高橋誠一郎 公式ホームページ

  比較文学と文明論の研究者です。現在は『「悪霊」と現代日本文学――黙示録的終末論との対峙』(仮題)を執筆中で、なんとか早い時期に出版したいと願っています。
  前著『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021)では、堀田の自伝的長編小説『若き日の詩人たちの肖像』や『審判』などの作品を読み解くことで、「核の傘」政策に依存しつつ戦前の価値観への復帰を目指している日本の政治の危険性を指摘しました。
  その後、プーチン大統領によるウクライナ侵攻が勃発し、プーチンに「君と僕は、同じ未来を見ている」と呼びかけていた安倍元首相が殺害されたことで、前著でも言及していた『黙示録』的な世界観の危険性が明確になりました。
 本書では『黙示録』的な世界観を克服しようとした堀田善衞や高橋和巳の作品を通しての『悪霊』を考察することにより、『黙示録』に引き寄せたドストエフスキー解釈の問題を考察します。 そのことによって、「自殺攻撃」を正当化した戦前の価値観への復帰を目指している自民党や維新と統一教会とのつながりの危険性を明らかにしたいと考えています。

メニュー

主なスレッドの目次Ⅰ

重要な問題が山積しているので、テーマの確認とテーマの深化のためにツイッターの〔スレッドの目次〕を作成しました。ツイートを記載順にまとめただけのものもありますが、論文を元にしたものはこれからもそのテーマを掘り下げて考察したいと考えています。(ホームページのみが示されている場合は、引用ツイートからスレッドに入れます)

〔主なスレッドの目次Ⅰ〕

〔立憲野党と非カルト教団は共闘を!〕、〔統一教会と自民・維新との癒着〕、〔核兵器禁止条約に至る道と日本の「核の傘」政策〕、〔核兵器禁止条約と日本の「核の傘」政策〕、〔 安倍元首相の母方の祖父・岸信介元首相と昭和初期の日本の政治〕、〔「明治維新」の賛美と「国家神道」復活の危険性〕、〔「コロナ禍の中で行われたオリンピックを振り返る〕、〔自民と維新による「改憲」と「緊急事態条項」の危険性〕、〔「日米地位協定」の危険性』〕、

新刊

 

【「ヨーロッパの東端から アジアの東端から 混迷をきわめる時代と向き合った二人の作家。 共鳴するその思索の核心を明らかにしていく比較文学の試み。」】

詳細目次 gunzosha.com/books/ISBN4-91

書評と紹介など→『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』

『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社、2019年)

本書では権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を明治の文学者たちの視点から読み解き、「教育勅語」渙発後の明治の『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争や『破戒』を考察した。

終章では徳富蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論や『白痴』論の問題点にも鋭く迫っていた堀田善衞の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』の意義にも言及した。

脱原発と憲法の重要性/安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉/司馬遼太郎の「神国思想」批判

 *祝 ICAN(核兵器廃絶国際NPO)のノーベル平和賞受賞

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

Ⅰ.「黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観」 1、「原爆の申し子」としてのゴジラ 2,水爆「ブラボー」の実験と「第五福竜丸」事件 3,水爆大怪獣「ゴジラ」 4,核戦争の恐怖と映画《生きものの記録》 5,チェルノブイリ原発事故と「第三次世界大戦」 6,福島第一原子力発電所事故と映画《夢》 7,黒澤明と作家ガルシア・マルケスとの対談

Ⅱ.大国の核政策と「終末時計」 1,  終末時計の時刻とトランプ大統領の核政策 2,北朝鮮情勢と安倍政権の核政策、3,「核兵器禁止条約」と日本 4,「終末時計」が1953年と同じ「残り2分」に)

安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉/

1、岩倉具視の賛美と日本の華族制度 2,長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判 3,長編小説『夜明け前』と「復古神道」の仏教観 4,「神道政治連盟」と公明党との不思議な関係 5,美しいスローガンと現実との乖離 ) 

司馬遼太郎の「神国思想」批判と憲法の高い評価

(1,「神国思想」の批判 2,「公地公民」制と帝政ロシアの農奴制 3,坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判 4,明治維新と「廃仏毀釈」運動 5,「明治憲法」の破壊者――公爵・山県有朋 6、山県有朋の官僚支配 7,明治政府的な「公」の観念の批判 8,「明治国家」80年説 9、ヒトラー観と昭和前期の日本観 10、戦後日本と平和憲法の評価)

トップページと各ページの構成

(青い文字のページには、リンクしています)

トップページの構成

お知らせ(1)

お知らせ(2)/

脱原発と憲法の重要性

各ページの構成

「著書・共著」タイトル一覧

各ページの構成

256px-Hemitage-exterior(ネヴァ川から見たエルミタージュ美術館。かつてはロマノフ王朝の冬の宮殿。図版は「ウィキペディア」より)

「風と大地と(ブログ)」:日々感じたことを記す他、他のページに書いたタイトルと内容の簡単な紹介

「主な研究(活動)」:タイトル一覧 (ドストエフスキー、ロシア文学、小林秀雄関係)/ タイトル一覧Ⅱ (司馬遼太郎、正岡子規、近代日本文学関係)

「映画・演劇評」:タイトル一覧Ⅰ(黒澤映画、黒澤映画と関係の深い映画)/ タイトル一覧Ⅱ (ゴジラ関係、宮崎駿映画、演劇など)

「著書・共著と書評・図書紹介」:著書と共著を「目次」や索引やなどとともに掲載する他、拙著の書評なども紹介。「書評・図書紹介」では私が影響を受けた著作や関心を持った著作の書評を掲載

文明論(地球環境・戦争・憲法):原水爆や原発など原子力エネルギーの問題や、戦争や憲法を決定する政治の問題を考察

1024px-NASA-Apollo8-Dec24-Earthrise

(月から撮影した地球、写真は「ウィキペディア」より)

「新着情報と講演・市民講座」:講演などの予定とこれまでに行った講演と市民講座の一覧を掲載

「年表とブログ・タイトル一覧」:このHPのテーマに関連する年表とブログ・タイトルの一覧を掲載

「お問い合わせ」:実名でのご感想やご意見は「お問い合わせ」のページにお送り頂き、興味深い内容のご意見や鋭いご批判は、後日ご紹介するようにしたいと考えています。ただ、まだこのHPはまだ構築中なので、もう少しお待ちください

(なお、本HPでは実名を原則としますので、コメントなどは受け付けていません。) 

「著書・共著」タイトル一覧

著書

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『堀田善衞とドストエフスキー 大審問官の現代性』(群像社、2021年)

→詳細目次 gunzosha.com/books/ISBN4-91

【「ヨーロッパの東端から アジアの東端から 混迷をきわめる時代と向き合った二人の作家。 共鳴するその思索の核心を明らかにしていく比較文学の試み。」

安倍元首相が「君と僕は、同じ未来を見ている」と呼びかけたプーチン大統領による今回のウクライナ侵攻は自民党が「改憲」で掲げる「緊急事態条項」の危険性を示しており、比較文明的な広い視野と哲学的な深さでドストエフスキー作品を読み込んだ堀田善衞による「大審問官」のテーマの考察の現代性をも示唆している。】

 

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⇒『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社、2019年)

【本書では青春時代に「憲法」を獲得した明治の文学者たちの視点で、「憲法」のない帝政ロシアで書かれ、権力と自由の問題に肉薄した『罪と罰』を読み解くことで現代の「立憲主義」の危機に迫り、「教育勅語」渙発後の北村透谷たちの『文学界』と徳富蘇峰の『国民の友』との激しい論争などをとおして「立憲主義」が崩壊する過程を考察し、蘇峰の英雄観を受け継いだ小林秀雄の『罪と罰』論の危険性を明らかにした。】

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『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年)

【木曽路を旅して「白雲や青葉若葉の三十里」という句を詠み、東京帝国大学を中退して新聞『日本』の記者となった正岡子規の眼差しをとおして『坂の上の雲』を読み解き、帝政ロシアと「明治国家」との教育制度や言論政策の類似性に注目することで、「比較」や「写生」という方法の重要性を明らかにする】。

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『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社、2014年)

【なぜ映画“夢”は、フクシマの悲劇を予告しえたのか。1956年12月、黒澤明と小林秀雄は対談を行ったが、残念ながらその記事が掲載されなかった。共にドストエフスキーにこだわり続けた両雄の思考遍歴をたどり、その時代背景を探る。】

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『黒澤明で「白痴」を読み解く』(成文社、2011年)

【ドストエフスキーが描いた長編小説『白痴』の世界を見事に戦後の混乱した日本に現出させ、映画《サクリファイス》のタルコフスキー監督をも驚かせた黒澤映画《白痴》をとおして帝政ロシアの貴族社会の実態を暴いた原作の深みに迫る。】

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『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

【吉田松陰から高杉晋作を経て、「権力政治家」山県有朋に至るまでを描いた『世に棲む日日』を視野に入れつつ、「天誅」やテロが横行していた幕末に、「オランダ憲法」を知って武力革命ではなく平和的な手段で政権を変えようとした若者の生涯を描いた『竜馬がゆく』を読み解く。】

 

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 『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)

【父・ミハイルが貴族となったことで直面した「農奴制」の悲惨さ。ロシア版「教育勅語」が出されたニコライ1世の「暗黒の30年」に青春を過ごしたドストエフスキーが検閲に苦しみながらも発表した『貧しき人々』など初期作品を読み解く。】

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『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年)

【「報復の権利」を主張して開始されたイラク戦争後の混沌とした国際情勢を踏まえて『坂の上の雲』を読み解くことで、「自国の正義」を主張して「愛国心」などの「情念」を煽りつつ「国民」を戦争に駆り立ててきた近代の戦争発生の仕組みと危険性を明らかにする。】

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『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房、2002年)

【途中で中断した『罪と罰』(1866)に続いて内田魯庵が翻訳したのが長編小説『虐げられた人々』(1861)であった。日露の「文明開化」の類似性とその危険性を明らかにすることで、ドストエフスキー兄弟が「大地主義」を掲げた時期に書かれた作品の現代的な意義に迫る

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『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、初版1996年、新版2000年)

【ヒトラーは『わが闘争』で「弱肉強食の理論」を正当化し、「自尊心」を強調しながら「復讐の情念」を煽った。主人公の言動と「人類滅亡の悪夢」をとおして『罪と罰』は、「弱肉強食の理論」に基づく「非凡人の思想」や「正義の戦争」の危険性を予告していた。】

*新刊

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『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016)

【映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌をたどるとともに、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物の言動を詳しく分析することによって、神話的な歴史観で原発を推進して核戦争にも対処しようとしている「日本会議」の危険性を明らかにし、黒澤明監督と宮崎駿監督の映画に描かれた自然観に注目することにより、核の時代の危機を克服する道を探る】。

 

【のべる出版企画】から出版した下記の著書は出版社に直接ご注文下さい。

(FAX 03-3896-6507、E-mail:novel-syuppan@nifty.com)

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 司馬遼太郎と時代小説――「風の武士」「梟の城」「国盗り物語」「功名が辻」を読み解く』 (のべる出版企画、2006年) 【『風の武士』や『梟の城』などの忍者小説や織田信長などを描いた『国盗り物語』や『功名が辻』を文明論的な視点から読み解くことにより、「英雄」による「鬼退治」を讃える歴史観への鋭い批判を「司馬史観」が秘めていることを明らかにする。】

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『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』(リチャード・ピース著、池田和彦訳、高橋誠一郎編、のべる出版企画、2006年)

【「報復の権利」を主張したイラク戦争によって21世紀は泥沼の「戦争とテロ」の時代になったように見える。本書は『地下室の手記』を精緻に読み解くことで、功利主義やバックルが『イギリス文明史』で主唱した近代西欧文明を「地下室の男」が根本的に批判していることを明らかにしている。】

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『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』(のべる出版企画、2002年)

【日露の近代化の比較という視点から、『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』、『沖縄・先島への道』、『菜の花の沖』などの作品を読み解くことで、「公地公民」制の実態や「義勇奉公」の理念の危険性を明らかにした「司馬史観」の深まりに迫る。】

 

共著 (/の後に論文名を記す)

『文明の未来 いま、あらためて比較文明学の視点から』(東海大学出版部、2014年)/司馬遼太郎の文明観―-古代から未来への視野(レジュメ)

志村有弘編『司馬遼太郎事典』(勉誠出版、2007年)(次の項目を執筆)「鬼謀の人」、「北斗の人」、「中国を考える」、「東と西」、「歴史の舞台 文明のさまざま」   

Faits et imginaires de la guerre russo-japonaise, Kailash Editions,2005)/Le regard de l’ecrivain Shiba Ryotaro sur la guerre russo-japonaise (traduction de K.Arneodo)

『文明と共存――齋藤博名誉教授古稀記念論文集』(伊東健・高橋誠一郎共編、記念論文集発行委員会、2005年)/「「非凡人の理論」と他者――比較文明学の視点から」/

『論集・ドストエフスキーと現代――研究のプリズム』(木下豊房・安藤厚編、多賀出版、2001年)/「『白痴』におけるムイシュキンとロゴージンの形象――オストローフスキイの作品とのかかわりをめぐって」、「ドストエフスキーとダニレーフスキイ――クリミア戦争をめぐって」/

『日本の近代化と知識人――若き日本と世界』(東海大学出版会、1999年) /「日本の近代化とドストエーフスキイ」/

『講座比較文明』第1巻(伊東俊太郎・梅棹忠夫・江上波夫-監修/神川正彦・川窪啓資編、朝倉書店、1999年)/「ヨーロッパ『近代』への危機意識の深化(1)--ドストエーフスキイの西欧文明観」/

 東海大学外国語教育センター編『若き日本と世界ーー支倉使節から榎本移民団まで』(東海大学出版会、1998年)/「日本の開国とクリミア戦争――作家ゴンチャローフが見た日本と世界」/

【絶版】

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『司馬遼太郎とロシア』(ユーラシア・ブックレット)(東洋書店、2010年)

司馬遼太郎の「神国思想」批判と平和憲法の高い評価

『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲』を読み直す』、紀伊國屋

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1、「神国思想」の批判

 幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘した司馬遼太郎は、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と記していた(『竜馬がゆく』文春文庫)

子規の青春と民主主義の新たな胎動

2,「公地公民」制と帝政ロシアの農奴制

「公とは明治以後の西洋輸入の概念の社会ということではなく、『公家(くげ)』という概念に即した公」であり、「(「公地公民」とは――引用者)具体的には京の公家(天皇とその血族官僚)が、『公田』に『公民』を縛りつけ、収穫を国衙経由で京へ送らせることによって成立していた制度」だった(『信州佐久平みち、潟のみちほか』、『街道をゆく』第9巻)。

,坂本竜馬の「船中八策」と独裁政体の批判

坂本竜馬が「船中八策」で記した「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛(さんたん)せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」という「第二策」を、「新日本を民主政体(デモクラシー)にすることを断乎として規定したものといっていい」と位置づけるとともに、「他の討幕への奔走家たちに、革命後の明確な新日本像があったとはおもえない」と書いた司馬は、「余談ながら維新政府はなお革命直後の独裁政体のままつづき、明治二十三年になってようやく貴族院、衆議院より成る帝国議会が開院されている」と続けていた(『竜馬がゆく』)。

4,明治維新と「廃仏毀釈」運動

「仏教をも外来宗教である」とした神祇官のもとで行われた「廃仏毀釈」では、「寺がこわされ、仏像は川へ流され」、さらに興福寺の堂塔も破壊された(『翔ぶが如く』)。

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(破壊された石仏。川崎市麻生区黒川。写真は「ウィキペディア」より)

リンク→日本国憲法施行70周年をむかえて――安倍首相の「改憲」方針と〈忍び寄る「国家神道」の足音〉関連記事を再掲

5,「明治憲法」の破壊者――公爵・山県有朋

「日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝(ツァーリ)のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。」(『翔ぶが如く』)

リンク→明治の藩閥政府と平成の安倍政権(1)――『新聞紙条例』(讒謗律)と「特定秘密保護法」、「保安条例」と「共謀罪」との酷似

6、山県有朋の官僚支配

「山県に大きな才能があるとすれば、自己をつねに権力の場所から放さないということであり、このための遠謀深慮はかれの芸というべきものであった…中略…官僚統御がたれよりもうまかった。かれの活動範囲は、軍部だけでなくほとんど官界の各分野を覆った」(『坂の上の雲』)。

7、明治政府的な「公」の観念の批判

「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない。/明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であった(太字は引用者、『甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、『『街道をゆく』第7巻)。

参考: 天皇崇敬と皇室祭祀を中心に『公』の秩序を形成するという基本方針は、明治維新の最初期に定まっており、その制度化に向けた布石は、早くから置かれていた」(島薗進著『国家神道と日本人』岩波新書、40頁)。

、「明治国家」80年説

「明治国家の続いている八十年間、その体制側に立ってものを考えることをしない人間は、乱臣賊子とされた」とし、民主主義的な思想を持っていた「竜馬も乱臣賊子の一人だった」と記した司馬氏はこう続けています。「人間は法のもとに平等であるとか、その平等は天賦のものであるとか、それが明治の精神であるべきです。こういう思想を抱いていた人間がたしかにいたのに、のちの国権的政府によって、はるか彼方に押しやられてしまった」。

ただ、司馬氏は「結局、明治国家が八十年で滅んでくれたために、戦後社会のわれわれは明治国家の呪縛から解放された」と書いていましたが、明治が四五年で終わることを考慮するならば「明治国家」が「八十年間」続いたという記述は間違っているように思う人は少なくないと思われます。しかし、「王政復古」が宣言された一八六八年から敗戦の一九四五年までが、約八〇年であることを考えるならば、司馬氏は「明治国家」を昭和初期にまで続く国家として捉えていたといえるでしょう。(『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』人文書館、2015年、183頁)

、ヒトラー観と昭和前期の日本観

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

10、戦後日本と平和憲法の評価

「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」(「歴史を動かすもの」1970年、『歴史の中の日本』中公文庫)。

劇作家・井上ひさし氏との対談で司馬氏は、戦後に出来た新しい憲法のほうが「昔なりの日本の慣習」に「なじんでいる感じ」であると語った司馬は、さらに、「ぼくらは戦後に『ああ、いい国になったわい』と思ったところから出発しているんですから」、「せっかくの理想の旗をもう少しくっきりさせましょう」と語り、「日本が特殊の国なら、他の国にもそれも及ぼせばいいのではないかと思います」と続けていました。(「日本人の器量を問う」『国家・宗教・日本人』講談社、1996年)。(『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』東海教育研究所、2005年、219頁

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(昭和22年5月の日本国憲法施行記念切手の図版は「ウィキペディア」より、書影は「紀伊國屋書店」より)

次頁→ 国民の安全と経済の活性化のために脱原発を――黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観

(2017年6月13日、加筆し図版とリンク先を追加、2023/02/07、ツイートを追加)

 

国民の安全と経済の活性化のために核兵器の廃絶と脱原発を――「終末時計」が1953年と同じ「残り2分」に

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(広島に投下されたウラン型原子爆弾「リトルボーイ」によるキノコ雲と、長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。

 

Ⅰ.「黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観」

1、「原爆の申し子」としてのゴジラ

「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」(本多猪四郎監督)。

2,水爆「ブラボー」の実験と「第五福竜丸」事件

1280px-Castle_Bravo_Blast(←画像をクリックで拡大できます)

(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真)

ゴジラの咆哮がスクリーンで轟いたのは、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験の際にも、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われた一九五四年のことであった(『ゴジラの哀しみ』、3頁)。

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(「第五福竜丸」、図版は「ウィキペディア」より)。

公害研究の先駆者の宇井純は「文明の生み出した環境破壊の最悪の例として核兵器を挙げ」、原爆を「日本の公害の原点だ」と位置づけ、「第五福竜丸」事件の際に海洋汚染や大気の汚染を測定した化学者の三宅泰雄も「原子力発電の際、核燃料の燃えかすとして出来るものは、原水爆の『死の灰』と全く同じものである」と指摘していた(『ゴジラの哀しみ』、46~47頁)。

3,水爆大怪獣「ゴジラ」

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(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

本多猪四郎監督は映画《ゴジラ》についてこう語っていた。「第一代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。…中略…ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」。

4,核戦争の恐怖と映画《生きものの記録》

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

やはり、「第五福竜丸」事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は、「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を製作した(『ゴジラの哀しみ』、32頁)。

5,チェルノブイリ原発事故と「第三次世界大戦」

2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチは、「チェルノブイリは第三次世界大戦なのです」と語っているが、レベル七(深刻な事故)に分類されるチェルノブイリ原発事故では、「三〇㎞ゾーンだけでも、一〇万人近い住民が強制避難させられ」、「今なお多くの地域で、土壌汚染の問題が続いている」(『ゴジラの哀しみ』、62頁)。

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(4号炉の石棺、2006年。Carl Montgomery – Flickr)

6,福島第一原子力発電所事故と映画《夢》

同じレベル七の福島第一原子力発電所の大事故に際しては、放射能の広がりを表示できるSPEEDIというシステムを持ちながら情報が「隠蔽」されていたために、多くの国民が情報を知らされずに被爆するという結果を招いた。

実は、黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」では、原発関係者の男(井川比佐志)が「あの赤いのがプルトニューム239、あれを吸い込むと、一千万分の一グラムでも癌になる。……黄色いのはストロンチューム90」などと説明をした後で、「放射能は目に見えないから危険だと言って、放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない」と続けていた(『ゴジラの哀しみ』、28~29頁)。

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan(←画像をクリックで拡大できます)

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機。)

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【原発は安全だと!?ぬかしたヤツラは許せない】(黒澤映画《夢》の「赤富士」。ブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より) blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da… … …… pic.twitter.com/d4MGQKdlmM

7,黒澤明と作家ガルシア・マルケスとの対談

作家のガルシア・マルケスが、「核の力そのものがいけないのではなくて、(中略)核の使い方を誤った人がいけないんじゃないでしょうか」と「核の平和利用」もありうると主張した。

それに対して黒澤は「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」と語り、「人間はすべてのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ」と続けていた(太字は引用者、『ゴジラの哀しみ』、166頁))。

Ⅱ.大国の核政策「終末時計」

1,  終末時計の時刻とトランプ大統領の核政策

終末時計 (←画像をクリックで拡大できます)

アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年には世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の7分前であることに注意を促していた。冷戦の終結によって「残り17分」までに回復したが、しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り3分」に戻った。

さらに、2017年1月にはトランプ大統領が「核廃絶」や地球の温暖化に対して消極的な発言を行なったことなどから「残り2分半」になったと発表された。(図版は「ウィキペディア」より)

2, 北朝鮮情勢と安倍政権の核政策

7月7日には国連で「核兵器禁止条約」が国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたが参加すらしなかった。水爆実験やミサイルの発射などを繰り返した北朝鮮に対してトランプ大統領が「北朝鮮を完全破壊」することもありうるとの恫喝的な発言を国連で行い国際社会からの強い顰蹙を買った際にも安倍首相はその危険性を指摘すらもしなかった。

しかし、狭い国土に世界の7%に当たる110の活火山を有する火山大国であり、地震大国でもある日本に、現在、54基もの原発があり、安倍政権によってその稼働が進められていることを考慮するならば、日本をも巻き込んだ極東での戦争がレベル7の大事故だった福島第一原子力発電所事故以上の地球規模の大惨事となることは明白のように思われる。

3,「核兵器禁止条約」と日本

つまり、「核兵器禁止条約」は理想論ではなく、「化学兵器禁止条約」と同じように人道的な条約であり、さらに地球と人類を存続させるための現実的で切実な条約といえるだろう。

原水爆の危険性と非人道性をよく知る被爆国・日本は、「核の傘」理論が机上の空論であり、キューバ危機の時のように憎悪や恐怖の感情に襲われた時には全く役に立たないことを明らかにして、非核運動の先頭に立つべきであろう。

無責任な政治家と終末時計の時刻

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 (↑ 画像をクリックで拡大できます ↑)

【映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌をたどるとともに、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物の言動を詳しく分析することによって、神話的な歴史観で原発を推進して核戦争にも対処しようとしている「日本会議」の危険性を明らかにし、黒澤明監督と宮崎駿監督の映画に描かれた自然観に注目することにより、核の時代の危機を克服する道を探る】。

,「終末時計」が1953年と同じ「残り2分」に

終末時計、2018(←画像をクリックで拡大できます)

今年は核戦争の懸念の高まりやトランプ米大統領の「予測不可能性」などを理由に「終末時計」がついに1953年と同じ残り2分になったと発表された(AFP=時事)。安倍政権は超大国アメリカに追随して軍拡を進めているが、今こそ核戦争の危険性を踏まえた「日本国憲法」の意義が認識されるべきだろう。

(2017年2月3日、加筆しリンク先を追加。5月16日、2018年1月26日加筆、2023/02/07ツイートを追加)