高橋誠一郎 公式ホームページ

映画《ゴジラ》

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介を『出版ニュース』2月下旬号より転載

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『出版ニュース』2月下旬号に拙著の紹介が掲載されましたので、HP用に改行したうえで転載します。

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初代の『ゴジラ』(1954年)は冷戦下の核をめぐる〈文明論的な課題を直視した映画〉であった。

本書は『ゴジラ』を起点に、黒澤明、宮崎駿、司馬遼太郎を論じ、小説・映画がヒットした『永遠の0』に込められた戦争観、歴史観の問題を掘り下げる。

第一部は『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』に至る国産のSF怪獣映画に流れる思想を検証。

第二部は、『永遠の0』の構造をナショナリズムの危うさと報復の連鎖として位置付ける。

第三部は黒澤の『夢』『七人の侍』、宮崎の『風の谷のナウシカ』『風立ちぬ』に通底する理念を引き引き出す。

作品・作家論から戦後精神の行方をトータルに捉えた批評集。

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(『出版ニュース』 2017年2月下旬号「ブックガイド」より)

→ http://www.snews.net/news/1702c.html

国民の安全と経済の活性化のためにも、原発を過去のエネルギーに。

本日(2月3日)の「東京新聞」の朝刊は「廃炉費用 いつのまにか高くつく」と題した社説で「クリーンで安全で安い」と自公政権が宣伝してきた原発の問題を鋭く指摘しています。

それゆえ、ここではこれまでツイッターに書いてきた私の見解と、映画をとおして原水爆や原発の危険性を指摘していた「黒澤明監督本多猪四郎監督の核エネルギー観」へのリンク先を示した後で、「東京新聞」社説を全文転載します。

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〔大手電力会社の広告宣伝は42年間で2兆4000億円にも及び、政府広報予算も含めれば数倍にも膨れあがる(本間龍『原発プロパガンダ』)。国民の安全と経済の活性化だけでなく、国際社会のためにも原発は過去のエネルギーとすべきだろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/770972800915939328

〔アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年には世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の七分前であることに注意を促していた。しかし、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表した。(図版は「ウィキペディア」より)〕。

リンク→ https://twitter.com/stakaha5/status/807404018741821440

〔ドイツでは、「事故が起きると、ほかのどんなエネルギー源よりも危険である。次の世代に廃棄物処理などを残すのは倫理的問題がある。原子力より安全なエネルギー源がある」との理由で脱原発に既に踏み切っている。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/803603174812577793

〔地震国でありながら国民の生命と安全とを危険にさらす原発の稼働を進め、原発の輸出を「成長戦略」の柱とする安倍政権の「異常性」については、「原発プロパガンダ」に負けないためにも、新聞などだけではなく一人一人が粘り強く指摘し続けていく必要があります。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/801263299857764352

〔台湾の政府も「脱原発」に踏み切った。原発の危険性と直面している県とその周辺だけでなく、大阪や東京など大都市の住民も、原爆や経済の問題を隠蔽している安倍政権の実態にそろそろ目覚めるべき時だろう。〕

→ https://twitter.com/stakaha5/status/790341230563434496

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を――黒澤明監督と本多猪四郎監督の核エネルギー観

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「廃炉費用 いつのまにか高くつく」(「東京新聞」社説)

福島第一原発の天文学的事故処理費用、「過去に原発の恩恵を受けてきたから」と、結局は国民に広くツケ回し。過去に支払い済みの料金を値上げして、差額を徴収するなんて。そんなの、ありか。

東京電力福島第一原発の事故処理費。二十一兆五千億円。東京都の予算の三倍以上、とんでもない数字である。二〇一三年の暮れまでは十一兆円と見積もられていたが、二倍近くに増えた。

溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しだけでプラス六兆円という。

何しろ放射能の壁の中、人が直接触れられない、近づくことも不可能な別世界。とてつもなく困難な作業ということである。

東電は今月、2号機直下にロボットを投入し、溶け落ちた燃料の在りかを探る。事故から六年になろうとする今も、“敵”の居場所さえ、はっきりとはつかめていない。長い時間と巨額の費用をかけて、牛歩を続けていくしかない。この先いくらかかるか分からない、天井知らずということだ。

その費用は、誰が払うのか。

東電が賄うならば、電気代、政府が肩代わりするなら税金-。結局は、消費者、国民に、ツケが回るということだ。

賠償費用も約八兆円。経済産業省の考えるツケ回しの手法は、あまりにも理不尽だ。

託送料金。すなわち、電力自由化後も既存大手の独占状態にある送電線の利用料を引き上げて、原発の電気を買わない新電力の利用者からも、「過去分」として、広く、浅く、取り立てようというのである。「新電力の利用者も、過去に原発の恩恵にあずかったから-」と、よく分からない理由をつけて、東電救済にひた走る。しかもそれが、われわれの知らないところで決められる。

政府は避難指示を徐々に解除し、賠償を順次打ち切る方針だ。

被害者の救済には原因企業の存続が不可欠と言いながら、事故原因の究明、被害の実態把握はそこそこに、補償費の抑制をひたすら急ぐ-。水俣事件とそっくりだ。

安全対策に限りはない。欧米や台湾で原発の新設が行き詰まるのは、福島に学んだからだ。“安全代”の急騰が、東芝という巨大企業の屋台骨さえ、揺るがしているではないか。

もちろん、被害者の補償を含め、事故の後始末には十分な予算をつぎ込むべきである。しかし、だからこそ、「原発の電気は安い」などとは言わせない。

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自著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2016年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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復員兵として中国から帰還した際に広島の惨劇を目撃していた本多猪四郎監督は、原爆の千倍もの威力のある水爆実験によって「第五福竜丸」が被爆したことを知って映画《ゴジラ》を製作し、チェルノブイリ原発事故の後では黒澤明監督の映画《夢》に監督補佐として深く関わった。

本書では3つの視点からポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察し、核の時代の戦争を克服する道を探った。

最初に映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌を、《モスラ》や《宇宙戦艦ヤマト》、《インデペンデンス・デイ》なども視野に入れて分析した。

宮崎駿監督が「神話の捏造」と批判した映画《永遠の0(ゼロ)》については、原作の構造と登場人物の言動を詳しく分析することによって、この小説が神話的な歴史観で「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」のプロパガンダの役割を担っていることを明らかにした。

最後に、《七人の侍》から《生きものの記録》を経て《夢》に至る黒澤映画と、《風の谷のナウシカ》から《紅の豚》や《もののけ姫》を経て、《風立ちぬ》に至る宮崎映画の文明観の深まりを自然観に注目しながら考察した。

(リベラルアーツ学群 高橋 誠一郎)

リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

2016年を振り返って――『ゴジラの哀しみ』の構想をめぐって

今年も残り少なくなってきました。

先ほどは、「無敵皇軍」「八紘一宇」「王道楽土」「五族共存」などの「美しいスローガン」を繰り返して、国民を戦争に駆り立てていた戦前の価値観を取り戻そうとして「改憲」を目指す安倍首相の2016年の発言集という説明とともに「リテラ」の記事をリツイートしました。→ http://lite-ra.com/2016/12/post-2811.html … @litera_webさんから

ここでは発行までに約1年を費やした『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の構想を記したツイッター記事をとおして今年6月の出来事を振り返っておきます。

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6月19日

ほとんどが「日本会議」のお仲間からなる内閣を率いる安倍首相のめざす「改憲」は、「専制的」で「反憲法」の色彩が強い内容になる危険性が高い。→ 安倍首相「次の国会から改憲議論」 参院選後 具体的に条文審査:政治(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016062090070558.html …

6月20日

国民に背を向けて権力者の圧力に屈するNHKに強い危機感を覚える。→「チェルノブイリ原発事故 隠された“真実”」の感想、stakaha.com/?p=6033lite-ra.com/2016/06/post-2… @litera_webさんから

6月21日

「天災のことを考えたら我々は仕事が出来ません」と語っていた田中委員長の発言を振り返っておく。→原子力規制委・田中委員長の発言と安倍政権――無責任体質の復活(6) | 高橋誠一郎 公式ホームページ stakaha.com/?p=4813

6月21日

近著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』のお知らせ。原爆と原発の問題や歴史認識など安倍政権の問題点を可視化して考察。stakaha.com/?p=6110 (図版は露語版「ウィキペディア」) pic.twitter.com/uNsZBnxHLP

6月24日

筆者は映画の素人に過ぎないが、原発の大事故が描かれている黒澤映画《夢》の第六話「赤富士」を考察するなかで、この映画にも監督補佐として参加していた本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》をきちんと考察する必要性を感じた。

〔註――「映画《夢》が公開されたのは一九九〇年のことであったが、脚本の第一稿が書き上げられたのはチェルノブイリ原発事故が起きた一九八六年のことであった」(拙著『ゴジラの哀しみ』)より〕。

2) 一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に本多監督が東宝から去ったことは、「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破退する“格好いい”自衛隊」が描かれるようになる「ゴジラ」映画の変貌も示唆しているだろう。

3)一方、映画《ゴジラ》の翌年に公開された黒澤映画《生きものの記録》は、興行的には大失敗に終わったが、『モスラの精神史』で指摘されているように、この映画が映画《モスラ》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を繋いでいる可能性が高い。

4)初代のゴジラがスクリーンに姿を現したのは、日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、このことは宮崎駿監督が小説『永遠の0(ゼロ)』の映画化を「神話の捏造」と厳しく批判した理由を考える上でも重要だろう。

5)小林節氏が指摘しているように「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている」現在、本書では映画《ゴジラ》などの考察をとおして原爆や原発だけでなく、「日本会議」的な歴史認識の危険性にも迫りたい。

6月24日

「安全保障関連法」が、「戦争法」であったことを裏付けるエンブレムです。→キャンペーン「陸上自衛隊に新エンブレムの撤回を求めます!」 に賛同をお願いします!

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〈陸自が、これまでの「国土防衛マーク」を捨てて、日本刀の「抜き身」をエンブレムに登場させました。「帝国陸軍軍人」が帯刀していたこと、それが飾り物ではなく実際に殺戮のために振るわれたことを記憶しているアジアの国々では戦前の「亡霊」が現れたと受け止めるでしょう〉。

(2017年7月11日、一部訂正)

 

トップページに『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の図版とリンク先を掲載

 

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(↑ 画像をクリックで拡大できます ↑)

〔四六判上製 216頁/定価:1,944円(税込み)〕

 

 青い字をクリックするとリンク先に飛びます)

目次

はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生

第一部 冷戦の時代とゴジラの変貌

   ――映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》へ

    序章 ゴジラの誕生まで

第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」

  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想

    序章「約束」か「詐欺」か

第三部 「人類滅亡の悪夢」の克服と自然の輝き

   ――映画《夢》と映画《風立ちぬ》を中心に

 序章 風車と水車のある光景

関連年表 『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

あとがき 

「第一部 冷戦の時代とゴジラの変貌――映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》へ」より、「序章 ゴジラの誕生まで」

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序章 ゴジラの誕生まで

一、「不敗神話」と「放射能の隠蔽」

「水爆大怪獣」と名付けられた初代の「ゴジラ」がスクリーンに現れたのは、ビキニ沖の環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験により、「第五福竜丸」が被曝し、久保山愛吉無線長が亡くなった一九五四年のことであった。

だが、その発端は第二次世界大戦の終戦直前の一九四五年八月にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が、相次いで広島と長崎に投下されたことにあった。オリバー・ストーン監督はその著書で原爆の研究者たちが「議論を重ねるうち、原子爆弾の爆発によって海水中の水素や大気中の窒素に火がつき、地球全体が火の玉に変わるかもしれない」可能性が出て来たので計画が一時中断された時期があったことを記している*1。

アメリカでは今も多くの人々が、原爆投下を多くのアメリカの軍人と日本人の生命を救うためにはやむをえない手段だったと考えているが、それは原発開発を行ったマンハッタン計画の当事者が被爆者の苦しみや痛みを「隠匿する政策」をとったためであり、新しい仮想敵国となったソ連との対決を意識したアメリカは投下を決行したのだった。しかも、その予算は日本の一九四〇年度の国家予算(六十一億円)をはるかに超える総額二十億ドル(当時のレートで約八十五億円)という巨額なものであった*2。

終戦後に広島を訪れたニューヨーク・タイムズのH・ロレンス記者は九月五日付けの記事で、「原爆によって四平方マイルは見る影もなく破壊しつくされ」、さらに「原爆で一瞬に死ぬのは少数であって、多くの死者は数時間、数日間、あるいは十数日間の激しい痛み苦しみの後に死ぬ」と記した。しかし、マンハッタン計画の副責任者の地位にあったというファーレル准将は、この記事が出た翌日に記者会見を開いて「広島・長崎では死ぬべきものは死んでしまい、九月上旬現在においては、原爆放射線のため苦しんでいるものは皆無だ」と声明し、その一週間後にはロレンス記者は先に自分が書いた「広島レポートすら否定する記事」を書いた。このことを明らかにした政治家の宇都宮徳馬はこのような措置が取られたのは、第一次世界大戦に際して用いられた化学兵器が、その非人道的な威力から禁止されたことを想起するならば、「生き残った被爆者が、原爆の後遺症のためにどれだけ苦しんでいるか」が明らかにされれば、「核兵器は明らかに『不必要な苦痛を与える兵器』として毒ガス、細菌毒素とともに、その製造使用を禁ぜられるべき兵器」とされたからであると説明している*3。

しかし、放射能の危険性を隠蔽したのはアメリカ軍だけではなかった。一九四一年一〇月に東条英機内閣は「次年度の政府予算案に理化学研究所への委託研究費として八万円(現在の四億円相当)を計上し」、その二年後には「特に米国の研究が進んでいるとの情報もある。この戦争の死命を制することになるかもしれない。航空本部が中心となって促進を図れ」との命令を原爆研究の第一人者・仁科博士に下していた*4。そして「ペグマタイに含まれるわずかな天然ウラン」に目をつけた陸軍は、「『君たちの掘っている石がマッチ箱一つくらいあれば、ニューヨークなどいっぺんに吹き飛んでしまうんだ。がんばってほしい』」と励まして少年たちをウランの砕鉱に駆り出していた*5。

立川賢の原爆小説『桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ』が、「『新青年』の一九四四年七月号に掲載された」ことを指摘した小野俊太郎は、日本が原子爆弾を先に完成させていれば、原子爆弾がアメリカに対して用いられていた可能性があったことを指摘し、原爆は「敗戦色が濃い中で、一気に情勢を反転できる究極の兵器だった」と説明している*6。

しかも広島に原爆が落とされた後では、「放射能力ガ強キ場合ハ人体ニ悪影響ヲ与フルコトモ考ヘラレル。注意ガ必要」との報告がなされたにもかかわらず、「放射能による被ばくを隠すため」に、「国民はおびえ、戦意を失うのではないか」と恐れた「当時の内閣や軍部はその事実を握りつぶした」*7。「神州不滅」の「神話」を信じ、危機的な事態には元寇の役のときのように「神風」が吹くと信じていた狂信的な政治家や軍人は、最後まで国民を戦争に駆り立てようとしていたのである。そのために、放射能の危険性を知らされなかった「身内の安否確認や救助のため市内に入った」多くの人たちも被曝することになったのである。

二、「新たな神話」と「核エネルギーの批判」

日本を占領したアメリカ軍が原爆の報道の厳しい検閲をしていたために被曝の被害の情報があまり広まらなかったこともあり、一九四六年七月二六日の『読売新聞』にはすでに「原子エネルギー平和産業に活用すれば 慈雨も呼び台風も止める」という題の記事が載っていた。さらに、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞のニュースの報を受けた後の一九四九年一一月五日付けの『読売新聞』は、「今日でこそ原子力はただちに原子兵器と関連して考えられているが」、「やがてそれが生産に応用されて人類の文明に新時代を開く日を期待することは全くの夢想ではないのである」という内容の社説を掲載していた*8。

注目したいのは、その前年に湯川博士と対談した文芸評論家の小林秀雄が、「私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました」と切り出し、「人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった」と語って、いち早く原子力をエネルギーとすることの危険性を鋭く指摘していたことである*9。

それに対して湯川が太陽熱も原子力で生まれており「そうひどいことでもない」と主張すると、「高度に発達する技術」の危険性を指摘した小林は、「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」と厳しく反論し、湯川が「平和はすべてに優先する問題なんです。今までとはその点で質的な違いがあると考えなければいけない。そのことを前提とした上でほかの問題を議論しないといけない。アインシュタインはそういうことを言っている。私も全然同感です」と答えると、それに同意した小林は、「科学の進歩が平和の問題を質的に変えて了ったという恐ろしくはっきりした思想、そういうはっきりした思想が一つあればいいではないか」と結んでいた。

実際、アメリカは原爆を投下することでその脅威を見せつけることがソ連への圧力になると考えたのだが、それは自国にも投下されるのではないかという恐怖を煽ることになり、一九四七年四月にトルーマン米大統領が原子兵器の使用をためらわないと明言してから半年も経たない九月には、原爆の開発を急いだソ連の原爆保有が明らかになった。それゆえ、原爆などの大量破壊兵器によって人類が滅亡することを恐れたアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、一九四七年には世界の終末までの時刻を示す時計を発表して、その時刻が終末の七分前であることに注意を促していた。だが、その二年後には世界終末時計の針は三分前を指すようになっていた*10。

このような状況を受けて東京大学総長の南原繁は卒業式の演説で「原子爆弾や水素爆弾の近代科学の粋を集めた世界の次の総力戦は、おそらく有史以来の大戦、全人類の運命を賭けてのものと想像せられる」と語りかけ、この演説は『世界』の一九五〇年五月号に「世界の破局的危機と日本の使命」と題されて掲載されることになる*11。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろう」と核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘し、「あらゆる紛争問題の解決のための平和な手段をみいだすよう勧告する」という湯川秀樹博士ら著名な科学者が署名した「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表されたのが、「第五福竜丸」事件から一年後の一九五五年のことである*12。そのことに留意するならば、科学者が陥る科学技術の盲信に対する先駆的な批判をとおして、真実を見抜く観察眼の必要性と辛くても事実を見る勇気と「道義心」を強調していた小林秀雄や南原繁の文明観は、先見の明があったといえよう。

戦争中は三度も徴兵され、一九四六年にようやく中国から復員した本多猪四郎監督も、映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。

「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」*13。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

*1 オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、鍛原多恵子他訳『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史1 二つの世界大戦と原爆投下』早川書房、二〇一三年、二九一~二九三頁。

*2 中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』東京新聞、二〇一三年、三三頁。

*3 宇都宮徳馬『軍拡無用 21世紀を若者に遺そう』すずさわ書店、一九八八年、一四四~一四六頁。

*4 中日新聞社会部編、前掲書、二一頁。

*5 同右、二九頁。

*6 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、九一頁。

*7 中日新聞社会部編、前掲書、三七頁。

*8 山本昭宏、前掲書、六~七頁。

*9 小林秀雄「対談 人間の進歩について」、『小林秀雄全作品』第一六巻 、新潮社、二〇〇四年、五一~五四頁。

*10 「世界終末時計」の時刻は、「ウィキペディア」の説明による。

*11 山本昭宏、前掲書、一五頁。

*12 「ラッセル・アインシュタイン宣言」、日本パグウォッシュ会議、HP参照。http://www.pugwashjapan.jp/

*13 堀伸雄「世田谷文学館・友の会」講座資料「『核』を直視した四人の映画人たち――黒澤明、本多猪四郎、新藤兼人、黒木和雄」より引用。

 

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』より「はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生」

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はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生

ゴジラの咆哮がスクリーンで轟いたのは、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験の際にも、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われた一九五四年のことであった*1。映画《ゴジラ》の予告映画では「人類最後の日来る!」との文言も画面いっぱいに映し出されていたという*2。

このような時代状況にも言及しながら映画《ゴジラ》を製作した本多猪四郎監督はこう語っていた。「第一代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。…中略…ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」*3。

つまり、初代の映画《ゴジラ》は、第二次世界大戦後の冷戦の時代に人類が直面することとなった文明論的な課題を直視した映画だったのであり、ゴジラの凶暴で圧倒的な力は台風や海底火山の爆発などの、自然の驚異にもなぞらえられていた。しかも、ことに映画《モスラ》に特徴的なように、娯楽映画でありながら政治や社会への批判的な視点も色濃く持っていた。

それゆえ、本書の第一部では、映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》までの「ゴジラ」の変貌を中心に核問題を扱ったポピュラー文化をも分析することによって、文明論的な視点から冷戦の時代からグローバリズムの時代にいたる「核エネルギーに対する日本人の意識の変化」を考察したい。

ところで、ウィリアム・M・ツツイは一九九〇年代頃までには、「日本のポップカルチャーにおいて、戦争の功績を祝福する表現を避けようという風潮がだいぶ薄れたが、それは何十年にもわたるゴジラ映画のおかげも少しあると言える」と書いている*4。

一九五四年の初代映画《ゴジラ》の後で生じたそのような「ゴジラ」の変貌は、明治維新一〇〇周年にあたる一九六八年を期に日本でも台頭してきたナショナリズムの問題とも深く関わっていると思える。

たとえば、一九五七年五月に岸信介首相は国会で、「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と答弁していたが、長編小説『坂の上の雲』の連載が始まった一九六八年の参院選で当選した作家の石原慎太郎(現「日本会議」代表委員)は、翌年の国会では「非核三原則」を「核時代の防衛に対する無知の所産」のせいだと批判していたのである*5。

さらに、産経新聞に連載された長編小説『坂の上の雲』(一九六八~七二)で、日清と日露戦争の勝利を描いていた作家の司馬遼太郎が亡くなった一九九六年に発行した『汚辱の近現代史』で教育学者の藤岡信勝は、湾岸戦争以後に「社会主義が崩壊し、冷戦が終結した今、日本をとりまく国際環境は根本的に変化した」と強調した*6。そして、長編小説『坂の上の雲』では「日本人が素朴に国を信じた時代があったこと、健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」明治の人々の姿が描かれているとし、自分たちの歴史認識は「司馬史観」と多くの点で重なると誇っていた*7。

同じような論調は、徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」であるとし、「そうした『物語』によって提示される『事実』が、今日なお、われわれに様々なことを語りかけてくる」として、蘇峰の歴史観の現代的な意義を強調した坂本多加雄・「新しい歴史教科書を作る会」理事の見解にも強く響いている*8

多くの日本人が『永遠の0(ゼロ)』のような「美しい物語」に感動してしまうようになる遠因は、「テキスト」に描かれている事実ではなく、「テキスト」に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められるようになってきた文学論や歴史教育にもあると思われる。

このことに注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』を読み解くとき、「神風で戦死した海軍航空兵」だった実の祖父のことを知るために、戦友たちへの取材を孫の姉弟が進めるという構造を持つこの小説が「司馬史観」論争を巧みに取り入れて作られていることに気づく*9。

すなわち、ここでは戦時中の日本軍の「徹底した人命軽視の思想」が厳しく批判されている一方で、「君国の為めには、我が生命」などすべてを捧げることを大正の青年たちに求めた徳富蘇峰の思想がむしろ讃美されているのである*10。

しかし、司馬遼太郎自身は復古的な歴史理解には強い危機感を覚えていたようで、『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年には「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」と書いていた*11。さらに、連載の終了後には太平洋戦争に突入する頃には「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書き、「その勝利の勘定書が太平洋戦争の大敗北としてまわってきたのは、歴史のもつきわめて単純な意味での因果律といっていい」と結んでいた*12。

これらの記述に注目するならば、「司馬史観」との同一性を僭称した藤岡信勝が司馬遼太郎の死後にこれらの論考を発表したのは、司馬自身から徹底的に批判されることを恐れたためではないかと思われる。

言論人・徳富蘇峰や作家・司馬遼太郎の歴史観に注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物たちの発言を文学論的な手法で詳しく分析することにより、大ヒットしたこの小説が戦前の価値観への回帰を目指す「日本会議」のプロパガンダ小説ともいえるような性質を持っていることを明らかにしたい。

その作業をとおして、「戦前・戦中の思想と価値判断を継承」していながら、そのことを隠しつつ、戦前と同じような美しいスローガンによって、「日本国憲法」の「壊憲」を目指している「日本会議」と「安倍政権」の危険性をも浮かび上がらせることがすることができるだろう*13。

この意味で注目したいのは、「一番好きな映画」として黒澤映画《七人の侍》を挙げ、黒澤との対談では映画《夢》の水車小屋のシーンにも言及していた宮崎駿監督が、映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していたことである*14。

宮崎駿監督が一九九二年公開のアニメ映画《紅の豚》ですでに第一次世界大戦後のファシズムの問題をも示唆し、ゼロ戦を設計した堀越二郎を主人公とした映画《風立ちぬ》ではナチスドイツと同盟した当時の日本の問題もきちんと描いていたことを考慮するならば、この批判の意味は明確だろう。本文で詳しく分析するように、『永遠の0(ゼロ)』における新聞批判には、「弱肉強食の理念」を主張しプロパガンダの重要性を強調する一方で、新聞の客観的な報道を非難したヒトラーの『わが闘争』の論調を思い起こさせるのである。

しかも、『永遠の0(ゼロ)』では核の問題はまったく論じられていないが、社会的・文化的な背景をも読み解きながら映画《モスラ》(一九六一)を詳しく分析した小野俊太郎は、この映画と《風の谷のナウシカ》(一九八四)との関係を指摘するとともに、「風」や「気流」に注意を促して水爆実験の恐怖をテーマとした黒澤明監督の映画《生きものの記録》がこれら二つの作品を理解する上でも重要なことを指摘していた*15。

宮崎駿監督が『発光妖精とモスラ』の作者の一人である堀田善衛や司馬遼太郎など自分が敬愛していた作家たちとの鼎談集『時代の風音』を出していることや、「ゴジラ・シリーズ」の監督から降りた後、黒澤映画に演出補佐として参加していた本多猪四郎が、復員してきた将校が全滅した自分の小隊の部下たちの亡霊と出会うという映画《夢》の第四話「トンネル」だけでなく、原発事故の問題を描いた第六話「赤富士」にも深く関わっていたことを想起するならば、この指摘は説得力があるといえるだろう。

日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は『文明論之概略』において、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていた*16。

このような福沢の「自然支配の思想」について比較文明学者の神山四郎は、「それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していたが*17、映画《夢》の第八話でも水車小屋の老人は、「人間を不幸せにする様なものを一生懸命発明して得意になっている」知識人を批判するとともに、多くの人間が「その馬鹿な発明を奇跡の様」に有難がって、「自然が失われ、自分達も亡んで行くことに気がつかない」と語っているのである*18。

実際、二〇一五年には「世界終末時計」の時刻が冷戦期の一九四九年と同じ「残り三分」に戻ったと発表された*19。黒澤明が敬愛したドストエフスキーは長編小説『罪と罰』のエピローグで、「非凡人の思想」から「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を「正義」と見なしていた主人公が見た「人類滅亡の悪夢」を描いていたが*20、人類はその危険性と今も直面しているのである。

その一方で、「安全保障関連法案」が強行採決された以降の日本では、武器の輸出に踏み切るばかりでなく、核兵器の使用も法律的には可能だとする見解が示されるなど、憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を全面否定するような政策が次々ととられている。それゆえ、憲法学者の小林節は、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いているのである*21。

こうした政治的な手法だけでなく、安倍政権の閣僚の自然観も大きな問題と思える。宗教学者の島薗進は「国家神道」が「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことを指摘している*22。西欧列強に対抗する近代化政策の一環としてために導入された「国家神道」においては、大地や海などへの畏敬の念を持つ伝統的な神道ではなく、むしろ一九世紀的な自然支配の思想が強いと思われる。

本書では映画《ゴジラ》から映画《夢》を経て、映画《風立ちぬ》にいたる流れを考察することで、自然エネルギーを活用できる技術を持ちながら、地震や火山の活動が活発な日本で原発を再稼働させるだけでなく原発の輸出をはかり、核の時代にいまだに戦争という手段で問題を解決しようとすることの危険性を明らかにし、文明論的な視点からそれらの危機を克服する可能性を考察したい。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

1 中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』東京新聞、二〇一三年、七二~七四頁。

2 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、八頁。

3 本多猪四郎・平田昭彦「対談 ステージ再録 よみがえれゴジラ」『初代ゴジラ研究読本』、洋泉社MOOK、二〇一四年、六九頁。

4 ウィリアム・M・ツツイ、神山京子訳『ゴジラとアメリカの半世紀』中央公論新社、二〇〇五年、一三〇頁。

5 山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』中公新書、二〇一五年、一〇五頁。

6 藤岡信勝「はじめに」『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五頁。

7 藤岡信勝「『司馬史観』の説得力」、前掲書、五九頁。

8 坂本多加雄『近代日本精神史論』講談社学術文庫、一九九六年、二八九~三一四頁。

9 百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』講談社文庫、二〇一四年。

10 徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』、筑摩書房、一九七八年、二八二頁。

11 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

12 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一〇五~一〇六頁。

13 山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書、二〇一六年、一二二頁。

14 エンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉、「リテラ」二〇一四年六月二〇日、デジタル版。初出は『ビジネスジャーナル』、二〇一三年九月。

15 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代新書、二〇〇七年、二四八~二五〇頁。

16 『福沢諭吉選集』第四巻、岩波書店、一九八一年、一四四頁。

17 神山四郎、『比較文明と歴史哲学』刀水書房、一九九五年、一一五頁

18 『全集 黒澤明』第七巻、岩波書店、二〇〇二年、二六頁。

19 ハフィントンポスト日本版、〈「『終末時計』残り3分に 「原子力政策は失敗している」〉、二〇一五年一月二三日デジタル版。

20 ドストエフスキー、江川卓訳『罪と罰』(上中下)、岩波文庫、二〇〇〇年。

21 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、頁。

22 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁。

 (2017年7月11日、青い字の箇所を訂正)

『「諸君!」「正論」の研究』を読む(3)――清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

上丸洋一(図版はアマゾンより)

三、清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

「日本核武装論――清水幾多郎と西村真悟の間」と題された第三章では、1960年には「日米安保条約改定反対運動をリードした」社会学者・清水幾多郎が、1980年に『諸君!』7月号に載せた論文「核の選択」とそれについての反響が紹介されている。

その第一部「日本よ国家たれ」で「国家の本質は軍事力である」と書いた清水は、「世界はすでに核兵器という平面にのぼってしまっている」とし、「被爆国」の「日本こそが真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と記したのである(85~86)。

さらに「自衛隊の元最高幹部といっしょに組織」していた「軍事科学研究会」の名で書かれていた第二部では、「ソ連の脅威が強調され」、「航空・海上・陸上各方面の大幅な軍事増強」を提案していた。

興味深いのはこの論文が『諸君!』に掲載される経緯を清水自身が10月号で書いており、自費で3000部出版した「核の選択」を防衛庁長官と同庁幹部に送っただけでなく、右派団体の日本青年協議会にも2000部を送っていたと明らかにしていたことである(87)。

なぜならば、菅野完が『日本会議の研究』で明らかにしたように、学生運動で左翼と激しく戦った右翼の学生組織を母体とした「日本青年協議会」は現在、安倍政権を支える「日本会議」の「中核」となっており(同書、87頁)、かつては「日本の核武装をも検討すべき」と主張していた稲田朋美氏が防衛相に任命されているからである。

1960年には「反戦・平和の旗を掲げていた」清水の変貌に対しては「猪木正道、野坂昭如などさまざまな立場の知識人が反論」を書き、作家の山口瞳も清水の言説を「デマゴギー」と批判し、その頃はまだ「日本の核武装について総じて否定的な姿勢をとってきた」雑誌『正論』も、翌年には清水には「思想的主体」がないと批判した松本健一の論文などを集めた特集を組んでいた(91~92頁)。

軍事に関しては素人なので専門的な考察はできないが、広島や長崎での「被爆」だけでなく、広島型原爆の1000倍もの威力を持つ水爆ブラボーの実験で被爆した「第五福竜丸」事件だけでなく、前年の1979年にはアメリカでスリーマイル島原発事故が起きていた。

拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の第一部では映画《ゴジラ》や《生きものの記録》などポピュラー文化との関連に注意を払いながら、「日本人の核意識の変化」について考察したが、水爆実験や原発事故なども踏まえて総合的に判断するならば、清水的な政策は19世紀には有効でありえたかもしれないが、核の時代にはむしろきわめて危険な思想に見える。

地殻変動によって国土が形成されて今も地震や火山の噴火が続いている日本においては、核兵器ばかりでなく、核エネルギーの危険性に対する認識の深まりと世界に反核の流れを作り出すことこそが、日本人の本当の意味での「安全保障」につがると思える。

一方、清水はすでに1963年に『中央公論』に論文を発表して、時代の変化に応じた「新しい歴史観」の必要性を唱えていたが(90)、「核武装の必要性」が声高に論じられて戦争の危機が煽られたことで、日本が行った「大東亜戦争」の評価などにも強い影響を及ぼしたようだ。

「空想と歴史認識」と名付けられた第9章で詳しく論じられているように、徐々に復古的な思想が強まる中で、文藝春秋の社長・池島信平が高く評価していた気骨のある歴史学者・林健太郎(1913~2004)は、1994年には雑誌『正論』誌上で「大東亜戦争は解放戦争だった」と主張する「日本会議」の小田村四郎や小堀桂一郎に「侵略戦争だった」との反論を行い、さらに「解放戦争」論者の中村粲(あきら)とも論争していた(380~388)

しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」が活動を始めた1996、97年ごろから『諸君!』『正論』両誌の論文では、「反日」という言葉やレッテルをはりつけることが目立つようになったと指摘した著者は、1997年3月に「『自虐史観』を超えて」というテーマで開かれた「自由主義史観」を唱える「新しい歴史教科書をつくる会」の設立記念シンポジウムの模様を「完全収録」した『正論』は、その後は「つくる会の機関誌の様相」を呈するようになったと記している(389頁)。

本書の第2章では、「事実」を「報道」する新聞社でありながら、「産経新聞社には社史がない」ばかりでなく、「縮刷版もない」ことが指摘されていた。1962年の社説で「古い価値体系はくずれさり」と書いていたこの新聞の変質の一因は、「歴史」の軽視によるものであると思える。

1999年に「日本の核武装を国会で議論すべきだ」という発言を行った西村真悟が防衛政務次官を更迭されると産経新聞と『正論』はさらに復古的な論調を強めることとなった。

すなわち、西村真悟の発言に対しては自民党首脳だけでなく、朝日、毎日、読売の各紙も厳しい批判をしたが、産経新聞は「引責責任はやむを得ない」としながらも「憂国の思い」への理解を示した。西村を擁護した『諸君!』と『正論』の両誌は、「さらに熱心に西村を誌上に登場」させたのである(99~100)。

著者は2002年の「阿南大使、腹を切れ! 今こそ興起せよ、大和魂」など「『諸君!』に掲載された一連の対談の過激な題名を挙げているが、2008年に日本の国防を担う航空自衛隊制服組のトップにいた元航空幕僚長・田母神俊雄が「日本は侵略国家であったか」と題する論文で、「日本軍の軍紀が他国に比較して」も「厳正であった」などと書いたことが原因で更迭される波紋は『諸君!』『正論』両誌の論調にも及んだ。

著者によれば、この問題に対する「姿勢は対照的」であり、「「『諸君!』が田母神の主張を相対化してとらえ」、「田母神から距離をおいた」のに対し、『正論』は「田母神を全面的に擁護」していた(370)。

たとえば、2009年4月号の『諸君!』は、ニーチェの専門家でもある「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二が「彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」と弁護したことに対して、対談者の現代史家・秦郁彦が「やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨をまったく逆に取り違えている」と厳しい批判をしていたことももきちんと掲載していた。

一方、『正論』は問題となった田母神の受賞論文をそのまま載せるとともに「朝日新聞の恐るべきダブルスタンダード」と題した論文で、「『思想』そのものを問題とし罷免にまで追い込むことになれば、これは明らかに、『思想信条の自由』の侵害であり、憲法違反である」と記した日本会議の常任理事で憲法学者・百地章の論文を載せていた(370)。

しかし、その批判は権力を振りかざして「電波停止」発言をして、「報道の自由」を脅かした高市総務相にこそ当てはまると思える。『正論』の読者投稿欄でデビューした稲田朋美・防衛相も、2005年の演説では「売国奴」という「憎悪表現」を用いて朝日新聞社を壇上から非難したが(第8章「朝日新聞批判の構造」)、その翌年に小説『永遠の0(ゼロ)』でデビューした百田尚樹も小説において新聞記者の高山をあからさまに貶し、後に安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック、2013年)に収められた対談ではそれが朝日新聞の記者であると明かしていた。

拙著『ゴジラの哀しみ』では、『永遠の0(ゼロ)』の思想的骨格には「自由主義史観」からの影響が強く見られることを具体的に示したが、その百田は田母神俊雄が2014年都知事選に出馬すると、NHK経営委員という立場でありながら複数回にわたって応援演説を行い、「この人は男だ」、「本当にすばらしい歴史観、国家観をおもちです」などと大絶賛したのである。

「カリスマの残影」と題された第7章「岸信介と安倍晋三を結ぶもの」では、『諸君!』や『正論』と安倍首相との関わりだけでなく岸元首相の「大東亜戦争観」が分析されており、『永遠の0(ゼロ)』で描かれている義理の祖父・大石と孫・健太郎との関係に注目しながら、この小説を読み解いていた私にとってことに興味深かった。

結語

以上、司馬遼太郎の研究者の視点から本書を読み解いてみた。できれば『諸君!』『正論』両誌における原発問題についての論文にもふれてもらいたかったが、政治史にはうとかった私にとっては両誌の論調の変遷をたどる過程で「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」との関係にもふれられている本書からは多くのことを知ることができた。

本書の第4章では「靖国神社と東京裁判」が、第5章では「A級戦犯合祀」などの重たい問題が考察された後で、第6章「永遠の敵を求めて」では論争のパターンが分析されている。それらは「国家神道」の問題とも深く関わるので機会を改めて考察したい。

 

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の「あとがき」を掲載

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あとがき

本書の発行に向けての思いをブログに記したのは、今年の六月二一日のことだった。七月一〇日に投開票が行われることになった参議院議員選挙が「改憲」の問題点が隠されたままで行われようとしていただけでなく、「原子力規制委員会が『四〇年廃炉』の原則をなし崩しにして、老朽原発に初の延長認可を出した」との報道に強い危機感を覚えたからである。

広島や長崎への原爆の投下や「第五福竜丸」の悲劇の後で原発の推進を進めた自民党の政策の破綻が明らかになったのが福島第一原子力発電所の大事故で、それは「徹底した人命軽視の思想」に基づいて戦争を遂行した「参謀本部」が、ミッドウェー海戦やガダルカナルの戦いに負けたのと同じような事態であると考えていた。

それにもかかわらず原発の稼働や推進を続けることは、すでに時代遅れとなった「大艦巨砲主義」によって建造された戦艦大和の力や、元寇の時に吹いたとされる「神風」のような奇跡が起こることを信じて、「一億玉砕」となるまで戦争を続けようとしたのと同じ間違いを繰り返すことになる危険性が高いと思われたのである。

幸い、原発の再稼働が焦点となった新潟県の知事選挙で脱原発派の米山隆一氏が、原子力ムラや安倍政権の恫喝に近い圧力にもかかわらず当初の予想を覆して圧勝した。さらに、一〇月二二日の朝日新聞・デジタル版は、ドイツなど西欧に続いて台湾政府が「脱原発」の閣議決定をしたと伝えている。

日本では安倍政権の厳しい情報統制や「原発プロパガンダ」にまだ多くの国民が惑わされているが、「フクシマ」の大事故の際には首都圏も被爆する可能性があったことが多くの関係者の証言から明らかになっている。原発の立地県とその周辺だけでなく、大阪や東京など大都市の住民も、原発の危険性だけでなく核の汚染物質の廃棄場所や廃炉にかかる費用などの問題を隠蔽している安倍政権の実態にそろそろ目覚めるべき時だろう。

映画などポピュラー文化との関係をとおして原爆や原発などの問題や歴史認識の問題を考察するという新しい試みでもあったので、本書の執筆は思った以上に難航したが、なんとか異なるテーマを扱った三部を有機的に結び付けることには成功したのではないかと考えている。

第一部は黒澤明監督の映画《夢》と本多猪四郎監督の映画《ゴジラ》との関係を中心にホームページに五回にわたって考察したブログ記事「映画《ゴジラ》考」をもとに、『黒澤明研究会誌』第三二号に発表した論考を大幅に加筆したものである。当初は「ゴジラ」の変貌に焦点をあてた映画論にしようと考えていたが、ポピュラー文化をも視野に入れながら「日本人の核意識」の変遷を考察した関連の書物を読み返す中で、文明論的な視点から「ゴジラ」の変貌を考察してみたいと思うようになった。ソ連やアメリカの映画や日露関係などにも言及したことにより、核の問題をより深く考えることができたと思う。

第二部は「オレオレ詐欺の手法と『永遠の0(ゼロ)』」という題でブログに連載した記事を全面的に書き直したものである。ブログでは宮部久蔵の孫・健太郎を作者の分身として解釈していたが、改訂版では最初の内は「臆病者」と非難された実の祖父の汚名を晴らそうとした健太郎が、取材を続ける中で次第に取り込まれて後半では積極的に作者の思想を広めるようになる若者として解釈した。

このことにより登場人物たちの人間関係や思想的背景にも迫ることができ、作者が証言者たちに語らせている歴史観が「日本会議」や「新しい歴史教科書をつくる会」の論客たちの歴史認識ときわめて似ていることを明らかにしえたのではないかと考えている。たとえば、作者は「一部上場企業の社長」であった武田に、新聞記者の高山を激しく批判させる一方で徳富蘇峰を高く評価させているが、蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるもの」を献げるという精神の重要性を説いていた。このことに留意するならば、このような蘇峰の「忠君愛国」の思想こそが日本軍の「徹底した人命軽視の思想」に直結していると思われるのである。『永遠の0(ゼロ)』を詳しく分析することで、地震や火山の活動が活発化している日本で原発の再稼働を進める安倍政権の多くの閣僚が、戦前と同じような「徹底した人命軽視の思想」の持ち主であることをも浮き彫りにすることができだろう。

第三部も宮崎駿監督の映画《紅の豚》と《風立ちぬ》ついての感想を記したブログ記事を中心にまとめるつもりであったが、第一部や第二部での考察の対象が広がり、分析が深まったことにより、黒澤明監督の映画《七人の侍》から映画《夢》にいたる流れと比較しながら、《風の谷のナウシカ》から《もののけ姫》を経て映画《風立ちぬ》にいたる深まりを考察することになった。

私にとって思いがけぬ収穫となったのは、『発光妖精とモスラ』の作者の一人である堀田善衛などとの共著『時代の風音』を考察する中で、日本では「弥生式のころから引き継いでいる大地への神聖観というのをどうも失いつつある」という司馬遼太郎の指摘が、宮崎駿監督の《もののけ姫》や映画《夢》における「自然支配の思想」の批判とも結びついていることを確認できたことであった。

国民の健康にも深くかかわるTPP交渉を秘密裏に行い、その資料を公開しようともしない安倍政権は、「安全保障関連法案」を強行採決した後では武器の製造や輸出を奨励しているばかりでなく、沖縄の歴史や住民の意向を無視してジュゴンが住む辺野古の海にアメリカ軍のより恒常的な基地をつくろうとしている。ヤンバルクイナをはじめ多くの固有種が見られ、住民たちが「神々のすむ森」として畏敬してきた高江には多くの機動隊員が派遣されて住民を排除しながらヘリパッドの建設を進めている。

日本の大地や河川、そして海までも放射能で汚染した「フクシマ」の悲劇の後でも、原発の推進や軍事力の拡大など、一九世紀的な「富国強兵」策を行っている安倍政権を強く支持している「日本会議」や「神社本庁」は、すでに真の宗教心を失って政治団体化しているのではないかとさえ思われる。

執筆の際には多くの著書やネット情報から教えられることが多かったので、引用させて頂いた著者の方々にこの場を借りて感謝の意を表したい。また、日本ペンクラブ・環境委員会での活動や、黒澤明研究会、比較文明学会、世界システム倫理学会や国際ドストエフスキー学会での発表と質疑応答の機会を得ることができたのがありがたかった。ただ、急いで書いたこともあり、言及すべき資料にふれられていない箇所や思い違いや誤記などもあると思われるのでご指摘頂ければ幸いである。

本書の第二部では日露戦争を描いた長編小説『坂の上の雲』をめぐる「史観論争」にも言及したが、それは「教育勅語」の渙発後に北村透谷と山路愛山や徳富蘇峰との間で繰り広げられた「史観論争」とも深く結びついている。北村透谷の『罪と罰』論と自由民権運動との関連などについては、『絶望との対峙――「憲法」の発布から「鬼胎」の時代へ』(仮題、人文書館)の構想を進めていた。本書を書くために途中で中断していたので、なるべく早くに書き上げて上梓したいと考えている。

なぜならば、今年の正月には参拝客で賑わう多くの神社で政教分離の原則に反した「改憲」の署名運動が行われたことが報道されたが、自民党の「改憲」案にはヒトラーが独裁権を握ったときときわめて似た「緊急事態条項」が盛り込まれているからである。

このように危険な安倍政権を生み出すきっかけは、作家の司馬遼太郎が亡くなった後で起きた論争の際に、「自由主義史観」を唱える論客たちが、「司馬史観」と自分たちの情念的な歴史観との類似性を強調しつつ、客観的な歴史認識に「自虐史観」という差別的な「レッテル」を貼って非難したことにあったと私は考えている。

憲法学者の樋口陽一氏は最近亡くなった劇作家の井上ひさし氏との対談で、イラク戦争を「ブッシュの復讐」と呼び、「これは復讐ですから、戦争ですらないのです」と喝破していた(『日本国憲法を読み直す』岩波現代文庫)。

司馬遼太郎氏は一九〇二年の日英同盟から四〇年足らずで日本が英米との「大東亜戦争」に踏み切っていたことを指摘していたが、敗戦後から七〇年経った現在、沖縄の住民を「土人」と呼んで軽蔑した警官をねぎらうような大阪府知事や閣僚が出て来ている。そのことに注目するならば、「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」的な理念によって教育された若い世代が、近い将来にアメリカを再び「鬼畜」と見なして「報復の戦争」を始める危険性は少なくないだろう。司馬氏が「鬼胎」の時代と呼んだ昭和初期の時代の再来を防ぐためにも、本書が少しでも役に立てれば幸いである。

二〇一六年一〇月二二日

(謝辞を省いた形で掲載。2016年11月6日、青い字の箇所を追加)。

「原水爆実験と原発事故」、および「ナショナリズムと歴史認識」の問題を考察した『ゴジラの哀しみ』関連年表を掲載

ようやく、『ゴジラの哀しみ』関連年表を作成しましたので、「年表とブログ・タイトル一覧」の頁に、これまでの年表8「核兵器・原発事故と終末時計」 (1945~2015)と差し替えて掲載します。

最初の案では映画《ゴジラ》関係の映画と原爆・原発事故のみに焦点を絞って、日本への原子爆弾投下から二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』の表紙絵で示された世界終末時計の時刻とともに記すというものでした。

それゆえ、小説『永遠の0(ゼロ)』を論じた第二部や、宮崎駿氏のアニメ映画と黒澤明の映画との関係を中心に論じた第三部をうまく年表に組み合わせることができるか少し心配でしたが、何とかまとめることができたように感じています。

年表には二つの大きな山場となる年代があります。最初は一九五四年にビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第五福竜丸」などが被爆した年の一一月に公開された映画《ゴジラ》が大ヒットしたのに対して、黒澤映画《七人の侍》がヒットしていたにもかかわらず翌年に公開された映画《生きものの記録》が、興行的には大失敗に終わる流れです。

次は国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎が亡くなった後で起きた一九九六年の「司馬史観」論争から一九九七年には「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」が設立される一方で、アニメ映画《もののけ姫》が公開され、小説『少年H』が発行されるという経過です。

この二つの山場に注目しながら、拙著を読んで頂ければ、二〇一三年以降の政治や文化の流れも理解しやすくなると思われます。

年表の開始を何年からにしようかと迷いましたが、日露戦争などについては拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表でふれていましたので、二・二六事件が起きた一九三六年を年表開始の年にしました。

この年には堀辰雄が『風立ちぬ』の執筆を開始し、堀越二郎の九試単座戦闘機が採用になっていたたばかりでなく、映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督も二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中隊に所属していたために、三度も懲罰的な徴兵をされることになっていました。鼎談『時代の風音』で宮崎氏や司馬遼太郎と対談した作家・堀田善衛の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でも、主人公の青年が大学受験のために上京した日に二・二六事件に遭遇したことも描かれていました。

核エネルギーの視点から、原水爆の実験や原発事故に注目しながら映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》に至る流れだけでなく、さらにはナショナリズムと歴史認識の問題にも踏み込んだこの年表が、核エネルギーの問題の深刻さとその克服の必要性の理解に役立てば幸いです。

(2016年10月24日。題名を変更)

リンク→年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)