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司馬遼太郎のドストエフスキー観  (5)「人類滅亡の悪夢」の直視

司馬遼太郎のドストエフスキー観  (5)「人類滅亡の悪夢」の直視

 堀場正夫は真珠湾攻撃の翌年に出版された『英雄と祭典』において 、『罪と罰』を「『ヨーロッパ近代の理知の歴史』とその『受難者』ラスコーリニコフの物語」ととらえ、「大東亜戦争を、西欧的近代の超克への聖戦」と見なしていた。 むろん、このような読みは現在のレベルでの研究を踏まえた上での読みから見れば、明らかな「誤読」であると言える。

 しかし、堀場正夫の「誤読」には、時代的な背景もあった。ニーチェによるドストエフスキー理解を踏まえたシェストフは、ドストエフスキーをも「超人思想」の提唱者であり、「悲劇の哲学」の創始者の一人とした。このようなシェストフの解釈が日本でも受け入れられる中で、優れた批評家であった小林秀雄ですらも、『罪と罰』のエピローグではラスコーリニコフは影のような存在になっていると指摘して、書かれている彼の更生を否定していた(小林秀雄『ドストエフスキイ』講談社、昭和四一年、二七五頁)。それは「近代人が近代に勝つのは近代によってである」とした彼の近代観から導かれたものでもあった (河上徹太郎、竹内好他『近代の超克』富山房百科文庫、昭和五四年、二四七頁)。

一方、司馬遼太郎は真珠湾攻撃の後で「近代の超克」を謳って河上徹太郎や小林秀雄など日本の一流の知識人が行い、この「当時の読者に大きな衝撃を与えた」座談会について、当時は「読みはしたものの難しかった」ので、「よくわからなかった」と認めた。しかし司馬は、現在読み返してみると「基本的におかしなことは」、「ここでいう超克すべき近代というのは、要するにヨーロッパの近代」であり、当時の一流の知識人たちが江戸時代に培われた日本の文化的伝統をまったく無視していると指摘している。こうして司馬は、「ヨーロッパの近代に対して、太平洋戦争の開幕のときの不意打ち成功によって、日本のインテリは溜飲を下げた」が、「それは嘘の下がり方なんですよ」と厳しく批判したのである(「買い続けた西欧近代」『「昭和」という国家』)。

 この時司馬は「西欧派とスラヴ派」の激しい対立にゆれた近代ロシアにおいて、「大地主義」の視点から「西欧派と国粋派」の和解だけでなく、「知識人と民衆」との和解の可能性をも探求した『罪と罰』の意義を理解していたと言えるだろう。つまり、彼が『菜の花の沖』の主人公で、ナポレオンと同じ年に生まれた高田屋嘉兵衛に「好んでいくさを催し、人を害する国は、国政悪しき故」と語らせている背景には、ナポレオン以降の「自国中心」の歴史観を、「自己中心の迷妄」と断じたトインビーと同じような歴史認識があったのである(トインビー、長谷川松治訳『歴史の研究』第二巻、社会思想社、昭和四二年、七五~六頁)。

加筆(2022/04/30)【東京大空襲を体験した後で国際文化振興会の上海資料調査室に赴任した堀田善衞は、広島と長崎に原子爆弾が投下された後には「日本民族も放射能によって次第に絶えて行くのだ」という流言を聞いて、『ヨハネの黙示録』の次のような文章の恐ろしさを実感していた。

「第一の御使(みつかひ)ラッパを吹きしに、血の混りたる雹(へう)と火とありて地にふりくだり、地の三分の一焼け失せ、樹(き)の三分の一、焼け失せ、もろもろの青草(あをくさ)焼け失せたり」

 この時、堀田は『罪と罰』のエピローグでラスコーリニコフが流刑地のシベリアで見た、「知力と意志を授けられた」「旋毛虫」におかされ自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が、互いに自分の真理を主張して殺し合いを始め、ついには地球上に数名の者しか残らなかったという夢が、単なる悪夢ではなく、現実にも起こりうることを実感したはずである。

 実際、「高利貸しの老婆」を悪人と規定して殺害していたラスコーリニコフに対して司法取締官のポルフィーリイは、「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ。もし別の理論を考えついておられたら、幾億倍も醜悪なことをしておられたかもしれない」とラスコーリニコフに語っていたが、ヒトラーの「非凡民族」という理論は実際にユダヤ人虐殺という醜悪な結果を招いていた。 さらに化学兵器はその非人道性ゆえに禁止されたが、広島と長崎に投下された原子爆弾の悲惨さが隠蔽されたために、原水爆は禁止されなかったためにその実験でも多大の被害を生み出し、それはチェルノブイリ原発事故と福島第一原子力発電所の事故にもつながった。】

 一方、ドストエフスキーは長編小説『罪と罰』において、「近代的な知」に囚(とら)われて自分をナポレオンと同じ様な「非凡人」と考え、自分が「悪人」とみなした「他者の殺人」をも正当化したラスコーリニコフの悲劇を描き出すとともに、そのエピローグではシベリアの流刑地で「人類滅亡」の悪夢を見させることにより、自己中心的な「非凡人の思想」が、自国中心的な「国民国家」史観に基づいていることを示唆して、「自国の正義」や「報復の権利」を主張して、限りなく大規模化する近代戦争の危険性を明らかにしていた。

 そして、エピローグでは主人公をぺテルブルクから遠く離れたシベリアの大地で暮らさせることにより、森や泉の尊さや民衆の「英知」にも気づいた彼の「復活」を描き出して、「自然支配」の思想との決別をも描いていたのである(高橋『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』刀水書房、二〇〇〇年、第九章「鬼」としての他者、および第一〇章「他者としての自然」参照)。

  「地面を投機の対象にして物狂い」をした現象に対して司馬も、「日本国の国土は、国民が拠って立ってきた地面なのである」とし、「大地」に対する哲学的な見方の変革を求め、「でなければ、日本国に明日はない」と結んだ(『風塵抄』Ⅱ)。さらに、「樹木と人」という講演で司馬は、「ソ連のチェルノブイリの原子炉」の事故で「死の灰が各地で降って大騒ぎ」になったことにふれて、「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」と語り、言葉を続けて一九八〇年代になって、「ようやく、われわれは地球の緑をすべて守らなければいけない、切ったら必ず植えなければいけない、そして生態系を変えるような切り方はしてはいけない」ことに気づいたのだと強調した(「樹木と人」『十六の話』)。

 しかも、ロシア帝国の貴族たちと日本の高級官僚との類似を意識しながら司馬は、日露戦争のあとで「教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた」が、「官僚であれ軍人であれ」、「それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた」彼らは、「かつて培われたものから切り離されたひとびとで」あり、「わが身ひとつの出世ということが軸になっていた」とした(「あとがき」『ロシアについて』)。それはロシアの大地から遊離したロシアの知識人に対するドストエフスキーの鋭い批判とも重なり合うのである。そして司馬は、これらの官僚や軍人たちは「自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた」とし、「それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった」と厳しく批判したのである。

 さらに、ノモンハン事件の研究者クックは、戦前の日本では、国家があれほどの無茶をやっているのに、国民は「羊飼いの後に黙々と従う」羊だったではありませんかと司馬に問い質したが、この指摘の正しさを認めた司馬も、大蔵省のかけ声のもとに国民がこぞって金儲けに走った問題にふれて、「日本は、いま世界でいちばん住みにくい国になっています。そのことを、ほとんどの人が感じ始めている。『ノモンハン』が続いているのでしょうな」と続けた(「ノモンハンの尻尾」『東と西』)。

 加筆(2022/04/30)【「司馬史観」論争で司馬が右派の思想家とされてしまったために、残念ながら司馬の言説は説得力を失ってしまった。しかし、すでに『竜馬がゆく』(文春文庫)で幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘した司馬遼太郎は、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と記していた。

 晩年の『この国のかたち』(第五巻)でも司馬は 、「キリスト教に似た天地創造の世界を展開した」平田篤胤によって、「別国が湧出したのである」と書いていた。「昭和別国」という特徴的な用語を使っていた司馬氏がここでも「別国」と記していることは、『若き日の詩人たちの肖像』に記された堀田善衞の平田篤胤批判に通じる考えを司馬も持っていたと思われる。】

 こうして司馬は、「国際化」に対応するために個性の尊重を謳いながら、多発するようになった青少年犯罪を「行きすぎた欧化」のせいであるとして、「権威」や「国家」への「服従」を求める「国粋」的な傾向を強めている教育のもとで、日本の国民は再び「従順な羊」になり始めているのではないかという深刻な不安を示したのである。実際、自国の「国益」を優先しつつ、グローバリゼーションを押し進めるアメリカ政府に対する反撥から、世界では各国においてナショナリズムが野火のような広がりを見せつつある。

 このように見てくる時、日露の「文明開化」の比較をとおして、「欧化と国粋」のサイクルの危険性を認識し、「自国の正義」を主張して「野蛮」と規定した「他国」の征伐を正当化するような歴史観を鋭く批判した司馬遼太郎の文明観は、プーシキンの広い視野を受け継いでいたドストエフスキーの文明観を理解するうえでも有益だろう。

加筆(2022/05/3)【 このような司馬遼太郎の認識と重なるだけでなく、核兵器の危険性を直視するとともに、その克服の方法についても考察していたのが原爆パイロットを主人公の一人とした長編小説『審判』などを書いた堀田善衞であった。堀田善衞のドストエフスキー観と戦争観については新著で考察したが、ウクライナ危機をも視野に入れてつつ今後も研究を深めたい。 】

(2022/05/3、加筆と改題)

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