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ドストエーフスキイの会、総会と262回例会(報告者:杉里直人氏、町田航大氏)のご案内

ドストエーフスキイの会、総会と262回例会(報告者:杉里直人氏、町田航大氏)のご案内

遅くなりましたが、「ニュースレター」(No.163)より転載します。

日 時2022年5月29日(日)午後1時~5時         

開催形式:当会会員限定のZoom(オンライン)

総会(午後1時~2時);議題・会計報告、運営体制、予算案など

例会報告者:杉里直人 氏

 題 目: 《童の夢》はいかに作られているか

報告者:町田航大 氏

 題 目:いま、ドストエフスキーの言葉がいかに歪曲されているか

 〇 例会の参加方法

 Zoomによる参加希望者は、5月23日(月)までに、受付用アドレス<kaidost@yahoo.co.jp    にメールを送信してください。非会員で、会員の紹介による場合はその旨お書き添えください。5月25日(水)<予定>に返信メールでZoomログイン用URLをお知らせします。なお前回例会参加者には自動的に送信します。

報告者紹介

杉里直人(すぎさと なおと)一九五六年生まれ。ドストエフスキー研究・翻訳。最近の論文に「ドストエフスキーは細部に宿る」(井桁貞義・伊東一郎編『ドストエフスキーとの対話』水声社、二〇二一年所収)がある。翻訳書にバフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(『ミハイル・バフチン全著作』第七巻、水声社、二〇〇七年)、ドストエフスキー『詳注版 カラマーゾフの兄弟』(水声社、二〇二〇年)ほかがある。

町田航大(まちだ こうだい) 早稲田大学大学院文学研究科ロシア語ロシア文化コース修士課程所属。同大学文学部東洋哲学コースを卒業後、社会人を経て、大学院からドストエフスキー作品の宗教性をテーマに研究している。現在、『カラマーゾフの兄弟』における旧約聖書ヨブ記の構造的影響についての考察を軸に修士論文を執筆中。

262回例会報告要旨

  《童の夢》はいかに作られているか

  今回の報告では、『カラマーゾフの兄弟』第九編第八章「証人たちの供述。童の夢」の挿話《童の夢》を取りあげる。《童の夢》は原文で一頁半、七十五行の短いエピソードである。ドミートリー・カラマーゾフはフョードル殺しの重要参考人として、遊興先で身柄を確保され、検事と司法取調官による徹夜の取調べを受ける。この《地獄めぐり》の試練に彼は心身ともに疲弊し、取調べが終わったとたん、突然睡魔に襲われて、眠りこみ、奇態な夢を見る。だが、その夢がまったく思いもよらない奇蹟的な治癒効果を発揮し、彼に魂の新生をもたらす。《童の夢》は主人公におのが存在自体の根源的な有罪性を自覚させる決定的なモメントになる(啓示としての夢)。これは『カラマーゾフ』のクライマックスの一つである。プロット構成の面では物語の折り返し点にあって、同時刻にアレクセイが見る夢《ガリラヤのカナ》と並行関係にあり、主題論的にはイワンの《反抗》のモチーフ《子どもの涙》と対応関係にある。

 本報告では形式的な観点からテクスト分析を行なう。《童の夢》の叙述はもっぱら単文の積み重ねによって簡潔・スピーディに構築され、まれに挟みこまれる複雑な総合文が主人公の感情の昂揚、その魂の死と再生をひときわ鮮明に描出する。その文体はいとも特徴的である。たとえば、夢見本体は不完了体・現在時制(いわゆる「歴史的現在」)が優勢であり、前後の覚醒時の完了体・過去による記述を枠構造として持ち、画然たる対称をなしていて美しい。ほかにも、「なぜ」という疑問副詞の十二回の使用、同語の執拗な反復、暗色の支配する世界から明への色彩の急激な転換、《光》のモチーフの出現など、ドストエフスキーは修辞的な技巧の限りをつくして、テクストの細部に陰影豊かな仕掛けを施す。

 『カラマーゾフ』での類似の記述や、『罪と罰』の《馬殺しの夢》なども合わせて取りあげ、その共通点と相違点をも明らかにしたい。

いま、ドストエフスキーの言葉がいかに歪曲されているか 

ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻は世界中に恐怖と衝撃を与えている。ロシア文化研究者は、この戦争のショックとロシア政府に対する憤りが、文化的に密接した関係にあるウクライナとロシアを安易な対立図式によって分断する事態を招き、その分断がロシア文化に対する見方にも悪影響を及ぼすのではないかという懸念を表明している。

発表者も同様の問題意識から調査を行ったところ、このウクライナとロシアの対立と分断が、ドストエフスキーの言葉の解釈という領域に入り込んでいる事例を確認した。それは、ドストエフスキーが自身の個人雑誌『作家の日記』(1876-1877)のなかでロシアや西欧、スラヴ民族について当時語った言葉が、クリミア併合から現在に至る経過のなかで、ウクライナ、ロシア双方の一部メディアによって恣意的に切り取られ、両国の対立を煽る目的で利用されている現象である。

本発表はそのような事例を紹介しつつ、作家・評論家ドストエフスキーの紡いだ言葉が、戦争のもたらす混乱のなかで単純化されてしまう問題について報告する。その上で、作家や文学が歪曲にさらされる危機に対しどのように対応していくべきかを考えたい。

従来のドストエフスキー研究では、小説作品に対する多種多様なアプローチがなされてきた一方、『作家の日記』をはじめとする評論作品にはあまり関心が向けられてこなかったように思われる。ロシアの民衆やキリスト教などに関するドストエフスキー自身の見解を『作家の日記』から参照することはあっても、この作品そのものが有する具体的性格や文体的特徴、この作品内で提示された作者の見解の背景などについて、歴史的文脈に照らした綿密な研究が十分なされてきたとは言い難い。本発表ではこうした状況をふまえ、作者自身の意図と無関係に『作家の日記』を引用する行為がいかなる問題を孕んでいるかを指摘しつつ、『作家の日記』自体の専門的研究を行う意義を改めて問い直したい。

*   *   *

例会の「傍聴記」や「事務局便り」などは、「ドストエーフスキイの会」のHP(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds)でご確認ください。

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