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『野火』

山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』(新潮社、2014年)

 

山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』(新潮社、2014年)

著者の山城むつみ氏については、詳しい説明の要はないだろう。一九九二年に「小林批評のクリティカル・ポイント」で第三五回群像新人文学賞を受賞し、二〇一〇年には『ドストエフスキー』(講談社)で毎日出版文化賞を受賞している。この他にも中野重治、椎名麟三、吉本隆明などを論じた『転形期と思想』(講談社、一九九九年)、『文学は〈人間学〉だ。』(佐藤泰正氏との共著、笠間書院、二〇一三年)などを次々と発表しており、本書もそうした知的蓄積の上に書かれている。

満州国が建国された翌年の一九三三年からドストエフスキー論を書き始めた小林にあった『ドストエフスキイの文学』という「作品論集成の腹案」が、「小林の望んだ形ではついに刊行されなかった」と記した著者は、その「空白」に焦点を絞って考察した本書で、「ゆっくり読もう。焦点が合いさえすれば、その先には何かそら恐ろしいものさえ見えるはずである」と書いている。評者もゆっくりと読むことで、戦争の時代における殺人や人の心の闇に迫った本書を考察したい(以下、敬称は略す)*1。

 

〈回帰する一八七〇年代〉と題された序章で、山城は小林が『罪と罰』に続いて「『白痴』を論じた後に「すぐには『悪霊』を論じず、むしろ、禁欲的に作品への論評を避けながら作家の実生活とその時代に分け入ってゆく『ドストエフスキイの生活』の連載に直ちに着手し」、とくに「ネチャアエフ事件」を論じた次のような文章を引用していることを指摘している。

「この動機の為に、心の清らかな単純な人間でも、あの様な厭はしい罪悪の遂行に誘惑され得るのだ。其処に、恐ろしいものがあるのだ。僕等は、厭ふべき人間に堕落しないでも厭ふべき行為を為し得る」(『作家の日記』一八七三年十二月十日)。

そして、「約二年をかけた周到な用意の上で」書き始められた小林の『悪霊』論が、「一九三七年七月に始まった日中戦争の展開と雁行するように連載され、いわゆる南京事件の前月の号に掲載された第四回で中断された」ことに注意を促した著者は、「急速にテロリズムに傾斜していった」ロシアのナロードニキの運動と、「心の清らかで純粋な人々が、ほかならぬアジアを侵略し植民地化して、まさしくスタヴローギンのように『厭はしい罪悪の遂行』に誘惑されて」いった「昭和維新の運動」が酷似していると書いている。

〈一九三八年の戦後〉と題された第一章は、「第二次上海事変、杭州湾上陸、そして南京事件という一連の大きな動きのあった直後に上海、杭州、南京と戦跡の生々しい各地を転々と」していた小林秀雄が、最初の従軍記事「杭州」を「上海時間と日本時間の時差のため杭州行きの汽車に乗り遅れる」という出来事から書き出し、「同じ場所で二つ時間があるといふ事にたゞもう無性に腹が立つた」と書いていることに注意を促し、次のように記している。

「小林が『そこ』に渡っていくつもの失錯につまずきながら次第に感受していくのは、『そこ』の日常には、ほんの『一時間』(東京と上海の時差)程度の些細なひずみによって、感知できない小さな穴がいくつも空いていて、そこに踏み入ってしまえば、強姦へであろうと、虐殺へであろうと、掠奪へであろうと、放火へであろうと、どんな『ど強い』異常へもこの日常から地続きにわずか一歩で易々と至り着いてしまうこと」の「恐ろし」さだった。

『悪霊』におけるスタヴローギンが自ら告白する少女凌辱の場面で小林秀雄が中断していたことに触れていた著者は、「文藝春秋」一九三八年六月号に発表された従軍記事「蘇州」の検閲で伏字になっていたり、ページが破り取られたりしている箇所を様々な図書館で確認しながら復元し、小林がこの従軍記事で「皇軍慰安所なるものがあってその『切符』に『一発』何円と書いてあるなど、あまりに露骨で、とうてい『ここ』の感覚では考えられない馬鹿馬鹿しいことである。しかし、そのありえないことが『そこ』では」、「平然と通用している」ことを明らかにしていたことを確認している。

「蘇州」の記事の「慰安所」の箇所などが削除された翌日の新聞に小林は、「今日までの思想家、文学者に対して行はれた当局の非常的処置については、僕は当然な事だと考へてゐた。今もさう思つてゐる」と書いた。しかし、小林がこの後で、従軍記者として現地を見た文学者は「日本人として今日の危機に関する生ま生ましい感覚だけは必ず持つて還るのだ…中略…そしてそれは、彼等の書くものに必ず現れるだらう」と書いていたことを指摘した山城は、小林が「文学」という方法で戦争に肉薄しようとしていたと解釈した。

第二章の〈日本帝国のリミット〉では、「満蒙開拓青少年義勇隊孫呉訓練所」を見学した小林が、「日本の国民が大人もこども」も「事変」に処するにいかに「黙つて」いるかを思い知り、「説明となると、僕の才能を越える」などと従軍記事「満洲の印象」で少なくとも三度も表現を断念していたが、それは単に「検閲」を考慮してのことではなく、この「時点ですでに『帝国』の果てようとしている境界まで来て歴史の硬い岩盤にぶつかっていたのだ」とし、小林が訪ねた「綏棱移民地瑞穂村」の四百九十五人の村民が「青酸カリで自決」したことにもふれている*2。

検閲で削除された従軍記事のテキストを再現しようとした山城の明晰な文章からは異様な迫力も伝わってくるが、「自分でもはつきりしないが、見物して来た戦後のど強い支那の風物は、僕の心のうちの何かを変へたらうとは感じてゐる」と書いていた小林秀雄のドストエフスキー論に「歴史の硬い岩盤」は、どのように反映されているのだろうか。

〈世界最終戦争と「魂の問題」〉と題された第三章では、「やはり中断」された『カラマーゾフの兄弟』論を中心に考察されているが、まず、確認しておきたいのは、「『白痴』についてⅠ」で「キリスト教の問題が明らかに取扱はれるのを見るには、『カラマアゾフの兄弟』まで待たねばならない」と書いていた小林がここで、「今日、僕等が読む事が出来る『カラマアゾフの兄弟』が、凡そ続編といふ様なものが全く考へられぬ程完璧な作と見えるのは確かと思はれる」と断言していたことである*3。

山城も「自由」という「耐え難く『恐ろしい贈物』を与える者」としての「キリスト」への「飢ゑ」を強調しながら、「その眼が見ている位相においては、殺したラスコーリニコフと殺さなかったミーチャとが『まったく等価』になる」とし、小林の記述が突然、断ち切られたことに「加害者」としての「ミイチャの魂の問題」との関わりを見て、戦後に書かれた『罪と罰』論との強い関連を示唆している。

〈戦後日本からの流刑〉と題された第五章は、一九四六年に行われた座談会「コメディ・リテレール」での小林の発言の紹介から始まっている。

「僕のような気まぐれ者は、戦争中支那なぞをうろつき廻り、仕事なぞろくにしなかったが、ドストイエフスキイの仕事だけはずっと考えていた。これは千枚も書いて、本を出すばかりになっているんですが、また読返してみると詰らなくて出せなくなった。しかし、まだ書き直す興味は充分あるのです」。

小林のこの言葉を受けて著者は「戦争中に心血を注いだ『ドストエフスキイの文学』は一応、完成していたようだが、敗戦という事実の後に読み返せば、『一向に纏まりのつかぬ疑はしい多量な研究ノオト』でしかなかったようだ」と記し、戦後に書いた『罪と罰』論で小林がエピローグについてこう書いていることに注意を促している。

「そこに一つの眼が現れて、僕の心を差し覗く。突如として、僕は、ラスコオリニコフという人生のあれこれの立場を悉く紛失した人間が、そういふ一切の人間的な立場の不徹底、曖昧、不安を、とうの昔に見抜いて了つたあるもう一つの眼に見据ゑられてゐる光景を見る。言はば光源と映像とを同時に見る様な一種の感覚を経験するのである。」

この文章について著者は、「小林は、エピローグに、作中人物が作者の視線を異様な忍耐で堪えているという『小説形式に関する極限意識と言ふべき異様な終止符』を見ようとしている」と書いている。そして、「『白痴』についてⅠ」で小林が「ドストエフスキーにとつて、この純粋さの象徴がキリストであった事は、疑ふ余地がない」と書いた時、「そこでは、キリストは象徴でしかなかった。だが、今では、比喩や象徴ではなく、『一つの眼』となって小林の心を差し覗いている。それが見ているのだ。それが見えるのではない」と続け、「『犯罪』を犯して丸太の上に腰を下ろして黙想しているのは敗戦後の小林秀雄自身である」と記した著者は、小林の『罪と罰』論の印象的な文章を引用している。

「見える人には見えるであらう。そして、これを見て了つた人は、もはや『罪と罰』という表題から逃れる事は出来ないであらう。…中略…聞こえるものには、聞こえるであらう『すべて信仰によらぬことは罪なり』(ロマ書)と」。

「キリスト」や「一つの眼」に言及しつつ、緊迫した文体で書かれた山城の文章からは、高校生の時に小林秀雄のドストエフスキー論に夢中になった時に感じた「異様な熱気」を再び体感することができた*4。

しかし、この『罪と罰』論の後に書いた『白痴』論で小林は、太平洋戦争直前の一九四一年一〇月号から翌年の九月号まで掲載されていた『カラマーゾフの兄弟』論以前のレベルへと後退していると思われる。

なぜならば、本書に掲載されている詳しい関連年表からは抜けているが、『「白痴」について』(角川書店)が単行本として発刊された翌年の一九六五年一〇月に『新潮』に掲載された対談で、「ムイシキン公爵は悪人ですか」と数学者の岡潔から問われた小林秀雄が、「悪人と言うと言葉は悪いが、全く無力な善人です」と言い直し、こう続けているからである。

「もっと積極的な善人をと考えて、最後にアリョーシャというイメージを創(つく)るのですが、あれは未完なのです。あのあとどうなるかわからない。また堕落させるつもりだったらしい」(『人間の建設』新潮文庫)。

一方、〈まえがき〉でこの「『白痴』についてⅡ」について、「何とも異様な書記の運動なのだ。小林も、このような文は二度とは創りえなかった。いったい、どうしたらこれほどの強度と密度の文が出来上がるのか」と書いていた著者は、〈戦後日本への復員〉と題された終章で戦後の『白痴』論について、こう記している。

「『白痴』読解の位相を突き破りそれを別の位相に容赦なく転換する『一つの眼』の視線に堪えながら」、『白痴』論を書いている小林には、「殺したロゴージンの不安と殺さなかったムイシュキンの不安とが全く同格に並列する世界があることが最初から『はつきり』しているのだ」(太字は引用者)。

そして、「『或る一点』とは、無論、『死』の事だ」とした小林の文章を引用した著者は、「あの『或る一点』の悩ましい感触から発している彼の『限りない憐憫の情』は、人々には『魔性』として、どこか破滅的に働きかけずにいないのだ」と続け、「ムイシュキンがロゴージンの『共犯者』であると小林が最後に仄めかしたのはこのことだ」と好意的に解釈している。

しかし、岡潔との対談で「無明」を強調しながら「だいいちキリスト教というものが私にはわからないのです。私は『白痴』の中に出ている無明だけを書いたのです」と語った小林は、「ムイシキンという男はラゴージンの共犯者なんです」と続けていた*5。

この説明から浮かんでくるのは、戦後の『白痴』論において小林がムイシキンの「魔性」を強調したことが、『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャの解釈の変更をも招いた可能性が高いということである。

デビュー作「様々な意匠」で小林は「指嗾」という用語を用いながら、「劣悪を指嗾しない如何なる崇高な葉」もないと書いていた。そのことに注目するならば、『カラマアゾフの兄弟』論が「中断」せざるを得なかった一因は、自殺したスメルジャコフに自分が殺人を「指嗾」をしていたことに気づいたイワンが「良心の呵責」に激しく苦しんだことにも触れざるをえなくなるのを恐れたことにあると思われる。

「たしかに、小林はミーチャ同様、犯罪者ではなかった。だが、敗戦後には罪人(単独者)になったのだ」と山城は書いている。しかし、先に見た座談会「コメディ・リテレール」でトルストイ研究者の本多秋五から戦前の発言について問い質された日本の代表的な知識人の小林秀雄は、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した」と語っていた(太字引用者)。

小林が自分を「罪人」と感じた期間はきわめて短く、「『白痴』読解の位相を突き破り」、テキストから離れた『新白痴』論を創作していたのではないだろうか*6。

ただ、著者が小林秀雄の『白痴』論に「異様な書記の運動」を見いだしているのは、戦争の苦しい体験から産み出された武田泰淳の「審判」、「ひかりごけ」や『森と湖のまつり』、さらには大岡昇平の『野火』などの深い記述の分析を、小林のドストエフスキー論に反映させて読み解いた結果だと思われる*7。

すでに誌数が尽きたので詳しく論じる余裕はないが、本書には第四章〈「終戦」の空白――『絶対平和論』と「マチウ書試論」〉や第六章〈復員者との対話――『野火』と『武蔵野夫人』〉、さらには『遙かなノートル・ダム』などについての付論も収録されている。強い知的刺激を受けたそれらの考察は次の機会に譲りたい。

 

*1 紙数の都合上、ここでは小林秀雄のドストエフスキー観を考察した箇所のみを対象とする。

*2 小林秀雄と満州とのかかわりについては、西田勝「小林秀雄と『満州国』」、『すばる』2月号、集英社、2015年に詳しい。

*3 ただ、小林秀雄はここで「ルナンが『キリスト伝』を書いたのは、ドストエフスキイが、シベリヤから還つて来て間もない頃である。ドストエフスキイが、この非常な影響力を持った有名な著書を読んだかどうかは明らかではないが、読んだとしても、恐らく少しも動かされることはなかったであらう」と書いていた。すぐれた『カラマーゾフの兄弟』論ではあるが、このような認識は戦後の『白痴』論に受け継がれている。

*4 小林秀雄のドストエフスキー論との出会いと決別については、リンク→「あとがきに代えて──小林秀雄と私参照。

*5 この対談については稿を改めて考察したいが、小林秀雄の『白痴』論を何度か読み直す中で強い違和感を抱くようになった一因は、読者を「注意深い読者」と「普通の読者」、「不注意な読者」の三種類に分類していることであった。そのような小林の見方からは、人間を「非凡人」「凡人」「悪人」の三種類に分類していたラスコーリニコフの「非凡人の理論」との類似性が感じられたのである。

*6 小林秀雄の『白痴』論における登場人物の相互関係の単純化の問題については、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』序章、30~31頁参照。

*7 大岡昇平のドストエフスキー観については、劇評「ドストエフスキー劇の現代性――劇団俳優座の《野火》を見る」、『ドストエーフスキイ広場』第16号、2007年。大岡昇平の戦争観については、司馬遼太郎との対談に言及した『この国のあした――司馬遼太郎の戦争観』のべる出版企画、2002年、第2章、84~85頁参照。

 (『ドストエーフスキイ広場』第24号、2015年、144~150頁)。