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映画《モスラ》

小林秀雄のヒトラー観(2)――「ヒットラーと悪魔」とアイヒマン裁判をめぐって

一、映画『十三階段への道』とアイヒマンの裁判

雑誌『文藝春秋』(1960年5月)に掲載された「ヒットラーと悪魔」の冒頭で小林秀雄は、「『十三階段への道』(ニュールンベルク裁判)という実写映画が評判を呼んでいるので、機会があったので見た」と記し、実写映画という性質に注意を促しながら、「観客は画面に感情を移し入れる事が出来ない。破壊と死とは命ある共感を拒絶していた。殺人工場で焼き殺された幾百万の人間の骨の山を、誰に正視する事が出来たであろうか。カメラが代ってその役目を果たしたようである」と書いた。

実際、NHKの佐々木敏全による日本版「解説」によれば、この映画は「裁判の記録映画」であるばかりでなく、「各被告の陳述にあわせ一九三三年から四五年までの十二年間、ナチ・ドイツの侵攻、第二次世界大戦、そしてドイツを降伏に導いた恐ろしい背景を、その大部分が未公開の撮影および録音記録によって」描き出したドラマチック・ドキュメンタリーであった。

ニュールンベルグの戦犯 13階段への道 – CROSS OF IRON

一方、カメラの役目を強調して「御蔭で、カメラと化した私達の眼は、悪夢のような光景から離れる事が出来ない」と続けた小林は、「私達は事実を見ていたわけではない。が、これは夢ではない、事実である、と語る強烈な精神の裡には、たしかにいたようである」と続けていた。

「事実」をも「悪夢」に帰着させているかのように見えるこの文章を読みながら思い出したのは、小林秀雄が1934年に書いた「『罪と罰』についてⅠ」において、「殺人はラスコオリニコフの悪夢の一とかけらに過ぎぬ」と書き、「罪の意識も罰の意識も遂に彼には現れぬ」と解釈していたことであった(髙橋『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』参照)。

注意を払いたいのは、「何百万という人間、ユダヤ人、ポーランド人、ジプシーなどの、みな殺し計画」を実行し、敗戦後にはブラジルに潜んでいたアイヒマンがこの映画が公開されたのと同じ年の5月に逮捕されたことが5月25日に発表され、翌年の1961年には裁判にかけられたことである。

アイヒマン裁判

(アイヒマン裁判、写真は「ウィキペディア」より)

映画『十三階段への道』を見ていた小林秀雄は、この裁判をどのように見ていたのだろうか。ちなみに、1962年8月には、アイヒマンの裁判についても言及されている『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(G・アンデルス、C・イーザリー著、篠原正瑛訳、筑摩書房)が日本でも発行されたが、管見によれば、小林秀雄はこの著書に言及した書評や評論も書いていないように見える。「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)――良心の問題と「アイヒマン裁判」

商品の詳細 (書影は「アマゾン」より)

二、「ヒットラーと悪魔」とその時代

改めて「ヒットラーと悪魔」を読み直して驚いたのは、おそらく不本意ながら敗戦後の文壇事情を考慮して省かざるを得なかったヒトラーの「決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚」や「感傷性の全くない政治の技術」が、ドストエフスキー論にも言及することで政治的な色彩を薄めながらも、『我が闘争』からの抜き書きともいえるような詳しさで紹介されていたことである(太字は引用者)。

最初はそのことに戸惑いを覚えたが、この文章が掲載されたこの当時の政治状況を年表で確認したときその理由が分かった。東条英機内閣で満州政策に深く関わり戦争犯罪にも問われた岸信介は、首相として復権すると1957年5月には国会で「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と答弁していた。そして、1960年1月19日にはアメリカで新安全保障条約に調印したのである。この条約を承認するために国会が開かれた5月は、まさに激しい「政治の季節」だったのである。

この時期の重要性については黒澤明監督の盟友・本多猪四郎監督が、大ヒットした映画《ゴジラ》に次いで原水爆実験の危険性を描き出した1961年公開の映画《モスラ》で描いているので、本論からは少し離れるが確認しておきたい、(『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画、2016年、45頁)。

すなわち、1960年の4月には全学連が警官隊と衝突するという事件がすでに起きていたが、5月19日に衆議院の特別委員会で新条約案が強行採決され、5月20日に衆議院本会議を通過すると一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲むようになった。そして6月15日には暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出す一方で、国会議事堂正門前では機動隊がデモ隊と衝突してデモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死するという悲劇に至っていた。

一方、このような激しい安保条約反対運動に対抗するかのように、すでに1958年には神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、「国が二月十一日を紀元節と決めたら、せっかく考古学者や歴史学者が命がけで積上げてきた日本古代の年代大系はどうなることでしょう。本当に恐ろしいことだと思います」との書簡を寄せ、「これに反発した右翼が三笠宮に面会を強要する事件」も発生していた(上丸洋一『「諸君!」「正論」の研究 保守言論はどう変容してきたか』岩波書店、10頁)。なぜならば、戦前の価値の復活を求める右翼や論客は「紀元節奉祝建国祭大会」などの活動を強めていたのである。

三笠宮は編著『日本のあけぼの 建国と紀元をめぐって』(光文社、1959年)の「序文」で「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」と書いていた。

上丸洋一(図版はアマゾンより)

書評『我が闘争』の『全集』への収録の際には省いていたヒトラーの「決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚」や「感傷性の全くない政治の技術」をより詳しく紹介した「ヒットラーと悪魔」は、まさにこのような時期に書かれていたのである。

三、「感傷性の全くない政治の技術」と「強者への服従の必然性」

映画についての感想を記したあとで、20年前に書いた書評の概要を記した小林は、「ヒットラーのような男に関しては、一見彼に親しい革命とか暴力とかいう言葉は、注意して使わないと間違う」とし、「彼は暴力の価値をはっきり認めていた。平和愛好や暴力否定の思想ほど、彼が信用しなかったものはない。ナチの運動が、「突撃隊」という暴力団に掩護されて成功した事は誰も知っている」ことを確認している。

しかし、その箇所で小林はヒトラーの「感傷性の全くない政治の技術」についても以下のように指摘していたが、それは現在の安倍政権の運営方法と極めて似ているのである。

「バリケードを築いて行うような陳腐な革命は、彼が一番侮蔑していたものだ。革命の真意は、非合法を一挙に合法となすにある。それなら、革命などは国家権力を合法的に掌握してから行えば沢山だ。これが、早くから一貫して揺がなかった彼の政治闘争の綱領である。」

そして、「暴力沙汰ほど一般人に印象の強いものはない。暴力団と警察との悶着ほど、政治運動の宣伝として効果的なものはない。ヒットラーの狙いは其処にあった」とした小林は、「だが、彼はその本心を誰にも明かさなかった。「突撃隊」が次第に成長し、軍部との関係に危険を感ずるや、細心な計画により、陰謀者の処刑を口実とし、長年の同志等を一挙に合法的に謀殺し去った」と続けている。

さらに、ヒトラーの人生観を「人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である」とした小林は、「獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者にどうして屈従し味方しない筈があるか」と書いて、ヒトラーの「弱肉強食の理論」を効果的に紹介している。

さらに小林はヒトラーの言葉として「大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう」と書き、「ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキイが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった」と続けている。

この表現はナチズムの危険性を鋭く指摘したフロムが『自由からの逃走』(日高六郎訳、東京創元社)で指摘していた記述を思い起こさせる。この本がすでに1951年には邦訳されていたことを考慮するならば、小林がこの本を強く意識していた可能性は大きいと思える。

しかしその結論は正反対で、小林秀雄はヒトラーの独裁とナチズムが招いた悲劇にはまったく言及していないのである。

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「ヒットラーと悪魔」をめぐって(4)――大衆の軽蔑と「プロパガンダ」の効用

(2017年9月17日、記述の一部を削除して主題を明確化し副題を変更。関連記事のリンク先を追加)

〈第三部 「人類滅亡の悪夢」の克服と大自然の輝き――映画《夢》と映画《風立ちぬ》を中心に〉より、〈序章 風車と水車のある光景〉

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序章 風車と水車のある光景

 

一、映画《モスラ》から《風の谷のナウシカ》へ

アニメ映画《風の谷のナウシカ》の冒頭では、「人口五〇〇人足らずの平和な農業共同体」である「風の谷」を吹く清浄な風が、大国トラキアの巨大な飛行機が運んできた腐海からの胞子や巨大な昆虫によって乱されるシーンが描かれている。

「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」によって科学文明が終わってから一〇〇〇年後の世界が描かれているこの映画と映画《モスラ》との映像的な類似性について、研究者の小野俊太郎は次のように指摘している。

「この二つの作品には、すぐに目につく類似点が多い。幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似だけではなく、成虫モスラとウシアブのふんわりとした飛行、腐海(ふかい)の毒と放射能の働きの類比は明白だし、暴走するイモ虫、巨大な繭と熱による孵化、巨大な胞子植物、怪異と意思疎通する少女、といった点も似ている。タイトルバックで神話が碑文や絵巻といった映像でされるのも共通している」*1。

そして、「風」の流れに注意を促して「問題となるのは、ナウシカが住んでいる『風の谷』で、ここには『モスラ』における日本とインファント島問題そのものが拡大して投影されている」と指摘した小野は、「ここに接合されているのは、黒澤明が『生きものの記録』(一九五五)で突きつけた、気流の関係で死の灰が寄ってくる風の谷間に暮らす日本である」と続けている*2。

実際、《風の谷のナウシカ》は核戦争後に発生した「腐海の森」から発生する有毒ガスで、生き残った人々の生存も危うくなる中で、「土壌の汚れ」の原因を突き止めようとする少女ナウシカの活躍を描いているが、《生きものの記録》でも核実験による「死の灰」や核戦争の恐怖からブラジルへの移住という行動を起こそうとした主人公の老人(三船敏郎)が、精神病院の窓に映った夕日を見て「とうとう地球が燃えてしまった」と叫ぶ場面が描かれていた。

二、「王蟲」の子供が殺される夢と「やせ馬が殺される夢」

《風の谷のナウシカ》では、夢の中でナウシカが子供の頃に戻って、「王蟲」の子供が殺されそうになっているのを見て「殺さないで」と叫ぶのを再び見るシーンが描かれている。

このシーンを見てすぐに連想したのは、近代西欧の「弱肉強食の思想」から強い影響を受けた『罪と罰』の主人公が「非凡人の理論」を編み出して、「悪人」と規定した「高利貸しの老婆」を殺害しようと計画を練りはじめた頃に見た「やせ馬が殺される夢」のことであった。

なぜならば、映画《夢》のための「ノート」には、『罪と罰』からこの箇所が長く引用されているだけでなく、「夢が持っている奇妙なリアリティをつかまえなければならない」という黒澤のメモも記されていたからである*3。

「やせ馬が殺される夢」で子どもの頃に再び戻り、酔っぱらいの馭者から力まかせに鞭打たれているやせ馬を見て、やせ馬への深い同情心から必死で守ろうとしていた体験を思い出した主人公は、自分の計画がたとえ正しいこととしても老婆を殺害することはできないと感じていた。

残念ながら日本では、文芸評論家・小林秀雄の解釈などもあり、ラスコーリニコフの言動を分析することにより、一九世紀西欧の「弱肉強食の思想」や「自然支配の思想」を厳しく批判した思想家としてのドストエフスキーにはあまり光が当てられていない*4。

しかし、ドストエフスキーはラスコーリニコフが老婆を殺したことを知ったソーニャに「いますぐ、すぐに行って、十字路に立つんです。おじぎをして、まず、あなたが汚した大地に接吻しなさい」と諭させていた*5。この言葉やドストエフスキーの自然観や民話観に注目しながらこの小説を読み直すとき、「やせ馬殺しの夢」が「高利貸しの老婆」の殺害を実行してしまったラスコーリニコフの悲劇を示唆するとともに、流刑地のシベリアの大自然の中で生活するうちに森や泉の意味を認識して「復活」することも予告していたといえるだろう。

ジャーナリストの清沢洌は、一九四三年一月八日の日記でナチスの検閲に言及して、「すでにドイツはドストエフスキーの文学などを禁止したとのことだ」と『暗黒日記』に記していたが*6、戦後にドストエフスキーの長編小説『白痴』を沖縄で死刑になりかけた復員兵を主人公として映画化した黒澤明は、ドストエフスキーについてこう語っていた*7。

「これは実は《羅生門》の前からやろうときめてた。ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んで、どうしても一度はやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタがちがうけど作家として一番好きなのはドストエフスキーですね。生きていく上につっかえ棒になることを書いてくれてる人です」。

全部で八話からなるオムニバス形式の映画《夢》は、ストーリーの流れが読みにくいこともあり、あまりヒットはしなかったが、黒澤明がロシアの作家ドストエフスキーを深く敬愛していたことに注目しながら、『罪と罰』における夢の構造に注意して見直すとき、この映画の構造が『罪と罰』において主人公のラスコーリニコフが見る夢の順番と密接に対応していることに気づく*8。

《風の谷のナウシカ》のタイトルバックで示される絵巻では「その者青き衣(ころも)をまといて金色(こんじき)の野におりたつべし。失われた大地との絆(きずな)を結び、遂に人々を青き清浄の地に導かん」との言い伝えが織られていた。

さらに、ナウシカが見た「王蟲」の子供が殺される夢も自分の危険もかえりみずに傷ついた「王蟲」の子供を守るという感動的なラストシーンへとつながっていることもたしかだろう。しかも、宮崎監督は一九九三年の黒澤監督との対談では、映画《夢》の最終話「水車のある村」で描かれている水車小屋の場面については、自分が「美術やりたかったなと思った」とさえ語っていたのである*9。

それゆえ、次の章では映画《七人の侍》と一九九七年に公開された《もののけ姫》との関係を見た後で「自然支配の思想」に注目しながら、映画《夢》の第一話「日照り雨」から第三四話「トンネル」にいたる流れを考察し、さらに、第四話「トンネル」における「亡霊」に注目しながら、戦死者の問題に焦点を当てて映画《ゴジラ》と『永遠の0(ゼロ)』も再考察する。

第二章では一九九二年公開のアニメ映画《紅の豚》と映画《永遠の0(ゼロ)》の関係を見た後で、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の友情をとおして、当時の日本の社会情勢だけでなく、ナチスドイツとの同盟の危険性もきちんと描かれていた映画《風立ちぬ》を分析することにより、なぜ宮崎が『永遠の0(ゼロ)』を「神話の捏造」と激しく批判したのかに迫る。

終章ではそれまでの考察や映画《風立ちぬ》のラストシーンで描かれたノモンハンの草原のシーンと主人公の視線をとおして映画《夢》の第六話「赤富士」から「鬼哭」を経て「水車のある村」にいたる流れの意味を考えることにしたい。

 

*1 小野俊太郎、前掲書『モスラの精神史』、二四八~二四九頁。

*2 同右、二五〇頁。

*3 都築政昭『黒澤明の遺言「夢」』、近代文芸社、二〇〇五年、一八~一九頁。

*4 高橋、前掲書『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』、第四章参照。

*5 ドストエフスキー、江川卓訳『罪と罰』下巻、岩波文庫、二〇〇〇年、一三五頁。

*6 清沢洌、前掲書、四〇頁、一四二頁。

*7 「世界の映画作家3/黒澤 明」”全自作を語る”聞き手=荻 昌弘(キネマ旬報社)」

*8 高橋黒澤明監督の倫理観と自然観――映画《白痴》から映画《夢》へ」『地球システム・倫理学会会報』第一一号、二〇一六年参照。

*9 黒澤明・宮崎駿『何が映画か――「七人の侍」と「まあだだよ」』徳間書店、一九九三年、四一頁。

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(三)、「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観」を掲載 

三、オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観

オバマ大統領の広島訪問は、被爆者の方々との真摯な対話もあり、核廃絶に向けた一歩前進ではあったと思える。その一方で「菅直人が原子炉への海水注入をやめさせたというデマ」を安倍首相が「自身のメルマガに書き」込んでいた安倍首相とその周辺は、「トリチウム汚染水を除染しないまま薄めて海に流してしまうという」経産省の提案を同じ五月二七日に発表し、さらには大統領と同行の写真を選挙活動の広告として使っている。

この一連の流れを見ながら思い出したのは、二〇一三年の終戦記念日に安倍首相の式辞を聞いたあとで強い危機感を抱き、ブログ記事を書いた時のことであった。記念式典で安倍首相は「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」と語った。しかし、そこではこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」や脱原発の文言もなかった*22。

一方、二〇一三年八月六日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、九日の平和宣言で長崎市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える八〇カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待」を裏切り、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と厳しく批判していた。

つまり、安倍首相はこれらの痛切な願いを無視していたのである。それゆえ、初代のゴジラと同じ一九五四年生まれであるにもかかわらず安倍首相は、広島と長崎、「第五福竜丸」の三度の被爆や、「世界が破滅する」危機と直面していたキューバ危機、さらにはいまだに収束せずに汚染水など多くの問題を抱えている二〇一一年の福島第一原子力発電所の大事故のことをきちんと考えたことがあるのだろうかという強い危惧の念を抱いた。

事実、政府が「武器輸出三原則」の見直しを検討しているとの報道がなされたのは、二〇一四年二月一一日のことであったが、「特定秘密保護法」を強行採決して報道機関などに圧力をかけて、言論の自由を制限し、翌年には「戦争法」の疑いのある「安全保障関連法案」も強行採決した安倍政権は、「アベノミクス」という経済政策とともに「積極的平和主義」を掲げて、原発の輸出だけでなく武器の輸出にも積極的に乗り出したのである。

しかも、岸信介元首相は「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」との国会答弁をしていたが、このような方針も受け継いだ安倍首相も二〇〇二年二月に早稲田大学で行った講演会における質疑応答では、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言して物議を醸していた*23。そして、ついに内閣法制局長官に抜擢された横畠裕介氏は二〇一六年三月一八日の参議院予算委員会で核兵器の使用についても「憲法上、禁止されているとは考えていない」という見解したのである。

最初にふれたように映画《ゴジラ》が封切られたのは「第五福竜丸」事件が起き無線長が亡くなった一九五四年のことであり、この映画が大ヒットした背景には、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることへの強い批判や、軍拡につながりかねない強力な兵器を創造することを拒んだ科学者の芹沢への共感があったと思える。

安倍政権による一連の決定は、水爆実験により安住の地を奪われた「ゴジラ」に仮託して、「核のない世界」を願った日本国民の悲願をないがしろにし、再び世界を「軍拡の時代」へと引き戻すものであると言わねばならないだろう。

ただ、ゴジラが誕生したこの年の七月一日には警察の補完組織だった保安隊と警備隊を改組した自衛隊も誕生していた。予告編では「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字だけでなく、「挑む陸・海・空の精鋭」、という文字も「画面いっぱいに」広がって広告効果を上げていた*24。これら後半の文字は初代の映画《ゴジラ》やその後のゴジラの変貌を考えるうえできわめて重要だと思える。

なぜならば、映画《ゴジラ》が公開されたのは日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、創刊三一年を記念した二〇〇四年の『正論』一一月号に掲載された鼎談で、衆議院議員の安倍晋三氏は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」と略す)第三代会長の高崎経済大学助教授・八木秀次氏(肩書きは当時)やジャーナリストの櫻井よしこ氏とともに「改憲」への意気込みを語ってもいたからである*25。

この号では石原慎太郎・八木秀次両氏による「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」という対談も行われており、ここで日露戦争の勝利を「白人支配のパラダイムを最初に痛撃した」と評価した石原氏は、「大東亜戦争」の正しさを教えられるような歴史教育の必要性を強調していた*26。

このような「憲法」の軽視と日露戦争の賛美の流れは、『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」と描かれているとする一方で、科学的な歴史観を「自虐史観」と決めつけ、「司馬の小説と史論を組み合わせると」新しい歴史観をうち立てることができるとした藤岡信勝氏の論調を受け継いでいると思える*27。この論考が発表された翌年の一九九七年一月には「つくる会」が発足し、七月にはそれに連動して安倍晋三氏を事務局長とした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられているのである。

しかし、作家の司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促し*28、書き終えた後では「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いていた*29。

安倍政権の成り立ちと「日本会議」との関わりに注意を促した菅野完氏の著作に続いて『日本会議とは何か』(合同出版)、『日本会議の全貌』(花伝社)などが相次いで発行されたことで、反立憲主義的な「日本会議」と育鵬社との関わりが明らかになってきている。そのことに留意するならば「変な酩酊者」という用語で「歴史修正主義者」を批判した作家・司馬遼太郎の歴史観は、「事実」を軽視して自分のイデオロギーを正当化しようとする「つくる会」や「日本会議」の歴史認識とはむしろ正反対のものといわねばならない。

安倍首相が尊敬する岸元首相とも面識のあった憲法学者の小林節氏によれば、「彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は」、「普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期」である、「国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった」のである*30。

政治学者の中島岳志氏との対談で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」で、「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことに注意を促した宗教学者の島薗進氏も、「戦前に起きた『立憲主義の死』」と「安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』」の関連を考察する必要性を提起し、「宗教ナショナリズム」の危険性を指摘している*31。

実際、安倍首相は今年の「施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した」が、それは「神道政治連盟」の主張と重なっており、神社本庁が包括する初詣でにぎわう神社の多くには、改憲の署名用紙が置かれていた*32。

この意味で注目したいのは、映画《風立ちぬ》を製作した宮崎駿監督が、孫が記す祖父の世代の戦争の記録の形で著した百田尚樹氏の映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造をまだ続けようとしている」と厳しく批判していたことである*33。宮崎監督が前節で見た映画《モスラ》の脚本家の一人でもあった作家の堀田善衛と司馬遼太郎との鼎談を行っていたことを考えるならばこの批判は重要だろう*34。

『日本会議の研究』を著した菅野完氏は、作者の百田尚樹氏について「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と記している*35。そのことには同感だが、多くの読者が安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』もある百田氏の小説『永遠の0(ゼロ)』に感動してしまったのは、「事実」を直視することを忌避して、東条英機内閣の頃のように美しいが空疎なスローガンを掲げている安倍政権や「日本会議」の歴史認識にも遠因があると思われる。

最近は「テキスト」を「主観的に読む」ことが勧められ、「テキスト」という「事実」をきちんと読み解くことが下手になっていると思われるので、宮崎監督のアニメ映画や批判を視野に入れながら文学論的な手法でこの小説や映画をきちんと分析することが必要だろう。

 

*22 高橋誠一郎 ブログ記事「終戦記念日と『ゴジラ』の哀しみ」、二〇一三年八月一五日

*23 『サンデー毎日』(二〇〇二年六月二日号、参照。

*24 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*25 安倍晋三・八木秀次・櫻井よしこ「今こそ”呪縛”憲法と歴史”漂流”からの決別を」『正論』二〇〇四年一一月号、産経新聞社、八二~九五頁。

*26 石原慎太郎・八木秀次「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」『正論』、前掲号、五八頁。

*27 藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五一~六九頁。

*28 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

*29 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、二〇〇〇年、四九頁。

*30 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、三二頁。

*31 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁、二三七頁。

*32 「東京新聞」朝刊、特集〈忍び寄る「国家神道」の足音〉、二〇一六年一月二三日。

*33宮崎駿、雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)。引用はエンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉『リテラ』二〇一四年六月二〇日より。

*34 堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』朝日文庫、二〇一三年参照。

*35 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、一一七頁。

(2016年7月1日、加筆。2016年11月2日、タイトルを改題)

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の構成案・旧版

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の執筆は、思いがけず序章で手間取ってしまいました。

ようやく書き終えましたのでここでは本書の構成案をまず示し、その後で数回に分けて序章を掲載することにします。

 

序章 映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日

*  *  *

第一部 映画《ゴジラ》(一九五四)から黒澤映画《夢》(一九九〇)へ

第一章 ゴジラの咆哮と悲劇の発生

第二章 映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》へ

第三章 小説《モスラ対ゴジラ》(一九六四)と映画《ゴジラ》(一九八四)

第四章 「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》――本多猪四郎と黒澤明の友情

第二部 小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法

はじめに 「約束」か「詐欺」か

第一章 孫が書き記す祖父の世代の「美しい」物語

第二章 地上での視線を欠いた「空」の戦いの物語ーー登場人物の画一性

第三章 高山という新聞記者――新聞の役割と「司馬史観」論争

第四章 神話の捏造――英雄の創出と「ゼロ」の神話化

*  *  *

終章 アニメ映画《紅の豚》(一九九二)から《風立ちぬ》(二〇一三)へ

(2016年11月2日、リンク先を追加)

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次を掲載

〈ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立〉を「映画・演劇評」に掲載

昨年は映画《ゴジラ》が初めて公開されてから60周年ということで、原爆や原発に焦点をあてながら映画《ゴジラ》の特徴と「ゴジラシリーズ」の問題を4回にわたって考察した後で、〈映画《ゴジラ》の芹沢博士と監督の本多猪四郎の名前を組み合わせた芹沢猪四郎が活躍するアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は、映画《ゴジラ》の「原点」に戻ったという呼び声が高い〉ことを紹介し、下記のように結んでいました。

「残念ながら当分、この映画を見る時間的な余裕はなさそうだが、いつか機会を見て映画《ゴジラ》と比較しながら、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で水爆実験や「原発事故」の問題がどのように描かれているかを考察してみたい」。

昨年は様々な事情からこの映画を観るのを控えていましたが、「安保関連法」が国会で「強行採決」された直後の9月25日夜に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送されたので、「映画・演劇評」のページに感想を記すことにします。

 

映画《ゴジラ》関連の記事一覧

映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

 映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐

映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

 

「広島原爆の日」と映画《モスラ》の「反核」の理念

69回目の「広島原爆の日」の今日、広島市中区の平和記念公園では平和記念式典が営まれました。

以下に「東京新聞」によって、その式典の式辞の内容を振り返っておきます。

*   *   *

「松井市長は原爆を「子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪った『絶対悪』」と強調。武力ではなく、未来志向の対話が重要だとし「被爆者の人生を自身のこととして考え、行動を」と呼び掛け、政府に対しても「名実ともに平和国家の道」を歩み続けるように求め、被爆地として核兵器廃絶への積極的な取り組みをあらためて世界に訴えた」。

 その一方で、「大きな議論を巻き起こした集団的自衛権行使容認には直接言及せず」、「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が発生した二〇一一年から、毎年述べてきた被災地への思いや原発、エネルギー政策にも触れなかった」。

*   *   *

それは「広島原爆の日」の前日にあたる昨日、これまでは「集団的自衛権行使について『憲法九条で許容される範囲を超えるものであり、許されない』と明記」されてきた「項目を削除」し、「集団的自衛権」を高らかに主張した安倍内閣の「防衛白書」に配慮したためだと思える。

すなわち、「小野寺五典防衛相は五日の閣議で、二〇一四年版防衛白書を報告した」が、そこでは「集団的自衛権行使を容認した七月一日の閣議決定について『わが国の平和と安全を一層確かなものにしていくうえで、歴史的な重要性を持つ』と強調され」、さらに、「日本と密接な関係にある他国へ武力攻撃が発生し、国民の生命、権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、必要最小限度の武力行使が許されるとした新たな三要件」が明記されていた。

 「さらに、半世紀近く武器や関連技術の海外提供を原則禁止してきた武器輸出三原則を廃止し、輸出を解禁した防衛装備移転三原則も紹介。国内の軍需産業の振興に向けて、米国などとの武器の共同開発を積極的に進め、軍事的な連携を強化する方針も盛り込んだ」この白書は、「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していると説明」し、具体的に中国などを名指しして批判していた(「東京新聞」8月5日夕刊)。

このような「軍事同盟」や「憲法」軽視の危険性については、日露戦争を詳しく分析した司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を読み解くことで明らかにしたいと考えています(近刊『司馬遼太郎の視線(まなざし)――「坂の上の雲」と子規と』仮題、人文書館)。

*   *   *

映画《ゴジラ》をめぐる対話で「核戦争の危機」について触れつつ、本多監督は「これを何とか話し合いができるようなところへね、ゴジラが出てこなきゃいけない。僕はそういうものがね、作品として描けるようになるならね、思いきって作りたいですけれども(後略)」と語っていました。

そのような思いで製作された映画《モスラ》(1961年)の理念を受け継いでいると思える《ゴジラ vs モスラ》が、昨日、テレビ東京で放映されました。その感想などを、映画《ゴジラ》考――「ゴジラ」の怒りと「核戦争」の恐怖 の第三回目として、近いうちにアップしたいと思います。

 リンク先→映画《モスラ》と「反核」の理念

    (8月8日、リンク先を追加)