高橋誠一郎 公式ホームページ

チェルノブイリ

《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風

《風立ちぬ》の冒頭で描かれた夢のシーンの後に、「大地」が揺れることを実感させられる関東大震災の圧倒的な描写がある。

画像

汽車に乗っていた主人公の二郎は、大地震の際に菜穂子との運命的な出会いをすることになるのだが、長編小説『竜馬がゆく』で1854年の「東海地震」に遭遇した竜馬の心理と行動を詳しく描いていた司馬遼太郎氏は、「大国」土佐の領主となる山内一豊の妻・千代を主人公とした『功名が辻』でも、地震について二度触れている。

すなわち、長浜城主に封ぜられてから四ヵ月目の夜に起きた「天正地震」で、最愛の娘を失った山内一豊夫妻はその衝撃から抜け出せずに「ひと月あまり廃人同然になった」と書かれている。そして、「伏見大地震」の際には怖がる千代を一豊が「いまおなじ大地で太閤殿下も揺れている。江戸内大臣殿(家康)も揺れている。みな裸か身で揺れておるわい」と慰め、「権勢富貴などは地が一震すれば無になるものだ」という哲学的な言葉を語らせている。(『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』人文書館、2009年、54~56ページ参照)。

ここには人間は大自然の激動の前にはほとんど無力であるという司馬氏の自然観がよく出ているだろう。それはニヒリズムではなく、地球という星を創造し、火山活動によって日本列島を産み出した大自然への深い畏敬の念なのである。

「太国」土佐の領主となった山内一豊は、征服された後も抵抗をやめない長曾我部家の家臣たちを「鬼」とみなして計略で殺してしまう。その後で司馬氏は「一豊様が一国のあるじになっていただくことが、わたくしの夢でした」が、その夢のために「領民がくるしんでいるとすれば、この夢はわたくしたち夫婦の我執にみちた立身欲だっただけのことになります」と千代に語らせている(第四巻・「種崎浜」)。

司馬氏はそれまでは「殺さない武将」として豊臣秀吉を高く評価していた千代の眼をとおして、「朝鮮征伐」を行うようになった豊臣秀吉を「英雄」の「愚人」化と厳しく批判している。このとき司馬氏は「権力」を得ることによって慢心した政治家は、人の生命の尊さだけでなく、大自然に対する畏敬の念さえも失ってしまうことを示唆していたようにも思える。

*    *    *    *

《風立ちぬ》における大地震の描写からは、その激しい揺れが観客席にまで伝わってくるような衝撃を受けたが、高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになる。しかも、菜穂子を実家に連れて行こうと歩き出した二郎の歩みとともに逃げ惑う民衆の姿がアニメ映画とは思えない克明さで描かれているのである。

このときの「風」と原発事故後の「風」について宮崎監督は、インタビューででこう語っている。

「福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました。子供を持っているスタッフたちは線量計を買っていましたが、『ああ、これも風なんだ』と思いましたね。爽やかな風じゃない、轟々と吹く、放射能を含んだ風もこの世界の一部なのだと思いました。そういうことですね、風って」(アトリエ「二馬力」での完成会見より、「風立ちぬ特別号」『スポーツ報知』 )。

宮崎監督のこの言葉を読んだときに思い出したのが、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後で行われた講演会で語られた司馬遼太郎氏の言葉であった。

「この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に広く与えたと思います」(「人と樹木」『十六の話』、中公文庫)。

しかも司馬氏は「平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」と続けていたが、福島第一原子力発電所の大事故はチェルノブイリ原発事故に匹敵するものであり、しかも後者はともかくも「石棺」によって放射能の流出は止まったが、フクシマからはいまも膨大な量の汚染水が太平洋へと注ぎ出ているのである。

現在の日本に必要なのは、対外的な問題のみを強調して危機感を煽り立てる政治家ではなく、日本の大地や近海だけでなく地球環境をも破壊しつつある重大な問題を直視して、このような原発を推進した者の責任を明らかにするとともに、地球環境の保全のためにもきちんとした対策を立てることのできる政治家であるだろう。

《風立ちぬ》論のスレッド(Ⅰ~Ⅲ)と【書評】  アニメ映画《紅の豚》から《風立ちぬ》へ(Ⅰ) 《風立ちぬ》Ⅱ――大地の激震と「轟々と」吹く風 《風立ちぬ》論Ⅲ――『魔の山』とヒトラーの影

2024/03/18、ツイートを追加

映画 《福島 生きものの記録》(岩崎雅典監督作品 )と黒澤映画《生きものの記録》

6月29日(土)に 日本ペンクラブと専修大学人文ジャーナリズム学科の共催によるシンポジウム、【脱原発を考えるペンクラブの集い】part3 「動物と放射能」が専修大学で行われた。

大教室での開催だったのでどのくらいの人数が集まるかと心配したが、少し空席はあったもののほぼ満席に近い状態で、体調不良のために総合司会者が直前に変わるという変更があったものの浅田次郎会長の開会挨拶で始まり、中村敦夫・環境委員会委員長の総括で終わったシンポジウムは活気のあるものとなった。

75分という上映時間は、ドキュメンタリー映画としては長すぎるかもしれないと心配したが、杞憂にすぎず映画が始まると引き込まれてあっという間に終わったという印象であった。上映後の報告や対談でも、それぞれの視点からなされた各報告者の発表は説得力を持っており熱のこもった質疑応答がなされた。(プログラムは、文末に記す)。

私自身は黒澤映画との関連に強い関心を持って映画「福島 生きものの記録」を観た。静かな映像とナレーターの静かな口調をとおして、「警戒区域内」に残された「生き物たち」の姿を語っていたこのドキュメンタリー映画からは、自作の題名を《怒れる人間の記録》ではなく、《生きものの記録》としていた黒澤監督の先見性も伝わってきた。

たとえば、「牧場」に残って牛の世話を続ける吉沢氏は「警戒区域内の牛をすべて殺処分」するようにとの国の命令が、この地域の生き物に対する放射能の影響の「証拠隠滅」はかろうとするものと語っていたが、この地域に残された生き物に現れた症状は人間にも現れる可能性が強いのである。「人の居なくなった」この地域のツバメに現れた「斑点」は、チェルノブイリのツバメの「斑点」ときわめて似ており、近づいてくる「死の影」さえ感じられる。

上映後の対話では、この映画の試写会には新聞記者など多くのマスコミの関係者も参加したが、なぜか記事新聞んはほとんど取り上げられなかったことが明かされたが、それはビキニ沖での水爆実験で被爆した「第五福竜丸事件」の後で公開された映画《生きものの記録》の場合を彷彿とさせる。作家井上ひさし氏との対話で黒澤監督は、「あのとき、ある政治家が試写会にきて、『原水爆何怖い、そんなもの屁でもねえ』といったんですよ」と語っていたのである。

原発事故では死んだ者はいないという趣旨の発言をした自民党の高市政調会長も、事故後に自殺に追いやられた人々など無視していることを批判されて後で撤回したが、殺処分され、あるいは見捨てられて死んだ多数の牛などの映像は、人間を含む「生きものの生命」を大切にしない政策の問題点が浮かび上がってくる。

作家の司馬遼太郎氏は日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』において、「命令のままに黙々と埋め草になって死んでゆく」日本兵の姿を「虫のように殺されてしまう」という激しい表現で描いていたが、3.11以降の日本は「国民の生命」が「虫のように」軽かった時代へと転落を始めているかのような恐怖さえ抱く。

岩崎監督の映画では死んでゆく生き物の姿だけではなく、人の居なくなった世界で我が物顔に振る舞うようになった猿や野生化した豚などの映像も映し出されている。ことに圧倒的な迫力を持っていたのは、「国策」によって見捨てられながらも生き残って野生化した牛の群れが疾走する映像で、ふと立ち止まってカメラを見据えた牛の鋭い視線からは怒りと殺意さえ感じられた。

そのとき、私が思い浮かべたのは、やはり「国策」によって戦場に駆り出され、復員兵として戦後の荒廃した首都に戻るが、自分の持ち物を盗まれたために犯罪に手を染めるようになった若者を描いた黒澤映画《野良犬》であった。

ドイツでは福島第一原子力発電所の事故のあとで、それまでの原発推進という「国策」が国民の意思で破棄されたが、事故の当事者である日本では多くの国民の反対にもかかわらず、「国策」は固持されている。

映画《福島 生きものの記録》の映像は、現在の日本が抱える問題だけでなく明治維新後に日本が近代化する中で抱えるようになった問題さえも映し出しているといえるだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

               <プログラム>

総合司会・・・・・・・山田健太(言論表現委員会委員長)

●開会挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・  浅田次郎(日本ペンクラブ会長)

●第1部 映画  「福島 生きものの記録」(岩崎雅典監督作品 ) 上映

3.11で被曝した生きものたち、野生動物のみならず、家畜、ペット、そして人間。いったいどうなっているのか、

被災地福島で1年かけて撮り続けた現実。

●第2部  報告 ― 動物と放射能

①「家畜たちの運命は?」・・・・・・・・・・・・・・・・  吉沢正己

②「ペットはどうなる?」・・・・ ・・ ・・・・・・・・・ 太田康介

③「野鳥の異変!」 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 山本 裕

●第3部  対話・質疑応答

コーディネーター ・・・・・・高橋千劔破(平和委員会委員長)

上記出演者+岩崎雅典、森絵都

●総 括 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中村敦夫(環境委員会委員長)