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(4)2・26事件の賛美と「改憲」の危険性

「磯部一等主計の遺稿について」論じた「『道義的革命』の論理」で三島由紀夫は、その前年に発表した『英霊の聲』で2・26事件の「スピリットのみを純粋培養して作品化しようと思った」と記している。

たしかに、古今東西の文学作品に通じ、華麗な文体で多くの作品を残した三島はすぐれた文学者であったが、近年のように磯部一等主計に憑依されたかのような『英霊の聲』以降の作品を政治的・宗教的な視点から評価して、「改憲」運動につなげることは危険だろう。

「日本の右翼テロリストは、その死生観において、ある伝統的な信仰につらぬかれていた。それは、かんたんにいえば、己の死後の生命の永続に関する楽天的な信念であり、護国の英雄として祭られることへの自愛的な帰依であった。そして、まさにそれを保障したものこそ、日本の国家神道と天皇信仰とにほかならなかった」と説明した「日本浪曼派」の研究者で三島の深い理解者でもあった橋川文三は、その危険性をこう指摘している。

「このような固有の神学思想は、一定の条件のもとでは、容易にいわゆる人権の抹殺をひきおこし、しかもそこに責任や罪を感じることのない心性をつくり出す。右翼テロリストにおいて「一殺多生」という仏典的発想が結びつくのも、そのような国有の死生観念を媒介とすると考えてよいと私は思う。「汝殺すなかれ」という人格神の絶対的戒律が与えられていない場合、そこには、いかなる残虐も本来的な生命への責任感をよびおこすことはないからである。」(「テロリズム信仰の精神史」『橋川文三 著作集』5、筑摩書房)。

興味深いのは、天草の乱を描いた大作『海鳴りの底』で村岡典嗣氏の論文「平田篤胤の神学に於ける耶蘇教の影響」から「復古神道」の根幹にはキリスト教からの援用があることを知ったことを記していた堀田は、主人公に「洋学応用の復古神道」が「儒仏を排し、幕末にいたっては国粋攘夷思想ということになり、祭政一致、廃仏毀釈ということになり、あろうことか、恩になったキリスト教排撃の最前衛となる。それは溜息の出るようなものである」という感想を抱かせている。

そして、作者は登場人物の一人に「平田篤胤がヤソ教から何を採って何をとらなかったかが問題なんだ、ナ」と語らせ、「復古神道はキリスト教にある、愛の思想ね、キリストの愛による救済、神の子であるキリストの犠牲による救済という思想が、この肝心なものがすっぽり抜けているんだ。汝、殺すなかれ、が、ね」と続けさせて、「復古神道」における「汝殺すなかれ」の理念の欠如を指摘していた。

日本人が情念に流されやすいことはたびたび多くの論者が指摘されてきているが、ウクライナ危機に乗じて、「敵基地攻撃論」や「緊急事態条項」が議論されるようになってきている現在、2・26事件の問題をきちんと把握しておく必要があるだろう。

(2023/2/14,ツイートの追加)

(4)安倍首相の「国連特別報道者」非難発言と日本の孤立化

「日本政府が、その抗議において、繰り返し多用する主張は、2020年の東京オリンピックに向けて国連越境組織犯罪防止条約を批准するためにこの法案が必要だというものでした。」(国連特別報告者「官房長官の声明に対する反論」)

*   *   *

読売新聞(5月27日、電子版)は「(国連事務総長)グテレス氏は日本の国会で審議中の組織犯罪処罰法改正案(テロ準備罪法案)を巡り、国連人権理事会の特別報告者が懸念を伝える書簡を首相に送ったことについて、「必ずしも国連の総意を反映するものではない」との見解を明らかにした」とニュースのソースを明らかにせずに発表した。

このような報道を受けて安倍首相は29日の参院本会議で、国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏が「共謀罪」法案によるプライバシー権侵害への懸念を表明したことについて、「言動は著しくバランスを欠き、客観的であるべき専門家の振る舞いとは言い難い」と強く批判し、さらに公開書簡を発表したことを念頭に「信義則にも反する。一方的なものである以上、政府のこれまでの説明の妥当性を減ずるものでは全くない」と厳しく非難し、自身宛ての質問に対しては「わが国の取り組みを国際社会で正確に説明するためにも、しっかりと返したい」と語った。

しかし、「日刊ゲンダイ」などでもすでに詳しく報道されているように、人権理事会理事国選挙の際に日本政府は、「世界の人権保護促進への日本の参画」と題した文書を公表し、〈特別報告者との有意義かつ建設的な対話の実現のため、今後もしっかりと協力していく〉と明記していた。→国連人権理事会理事国選挙 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003868.html …

それにも関わらず「共謀罪」の問題点を指摘されると「客観的であるべき専門家の振る舞いとは言い難い」と特別報告者のケナタッチ氏を強く非難したことの方が、理事国選挙の際の公約を破り「信義則にも反する」と国際社会から批判されるだろう。

実際、本日(30日)国連の報道官は、「共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪を新設する法案に懸念を示した国連の特別報告者」の言動を非難した日本政府の見解に対しても、「事務総長は特別報告者について、国連人権理事会に直接、報告を行う独立した専門家」であり、「彼らは国連人権理事会の組織の一部でもある」と語ったとコメントして、日本政府の解釈を否定した。

さらに、金田法相の国会発言からは「共謀罪」が人権・環境団体をも対象としていることが新たに明らかになっただけでなく、「加計学園」問題について証言した前川前文科次官に対する政権と御用新聞による誹謗中傷などからも、オリンピックを名目にした「共謀罪」法案が、テロ対策よりも政権の関係者の利権を守り、批判者を取り締まる法案であることがいっそう明確になってきた。

これまで日本国内での事実の改竄や証拠の隠蔽に成功してきたために、安倍政権は国際社会でも訳語の改竄のような二枚舌が通用すると考えているのかもしれない。

しかし、すでに2013年に国連のピレイ・人権高等弁務官は安倍政権が強行採決した「特定秘密保護法案」についても、「成立を急ぐべきではない」と語っていた。

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化

国連からの度重なる警告や質問を無視している安倍政権は、いずれ国際社会からの強い批判を招いて孤立化し、国際連盟から脱退してオリンピックを返上していた1940年と同じような事態になると思われる。

国連事務総長金田法相

(出典は「東京新聞政治部」のツイッター)

(4)眼が真っ黒に塗りつぶされた羊の絵――参謀の「魔法の杖」と内閣官房の闇

この映画では新聞社の社会部に匿名で送られてきた「医療系大学の新設」に関する極秘公文書の表紙に描かれた「真っ黒に眼が塗りつぶされた羊」の絵が、重要な役割を果たしている。

すると神崎の妻・伸子は「羊の形」が幼い娘のために書いた羊の絵とそっくりだが、やさしそうに笑っていた羊とは違い、沈黙に耐えているような苦悩を感じて夫の机の鍵を渡す。引き出しを開けた吉岡は、そこに全く同じ羊の絵と極秘公文書を見つけ、さらにその下には、重要な個所にはマークが付けられている本を発見した。それは化学兵器生物兵器の実験が行われていたアメリカ陸軍の実験施設で1968年に起きたダグウェイ羊事件と呼ばれる羊の大量死事件についての本だったのである。知らせを受けて駆け付けた杉原(松坂)も、「真っ黒に眼が塗りつぶされた羊」の絵から強い衝撃を受け、吉岡(シム)に協力することを決意したのだった。

1931年(昭和6年)に「満州事変」を起こし翌年には満州国を建国した日本は、「五族協和」などの美しいスローガンを掲げたが、実際には過酷な植民地政策を行っていた。それを批判されると国際連盟から脱退しした日本は、1939年には陸軍が満州国境でノモンハン事件を起こして1940年の東京オリンピックは幻に終わっていた。

 Poster Olympische Sommerspiele Tokio 1940.jpg

映画できわめて重要な役割を果たしているこの「羊」の絵をとおして、オリンピックを翌年に控えた現在の日本と昭和初期の危険な類似性を分析することにする。

   *   *   *

 満州国の国境付近で1939年に起きたノモンハン事件について、研究者のクックス氏から戦前の日本では国家があれだけの無茶をやっているのに国民は「羊飼いの後に黙々と従う」羊だったと指摘された司馬遼太郎は、「日本は、いま世界でいちばん住みにくい国になっています。…中略…『ノモンハン』が続いているのでしょう」と応じていた(「ノモンハンの尻尾」『東と西』朝日文庫)。

戦車兵だった司馬がノモンハン事件に強い関心を持ったのは、日本ではこの事件のことが全く報道されていなかったためである。軍による「嘘」や情報の「隠蔽」は、太平洋戦争時の「大本営発表」でいっそう顕著になるが、すでにこの頃から起きていたのであり、それはオリンピックを前年に控えた現在、内閣官房長官が記者会見で行う「情報」の質を予告していたように見える

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「日本は憲法で報道の自由が記された現代国家だ。それでも日本政府はときに独裁国家をほうふつとさせる振る舞いをしている」と批判しているが、敗戦から70年経った現在、安倍政権与党の自民党と公明党の議員だけでなく、官僚たちが再び「沈黙を強いられた羊」と化してしまったかのように感じ、この眼が真っ黒に塗りつぶされた「羊」は、現在の日本人の姿をも象徴しているように思えた。

誠実な官僚だった神崎の自殺は、司馬が書こうと長年準備していた幻の長編小説『ノモンハン』にも深く通じているところがある。

劇作家・井上ひさし氏との対談で「私は小説にするつもりで、ノモンハン事件のことを徹底的に調べたことがある」と記した司馬氏は、「ノモンハンは結果として七十数パーセントの死傷率」で、それは「現場では全員死んでるというイメージです」と語り、戦闘に参戦した連隊長の証言をも記していた。

すなわち、「天幕のなかにピストルを置いて、暗に自殺せよ」と命じられたことを伝えた須見新一郎元大佐は、「敗戦の責任を、立案者の関東軍参謀が取るのではなく」、貧弱な装備で戦わされ勇敢に戦った「現場の連隊長に取らせている」と厳しく批判したのである(『国家・宗教・日本人』)。

 「このばかばかしさに抵抗した」須見元大佐が退職させられたことを指摘した司馬は、彼のうらみはすべて「他者からみれば無限にちかい機能をもちつつ何の責任もとらされず、とりもしない」、「参謀という魔法の杖のもちぬしにむけられていた」と書いている(『この国のかたち』・第一巻)。

こうして「ノモンハン事件」を主題とした長編小説は『坂の上の雲』での考察を踏まえて、「昭和初期」の日本の問題にも鋭く迫る大作となることが十分に予想された。しかしこの長編小説の取材のためもあり行った元大本営参謀の瀬島龍三との対談が、『文藝春秋』の正月号(1974年)に掲載されたことが、構想を破綻させることになった。

すなわち、この対談を読んだ須見元連隊長は、「よくもあんな卑劣なやつと対談をして。私はあなたを見損なった」とする絶縁状を送りつけ、さらに「これまでの話した内容は使ってはならない」とも付け加えていた(「司馬遼太郎とノモンハン事件」)。

実際、『永遠の0(ゼロ)』で重要な働きをなしている元海軍中尉で「一部上場企業の社長まで務めた」武田貴則のモデルとなっている瀬島龍三は、戦後に商事会社の副社長となり再び政財界で大きな影響力を持つようになり、1995年には「日本会議」の前身である「日本を守る国民会議」顧問の役職に就いているのである。

「ゴジラの哀しみ 書影」の画像検索結果

須見元連隊長との関係について記した元編集者の半藤一利氏は、「かんじんの人に絶縁状を叩きつけられたことが、実は司馬さんの書く意欲を大いにそぎとった」のではないかと推測している。

研究者の小林竜夫氏も須見元大佐がこの長編小説の主人公だったのではないかと考え、「須見のような人物を登場させることはできなく」なったことが、小説の挫折の主な理由だろうと想定している(『モラル的緊張へ――司馬遼太郎考』)。たしかに、惚れ込んだ人物を調べつつ歴史小説を書き進めていた司馬のような作家にとって主人公を失うことは大きい。小説は「書かなかった」のではなく「書けなくなった」のである。

Japanese soldiers creeping in front of wrecked Soviet tanks.jpg

幻となったオリンピックの前年に起きたノモンハン事件と比較するとき、映画『新聞記者』の台本の執筆者たちがどの程度、司馬を意識したかは分からないが、「自殺」という問題をとおして、戦前から現在にいたる日本社会の病理にも迫ろうとしていたように思える。

 

(5)「閣議決定」と特別報告者による「特定秘密法の改正勧告」

リットン調査団ケイ

「リットン調査団」(出典は「ウィキペディア」)と特別報告者デビット・ケイ氏(出典は「共同通信」)

*   *   *

5月28日の記事で私は「国連の特別報告者デビット・ケイ氏やケナタッチ氏の指摘や報告の内容は、安倍政権の強圧的な対応によっていっそう説得力のあるものとなり、ベルリン・オリンピックの悲劇を体験している国際社会は「リットン報告書」の時と同じような対応を取らざるをえなくなるだろう」と記した。

実際に事態は満州事変後の「リットン調査団」の頃の状況と似てきた。

すなわち、共謀罪の構成要件を厳しくした「テロ等準備罪」について、国連人権理事会の特別報告者が安倍総理宛の書簡で懸念を表明していた問題に対して、安倍内閣は「書簡は国連または人権理事会の見解を述べたものではない」などとする答弁書を国内向けに閣議決定し、書簡についても答弁書で次のように厳しく批判した。「我が国政府から説明を受けることなく作成されたものであり、誤解に基づくと考えられる点も多い」。(以上、「TBSニュ-ス」13時57分)。

しかし、その「閣議決定」に応えるかのように早速、「国連人権高等弁務官事務所は30日、言論と表現の自由に関するデービッド・ケイ特別報告者がまとめた対日調査報告書を公表した。その中でケイ氏は、日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性に言及、メディアの独立性に懸念を示し、特定秘密保護法の改正などを日本政府に勧告した」(「共同通信」21時30分)。

実際、前回の記事で記したように、すでに2013年に国連のピレイ・人権高等弁務官は安倍政権が強行採決した「特定秘密保護法案」について「成立を急ぐべきではない」と指摘していた。さらに、高市総務大臣の「電波停止」発言など、政権による報道への圧力の問題を調査しに来日しながら、度重なる会見の要求を高市氏に拒まれた国連の「報道の自由」特別報告者デビット・ケイ氏は、外国人記者クラブで記者会見を行い、秘密保護法やパスポート強制返納などについても安倍政権を強く批判していた。

「閣議決定」は国連特別報告者ケナタッチ氏が「共謀罪」法案に対し、18日付けの書簡で首相に対して「我が国政府から説明を受けることなく作成されたもの」と批判しているが、このような経緯から見るならば、「説明」を拒否し続けていたのは安倍内閣であることは明白であるだろう。

以前に書いたことの繰り返しになるが、五輪に向けたこれまでの努力を無駄にしないためには、「五輪憲章」に違反して開催権を取り上げられる危険性のある安倍政権に代わる次の政権を一刻も早くに打ち立てることが必要だと思える。

 

「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性関連記事

「共謀罪」法案の強行採決と東京オリンピック開催消滅の可能性(1)――1940年との類似性(加筆版)

「共謀罪」はテロの危険性を軽減せず、むしろ増大させる悪法――国連特別報告者の批判を踏まえて

(2)ベルリン・オリンピックとの「際立つ類似点」

(3)G7サミットでの安倍発言と政府の対応をめぐって 

4)安倍首相の「国連特別報道者」非難発言と日本の孤立化

「特定秘密保護法案の強行採決と日本の孤立化関連記事

「特定秘密保護法」の強行採決と日本の孤立化

「特定秘密保護法案」の強行採決と日本の孤立化Ⅱ

(6)「臨時召集令状」と「万世一系の国体」の実体

「赤紙」で召集されるまでの時期に書き始められたのが「西行」だったのですが、この頃の自分の考えを堀田は『方丈記私記』の(一)でこう記しています。

「その頃、日本中世の文学、殊に平安末期から鎌倉初期にかけての、わが国の乱世中での代表的な一大乱世、落書に言う、『自由狼籍世界也』という乱世に、たとえば藤原定家、あるいは新古今集に代表されるような、マラルメほどにも、あるいはマラルメなどと並んで(と若い私は思っていた)、抽象的な美の世界に凝集したものを、この自由狼籍世界の上に、『春の夜の夢の浮橋』のようにして架構し架橋しえた文明、文化の在り方に、深甚な興味を私はもっていた。」

その一方で「鴨長明氏、あるいは方丈記や、発心集などの長明氏の著作物や、その和歌などには、実はあまり気をひかれるということがなかった」堀田は、「三月十日の大空襲を期とし、また機ともして、方丈記を読みかえしてみて、私はそれが心に深く突き刺さって来ることをいたく感じた」のです。

「しかもそれは、一途な感動ということではなくて、私に、解決しがたい、度合いきびしい困惑、あるいは迷惑の感をもたらしたことに、私は困惑をしつづけて来たものであった。」

そして、十万人以上の死者を出した空襲のあとで十八日に焼け野原になった地域を訪れた作者は、その廃墟で多くの人々が「土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました。まことに申訳ないことでございます」と小声で呟く、「奇怪な儀式のようなもの」を見るのです。 

その光景に衝撃を受けて、「信じられない、/信じられない」と呟きながら焼け跡を歩いた作者は、こう考えるようになります。

「しかしこういうことになるについては、日本の長きにわたる思想的な蓄積のなかに、生ではなくて、死が人間の中軸に居据るような具合にさせて来たものがある筈である」(三)。

こうして、「三月十日の東京大空襲から、同月二十四日の上海への出発までの短い期間」、「ほとんど集中的に方丈記を読んですごした」作者は、「『方丈記』が精確にして徹底的な観察に基づいた、事実認識においてもプラグマチィックなまでに卓抜な文章、ルポルタージュとしてもきわめて傑出したものであることに、思い当たった」のです(一)。

そして、「現場というものには、如何なる文献や理論によっても推しがたく、また、さればこそ全的には把握しがたい人間の生まな全体」があり、鴨長明は「何かが起ると、その現場へ出掛けて行って自分でたしかめたいという、いわば一種の実証精神によって」動かされた人物と規定しているのです (四)。

『若き日の詩人たちの肖像』は三月十日の大空襲の前で終わっているのですが、それでもその変化の一端は「平安末期の、あの怖ろしいほどの乱世にぶつかった鴨長明なども、どうにも仏教という母なる観念だけでは律しきれぬ『事実の世紀』にぶつかっていた、ということになりはせぬか」と若者が考えるようになったことが記されています。

『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」

そして、その頃に流行していた国学者の「平田篤胤でこりていたので、イデオロギーの側から日本を求めることはやめにした」主人公は、「日本が、いちばん猛烈な目に逢っていたと男に思われる平安末期から鎌倉初期にかけての時代にたちもどって丹念に調べてみることに専念し出した」のです。

 その後で「羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。/ 世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」という『方丈記』の有名な文章を引用した作者は、『若き日の詩人たちの肖像』でも「『方丈記』は実にリアリズムの極を行く、壮烈なルポルタージュであった」と記しているのです。

この長編小説の終わり近くでは「赤紙」と呼ばれる「臨時召集令状」の文面を読んだ主人公が、「生命までをよこせというなら、それ相応の礼を尽くすべきものであろう」と思ったと記されており、こう続けられています。

写真の出典は奈良県立図書情報館。

「これでもって天皇陛下万歳で死ねというわけか。それは眺めていて背筋が寒くなるほどの無礼なものであった。尊厳なる日本国家、万世一系の国体などといっても、その実体は礼儀も知らねば気品もない、さびしいような情けないようなものであるらしかった。」

第一部の題辞で『白夜』』の冒頭の文章を引用していた堀田善衞はこの長編小説の後で発表した短文「『白夜』について」(1970年)でこう記していました。

「ドストエーフスキイの後期の巨大な作品のみを云々する人々を私は好まない。それはいわばおのれの思想解明能力を誇示するかに、ときに私に見えて来て、そういう『幸福』さが『やり切れなく』なって来るのだ。」

「赤紙」を受け取った後の出来事を描いた『方丈記私記』が1970年7月号から翌年の4月号まで『展望』に連載され1971年に出版されていることに注目するならば、この作品は『白夜』の問題意識を濃厚に受け継いでいると思えます。

『若き日の詩人たちの肖像』が明治百年が華やかに祝われた1968年に出版されていることに留意するならば、主人公のこのような批判が戦前と同じような死生観や国家観を持ちつつ戦後に復権していた小林秀雄や林房雄に対しても向けられていることは確実でしょう。

(2019年5月7日、改題と改訂、写真とリンク先の追加)

『若き日の詩人たちの肖像』における「耽美的パトリオティズム」の批判(1)――真珠湾の二つの光景

(2)「海ゆかば」の精神と主人公

(3)小林秀雄の芥川龍之介観と『白痴』論の批判

→(4)「昭和維新」の考察と「明治百年記念式典」

(5)『方丈記』の再発見と「死の美学」の克服

 

→ 小林秀雄のヒトラー観(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」をめぐって

[BS1]でドキュメンタリー「ヒトラー『わが闘争』」と「ヒトラー暗殺計画」を放送。

残念ながら、ともに途中からの視聴となってしまったが、ナチスドイツと独裁者ヒトラーの実態を明らかにする迫力あるドキュメンタリーであった。再放送を希望するので、「BS世界のドキュメンタリー」の記述を引用しておく。

2016年9月27日(火)午前0時00分~午前0:50(50分)

ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~

ナチスのバイブルとも評される『わが闘争』。ヒトラーの死後70年が経過し、昨年末で著作権が失効するのを機に、出版禁止だったドイツにおける再出版が現実味を帯びてきた。

ヒトラーが獄中で著し、その反ユダヤの価値観やアーリア人種優越主義が色濃く反映されている『わが闘争』。

ヒトラーの死亡時に住所登録があったバイエルン州では、州政府が『わが闘争』の著作権を管理し、出版を禁じてきた。

しかし2015年末に著作権フリーになることを受け、州政府は極右グループなどに利用されないよう、膨大な注釈付きでの再出版を一旦は決定したが・・・。ドイツでは非常にデリケートなこの問題の波紋を追う。

  • 原題:HITLER’S MEIN KAMPF  A DANGEROUS BOOK
  • 制作:BROADVIEW TV / ZDF(ドイツ 2016年)

2016年9月28日(水) 午前0:00~午前0:50(50分)

「ヒトラー暗殺計画」

ヒトラーが君臨していた時代、人々は熱狂的に独裁者を崇拝していたかに見えるが、実は30を超える暗殺計画が企てられていた。一部ドラマを交えて、緊迫の計画を再現する。

最初の暗殺未遂は1939年のミュンヘン。共産主義者の時計技師が、ヒトラーが演説予定だったビアホールに手製の時限爆弾を仕掛けたが、ヒトラーが予定より早く演説を終えたため失敗。

その後も軍の将校らが暗殺を企てるが、ことごとく未遂に終わる。悪運の強い独裁者と暗殺計画の実行者の攻防を、スリリングなドラマを織り込みながら描いた力作。

原題:KILL HITLER –THE LUCK OF DEVIL

  • 制作:Sunset Presse (フランス 2015年)

 

関連情報 →チャップリンの映画《独裁者》

「絶望してはいけない」チャップリンの史上最高のスピーチ【独裁者】

– NAVER まとめ matome.naver.jp/odai/213443285…

 

[ヒットラーと悪魔」をめぐって(1)――書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」

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はじめに

ドストエフスキー論もあるフランス文学者の寺田透は『文学界』に寄稿した1983年の「小林秀雄氏の死去の折に」という記事で、「男らしい、言訳けをしないひととする世評とは大分食ひちがふ観察だと自分でも承知してゐるが」と断った上で、小林秀雄の「隠蔽という方法」を示唆していた。

すなわち、「戦後一つ二つと全集が出、その中に昔読んで震撼を受けた文章が一部削除されて入つてゐるのを見たり、たしかに読んだ筈の警句がどこからも見出されない経験をしたりしてゐるうち、僕はかれを、後世のために自分の姿を作つて行くひとと思ふやうになつた」のである。

「陶酔といふ理解の形式」と隠蔽という方法――寺田透の小林秀雄観(2)

寺田透が指摘したこのような方法を用いた顕著な例がヒトラーを「天才」と称賛していた1940年の書評『我が闘争』の『全集』への収録の際の改竄だろう。→ 〔小林秀雄 「我が闘争」初出 『朝日新聞』1940(昭和15)年9月12日の画像 菅原健史氏の「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」より〕 – Yahoo!ブログ

この問題を指摘した菅原健史氏のブログ記事は拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)でも引用した(211~212頁)。 ここで注目したいのは、それから20年後に記された1960年の「ヒットラーと悪魔」(『考えるヒント』収録)におけるヒトラーの革命観やプロパガンダ観などの手法についての詳しい記述が、「日本会議」の実務を担う「日青協」の「改憲」に向けた手法ときわめて似ていることである。

本稿では書評『我が闘争』と「ヒットラーと悪魔」の二つの記述の比較やドストエフスキー論との関連などをとおして、小林秀雄のヒトラー観と革命観やプロパガンダ観に迫ることで、その思想の危険性を明らかにしたい

一、書評『我が闘争』(1940年)

1923年11月のミュンヘン一揆の失敗後にヒトラーが獄中で書き上げた『我が闘争』は、第1部が1925年に第2部が翌年に発行されたものの当初はそれほどではなかったが、1932年にナチ党が国会の第一党となり、翌年にヒトラーの内閣が成立するとこの本はドイツ国民のバイブル扱いを受けるようになり、終戦までに1000万部を売り上げたとされる。

日本がヒトラーのナチス・ドイツと日独防共協定を結んだのは1936年11月のことであったが、この本の訳はすでに1932年に内外社から『余の闘争』と題して刊行され、それ以降も終戦までに大久保康雄訳(三笠書房、1937年)、真鍋良一訳(興風館)(ともに日本の悪口を書いてある部分を削除しての出版)、東亜研究所特別第一調査委員会の訳などが刊行された(「ウィキペディア」の記述などを参考にした)。 ヒトラーと松岡洋右

(ドイツ総統府でアドルフ・ヒトラーとの会談に臨む松岡洋右、写真は「ウィキペディア」より)  

小林秀雄が書いた室伏高信訳の『我が闘争』(第一書房、1940年6月15日)の短い書評が朝日新聞に掲載されたのは9月12日のことであり、それから間もない9月27日には日独伊三国同盟が締結された。

雑誌『文藝春秋』(1960年5月)に掲載した「ヒットラーと悪魔」で小林秀雄はこの記事についてこう書いている。

「ヒットラーの『マイン・カンプ』が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。『この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上がる欲望だ。その中核はヒットラーという人物の憎悪にある。』」。

大筋においては小林の記憶は正しいが、「天才」の前に「一種の邪悪な」を追加する一方で、重要な一文が削除されているなど一部に大きな変更がある。それほど長い書評でもないので、まずは全文を菅原健史氏のブログ記事によりながら一部を現代的表記に改めて引用している「馬込文学マラソン」のサイトによって全文を紹介しておきたい(太字は引用者)。 ナチズムと日本、馬込文学マラソン(大田区にゆかりある文学を紹介)。

*   *   *

“我が闘争” 小林秀雄

ヒットラーの「我が闘争」といふ有名な本を、最近僕ははじめて室伏高信氏の訳で読んだ。抄訳であるから、合点の行かぬ箇所も多かったが、非常に面白かつた。何故、もつと早く読まなかったか、と思つた。やはり、いろいろな先入観が働いてゐたが為である。

ヒットラーの名は、日に何度も口にしながら、何となく此本には手を付けなかった僕の様な人は、世間に存外多いのではないかと考える。 これは全く読者の先入観など許さぬ本だ。ヒットラー自身その事を書中で強調している。先入観によつて、自己の関心事の凡てを検討するのを破滅の方法とさへ呼んでゐる。 そして面白い事を言つてゐる。さういふ方法は、自己の教義に客観的に矛盾する凡てのものを主観的に考えるといふ能力を皆んな殺して了ふからだと言ふのである。彼はさう信じ、そう実行する。

彼は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く。そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる。 これは天才の方法である。僕は、この驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた。

僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした。それは組織とか制度とかいう様なものではないのだ。寧ろ燃え上る欲望なのである。 ナチズムの中核は、ヒットラ-といふ人物の憎悪のうちにあるのだ。毒ガスに両眼をやられ野戦病院で、ドイツの降伏を聞いた時のこの人物の憎悪のうちにあるのだ。 ユダヤ人排斥の報を聞いて、ナチのヴァンダリズムを考えたり、ドイツの快勝を聞いて、ドイツの科学精神を言つてみたり、みんな根も葉もない、たは言だといふ事が解つた。形式だけ輸入されたナチの政治政策なぞ、反古同然だといふ事が解つた。 ヒットラーといふ男の方法は、他人の模倣なぞ全く許さない。

*   *   *

仲良し三国 (「仲良し三国」-1938年の日本のプロパガンダ葉書。写真は「ウィキペディア」より)   

「馬込文学マラソン」の筆者は、小林の書評について「これは、手放しの賞賛といっていいのではないでしょうか。否定的な言辞が見当たりません」と書き、「『ヒトラー(ナチス)の手口』が透けて見えます」と続けている。

実際、迫力のある小林秀雄の書評ではドイツで政権を握ったヒトラーへの強い共感だけでなく、ヒトラーの「方法」も賛美されているのである。

さらに大きな問題は書評『我が闘争』を『全集』に再録する際に小林が、「天才のペン」の前に「一種邪悪なる」を加筆していたことである。その加筆によってこの書評の印象が一変しているのは、「言葉の魔術師」とも言える小林秀雄の才能だろう。

ただ、それだけでは全体の主旨を「隠蔽」することはさすがに出来ず、小林はヒトラーの「決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚」に関する下記の記述を大幅に削除していた。 「彼は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く。そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」(太字は引用者)。

この削除された文章の前半は小林秀雄の歴史観や文学観にも深く関わっているが今回はそれに言及する余裕がないので、ヒトラーの「感傷性の全くない政治の技術」が詳しく紹介されている「ヒットラーと悪魔」と現代の日本の政治状況との関わりを次に分析することにしたい。

関連記事一覧

小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」とアイヒマン裁判をめぐって

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(3)――PKO日報破棄隠蔽問題と「大きな嘘」をつく才能

「ヒットラーと悪魔」をめぐって(4)――大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用

(2017年9月17日、関連記事のリンク先を追加、2019年9月11日、題名を変更)

〈「アベノミクス」の詐欺性〉関連記事一覧

2月18日の「東京新聞」は「こちら特報部」の記事で、安倍政権が行っている「『公私混同』の公金投入」の問題として、「年金積立金の株運用拡大」、「原発交付金再稼働を重視」、さらに「辺野古周辺に直接補助金」投入していることなどを指摘していました。

このブログでも「安倍政権の経済感覚」を問題視する記事を書いていましたが、アベノミクスの問題点を指摘した一連の記事を〈「アベノミクス」の詐欺性〉としてアップします。

 

〈「アベノミクス」の詐欺性〉関連記事一覧

「アベノミクス」の詐欺性(4)――TPP秘密交渉担当・甘利明経済再生相の辞任1月29日

「アベノミクス」の詐欺性(3)――公的年金運用の「ハイリスク」の隠蔽1月21日

「アベノミクス」の詐欺性(2)――TPP秘密交渉と「公約」の破棄1月20日

「アベノミクス」の詐欺性(1)――「トリクルダウン」理論の破綻1月19日

安倍政権の経済感覚――三代目の「ボンボン」に金庫を任せて大丈夫か

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金

「アベノミクス」と原発事故の「隠蔽」

アベノミクスと武藤貴也議員の詐欺疑惑――無責任体質の復活(7)

「アベノミクス」と「年金情報流出」の隠蔽 

「アベノミクス」とルージンの経済理論(*ルージンは『罪と罰』に登場する利己的な中年の弁護士)

〈「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立〉を「主な研究」に掲載

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房)の序章の一部を、「著書・共著」のページで紹介していましたが、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「主な研究」のページに移動するとともに改題しました。

日本がアメリカなど欧米の強い圧力で「開国」や「文明開化」を迫られていた時期に起きていた露土戦争は、イギリスやフランスなどがトルコ側に参戦したためにクリミアで激しい戦争が行われました。

クリミア戦争やその敗北後の「大改革」の時代をドストエフスキーの作品をとおして考察することは、「集団的自衛権」という名前で「軍事同盟」の必要性が再び唱えられるようになった日本の未来を考える上でも重要だと思われます(8月29日改訂)。

リンク先→「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立

〈「不思議の国」ロシア〉のページを開設

 

現在、ホームページの改訂作業を行っています。

今回の大きな目的は講義の予習や復習にも役立つように、〈「不思議の国」ロシア〉のページを開設したことです。

 〈「不思議の国」ロシア〉へのリンク先→ 0、このページの題名と構成

それに関連していくつかのページの合併などを行いました。改訂作業が終わるのは3月末になるものと思われます。