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大河ドラマ《坂の上の雲》

〈大河ドラマ《坂の上の雲》から《花燃ゆ》へ――改竄された長編小説『坂の上の雲』Ⅱ〉

はじめに

太平洋戦争における「特攻」につながる「自殺戦術」の問題点と「大和魂」の絶対化の危険性を鋭く指摘した長編小説『坂の上の雲』と子規や漱石の作品との関係については、昨日、拙著の該当部分(第5章第4節)をアップしました。

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』第5章より、第4節〈虫のように、埋め草になって――「国民」から「臣民」へ〉

しかし、「政治的・時代的な意図」によってこの長編小説を解釈した大河ドラマ《坂の上の雲》が三年間にわたって放映されたことで、著者の司馬遼太郎だけでなく正岡子規や夏目漱石への誤解も広がっているようです。

『坂の上の雲』を「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」であると作者の司馬が記していた(『「昭和」という国家』、NHK出版、一九九八年)作品を、大河ドラマとして放映したことの問題については、既にブログ記事で論じていました。

改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

それを書いた時点では私がまだ俳人・正岡子規にあまり詳しくなかったために、漱石と子規の妹律の発言をめぐる問題点にはふれていませんでした。ツイッターでは大河ドラマ《坂の上の雲》の最終回で描かれた創作されたエピソードについて考察しましたが、字数の関係で抜かした箇所などがありましたので、今回はその箇所や子規の新体詩や島崎藤村との関係、さらに新聞『日本』にトルストイの『復活』が載っていたことなどを補った追加版をアップします。

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ヤフーの「知恵袋」というネット上の質問コーナーには、2012年2月に「司馬遼太郎と夏目漱石」という題で次のような質問が載っていました。

「昨年NHKでやっていた『坂の上の雲』の最終回で、夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていたのですが、あそこのところは原作にもあるんでしょうか?どのような意図が込められているんでしょうか?

夏目漱石といえば近代日本の批判者というイメージですが、『坂の上の雲』や一般に司馬遼太郎その人にとって、漱石はどういう位置づけというか、どういう存在だったのでしょうか。」

この質問に対するベストアンサーには次のような回答が選ばれていました。

「確か原作にはなかったと思います。漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います。  確か「坊ちゃん」だったと思いますが(引用者註――『三四郎』)、日露戦争後の日本について「日本は滅びるね。」と登場人物に言わせています。

そこら辺の機微をNHKが創作したものだと推測します。『坂の上の雲』では、漱石は子規のベストフレンド(文学的にも)という位置づけだったように思います。」

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回答者の「確か原作にはなかったと思います」という指摘は正確なのですが、「夏目漱石役の人が『大和魂』を茶化すような発言をして正岡子規の妹役に諌められ、『すみません』といって謝っていた」というシーンについて回答者は、「NHKが創作した」と解釈することは、子規への誤解を広めることになるでしょう。

この場面は「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病みの様な咳をした」という文章で始まる新体詩を主人公の苦沙弥先生が朗読するという『吾輩は猫である』の場面を受けて創作されていたと思えます。

しかし、漱石が主人公にこのような新体詩を読ませたのは、盟友・子規が「大和魂」を絶対化することの危険性を記していたことを思い起こしていたためだと思えます。

俳人・子規は、日清戦争に従軍した際に創作した「金州城」と題された新体詩で、杜甫の詩を下敷きに「わがすめらぎの春四月、/金州城に来て見れば、/いくさのあとの家荒れて、/杏の花ぞさかりなる。」と詠んでいました。さらに子規は「髑髏」という新体詩では「三崎の山を打ち越えて/いくさの跡をとめくれば、此処も彼処も紫に/菫花咲く野のされこうべ。」と詠んでいたのです。

評論家の末延芳晴氏が『正岡子規、従軍す』(平凡社、二〇一〇年)で指摘しているように、子規の従軍新体詩が「反戦詩」へとつながる可能性さえあったのです。

新聞記者としても活躍していた子規は、事実を直視する「写生」の大切さを訴え、政府の言論弾圧も批判していたことだけでなく、後に『破戒』を書くことになる島崎藤村との対談で話題となっていたように短編『花枕』などの小説を書き、ユゴーの『レ・ミゼラブル』の部分訳をも試みていました。

日露戦争の最中に新聞『日本』がトルストイの反戦的な小説『復活』を内田魯庵の訳で連載していたことも考慮するならば(拙著『新聞への思い』、191~192頁)、子規がもし健康で長生きをしたら漱石にも劣らない長編小説を書いていたかもしれないとさえ私は考えています。

なお、回答者は「漱石はその著書『こころ』で、明治天皇の崩御と乃木将軍の殉死を悼み、『明治という時代が終わった。』と登場人物の『先生』に言わせていたと思います」とも記していました。

夏目漱石の乃木観の問題は、乃木大将の殉死をテーマとした司馬遼太郎の『殉死』でも記されていますので、この問題については現在、執筆中の『絶望との対峙――憲法の発布から「鬼胎」の時代へ』(仮題)で詳しく考察したいと考えています。

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NHKは大河ドラマ《坂の上の雲》を三年間にわたって放映しばかりでなく、その間には政商・岩崎弥太郎を語り手として幕末の志士・坂本竜馬の波乱の生涯を描いた《龍馬伝》も放映していました。

うろ覚えな記憶ですがこの大河ドラマの脚本家は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から強い影響を受けたことに感謝しつつ、それを踏まえて新しい『龍馬伝』を書きたいとの心意気を語っていました。

しかし、この大河ドラマでは、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の「過激派」の人々が美しく描き出されており、結果としては『竜馬がゆく』で描かれた「思想家」としての竜馬像を否定するような作品になっていたと言わねばなりません。

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

さらに2015年には吉田松陰の妹・文を主人公とした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映されましたが、文が再婚した相手の小田村伊之助こそは、山崎氏雅弘が指摘しているように「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していた小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父だったのです(『日本会議 戦前回帰への情念』)。

このように見てくる時、莫大な予算をかけて製作されているNHKの大河ドラマ大河ドラマ《坂の上の雲》、《龍馬伝》、《花燃ゆ》などが安倍自民党のイデオロギーの宣伝となっていることが分かります。

「日本会議」の憲法観と日本と帝政ロシアの「教育勅語」

本来ならば、自民党の広報が製作すべきこれらの番組の製作費が、国民からなかば強制的に徴収されている視聴料によってまかなわれていることはきわめて問題であり、これから国会などでも追究されるべきだと思います。

アベノミクス(経済至上主義)の問題点(2)――原発の推進と兵器の輸出入

経済学の専門家でない私が消費税の問題を論じても説得力は少ないだろうとの思いは強いのですが、この問題は「国民」の生活や生命にも重大な影響を及ぼすと思えますので、ここでは司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』にも言及しながら今回は武器の輸出入の問題を扱うことで、今は一時的にはうまくいっているように見えるアベノミクスが孕んでいる危険性を考察してみたいと思います。(HPの構成上、記事はトップに表示されますが、前回の記事「アベノミクス(経済至上主義)の問題点(1)――株価と年金」の続きです)。

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原発や武器の輸出と兵器購入の問題

アベノミクスにからむもう一つの大きな問題は、「原発問題」を隠すことで前回の選挙に勝った安倍政権が、原発の再稼働に積極的に行動しただけでなく、海外へも安倍首相自らがトップセールスを行っています。しかし、一時的には国内の企業に利益をもたらすかもしれませんが、輸出された国で事故が起きれば、企業や官僚、政治家に有利な今の法律ではその負担を日本国民がひき受けねばならなくなる可能性が強いことです。

リンク→原爆の危険性と原発の輸出

さらに武器の輸出を禁じていたにこれまでの自民党政権とは異なり、安倍政権は「経済活性化」のためという理由を掲げて、軍需が大きな比重を占めていた戦前のような経済体制への復帰を進めています。

素人の私にとってこの問題の象徴的な事柄と思えるのは、米軍基地を抱える沖縄などが「MV22オスプレイ」を持ち込ませないように強く求めていたにもかかわらず、防衛省が「来年度の概算要求に計上していた垂直離着陸機の機種選定」で正式決定し、「予算が認められれば2018年度に納入の予定」とのことが伝えられたことです。

しかし、今度の総選挙の費用が「過去の衆院選と同じ七百億円前後の経費が必要になる見通し」であることを伝えた「東京新聞」の11月22日の朝刊は、「国政選挙は一二年の衆院選、昨年の参院選と合わせて三年連続。この三年間で千九百億円程度の税金が選挙事務に費やされることになる」ことを明らかにしています。

政府は「中期防衛力整備計画」で、1機100億円以上とみられるオスプレイを18年度までに17機導入する方針を明記しているようですが、大幅な財政赤字が続いているだけでなく、「政府債務残高のGDP(国内総生産)比は財政破たんに追い込まれたギリシャをも上回る水準にあるとされる」にもかかわらず、消費税の増税分は「年金・医療・介護・少子化対策などの社会福祉」にあてるとの公約に反した大金の使い方がされているように感じます。

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オスプレイの購入と「日英同盟」

ブログ「ミリプロNews」は、オスプレイ6 機を購入することで合意していたイスラエルがオスプレイの購入をキャンセルするようだと報じたIsrael Hayom 紙の記事を伝えた後で、「イスラエルがキャンセルした場合、日本が最初の米国以外でオスプレイを導入する国になる可能性もある」と記しています。

これらの記事を読んで最初に思い出したのは、作家の司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』で、日英同盟を結ぶことになる日本がイギリスから多くの最新の軍艦を購入していたことを詳しく描いていたことです。

公共放送であり国民からの「受信料」で運営されているNHKが3年間という長い期間にわたって放映したスペシャル・ドラマ『坂の上の雲』の影響で、多くの方が「日露戦争」を肯定的に考えるようになったと思われます。

しかし、太平洋戦争当時の指導者が「無敵皇軍とか神州不滅とかいう」用語によって、「みずからを他と比較すること」を断ったと指導者たちの「自国中心主義」をエッセー「石鳥居の垢」で厳しく批判していた司馬氏は、『昭和という国家』(NHK出版)でも、「日露戦争の終わりごろからすでに現れ出てきた官僚、軍人」などの「いわゆる偉い人」には、「地球や人類、他民族や自分の国の民族を考える、その要素を持っていなかった」と記しています。

このことを考慮するならば、司馬氏は政治家と高級官僚だけでなく軍需産業にも富をもたらした日露戦争が、一般の庶民からは富を奪うことになったと考えていたのではないでしょうか。

リンク→ 改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」

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製艦費と「月給の一割」の天引き

司馬氏はシリーズ『街道をゆく』の『本郷界隈』の巻で、夏目漱石が日露戦争後に書いた長編小説『三四郎』で、三四郎の向かいに坐った老人が「一体戦争は何のためにするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんな馬鹿気たものはない」と嘆いたと描いていることに注意を促していたのです。

しかも司馬氏は、当時は「製艦費ということで、官吏は月給の一割を天引きされて」いたことに注意を向けて、「爺さんの議論は、漱石その人の感想でもあったのだろう」と続けていました(司馬遼太郎朝日文芸文庫、一九九六年、一九六頁、二七八~九頁)。

これらの文章に注目するならば、司馬氏は「憲法」を持たない「ロシア帝国」との国運を賭けた日露戦争にはかろうじて勝利したものの、この勝利がもたらした「道徳心の低下」だけでなく経済的な損失の面も、「勝利の悲哀」という題で講演した徳冨蘆花と同じようにきちんと認識していたと言えるでしょう。

このことについては急な総選挙のために執筆が遅れている拙著『司馬遼太郎の視線(まなざし)――子規と「坂の上の雲」と』仮題)で明らかにしたいと考えています。