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映画《サクリファイス》

映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐怖

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1,近代の文明観と「自然の支配」

前回の「映画《ゴジラ》考Ⅰ」では、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)との比較をとおして、両作品が「事実」の隠蔽の危険性を鋭く示唆していたことを指摘した。それとともに、関東大震災から50年目の1973年に発表されたSF作家・小松左京の長編小説『日本沈没』にも言及することで、怪獣ゴジラの怒りは核エネルギーという自らの科学力を信じた人類の傲慢さのために苦しむ大自然の怒りの象徴のようにも見えると書いた。

映画《ゴジラ》を映画《ジョーズ》や長編小説『日本沈没』と比較することで、このような結論を引きだすのは強引だと感じられる読者も少なくないだろう。

しかし、黒澤監督のもとでチーフ助監督を務めた経験もある森谷司郎監督は、深海潜水艇わだつみで日本海溝の調査に赴いた田所博士(小林桂樹)と操縦士の小野寺(藤岡弘)が、海底に異変が起きていることを発見し、続いて東京大地震、富士山噴火、そして列島全体が沈没するという壮大なテーマの原作を、同じ1973年に映画化していた(脚本:橋本忍)。

ここで注目したいのは、日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉が、西欧文明の優越性を主張したバックルの文明観に依拠しながら、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていたことである。

このような福沢の文明観について歴史学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していた(『比較文明と歴史哲学』)。

このような文明観が原発の推進を掲げる現政権や日本の経済界などでは受けつがれたことが、地殻変動により形成されていまもさかんな火山活動が続き地震も多発している日本列島に、原爆と同じ原理によって成り立っている原子力発電所を建設させ、福島第一原子力発電所の大事故を引き起こしたといえるだろう。

今回は運良く免れることができたものの、東京電力の不手際と優柔不断さにより関東一帯が放射能で汚染され、東京をも含む関東一帯の住民が避難しなければならない事態とも直面していたのである(真実を語ったのは誰か――「日本ペンクラブ脱原発の集い」に参加して )。

2,映画《ゴジラ》とソ連の若者たちの原爆観

「第五福竜丸」事件が起きた翌年に映画《生きものの記録》を制作し、後にシベリアの原住民を主人公とした《デルス・ウザーラ》をソ連で撮影することになる黒澤明監督は、『虐げられた人々』や『死の家の記録』などで重要な役割を担っていたドストエフスキーの文明観や彼が雑誌『時代』で唱えた「大地主義」の重要性を深く認識していた。

 本稿の視点から興味深いのは、1981年に行われた俳優・平田昭彦との対談で原爆の問題の重要性を指摘した本多監督が、映画《夢》で補佐をすることになる盟友黒澤明の言葉を紹介していることである。

 「そうすると、今は情勢は非常に変わってますけれども、もうひとつ緊迫してますね。この間も黒澤明君とも、彼とは山本嘉次郎監督の助監督をやったりした頃からの友達ですけれど、黒澤君と久しぶりに会って話したとき、ソビエトの若い人達の話を聞いてゾッとしたというんです。(中略)ソビエトの若い連中は世界の核弾頭はソ連の方を向いている、怖い怖い、あと10年保つか? なんてボソボソ話してる。それがこっちへ来るとね、ソビエトの核弾頭はみんなこっちを向いていると言って恐怖をあおるような、そういう情勢になってる。」(『初代ゴジラ研究読本』洋泉社MOOK、2014年、69-70頁)。

こうして、あまり語られることのないソ連から見た核弾頭の問題に対する若者たちの実感を詳しく伝えた後で、本多監督はこう結んでいた。

「これを何とか話し合いができるようなところへね、ゴジラが出てこなきゃいけない。僕はそういうものがね、作品として描けるようになるならね、思いきって作りたいですけれども、やっぱりゴジラはただただ暴れるだけの話じゃなくて、そんなようなひとつの情況の中に生まれるべくして生まれてこないと、どうも嘘のような気がするね)」

この黒澤の証言と本多の考察は、きわめて重要だろう。実は、私が映画《ゴジラ》を初めて観たのはソ連で行われた日本の映画祭の時であったが、ソ連でも日本映画に対する関心はきわめて高く、映画《ゴジラ》もなんとか入場券を買うことができたものの満席の状態だった。

「広島・長崎」に続いて「第五福竜丸」の被爆という悲劇的な体験をしたにもかかわらず、アメリカの「核の傘」に入ることを選んだ日本では、1962年に起きたキューバ危機の後では「核戦争」の危機感が薄らいだように見える。しかし、アメリカに対抗して核実験を行い、多くの核兵器を所有していたソ連の若者たちは、核兵器によって攻撃されることを強く意識していたのである。

3, 映画《デルス・ウザーラ》とタルコフスキーの映画《サクリファイス》

1990年10月に行われたノーベル賞作家のガルシア・マルケスとの対談で黒澤監督は、ソ連の官僚による情報の「隠蔽」の問題についてふれながら原発事故の危険性についてこう語っていた( 『大系 黒澤明』第4巻、513頁)。

「ソビエトっていうのはペレストロイカで今日のように解放されたから言うけどね、あすこは前にウラルで廃棄物の大変な事故が起こったのにそれを隠してたわけ。それがどんなにひどいものだったかということは、今度チェルノブイリの事件が起こってから初めて公表したけれども、そういう具合に内緒にしている、ひどいことがたくさんあるんですよ」。

黒澤監督がきわめて確信をもって言えたのはなぜだろうかと疑問を持っていた私は、それは映画《デルス・ウザーラ》を撮影した時に映画関係者と歓談する中でこれらの情報や知識を得たのではないかと考えていた。今回、本多監督の対談を読んでそれが裏づけられたように感じている。

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(図版は『黒澤明と「デルス・ウザーラ」』東洋書店より)。

たとえば、《デルス・ウザーラ》を撮影した際に、ドストエフスキーの作品や黒澤監督の映画を高く評価していた映画監督のタルコフスキーが黒澤監督を歓迎していた。タルコフスキーが後に核戦争をテーマとした映画《サクリファイス》(1986年)を製作していることを考慮するならば、シベリアで会った二人の巨匠が映画の手法についてだけではなく、ウラルの核廃棄物の問題や「核戦争」という文明論的なテーマについて語りあった可能性が強いだろうと思える*。

なぜならば、映画《サクリファイス》の主人公は長編小説『白痴』の主人公ムィシキンを演じたことのある俳優であったが、若きドストエフスキーが流刑されていたセミパラチンスクも後に核実験場となり、その問題についてはジャーナリストや映画人は知っていたと思えるからである。

 4,科学者・芹沢と『白痴』のムィシキン 

少し映画《ゴジラ》の筋から離れてしまったが、本多監督が対話した相手が山根博士の弟子で自分が発明したオキシジェン・デストロイヤーによってゴジラを滅ぼすことになる科学者の芹沢を演じた俳優の平田昭彦であったことを最後に思い起こしておきたい。

オキシジェン・デストロイヤーを発明した芹沢については、山根博士の娘・恵美子(河内桃子)とその恋人・尾形秀人(宝田明)との会話をとおして、戦争で片眼の視力を失ったことから、山根博士の娘との結婚を断念していたことが語られる。その芹沢は、自分が発明した危険な兵器が悪用されることを恐れて、その作成方法を記した書類を燃やしただけでなく、兵器の制作方法を知っている自分も莫大な富や名誉などに惑わされてその制作方法を明かすようになることを恐れて「ゴジラ」とともに滅ぶことを選ぶ。

ドストエフスキーの研究者の私には、芹沢のそのような自己犠牲的な決断には、トーツキーのような利己的なロシア貴族たちの罪も背負って亡んでいったムィシキンを映画化した黒澤映画《白痴》の主人公・亀田の精神にも通じるところがあると感じる。

映画は芹沢がゴジラとともに亡くなったことを知った山根博士が「暗然たる面持ちで」つぶやく次のような台詞で終わる。

「……だが……あのゴジラが 最后の一匹だとは思えない……もし……水爆実験が続けて行われるとしたら……あの ゴジラの同類が また世界の何処かへ現われ来るかも知れない」。

* 堀伸雄「黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ~『七人の侍』に始まる魂の共鳴」『黒澤明研究会誌』第32号参照。

(2015年5月6日、注と『黒澤明と「デルス・ウザーラ」』の図版を追加。6月18日、訂正と「ゴジラ」のポスターの追加)。