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日露関係

年表3、「司馬遼太郎とロシア」関連年表

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(表紙の日露戦争関連図版は、稲葉千晴氏所蔵による)。

 

年表3、「司馬遼太郎とロシア」関連年表

紀元前91年頃(前漢、武帝の時代)  司馬遷『史記』を完成。 →司馬遼太郎というペンネーム

*   *   *

1769年 高田屋嘉兵衛、淡路島の貧しい農家の6人兄弟の長男として生まれる。

→『菜の花の沖』。【ナポレオン、コルシカ島に生まれる】。

1783年 大黒屋光太夫、アムチトカ島に漂着。

→井上靖『おろしや国酔夢譚』。

1789年 国後(クナシリ)でアイヌの反乱。【フランス革命】。

1790年 高田屋嘉兵衛、兵庫に出て樽回船の水夫(かこ)になる。

1792年 第1回ロシア使節ラクスマン、大黒屋光太夫等を伴って来日。

1794年 桂川甫周、大黒屋光太夫からの聞き取りで『北嵯聞略』を書く。

1798年 高田屋嘉兵衛、北海道に進出、貧しい漁港だった箱館に本拠地をおく。

1799年 高田屋嘉兵衛、幕府から依頼されクナシリ、エトロフへの航海ルートを発見。 【ロシア、アラスカにシトカ建設】。

1800年 高田屋嘉兵衛、エトロフ島の開発権を得る、アイヌの人々との関係を改善。

1804年 第2回ロシア使節レザーノフ来日、交渉決裂。 【ナポレオン皇帝となる】。

1805年 【アウステルリッツの戦い】。→トルストイ『戦争と平和』。

1806年  レザーノフの部下、フヴォストフ、樺太や利尻島の松前藩会所や船を襲う(~07年)。

1808年 間宮林蔵、樺太探検。イギリスの軍艦フェートン号、長崎に入港し荒掠。

1811年 ディアナ号艦長ゴロヴニーンら捕らえられる。

1812年 高田屋嘉兵衛、捕らえられる。【ナポレオン、ロシア侵攻(「祖国戦争」)】。

1813年 高田屋嘉兵衛の尽力でゴロヴニーンら釈放される。

*   *   *

1825年(文政8) 異国船打払令。 【ロシア、デカブリストの乱】。

【日本の文明度を高く評価したゴロヴニーンの『日本幽囚記』(1816)の翻訳(馬場貞由他訳)が完成】。

1836年(天保7) 【チャアダーエフ「哲学書簡」で『日本幽囚記』に言及】。

1839年(天保10) 渡辺華山『外国事情書』において改革のモデルとしてピョートル大帝の改革を挙げる。

1840年(天保11) 佐久間象山、海軍建設の必要性を説き、ピョートル大帝の改革にふれる。

【アヘン戦争始まる(~42年)】 →『世に棲む日日』。

1853年(嘉永6)   6月、ペリー浦賀来航 → 『竜馬がゆく』。7月、ロシアのプチャーチン長崎来航

10月、【ロシアとトルコの間でクリミア戦争(~56年)、翌年3月、英仏もロシアに宣戦布告】。

1854年(安政1) 1月、ペリー再来日。3月、日米和親条約。10月、日英和親条約。

1855年(安政2)   2月、日露和親条約。【2月、ニコライ一世死去。アレクサンドル二世即位。トルストイ「セヴァストーポリ物語」】

1858年(安政5) 井伊直弼、日米修好通商条約を結ぶ。安政の大獄が始まる。

1861年(文久1)   【ロシア、農奴解放令、アメリカ、南北戦争(~65年)】。

『日本幽囚記』を読んで感激したロシア正教の宣教師ニコライが箱館に着任。

1862年(文久2) 幕府の西欧への使節団がロシアのペテルブルクも訪れる。

1867年(慶応3)  6月、坂本龍馬、「船中八策」を成文化。11月、龍馬暗殺される→ 『竜馬がゆく』。

12月、王政復古の大号令。正岡子規、夏目漱石生まれる →『坂の上の雲』。【ロシア、アラスカをアメリカに売却】。

1868年(明治1)  1月、戊辰戦争始まる(~69年)。秋山真之、徳冨蘆花生まれる。

【ドストエフスキー「白痴」】。

1869年(明治2) 【ダニレフスキー「ロシアとヨーロッパ」】。

1870年(明治3)  【普仏戦争(~71年)】。

1871年(明治4)  廃藩置県、岩倉使節団、欧米へ出発。【ドイツ帝国成立】→『翔ぶが如く』。

1872年(明治5)  福沢諭吉『学問のすゝめ』(初編)、8月、学制発布、10月、徴兵令を制定、太陽暦を採用、皇紀の制定。

1876年(明治9)  3月、廃刀令、10月、熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱 →『殉死』

1877年(明治10)  秋山好古、陸軍士官学校に入校、西南戦争。

1879年(明治12)  正岡子規、秋山真之、松山中学校入学。福沢『民情一新』。

1881年(明治14)  【アレクサンドル二世暗殺】、1889年の国会開設の詔勅。

1889年(明治22)  森有礼暗殺される、大日本帝国憲法発布。

1890年(明治23)  9月、漱石、子規、東京帝国大学入学。10月、「教育勅語」発布。

1891年(明治24)  1月、内村鑑三の不敬事件。5月、皇太子ニコライ大津で襲撃される。

1894年(明治27)  7月、日清戦争始まる(~95年)。

1895年(明治28)   子規、日清戦争に従軍、講和条約と三国干渉。

1896年(明治29)   山県有朋、ニコライ二世の戴冠式に出席。

1897年(明治30)   松山で『ほととぎす』創刊、蘆花「トルストイ」、「不如帰」(~99年)。

1898年(明治31)   発行所を東京に移し、『ホトトギス』第一号。

1902年(明治35) 日英同盟締結。

1904年(明治37) 2月8日 日本の連合艦隊、旅順を奇襲、

2月10日、宣戦布告、2月~5月、旅順口閉塞作戦、8月、旅順攻撃開始(~1905年1月)、

8月、トルストイの「悔い改めよ」の翻訳が『平民新聞』に掲載。9月、遼陽を占領、兵役年限の延長。

1905年(明治38) 【1月、ロシアで「血の日曜日事件」】。5月27~8日、日本海海戦、

【6月、ポチョムキン号の反乱】、9月5日、ポーツマス条約調印、日比谷焼打ち。

【10月、ニコライ二世、国会開設を宣言】。

1906年(明治39)  6月、徳冨蘆花、トルストイ訪問、「勝利の悲哀」、「順禮紀行」。

1908年(明治41) 蘇峰、改訂版「吉田松陰」、漱石、「三四郎」。

1909年(明治42) 伊藤博文、ハルビンで暗殺  。

1910年(明治43) 4月、雑誌『白樺』創刊、6月、大逆事件、8月、日韓併合、

9月、関寛斎、蘆花宅を訪問、 11月、トルストイ死去 →『胡蝶の夢』。

1911年(明治44) 1月、幸徳秋水など処刑、蘆花「謀叛論」、漱石「現代日本の開化」、辛亥革命。

1912年(明治45,大正1)  7月、明治天皇死去、9月、乃木大将殉死、10月、関寛斎自殺。

1914年(大正3)  漱石「こゝろ」、 第一次世界大戦(~18年)。

1916年(大正5)  蘇峰「大正の青年と帝国の前途」。

1917年(大正6)  ロシア革命、翌年、日本は米英仏などとともにシベリア出兵(~25年)

1921年(大正10)   原敬暗殺される。高橋是清、首相となるが辞職。

1923年(大正12)  福田定一(司馬遼太郎)、大阪市に生まれる、関東大震災。

1925年(大正14)  普通選挙法、治安維持法が公布。

1930年(昭和5)  山中峯太郎「敵中横断三百里」、ロンドン海軍軍縮条約。浜口雄幸首相襲われる。統帥権干犯問題発生。

1931年(昭和6)  浜口首相、死亡、満州事変。

1932年(昭和7)  五・一五事件(犬養毅首相、暗殺)、高橋是清、臨時首相となる。

1935年(昭和10) 美濃部達吉の『憲法講義』が発禁処分となる。

1936年(昭和11) 福田、中学校に入学、二・二六事件で高橋是清など暗殺される。

1937年(昭和12) 文部省『国体の本義』発行、日中戦争(~45年)。

1939年(昭和14) ノモンハン事件、第二世界大戦(~45年)。

1941年(昭和16) 文部省『臣民の道』発行、国民学校令公布、真珠湾攻撃。

1942年(昭和17) 福田、大阪外国語学校蒙古語部に入学。

1944年(昭和19) 福田、学徒出兵で満州の戦車第一連隊の小隊長となる。

1945年(昭和19) 福田の連隊、栃木県佐野市に移駐、広島・長崎に原爆投下、ポツダム宣言受諾。

1954年(昭和29) 司馬「それでも、死はやってくる」 、 第五福竜丸事件。

1956年(昭和31) 「ペルシャの幻術師」。

1962年(昭和37) 「竜馬がゆく」(~66年)、  「燃えよ剣」(~64年)、 【10月、キューバ危機】。

1963年(昭和38) 「国盗り物語」(~66年)、「幕末」、  【ケネディ大統領、暗殺】。

1965年(昭和40)  【米、北ベトナム爆撃開始(~73年)】。

1966年(昭和41)「義経」(~68年)、「峠」(~68年)、 【中国、文化大革命】。

1967年(昭和42) 「殉死」(「要塞」「腹を切ること」)、 【EU発足】。

1968年(昭和43) 「坂の上の雲」(~72年)、「歳月」(~69年)。

大学紛争激化、【キング牧師、ロバート・ケネディ暗殺、ソ連・東欧軍、チェコ侵入】。

1969年(昭和44) 「世に棲む日日」(~70年)、「手掘り日本史」。

1970年(昭和45) 「日本歴史を点検する」。

1972年(昭和47)  「翔ぶが如く」(~76年)。

1973年(昭和48) 「竜馬像の変遷」、「モンゴル紀行」(~74年)、「空海の風景」(~75年)、

「人間の集団について――ベトナムから考える」。

1974年(昭和49) 「沖縄・先島への道」。

1975年(昭和50) 「土地と日本人」(~76年)。

1976年(昭和51) 「胡蝶の夢」(~79年)、「信州佐久平みち、潟のみちほか」。

1977年(昭和52)  「中国を考える」(~79年)。

1979年(昭和54)  「菜の花の沖」(~82年)、「ひとびとの跫音」(~81年)。

「北海道の諸道」、【イラン革命。ソ連軍、アフガニスタン侵攻(~88年)】。

1982年(昭和57) 「ロシアについて――北方の原形」、「箱根の坂」(~83年)。

1984年(昭和59) 「韃靼疾風録」(~87年)。

1985年(昭和60)  「アメリカ素描」。

1986年(昭和61)  「この国のかたち」(~96年)、「風塵抄」(~96年)。

1987年(昭和62) 「雑談『昭和』への道」放映(→「「昭和」という国家」)。

1989年(昭和64) 「「明治」という国家」、「オランダ紀行」(~90年)。

1991年(平成3) 「時代の風音」、「本郷界隈」(~92)、【1月、湾岸戦争、9月、ソ連邦崩壊】。

1996年(平成8)  2月12日、司馬遼太郎(福田定一)死去。

         (『司馬遼太郎とロシア』東洋書店、ユーラシア・ブックレット、2010年。2014年5月、追加・改正。柴村羊五『北海の豪商 高田屋嘉兵衛』亜紀書房、2000年などを参照)