高橋誠一郎 公式ホームページ

映画《風立ちぬ》

『若き日の詩人たちの肖像』と小林秀雄のドストエフスキー観(1)――『白夜』をめぐって

『若き日の詩人たちの肖像』上、アマゾン『若き日の詩人たちの肖像』下、アマゾン(書影は「アマゾン」より)

堀田善衛の自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』」(1968年)は、大学受験のために上京した翌日に2.26事件に遭遇した主人公が「赤紙」によって召集されるまでの日々を、若き詩人たちとの交友をとおして司馬遼太郎が「別国」と呼んだ「昭和初期」の重苦しい日々を克明に描き出している。

注目したいのはその第一部のエピグラフには、「驚くべき夜であつた。親愛なる読者よ、それはわれわれが若いときにのみ在り得るやうな夜であつた。」(米川正夫訳)という言葉で始まるドストエフスキーの『白夜』の文章が置かれていることである(以下、引用は集英社文庫、1977年による)。

しかも、第一部の終わり近くではナチスの宣伝相ゲッベルスの演説から「なんという乱暴な……。なんという野蛮な……。」という「異様な衝撃」を受けたと記した後で、再び『白夜』の文章を引用した作者は、「若者は、星を見上げて、つい近頃に読んだある小説の書き出しのところを思い出しながら、坂を下りて行った」と書き、さらに「小説は、二十七歳のときのドストエフスキーが書いたものの、その書き出しのところであった」と説明している。

フランス2月革命の余波が全ヨーロッパに及んでいた1848年に書かれたこの作品では、拙著 『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』(成文社、2007年)の第4章で詳しく考察したように、プーシキンにおける「ペテルブルグのテーマ」や「夢想家」やなど後期の作品に受け継がれる重要なテーマが描かれているばかりでなく、「農奴解放」のテーマも秘められていた。

こうして、文筆活動をとおして農奴の解放や言論の自由と裁判制度の改革を求めていたドストエフスキーは、小説『白夜』を発表した後でペトラシェフスキー・サークルの友人たちとともに捕らえられて偽りの死刑宣告を受けた後で皇帝の恩赦という形でシベリア流刑になっていた。

そのことを想起するならば、拙著でも少し触れたように、堀田善衛がクリミア戦争に向かう時期の専制国家・帝政ロシアとナチスドイツやイタリアと三国同盟を結んで無謀な戦争に突入していくこの時期の大日本帝国との類似性を強く意識していたことはたしかだろう。

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若き詩人たちとの交友を描いた自伝的な長編小説『若き日の詩人たちの肖像』を読み返した時に私は、明治の『文学界』の同人たちとの交友を描いた島崎藤村の自伝的な長編小説『春』を連想した。

それはこの長編小説でも内田魯庵訳の『罪と罰』が取り上げられているばかりでなく、頼山陽の歴史観を賛美した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」を批判したことで「人生相渉論争」と呼ばれる激しい論争に巻き込まれ、生活苦も重なって自殺した北村透谷の生き方や理念も描かれているためであった。

しかも、拙論「北村透谷と島崎藤村――「教育勅語」の考察と社会観の深まり」(『世界文学』第125号)で考察したように、この論争の背景には「教育勅語」の発布の後で起きた「不敬事件」があった。そのことを考慮するならば、自殺した芥川龍之介に対する小林秀雄の批判の構造が、透谷の自殺後も徳富蘇峰の「民友社」が透谷や『文学界』への批判を続けていたことときわめて似ていることに気付く。

それゆえ、『若き日の詩人たちの肖像』で将来に対する「ぼんやりした不安」を記して自殺した芥川龍之介の遺書についてたびたび言及されているのは、文芸評論家の小林秀雄(1902~83)のドストエフスキー論を強く意識していたためではないかと思われる。

なぜならば、小林秀雄がドストエフスキー作品の本格的な考察への意欲を記したのは、日本が国際連盟から脱退して国際関係において孤立を深めるとともに、国内では京都帝国大学で滝川事件が起きるなど検閲の強化が進む前年の1932(昭和7)年のことだったからである。

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このような時期に発表した評論「現代文学の不安」で、「だが今、こん度こそは本当に彼を理解しなければならぬ時が来たらしい」とドストエフスキーについて記した小林は、「この絶望した詩人たちの最も傷ましい典型は芥川龍之介であつた。多くの批評家が、芥川氏を近代知識人の宿命を体現した人物として論じてゐる。私は誤りであると思ふ」と書き、芥川を「人間一人描き得なかつたエッセイスト」と規定していた(『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、2014年、17頁)。

そして、『地下室の手記』以降はドストエフスキーが前期の人道的な考えを棄てたと主張したシェストフの考えを受け継いだ小林秀雄は、その後、次々とドストエフスキー論を発表するが、帝政ロシアにおける「憲法」の欠如や検閲などの問題をより明確に示唆していた第一作『貧しき人々』から『白夜』に至る初期作品をほとんど論じていない。

一方、芥川龍之介はドストエフスキーの創作方法の特徴をよく理解していた作家であり、ことに短編「藪の中」(1922)では「一つの事件」を三人のそれぞれの見方をとおして描くことで、客観的に見えた「一つの事件」が全く異なった「事件」に見えることを明らかにして、現代の「歴史認識」の問題にもつながるような「事実」の認識の問題を提起していた。

そして、1922年に書いた小説『将軍』で日露戦争時の突撃の悲惨さだけでなく、父と子の会話をとおして軍人を軍神化することの問題を描いていた芥川龍之介は、治安維持法の発布から2年後の昭和2年に自殺する前には小説『河童』で検閲制度など当時の日本社会を痛烈に風刺していた。

『若き日の詩人たちの肖像』の後半では作家の堀辰雄をモデルとした「成宗の先生」との交友が描かれるようになるが、よく知られているように芥川龍之介との深い交友があった堀辰雄は卒論で「芥川龍之介論」を書き、自伝的な作品『聖家族』(昭和5年)の初版には「私はこの書を芥川龍之介先生の霊前にささげたいと思ふ」という献辞を付けるほど龍之介を深く敬愛していた作家だった。

映画《風立ちぬ》(図版は「アマゾン」より)

堀辰雄の「風立ちぬ」(1936-37年)は宮崎駿監督が映画の題名としたことで再び脚光を浴びたが、注目したいのは、主人公が「成宗の先生」の自宅のそばを通りかかった際に「この家の詩人小説家は肺病で、日本語の小説によくもまあ、と思われるほどにしゃれた、純西洋風な題をつける人であった」とその作風を思い出した後で、再び主人公が暗唱していた『白夜』の冒頭の文章が引用されていることである。

そして、その箇所を「ぶつぶつと口のなかでとなえてみていて、こういう文章こそ若くなければ書けなかったものだったろう、と気付いた」と記した堀田は、「二十七歳のドストエフスキーは、カラマーゾフでもラスコルニコフでもまだまだなかったのだ。けれども、この文章ならば、あるときのムイシュキン公爵の口から出て、それを若者が自分の耳で直接公爵から聞くとしても、そう不思議でも不自然でもないだろう……」と続けていた。

この記述からは、初期と後期のドストエフスキー作品が全く断絶していると解釈していた小林秀雄とは異なり、『白夜』と『白痴』の主人公との連続性を見ていることが分かる。

映画《風立ちぬ》では主人公が、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎の伝記を踏まえて主人公像が形成されていることが話題となったが、主人公の内面はむしろ堀辰雄の作品世界からの影響によって形づくられていると思われる(『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』のべる出版企画、2016年、147~162頁)。

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しかも、宮崎駿は敬愛する堀田善衛と司馬遼太郎との鼎談(『時代の風音』朝日文庫、1997年)の際に司会をしているが、そこでは芥川龍之介の死が堀辰雄の作品ばかりでなく、堀田の『若き日の詩人たちの肖像』を踏まえて語られている可能性が高いのである。

それゆえ、私は日本の近代文学の専門家ではないが、ドストエフスキー研究者の視点から『若き日の詩人たちの肖像』をより詳しく分析することにしたい。

そのことにより帝政ロシアに先駆けて「憲法」を持った日本が、なぜ昭和初期には「無憲法」の状態に陥って無謀な戦争へと突入し、そして戦後72年経った現在、「立憲主義」を否定する動きが起きているのかにも迫ることができるだろう。

(2017年11月8日、加筆、書影を追加)

「映画《風立ちぬ》と映画《少年H》」を再掲

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(映画《少年H》。図版は「Facebook」より)

ツイッターに大前治氏の下記のような文章が掲載されていました。

朝日新聞12月23日付「社説余滴」で拙著『逃げるな、火を消せーー戦時下トンデモ防空法』を紹介していただきました。空襲は怖くないという宣伝、空襲被害を隠す言論統制など、現代と重ねて考える題材として本書をお読みいただければ幸いです。」

この文章を読んで、拙著で次のように書いていたことを思い出しました。

「映画《少年H》の圧巻は、神戸の大空襲のシーンであろう。この場面は第三部で考察する映画《風立ちぬ》で描かれた関東大震災のシーンに劣らないような迫力で描かれている。

また、町内会で行われていたバケツ・リレーによる防火訓練も、実際には焼夷弾による火災を水では消火することはできず、そのために生命を落とした人も少なくなかった。映画でも主人公の少年と母親が最後まで消火しようと苦闘した後で道に出てみると、ほとんどの町民はすでに逃げ出していたという場面も描かれていた。このシーンは、戦争中のスローガンが実際とはかけ離れておいたことをよく示しているだろう」(『ゴジラの哀しみ』97頁)。

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映画《風立ちぬ》。図版は「Facebook」より)

一方、映画《風立ちぬ》も上のシーンではそよ風ですが、「高台に停車した列車から脱出した二郎と菜穂子の眼をとおして観客は、大地震の直後に発生した火事が風に乗って瞬く間に広がり、東京が一面の火の海と化す光景を見ることになるが、原発事故後の『風』について宮崎監督はインタビューでこう語っている。

『福島の原発が爆発した後、風が轟々と吹いたんです。絵コンテに悩みながら、上の部屋で寝っころがっていると、その後ろの木が本当に轟々と鳴りながら震えていました』」(拙著『ゴジラの哀しみ』、155頁)。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

宮崎駿監督は映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していましたが、この映画が大ヒットしたことや、安倍首相が戦前の価値観への回帰を目指す日本会議系の議員を重用しているために、悲惨な戦争の美化が進んでいるように見えます。

それゆえ、ここでは2014年9月22日の記事とリンク先を再掲します。

*   *   *

先日、妹尾河童氏の原作『少年H』を元にした映画《少年H》を見てきました。

夏休みも終わった平日の午前中ということもあり、観客の人数が少なかったのが残念でしたが、この映画からも宮崎駿監督の《風立ちぬ》と同じような感動を得ました。

映画《風立ちぬ》については、戦時中の問題点を示唆するシーンにとどまっており、反戦への深い考察が伝わってこないという批判があり、おそらくそれが、戦時中の苦しい時代をきちんと描いている映画《少年H》とのヒットの差に表れていると思います。

黒澤映画《生きものの記録》と司馬遼太郎氏の長編小説『坂の上の雲』などを比較しながら感じることは、問題点の本質を描き出す作品は一部の深い理解者を産み出す一方で、多くの観客や読者を得ることが難しいことです。

私としては問題点を描き出す《少年H》のような映画と同時に、大ヒットすることで多くの観客に問題点を示唆することができる《風立ちぬ》のような二つのタイプの映画が必要だろうと考えます。

ただ、司馬作品の場合に痛感したことですが、日本の評論家には作者が伝えようとする本当の狙いを広く伝えようとすることよりも、その作品を矮小化することになっても、分かりやすく説明することで作品の売り上げに貢献しようとする傾向が強いように感じています。

《風立ちぬ》のような作品も観客の印象だけにゆだねてしまうと、安易な解説に流されてしまう危険性もあるので、《風立ちぬ》に秘められている深いメッセージを取り出して多くの観客に伝えるとともに、《少年H》のような映画のよさを多くの読者に分かりやすく説明してその意義を伝えたいと考えています。

奇しくも、宮崎駿監督と妹尾河童氏は司馬遼太郎氏を深く敬愛していました。それぞれの映画のよさを再確認する上でも、《風立ちぬ》を見た人にはぜひ《少年H》をも見て、二つの映画を比較して頂きたいと思います。

リンク映画《少年H》と司馬遼太郎の憲法観

トップページに『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の図版とリンク先を掲載

 

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〔四六判上製 216頁/定価:1,944円(税込み)〕

 

 青い字をクリックするとリンク先に飛びます)

目次

はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生

第一部 冷戦の時代とゴジラの変貌

   ――映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》へ

    序章 ゴジラの誕生まで

第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」

  ――『永遠の0(ゼロ)』の構造と隠された「日本会議」の思想

    序章「約束」か「詐欺」か

第三部 「人類滅亡の悪夢」の克服と自然の輝き

   ――映画《夢》と映画《風立ちぬ》を中心に

 序章 風車と水車のある光景

関連年表 『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

あとがき 

〈第三部 「人類滅亡の悪夢」の克服と大自然の輝き――映画《夢》と映画《風立ちぬ》を中心に〉より、〈序章 風車と水車のある光景〉

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序章 風車と水車のある光景

 

一、映画《モスラ》から《風の谷のナウシカ》へ

アニメ映画《風の谷のナウシカ》の冒頭では、「人口五〇〇人足らずの平和な農業共同体」である「風の谷」を吹く清浄な風が、大国トラキアの巨大な飛行機が運んできた腐海からの胞子や巨大な昆虫によって乱されるシーンが描かれている。

「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」によって科学文明が終わってから一〇〇〇年後の世界が描かれているこの映画と映画《モスラ》との映像的な類似性について、研究者の小野俊太郎は次のように指摘している。

「この二つの作品には、すぐに目につく類似点が多い。幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似だけではなく、成虫モスラとウシアブのふんわりとした飛行、腐海(ふかい)の毒と放射能の働きの類比は明白だし、暴走するイモ虫、巨大な繭と熱による孵化、巨大な胞子植物、怪異と意思疎通する少女、といった点も似ている。タイトルバックで神話が碑文や絵巻といった映像でされるのも共通している」*1。

そして、「風」の流れに注意を促して「問題となるのは、ナウシカが住んでいる『風の谷』で、ここには『モスラ』における日本とインファント島問題そのものが拡大して投影されている」と指摘した小野は、「ここに接合されているのは、黒澤明が『生きものの記録』(一九五五)で突きつけた、気流の関係で死の灰が寄ってくる風の谷間に暮らす日本である」と続けている*2。

実際、《風の谷のナウシカ》は核戦争後に発生した「腐海の森」から発生する有毒ガスで、生き残った人々の生存も危うくなる中で、「土壌の汚れ」の原因を突き止めようとする少女ナウシカの活躍を描いているが、《生きものの記録》でも核実験による「死の灰」や核戦争の恐怖からブラジルへの移住という行動を起こそうとした主人公の老人(三船敏郎)が、精神病院の窓に映った夕日を見て「とうとう地球が燃えてしまった」と叫ぶ場面が描かれていた。

二、「王蟲」の子供が殺される夢と「やせ馬が殺される夢」

《風の谷のナウシカ》では、夢の中でナウシカが子供の頃に戻って、「王蟲」の子供が殺されそうになっているのを見て「殺さないで」と叫ぶのを再び見るシーンが描かれている。

このシーンを見てすぐに連想したのは、近代西欧の「弱肉強食の思想」から強い影響を受けた『罪と罰』の主人公が「非凡人の理論」を編み出して、「悪人」と規定した「高利貸しの老婆」を殺害しようと計画を練りはじめた頃に見た「やせ馬が殺される夢」のことであった。

なぜならば、映画《夢》のための「ノート」には、『罪と罰』からこの箇所が長く引用されているだけでなく、「夢が持っている奇妙なリアリティをつかまえなければならない」という黒澤のメモも記されていたからである*3。

「やせ馬が殺される夢」で子どもの頃に再び戻り、酔っぱらいの馭者から力まかせに鞭打たれているやせ馬を見て、やせ馬への深い同情心から必死で守ろうとしていた体験を思い出した主人公は、自分の計画がたとえ正しいこととしても老婆を殺害することはできないと感じていた。

残念ながら日本では、文芸評論家・小林秀雄の解釈などもあり、ラスコーリニコフの言動を分析することにより、一九世紀西欧の「弱肉強食の思想」や「自然支配の思想」を厳しく批判した思想家としてのドストエフスキーにはあまり光が当てられていない*4。

しかし、ドストエフスキーはラスコーリニコフが老婆を殺したことを知ったソーニャに「いますぐ、すぐに行って、十字路に立つんです。おじぎをして、まず、あなたが汚した大地に接吻しなさい」と諭させていた*5。この言葉やドストエフスキーの自然観や民話観に注目しながらこの小説を読み直すとき、「やせ馬殺しの夢」が「高利貸しの老婆」の殺害を実行してしまったラスコーリニコフの悲劇を示唆するとともに、流刑地のシベリアの大自然の中で生活するうちに森や泉の意味を認識して「復活」することも予告していたといえるだろう。

ジャーナリストの清沢洌は、一九四三年一月八日の日記でナチスの検閲に言及して、「すでにドイツはドストエフスキーの文学などを禁止したとのことだ」と『暗黒日記』に記していたが*6、戦後にドストエフスキーの長編小説『白痴』を沖縄で死刑になりかけた復員兵を主人公として映画化した黒澤明は、ドストエフスキーについてこう語っていた*7。

「これは実は《羅生門》の前からやろうときめてた。ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んで、どうしても一度はやりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタがちがうけど作家として一番好きなのはドストエフスキーですね。生きていく上につっかえ棒になることを書いてくれてる人です」。

全部で八話からなるオムニバス形式の映画《夢》は、ストーリーの流れが読みにくいこともあり、あまりヒットはしなかったが、黒澤明がロシアの作家ドストエフスキーを深く敬愛していたことに注目しながら、『罪と罰』における夢の構造に注意して見直すとき、この映画の構造が『罪と罰』において主人公のラスコーリニコフが見る夢の順番と密接に対応していることに気づく*8。

《風の谷のナウシカ》のタイトルバックで示される絵巻では「その者青き衣(ころも)をまといて金色(こんじき)の野におりたつべし。失われた大地との絆(きずな)を結び、遂に人々を青き清浄の地に導かん」との言い伝えが織られていた。

さらに、ナウシカが見た「王蟲」の子供が殺される夢も自分の危険もかえりみずに傷ついた「王蟲」の子供を守るという感動的なラストシーンへとつながっていることもたしかだろう。しかも、宮崎監督は一九九三年の黒澤監督との対談では、映画《夢》の最終話「水車のある村」で描かれている水車小屋の場面については、自分が「美術やりたかったなと思った」とさえ語っていたのである*9。

それゆえ、次の章では映画《七人の侍》と一九九七年に公開された《もののけ姫》との関係を見た後で「自然支配の思想」に注目しながら、映画《夢》の第一話「日照り雨」から第三四話「トンネル」にいたる流れを考察し、さらに、第四話「トンネル」における「亡霊」に注目しながら、戦死者の問題に焦点を当てて映画《ゴジラ》と『永遠の0(ゼロ)』も再考察する。

第二章では一九九二年公開のアニメ映画《紅の豚》と映画《永遠の0(ゼロ)》の関係を見た後で、戦闘機「零戦」の設計者・堀越二郎と本庄季郎という2人の設計士の友情をとおして、当時の日本の社会情勢だけでなく、ナチスドイツとの同盟の危険性もきちんと描かれていた映画《風立ちぬ》を分析することにより、なぜ宮崎が『永遠の0(ゼロ)』を「神話の捏造」と激しく批判したのかに迫る。

終章ではそれまでの考察や映画《風立ちぬ》のラストシーンで描かれたノモンハンの草原のシーンと主人公の視線をとおして映画《夢》の第六話「赤富士」から「鬼哭」を経て「水車のある村」にいたる流れの意味を考えることにしたい。

 

*1 小野俊太郎、前掲書『モスラの精神史』、二四八~二四九頁。

*2 同右、二五〇頁。

*3 都築政昭『黒澤明の遺言「夢」』、近代文芸社、二〇〇五年、一八~一九頁。

*4 高橋、前掲書『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』、第四章参照。

*5 ドストエフスキー、江川卓訳『罪と罰』下巻、岩波文庫、二〇〇〇年、一三五頁。

*6 清沢洌、前掲書、四〇頁、一四二頁。

*7 「世界の映画作家3/黒澤 明」”全自作を語る”聞き手=荻 昌弘(キネマ旬報社)」

*8 高橋黒澤明監督の倫理観と自然観――映画《白痴》から映画《夢》へ」『地球システム・倫理学会会報』第一一号、二〇一六年参照。

*9 黒澤明・宮崎駿『何が映画か――「七人の侍」と「まあだだよ」』徳間書店、一九九三年、四一頁。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』より「はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生」

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はじめに ゴジラの咆哮と悲劇の誕生

ゴジラの咆哮がスクリーンで轟いたのは、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験の際にも、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われた一九五四年のことであった*1。映画《ゴジラ》の予告映画では「人類最後の日来る!」との文言も画面いっぱいに映し出されていたという*2。

このような時代状況にも言及しながら映画《ゴジラ》を製作した本多猪四郎監督はこう語っていた。「第一代のゴジラが出たっていうのは、非常にあの当時の社会情勢なり何なりが、あれ(ゴジラ)が生まれるべくして生まれる情勢だった訳ですね。…中略…ものすごく兇暴で何を持っていってもだめだというものが出てきたらいったいどうなるんだろうという、その恐怖」*3。

つまり、初代の映画《ゴジラ》は、第二次世界大戦後の冷戦の時代に人類が直面することとなった文明論的な課題を直視した映画だったのであり、ゴジラの凶暴で圧倒的な力は台風や海底火山の爆発などの、自然の驚異にもなぞらえられていた。しかも、ことに映画《モスラ》に特徴的なように、娯楽映画でありながら政治や社会への批判的な視点も色濃く持っていた。

それゆえ、本書の第一部では、映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》までの「ゴジラ」の変貌を中心に核問題を扱ったポピュラー文化をも分析することによって、文明論的な視点から冷戦の時代からグローバリズムの時代にいたる「核エネルギーに対する日本人の意識の変化」を考察したい。

ところで、ウィリアム・M・ツツイは一九九〇年代頃までには、「日本のポップカルチャーにおいて、戦争の功績を祝福する表現を避けようという風潮がだいぶ薄れたが、それは何十年にもわたるゴジラ映画のおかげも少しあると言える」と書いている*4。

一九五四年の初代映画《ゴジラ》の後で生じたそのような「ゴジラ」の変貌は、明治維新一〇〇周年にあたる一九六八年を期に日本でも台頭してきたナショナリズムの問題とも深く関わっていると思える。

たとえば、一九五七年五月に岸信介首相は国会で、「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と答弁していたが、長編小説『坂の上の雲』の連載が始まった一九六八年の参院選で当選した作家の石原慎太郎(現「日本会議」代表委員)は、翌年の国会では「非核三原則」を「核時代の防衛に対する無知の所産」のせいだと批判していたのである*5。

さらに、産経新聞に連載された長編小説『坂の上の雲』(一九六八~七二)で、日清と日露戦争の勝利を描いていた作家の司馬遼太郎が亡くなった一九九六年に発行した『汚辱の近現代史』で教育学者の藤岡信勝は、湾岸戦争以後に「社会主義が崩壊し、冷戦が終結した今、日本をとりまく国際環境は根本的に変化した」と強調した*6。そして、長編小説『坂の上の雲』では「日本人が素朴に国を信じた時代があったこと、健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」明治の人々の姿が描かれているとし、自分たちの歴史認識は「司馬史観」と多くの点で重なると誇っていた*7。

同じような論調は、徳富蘇峰を「巧みな『物語』制作者」であるとし、「そうした『物語』によって提示される『事実』が、今日なお、われわれに様々なことを語りかけてくる」として、蘇峰の歴史観の現代的な意義を強調した坂本多加雄・「新しい歴史教科書を作る会」理事の見解にも強く響いている*8

多くの日本人が『永遠の0(ゼロ)』のような「美しい物語」に感動してしまうようになる遠因は、「テキスト」に描かれている事実ではなく、「テキスト」に感情移入して「主観的に読む」ことが勧められるようになってきた文学論や歴史教育にもあると思われる。

このことに注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』を読み解くとき、「神風で戦死した海軍航空兵」だった実の祖父のことを知るために、戦友たちへの取材を孫の姉弟が進めるという構造を持つこの小説が「司馬史観」論争を巧みに取り入れて作られていることに気づく*9。

すなわち、ここでは戦時中の日本軍の「徹底した人命軽視の思想」が厳しく批判されている一方で、「君国の為めには、我が生命」などすべてを捧げることを大正の青年たちに求めた徳富蘇峰の思想がむしろ讃美されているのである*10。

しかし、司馬遼太郎自身は復古的な歴史理解には強い危機感を覚えていたようで、『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年には「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」と書いていた*11。さらに、連載の終了後には太平洋戦争に突入する頃には「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書き、「その勝利の勘定書が太平洋戦争の大敗北としてまわってきたのは、歴史のもつきわめて単純な意味での因果律といっていい」と結んでいた*12。

これらの記述に注目するならば、「司馬史観」との同一性を僭称した藤岡信勝が司馬遼太郎の死後にこれらの論考を発表したのは、司馬自身から徹底的に批判されることを恐れたためではないかと思われる。

言論人・徳富蘇峰や作家・司馬遼太郎の歴史観に注目しながら、『永遠の0(ゼロ)』の構造や登場人物たちの発言を文学論的な手法で詳しく分析することにより、大ヒットしたこの小説が戦前の価値観への回帰を目指す「日本会議」のプロパガンダ小説ともいえるような性質を持っていることを明らかにしたい。

その作業をとおして、「戦前・戦中の思想と価値判断を継承」していながら、そのことを隠しつつ、戦前と同じような美しいスローガンによって、「日本国憲法」の「壊憲」を目指している「日本会議」と「安倍政権」の危険性をも浮かび上がらせることがすることができるだろう*13。

この意味で注目したいのは、「一番好きな映画」として黒澤映画《七人の侍》を挙げ、黒澤との対談では映画《夢》の水車小屋のシーンにも言及していた宮崎駿監督が、映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造」と厳しく批判していたことである*14。

宮崎駿監督が一九九二年公開のアニメ映画《紅の豚》ですでに第一次世界大戦後のファシズムの問題をも示唆し、ゼロ戦を設計した堀越二郎を主人公とした映画《風立ちぬ》ではナチスドイツと同盟した当時の日本の問題もきちんと描いていたことを考慮するならば、この批判の意味は明確だろう。本文で詳しく分析するように、『永遠の0(ゼロ)』における新聞批判には、「弱肉強食の理念」を主張しプロパガンダの重要性を強調する一方で、新聞の客観的な報道を非難したヒトラーの『わが闘争』の論調を思い起こさせるのである。

しかも、『永遠の0(ゼロ)』では核の問題はまったく論じられていないが、社会的・文化的な背景をも読み解きながら映画《モスラ》(一九六一)を詳しく分析した小野俊太郎は、この映画と《風の谷のナウシカ》(一九八四)との関係を指摘するとともに、「風」や「気流」に注意を促して水爆実験の恐怖をテーマとした黒澤明監督の映画《生きものの記録》がこれら二つの作品を理解する上でも重要なことを指摘していた*15。

宮崎駿監督が『発光妖精とモスラ』の作者の一人である堀田善衛や司馬遼太郎など自分が敬愛していた作家たちとの鼎談集『時代の風音』を出していることや、「ゴジラ・シリーズ」の監督から降りた後、黒澤映画に演出補佐として参加していた本多猪四郎が、復員してきた将校が全滅した自分の小隊の部下たちの亡霊と出会うという映画《夢》の第四話「トンネル」だけでなく、原発事故の問題を描いた第六話「赤富士」にも深く関わっていたことを想起するならば、この指摘は説得力があるといえるだろう。

日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は『文明論之概略』において、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていた*16。

このような福沢の「自然支配の思想」について比較文明学者の神山四郎は、「それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していたが*17、映画《夢》の第八話でも水車小屋の老人は、「人間を不幸せにする様なものを一生懸命発明して得意になっている」知識人を批判するとともに、多くの人間が「その馬鹿な発明を奇跡の様」に有難がって、「自然が失われ、自分達も亡んで行くことに気がつかない」と語っているのである*18。

実際、二〇一五年には「世界終末時計」の時刻が冷戦期の一九四九年と同じ「残り三分」に戻ったと発表された*19。黒澤明が敬愛したドストエフスキーは長編小説『罪と罰』のエピローグで、「非凡人の思想」から「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を「正義」と見なしていた主人公が見た「人類滅亡の悪夢」を描いていたが*20、人類はその危険性と今も直面しているのである。

その一方で、「安全保障関連法案」が強行採決された以降の日本では、武器の輸出に踏み切るばかりでなく、核兵器の使用も法律的には可能だとする見解が示されるなど、憲法の「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を全面否定するような政策が次々ととられている。それゆえ、憲法学者の小林節は、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いているのである*21。

こうした政治的な手法だけでなく、安倍政権の閣僚の自然観も大きな問題と思える。宗教学者の島薗進は「国家神道」が「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことを指摘している*22。西欧列強に対抗する近代化政策の一環としてために導入された「国家神道」においては、大地や海などへの畏敬の念を持つ伝統的な神道ではなく、むしろ一九世紀的な自然支配の思想が強いと思われる。

本書では映画《ゴジラ》から映画《夢》を経て、映画《風立ちぬ》にいたる流れを考察することで、自然エネルギーを活用できる技術を持ちながら、地震や火山の活動が活発な日本で原発を再稼働させるだけでなく原発の輸出をはかり、核の時代にいまだに戦争という手段で問題を解決しようとすることの危険性を明らかにし、文明論的な視点からそれらの危機を克服する可能性を考察したい。

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

1 中日新聞社会部編『日米同盟と原発 隠された核の戦後史』東京新聞、二〇一三年、七二~七四頁。

2 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、八頁。

3 本多猪四郎・平田昭彦「対談 ステージ再録 よみがえれゴジラ」『初代ゴジラ研究読本』、洋泉社MOOK、二〇一四年、六九頁。

4 ウィリアム・M・ツツイ、神山京子訳『ゴジラとアメリカの半世紀』中央公論新社、二〇〇五年、一三〇頁。

5 山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』中公新書、二〇一五年、一〇五頁。

6 藤岡信勝「はじめに」『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五頁。

7 藤岡信勝「『司馬史観』の説得力」、前掲書、五九頁。

8 坂本多加雄『近代日本精神史論』講談社学術文庫、一九九六年、二八九~三一四頁。

9 百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』講談社文庫、二〇一四年。

10 徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』、筑摩書房、一九七八年、二八二頁。

11 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

12 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一〇五~一〇六頁。

13 山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書、二〇一六年、一二二頁。

14 エンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉、「リテラ」二〇一四年六月二〇日、デジタル版。初出は『ビジネスジャーナル』、二〇一三年九月。

15 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代新書、二〇〇七年、二四八~二五〇頁。

16 『福沢諭吉選集』第四巻、岩波書店、一九八一年、一四四頁。

17 神山四郎、『比較文明と歴史哲学』刀水書房、一九九五年、一一五頁

18 『全集 黒澤明』第七巻、岩波書店、二〇〇二年、二六頁。

19 ハフィントンポスト日本版、〈「『終末時計』残り3分に 「原子力政策は失敗している」〉、二〇一五年一月二三日デジタル版。

20 ドストエフスキー、江川卓訳『罪と罰』(上中下)、岩波文庫、二〇〇〇年。

21 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、頁。

22 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁。

 (2017年7月11日、青い字の箇所を訂正)

「原水爆実験と原発事故」、および「ナショナリズムと歴史認識」の問題を考察した『ゴジラの哀しみ』関連年表を掲載

ようやく、『ゴジラの哀しみ』関連年表を作成しましたので、「年表とブログ・タイトル一覧」の頁に、これまでの年表8「核兵器・原発事故と終末時計」 (1945~2015)と差し替えて掲載します。

最初の案では映画《ゴジラ》関係の映画と原爆・原発事故のみに焦点を絞って、日本への原子爆弾投下から二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』の表紙絵で示された世界終末時計の時刻とともに記すというものでした。

それゆえ、小説『永遠の0(ゼロ)』を論じた第二部や、宮崎駿氏のアニメ映画と黒澤明の映画との関係を中心に論じた第三部をうまく年表に組み合わせることができるか少し心配でしたが、何とかまとめることができたように感じています。

年表には二つの大きな山場となる年代があります。最初は一九五四年にビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第五福竜丸」などが被爆した年の一一月に公開された映画《ゴジラ》が大ヒットしたのに対して、黒澤映画《七人の侍》がヒットしていたにもかかわらず翌年に公開された映画《生きものの記録》が、興行的には大失敗に終わる流れです。

次は国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎が亡くなった後で起きた一九九六年の「司馬史観」論争から一九九七年には「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」が設立される一方で、アニメ映画《もののけ姫》が公開され、小説『少年H』が発行されるという経過です。

この二つの山場に注目しながら、拙著を読んで頂ければ、二〇一三年以降の政治や文化の流れも理解しやすくなると思われます。

年表の開始を何年からにしようかと迷いましたが、日露戦争などについては拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表でふれていましたので、二・二六事件が起きた一九三六年を年表開始の年にしました。

この年には堀辰雄が『風立ちぬ』の執筆を開始し、堀越二郎の九試単座戦闘機が採用になっていたたばかりでなく、映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督も二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中隊に所属していたために、三度も懲罰的な徴兵をされることになっていました。鼎談『時代の風音』で宮崎氏や司馬遼太郎と対談した作家・堀田善衛の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でも、主人公の青年が大学受験のために上京した日に二・二六事件に遭遇したことも描かれていました。

核エネルギーの視点から、原水爆の実験や原発事故に注目しながら映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》に至る流れだけでなく、さらにはナショナリズムと歴史認識の問題にも踏み込んだこの年表が、核エネルギーの問題の深刻さとその克服の必要性の理解に役立てば幸いです。

(2016年10月24日。題名を変更)

リンク→年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(三)、「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観」を掲載 

三、オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観

オバマ大統領の広島訪問は、被爆者の方々との真摯な対話もあり、核廃絶に向けた一歩前進ではあったと思える。その一方で「菅直人が原子炉への海水注入をやめさせたというデマ」を安倍首相が「自身のメルマガに書き」込んでいた安倍首相とその周辺は、「トリチウム汚染水を除染しないまま薄めて海に流してしまうという」経産省の提案を同じ五月二七日に発表し、さらには大統領と同行の写真を選挙活動の広告として使っている。

この一連の流れを見ながら思い出したのは、二〇一三年の終戦記念日に安倍首相の式辞を聞いたあとで強い危機感を抱き、ブログ記事を書いた時のことであった。記念式典で安倍首相は「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」と語った。しかし、そこではこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」や脱原発の文言もなかった*22。

一方、二〇一三年八月六日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、九日の平和宣言で長崎市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える八〇カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待」を裏切り、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と厳しく批判していた。

つまり、安倍首相はこれらの痛切な願いを無視していたのである。それゆえ、初代のゴジラと同じ一九五四年生まれであるにもかかわらず安倍首相は、広島と長崎、「第五福竜丸」の三度の被爆や、「世界が破滅する」危機と直面していたキューバ危機、さらにはいまだに収束せずに汚染水など多くの問題を抱えている二〇一一年の福島第一原子力発電所の大事故のことをきちんと考えたことがあるのだろうかという強い危惧の念を抱いた。

事実、政府が「武器輸出三原則」の見直しを検討しているとの報道がなされたのは、二〇一四年二月一一日のことであったが、「特定秘密保護法」を強行採決して報道機関などに圧力をかけて、言論の自由を制限し、翌年には「戦争法」の疑いのある「安全保障関連法案」も強行採決した安倍政権は、「アベノミクス」という経済政策とともに「積極的平和主義」を掲げて、原発の輸出だけでなく武器の輸出にも積極的に乗り出したのである。

しかも、岸信介元首相は「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」との国会答弁をしていたが、このような方針も受け継いだ安倍首相も二〇〇二年二月に早稲田大学で行った講演会における質疑応答では、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言して物議を醸していた*23。そして、ついに内閣法制局長官に抜擢された横畠裕介氏は二〇一六年三月一八日の参議院予算委員会で核兵器の使用についても「憲法上、禁止されているとは考えていない」という見解したのである。

最初にふれたように映画《ゴジラ》が封切られたのは「第五福竜丸」事件が起き無線長が亡くなった一九五四年のことであり、この映画が大ヒットした背景には、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることへの強い批判や、軍拡につながりかねない強力な兵器を創造することを拒んだ科学者の芹沢への共感があったと思える。

安倍政権による一連の決定は、水爆実験により安住の地を奪われた「ゴジラ」に仮託して、「核のない世界」を願った日本国民の悲願をないがしろにし、再び世界を「軍拡の時代」へと引き戻すものであると言わねばならないだろう。

ただ、ゴジラが誕生したこの年の七月一日には警察の補完組織だった保安隊と警備隊を改組した自衛隊も誕生していた。予告編では「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字だけでなく、「挑む陸・海・空の精鋭」、という文字も「画面いっぱいに」広がって広告効果を上げていた*24。これら後半の文字は初代の映画《ゴジラ》やその後のゴジラの変貌を考えるうえできわめて重要だと思える。

なぜならば、映画《ゴジラ》が公開されたのは日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、創刊三一年を記念した二〇〇四年の『正論』一一月号に掲載された鼎談で、衆議院議員の安倍晋三氏は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」と略す)第三代会長の高崎経済大学助教授・八木秀次氏(肩書きは当時)やジャーナリストの櫻井よしこ氏とともに「改憲」への意気込みを語ってもいたからである*25。

この号では石原慎太郎・八木秀次両氏による「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」という対談も行われており、ここで日露戦争の勝利を「白人支配のパラダイムを最初に痛撃した」と評価した石原氏は、「大東亜戦争」の正しさを教えられるような歴史教育の必要性を強調していた*26。

このような「憲法」の軽視と日露戦争の賛美の流れは、『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」と描かれているとする一方で、科学的な歴史観を「自虐史観」と決めつけ、「司馬の小説と史論を組み合わせると」新しい歴史観をうち立てることができるとした藤岡信勝氏の論調を受け継いでいると思える*27。この論考が発表された翌年の一九九七年一月には「つくる会」が発足し、七月にはそれに連動して安倍晋三氏を事務局長とした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられているのである。

しかし、作家の司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促し*28、書き終えた後では「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いていた*29。

安倍政権の成り立ちと「日本会議」との関わりに注意を促した菅野完氏の著作に続いて『日本会議とは何か』(合同出版)、『日本会議の全貌』(花伝社)などが相次いで発行されたことで、反立憲主義的な「日本会議」と育鵬社との関わりが明らかになってきている。そのことに留意するならば「変な酩酊者」という用語で「歴史修正主義者」を批判した作家・司馬遼太郎の歴史観は、「事実」を軽視して自分のイデオロギーを正当化しようとする「つくる会」や「日本会議」の歴史認識とはむしろ正反対のものといわねばならない。

安倍首相が尊敬する岸元首相とも面識のあった憲法学者の小林節氏によれば、「彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は」、「普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期」である、「国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった」のである*30。

政治学者の中島岳志氏との対談で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」で、「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことに注意を促した宗教学者の島薗進氏も、「戦前に起きた『立憲主義の死』」と「安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』」の関連を考察する必要性を提起し、「宗教ナショナリズム」の危険性を指摘している*31。

実際、安倍首相は今年の「施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した」が、それは「神道政治連盟」の主張と重なっており、神社本庁が包括する初詣でにぎわう神社の多くには、改憲の署名用紙が置かれていた*32。

この意味で注目したいのは、映画《風立ちぬ》を製作した宮崎駿監督が、孫が記す祖父の世代の戦争の記録の形で著した百田尚樹氏の映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造をまだ続けようとしている」と厳しく批判していたことである*33。宮崎監督が前節で見た映画《モスラ》の脚本家の一人でもあった作家の堀田善衛と司馬遼太郎との鼎談を行っていたことを考えるならばこの批判は重要だろう*34。

『日本会議の研究』を著した菅野完氏は、作者の百田尚樹氏について「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と記している*35。そのことには同感だが、多くの読者が安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』もある百田氏の小説『永遠の0(ゼロ)』に感動してしまったのは、「事実」を直視することを忌避して、東条英機内閣の頃のように美しいが空疎なスローガンを掲げている安倍政権や「日本会議」の歴史認識にも遠因があると思われる。

最近は「テキスト」を「主観的に読む」ことが勧められ、「テキスト」という「事実」をきちんと読み解くことが下手になっていると思われるので、宮崎監督のアニメ映画や批判を視野に入れながら文学論的な手法でこの小説や映画をきちんと分析することが必要だろう。

 

*22 高橋誠一郎 ブログ記事「終戦記念日と『ゴジラ』の哀しみ」、二〇一三年八月一五日

*23 『サンデー毎日』(二〇〇二年六月二日号、参照。

*24 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*25 安倍晋三・八木秀次・櫻井よしこ「今こそ”呪縛”憲法と歴史”漂流”からの決別を」『正論』二〇〇四年一一月号、産経新聞社、八二~九五頁。

*26 石原慎太郎・八木秀次「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」『正論』、前掲号、五八頁。

*27 藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五一~六九頁。

*28 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

*29 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、二〇〇〇年、四九頁。

*30 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、三二頁。

*31 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁、二三七頁。

*32 「東京新聞」朝刊、特集〈忍び寄る「国家神道」の足音〉、二〇一六年一月二三日。

*33宮崎駿、雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)。引用はエンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉『リテラ』二〇一四年六月二〇日より。

*34 堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』朝日文庫、二〇一三年参照。

*35 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、一一七頁。

(2016年7月1日、加筆。2016年11月2日、タイトルを改題)

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の構成案・旧版

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の執筆は、思いがけず序章で手間取ってしまいました。

ようやく書き終えましたのでここでは本書の構成案をまず示し、その後で数回に分けて序章を掲載することにします。

 

序章 映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日

*  *  *

第一部 映画《ゴジラ》(一九五四)から黒澤映画《夢》(一九九〇)へ

第一章 ゴジラの咆哮と悲劇の発生

第二章 映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》へ

第三章 小説《モスラ対ゴジラ》(一九六四)と映画《ゴジラ》(一九八四)

第四章 「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》――本多猪四郎と黒澤明の友情

第二部 小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法

はじめに 「約束」か「詐欺」か

第一章 孫が書き記す祖父の世代の「美しい」物語

第二章 地上での視線を欠いた「空」の戦いの物語ーー登場人物の画一性

第三章 高山という新聞記者――新聞の役割と「司馬史観」論争

第四章 神話の捏造――英雄の創出と「ゼロ」の神話化

*  *  *

終章 アニメ映画《紅の豚》(一九九二)から《風立ちぬ》(二〇一三)へ

(2016年11月2日、リンク先を追加)

『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次を掲載

映画《風立ちぬ》論Ⅳ~Ⅵを「映画・演劇評」Ⅱに追加

 

映画《風立ちぬ》を論じた下記の記事が抜けていましたので、「映画・演劇評」Ⅱに追加します。

《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志

映画《風立ちぬ》論Ⅴ――漱石の『草枕』と映画《風立ちぬ》(1)

映画《風立ちぬ》論Ⅵ――漱石の『草枕』と映画《風立ちぬ》(2)

 

なお、映画《風立ちぬ》と『永遠の0(ゼロ)』を比較した下記の3本の記事は、いずれ 「文明論(地球環境・戦争・憲法)」の3-2,「昭和初期の別国」に、掲載する予定です。

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠のO(ゼロ)』(1)

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(2)

宮崎監督の映画《風立ちぬ》と百田尚樹氏の『永遠の0(ゼロ)』(3)