲司の存在感だろう。彼の演技からは昭和初期の日本の雰囲気がスクリーンから立ち上がってくる。

「伊藤詩織さんの事件」がスキャンダラスに報道されているのテレビを見た出産を間近に控えた妻・奈津美(本田翼)は、「ひどいわね」とつぶやくがその言葉は杉原の胸に突き刺さった。

物語が本格的に動き出すのは公務員のあるべき姿を学んだ外務省の頃の上司の神崎(高橋和也)と久しぶりに昔を思い出しながら楽しく飲んだときからである。

飲んで泥酔した彼を自宅に送り、神崎の妻・伸子(西田尚美)や美しい乙女に成長した彼の娘・千佳(宮崎陽名)と再会するが、別れ際に伸子は何かを切実に伝えようとしてやめた。それから数日後、神崎からの謎めいた言葉に驚いた杉原は必死に携帯電話で呼びかけるが返事はなく、ビルの屋上から身を投げた。

神崎の自殺からは独自の取材を続けていた吉岡も強い衝撃を受けた。すぐれたジャーナリストだった彼女の父も、政府がらみの不正融資の報道が誤報だったとされ自殺していたのである。父の死に顔を見て慟哭した吉岡の記憶が、父の自殺に悲しむ娘・千佳(宮崎陽名)の悲しみに重なる。

日本社会の病理と深く関わる自殺のテーマを黒澤明監督は、A級戦犯被疑者の岸信介が首相として復権して新安保条約を強行採決した1960年に公開された映画『悪い奴ほどよく眠る』で、汚職事件で自殺させられた父親の復讐を企んだ主人公の行動を、『罪と罰』を思わせるような推理小説的な手法と鋭い心理描写を用いながら描き出していた。

Постер фильма 

(写真はロシア語版「ウィキペディア」より)

https://twitter.com/stakaha5/status/972039214937268225

悪い奴ほどよく眠る(プレビュー)

脚本の執筆者の一人でもある藤井道人監督(詩森ろば、高石昭彦共著)がどの程度、黒澤映画『悪い奴ほどよく眠る』を意識していたかは分からない。しかし、この映画『新聞記者』も権力者から責任を押し付けられた部下が自殺を強いられる、あるいは苦悩のあげく自殺するという問題が、令和の時代になってもまったく改善されていないどころか、「公文書」の破棄など映画『悪い奴ほどよく眠る』が公開された1960年代よりも悪化していることを示しているのである。

「自殺の本当の理由」に迫ろうとしていた新聞記者・吉岡は、葬儀で知り合った杉原が、「私は国側の人間です」と語り突き放そうとした杉浦にたいして、「そんな理由で自分を納得させられるんですか? 私たち、このままでいいんですか」と鋭く問い詰めたのである。

葬儀の場での吉岡との運命的な出会いは、官僚の杉原をも動かしていくことになる。

 

(4)「耽美的パトリオティズム」の批判――「美神との刺違へ」という表現と林房雄の「玉砕」の美化

『ドーダの人、小林秀雄』で著者は、1980年にも「小林秀雄信者」の教員による『様々なる意匠』が出題されるなど、当時はまだ「かなりの数のインテリが「参りました! 凄いです。教祖様!」と平伏していた」ことに注意を促している。

そのような状況を踏まえて、それゆえ作家の丸谷才一が「小林秀雄の文章を出題するな」というエッセイを発表した際には「よくぞ言ってくれたと快哉を叫んだ」と鹿島氏は記しています。

ただ、小林秀雄が後に「日本会議」の代表者の一人にもなる小田村寅二郎の招きに応じて1978年まで学生向けの講演を5回も行っていたために、その講演を聞いた若者たちのなかから戦前の日本を理想視するような教員や政治家もでており、新保祐司氏は小林秀雄の「モオツァルト」にも言及しながら、皇紀2600年の奉祝曲として作られたカンタータ(交声曲)「海道東征」を賛美しています。

さらに、古い戦前への価値観への回帰という意図を隠して美しいスローガンによる「改憲」のプロパガンダを行っていた「日本会議」系の論客から強い影響を受けている自民党や維新の右派の議員は、「改憲」だけでなく、「核武装」への意欲も示しています。

しかし、問題は太平洋戦争が始まる前年の8月に行われた鼎談「英雄を語る」(『文學界』)で作家の林房雄から「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけられた小林秀雄が「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ」と続けていたことです。つまり、小林は山本五十六などの海軍の将軍が、日米の国力や戦力を比較して長期戦になれば必ず負けると判断していたのに反して、単なる感情論で戦争の開始に賛成していたのです。しかも、戦後に「大東亜戦争肯定論」を『中央公論』(1963~1965)に連載してこの戦争を美化することになる林房雄は、小林の答えを聞くと「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣い」 と語っていました。

それゆえ、小林秀雄の『本居宣長』を一か月かけて読んだ堀田善衞は、「あなたの宣長さんを読みました。引用されている宣長の文章には、悉く感服しましたが、それにつけてあるあなたのコメントは、よくわかりませんでした。妙な神秘化はいけませんよ」と小林に直接語ったと記しているのです」(『天上大風』)。

鹿島氏は小林秀雄のランボー論に見られる「美神との刺違へ」的イメージが「二・二六の青年将校などの同世代人にも共通して見られる」ことを指摘していますが、『日本浪曼派批判序説』で保田與重郎と小林秀雄とが「インテリ層の戦争への傾斜を促進する上で、もっとも影響多かった」ことに注意を促した評論家の橋川文三は、「保田の主張に国学的発想がつよくあらわれてくるにつれて、一切の政治的リアリズムの排斥、あらゆる情勢分析の拒否がつよく正面に押し」だされるにいたると記していました。

そして、論文「テロリズム信仰の精神史」では、2・26事件を起こした将校など「日本の右翼テロリストは、その死生観において、ある伝統的な信仰につらぬかれていた」とし、こう続けているのです。

 「それは、かんたんにいえば、己の死後の生命の永続に関する楽天的な信念であり、護国の英雄として祭られることへの自愛的な帰依」であり、「このような固有の神学思想は、一定の条件のもとでは、容易にいわゆる人権の抹殺をひきおこし、しかもそこに責任や罪を感じることのない心性をつくり出す」 (『橋川文三 著作集5』筑摩書房) 。

 先にも見たように鹿島氏は小林秀雄のランボー論に見られる「美神との刺違へ」的イメージが「二・二六の青年将校などの同世代人にも共通して見られる」ことを指摘していますが、 それは「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣い」と語って「玉砕」を美化した林房雄などの論客だけでなく、『永遠の0』に記された「死の美学」に魅了される読者にも当てはまる可能性があります。

堀田善衞は長編小説『審判』で核戦争が地球を滅ぼす危険性について詳しく考察していましたが、ロシア軍のウクライナ侵攻に乗じて、「核武装」を煽ることで戦前の価値観を復活させようとしている政治家や論客に引きずられて「改憲」をすることは、日本発の地球規模の悲劇につながる危険性が高いと思われます。

(2022年3月6日、改訂と改題)